16話:沈黙の藤沢警察署(柊木純也)
捜査本部の人員は事件発生後、超常的な判断のもと三分の一の数まで減った。
「自殺なもんか。彼女は頭を殴られ、血を抜かれているんだ」
桜井京子。自分の娘と同じ年で、同じ高校で、同じ女性。人ごとではいられなかった。
だからこそ、新たな発見がないかと、遺体が発見されたこの海岸に来るのは十回以上にも渡っていた。
鑑識から内部情報を手に入れ分かったこと。それは桜井京子は側頭部に打撲痕があった事実だった。それは直接的な死因ではなかった。あくまで、気絶させられ、その後に失血死に至るまでの血を抜き取られたということだった。一体何故そんな回り道をしたのか。
「結局上からの圧力で、この事件も終わるんですかねぇ」
源は、トコトコと歩いてきては小さくつぶやく。
「──さあな」
踵を返し車に向かう。
「柊木さん……どこに行くんです?」
「登鯉会のおやっさんのところだ」
振り返ることなく、返事をする。
「──また商工会ですか。ほらこの辺のチンピラ連中。ええとギャザラーズですか。あそこの一人の男がガイシャといたんでしょ。まずは、そこから当たるべきなんじゃないんですか?」
その言葉を無視し、車に乗り込む。雨が窓を軽く撫でる。大降りになることもないが、止むこともない。自分の嫌な天気だ。
「ほら鎌倉第一高校の教師、藤井でしたっけ? あの女も桜井の素行の悪さは言ってたでしょうに」
「この話がそんな簡単なわけないだろ」
「CIAですか」
この事件に関して、なぜアメリカのそんなたいそれた連中が跋扈しているのか分からない。ただ、あの事件。桜井京子の遺体の実況見分の時にいたことは紛れもない事実だ。
源はエンジンを一つ鳴らす。浜辺の駐車場から車は走り出す。
日本、それも神奈川県のある地域で少女の変死体が発見された。人の生き死にスケールも何もないが、アメリカの映画にしか出てこない組織が出張ってくる理由は一体何なのか。
唯一の取り柄である自分の嗅覚は、この事件は一筋縄でいかないことを認識していた。
「でも、どうして登鯉会なんて調べる必要あるんです? あそこは、江ノ島とか鎌倉とかの商工会レベルの団体でしょう。今回の事件とは何も関係ないんじゃないですか」
源は鼻を少しすすり、ちらりと自分を見た。
「この地域は歴史が長い」
「はい?」
「1192年。いや、最近だと諸説あるが鎌倉幕府が設立したのは知ってるだろ」
「そりゃもちろん。この国の小学生なら誰でも知ってますよ」
「その時から関東という日本の土地に存在意義ができた。京都に対する関東としての存在が歴史上に表面化したわけだ。以降この地で人々の存在、歴史、伝承が生まれていく」
とんとん、とハンドルを源は叩いた。話の趣旨がわからず、苛ついているのだろう。
「それで、その話が何になるんです」
「登鯉会はその時から存在している」
「え?」
車は赤信号で止まった。ウインカーの音が聞こえる。
「登鯉会は幕府の庇護と互恵のもと栄えた商人、寺院、神社、農家を中心とした集団 だ。そこから、歴史は動きつつも、今ここまで存在を長らえた集団だ」
「──はい」
彼は呆気に取られながらも、静かに返事をした。
「だからこそ、連中は何かと不可解な出来事も数々と経験してきた」
「それで、その長い歴史を耐え抜いた鎌倉藤沢の老体に助言を求めに行くって訳ですか?」
その質問には答えなかった。かわりにチッと静かに舌打ちをする。
江ノ島の近くに構えた小汚い定食屋についた。鯉が滝を登る様子の小さな旗が掲げられている。
そんな店構えとは反した高級車が停まっていた。店の前には携帯電話で会話している金髪の男がいた。
「これは」
源も察したようだった。前に立っている異国人は、普通ではない。
「降りるぞ」
たじろぐ源を引き連れ、店の前まで歩く。異国人は手で入るなと示したが無視をしては、ガラリと引き戸を開けはなつ。
「おや。いらっしゃい」
小柄な老人が割烹着姿でカウンター越しに声をかける。
目の前のカウンターには丼ぶりを持ち上げては口にかき込んでいる男がいた。
「浅倉」
長い髪の毛を縛り、飄々とした男がこちらを振り向いた。
「あれ。柊木。ご無沙汰だね」
彼は手をひらりとあげる。
「おやっさん。同じやつを。あ、この若いやつにも同じやつね」
源は呆気に取られながらも、席に着き耳打ちをしてくる。
「柊木さん。隣の人ってもしかして」
「シリウスインダストリー。その社長の浅倉孝太郎、さんだ」
「どうも」
片手を彼はひょいと手を挙げる。
「まさか戻ってきたとはな」
何度か頷き、浅倉は答える。
「まあ、僕も戻ってくるとは思わなかったよ。今おやっさんの余ってる古い家を借りて息子と住んでる」
カウンター奥にいる入洞はニコリと笑う。
「朝太郎くん、忙しいお父さんを持って大変だねえ」
