42話:江ノ島神社(浅倉朝太郎)
「え。夏祭り? 急に言わないでよ。そっか入道さん段取ってくれていたんだ」
バイトから帰ってきた柊木を早速誘ってみた。何となく快諾してもらえると勝手に考えていたが、彼女の反応はというとイマイチであった。しかし、その理由はすぐにわかることになる。
「シフト入れていた気がする。ちょっと調整できるか聞いてみるわ」
そう言うと彼女は踵を返し、廊下に出る。
「あ。柊木ですけど。はい、八月のシフトなんですけど」
どうやら、すぐさま休めるかの調整をしているようだった。
心の中で祈ると、彼女の声色が上がったのが分かった。
「はい。ありがとうございます」
そうこうして、柊は居間に戻る。どうやら祈りは通じたようだった。
「何とか十三と十四休めた。盆のシーズンだから、かなり粘られたけど」
再び心の中でガッツポーズをする。
「でも何で十三日も休むんだ?」
「何って。私荷物少ないから」
「荷物?」
「浴衣。浴衣なんて持ってきてないもん」
神はいた。彼女の浴衣姿まで拝む機会を与えてくれるなんて、随分気前の良い神様だ。
そして、数日が過ぎる。彼女はバイトに行き、自分はというと誰かに誘われることもなく、新聞の作成に取り掛かる日が続き、祭りの前日を迎えた。
「ちょっと付き合ってくれない?」
「え」
朝。パンの焼き加減に慣れてきたとき、柊木は牛乳をコップに注ぐ。
「一旦、実家に帰るから。荷物多めになりそうだから」
「え。あ。俺は予定ないから全然いいけど」
「じゃあご飯食べたら行こう」
粗末な朝ごはんを平らげ、柊木の家へ向かう。彼女の実家、それは二つある。
一つは現在、父と住むアパートの借家。そしてもう一つが江ノ島、神社の脇手に構えられた居住者不在の屋敷だった。
今向かおうとしているのは後者だ。
「暑すぎる、電車で行こ」
今日から明日にかけて、人の命にも関わるほどの猛暑という予報が出ていた。彼女の提案を二つ返事で了承する。
鎌倉駅に向かい、江ノ電に乗り込む。盆に差し掛かっており、混んでいることを想定していたが、案外空いていた。
「久しぶりだ。柊木の家に行くの」
「確かにそうかもね。最後に行ったのは、ああ、京子の事件で近くには来てたのか」
そう言うと少し彼女は影を落とす。日の光が遮られたわけではない。
「まあ。あの時は確かに行ったけど。遊びに行くと言う意味ではさ。半年ぶりくらいなのかな」
おかっぱ頭の彼女と一緒に隠れん坊。楽しかった、少なからずそう記憶している。
「多分記憶とあんま変わってないと思うよ。あそこも入道さんに管理任せっぱなしだから」
「そういえば何で引っ越しちゃったんだ?」
「亡くなった母さんのこと、思い出したくないんだって」
──そうだった。
彼女もまた、自分と同じ境遇だ。だからこそ、こうして今、自分の家にも来ているんだ。
迂闊な質問をした自分を叱責した。そのまま会話は弾まず、江ノ島駅に辿り着く。
江ノ島に登るのはどうしても徒歩にならざるを得なかった。エスカレーターは伸びているが、課金制でもあったし、中腹までは何やかんや歩いたほうが近い。
二人で汗だくになること、数十分。比較的管理された神社の境内に到着した。
道中、入道が言っていた祭りの準備は進んでいるらしく、如何にも祭りという景色が作り上げられている。
「だいぶ商工会の人が頑張ってくれてるみたい」
「入道さんも言っていたな。今回は登鯉会が祭りを仕切ってるって」
彼女の屋敷に向かう。砂利を踏み鳴らす音が心地よい。
その時、一つ奇妙な祠なのか、封鎖されたトンネルを発見した。こんなところあっただろうか。
「あ。ここは、立ち入り禁止」
「何があるんだ?」
「私も詳しくは分からない。誰も手入れしてない場所だから危ないんだって」
「ふうん」
これまたご丁寧に立ち入り禁止の看板。そして、鉄格子まで構えられている。見たところ、錆びついていてびくともしない、頑丈そうなものだった。しかしそれに反して新品に近い錠前が付けられているのが不思議だった。
そのとき。
ブルル、とカバンが震えた。スマホはポケットにある。だとすると。
──またか。
カバンの中にあるカメラが震えたのだと分かった。時折り起きる怪奇現象。理由はわからない。だが、はっきりとそれを感じた。
「何だってんだ」
「なに?」
独り言に柊木が反応した。
「あ。ごめん。何でもない」
「あそ」
