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16 ようやく気付いたあの日

『今朝は氷点下を記録。ふたたび積雪。せっかくなので前回中途半端になっていた魔法陣をいくつか試すことにする』


『その前に魔術師団からの試験結果を確認。無事に合格した!』


『クラウスも試験を受けたのだろうか』


『氷から液体、またその逆への状態変化魔法陣を何パターンか発動。Bパターン不発。要調整。もう一度文献を参考にして組み直す』


『師団の入舎手続きをしに行ったら、合格者の名簿を見ることができた。クラウスがいた! 家名はダーミッシュに変わっていたけど、カルビーク国の姓なので間違いないと思う。お母様の母国に戻っていたらしい。無事でよかった!』


 書き終えるなりホッと息を吐いて、エルダはペンを置いた。


 突然学園を辞めてしまったクラウスのことを忘れた日は一日だってない。

 このぶ厚いノートも魔法陣研究のために使っていたはずなのに、いまや研究日誌兼ただの日記だ。しかも日記の九割はクラウスだ。ちなみに、すでに三冊目だったりもする。


 突然いなくなってしまったクラウスと会えないことに寂しさを感じていたら、いつの間にかノートの内容がこんなことになってしまった。気恥ずかしくて自分で書いておきながら読み返す勇気がない。

 

 彼ほどの実力があればどこに行ってしまったとしても魔術師団で再び会えるかもしれない。と、元々志望はしていたがクラウスとの再会もひとつの目標にして、エルダは入団試験を受けたのだ。


 どうやらそのクラウスも無事に合格していたらしい。

 安堵とともに、抑えようもない喜びがむくむくと湧き上がる。


「……良かった……っ!」


 たまらず机に突っ伏した。

 脚をバタバタと揺らしたらつま先をぶつけて悶絶したが、口元がどうしてもにやけて仕方ない。

 再会したらなんと言ってやろうかと考えるものの、言葉が次から次に浮かんでまとまらなくて困る。


 言いたいことが多すぎる。

 けれど、とにかく……どれだけ心配したことか。


 それに相談もなく学園を辞めたことについてひと言申してやりたいし、それに今は困りごとなどないのか、カルビークのどこで学んでいたのか、異国での学びはどうだったのか。これからは帝国で暮らす予定なのか。


 そしてなにより、もう一度会えて嬉しい。

 それだけは伝えたいとエルダは魔術師団への入団を心待ちにしていたのだ。



 *****



 入舎日は、門出にふさわしくよく晴れた日だった。

 すぐに施設とその設備について一通り説明を受け、荷ほどきや書類作成に追われることとなった。

 数日後には配属も発表され入団式が行われる。そうすればあっという間に配属ごとに研修・訓練と忙しい日々が始まるのだ。


 荷ほどきの合間に、エルダは兵舎内を見て回った。

 すでに新入団員はほとんど入舎を終えているらしく賑やかであった。だが、目当ての人物はなかなか見つからない。

 まだ入舎していないのだろうか、と思いかけたところで……遠くに黒褐色の髪を見付けた。


 数年ぶりであるその色を目にした瞬間、自分でも驚くほど心臓が大きく跳ねた。


 記憶よりも背が伸びていたが、エルダが見間違うはずはなかった。

 跳ねまわる心臓を抑えるように胸元を抑えながら、一歩一歩と近づく。そのたびに鼓動は大きくなり周囲の音は遠のいた。


 人混みから少し離れた廊下の突き当り。そこを曲がってすぐのところに彼は立っていて、黒褐色の髪と背中が見え隠れしている。

 ごくりと喉を鳴らしてから震える唇をなんとか動かした。


「クラ――」

「志望はやっぱり研究課にしたの?」


 エルダが意を決した言葉は女性の声にかき消され、思わず口元を抑えて声を呑みこんだ。

 クラウスの向かいには女性が立っていたらしい。女性に気付かず、話し中に声をかけてしまうところだった。幸い二人からエルダの姿は見えていないようで、慌てて物陰に身を隠す。


 ここで一旦戻るべきなのだろうが、聞こえた言葉がどうしても引っかかってしまい動けなくなった。


(クラウスが研究課……? 実戦部隊じゃなくて……?)


 お互い師団に合格したとしても、配属希望は研究課と実戦部隊で当然別れると思っていた。

 学生時代は首席を取り、特別訓練まで受けていたはずではないか。


「そうだ。そのために入団したんだからな」

(うおおおっ、いい声!)


