13 クラウスside2
この日以降、なにも予定がなければ放課後は図書館の窓際の角席に集まるのが二人の日課となる。
何度顔を合わせても、澄んだアクアの瞳に異国の外見を持つクラウスへの侮蔑が浮かぶことはなかった。
それどころか、生まれて始めて向けられる尊敬の眼差しは、言い表せないほど身体中をむず痒くさせた。
実戦魔術でトップの成績を収めるクラウスは放課後に特別訓練が入ってしまうことが多いため、大抵図書館にこもっているエルダにあとから合流するパターンがお馴染みだった。
どうやら彼女は魔法陣に夢中らしい。
いつもそれ関連の本をテーブルに高く積み上げて囲まれている。
クラウスはこれまで、たとえ才能があろうとも魔術にたいした興味はなかったのだが、毎度語ってくれるエルダの熱量は凄まじく、とにかく内容がわかりやすい。
魔法陣の知識が浅いクラウスでも驚くほど明確に理解できたし、それを可能としてくれたエルダの博識さは明らかだった。
彼女の知識は一般的な学生の域を逸脱しているのではないか。と、思い始めたところでちょうど定期試験が行われる。
貼り出された成績を見て、腑に落ちた。
「エルダって、学科の首席だったんだな。すごいじゃないか」
「実戦魔術の首席がなにを言う。クラウスもおめでとう」
いつもの放課後の図書館で、素直に称賛の言葉をかければ口を尖らせながら祝われた。
貼り出された結果を見る周囲の生徒の声を聞くに、どうやらエルダは入学試験から首席を取り続けているらしい。どうりであの豊富な知識と優れた解説だったはずだ。
「エルダのおかげで俺の学科成績も上がったんだ」
「私の?」
「ああ。毎日あれだけ魔法陣のうんちくを聞いて入れは、嫌でも頭に入る」
言えば、ふっと笑ったエルダは私もだ。と歯を見せて笑った。
彼女はいつも屈託のない笑顔を見せる。
その表情に毎度見惚れてしまうのが恥ずかしくてごまかすような仏頂面になってしまうのだが、きっと当のエルダはそんなこちらの内情には気付いていないだろう。
「クラウスのおかげで実戦魔術の成績が上がったよ」
「俺の?」
「そう。魔法陣の話題に、よく実戦魔術を例にしてくれたでしょう? その辺の教師よりよほどわかりやすいのはさすがだったし、実はクラウスの特別訓練も見に行ったことがある」
「はあ?」
知らなかった事実に目を見開けば、口元を押さえたエルダは悪戯が成功したかのようにふふふとおかしそうな声をこぼした。
「なかなか様になっていたよ」
「見てたなら言え」
「こっそり覗くのがいいんじゃない」
口ではやめろと言ったものの、自分の訓練を見に来てくれていたことに喜びを感じた。
彼女の興味がクラウス自身に向いていることにどうしようもなく心が湧いた。
エルダが興味を持ったときの入れ込みようは凄い。
その途方もないエネルギーの矛先が自分に向いたのだという事実になぜか居ても立ってもいられない気持ちになり、身体の奥がむず痒い。
そんなことを言い合っていたときだった。
ふと二人の頭上に影が差す。
なにごとかと揃って顔を上げたら、そこには一人の男子生徒が立っていた。
「突然悪いな。今回の定期試験で一年生の学科首席のカーマン男爵令嬢と、実技首席の特待生、ファンネルで合ってるか?」
窓から差し込む光を眩いほどに反射する金の髪と、なにより目を引く黄金の瞳。
現れたのは学園一の有名人であった。
放課後二人でたむろっていた図書館の片隅に現れたのは、ディモス帝国第三皇子であり、この魔術学園生徒会長でもあるライナルトだったのだ。
問われて、顔を見合わせながら頷いたものの、あからさまに警戒心剥き出しだったのだろう。
目の前で上品な顔が笑顔のまま眉根を下げる。
「そんなに構えなくていい。少し話を聞いてもらいたいだけだから」
端的にいえば、生徒会長の話とは生徒会への勧誘だった。
人手が欲しいらしく優秀な生徒に声をかけているらしい。
だが正直なところ、クラウスには微塵も興味をそそられない話であった。元々この学園に入ったのも、クラウスの魔術の才能を活かした方がいいという両親の勧めがあったからでしかない。
そして現に、思い入れのかけらもない学園の生徒会への勧誘など――喜ばしいどころか、エルダとの放課後を邪魔してきたことも相まって不快な感情しか湧いてこなかった。
