10話:葬列とコーヒーと新事実(浅倉朝太郎)
「みなさん。くれぐれも新聞などのマスコミの方に何か質問をされたとしても反応をしないようにして下さい」
担任の藤井はクラスメイトを葬儀場へ引率する前に皆に対して釘を刺す。
あの日、教頭からの呼び出しの後帰ってきた峰岸の顔は真っ青で、またそれとは真逆に目は赤く血走っていた。
「──桜井さんが亡くなったって」
昼休みが終わる間際、自分たちは言葉を失ったのを覚えている。
葬儀の日、皮肉にも天気は晴れであった。一度も会ったこともなく、話をしたこともない女子ではあった。
あろうことか、遊び半分で新聞の記事に書こうとしていた矢先のことであった。そんな能天気な気分で、何も考えず彼女のゴシップを書いたら面白いんじゃないかと思っていた自分にとって、彼女の死という事実は心を大きく穿った。
「なあ浅倉」
葬儀の列に並ぶ中、村尾は声をかけてきた。焼香の列はとてつもない長さとなり、待ち時間のためか彼のシャツは炎天下に焼かれているせいか汗で濡れている。
「なに?」
「桜井、自殺だったらしいぞ」
「自殺」
あくまでクラスの噂ではあるらしい。逃避行の果てに、彼氏に振られたから。はたまた長い間家を空けてしまったことに対しての罪の意識から。根も葉もない噂がそれこそ、彼女が学校に来なくなってしまった時よりも荒唐無稽な噂だった。
「俺たち悪い奴だよな。それこそ自分本意の理由で桜井をネタにしようとしてさ」
村尾も同じ気持ちであったらしい。暑さと罪の意識で思わず胃液がこみ上げてくる。
それをなんとか抑え、一つ深呼吸をした。
周りを見渡す。当然だが、しっかりと制服を着込むこの学校の生徒を見るのは初めてであった。
Aクラスの後にBクラス、といったようにお焼香の列は随分長く続いている。そこで目に映るのはスーツを着た男たちであった。カメラを持っている者。他にはメモ帳のようなものを片手に持つ者もいた。きっと先生が言っていた新聞記者の連中なのだろう。
それこそ、彼らもまた自分たちがしようとしていた事を、今まさに成そうとしているのだと思うと、怒りよりもどうしようもないくらいの自分への情けなさが湧き上がるのだった。
村尾も同じ気持ちなのだろう。昨晩は寝てないのだろうか。彼の目は赤く充血していた。
自分はというと。
この数日の間、父と顔を合わせてクラスメイトが亡くなったことについて話す時間はなかった。
だが、その事実は知っていたらしい。何度かのメール。「大丈夫か?」という一言だけであったが、あの人なりに気を遣ったのだろう。
結局、父の異国の友人の話もできず、ただ一人で会った事もない「桜井京子」の死を咀嚼し続けるしかなかった。
葬儀の前日。また夢を見た。海にそびえ立つ山のような存在が動く夢。真っ暗な夜の世界に全容も掴めないほどの大きなそれは、生命体であるようであった。
風は強く、雨は散弾のように体を打ち付ける。
その朧げな視界の中ながい棒のようなものはその巨体から持ち上げられた。それはまるで天を支える柱のようでもあった。しかし、その先端にはぶらぶらと揺れる軟体の形があった。そして次の瞬間。その柱は大きくしなった。そして、先端の物体が自分の方へと放りだされる。
波打際に放り出されたその軟体の物体はぐしゃりと湿った砂浜へ飛んできた。大雨の中、その黒い物体から放り出された物を、目をなんとか開き、それを見た。
それは、「桜井だったもの」であった。写真でしか見たことのないその顔は正気のない眼で虚空を見つめていた。そして、自分は飛び起きた。
あんな夢を見たせいもあるのだろう。今回の彼女の死は噂通りのただの自殺であるとは思えなかった。
そして焼香の順番は回ってきた。毎度思うが、葬式は嫌いだ。否が応でも朧気な母の亡くなった時を思い出す。
