カーテンに触らないで
――素敵な日だった。
僕は大学の実験に参加した。何の研究に関する実験かは、全てが終わった後に教えてくれるらしい。実験の募集をみて大変興味深いとは思ったが、参加の動機の大半を占めるのは、報酬として3万円が貰えるという所だった。
実験の内容はこうだ。一軒家のリビングを思わせる部屋の中で20時間過ごす。スマホなどの私物持ち込みは完全に禁止だったが、部屋の中には、テレビ、ソファー、テーブル、ベッド、飲み物などが入った冷蔵庫、インスタント食品が積まれた棚、それらを食べるための電子レンジや給湯器。また、この部屋とは別にトイレ付きのユニットバスがある。ここで生活しろと言われても困らない。
しかし、大事なのはここからだ。この部屋に入って左側の壁一面が、カーテンに覆われている。このカーテンには一切触れてはいけないという。開くことは勿論ダメだし、物を少しでも触れさせる事すらダメだと言う。おそらくここが今回参加する実験のきもなのだろう。
実験における秘密保持などについての誓約書に署名した後、部屋に入った。この後は部屋から出ず、カーテンにさえ触れなければ自由だという。監視カメラや録音の類も全く無いらしい。
実験が始まり、僕はとりあえず実験用の部屋という割にはやけにふかふかした豪華なソファによりかかり、テレビをつけた。数分程ニュースを見た後、冷蔵庫を開ける。中にはお茶、天然水、ソフトドリンクの他に、なんとお酒も入っていた。しかし今はまだ昼下がりだ、お酒を飲むはやめておこう。棚にあるインスタント食品を確認した後、再びソファーに戻る。
テレビをボーッと眺めながら、横たわった。正直このまま寝てしまいたい。実はバイトの夜勤明けに、少し家に帰り数時間仮眠を取り、大学へと行き、実験に参加している。実験参加前のちょっとした面談では、自然体で参加して欲しいと言われている。夜勤明けにダラダラするのは良くあることなので、これでいいのかもしれない。
「お疲れなのですか?」
今、何か声が聞こえたような……テレビの音ではないかと確認するが、ニュース番組は天気予報のコーナーをやっている。空耳かなにかだろうと、俺はソファーの上で目をつぶる。ベッドに移動しても良かったが、それをする気力もない。取り敢えず軽く寝てしまおう。
「返事をして下さい」
まだ同じ声が聞こえた。今度は先程よりもはっきりと聞こえた。落ち着いた女性の声……テレビとは反対側から聞こえた、つまり背後だ。この部屋にいるのは僕だけのはず。恐怖を感じつつも後ろを振り向く。
後ろには触れるなと言われているカーテンだけがあった。まさかこのカーテンの反対側に誰かいるのか?
「どなたですか?」
俺はカーテンに向かって問いかけた。ここで返事が返ってこなかったら更に恐怖を感じていただろう。しかし、カーテンから声がしたのなら、恐らく今回の実験の為に仕掛けられた何かだろう。
「返事をして下さり、ありがとございます。すいません、私にはその名前という物はございません。」
カーテンの方からの声だ。名前が無いというのはよく分からないが、これが何か実験の為の仕掛けだと言うことはすぐに分かった。彼女?の話し方は無機質で作業的だった。カーテンの向こう側に最近話題のAIが会話するソフトを使った機械があるのではないかと、推測。僕の眠気は吹き飛んだ。この状況は大変面白い。僕はカーテンの方へと話しかけた。
「貴方について教えては頂けませんか?」
ソファーから立ち上がりながら、僕はカーテンの方へと近づく。すぐに返事が帰ってきた。会話をしてみよう。
「私は、あなたが現在参加している実験の為に用意された存在です」
「それは、なんとなく察しがついていました。もっと詳しく教えて欲しいです。貴方はAIですか?」
友達と一緒にCHATGPTという、AIと文章でやり取りが出来るソフトで遊んだ事がある。僕はそれと同じ感覚でカーテンの向こうにいるAIへと声をかけた。
「AIでは、無いですね」
「本当にですかー?」
煽るように聞いてしまった。AIが間違った情報を人間に教えてしまうことはあれど、真偽がハッキリする質問に、ウソをつくことは無いと言うのは知っている。(嘘をつくように事前に伝えていれば話は別だが)
「本当ですよ!」
先程より感情があるような声で力強く答えてきた。さながら人間の声だ。AIがここまで人間の声を真似られるほど進化したのか、本当に人なのか分からなくなってしまった。
今、にカーテンをめくってしまいたいと考えている。これが今回の実験の意図なのか?カーテンの先で声がしたら開けるのを我慢できなくなるかのテスト?寝不足で頭が回らなく、こんな中学生でも思いつきそうな仮説のみが浮かんでいる。少しの沈黙の後、カーテンの向こうの何かがこちらへと話しかけてくる。
「私は逆に貴方の事が知りたいです。どうしてそんなに疲れている様子なのですか?」
「それは、バイトの夜勤をしていたからだよ。コンビニバイトで昨日は言うほどやる事は無かったけど、ワンオペだからね。気が抜けないんだよ」
「それは大変ですね。お疲れ様です。偉いですね」
労われた。というか、あちらの問いから流れるように会話が出来てしまった。AIなのか人間なのか余計分からない。答えは実験の後に教えて貰えるのだろうか?
「君について、実験の後に教えて貰う事は出来る?」
「ごめんなさい、それは出来ないんです」
「どうして?」
「とにかく、ダメです!」
「理由になってないよ」
焦ったような口調で答えてくる。僕はそれを見て、よりこのカーテンの先にある物が気になってしまった。このまま、これの正体を知らないまま、実験終了時間を向かえれば、3万円。これは僕のような一人暮らしの大学生にとっては、かなり大きい収入だ。だが、それよりも、それよりも好奇心を優先してしまいそうな自分がいる。つい、カーテンの方へと問いかけてしまった。
「僕は、どうすれば良い?」
「それは、貴方が決める事ですよ」
「君はどうして欲しい?このまま時間が流れるか、僕がカーテンを捲るか」
「それは……」
モジモジとしたような口調になった。どういう事だろうか。カーテンを捲って欲しいのだろうか。
「もしかして、捲って欲しいの?」
「……」
黙ってしまった。しかし、小さな息遣いが聞こえる。AIだと思っていたが、この息遣いからはカーテンの反対側に人がいるのでは無いかと、僕に考えさせた。正直今の僕にとって3万円などどうでも良い。もう、カーテンを捲ってしまおう。
「カーテン……捲るね……」
「……エッ……ダメェッ!」
恥ずかしがるように、必死に拒むように応答する。僕はその声にいやらしい妄想をしてしまった。このカーテンの向こう側には……これ以上はやめておこう。さてカーテンの前に右手をかざす。
「じゃあ、行くよ」
僕はカーテンを掴み、思いっきり捲った。
「イヤァァァァアアアアン!」
「え?」
カーテンの裏側は、壁だった。一体どう言う事だ……カーテンを完全に開きまとめ、壁を調べる。
「もう!なんて乱暴な事をするんですか!」
照れながらも怒ったような声が聞こえる。束ねたカーテンの方から。僕は理解した、もう一度カーテンを触る。そして、優しく撫でた。
「やっ、やめて下さい!くすぐったいですぅ……」
――これは僕がカーテンに恋した日の話