04 上司の誘いというのは断りにくい
宣言通り午後はみっちりとしごかれた。
なんだかんだで第二実戦部隊全員が訓練に熱が入ってしまい、ああだこうだと言いながら遅くまで訓練場に居座ってしまったわけだ。
正直エルダにはどうやって部屋に戻って寝たのか記憶がない。
その翌朝。
クタクタの身体を引きずって訪れた食堂で、訓練中誰よりも盛り上がりみんなを率いていた隊長のライナルトに出くわした。
「おう、エルダおはよう! って、どうした酷い顔してるぞ」
「おはようございます……さすがに昨日の今朝なので……」
疲労で覇気の無いエルダと違い、いつも通りの溌溂とした様子はさすがであると感心すらする。
「あれくらいでへばってどうする! お前はもっと基礎体力を鍛えろ」
「はい、そうですよねぇ……」
確かにエルダは隊で一番のチビでヒョロリとしているが、これでも人並みよりは鍛えている。周りがそれ以上に魔術師らしからぬほどムキムキしているだけだ。
ライナルトだって団服姿は細身なのに、脱げば岩のように硬い腹筋を持っている。隊長の名も伊達ではない。
適当に相槌を打ちつつ、緩慢な動きでコーヒーとパンだけ受け取ってテーブルについたら、並んでライナルトも座った。手にしているトレイにはパンと厚切りベーコン、サラダにスープとオムレツ等々……とにかくすべてが山盛りでのっている。
これはさすがに絵面が強すぎる。思わず呻いてしまった。
「見ているだけで満腹になるのですが……」
「俺は見ているだけで腹が減る」
ひとつのロールパンを小さくちぎりながら口に運ぶエルダを見て、ライナルトは信じられないとでも言うように顔をしかめた。その手は山盛りの朝食を次から次へと口に運んでいるが、食べ方が綺麗なものだから食材がみるみる減っていく皿に一種の爽快感さえ感じる。
「エルダはそれだけで身体が持つのか?」
「……昼に食べます」
疲れが残っているのも確かだが、それだけではないことも自分でわかっている。
けちょんけちょんに貶してきたクラウスを思い出してため息が出た。
正論で斬られた傷が疼く。
いっそのこと無視してくれてもいいのだが、きっと顔を見れば言わずにいられないほど疎ましいのだろう。
「今日も訓練ですか?」
「ああ、特に任務もないし、昨日の続きだ。せっかくだしもっと隊全体の連携も確認したい。そうすればエルダの特攻も減るだろう?」
「嫌味ですね」
「嫌味だからな」
そうやって無駄口を叩きながら朝食を終え、ライナルトとともに訓練場に向かう。
中庭を突き抜けるように歩いていると、ちょうど研究棟から出てきた男女二人組とばったり鉢合わせた。昨日見たばかりの黒褐色の髪が視界に映る。
まさか二日続けて遭遇するとは思わなかった。
うっ、と声を詰まらせたエルダに気付いてかどうかはわからないが、視界を遮るようにライナルトが一歩前へ出る。
「クラウスじゃないか。おつかれ」
「……おつかれさまです」
「あら、ライナルト隊長。おはようございます」
淡々としたクラウスに代わり、明るい栗色の髪をサイドでひとつにまとめた女性が、にこやかに挨拶を返す。
彼女はクラウスと同じ第一研究課の魔術師だ。二人でいる姿を何度か見たことがあるので、きっと仲が良いのだろう。そう思ったらつい視線をそらしてしまった。
「研究課はこれから朝食か?」
「ええ。すっかり徹夜してしまいまして」
「熱心なのはいいが、無理はしないようにな」
聞こえた言葉に視線を向けたら、確かに前に立つ二人は少しばかり疲労が滲んだようなくたびれた格好をしていた。
それでも、にこやかにライナルトと会話をする彼女はスラリとした長身で、腕を組む立ち姿からも大人の女性らしい聡明さと自信がにじみ出ている。