 久しぶりに聞いたクラウスの声は、抱いた少しの違和感をあっという間に頭の隅に追いやるほど、エルダの心臓を打ち抜いた。

 今まで思い出として心にしまわれていたクラウスの姿が、声が、現実となってエルダの前に形となっていく。


 だが胸の高鳴りは直後どん底に叩き落とされる。


「そうしたら、きっと研究課を志望するはずだって言っていた、あの彼女にも会えるかもしれないものね」


 直感的に、エルダは自分のことだ。と思った。


 けれどわずかに膨らんだ期待は、その言葉をきっかけに明らかに雰囲気を変えたクラウスの背中で、みるみる絶望に変わっていく。

 ひどく不快そうな怒りにも似た空気を目の当たりにして、エルダはようやく――とんだ思い上がりに気が付いたのだ。


「その話はするなと言っただろう。俺はやりたいことがあるから研究課を志望したんだ」

「ああ、そうだったわね。ごめんなさいね」

「それはもう過去の話だ。関係ない」


 吐き捨てるようなクラウスの声に、エルダは血の気が引いた。


(ああ、そうか)


 慌てて踵を返す。この先を聞いてしまうことに耐えられなくて、手で両耳を塞いだまま必死に足を動かして自室を目指した。


 次第に視界が滲んで見えなくなる。それでもなんとか部屋まで辿り着いて飛び込み、ドアを背にして鍵をかけた瞬間、滝のように涙があふれた。


 悲しみもある。けれどそれ以上に、うぬぼれていた自分自身への怒りや羞恥心が抑えきれないほどエルダの内側で暴れ回った。


(どうして気付かなかったのだろう)


 ずるずるとへたり込みながら、狭い自室の天井を見上げた。けれどぼやけた視界ではなにも見えない。出てくる嗚咽で息が苦しい。


 ああだこうだと言いながらエルダの魔法陣研究をともにして、ときにはくだらないことについて語り合っては笑って、こっそりとクラウスの特別訓練を覗いては見惚れて陰ながらほくほくして。

 エルダにとってクラウスとの関係性は、図書館でともに過ごしたあの放課後の日々で止まっている。


 だから、再会さえすればまた同じように笑って過ごせると思っていたのだ。あの続きをともに過ごせると疑っていなかった。


 そんな訳はないのに。

 そもそも、エルダは学園を去るクラウスからなんの相談も、報告もされていなかったではないか。ただ勝手に寂しさだけを募らせて、勝手に再会を待ち望んでいた。


 これまで他人と気薄な人間関係しか築けてこなかったエルダには、去って行ったクラウスを追おうだとか事情を調べようだとか、そういった行動を起こそうという考え自体が浮かばなかった。


 そういったあれこれに今更ながら気が付いた。

 押し寄せる後悔と羞恥心。


 ――もう過去の話。

 クラウスにとってエルダの存在は、とっくに過ぎ去った過去にすぎないのだ。と、ようやく思い知ったけれど、理解したくない心が暴れ回る。


 ここまで目標にしていた、抱いていたすべての希望が、まさに今消え去ったのだとこのとき理解してしまった。

 浮かれていた自分のなんて馬鹿なことだろう。


 ふらりと立ち上がると、おぼつかない足取りで机に向かった。

 その上には一枚の書類がある。配属先の希望に関するものだ。


 部屋へ荷物を運んだいの一番に迷うことなく書き上げて、あとは出すだけだった。その希望配属先記入欄にペンで何重にも線を引く。そして横に『実戦部隊希望』と歪んだ字で書き添えた。


 クラウスが学園を去ってから、エルダは実戦魔術の授業にのめり込んだ。

 今思えば寂しさからだったとわかる。


 やればやるほど特別訓練で見たクラウスの姿だとか、図書館で実戦魔術について語っていた声や口調を鮮やかに思いだすことが出来たから。


 おかげでエルダは学科のみならず実戦魔術でも首席を取った。思い返せばなんて馬鹿なと笑ってしまう。

 だがおかげで、きっと問題なくやれるはずだ。


 こうしてエルダの配属先は決まったのだ。

 そして案の定、後日顔を合わせたクラウスは、エルダを見るなり眉間に皺を寄せた。


 その顔がエルダにとってすべての答えだった。

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