18話:ギャングのボス、名はコンタクト(峰岸千里)
峰岸俊吾。兄は良くも悪くも真っ直ぐな人間であった。
幼い頃は浜辺でよく一緒にキャッチボールをした。
彼は自分とは異なっていた。
私はというと、家族から求められた娘という枠組みにすっぽりと収まり、私立の小学校へ行き、中学と進んだ。
兄は自由奔放であったこともあり、家から押し付けられたその枠に抵抗し反発した。
議員である父はこの街の不正と戦いつかれ、家に帰った時は荒れていた。だからほとんど話すことはない。年が離れた兄は、父のような役割も妹に果たしてくれていたのだ。
しかし私が中学生の時、厳格な家柄に合わず兄は飛び出して行ってしまった。
──鎌倉ギャザラーズ。
暴走族まがいの集団で犯罪も行う危険な連中の集団に兄は入り浸っていたと聞く。
当然、鎌倉の名主である父にとって、そんな兄は目の上のたん瘤であり、勘当同然だったし、当然でもあった。
「千里さん。お兄さんが」
巨大な一軒家の一室にある私の部屋に家政婦が飛び込み知らせを受けたのは、中学卒業間近の寒い時だった。
仕事を抜け出した母と共に病院へ向かってタクシーに乗り込んだ時、母は窓ガラスと同じく冷たい口調でこう言った。
「──お父さんに迷惑かけないでよ」
実に数年ぶりに遺体となった兄と再会した。
交通事故だったと言う。バイクに乗った兄は対向するトラックと正面衝突をして、そのまま亡くなった。形だけ父は葬式に参加した。
息子を亡くした父として世間に振る舞った。だが、それは振る舞っただけだ。遺体と面会した父の目は蔑むようなとても冷たい目であった。
──きっと自分もそうだったかもしれない。
家族としてのかたちとして執り行っていたのだ。何もかも。
そんなある日、玄関が騒がしかったので、窓から伺うとバイクが停められ、銀色の髪をした男が家政婦と揉めていた。父も母もいなかったため、様子を見に行くことにした。
「──お願いします。線香だけでもあげさせてくれませんか」
男は涙を滲ませ、唸るようにそう言った。
その時自分の心がずん、と深く何かを抉られたような気がした。
「お願いします。お願いします……」
おそらく不良の男。そんな強面の男が地面に伏し、涙で顔をくしゃくしゃにしながら懇願する。
枠にはまっていない人物。生の血を感じる何か。
「どうぞ」
家政婦の反対を押し退け門をあけた。
「ありがとうございます」
男は深々と頭を下げる。浦賀洋太。それがこの男の名前だった。鎌倉ギャザラーズ、兄はそのトップにいたことを彼から聞いた。
まさか兄に人の上に立つ技量があるとは思わなかったから驚いた。それに。
「ピッチャー、ええとお兄さんは本当に良い方でした」
「ピッチャー?」
「あ。リーダーになる時に自分の名前を決めるんです。俊吾さんは野球が上手かったので、そう自分のことを名乗ってました」
ふふ、とすこし笑ってしまった。どうもおかしかった。自分に反し、浦賀という男はそのまま、小さな声で続ける。
「事故にあった原因は敵対してた連中との詫びのため、トラックに突っ込んだんです。それぐらいお兄さんは義理堅い人だった」
素直にすごいと思う感情と、トラックの運転手も不憫だと憐れむ感情その二つが入り混じったまま、浦賀と名乗る男を兄の神棚へと誘った。
彼はすと正座に直り、静かに線香に火をつける。
そして、鼻水を啜る音が次第に聞こえた。
思わず、私も目からも涙がこぼれ落ちた。それは兄が亡くなってから初めて流すものだった。
「似てますね」
「え」
「千里さん。そのメガネを取った時の目がお兄さんにそっくりだと思いまして」
兄と似ている。この私が。
自由奔放な兄と型に押し込められた自分が似ている、その彼の言葉は嬉しくもあり、苛立ちもあった。
「その、これからギャザラーズでしたか。そのチームはどうなるんですか?」
「わからない。わかりません。リーダー亡き今俺たちはバラバラになると思います」
「あなたたちは、本当に悪い人たちなの?」
素朴な疑問だった。世間的に良い人と思われている両親は兄の死に涙をしなかった。反して、世間に疎まれる彼は反して涙を流した。
──どちらが合っているのか。
いや。
「俺たちは確かに悪ガキの寄せ集めで、悪いこともたくさんやりました。でも、それは」
「仕方がなかった、そう言いたいの」
浦賀はだまった。
「おれたちは家族なんです。困ってる人がいたら助ける。お金がなかったらどうにかして稼ぐし、仲間に喧嘩を売られたら買うしかない」
そんなことをしているから。
「そんなことをしたから、兄が死んだんじゃないんですか。そんな真っ直ぐな生き方じゃ、こうなるのは仕方がないでしょ」
「あんたに何が分かるんだ。俊吾さんは、俺たちのために」
浦賀は歯を食いしばり、こちらを睨む。
父の生き方と兄の生き方。そのいずれも理解できた。父のように社会を重んじ世間からの評価を気にして家を守っていく、それも一つの人生だ。
そして、兄のように自分のやりたい事を行い、涙を流してくれる仲間を作り死んでいく、それもまた一つの人生だ。
「あなたたちはバランスが悪いのよ」
あなたたち、それは両親も含まれた。
なぜどちらかしかできないのか。もっと頭を働かせれば、もっと良い結末を迎えられたんじゃないか。父は兄を認め、兄は父へ助けを求めれば、そもそも死ぬ必要なんて無かったのではないか。
「私だったらもっと上手く……」
その時一つの考えが脳裏をよぎった。
「私だったらどっちも上手く……」
父と兄そのどちらも超えることができるかもしれない一つのチャンス。自分をはめていた型が少し外れた音がした。
「リーダーがいないのよね」
「は?」
「ギャザラーズのリーダーがいないのよね。私がなる」
浦賀は一度「はは」と笑った。だが、彼の目が私とあった瞬間、何かを悟ったようだった。
「私がギャザラーズのリーダになります。その代わりそれだけじゃあない。私はもとめられた役割を全うする役割もあるから。でも、わたしなら」
彼は笑わずだまって聞いていた。
「あなたたちを導けると思う」
自分はそういうと、浦賀は「わかった」と小さく呟いた。
「──なんて呼んだら良い?」
「そうね」
眼鏡をかけ直そうとした時に思いついた。
──メガネを取った時の目がお兄さんにそっくりだと思いまして。
兄と似ている目を持つ私。そして眼鏡をかけた両親から求めらる私。二つの顔。
「コンタクト。これからギャザラーズとしての私はコンタクトレンズをつけるから。コンタクト、そう呼んで」
浦賀は何度か頷くと、新たなリーダーである自分に向かい頭を下げた。




