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最終話  はじまり

「…………」


 目が覚めた時、まだ眠たい目を擦り、重たい体を何とか持ち上げた。

 買ったはいいが、何だかんだ全く読んでいない漫画本。フィルムも開けていないブルーレイ。数世代前の携帯ゲーム機。テレビの下にはホコリ高きテレビゲーム機。

 コタツを見ると、スマホと財布の貴重品、安物の腕時計、お茶を飲み干した後のペットボトル、ハンカチにポケットティッシュその他。

 他にも色々と散らかっている……男が働いて得た金で作り上げたプライベート空間。


「…………」


 そんな、見慣れたはずの部屋を見渡した後は、目覚まし時計を手に取った。起きる時間まで、まだしばらくある。もう一度寝ようかとも思ったが……


(トイレ……)


 これ以上は眠れそうにない。そう確信したから、目覚ましのアラームをオフにした。



(ふぅー……なんか、久々にエッライ夢見てた気がするけど……なんだっけ?)


 炊飯器の保温ボタンをオン。温めている間、トイレを済ませ。顔を洗って。歯を磨いて。

 うがいして。服を着替えて。朝飯の準備をして。

 朝飯を食っている間も、考えるのは、夢のこと。


 ある意味当然のことながら、幼いころから眠ったら夢は見てきた。

 仕様のない夢な時もあれば、見たくもない汚い夢な時もあるし、切なくなる夢もあった。

 加えて、ホラーだったり、サスペンスだったり、ファンシーだったり、まるで一本の映画を見せられているような、壮大な夢を見せられた時もある。

 そして、幼いころから見てきた夢に共通して言えるのは、内容はどうあれ、ハッキリ覚えているものもあれば、どれだけ思い出そうとしても、断片的、あるいは、全く思い出すことができない夢もあること。

 確かに見たという実感はあるのに、まるで記憶に残っていない。強烈だったから覚えているのに、肝心の中身は思い出せない。


(……ま、思い出せんということは、その程度の内容だったってことだろうけれど)


 どんなに濃い光景であれ、忘れる時は忘れる。特に、目を覚ましてすぐの時にはよく覚えていても、起きてしばらくすれば忘れるというのがお決まりのパターンだ。

 その後で徐々に思い出すこともあったけど、思い出せない時は、本当に思い出せない。

 人の夢と書いて儚いとは、よく言ったものである。


(なーんか、イヤにリアルな夢だった気がするんよなぁ……夢でバック転してなかったっけ? 俺――)


 朝飯を完食し、洗い物を済ませたところで、断片的に内容を思い出した。

 ほんの一部でも思い出した実感は、夢でやったことを試そうかという欲求を駆り立てた。


「……あ、無理ムリ」


 敷きっぱなしの布団の上で、試しに作ったバック転の体勢をすぐに崩した。

 ネットの動画サイトで練習法を調べたりして、自分なりに練習した時もあった。それでもせいぜい、中途半端に腰がねじれた側転がせいぜいで、バック転と呼べる動作に成功したことは一度もない。

 もっと練習に打ち込めば、いつかはできるかもしれないが、あいにく残業が常態化している毎日の中、できることは帰宅後ちょっと走るくらいだし、そんな激務の中にいるから、土日祝日は一日中家で寝ている。

 まあ、なにより、バック転もバック宙も、憧れはするが、できなくて困ったことは一度もないから、わざわざケガを覚悟で無駄に身につける理由もない。

 もっとも、それを言ってしまえば、高校を卒業してから今日まで、誰に言われたわけでもないのに、デブに戻りたくない一心で、ケガや筋肉痛を覚悟で無駄に鍛え続けてきた肉体や体力も、意味のないものだと自分で烙印を押すことになるのだけれど……


「……仕事いこ」


 と、無駄なことを考えている間に、家を出る時刻になっていた。




(今日は、まず黄金井さんの営業の書類用意して、同行した後は青山さんの営業先に向かって明日の打ち合わせして、会社戻ったら紫崎さんを手伝って備品発注の見積書作成してから、白井課長に言われてた、明後日までの契約書の仕上げと確認……書類作りはともかく、なーんでほとんどジッと座ってるだけの営業まで同行させられるん? おかげでまーた今日も残業だよ)


