表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

夢が崩れる音

 舞台が終わったあと、何も変わらなかった。

 仕事のオファーもなければ、誰かからの連絡もない。


 それが現実だった。

 舞台に立ったという事実は、履歴書にすら書けないほどの軽さだった。


 その日から、奏は何もかもが億劫になった。

 台本を見る気にもなれない。バイトも休みがちになった。

 気づけば家賃が2ヶ月分溜まっていた。


 管理会社からの封筒を見て、ようやく我に返る。


 「……なんとかしなきゃ」


 そう言って、再びバイトに出る。

 でも、その顔は死んだ魚みたいだった。


 ある夜、キャバクラで出会った女に「俳優やってます」と言った。


 「えー!すごーい!出たことあるの?」


 「ちょっとした舞台とか…自主映画も少し…」


 「ふーん、テレビじゃないんだ」


 その瞬間、何かが“パキッ”と折れる音がした気がした。

 心じゃない。プライドでもない。

 ──“意味”が、壊れたんだ。


 帰り道、雨の中を歩いた。

 コンビニの前で、野良猫がカップラーメンの匂いをかいでいた。


 「お前は……何かになろうとしてるか?」


 ふと、そう呟いた。

 猫は何も答えず、去っていった。

 ──羨ましいと思った。


 その翌日、昔の舞台仲間がドラマ出演の報告をしていた。

 SNSには絶賛のコメント。「泣いた!」「演技すごい!」

 リツイートされて、何万人に届いていた。


 その画面を見ながら、スマホを床に投げた。

 バッテリーが外れた音がやけに響いた。


 どうして俺じゃないんだ。

 なんで、あいつで。

 なんで、こんなに頑張ってきた俺が。


 いや、俺は頑張ってたのか?


 その問いが、脳をじわじわと蝕んでくる。


 「努力したつもりになってただけじゃないのか、お前は」


 鏡の中の自分が、笑っていた。

 腐った目で、吐き捨てるように。


 ある日、舞台仲間から連絡が来た。

 「今度、仲間内で短編映画やるんだけど……キャスト埋まってて。

 奏には照明手伝ってほしいって話出てるんだけど、どう?」


 ──照明。


 「うん、わかった。やるよ」


 声は自然に出た。でも、心は完全に沈黙していた。


 撮影当日。カメラの後ろで、スイッチを押す。

 演者が輝いている。台詞を放つたびに、空気が変わる。


 あぁ、これが本物の“表現”なんだ。

 俺がずっと欲しかった場所は、もう二度と届かないんだ。


 撮影後、演者たちが盛り上がっていた。

 「今日、マジいい芝居できた!」「お前すげーよ、ほんと!」

 その輪の中に、奏はいなかった。


 壁にもたれて、ジュースを飲みながら、スマホの画面を見ていた。


 検索窓に、ふと入力していた。


 「俳優 引退」


 その晩、夢を見た。

 舞台の上に立っている。

 スポットライトが当たっている。

 でも、観客席は真っ暗だった。

 誰もいない。

 音もない。

 自分の声も、出ない。


 沈黙だけが、拍手のように響いていた。


 目覚めたら、涙が流れていた。


 それが、何に対する涙だったのか、自分でも分からなかった。


 この日、春川奏は確信した。


 「俺はもう、“夢”の外にいる」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