23話:桜井の母(浅倉朝太郎)
すこし涼しい夕凪を感じながら、柊木と一緒に北鎌倉の商店街へ向かっていた。彼女はすっかり黙り込み、終始無言のまま自分の少し先を歩いている。
桜井の母が営む雑貨屋は、比較的交通量が多い通りに面していた。
店先には花壇があり、白い花々が咲き誇っていたが、土は乾いていた。店のシャッターは下ろされている。お店の運営まで至っていないことが、娘の死に影響している事を察するには充分だった。
柊木は慣れたように細い脇道へ向かう。
「桜井」と細い書体の表札。その下にあるインターホンを彼女が押す。
「……はい」
少しの間の後、小さな声が返事をした。
「柊木です。京子さんと同級生の柊木鈴音です」
「すず、ちゃん?」
インターホン越しでも、少し声色が上がったのが分かる。程なくしてドアが開く。数週間前の葬式以来、桜井の母を見た。この前も小さく映ったが、さらに一回り小さいように見受けた。
「来てくれたんだ。ありがとうねえ」
桜井の母は涙ぐんだ。
「あれ、この方は?」
「あ、どうも。同じ高校の浅倉朝太郎です」
「こんにちは。京子のためにありがとうね。さ、入って入って」
「ありがとうございます」
柊木と共に玄関をくぐる。桜井京子の靴なのか、ヒールが何足か綺麗にしまってある。
客間に通され、柊木と並んで座る。
彼女が亡くなってから一ヶ月近くが経とうとしている。当然かもしれないが、桜井京子の残り香である、私物。アイドルの雑誌、キャクラクターもののシャツ、化粧品様々なものが、所狭しと並んでいる
人の死というものには母のこともあったからこそ、現実として捉えられるつもりだった。
しかし、今こうして時が経ちまざまざと見せつけられると、心が苦しくなる。太陽は次第に落ちかけ、夕焼けが室内を照らす。柊木はじっと、お茶を用意しようとしている桜井の母を目で追っている。
「ごめんなさいね、こんなものしかなくて。ほら、京子。すずちゃんと、お友達が来てくれたよ」
彼女は飾られた遺影に向かい話しかける。
「ごめんなさい。おばさん急に押しかけちゃって」
柊木が口を開く。
「ううん。いいのいいの。ほら、もうこの家じゃ私一人でしょ。京子も退屈しちゃうから、こうして来てくれるだけで喜ぶから」
正直今、この場所にいるだけでも辛い。
柊木も同じはずだ。しかし。彼女はしゃん、としている。
「おばさん。私たち改めて京子のことを調べているんです。京子が、そのやっぱり」
柊木は少し言い淀む。
「自殺したなんて信じられないんです。京子は誰かのせいで亡くなった。私はそう思っているんです」
「──わたしも、実はそう思っているの。警察の人たちは自殺、確かにそう言っていたの。学校の先生達もそう言っていた。何か思い詰めたことがあったんじゃないかって。けど、やっぱり私はそうは信じられない。だって、もう京子は良い子に戻ったの。前みたいに夜遊びも本当にやめていたのよ」
桜井の母は涙を浮かべる。
「それなのに……どうして」
「おばさん。誰か心当たりはありませんか? 女の人、そう。京子の周りで変な、女性の人に心当たりはありませんか?」
「女の人……?」
なぜ、女性に限定するのか桜井の母は気になっているようだ。
「女…ねえ」
目を閉じ深く考え込む。
「あの子は男友達が多かったみたいだけど、それこそ女の子の友達なんて、すずちゃんくらいだったから」
小さな声で呟く。
「そう、ですか」
柊木も残念そうに返事をしては、項垂れる。
「あら。それって」
桜井の母は柊木の首筋に光るネックレスをみた。
「どうして、すずちゃんも『角』を持っているの?」
「角? ああ。これですか」
そう言って柊木は金のネックレスをしまい込んだシャツから取り出す。
ネックレスの先には珊瑚のような飾りが付けられていた。
「これ、珊瑚礁じゃないんですか?」
自分は無邪気に「角」と呼ぶべきかわからない、ネックレスの先端に付けられたものをまじまじと見る。
「まあ、初めて見た人にはそうとしか思えないわよね。けど、これは桜井の家では古くから伝わっていた、大切な首飾りなのよ。そう、京子も私がしまい込んでいたのを取り出して……」
皺がかかった手を頬に当て、考える。
「すずちゃんって、確か苗字は……」
「柊木ですけど」
「ヒイラギ…」
桜井の母は再び考え込む。
「まあ、偶然同じ物を持っていたのかしらね。これは『龍の角』なのよ」
──龍?
ふと、連日見る夢の光景がフラッシュバックする。
海に沈む巨大な塊。そこから伸びる五本の首。その顔は、蛇とも鯨とも似ても似つかない。髭を持ち、角を持つ。
『五頭龍の伝説をしっていますか?』
ビアンカが言った台詞を思い出す。
首をぶん、と振るい、よくわからない空想も振り払う。
「そう、なんですか? 私も祖母からこれは大切な物だと言われて、最近改めて見つけて付けていたんです。そしたら、京子も同じ物を持ってて。何かの角ということは聞いていたんですが、龍なんですか。これ」
柊木は少し唖然としていた。
「ま、そんな伝説が、昔あったからあやかったのかもねえ。でも……」
再び桜井の母は言い淀む。
「京子に渡した、あの『角』はまだ見つかってないのよね」
「見つかってない? それは、どう言う事ですか?」
自分の質問に対し、彼女は答える。
「あの子、あのネックレスを大事に付けてたのよ。それこそ毎日ね」
「私と遊ばなくなっても付けてたんだ……」
柊木はため息のように言葉を漏らした。
「けど、あの事件があった日、警察の人からはネックレスのことは知らされなかったの。それこそ、大事にしていたのに。とても悲しいわね」
──消えたネックレス。
海で桜井の遺体は見つかった。であれば、波に流されていても不思議ではない。だが。
「あら。ごめんなさいね。私が変なことばっかり話してしまったから、日がもう暮れてしまったわね」
桜井の母はそう言うと席を立つ。
「ご、ごめんなさい。柊木。そろそろ行こう」
「うん。おばさん。長居してごめんなさい。最後にお線香あげて良いですか?」
桜井の母は大きく何度か頷く。
柊木が桜井の写真に手を合わせるのを、見届け家を後にした。
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