60話:大仏の戦い(浅倉朝太郎)
車が向かった先は高徳院。青空の元、大仏が座り見守る場所であった。
「俺はCIAが未だに何故この事件に関わってくるのか謎だ。ビアンカという女は背中は預けられるかもしれんが、一緒の方向に進んでくれる仲間かは分からん」
柊木純也は車を走らせ、次第に緑が茂る景色を睨みつつ言う。
「なぜ、柊木。いえ、娘である鈴音さんが危険な目に遭う鎌倉に戻るんですか。ビアンカさんと落ち合うのは別にここじゃなくたっていいはずだ。神奈川から逃げた方が」
「──朝太郎くん。君のいいたいことは分かる」
「分かるって、鈴音さんだって危険な目にあったんですよ」
「いいの。浅倉」
彼女は前のめりになった自分を制した。
「そんなことは百も承知だ。警察もこの事件の背景に関わっていると分かった今、一生逃げ続けるのか。俺は娘にそんな生活をさせるつもりはない」
純也ははっきりと言い放った。逃げるよりも、戦って本当の安心を掴む。それも親心なのは分かる。
「一人の刑事として臭うんだよ。逃げて逃げ続けても無駄だけだとな。ならば、登鯉会のボス。棟梁である入道を押さえる。それさえできれば馬鹿げた追手の連中も全員摘発だ。警察の支援がない今、CIAの力を借りる他ないしな」
ミラー越しに映る純也の目は黒い炎を宿していた。
さらに小道を走ること数分。特段怪しい人間に会うこともなく、高徳院に着いた。
海外の人も多い、というよりも邦人の方が少ないようにも見えた。
「なるほど、木を隠すなら森ということか」
純也は石畳を鳴らすように歩く。
「浅倉くん。鈴音の近くにいてくれ」
「わかってます」
柊木の肩にぶつかる距離を、保ちつつ純也の後ろをついて行く。大仏の姿が見えるにつれ、混雑は増してきた。
「ここであっているんですか?」
「ああ。そのはずだ」
大仏を背にビアンカを待った。
炎天下の陽は、珍しく雲に隠れてきた。そして入道雲がどんどんと発達していくのが、明らかだった。とうとう、雨粒が一つ落ちると、それを皮切りに豪雨へ変化した。
「ちょっと濡れる」
柊木の髪にも雨が降りそそぐ。シャツも濡れ始めシャツの下に着ていたキャミソールの色が透けていく。
「屋根のある場所へ移動しましょう」
三人で社務所の屋根の下に移る。同じように避難してきた人たちで半ば、おしくらまんじゅうのような状況になった。
「これだと合流は難しいかもしれないですね」
純也に尋ねた時、彼は返事をしなかった。顔は強張ったまま、こちらをみた。口を一文字に結んでいる。
そして隣にいる鈴音へ目を向ける。
彼女は空を仰ぎ、強まる雨脚を気にしているようであった。別段変わった様子はない。
そして再び、純也を見る。彼は横目で、じっくり自分を見ている。そして、黒い眼がしきりに鈴音に視線を送っていることに気がついた。
──まさか。
少し振り向くと、人だかりの中に、異様な目つきをしたマスクをしている男たちが数人いた。
間違いない。敵だ。
この状況から察するに、この屋根の下に今見た以外の刺客も潜んでいる可能性があった。
なぜ自分達がここにいると分かったのか。鎌倉全域に追っ手がいるとは考えにくい。横浜から尾けられていたのか。いや、純也も含め、自分も尾行がないか気にしていた。では、なぜ。
ここで、大袈裟に逃げ回ってはまずい。おそらく彼もそう思ったのだ。だから視線で合図をしたのだ。
自分もそれに気がついたことを伝えるために、彼に向かい一つ頷いた。ビアンカらしき人物はまだ現れない。どうする。
「ワッツハプン」
背後の男が叫んだ。どうやら、追っ手とぶつかったらしい。
「今だ」
その瞬間を狙い、鈴音の手を掴み、建物から踊り出る。
「え。何!?」
鈴音は状況がわからず、声を上げた。同時に純也も外に出て、走り出す。
雨は強い。通りに人はおらず、傘もささず境内の奥へ。
