56話:物語の加速(浅倉朝太郎)
朝目を覚ます。
ソファで寝てしまっていたためか、それとも昨日の一件の疲れが取れていないのか分からない。体は重かった。
時刻は午前六時。まだ柊木は寝ているようで、ベッドの布団が小さく動いている。
とりあえず、自分はシャワーを浴びる。ホテル独特のいつもとは全く違う匂いのするシャンプーで髪を流した。無理やり疲れと眠気を流すのだ。
そして、昨日のことは夢でもなんでもないことを悟る。
少しごわつくバスタオルで水分を取り、鏡の前に立つ。
浅倉朝太郎。
日本に支社を持つ社長である父。早くに亡くした母。この江ノ島にて来てまだ2ヶ月。だが、あまりにも色々なことが起きたせいか、北海道にいた時よりも、少し老けたようにも見えた。いや、成長したというのだろうか。
部屋に戻ると、柊木も目が覚めていたようだ。
「おはよう」
「おはよう。柊木、調子はどうだ」
彼女はすこしぼさついた金髪をくしゃり、とつかむ。
「──私は平気。浅倉は?」
「俺も、大丈夫」
「そう。その、ごめんね浅倉。巻き込んで」
柊木は体育座りの姿勢になる。
「いや。柊木は気にするな。これは悪意がある誰かのせいなんだから」
「うん。あ」
柊木はベッドの横に置いた携帯電話を手に取った。
「──お父さんからだ」
ビアンカより連絡があった。彼女は無事らしい。だが、合流はまだできない状況にいるようだ。なるべく人混みの多い場所で落ち合おう。十二時に中華街の入り口で待つ。
それが父からの連絡であった。
「よかった無事なのか」
デパートからは脱出できたのだろう。それは朗報であった。そして、やはりあの状況下で脱出できたということは、CIAという素性は本当なのだろう。
「中華街少し遠いね」
電車を乗り継いで行く方法もある。しかし、昨日とは違い昼間での電車移動となると人目は多い。
登鯉会の追っ手がここまで来ているのか怪しいが、避けられるリスクは避けた方が良いはずだ。
「支度をして、タクシーで行こう」
「分かった」
もとより、荷物はお互いに少なかったため、部屋を出たのは九時前であった。
「行こう」
エレベーターでロビーに降りる。昨日とは打って変わって観光客なのか、人は多かった。
「いってらっしゃいませ」
チェックアウトも無事済ませることもできた。次はタクシーを拾うだけであった。
さすが、神奈川県有数のホテルでもあり、すでに出払っていた。だが幸運なことに入り口の車寄せにタクシーは1台だけ止まっていた。
自分達が近づくとドアが開く。
車に乗り込むと帽子を深く被った少し若いドライバーは振り返る。
「どちらまで」
「中華街の入り口までお願いします」
「わかりました」
車は動き出す。ホテルから出て、一度駅の方へ向かうようだ。
相変わらずの陽気で、まだ午前中にもかかわらず、遠くは陽炎のように揺らいでいる。相当暑いようだ。
「高校生なのに高級ホテルに泊まって、それもデートでタクシーを使うなんて今どきの子は、ませてるねえ」
運転手はミラー越しに自分達を見た。
「はは」
とりあえず、愛想笑いでごまかす。ここで何か説明しても逆に疑わしくなってしまうだろう。そのまま、車は順調に進んでいく。やはりこれもお盆の期間だからなのか道は空いているようであった。
しかし。
「あれ」
小さく、柊木がつぶやいた。彼女を見ると、スマホで地図を見ているようだった。
柊木は、目配せをする。
顔を近づけると「道が違う」と耳元で囁く。
自分も画面を見る。最近のアプリでは最短ルートがわかるようになっている。車は、明らか道を外れていた。
──まさか。
車の向かう先は、中華街とは逆。江ノ島に向かおうとしているようにも見えた。どうする。運転手が聞き間違えたのか、道を間違えたのか。もしくは最悪の可能性か。思考をぐるぐると回す。だが、さっきの会話を思い出し、自分の中で確信へと変わった。
「なぜ、僕たちが高校生とわかったんですか」
運転手に向かい、尋ねる。
「え。何を言ってるんだい」
体を窓際に寄せる。男は腕まくっていた。白い腕。
「あんた。登鯉会だな」
「え?」
「運転手で腕を捲っていて、運転席側の腕が焼けていないのはおかしい」
「ちっ」
男は舌打ちをすると、大きくハンドルを切る。ぐらりと車は傾き、自分と柊木は体が打ち付けられた。
「勘のいいガキだ。でも無駄だ。もうお前達は確保したようなもんだからな」
勢いよく頭を打ったせいか、視界が光った。男につかみかかろうとするが、タクシーのレイアウトにもなっているアクリルボードで仕切られており、それはできなかった。
