音のない舞台
東京で三年が経った。
春川奏は、“まだ俳優を名乗っている”。
けれど、ここ最近、誰かに「役者やってるんです」と言うたびに、喉の奥がざらついた。
オーディションを受けても、通らない。そもそも最終選考まで残れない。
事務所からの連絡もなく、SNSで「出演情報解禁しました!」とキラキラした投稿をする元クラスメイトを、いいねも押せずにスクロールする日々。
「俺だって、あいつより芝居できるはずなのに」
心の奥底で、そう思ってしまう自分がいた。
でも──何の努力も結果も出せていない自分が言っていい言葉じゃないってことも分かってた。
ある日、小劇場の端役をもらった。舞台のすみっこで立ってるだけの兵士B。セリフは一言。
「敵が来ます!」
たったそれだけ。それを、3週間かけて稽古する。
客席から見れば、ただの通りすがりだ。
自分がいなくても、舞台は何の問題もなく進む。
「ああ、俺って、空気みたいな存在なんだ」
ある晩、稽古帰りに居酒屋で隣に座った同期がポロッと言った。
「もう、俺、辞めようと思うんだ。芝居。」
「えっ…なんで」
「最近、泣くシーンで涙が出なくてさ。“感情が湧かない”って初めて感じたんだよ。なんか、もう無理かなって。」
奏は黙って頷いた。でも心のどこかで思った。
──“お前はまだ恵まれてる。テレビにも出たし、ちやほやされたろ”
だけど、そんな考えが浮かんだ自分を、心の底から軽蔑した。
腐ってきてる、俺の心。
久しぶりに田舎の友達から連絡が来た。結婚式の招待だった。
「お前、まだ東京で夢追ってんのか?すげーな!マジ尊敬するわ!」
そう言われた瞬間、体が強張った。
「うん……まぁ、ぼちぼちね……」
“尊敬される価値”なんて、もう何一つ残ってないのに。
夢を追いかけてるんじゃない、夢から逃げられなくなってるだけだ。
生活費のため、バイトは増えた。昼は引っ越し、夜は居酒屋、週末はイベントの着ぐるみ。
演技の練習なんてする時間は、ない。いや、時間があっても、気力が湧かなかった。
「なんで俺、東京にいるんだろう」
その問いが、1日に何度も頭をよぎる。
深夜、帰宅途中の駅のホームで、演劇学校の元講師を偶然見かけた。
「あれ?……あぁ、春川くんか。久しぶりだね。」
気まずそうな顔。
「……今、何してるの?」
「……一応、芝居続けてます」
「あぁ、そう……うん、頑張って」
その“うん、頑張って”が、胸に突き刺さった。
「あ、こいつ、俺のこと“もう終わった奴”って思ってる」──そう確信してしまった。
アパートに戻って、ベッドに倒れ込む。
スマホを見たら、舞台仲間のひとりがテレビ出演していた。
「夢叶いました!!」
その一文に、スマホを投げそうになった。
なんでだよ。なんであいつで、俺じゃないんだよ。
その瞬間、思考が止まり、ぽつりと呟く。
「俺、もう“俺”じゃない気がする」
誰かの台詞を演じるよりも、
“自分自身”をどう演じたらいいか分からなくなっていた。