「待て」
自分達の動きを悟ったのか声がした。振り返ると、四人の男が向かってきていた。
「くそ。なぜ奴らがいるんだ」
純也は毒突きながら、最後尾についた。そして、すぐ後ろに迫る男に対峙する。
「──この」
純也は懐から拳銃を向けた。男たちが怯むと同時に、異質な状況を見る群衆からも悲鳴が上がった。
「お父さん!」
柊木は叫んだ。
「朝太郎。鈴音を連れて逃げろ」
「わかりました」
彼女の手を引き、さらに奥へと走る。携帯電話を耳に当てた老婆とすれ違う。
おそらく警察に連絡しているのだろう。だが、それが良い事なのか今となってはわからない。
庭園となっている区画に向かい走る。すると、物陰からさらに男二人が現れた。手にはナイフが握られている。
「くそ」
自分もお守りとしていた拳銃を取り出し、彼らに向けた。
「なぜ、ガキがチャカを!」
男たちは射線を遮るように、体を翻す。その隙にさらに奥へ。
「浅倉、お父さんが」
「分かってる。でも今は、逃げないと」
彼女の手を引き、さらに走る。もはや体はずぶ濡れだ。
振り返ると先ほどの男以外にさらに数人がいた。どんどん増えてくる。
「くそ」
庭園の出口に近づくに連れ、さらに一人待ち伏せしていることに気がついた。
「くそ。柊木。どこかに隠れてろ」
立ち止まり、彼らと戦うしかない。そう決意したその時。
「待って。あの人は違う」
出口へ目を凝らす。待ち伏せと思われた人物は金の髪を携えたビアンカであった。
「伏せて!」
ビアンカは鋭くそう言い放つ。崩れ去るようにしゃがみ混むと、パン、パン、と乾いた銃声が。
「くそ」
背後に迫った男たちには命中はしなかったが、彼らも体勢を崩した。
そしてビアンカの元へ辿り着く。
「ビアンカさん。親父が、お父さんが」
「分かっています。行きましょう」
ビアンカは銃を構えたまま大仏の方へと走る。自分達もそれに続く形で、走る。
「大丈夫か」
「ぜんぜんだめ。でも足は動く」
ビアンカ、柊木、そして自分の順で、先ほどの道とは異なりつつ、ぐるりと回りこむように大仏がいた場所へと戻る。
雨脚は次第に弱まっていく。やはりゲリラ豪雨だったようだ。雨に遮られた視界が戻り始める。すると遠くからサイレンの音が聞こえた。警察が向かっているようだ。
「急がないと」
ビアンカはさらにギアを上げる。それに懸命についていく。
木々の影から、男が時折飛び出てくる。その瞬間、ビアンカは間髪入れずに引き金を放つ。
「ぐわ」
男の頭上スレスレを弾丸が飛ぶ。ビアンカはわざと外しているのだ。卓越した技術に感動する暇もないまま、ふって湧いてくる刺客。そして、瞬間的に戦意喪失させるビアンカ。
凄まじい光景の中、大仏のもとへと急ぐ。入り口に近い場所へ飛び出ると、人だかりができていた。
「どきなさい!!」
ビアンカの怒号で、モーゼのごとく人の壁が割れる。
そこには、倒れた男たち以外に、しゃがみ込む純也の姿があった。
「おとうさん」
鈴音は、父のもとへと走る。
「大丈夫だ。ビアンカ。すまない」
彼は自分達に気が付くと立ち上がる。腕を怪我しているようで、手には血が滴っている。
「ミスター柊木。遅くなりました。急ぎましょう。敵はおろか警察も来ています」
「ああ。車を止めてある。そこまで走るぞ」
純也は、痛みを耐えているのか鬼のような顔で立ち上がる。そして、悲鳴を背に車の元へと走った。
スマホを掲げるもの、叫ぶもの。さまざまな目を向けられながら、止めてある車のもとへ。
「ミスター。プリーズキー」
ビアンカは運転席に回る。純也はポケットからそれを取り出すと、彼女に投げた。
それを片手で掴むと、運転席に飛び込む。
自分達も車に乗り込むと、ビアンカはシートベルトも付けず、アクセルを踏む込んだ、
ギギ、とけたたましい音と共に発進。