「──ちょっと! 下ろして」
柊木は運転席を蹴るも、男は嫌な笑みを浮かべているだけだった。
──くそ。どうする。
ドアから飛び出そうにも、男は100キロを超えてスピードを出している。おそらく無事では済まない。
その時、自分のズボンにあるズシリとした重みを感じた。戸惑いはあった。しかし、それを素早く手に取り、座席越しに、男の後頭部目掛けそれを突きつけた。
「きゃ」
柊木は拳銃を見て、小さく悲鳴をあげる。
男は振り返り、凶器が自分に突きつけられていることが分かったらしい。
「て、てめえ。なんだそりゃ」
「なんだも、なにもない。本物だ。言う通りにしないと撃つ」
「は、ハッタリだろ」
「そう思うなら、そうすればいい。俺は引き金を引くだけだ。どうする」
男はミラーに移る自分と進行方向をキョロキョロと見比べる。
そして、ブレーキを踏み込み停車させた。
「わ、わかった。言う通りにしようじゃないか」
「──そ、それでいいんだ。中華街に向けて進め」
車は反転し、来た道を引き換えす形となった。柊木は震える手でスマホで地図を見ては頷く。
「お前達の狙いはなんだ」
男は苦虫を潰した顔のまま、車を滑らせる。
「い、言うんだ。どうなってもしらないぞ」
「お前達が今撃ったら、おしまいだぞ。このまま交通事故に巻き込まれるんだ」
「覚悟はできてる。なんなら、足でもなんでも撃ってもいいんだ」
「あ、浅倉」
柊木は小刻みに首を横に振って制そうとする。
「狙いなんて、知るか。俺は、お前達を連れてきたら金を渡してくれるって言われただけなんだから」
雇われている、そういうことか。
「誰にだ」
「誰ってわけでもねえよ。あるんだネットにそういう掲示板が。そこで情報が乗っていただけなんだよ」
俺たちは賞金首になっているというわけか。途方もない話で、思わず笑ってしまった。
「でもお前は、江ノ島に向かおうとしていたはずだ。誰に俺たちを引き渡すつもりだったんだ」
「し、しらん。でも場所は江ノ島の海岸だった。俺が知ってるのはそれだけだ」
車はあと数分で中華街にたどり着くところまで来た。
「それじゃあ、お前には他に仲間はいないのか」
「あ、あたりまえだろ。賞金の1億は独り占めしたいしな」
そんな大金が俺たちに懸かっているのか。いよいよ、極まった話になってきている。
「ここでおろせ。いいか。俺たちを追うな」
車を通りにつけさせる。
「お前たちみたいな若造がどこまで逃げられるか見ものだ」
「いいからドアを開けろ」
もはや、ボーンシリーズ顔負けな状況だ。男は指示を守り、ドアを開ける。
「柊木、先に出てくれ」
「わ、わかった」
柊木は通りに出る。そして続く形で自分も車から飛び出した。そしてすぐさま拳銃をズボンにしまう。
「急ごう」
おそらく、彼女の父は中華街の近くにはいるはずだ。観光客を避けつつ走り出す。
後ろを振り向くと、先ほどの男と再び目が合った。携帯を耳にあて口を動かしている。
「柊木! こっち」
彼女の腕を掴み、通りを折れる。
おそらく追っ手を呼んだに違いない。仲間がいないなんて嘘八百だったのだろう。しかし、中華街に自分たちが向かっていることはおそらくバレた。であれば、なんとか相手を混乱させる他ない。
「浅倉、あんな脅すような低い声出せるんだ」
走りながら、柊木は少し笑った。
「おれもびっくり」
自分も笑みが溢れる。二人とも恐怖や驚きが混じり、なんだか可笑しくなってしまったのだろう。
なんなら俺は銃まで突き付けた。自分のしでかしたことに足は笑って答える。
一度近くのコンビニに入る。時計を見る待ち合わせ時刻は近い。一旦落ち合う場所を変えたほうが良いか、冷房で頭を冷やし考えた。
「親父に連絡したほうが良い?」
柊木も同じことを考えていたようだ。
「いや。このまま、お父さんと落ち合おう。かえって時間を後ろ倒しさせたほうが、追っ手が増えるかもしれない」
彼女はコクリと頷く。
雑誌を立ち読むフリをしつつ窓越しで外の様子を伺った。しかし、平和そのもので談笑する老人たちがいるぐらいであった。二人で示して、先に自分がコンビニを出た。そして、少し遅れる形で彼女も出る。
そのまま中華街の入り口でもあるド派手な門に辿り着く。
あたりを見回すと、柊木は小さくつぶやいた。
「親父……」
門に体を預け、あたりを伺う白髪混じりの男がいた。江ノ島で藤井香と対峙した時に駆けつけた男。柊木の父はそこにいた。
近づくと彼も自分たちに気がついた。
