54話:ホテルの一室、思い出された記憶(浅倉朝太郎)
横浜駅にたどり着いたのは0時を回り、八月十五日だった。
地上に出ると摩天楼が黒々とそびえ立ち、航空障害灯がちらちらと光っている。
「柊木行こう」
「うん」
ビアンカとの待ち合わせはベイタワーホテルだ。
「ごめん。スマホで地図みれる?」
「そうか。ちょっと待って」
地図アプリによると駅から歩いて三十分らしい。
父に連絡は入れておいたが、あの時囮として自分の携帯電話は放り投げてしまったこともあり、誰とも連絡が取れない。
「一応、村尾達には連絡しておく」
「うん。ありがとう」
そして、夜の街を歩き出す。ぶん、と無数の車はスピードを飛ばし往来している。
オフィスビル街を抜け、「みなとみらい」のあたりまで来ると海風を感じ、若干ではあるが暑さは和らいだ。自分は汗や泥だらけ。シャツもおそらく臭うはずだ。疲れもピークに達していることもあり、柊との会話は無いまま足を漕ぎ、ベイタワーに着いた。
飲食街は閉まりきっている。ホテルのロビーに着くと、受付の男が自分たちに気がついた。
「ご宿泊でしょうか?」
「あ、ええと」
答えにまごついていると、柊木が前に出て答える。
「ええ。予約していたホテルが急遽キャンセルになってしまって、今から部屋取れますか」
彼女は凛とし、堂々と答えた。
「少々お待ちください」
手ぶらで未成年に見える二人組を「怪しむな」と言う方が難しいのだろう。男は疑惑の目をこちらに向けつつカウンターへ戻る。
二人でやけに広いロビーの片隅で数分待つと再びカウンターに呼ばれた。
「本日ですと生憎、部屋は多数埋まっておりましてこちらの部屋しか空いておりません」
ツインベッドの一室。値段は一晩十万円を超えていた。高すぎだ、足元を見られているのか。自分にそんな手持ちはない。
「──そこで良いです」
柊木は答える。
「承知しました。では、こちらに記載を」
「あ。ええと」
流れに理解が追いつかず、再びドギマギしていると柊木がペンを持ち、宿泊シートに記載する。
「朝木」と、「柊倉」と出鱈目な名前を記載した。自分と柊木のアナグラム的な苗字を書けば、確かにビアンカも、気づいてくれるかもしれない。それは追っ手も同じかもしれないが、撹乱はできるだろう。問題は身分証明を求められた場合だが。
「身分証明書はお持ちでしょうか」
ホテルマンは予想通りの質問を投げる。それに対し。
「ごめんなさい。ちょっと先にカード出しちゃったので払って良いですか」
「あ。ええ、それはもちろん構いません」
柊木はクレジットカードを取り出し手渡す。慣れた手つきでサインをし、無事決済は済んだ。
「どうもありがとうございます」
「ええと、身分証明は」
「お疲れでしょうから、結構ですよ。では、こちらへ」
ホテル側としては、金が支払われるかどうかを気にしているらしい。無事目的が果たされたため、彼等としてもそれ以上は詮索しなかった。案内されたのは三十階だった。ただ柊木がカードを持っていて本当に助かった。
「お部屋はこちらです。ごゆっくりお過ごしください」
「──あ、ありがとうございます」
頭をぺこりと下げる。男がドアを閉めると同時。
「あ──っ。疲れたぁ──」
柊木がベッドに飛び込んだ。
大きな部屋からは、初めて見る夜景が目に飛び込んだ。みなとみらいの観覧車が虹色に輝き、海を挟んで湾岸のビルたちの瞬きが望める。
そんな巨大な窓と、これまた巨大なベッドが一つ。そこに柊木は大の字になって寝そべる。
一つ屋根の下どころから、同じベッドじゃねえか。心の中で思わず叫んだ。
「ねえ。私名演技だっと思わない?」