 家を出てから駅までの道のりで、夢よりはるかに大切な、今日の自分の仕事を思い出して順番を決めていく。

 日々おなじみと化した残業確定の業務量にため息が出るが、同時に、その仕事の内容に対しても、呆れるやら白けるやら。


(いくつまで会社にいられるか分からんが、多分、一生こんな仕事なんだろうね……)


 誰かしらのサポート。誰かしらの手伝い。誰かしらからの指示の遂行。その誰かしらは大抵が、自分より年下の未来の星たち。

 特段、彼らのことを羨ましいと思ったことはない。

 新卒での就職活動に失敗し、数年間、時にブラックな現場や横暴な人間に出くわしながらのアルバイト生活を経て25歳で入社した時から、自身の能力の程は自覚していた。実際、いくつも失敗して何度も怒られて、そうして簡単な仕事のみ割り振られるようになるうち、気づけば主役ありきの脇役になっていた。

 もっとも、モブから見て、出世を約束された主役たちが、希望はどうあれ応えるために、どれだけ辛そうに、窮屈そうに仕事をしていたか。それも近くで見てきたし、自分はああならずに済んでよかったと、今では心から思っている。自分はこうして、脇役の下っ端に徹する方が性に合っていたんだと。


 指示があるなら従うが、指示を与えることはできない。

 仕事があれば力は尽くすが、仕事以外で出す力はない。

 責任は負うし命も懸けるが、他人のまでは負いかねる。


(……ま、要するに、下っ端の自分一人の面倒でいっぱいいっぱい、てことなんだけど)


 そんなことだから仕事を遂げても、主役たちに比べれば喜びは少ない。ていうか、なにも嬉しくない。とは言え、その主役たちに感謝されれば、普通に嬉しいとは感じる。

 もっとも、そんな誰にでもできる仕事を大げさに褒めたたえて、志間さんのおかげ、志間さんは頼りになる、志間さんがいれば間違いない……

 そんなふうに言ってくるのには、何が狙いかと勘繰ることになるのだが――


(ま、何でもいいや。今日は座れるやろうか……)


 会社のこと、仕事のこと、そして、目の前に停まった通勤電車。



 運よく空いた席に座った後は、到着まで目を閉じておくことにした。

 こういう時、何も考えず静かにしていたいのだが……目を閉じたからか、電車に乗っているとイヤでも思い出すのは、過去に起こった、運良く心優しい人たちに助け出された出来事。


(……そう言や、夢の内容も、脇役ががんばるお話だった気がする)


 あの時出会った、声も態度も身体もバカデカいブスを殺さずガマンできた自分を褒めた後、次に思い出したのが、忘れたはずの夢のこと。


(で、そんな脇役より目立ってた主役たちも、がんばってたなぁ……)


 未だに、おぼろげにしか内容を思い出せず、そのおぼろげさえ、具体性はほとんどない。

 それでも本当になんとなく、思い出したのは、主役たちがとにかくがんばって、その主役たちの役に立つために、脇役が裏で死ぬほどがんばる。そんな内容、だった気がする。


(――ま、ダルい主役をがんばるよりも、気楽なモブで全力尽くす方が、分かりやすいし、俺には合ってるか)


 ……と、あれこれ思考しているうちに、電車は目的の駅に到着。

 他に降りる人たちに続いて、男もまた、男なりの全力を尽くす場所に向かって、目覚めた歩を進めるのである。


「ダリダリ……」


 不意に、無意識に、出したこともないイミフな言葉を呟いて……

 駅の改札を出た時には、そんな言葉も、呟いたことさえ、夢と一緒に忘れていた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ある一つの世界にて、そこに生きる男の夢に、かの世界は現れた。