即断ってしまいたい。
それが嘘偽りないクラウスの本心だった。
しかしライナルトが言うとおり、エルダは男爵令嬢という身分を持つ貴族であった。本人から明確に身分を聞いたことはないが、周囲の反応を見れば貴族か平民かなどの判断は容易い。
魔術学園は身分を問わず優秀な者を受け入れるが、だからといって身分差がないわけではない。
エルダが第三皇子からの誘いを光栄だと受けることはあっても、断ることはないのだろうと考え、それなら自分も生徒会に入ろうか。そんなことを考えた瞬間だった。
「すみませんが、お断りします」
予想外の言葉にクラウスだけでなくライナルトまでも固まった。
「私は自分の研究に没頭しているのが好きなだけで、生徒会で活躍できるようなタイプではありませんし……今は放課後にここで過ごすことが一番の楽しみなんです」
なのですみません。と続けるエルダの横顔を見て、クラウスはどうしようもない優越感に包まれる。
「俺も同じです。生徒会で力になれるような資質はありませんので、お力にはなれないと思います。それに……俺は、この外見ですので」
暗に異国人の見た目を指して言えば、ライナルトはきょとんとした顔でクラウスを見る。
隣ではエルダも同じような表情を浮かべていた。
あまりにも薄い反応に、クラウスの方が驚くほど。
「外見って、カルビークだよな? だからどうしたっていうんだ。そんなのお前の実力に関係ないだろう」
皇族の口から出たまさかの言葉に虚を突かれた。
「外見と実力は切り離すべきだ。これからはそういう時代だろう?」
なかなか思っていた人物像とは違った皇子のようである。
だが言葉は立派だが、言っていることはただの綺麗事と理想にすぎない。
現段階でエルダよりも優先するものにはなり得なかった。
「だとしても、俺は向いていないと思います」
この機を逃すまいと、クラウスもエルダに倣って断ればライナルトは苦笑を浮かべた。
皇族の誘いを断るなど、通常であれば拒否権はないのだろうが、表面上は身分を問わず平等を掲げる学園であるし、目の前の第三皇子はこれで怒るような人物ではないだろうとアタリをつける。
これでも幼少期より散々周囲の悪意に晒されてきたのだ。人を見る目には多少自信がある。
案の定、ライナルトはそれ以上食い下がってはこなかった。
「そうか、残念だが強制ではないからな。それでかまわない」
「こちらとしてはありがたいですが、先輩は大丈夫ですか? 会長に咎められたりしませんか?」
突然のおかしな発言に、エルダ以外の二人がギョッと目を剥いた。
咎めるもなにも、その会長本人が目の前にいるというのに。
信じられないことに、どうやらエルダは第三皇子であり生徒会長を務めるライナルトから直接勧誘されたことに気が付いていなかったらしい。
平民のクラウスでさえ顔を知っているというのに、貴族令嬢であるはずのエルダがこれでいいのだろうか。
――いや、間違いなくよくはないだろう。
現にライナルトの口元が引きつっている。だが申し訳ないが堪えるのが辛いほどに面白い。
「名乗らず申し訳なかった。俺は三年のライナルト・フォン・ディモスだ。これでも生徒会長をしている。心配してくれてありがとう」
名乗られたエルダの顔は傑作だった。
ライナルトもこの学園で今まで名乗る必要などなかったのだろう。まさか顔を知らない生徒がいるとは思いもしなかったはずだ。
どこか胸のすく思いを感じたと同時に、このひとときは一生忘れることがないだろうほどに、クラウスの心に深く刻み込まれた。
エルダにとって自分は、なによりも優先されるものとなり得ていたことに。
「生徒会長の誘い、断っちゃったね」
ライナルトが立ち去るのを見送ってから、エルダは照れたようにはにかんだ笑みを浮かべる。
そうしてクラウスに向けられたアクアの瞳は、目が合うなり恥ずかしそうに細められた。
その背後に、晴れ渡る青空が広がっているような錯覚を覚えるほど、このときの微笑みは眩かった。
やはり彼女は空の天使であったのだ。
彼女の存在はクラウス自身気がつかないうち、無視できないものとなっていたことにこの瞬間気がついた。