柊木は布団にくるまり、あははと笑い転げる。
その後、ぴたりと治り、室内は静寂に満ちた。空調の鈍い低音だけが少し聞こえるだけだ。
「ねえ、浅倉」
布団の中で、彼女は小さく呟く。
「なに?」
「私どうなっちゃうんだろうね」
友人であった桜井京子は藤井香、もとい登鯉会の何らかの陰謀によって殺害された。
そして、土肥は攫われ、先ほどまでは柊木が刺客に狙われていた。
自分の命が狙われている、その感覚は推し量れない。しかし、突如として恐怖の荒波が襲いかかった彼女は明らかに疲れ切っていた。
「俺は」
何ができるのだろうか。
「俺は、何が何でも柊木は守るよ」
そう。今、隣にいる自分ができること。それは、彼女を守るだけだ。好きな人を命に変えても守る。
「──ありがとう」
柊木が鼻を啜る音が聞こえた。しばらく彼女は布団の中で泣いていた。
自分はその横に座り、見守った。
「これからどうするの」
自分は部屋の備え付けのソファで横になった。
さすがに、同じベッドは意図的に避けた。幸いコンビニが空いていて、そこで少なからずの食料と自身の着替えを調達でき、自分はコンビニの簡素なシャツに着替えた。電気を消し、煌々とする夜の街の光が増したとき、柊木は声をかけてきた。
「とりあえずビアンカさんが無事ならここに来てくれるはずだ。それまではここにいよう」
「うん。でも、またいつ襲われるか分からない」
「──大丈夫。それなら俺が守るから」
柊木はガバリと起き上がる。
「なんで、浅倉はそこまでしてくれるわけ。こんな危険な目にあってまで、どうして」
「それは」
君が好きだから。
「ここに俺がきた理由な気がするんだ」
「ここにきた理由?」
馬鹿。どうして、変な言い訳をした。
「うん。変な話をしてもいいかな」
「なに?」
「ここにきてから、いや。もしかしたら引っ越しする前からかもしれないけど、変な夢を見るんだ」
今日も朝起きた時に見た夢。桜井の事件が起きる前。しいてはもっと前からも見ていたかもしれない夢。
自分は江ノ島の海に立ち、漆黒の巨大な存在と対峙する。その正体は今ならわかる。
「五頭龍」だ。
自分はなぜか夢の中で、龍と幾度となく対峙していた。
そのことを、彼女に言った。
「俺が鎌倉、江ノ島に来てから何度もそんな夢を見るんだ」
「それが、何か関係しているってこと?」
「──わからない。でも、なんとなく、すごいぼんやりしてるんだけど、自分がこの事件の中にいる理由が、何かあると思っているんだ」
これは、柊木の思いという本当の理由ではないが、常に心の奥底にいた無意識的な動機であったのかもしれない。
「だから、俺は好きでここにいる。柊木は気にしないで」
根拠も何も無いフォローになってしまった。脳みそを介さず話してしまった。
「なんか。浅倉っぽいね。昔から変わらない」
「え?」
「ほら。小学生の時に、私の家で遊んだ時も『俺にはなすべきことがある』とか、カッコつけてさ」
「──そんなこと言ったか?」
「言ったよ。あ、そうだ。ほら、神社で遊んだ時も龍の巣の近くでさ。浅倉が張り切って『木の棒でぜんぶ退治してやるって』」
「ちょっと待て。今なんて言った? 龍の巣?」
「え? そんなこと言った?」
柊木は本当に無意識に言っていたのか、とぼけてみせる。その瞬間彼女は口を覆う。
「まって。そうだ。おばあちゃんが昔言っていたこと。いま、思い出した」
彼女はふら、と立ち上がり窓へ歩く。
「私の家に浴衣を取りに行った時、立ち入り禁止になっていた場所。おばあちゃんが言ってたんだ。あそこが『龍の巣』だって。そこに彼等は眠っているって」
柊木は遠くを見つめ、呟いた。