 もっとも、所詮は夢であるから、男も強く意識はしない。多少は記憶に残っても、時間が経てば、目まぐるしい変化と日常の忙殺の果てに忘れ去られる。

 それでも、男は確かに、今生とは別の世界を垣間見て、一瞬とは言え認識した。


 そんな、一人の男に認識された、かの世界の話をしよう。


 その世界に広がる各国では、共通して、ある一つの話題で持ちきりとなっていた。

 いわく、空の上に突然、空を渡る無数の木の枝が伸びてきた。

 いわく、木の枝はだんだん大きく、増えていって、あっという間に空を覆い隠した。

 いわく、その木の枝がいきなり燃えて、キレイさっぱり消えてなくなった。

 男が見たのと同じ、夢だったのではないかと、理由理屈から納得を探す人間もいた。

 そうして、誰もが目撃し、記憶に残った大事件には違いないのだが……


 天災や天変地異と捉えるにも、国にも人にも、被害実害は一つも無し。

 夢だ幻だと誰かが言えば、誰もがそれで、納得は別にして受け入れることができてしまう。

 そんな程度の異変だったから、異変発生から一ヶ月も経てば、記憶には残っても、自然と人々の話題からは消えていく。

 大抵の人間にとって、ただ起きただけの巨大な大事よりも、目の前の小さな私事の方が、解決すべき一大事なのだから……



 そして、そんな世界に数ある国々の中で、一際小さな島国があった。

 名を、ルティアーナ王国。特に観光名所があるわけでもなく、珍しい特産品があるわけでもない。食料は美味いし豊富だが、それ以上に大した特徴もない。誰にも見向きもされず、存在さえも周知されない、小さな小さな島国だ。

 そんな小国でありながら、一ヶ月前に起こった異変に対して、この世界のどこよりも早く、興味を失い、国政へ踏み出した国でもあった。


 なぜなら……知っていたから。

 全員というわけではないが、少なくとも、この国の最高指導者と、彼女を取り巻く若者たち、一部の国民たちは、そんな異変の正体と原因と、解決を、目の前で見て、知っていた。


 島国の西の端には、断崖絶壁が切り立っている。下は海が広がっていて、落ちればケガは免れず、最悪、命を落とすだろう。

 そんな断崖絶壁には、明らかに自然のものとは違う、花の畑が広がっていた。一輪だけのものもあれば、キチンと包まれた花束もあり、それが、その絶壁を覆うように、何十輪と広がっている。それもほとんどはまだ新しい生花で、よく見れば、今日置かれたばかりの花も見られる。

 そんないくつも備えられた花の中心には、簡素ではあるが、立派な石が建てられて、この国の文字が刻まれていた。



『国のため、人々のため、そして、偉大なる師のためにその身と命を捧げた、史上最高の魔法騎士の魂、ここに眠る』



 そんな、島の端から中心へ……




「…………」「…………」「…………」「…………」

「…………」「…………」「…………」「…………」


 ルティアーナ王国の中心にそびえる、小高い丘に、ルティアーナ城は建立している。

 そんな小高い丘のふもとに、人々は集まっていた。この島に生きる老若男女……この国に生きる国民たちだ。

 見える表情は様々。

 無表情な者も多いし、期待に笑みを浮かべる者もいる。

 分かりやすい不信感を顔に出している者もいる。

 なにも分からない子どもたちもいる。


 そんな、種々様々な感情に包まれた空間に……


「来たぞ!」


 集まったうちの、誰かの声が響く。その声と、差された指の先を、全員が見上げた。

 見えたのは、白いドレスだった。その白いドレスが、一本の箒にまたがり、上空を渡ってきた。

 空飛ぶ魔法の箒から、ドレスを着た女が飛び降りる。

 突然の奇行に、集まった誰もが目を覆う……ことはない。その程度で死ぬような人間でないことを、誰もが知っているから。

 そんな国民たちの認識通り……

 最初こそ、重力に従い落下していたドレスは、突然その速度を落とし、ゆっくりと地上へ近づいていく。常識に乏しい子どもたちは無邪気にはしゃいでいるが、それらを備えた大人たちは、魔法の【浮遊】による現象だと知っている。

 そんな【浮遊】で、軽くなった体で、ゆっくりと地面を踏みしめた……



《皆さん》


 地上へ降り立った白いドレス。短い金髪。褐色の肌。

 顔立ちや体つき、髪型を見れば、男性にさえ見えてしまう。それでも身につけたドレスと、ただそこに立つだけで見える物腰や所作が、彼女が間違いなく女性なことを示している。