タイミングはおろか、原因も理屈もわからない。きみが悪いが、それ以上のことは何もなかったからこそ、そのまま屋敷に向かうことにした。
そうこうして、屋敷に辿り着く。改めてみると随分と立派な屋敷だった。記憶に残っていた雑木林の背景もそのままの姿だ。もはや慣れたアブラゼミの騒音の中、でんと年季を感じさせる屋敷は鎮座している。
「ちょっと待って」
彼女はジャラリと鍵束を広げる。
「たしか、これだった気が」
柊木は一つ鍵を取り出す。
「よし」
がら、と引き戸を開くと少し埃っぽい臭いが鼻についた。
「最後に掃除したのが、半年前だから、散らかってるけど」
「お邪魔します」
柊木の後に続き、障子に仕切られた廊下を進む。
「ちょっとその隣の部屋で待っていて。浴衣探してくる」
「あ。うん」
「たしか、その部屋書庫になってたから、あんたが調べていることの参考になるかも」
それは棚からボタモチだ。
障子戸を開き、茶けた畳が敷き詰められた書庫に入る。
「なるほど」
棚がずらりと並ぶ。神主が住んでいたことを納得させるほど、古い本がぎゅうぎゅうに収まっている。
香くさい本をぼんやりと眺める。その中に一つ気になる書物を見つけた。
──五頭龍絵巻。
ビアンカや、土肥から何度か聞いた伝説。登鯉会の話にも関わっていたからこそ、興味が注がれた。それを手に取りページをめくる。
『欽明ノ時分。五頭龍藤沢ノ海岸に現ル』
五つの頭の龍が津波を起こし町人が逃げ惑う姿が描かれていた。
当然ファンタジーの一つだが、記されている事は淡々と事実を告げているようにも読める。
『五頭龍。幾月ニ渡り、此ノ地ヲ脅カス。然シ、──ノ手ニ寄リ封印ス』
字が霞んでいるところもあり、誰とまでは分からない。封印についてはたしかビアンカもそんなことは言っていた。
『弁天ノ天声寄リ封印ハ巫女ノ血ヲ以テ成ス』
弁天についてスマホで調べた。どうやら弁財天という女性の神様を指すらしい。天女、そう呼ばれているとの事だった。しかし気になったのはその後の言葉だった。
「巫女の血」
そのままページを読み進める。
『折ッタ龍ノ角ヲ巫女ノ血デ注グ。海神ヲ之ニテ封ジ、江島ニ眠』
これ以上のページはなかった。しかし、最後のページの挿絵に見覚えのある物が描かれていた。
鹿の角のような、珊瑚礁のような。
これに見覚えがあった。
亡くなった桜井京子が持っていた、そして柊木鈴音の首に下げれたネックレス。それにこの挿絵は酷似している。
──代々引き継がれたものだから。
──これは龍の角なのよ。
柊木も。そして、確か桜井の母もそのような事を言っていた気がする。
そして、思い出す。藤井は、あのネックレスに固執をしていなかったか。桜井を殺害した藤井香は、ネックレスが龍の角であることを知っていた。そして、それを持っていた桜井は失血死。つまり血を抜かれ死んだ。あの晩では柊木を藤井は狙った。
偶然か。他にも何か情報はないか探す。
しかし、めぼしいことは何もなかった。書棚を他に探してみても五頭龍にかかる情報はこれだけだった。
五頭龍。巫女の血。龍の角。そして藤井が所属していたと云う登鯉会。
何だこの奇妙な連続は。
クーラーもない部屋で一人寒気を感じた。
「ねえ」
急に声をかけられ、思わず悲鳴を出してしまった。
「何度も声かけたんだけど」
振り返ると白と藍が混じった浴衣を携えた柊木が立っていた。
「あ。ごめん」
「何か見つかったの?」
「い、いや。これ知ってる?」
そう言って、五頭龍絵巻たる本を彼女に見せる。
「あー。なんか、みたこともあるけど」
「なあ。ここに書かれているのって、柊木がつけてるやつに似てないか?」
先ほどの絵を彼女に示す。
「うーん。まあ確かに似ているけど」
「柊木もこれおばあちゃんだっけ、昔からある物をもらったって」
「まあ、そうだけど」
「これ桜井も身に付けていたって」
柊木は少し考え込んだ。しかし。
「だから、偶然でしょ。そもそも龍なんているわけないじゃん。物語だし。これにあやかって遠い先祖が作ったんでしょ」
そう言って一蹴された。
「そう、だよな。うん、偶然だよな」
「さ。行こ。ここ暑いし埃だらけで最悪」
「あ。うん」
「じゃあこれ持って」
柊木に渡された浴衣を腕にかけ、彼女の後ろを歩く。
そうだ。偶然だ。
そう信じ込み、廊下を踏み、太陽の元へと戻る。
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