その後に棺へ回る。小さな窓に出会ったこともない女の子の顔が存在していた。
最後に桜井の家族へ一礼をする。桜井のお母さんだろう。つねにハンカチを目に当てている。それを支える夫の姿はいなかった。
予め葬儀の前に言われていた集合場所へと向かう。ひとりとなった自分に対してマスコミは、どどと押し寄せるようにマイクを向ける。
「桜井さんにいじめはあったのでしょうか」
「今、みなさんはどのような心境なのでしょうか」
無数に投げかられる質問に対して返事はしない。
その人混みの中、一つ奇妙なものを見た。それは足元に転がっていた。
──猿の面。
木彫りで作られたものなのだろう。随分と黒ずんで年季が入っているようにみえる。マスコミ達に蹴られ、踏みつけられたのか、ところどころは割れ欠けている。
随分と場違いな存在に気をとられてしまったためか、転びそうになる。
振り返って猿の面を確認した。しかし、人の壁が押し寄せてきたため男達のスーツ姿の足だけしか見えなかった。
自分たちに課せられた事を一通り済ませた後、解散となった。
ねっとりとしがみついた倦怠感の中、帰り際に声をかけられた。
「ねえ」
振り返るとそこにいたのは柊木であった。
彼女は先ほどまで涙を流していたのか、目は赤い。きっと化粧のせいではないはずだ。
「この後、少し時間ある?」
思いがけない誘いに、当然のようにたじろいでしまった。
「うん。まああるけど」
「じゃあ、駅にある喫茶店行こ」
彼女はそう言い放つと、その後は店につくまで口を開くことはなかった。彼女の薄い鞄が揺れる光景と、首筋にひかる汗を見ながら、生き生きとした女子高生の姿。今日見た亡骸との違いを見せつけられていた。
その喫茶店は普通のチェーン店だった。観光客だろうか。無数の知らない言語が飛び交う中、彼女はクリームがたっぷりとついた甘ったるそうなコーヒーを持ち席につく。
しばらく飲み物を啜る。何の目的で誘ったのだろうか。彼女は口をいまだ開かない。
数分の沈黙のうち、耐えかねて自分から文字通りの口火をきった。
「こうやって二人で話すのは随分と久しぶりだな」
「まあ、ね」
彼女は髪をかき上げ、そっと伺うような目でこちらを見る。
「浅倉さ、私のお父さん覚えてる?」
突拍子もない質問で驚いた。柊木の父、確か一度だけ見た記憶がある。
小学校の低学年の時だ。運動会。ぼんやりと光景が脳裏に浮かび上がってくる。
自分は確か、母はまだ生きていたと思う。この光景は昼食の時だ。母が作ったハンバーグがこの時だけは食べきれないほどの量が入っていたのを覚えいてる。その隣に座っていたのは、そう、柊木だった。
彼女の母もまた小さい時に亡くなったと聞いた。
だからこそ、彼女はひとりで弁当箱を開けて黙々と食べていた。その時、白いシャツで無精髭を蓄えたひとりの男が彼女へ近寄り、頭を下げていたのだった。そう、あれが確か柊木の父。そして。
二人は母を亡くしていという点で同じであった。
「確か、刑事さんだった」
「うん。そう」
彼女は少し微笑んだように見えた。
「あのさ、私最近こんなだからお父さんが警察の人だっていうのは内緒にしてるんだ」
「それは」
言葉を続けようとしたが止めておいた。なんとなく彼女の気持ちがわかったからだ。彼女の友人はどちらかというと派手であった。それこそ、犯罪などはしてはいないだろう。だが、警察の父を持つというのは少し身構えてしまう気持ちもわかる気がした。
「京子の事件、最初に捜査してるのお父さんなんだ」
京子。桜井の下の名前であることに気が付くのに少し時間がかかった。
「京子は自殺なんかじゃない」
「え」
彼女はまっすぐこちらを見ている。黒い大粒の瞳は昔と変わらない。