 そして、全身から自然に漏れ出る、高貴さと、気品と、気高さが、彼女が何者かということを証明している。


《かの事件発生から、一ヶ月が経ちました……》


【拡声】によって拡大された、空間に響く低い声で、彼女は語りだした。


「未だ、事件の爪痕は深く、全てが復興したとは言い難い……自分も、つい先ほどまで国の様子を見てきましたが、どれだけ便利な魔法があろうとも、復興には時間を要する。なにより、アナタ方のお体に負った傷は、魔法で簡単に治せはしても、心に負った傷は、そう簡単に癒せるものではないでしょう」


 事実だけを、淡々と、だが、確かな感情をこめて、語っている。

 そして、多くの国民たちは、そんな彼女が、傷ついた国の復興に誰よりも尽力していたことを知っている。ボロボロに汚れ、穴や破れが目立ち、それでも【修復】もせず着続けたドレスが、その証しの一つだった。

 壊れた家屋や建物の【修復】のような、専門性の高い作業はできない。その代わり、散らかった瓦礫や危険物の撤去を自ら進んで行い、ケガ人の治療にも奔走した。

 少ない人間から、その場所に必要な人数や人材を的確に見抜き、指示を行い派遣もした。

 そんなふうに、彼女の的確な指示号令のもと、国民たちが一つとなったことで……


 彼女の言った通り、完全な復興には至っていないながら、それが完了する目処がつくところまでは来ていた。加えて、多くの人間がすでに、元の生活を取り戻している。


「それでも……皆さんが力を貸して下さり、この国を守って下さったから、この国はもうすぐ、元の姿を取り戻しつつあります。両親が愛し、自分も幼いころから大好きだった、平和と笑顔に溢れた国の姿を――」


 それでも、決しておごらず偉ぶらず、国民一人一人を立てて、感謝の言葉を送り、労ってきた。

 中には、この国からの数々の仕打ちから、未だ不信感を拭えない者たちもいる。簡単に癒すことのできない、心の傷を負っている。

 そんな者たちも――目の前に立つ、汚いドレスの彼女の話には耳を傾けた。


「そんな時だから……敢えて、皆さんにお願いしたい! 自分が、この国の王となる。それを、受け入れて下さることを!」


 そんな彼女からの願い事が、この空間全てに響いた。


「自分は未だ、未熟者です。母……先代女王のように、完璧にはできないかもしれない。不徳もあれば、失敗もするかもしれません。それでも、皆さんがいてくれるなら、自分は、皆さんを護ることができる女王になれる。それを、確信しております。皆さんが愛してくださった、サティーナ・ルイス・ルティアーナのような、女王になることが!」


 女王というトップに君臨しようという人物が、自分たちを頼りにしているという言葉に、若者たちは奮い立った。

 他でもない、彼女の母親の名前が出たことで、先代女王を知る者たちは、その心を揺さぶられた。


「約束します……自分が生きている限り、アナタ方全員を護ることを! この国のために全身全霊、尽力することを! 自分が、アナタ方を護ります! ですからどうか――自分に力を貸してください! 自分のことを、助けてください! 自分をアナタ方の、国王にしてください!!」


