50話:デパート・バトル(浅倉朝太郎)
閉店間際のサイトウココノカドに深紅のポルシェが停まる。車について詳しくはないがグレーや黒の車が多い中、明らかに異様な車種であることは高校生の自分でも分かった。
「じゃあ、さっさと身支度を済ませましょう」
ビアンカは自動ドアをくぐる。店内には蛍の光が流れ始めていた。その音色に促され、人々は消えつつある。
「ビアンカさん。準備をしてから私たちはどこにいくの」
柊木は不安そうに尋ねた。
「そうですね。とりあえず、市外には今日中には出たいです。登鯉会がどこにいるのかも不明ですから。それでどこかのホテルに泊まって、まずはそこからですね」
──家には帰れない。
状況から致し方がないが、改めて言葉に出されると実感する。今自分達が狙われているということに。
「とりあえず、私は服を買いに行けばいいんだよね。ちょっと、近くの店に行ってくる」
そう言って柊木はデパートの上へ登ろうとする。
「護衛のため私もついてきます。アサタローの分も私が揃えておきますから。だから、アサタローは食料品を調達しておいてください」
「わ、わかった」
彼女たちがエレベーターで上の階へ向かう中、自分は1階のスーパーへ向かった。
食料品といっても、思い浮かぶのはカップラーメンやレトルトの類しかなかった。レジカゴを取り、片っ端から詰めていく。その時、父のことを思い出した。今までの調子から見るかは不明であったが家を不在にする旨をメッセージで入れておく。
ことの詳細までは書くのは控えた。理由は、よくわからない。わからないが、そうした方がよいと思った。
一つのカゴが満杯になり、レジへ向かう。とりあえず祭りに行くために現金を多めに持っておいて正解だった。閉店間際でもあるためか疲れ切っているオバサンは、自分のカゴに積み重ねられた商品の量に驚いていた。
「ええと、ニッスンのカップラーメンが、1、2、3、4点」
レジ打ちが進む中、なるべく店員に顔がバレないようにしていた。杞憂かもしれないが、顔は誰にもバレない方が良いはずだ。
「お会計が全部で1万2300円ですね」
会計を済ませ、パンパンになったレジ袋を持ち、1階で待つ。時刻は22時になろうとしている。一人そわそわしていると、
近くの自動ドアが開いた。
そこには黒のライダースーツを着込み、耳にイヤホンをつけた男が6人現れた。
まさか。
急ぎ、自分は柱の奥に隠れる。
すると、男たちはエスカレーターを駆け上がる。
奴らだ。ビアンカに電話をかける。しかし、彼女にはつながらない、柊木に発信しても同じだった。
「やばい」
せっかく買った荷物は置き去りにし、自分もエスカレータを駆け上がる。
木の面を付けていないが、おそらく登鯉会の追っ手だ。気のせいではきっとない。
2階の婦人服売り場へ行く、すると走っている男の一人と目があった。
男はイヤホンに何かを話ながら、早歩きでこちらに向かってくる。
まずい。後ろずさりをしつつ、反転し逃げる。男も察したらしく、自分を追いかけ始めた。
「ビアンカ! 柊木」
叫んだが、返事はない。
「待て」
低く唸るような声をあげ、男はさらに自分を追いかける。
店員がいないか周りを見渡したが誰もいない。
「くそ」
とりあえず、全速力で走りシャッターが締められた婦人服の店舗へ。店員が出入りするためのドアを開け、そのまま店内の更衣室に飛び込んだ。
そしてカーテンを閉じ、息を殺す。
ほどなくして、タタと足音が聞こえてくる。
「──少年Aは補足した。2階フロアに潜伏していると思われる」
男の声が聞こえる。
すたり、すたりと男の歩く音が近づいてくる。呼吸はせず、気配を消す。心臓は今にも飛び出そうだ。
足音が寸前まで迫ると、カーテンを掴んだ。自分も刹那飛びかかろうとした、その時。
「四階。分かった。そちらに向かう」
その声とともに、男は踵を返した。足音は遠のいていく。
なんとかなったようだ。小さく呼吸をして、恐る恐るカーテンを覗く。周りには予想通り誰もいない。四階。そこに彼女たちがいる。このまま、隠れるのが得策なのか、それとも迎えに行くべきか。
逡巡の結果、後者を選んだ。
身を低くし、エスカレーターへ向かう。すでに閉店の時間でもあり、進入防止を図るためのバーが置かれ、起動していないかった。合わせ鏡にも映らぬよう、四つん這いの恰好になり駆け上がる。
蛍の光は消え、無音の空間となった。室内の灯りも消えていく。そして、この状況になっても店員はいない。
おそらく、このデパートもグルなのだ。他の客は逃げたのか、隠れているのかわからないが、今このデパートは、やつらにとっての狩場となっている。
なんとか四階まで辿り着く。耳を澄ますと複数の足音が鳴り響いていた。おそらくこの階に敵が集まっている。
「どうする」
柱に隠れながら様子を伺う。長い前髪が汗でひたいにへばりつく。その時、ぐっと腕を掴まれた。
振り返ると、ビアンカと柊木がそこにはいた。しかし、彼女たちの服装は大きく変わっていた。
「静かに」
柱から離れ、店舗の一角の棚下へ。
ビアンカの服装は、柊木が来ていた紺と白の浴衣。柊木は目立たない白シャツにジーンズという格好だった
「どういうことですか」
「──不覚でした。まさか、ここまで追っ手が早いとは思いませんでした」
「ビアンカさんのその格好は」
