32話:共同生活(浅倉朝太郎)
「なに」
トラベルケースを二つ携え、柊木は家の前に現れた。開口一番の発言が「なに」とは、ずいぶんな登場だ。
昨晩ほぼ寝ずに一室掃除したのが、馬鹿らしくなってくる。
「あ、とりあえず中入って」
柊木は汗を拭い、門をくぐる。
蝉がけたたましく鳴る中、彼女は玄関に入りぐるりと家を見回す。
「古い家だけど」
「私の部屋ってあるの?」
「あ。こっち」
柊木は促されるまま、廊下をすすむ。
リビングを越えた一室。父の海外土産のガラクタが転がっていた洋室を突貫で片付けた。
柊木はトラベルケースを置くと、再び周りを見回す。
「あ。一つ勘違いしないで欲しいんだけど、私は今回の件、乗り気でもなければ、言い出しっぺでもないから」
柊木は振り向き、一瞥する。
「わかってる。父親同士で決まったんだろ」
「私の親父が不安がってたから。京子の一件もあったし。まあそもそも、心配してるなら東京に行くなってのもあるけど」
彼女は荷物を開けはじめる。サンダルや、Tシャツなどが次々と現れる。まるでケースが四次元ポケットなのかと思うほどに。
「私はバイト先近いし、ロングで入れるから。今回の件利用させてもらっただけだから」
「わかってるよ」
──わかってたのか?
自分の発言にすぐさま疑問をぶつけた。ちょっと昨日は何かが起きると、楽しみにしていただろうに。
だが、柊木と自分のモチベーションは違ったのは当然だった。
浮ついた気持ちになっていた自分が少し嫌になった。
「あ、浅倉のお父さんは? 一応挨拶したいんだけど」
「え。聞いてないの?」
「なにも聞いてないけど」
「父さん、今日の朝にアメリカに行っちゃったけど」
「え!? えぇえ!?」
柊木は目を白黒させる。
「ちょっと待って。いつ帰ってくるの」
「いや。俺も聞いてないんだ。実際、いつもいないからさ。一人暮らしみたいな感じにはなってたし」
彼女は頭を抱える。
「私の親父が帰ってくるのが数週間後って言ってたから、それまで浅倉と二人ってこと?」
「まあそうなる、のかも」
柊木はちらりとこちらを見る。
「聞いてなかった……」
彼女は頭を抱えるどころかうずくまってしまう。
「ごめん。その、どうしようか。ちょっと親父に連絡とってみるよ。早く帰ってこいって」
「いや。連絡とるまでは別にしなくてもいいけど」
柊木は立ち上がり、頬を一つ両手で叩く。
「ま、まあ。いいや。どうせバイトの連続だし。ちょっと部屋案内してよ」
彼女は赤い頬をしたまま、そっけなく言い放つ。
彼女を連れ、まだ自分自身も慣れていない家をぐるりと回った。
「台所は、正直全然使ってないんだ。ほら柊木のコンビニにお世話になってるから」
冷蔵庫を開き、ほぼ空っぽの状態を見せつける。
「──なるほど」
柊木は何かを理解する。
「こっちは、風呂場。浴槽はあんまり使ってないんだ。親父の生活も読めないし、自分だけだとガス代とか諸々勿体無いし」
「なるほど、ねえ」
柊木は再び何かを納得した。
──柊木もここを使うのか。
当然と言えば当然だ。説明しながら、柊木が裸でシャワーを浴びる妄想を図らずもしてしまう。勢いよく首を振り、雑念を追い出す。
当の本人は顎に手を置き考え込んでいた。
「なかなかの暮らしぶりってわけね」
一通り、説明を終えると彼女は総括するように言い放つ。
「ちょっと、私の生活のためにも諸々使わせてもらうけど、気にしないで」
「あ。うん。それは全然」
柊木はあてがわれた自室に戻ると、数分後には再び姿を現した。
「じゃあちょっとアルバイト行ってくるから」
すたすた、と廊下を進み玄関へ。自分も付いていき見送る形になる。
「帰りは9時くらいだと思う。何かいる?」
「あー。ええと、弁当買ってきてもらえると嬉しい。あ、あと、これ。鍵」
「ありがと。じゃあ休み入ったら一旦LIMEいれる」
「うん」
ちょっと待て。このやりとり何だか、新婚みたいじゃないか。
繰り広げられる会話劇に恥ずかしくなって、目を合わせられなかった。
柊木はどう思っているのだろうか。
「じゃあ」
柊木は玄関を開けると、手をひょいとあげる。
「行ってきます」
「あ。行ってらっしゃい」
すたすたと早足で消え行く柊木を見送る。
その時、脳裏に犬の仮面が過ぎる。
「柊木!」
思わず呼びかけてしまった。振り向き、金の髪がふわりと揺れる。
「帰り道、気をつけて!」
その言葉に彼女は「わかってるよ」と言いたげに、二、三回頷き消える。
何はともあれ、彼女は今日、自分の住むこの家に帰ってくる。なんとも不思議な感覚。
漫画でしか見たことも、聞いたこともないシチュエーションに驚きながら、心臓は高ぶってしまう。
とりあえず柊木が帰ってくる前に、家の掃除は完璧しておかなければいけない、そう思った。見られちゃいけないものは必ず始末しておかなければ。