 叫び、訴え、頭を下げる。

 目の前に立つ王女……否、自分たちと同じ人間の姿に、誰もが心を動かされた。


「女王様……」


 誰かの一言と共に――


「女王様!」

「アナタは、私たちの女王様です!」

「この国の国王は、アナタを置いて他にいない!」


「シンリー様!」

「シンリー女王!」

「シンリー国王様!!」


 こうして、国民たちの喝采のもと……

 後のこの世界で、『泥服の女王』の異名を残すことになる、シンリー・ユー・ルティアーナ新国王が、この島国に君臨した。




「Hello。Good work Queen……」


 城へ戻った彼女を迎えたのは、メイドでも従者でもない、一人の男。

 かなり特徴的な言葉を話す白衣を着た男。彼を一瞥して、女王は歩みを開始する。男も、それに続いた。


「今日も、アソコへ行くのカ?」

「当然です。真っ先に報告するべき相手です」


 簡単にそんなやり取りを行って、女王は、城の中……ではなく、城の地下へ通じる扉を開けて、階段を下りていった。


 中は暗く狭く、魔法の灯りを使っていても、足もとをよく見なければ危ない。

 そんな地下への階段も、階段を下りた先の廊下も、彼女は迷う様子も、危なげすら見せることなく、慣れ切った様子で歩いていく。

 廊下を曲がり、奥へ。その奥を更に曲がり、また奥へ。


 奥へ。奥へ。奥へ。奥へ……


 そうして、ひたすら歩いていって、たどり着いた先。間違いなく、この二人以外に来る人間はいないだろう、そんな場所にて。


「ごきげんよう……」


 その一言には、直前まで国民たちに向けた言葉以上の、感情が宿っているようだった。

 それも、実に分かりやすい、歓喜と、興奮の感情が。



「……ッ……」


 声を掛けた相手は……ゆっくりと、その顔を上げた。何日も眠っていないようで、真っ黒な隈を浮かべた目を合わせた。


「本日、自分は正式に、国民の皆様から許しを受けて、国王を襲名しました。アナタがなりたがって、自称していた、女王に」


 言いながら、シンリーは身につけているドレスに手を掛ける。


「もう、このドレスは不要です。欲しかったのでしょう? 差し上げましょう。好きになさってください」


 爽快感と、開放感に満ちた声を上げながら、白のショーツにブラジャーという、最低限の下着姿になる。

 脱ぎ去った泥穴破れにまみれたドレスは言葉の通り、目の前の人物に投げ渡した。


「Are you sure? 大切なRoyalty Dressではないのカ?」

「構いません。もう、着飾るのはやめました……なのでどうぞ、アナタの自由に使ってくださいな。使えるものなら」


 そう、褐色の腕を組みながら、その人物に、輝く笑顔を向けた。



「……こぉ……ひぃ……」

「なんですか? 言いたいことがあるのなら、ハッキリ言ってください」


 ドレスを渡された人物が、声を上げる。もっとも、まるで言葉になっていない。裸の女王はそれを聞き取ろうと、その人物へ近づいた。


「……こぉ……こぉ、ひぃ……」


 鎖の擦れる音が響く。そんな音と一緒に口から洩れる渇いた声には、まるで力がこもっていない。

 それでも彼女は、懸命に顔を上げ、足に力を込めて立ち上がり、顔を合わせた。


「……こぉ……ひぃぇ……こぉ、ひぇ、こぉ、ひぃえ……」


 喉がカラカラに乾いているうえ、リングギャグをはめられ目いっぱい開かれた口から、ハッキリした言葉が出せるわけがない。

 それでも、真っ黒な隈と、憔悴しきった様子以外、異常なほど整った容姿を持ったその女は、涙と唾液を垂れ流しながら、力無い声を出していた。


「……ええ。大丈夫ですよ? アナタを殺すだなんて、野蛮なことはしません」


 そう、女王が優しく返事をすると、その女は必死に頭を横に振った。


「この先、アナタの住まいはココです。自分や、誰に気を遣う必要もありません。ずっとココに住んでいただくといい。その口と手で食事はできないでしょうから、自分が毎日、栄養を補給しにきます。アナタはなにも、心配は必要ありませんよ」


 女の口に詰められたリングギャグ。

 加えて、彼女の両手を拘束する、分厚い魔法の手枷。壁とをつなぐ鉄の鎖は、直立するには低すぎて、ひざを着くには短すぎる。

 常に中腰か、手もひざもピンと伸ばしておくしかない。楽な姿勢を取ることさえできない彼女を見つめて、優しい声をかけ続ける。


「あら……手枷で傷もできていますね――【治癒天】」



「~~~~~~~~~ッッッッ!!!」



 主にケガや病気を癒す魔法である【治癒】。適切な完治にはある程度の医療知識を必要とする。

 だが、使用し続け、極めたのなら、どんな傷も立ちどころに、且つキレイに治すこともできるようになる。

 加えて、天にも届く治癒ならば、部位欠損を除いたケガや傷の完璧な完治はもちろん、失われた血液、栄養さえも補い、健常な肉体に瞬時に戻すことさえできる。つまり、疑似的な不死の状態さえ作りだすことができる。