はは、と浅倉も笑う。
「浅倉社長と柊木さんは、その昔からの知り合いなんですか?」
「高校の同級生だからな」
源の質問に対して答えると、ああと腑に落ちた顔をして水を飲む。
浅倉は丼を一気にかき込み、どんと卓上に置き、自分に向かい話しかけた。
「鈴音さんも大変だよね。ほら、聞いたよ。事件があったそうじゃないか」
「鈴音は関係ないだろう」
「朝太郎から一緒に調査してるって聞いたけど違ったのかな」
浅倉はそう返事をしながら小銭をまとめはじめる。
「そうなのか?」
「うん。まあ、娘さんに聞いてみなよ。あ、入洞さん美味しかったよ。今度は息子と来るよ」
「あんまり、息子さんに迷惑かけちゃダメだよ」
浅倉は一つ会釈し、ドアを引く。
すると電話がかかってきたのか英語で難しそうにやり取りが始まり次第にその声は遠のいていった。
「それで柊木さん、今日はどしたの?」
「おやっさん。第一発見者として気になったことをもう一度教えて欲しい」
彼はううむ、と帽子を脱いでは腕に抱え考える。
「前にも言ったけど制服姿では浜に打ち上がった遺体を散歩してる時に見つけた、ある意味ではそれだけなんだよなぁ」
「それで110番で通報した、というわけか」
「ええ。それでびっくりしましたよ。まさか、桜井さんとこの娘さんだとは思わなかったんだから」
海鮮丼が二つ置かれる。
桜井商店。鎌倉駅の小町通の先にある古道具や茶を扱う店の一人娘は、何度か会ったことがある。店の中ではなく、生活課に補導された時にだ。
「なあ、おやっさん。本当に気になったことはないか? あの早朝に、あの場所で誰かと会ったとか、何かを見つけたとか」
「そうだねえ」
彼は眉間にトントンと指を打つ。
「あ。そういえば海岸に向かう前に、一度ほら、あのヤンチャな集団の目立つ若い子。ええと誰だっけな」
「ギャザラーズの浦賀ってやつですかね」
源に目配せをする。彼は慌てて箸を置き写真を数枚取り出す。
その写真には銀髪でサメのような男が仲間内ではしゃぐ姿が写っている。
「この男ですかね」
「ああ! そうそう。この人がね、なんか思い詰めた顔をして足早にすれ違ったよ」
──思い詰めた。引っかかる表現だ。
「柊木さん、これやっぱり決まりじゃないですか?」
「そのすれ違った男は何か持ったか?手ぶらなのか、カバンを背負ってたのか」
「そうだねえ。記憶には残っとらんかなぁ」
急ぎそれを食べ終わる。源も自分のペースに合わせるよう、ご飯をかき込む。
「またなにか思い出したら、教えてくれ」
はいはい、と入洞は自分たちのどんぶりを慣れた手つきで下げる。
「いやあ。ここいらも最近は物騒になったねえ、柊木さん。ほら、浅倉さんのところの新しい外国の会社も来るわで、てんてこ舞いですわ」
「──シリウスか。影響があるのか?」
「いやあ、あんなに大きな会社ができるもんだからさ。店は盛況になるけどね。でも海がねえ、心配なんですわ」
「海?」
源が小銭をまとめる。
「まあ、浅倉さんには強くいえないけどさ。海に色々工場の排水とか流してるって噂らしくてねえ」
「──そうなんですか」
源は少し海の方を見る。
たしかに、シリウスインダストリーの良い噂は聞いたことはない。ただ、それはこの街の歴史からある外様を受け付けない雰囲気みたいなものが影響しているとも言えるが。
「おやっさん。ご馳走」
源は扉を先に開け出て行く。それを見計らい、入洞に声をかけた。
「この一件、登鯉会が何か噛んでるそんなことないよな」
カタリと皿が洗面台で落ちる音が響く。
しばらくの静寂。海のざん、という音だけが聞こえる。そして、その静寂を破るように、ガハハと入洞は高らかに笑った。
「噛むも何も私達はしがない商売人たちの馴れ合い所ですよ」
彼は、ひひとまだ笑いつつこちらを見た。
いや。彼は笑ってなどいない。
刑事の目は騙されない。
「そうか。それじゃ」
「あ、そうそう」
今度は入道が呼び止めた。
「柊木神社ですけどね。ほら、ちょっとボロが出てるでしょう。そろそろ今後どうしてくのかも含めて教えてもらえますかね? 一応奥さんが亡くなって、今は一応あなたしかいないんだから」
「──考えとく」
ガラリと閉める。最後にチクリと刺された。嫌な親父だ。
車を開けると、源は待ちかねたように声をかけてくる。
「長かったですね。とりあえず浦賀の足取りを追わないと」
「いや、だからそれはいい」
「なんでですか?」
「それよりも、俺たちは聞き込みだ」
「えぇ〜」
落胆する源の情けない声。
「とりあえず近いところから片っ端に行くぞ」
「はやく浦賀抑えれば良いのに」
源の言葉には触れずに、顎で車を出すように指示をした。
空を仰ぐ。まだ雨は止みそうもない。
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