「どういうこと?」
「京子の遺体が発見された場所は、江ノ島にある浜辺だったんだけど、不自然だったらしいの」
柊木はじっくりと言葉を選びながら続ける。
「京子の血がごっそりと無かったらしいの」
ごくり、と唾を飲み込む自分の音が聞こえた。この騒音が支配する喫茶店の中で、だ。
「そして京子の家族にはその事実は伝えられていないんだって」
「一体どういうことだ。いや、待ってくれ、どうして柊木はそのことを知ってるんだ」
「それは」
彼女は辺りを見回す。そしてそっと顔を近づける。ふわり、とシャンプーなのかいい匂いがする。
「お父さんの手帳にそう書いてあったから」
「つまり、盗み見みたってこと?」
柊木は小さく頷いた。
「事件があった時、お父さんが慌てて帰ってきて、自分の事を柄にもなく心配してたから、もしかしてと思ってスーツから手帳を見たら、そう書いてあった」
柊木はスマホを見ながら続ける。どうやら写真も撮っていたらしい。
「側頭部に打撲の痕跡あり。致命傷には至らず。本打撲痕より、棒状の重量物にて一撃があったと推定。意識を失い、その後血が抜かれたと思われる」
時折つっかえながらも、柊木は写真の走り書きを読み上げた。
「でも待てよ。その話が本当なら、桜井は誰かに頭を打たれた。そして気絶した後に血が抜かれたってことだろ。それって……」
これは、まさか。
「自殺なんかじゃなくて、そもそも事件じゃないか!」
「ばか。大きな声出さないで」
「あ、ごめん」
幸いな事に辺りはそれぞれの会話に夢中であった。
「つ、つまり警察が桜井の家族に嘘を言ったって事なのか」
彼女はこくりとうなずく。
「どうしてそんなこと」
「わからないわよ。私だって。けどお父さんに何となく京子のこと聞いてみた。そしたら妙なこと言ってた。『この事件には裏がある』って」
──桜井は自殺ではない。柊木の話を鵜呑みにするならば、桜井の遺体からは大量の血が消えていたらしい。血が無い。それはつまり、外傷から抜け出てしまった事以外に理由はないだろう。だが、少なからず、自分のこの目で見た彼女は小さな窓から得た情報だけであるが、そうは感じなかった。
「海に飛び込んで、流れに体を傷つけたってわけではないんだろうな」
確かめるように言葉を出す。すくなくとも今日見た彼女の顔に傷はついていなかった。
「傷、怪我じゃないとすると、注射器のようなもので血を抜き取られたのか。いや、ちょっと待て。そうなると」
「そう。京子は殺されたのよ」
「まさか」
「私は少なからずそう思っている」
彼女は続ける。
「浅倉たちさ、確か桜井のこと調べてなかった?」
「調べてるって言ってもまだ何もしてないぞ。それこそ、俺はまだこっちに来たばかりだし。それに、そもそも桜井と面識もないんだ」
「それじゃあ話にならない。私ひとりでやる」
彼女はそそくさと立ち上がる。
「ちょっと待ってくれ。やるって、何を」
「決まってるでしょ。真相を確かめるのよ。じゃなきゃ京子が浮かばれない」
「どうしてそこまで。だって柊木と桜井は仲が悪いんじゃなかったのか」
柊木と一緒にいた、確か佐々木と水無月は桜井が裏切ったから疎遠になったと言っていた。
「仲が悪い。確かにそうかもしれない。けど、京子は少なからず私にとって友達だもん」
そして彼女は店を後にする。声をかけることはできなかった。状況をうまく理解できていなかったこともある。だが、それ以上に、柊木鈴音はこの会話の中で何かを決心したようにも見えたからだ。
俺はただ、彼女の足跡のように残された、飲みかけのコーヒーを見ていた。
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