 現に、すっかりやつれていた身体の血色は良くなり、加えて長時間の手枷と自重によってできていた手首の青アザも綺麗に完治した。

 結果、傷と衰弱を引き換えにようやく慣れた部分に、再び激痛が走ることになった。


「ケガをしたとしても大丈夫。自分が、全て治してさしあげますから」

「~~~~~~~~~~」

「もちろん、トイレの心配も必要ありません……自分たち以外、誰もココには来ませんし。その魔法の革袋があれば、床を汚す心配もありませんので」


 視線を口と手から、下へ。

 ズボンも下着もはぎ取られたその女の下半身には、秘所を包み込むように、魔法の革袋がかぶせられていた。


「アナタを恨む人間は数多い。ですから、ココに隠れているといい。アナタは決して、誰にも傷つけさせはしない。ここでずっと、生き続けてください。自分が、アナタが絶対に死なないよう、見守って差し上げますから、ね……」


 優しく、だが、誰よりも強い怨みを隠すことなく……

 裸の女王は、かつて筆頭大臣と呼ばれていたクドイ顔の女に、言葉を送った。


(Very scary Queen……Meも、人のことは言えないカ。いずれ、罰を受けるだろうナ)


 壁に繋がった鎖に、隅を見渡すと、見るからに物騒な道具が転がっている。節々に見える黒い汚れは、ススやホコリにしては、ベッタリこびりついている。

 こんなに小さく、平和と言われてきた国でも、歴史の裏側や闇の部分というものはあるか。

 初めてこの部屋へ来た時と同じこと感じている内に、気が済んだ様子の女王は、未だになにかを懇願するように鎖を鳴らす女に背を向けて、下着姿のまま元来た道を戻りだした。




「Hey Queen、Ladyがそんなハシタナイ格好でいるものじゃなイ」


 ついていき、追いついた女王に対し、ドクター・レンジョウは、自身が羽織っていた白衣を掛けてやった。


「構いません……自分の身体を見て、興奮する男などいないでしょう」

「まあ確かに、お世辞にもNice bodyとは言えないとMeでも分かる身体だガ……」


 自虐する女王に大して、ドクターもまた、遠慮なく本音を返した。

 ブラジャーこそ身に着けてはいるが、ハッキリ言って、無くとも大して変わらない胸元。出る所が出ているように見えるのは、胸筋殿筋が立派なだけ。加えて、体は痩せているようで、手足は太く、筋肉質で引き締まった身体には、女性的な線やクビレも見られない。

 良く言えば、男性的なたくましい肉体。悪く言えば、色気どころか女性らしさがほぼほぼ無い。顔つきや髪型、長身と合わせて、長年性別をごまかせたあげく、人前で裸になってもバレなかったというのも納得できてしまえる、そんな身体だった。


「それより、いつまでこんなことを続けるんダ?」

「14年」


 ドクターが新たに発した質問に、女王は即座に返答する。


「自分が妹たちを連れて城を出ていき、魔法騎士として戻り、女王として襲名するまでの、おおよその期間……最低でも、何としてでもそれだけ生きていただく。それが過ぎた後は、死のうが逃げようが自由です。拘束は解きませんし魔法も掛けて差し上げるが」

「Hmmm……」

「末期癌のことや、自分の身体のことなど、どうでもいい。特別、魔法で【加工】したわけでもないのに、こんな身体なことは呪わしい限りですが……そんなこと以上に、考えるべきことがある」

「Uh-huh……」



 拷問室を後にして、またしばらく暗い廊下を歩いた先。地上へは戻らず、たどり着いた先は、第5関隊の事務所兼、ミラの自室である緊急脱出口の部屋。

 その中央のテーブルを挟む形で、二人は腰かけ、向かい合った。


「Youが欲しがっていたものは、これかナ?」


 ドクターが自身の革袋から取り出し、テーブルに並べたもの。

 それを見て、シンリーもまた微笑した。


「さすがは魔法の契約書。あれだけの爆発と火災があったというのに、無傷とは」

「Of course――と言っても、これはMeがドクターとなるより、はるか昔に年寄りどもが開発したものだガ」


 肩をすくめながらそう話すドクターが浮かべたのは、尊敬や羨望と言った感情は皆無なものの、単純な評価は心得た様子の苦笑だった。


「それで、こんなものを、国を失くしたMeと一緒にトレントラから持ち出したということは……今度は、Youがこの契約書を盾に、他国を脅す気カ?」


 単刀直入に尋ねられて……女王は、特に表情を変えず語る。


「脅すだなんて、そんな野蛮なことはしません……ただ、事件から一ヶ月経ち、町の復興の目処が立ったと言っても、まだまだ課題は山積みです。人々の生活が戻ったら、今度は仕事を与え、景気回復を図る必要がある。幸い、ヨースケさんたちが大金を遺してくださったことで、当面の国家運営の資金はまかなえますが……それも近いうち、限界が来る。経済を回すには、国外の力も必要です……とは言え、今まで食料等の輸出入くらいしか繋がりのなかった島国など、助けて下さる国は無いでしょう。窓口となっていたカリレスの皆さんも、もういない。となれば、別の手段で()()()をする。それだけです」