パーキングのゲートバーもお構いなしに破壊し通りへ。
「お父さん。お父さん!」
後部座席に座る二人。鈴音は、父の腕を見て叫ぶ。
「──問題ない。少し切られただけだ」
純也は青ざめた顔で冷静に言い放った。
「で、どうする。」
彼はそのままビアンカに尋ねる。
「まずは手当が必要。どこか心当たりはありますか」
ビアンカは一瞬、助手席に座る自分へ視線を向ける。
「え、ええと。俺の家も、柊木の家もダメだし、病院は」
「ダメだ。一般人が巻き添えになる」
純也は小さく言い放つ。
「じゃあ、ええと」
どこかないか。治療ができて、自分達の身も隠せそうな場所。そして人が少ない場所。
「あ。学校」
「オーライ」
ビアンカはサイドブレーキを引き、車を反転させる。クラクションがけたたましく鳴るなか、反対射線へ。
「そうか。今お盆休みだから、部活している生徒もいないのか」
数分車を走らせ、半ば捨てるように道ばたへ停める。
鎌倉第一高校は案の定、正門は閉じられていた。
「こっち」
鈴音は、手をこまねく。すると、壊れたフェンスがあった。
「ここ通れるのか」
こんな場所を自分は知らなかった。
「遅刻した時、ここで抜けて通れるから」
柊木は身を低くしフェンスをくぐると校庭にたどりついた。四人で、すぐさま校舎の方へと走る。体育菅と校舎をつなぐ渡り廊下に進む。
体育館からいつも聞こえるはずの、靴が擦れる音は聞こえてこない。やはり、校舎にいる生徒は少ないようだ。
校舎への扉に鍵はかかっていなかった。となると、教師はいるのかもしれない。
「保健室は?」
「こっちです」
1Fの保健室は不用心にも扉はそのまま開いた。
「よかった」
鈴音は安堵の言葉を漏らす。そして、ビアンカは薬品棚へ向かい、間髪入れず、ガラスを割った。
そして、手際よく集め始める。
「オーライ。ここで治療するわけにはいきません。他にどこか場所はありますか」
ビアンカは尋ねる。
「ぶ、部室があります。新聞部の」
「──そうか」
あそこは、ガラクタばかりではあるが、誰もいないはずだ。
足取りが次第に重くなる純也を抱え、部室に辿り着き、いつも使っていた麻雀卓の椅子へ彼を座らせる。
「ジャケット脱いでもらえますか」
彼はビアンカの指示に従い、それを脱ぐ。右腕は真っ赤に濡れていた。
そして彼女はそのまま、シャツを破く。腕には痛々しい一文字の傷から今も血が湧き出ていた。
それに包帯をあて、治療をし始める。自分は周りを警戒しつつ、心配そうに柊木は父に寄り添った。
なんとか止血を終えると、純也はふう、と一つ息をついた。
「10年前なら、こんな傷負わないんだがな」
「お父さん」
「問題ない。こんな傷は放っておけばすぐ塞がる。問題は次どうするか、だ」
純也は冷静な口調を取り戻す。
「そうですね。私は、なんとかモールから脱出しましたが、入道。ボスの居場所までは掴んでいません」
「なぜ、俺たちが落ち合う場所がバレたんだ。まさか、お前たちの仕業じゃないよな」
純也はビアンカに向け、視線を送る。
「そんなわけないでしょう。もし、我々が実は敵だとしたら、今こうして貴方たちとはいません。あの場で仕事は終えています」
ビアンカは冷たく、そう言い放った。
「じゃあ、なぜ奴らは分かったんだ。GPSが付けられているわけでもないだろうに」
自分はスマホを失っている。
「まさか」
純也は自分のポケットから携帯電話を取り出す。
「あれ」
その時、柊木も自分の携帯電話を見ていたらしく、声を放った。
「村尾から連絡きてたみたい。走りっぱなしで気づかなかった」
「ムラオ?」
「あ。祭りの時にいた、同級生の」
ビアンカの質問に答える。彼女の画面を見ると、着信が無数に入っていた。
それ以外にもメッセージが数件。
──親父が見つかった。
彼からのメッセージの一つは、そう書かれていた。




