夢が崩れる音
舞台が終わったあと、何も変わらなかった。
仕事のオファーもなければ、誰かからの連絡もない。
それが現実だった。
舞台に立ったという事実は、履歴書にすら書けないほどの軽さだった。
その日から、奏は何もかもが億劫になった。
台本を見る気にもなれない。バイトも休みがちになった。
気づけば家賃が2ヶ月分溜まっていた。
管理会社からの封筒を見て、ようやく我に返る。
「……なんとかしなきゃ」
そう言って、再びバイトに出る。
でも、その顔は死んだ魚みたいだった。
ある夜、キャバクラで出会った女に「俳優やってます」と言った。
「えー!すごーい!出たことあるの?」
「ちょっとした舞台とか…自主映画も少し…」
「ふーん、テレビじゃないんだ」
その瞬間、何かが“パキッ”と折れる音がした気がした。
心じゃない。プライドでもない。
──“意味”が、壊れたんだ。
帰り道、雨の中を歩いた。
コンビニの前で、野良猫がカップラーメンの匂いをかいでいた。
「お前は……何かになろうとしてるか?」
ふと、そう呟いた。
猫は何も答えず、去っていった。
──羨ましいと思った。
その翌日、昔の舞台仲間がドラマ出演の報告をしていた。
SNSには絶賛のコメント。「泣いた!」「演技すごい!」
リツイートされて、何万人に届いていた。
その画面を見ながら、スマホを床に投げた。
バッテリーが外れた音がやけに響いた。
どうして俺じゃないんだ。
なんで、あいつで。
なんで、こんなに頑張ってきた俺が。
いや、俺は頑張ってたのか?
その問いが、脳をじわじわと蝕んでくる。
「努力したつもりになってただけじゃないのか、お前は」
鏡の中の自分が、笑っていた。
腐った目で、吐き捨てるように。
ある日、舞台仲間から連絡が来た。
「今度、仲間内で短編映画やるんだけど……キャスト埋まってて。
奏には照明手伝ってほしいって話出てるんだけど、どう?」
──照明。
「うん、わかった。やるよ」
声は自然に出た。でも、心は完全に沈黙していた。
撮影当日。カメラの後ろで、スイッチを押す。
演者が輝いている。台詞を放つたびに、空気が変わる。
あぁ、これが本物の“表現”なんだ。
俺がずっと欲しかった場所は、もう二度と届かないんだ。
撮影後、演者たちが盛り上がっていた。
「今日、マジいい芝居できた!」「お前すげーよ、ほんと!」
その輪の中に、奏はいなかった。
壁にもたれて、ジュースを飲みながら、スマホの画面を見ていた。
検索窓に、ふと入力していた。
「俳優 引退」
その晩、夢を見た。
舞台の上に立っている。
スポットライトが当たっている。
でも、観客席は真っ暗だった。
誰もいない。
音もない。
自分の声も、出ない。
沈黙だけが、拍手のように響いていた。
目覚めたら、涙が流れていた。
それが、何に対する涙だったのか、自分でも分からなかった。
この日、春川奏は確信した。
「俺はもう、“夢”の外にいる」