「おそらく、相手もそれなりの訓練を積んでいる者たちです。今、私たちを探す数人以外にもおそらく、出入り口を見張るメンバーもいるでしょう。一筋縄では逃げきれない」
ビアンカは小さく囁く。
「私がミス柊木に扮します。それで、なんとか撹乱しますから、その隙を見て、二人でここから脱出してください」
「そんな」
柊木は目を大きく開ける。だが、背格好は柊木とビアンカは近かった。顔は確かに違うが、金髪でもあり、浴衣を着ている姿は、確かに一見では見間違うかもしれない。一瞬でビアンカは機転を効かせたのだ。
「それしかありません。どこかで落合いましょう。今からだと、遠くは難しいでしょう。そうですね」
ビアンカは目を閉じ考える。
「ヨコハマ。ベイタワーホテル、そこに向かってください。私も後で行きます。あと、これを」
ビアンカは帯から何かを取り出し、自分の手に握らせた。
「これって」
それは拳銃であった。ずっしりと感じる重さから、これが本物であると改めて実感する。
「みなさん。まずは身を守ってください。必ず、迎えに行きますから。では」
そう言い放つと、ビアンカは棚から顔を出し、堂々と歩き始める。そして悲鳴とともに駆け出した。
「いたぞ!」
男たちが声を上げる。そして、ビアンカの悲鳴のもとへと走り出した。
「行こう。柊木」
彼女の手を掴み、ビアンカが向かった先と反対の階段フロアへと走る。作戦通りなのか1階までは誰とも鉢合わせることなく、たどり着くことができた。
先ほどまで開いていたスーパーはすでに可動式のフェンスが閉じられていた。飲食店も閉まりきっており非常出口を示す緑色の光、あとは足元の弱い赤い光が灯るだけであった。人の気配は感じない。
しかし、ビアンカの言う通り、目を凝らすと見えた。自分達が入ってきたドアの前には、男の影が二つ。
「どうするの」
「従業員が出入りするためのドアがあるはずだ。そこに向かうしかない。柊木どこにあるかわかるか。コンビニとかにもあるだろ」
「バカ。小さなコンビニとここを一緒にしないでよ。全然わかんないから」
ここで迂闊に動き周り、彼らに見つかっては、ビアンカのせっかくの陽動が台無しだ。周りを見ても暗く、どこがその出口かもわからない。何か手はないか。思考を巡らす。
「そうか」
自分のスマホをポケットから取り出し、マナーモードを解除した。そして。
なるべくドアから遠い場所へそれを滑らせる。
「浅倉、何してんの」
「柊木、俺に電話してくれ」
「え」
「いいから早く」
わかったわよ。彼女はそう言い、
コールする。すると、沈黙が支配するフロアに軽快なマリンバの音が鳴り響いた。
その音に、出入り口を待ち伏せする男たちは反応した。二人は移動ドアを力付くで開け、自分の投げたスマホへ歩き出す。
「今だ」
ある程度の距離が空いた瞬間を狙い、自分達も駆け出す。
そして、自動ドアをくぐる。振り返ると男たちはスマホを取り上げていた。そして周りを見回している。よし。彼らは自分たちに気づいていない。
「急ごう」
二人でデパートを脱出。そして、とりあえず駅まで走り出す。
「ど、どうすんの」
店が閉まった小町通りを駆ける。時折、飲み会帰りのサラリーマンや、大学生と通りすぎる。しかし、彼らは自分達のことなど気にも留めやしない。それぞれが自分自身に精一杯なのだろう。
「電車、電車で横浜に向かおう」
「わ、分かった」
走ること数分、横浜まで出る電車はまだ残っていた。大時計を見ると23時に近づいている。
「警察に行った方が良いんじゃないの」
改札の前で柊木は尋ねる。
「いや。今はビアンカさんの言う通りにしよう。今の俺たちの状況を説明したとしても、分かってくれるかわからない」
警察として話を聞いてくれたとしても、こんなファンタジーのような出来事を間に受けてくれるかわからない。万が一、未成年の戯言となって家に帰され、そこで柊木が捕まったら、本末転倒だろう。
「──浅倉を私は信じる。あんたがそう言うなら、横浜に行こう。落ち着いたら、親父にも連絡してみる」
こくり、と頷き、改札をくぐる。
「なるべく、堂々として。私たちは鎌倉大学の2年生。いい?」
変にコソコソして、補導でもされたら不味い。柊木の指示に従い、早足ではありつつも堂々とホームへと向かう。
新宿ラインホームには若干の人はいつつも、お盆の期間でもあり、そこまで多くの人はいない。
しかし、いつ追っ手が現れるかもわからないからこそ、ポケットに忍ばせた拳銃を握り、周りを警戒した。電車は5分後に到着した。その5分が自分の中では1時間に感じるほど、長かった。
プシューと音が鳴り、ドアが開く。乗り込むと、車内は閑散としていた。
同じ車両に数人いるが、酔っ払って寝ているサラリーマンがいる程度だ。彼らはどこにでもいる。一列誰も座らない座席に二人並んで座った。すくなくともここは安全だ。そう思うと、緊張から解かれ一気に疲れが押し寄せてきた。
そうして、電車が発進した時、肩にストンと重みを感じた。柊木の頭が自分の肩にもたれ掛かっていた。
彼女もまた同じだったようだ。少ない乗員を冷やすクーラーをぼんやりと眺める。
次第に眠気が襲ってきた。だが、自分は寝てはならない。
寝てはならないはずなのに、今日起きた出来事は睡魔に姿を変え自分に襲い掛かる。
結局その力にあらがうことはできず、結局眠り落ちてしまった。




