少年は夢を見る
夜の体育館。吊り下げられた舞台灯が淡く照らす中、少年は舞台のど真ん中に立っていた。
「みんな……ありがとう」
棒読み気味の台詞を言い終えると、客席の方からぱちぱちとまばらな拍手が起こる。それは間違いなく“社交辞令”のそれだったが、当時10歳の春川奏には、世界中が自分に喝采しているように感じられた。
「すごいじゃない、奏くん!」
終演後、担任の先生が笑ってくれた。母も駆け寄って「かっこよかったよ」と頭を撫でてくれた。
あのときの温もりが、今でも指先に残っている気がする。
春川奏。小学校4年生。地方の田舎町に住む、どこにでもいるような少年だった。
けれど、彼には「夢」があった。俳優になること。世界中の人々に感動を与える“表現者”になること。
テレビの中で叫ぶヒーローに憧れた。映画で泣く登場人物に心を奪われた。自分も、誰かの心を動かせる人になりたいと思った。
田舎町ではそんな夢を語る子は少なかった。周りの子たちは野球選手だの、看護師だの、教師だの。
「俳優になりたい」と言うと、何人かは笑った。
「テレビに出るの?無理じゃね?」
「顔普通だし」
そんな言葉もあったけれど、奏の心は折れなかった。むしろ「見返してやる」と火がついた。
母はいつも味方だった。中学の文化祭でも演劇部に入り、主役を勝ち取り、舞台に立った。
そのたびに観客の反応に一喜一憂し、先生からの評価に飛び跳ねた。あのときは本気で、「俺、才能あるかもしれない」と思っていた。
時は流れ、高校でも演劇を続けた。県大会で入賞し、地元紙に名前が載ったとき、母はそれを切り抜いて壁に貼ってくれた。
「東京、行きたいんだろ?」
進路相談の時、母が先に切り出した。「反対されるかな」と思っていたのに、拍子抜けした。
父は少しだけ渋い顔をしていたが、「三年だけって約束するなら、行ってこい」と渋々認めた。
旅立ちの日。最寄りの駅まで見送りに来た母が、ポケットに小さく折りたたんだ手紙を入れてきた。
> “思いきり演じてきなさい。奏はきっと、誰かの心を動かせる人になる。”
電車の窓から見えた町は、まるで遠ざかるセットのようだった。奏は目を閉じて、自分が主人公の映画を想像した。
きっと、ここからが物語の始まりだ。
そう信じて疑わなかった。
まだ知らなかった。
夢を追うことが、どれほど残酷で、静かに人を壊していくか。