チビでヒョロリなエルダとは正反対だ。
なんだか落ち込んでしまいそうな気持ちで眺めていると、女性のとなりからやけに強い視線を感じた。
(うう、あえて見ないようにしていたのに……)
おそるおそる目を向けたら、案の定クラウスがエルダをじっと見据えている。
「……第二部隊は、今日も討伐なのか?」
眉間を険しく寄せながら問われるが、嫌ならば声をかけなければいいのに。とやはり思う。しかし無視するわけにもいかないので、エルダは腹をくくってライナルトの後ろから顔を出してクラウスと向き合った。
「今日も訓練らしい。隊長は隊の連携を確認したいみたい」
チラリとライナルトに視線を向ければ、「基礎体力も追加しようか」などと細い二の腕を取られながらにんまりと告げられ、「げえっ」と思わず声に出てしまう。
そうしたら、なぜかクラウスの眉間がより一層すごいことになった。
なんでだ。そんなに私が気に食わないならもう会話をやめようよ、と内心うんざりしたが、意外にもクラウスはまだ続ける意向らしい。
「そうだな。お前の馬鹿げた戦法など捨てるべきだ。前々から思っていたが、なにを考えてあんなことをしているんだ? 師団でなんと呼ばれているか知っているのか?」
怒涛の畳みかけがすごい。今日も相変わらずいい切れ味をしているではないか。
だがそんなことわかっているし、別に命を捨てているつもりもないし、そもそもエルダが実戦部隊にいるのだって誰の――そこまで考えて、一旦思考を止める。これはエルダが勝手に思っている問題であって、クラウスが悪いわけではないのだから。
なにも言わないエルダをどう思ったか、クラウスの眉がなおも吊り上がった。
「これ以上『爆心地』だなどと呼ばれないようにするんだな。その呼び名を聞くたびに不愉快だ」
「クラウス」
言い募るクラウスを咎めるように、研究課の女性が名前を呼んだ。
「もう行きましょう。ごめんなさいエルダさん、彼が言い過ぎたわ」
「いえ……」
そうだとしてもなぜこの人が謝るのだろうか。
むむっ、とどうしても口がへの字になる。窘めるようにクラウスの腕に添えられた彼女の手が、どうしても目についた。
「気にしてないので」
それだけ言ったら、クラウスの目元がピクリと震えたように見えた。もはやエルダがなにを言っても気に障るらしい。
ならばご希望通り黙ってやろう。と口元を引き結ぶ。
「すみません。では失礼しますね」
女性はエルダとライナルトに軽く会釈をすると、クラウスの腕を引いて食堂へと向かって行ってしまった。
その背中を見送って、ライナルトがわずかに気遣う様な視線を向けてくる。いたたまれない。
「……本当に大丈夫か?」
「うん? 別に平気ですよ」
とはいえ、あそこまで言われたらやはり正直落ち込む。
けれどクラウスが言うことは正しいし、クラウスに対してエルダがうだうだ思っていることはエルダの問題なのだ。
ただ、不愉快らしい。
嫌われているに引き続いて不愉快まで追加されてしまった。
平然と答えたつもりではいるけれど、ライナルトが「うーん」と唸りながらやけに真剣な目で顔を覗き込んでくる。
つられてエルダも緊張した面持ちで見返していたら、しばし何事か考え込んでいた彼が「よし」と手を叩いた。
「エルダは明日休みだよな? 今夜は飲みに行くぞ」
なにが「よし」なのかがさっぱりわからない。
「……いやぁ、そんなお気遣いなく……」
「なにを言っているんだ、部下は素直にご馳走になっとけよ」
やんわりと断ろうとしたエルダの言葉は跳ね返された。はっはっはっと笑うライナルトは、どうやら逃がす気はないらしい。上司の圧力のなんと強力なことか。
しばし抵抗を試みたエルダではあったが、どうせならば遠慮なく人の金で飲んでやろうと開き直ることにした。