存在の消失
春川奏は、“生きていた”。
でも、それは「息をしていた」だけだった。
親が亡くなったという知らせは、三日後にメールで届いた。
返信も電話もできなかった。
通帳を見て、帰省する金がないことを知ったとき、感情は一切動かなかった。
涙も出なかった。ただ、心の中にポツンと残っていた何かが、すっと消えていったのを感じた。
「これで、もう完全に独りだ」
しばらくして、元舞台仲間から「最近見ないけど、生きてる?」というLINEが来た。
通知は見たが、開かなかった。
「生きてる」と答えられる自信がなかったからだ。
何かを食べても味がしなかった。
スマホの通知はひとつもなかった。
朝が来ても、ベッドから出なかった。
布団の中で天井を見ながら、考えていた。
「自分が死んだとして、それを悲しむ人間は何人いるだろう」
……答えは、出なかった。
ある夜、アパートのドアを開けた。
誰にも言わず、外に出た。
歩いて、歩いて、駅のホームに立った。
電車が来る音がした。
ホームの端に立ち、線路を見つめる。
風が吹いてきた。少しだけ、髪が揺れた。
でも、そのとき、思った。
「死ぬのも面倒くさいな」
それが、最後に残った“人間らしい思考”だった。
アパートに戻る。
冷蔵庫は空っぽ。財布にももう金はなかった。
光熱費も止まった。水も出ない。
でも、不思議と焦りはなかった。
もはや「生活する」という感覚が、自分にはなかった。
夜、手帳を開いた。
昔、演技ノートとして使っていたものだ。
「声の出し方」「視線の使い方」
「感情の作り方」──懐かしい文字たち。
最後のページに、走り書きのような文字が残っていた。
> “いつか、誰かの心を震わせる演技ができますように”
その文字を見た瞬間、
**「あぁ、この願いは死んだんだ」**と心から思った。
翌朝。
空になった部屋に、わずかに光が差し込んでいた。
奏は、何も持たずに部屋を出た。
スマホも、通帳も、財布も、何一つ持っていなかった。
誰にも告げず、誰にも見送られず、ただその町から“いなくなった”。
数週間後、管理会社が部屋を確認しに来た。
中には私物がいくつか残されていた。埃をかぶった台本、折れた鏡、クシャクシャの履歴書。
机の上には、破られた演技ノートの一ページが置かれていた。
その端に、かすれた文字があった。
> “演じることしか知らなかった僕には、
> もう、何も演じる役が残っていなかった。”
彼の“人生”は、
誰にも拍手されることなく、
ただ静かに、幕を下ろした。