58話:波止場(村尾虎丸)
父が昔言っていた場所。親父が漁に出る船付き場から少し離れた波止場。
「ここにお父さんが」
源は車の扉を閉め、小さくつぶやいた。
「わからない。けど、親父はことある時にここにきていたんだ。だから、ここにくれば何かわかるかもと思って」
そう言って、海の近くまで歩き出す。
「お父さんにとってここはどんな場所なんだ」
「お袋が亡くなった場所なんだ。親父とお袋が漁に出た時、ここでタンカーと接触事故があったんだ
「──そうなのか」
源は静かに相槌を打つ。
周りを見回す。釣りをする男が一人いるだけで、他には誰もいない。静かな場所。
「親父はあの事故以来、海に出なくなった」
「それは嫌な思い出が呼び起こされるから、かい」
「多分。事故は結局うやむやになったんだ。親父は、明らかに自分達は悪くなくって、それこそタンカーの企業を訴えていた。でも、多額の賠償金が支払われるだけで。なにか責任問題にはならなかったって言ってた」
「弁護士とかも雇ったのかい」
「いや。わからない。けど、お袋が報われる結果じゃなかったんだと思う。俺は難しいことよくわかんないから」
「そうか。気持ちはわかるよ」
源は、舟留めに足を置き、海をきりりと睨み続ける。
「僕も警察という組織にいて、思うんだ。僕たち小さな個人は大きな存在の前では太刀打ちできない。それは政治や警察、会社は人の集合体なわけで、一人の思いに焦点が合うことはできないなんだ」
「むずかしいっすね」
「難しいよ。お父さんも一人の人間として、その会社と戦ったんだろう。けど、結果は良くなかった。でもおそらく、そのタンカーの会社の人も思ったはずだ『悪いことをした』って。でも、会社はそう思うことはできない。自分達が雇っている人も守らなくてはならないからね」
「理屈はわかります」
父もおそらくそうだったのだろう。だが、納得はできなかったのだ。
「僕もいつも無力さを見せつけられているよ。今回の事件だって、警察は動くことができないんだ。圧力のせいでね。こんな社会間違っているって、僕も思う」
そうして、二人で父の痕跡を探しながら歩く。当然、そんなものが見つかるはずもなく、しばらく歩き続けた時に声をかけられた。
「あれ、虎丸君じゃあないか」
今から釣りをしようと、バケツを抱えた男がそこにはいた。
「ええと」
記憶を辿ったが、心当たりはなかった。
「あ。そうだよね、忘れちゃったかなあ。ほら、昔、お父さんと一緒に漁していたんだよ」
「すんません。覚えてなくって」
「いやいや。ほら、お父さん追いかけなくていいのかい」
「え?」
「ん?」
男は自分の反応の仕方に驚いていた。
「親父がどこにいるのかしっているんですか」
「え。知ってるもなにも、さっきまでここにいたよ。てっきり、虎丸君を今見つけたから、二人で釣りにでもきたのかと」
──さっきまでここにいた?
「ちょっと、おっさん。親父どこに行ったかしりませんか?」
「え? いや。ええと」
「おっさん!」
「あ、ええと。歩きで来ていたみたいで、このまままっすく歩いていったよ」
男が指を刺す方向。それは、江ノ島であった。
寸前ですれ違ったようだ。しかし、やはり勘は当たった。
何かあったら、親父はここにきていた。やはり何かあったのだ。それが何かは考えたくない。
「ちょっと、村尾くん!」
走りだした自分へ源は叫ぶ。急がなければ。とにかく急がなくちゃならない。
すでに、事は終わってしまっているのかもしれないが。そんな嫌な予感は置き去りに、足を漕ぐ。