「鈴音。無事だったか」
彼は自分たちの姿を見て目を見開き、言った。
「なにが、無事だったか、だよ。遅いんだよ馬鹿」
そう言い彼女は父の胸に飛び込む。
柊木の父に連れられ、中華街を進む。
「朝太郎くん。大変だったろう。ありがとう」
「いえ。僕は、別に」
彼は一つ頷く。
「時間がない。行こう。ビアンカと再び鎌倉で落ち合う手筈になっている」
街の奥へと進む。屋台のいい匂いが立ち込め、客引きの声を彼は無視し続け、一目散に歩いていく。するとコインパーキング着いた。汚れたシルバーの車がどうやら柊木の父のものであるらしかった。
「これに乗るの?」
先ほどの車での出来事のためか、柊木は乗車を躊躇った。
「何かあったのか」
「それは浅倉から話す」
そう言い、彼女は後部座席に乗り込んだ。自分も柊木に続き乗り込む。車はするすると発進し、混雑する大通りを進む。
ようやく、信頼に値する大人と会えたことで、続いていた緊張がようやく解けた。
「何があった」
柊木の父へ、昨日から今日に至るまでの経緯を説明する。彼は自分が説明をする中で、特に反応は示さず相槌を打つだけであった。
「──ええと、だから昨晩土肥を攫ったのは登鯉会で、今もこうして鈴音さんも狙われているんです」
「なるほど。朝太郎くん。君の推理は正しい」
ひとしきり話を聞いた後、彼は低くそう言った。中華街を抜け、ふたたび車は鎌倉へと向かう。
「登鯉会は、江ノ島に伝わる五頭龍伝説に倣って、事件を起こしている。そしてその事件は今、完結に向かおうとしているようだ」
「完結。つまり、土肥と柊木、ええと鈴音さんで彼らの目的は完遂されるということですか」
「俺は昔、鈴音の母、つまり妻から伝説を聞いたことがあったんだ」
彼は言った。
江ノ島神社。千年の歴史を持つその場所を守り続けてきた血筋、それが柊木家であった。
父、純也は婿入りという形で柊木家に入ったのだが、妻である冥から、五頭龍の伝説の話を聞いたという。
五頭龍は五人の巫女の血により封印されたこと。そして、柊木家は封印において、その中でも重要な位置付けであること。そして、江ノ島の地中のその奥に、五頭龍は眠っているということ。
「たしか、鈴音さんもそんなこと言っていた気が」
「おばあちゃんもそんなこと言っていた。でも、そんな伝説は存在なんてしないから、悪い子供を戒める御伽話だとも言ってた」
彼女は目を閉じ思い出しながら言葉を紡ぐ。
「登鯉会には棟梁と言われるボスが存在している。藤井香の聴取をした時、その棟梁のことを、彼女はひた隠していたんだ。今回の事件、登鯉会の棟梁が儀式の完遂を望んでいる」
棟梁。その古めかしい呼び名は確かに入道に相応しい。
「ではなぜ、棟梁は儀式を望んでいるんです」
「五頭龍を復活させるこの国を破壊しようとしているんだろう」
「え?」
鈴音の言葉に、柊木の父は続ける。
「実際問題、龍なんてものは存在しない。当たり前だ。だが、棟梁はその伝説を信じているんだ。理由は分からないが龍を復活させ、この国を亡ぼす。そして、登鯉会はその棟梁の淡い欲望のために邁進をしているんだ」
入道が暗闇の中微笑む姿を妄想する。人当たりが良さそうな顔の裏で、狂気じみた野望を持っていたのか。
「その棟梁は、入道さんですか?」
思わず聞いてしまった。
「その可能性は高い。事実、登鯉会の会長は奴だ。思った以上に奴は力を持っているようだ」
「力、ですか?」
「朝太郎くん、それに鈴音には言っといた方が良いだろうが、藤井香は殺されたんだ。警察署内でな」
藤井が殺された。その話を聞いた時、柊木は絶句した。少なからず親友の仇であり、自分を襲った張本人であったが、死という事実には驚きを隠せないようだ。
「まさか自分たちの庭で、重要参考人が消されるなんてな」
彼は鼻で笑った。
「明らかに状況は他殺だというのに、藤沢署は自殺認定したそうだ。おそらく登鯉会の回しモンが、警察内部にもいるはずだ。全く、公安に俺がいなかったら、真実もわからずじまいだったろうよ」
ハンドルを切り、路線を変える。次第に海が見知った色になってくる。
「──とりあえず早くあの女と合流したほうが良い」
「ビアンカさんですか」
「ああ。そんな名前だったな。ビアンカ・アルバイン。驚きの組織だが、やはり本物だ。先月の桜井京子の事件の時に、おそらく奴らは全貌を掴んでた。まるで、はるか前に事が起きることを知っていたみたいにな」
柊木の父はその言葉を最後に口を閉ざした。
そして車は再び鎌倉の地へと戻る。