 平然とした顔で、普通に話しているようで、話した内容は、実に狡猾なやり口である。


「……トレントラはすでに滅んでいル。この契約書も、形を成してはいるがすでに効果はなイ。今や、ただの丈夫な紙切れでしかなイ」

「トレントラが滅んだことを知っているのは、アナタと自分、そして、あの場にいた者たちだけ。他の国民はなにが起きたかさえ理解していない。まして、大陸から遠く離れた、こんなヘンピな島国で起きた出来事など、他国がうかがい知るすべはないでしょう」


 情報が一日と経たず世界中に拡散されるどこかの世界とは違って、この世界の情報発信力、情報拡散力は共にかなり低い。

 まして、女王の言った通り、こんなヘンピな島国で起きた事件……国一つが滅んだ大事件であれ、知られることはない。見た人間がいなければ情報が伝わりようがないのは、この世界も、かの世界も同じである。


「……But、この契約書を交わしているのは、あくまで諸外国と、Meの間でダ」


 そんな女王の企てを聞いたドクターは、面白そうだと顔に出しつつ、敢えて、茶々を入れる。


「Youが外国に助けを求めるなら、Meの存在は不可欠というわけだガ……Maybe、Meがこの契約書の全てを持って、別の国へRunするかもしれないガ?」

「それはありませんね。アナタが自分で言ったことです。トレントラが滅んだ以上、その契約書はもはや、どの国相手であれ交渉材料にはなり得ない。なにより、今さらアナタが他の国に対して頭を下げるような人物なら、とっくに自分からも、この国からも逃げているでしょう?」


 女王へ語った皮肉に対する、女王からの皮肉、そして確信。

 物の見事に的中していることで、ドクターも微笑んだ。


(Cleaver Queen……彼の言った通り、この世界も、まだまだ捨てたものではなかったカ)


「それとも、見返りが望みですか?」


 ドクターとしては、女王の考えと、今の質問からの返しで十分に満足できたのだが……

 女王は、満足げに納得しているドクターの真横に立った。


「では、見返りを用意しましょう……この、ルティアーナ王国を、アナタに差し上げます」

「……What’s?」


 唐突な発言に、さすがのドクターも聞き返す。そして、次の瞬間、また聞き返すことになる。



「ドクター・レンジョウ……アナタには、自分の夫となっていただきます」



「……What’s?」


 あまりに唐突、そして突飛。思わず立ち上がった。


「Wait、Wait、Wait、Why? なぜそうなル?」

「政略結婚です」


 久しく感じた混乱から質問をしてみたら、女王はキッパリと、一言で返した。


「自分は女王です。いずれは誰かしらを婿に迎えて、世継ぎを儲けることは義務です。ですが……無難に行けば、せいぜい国内のつまらない金持ちの誰かを迎えることになる。それで生まれてくる子どもまで、つまらなくなると言う気はありませんが……どの道、今のこの国に、国政を共にしていける人間に心当たりはありません」

「Well-well……言いたいことは分かるガ、Meは一応、他所から来た部外者だゾ?」

「自分の父も、他所から来た部外者でした。アナタと同じ国からの……」


 そう言えば、彼もそう言っていたっけ……

 そう思った直後、女王は、語りだした。


「無精王と石王妃……優れた政治手腕で長年国を治めてきたにも関わらず、子どもができないことでそんな無礼極まるあだ名をつけられ、かといって、側室や第二夫人といった人間を迎えるような時代でも、ましてやそれを良しとする夫婦でもなく、後継者はもはや、城内の政治家たちから選ぶ以外にない……そう嘆きながら五十代を迎えた国王夫妻の間に奇跡的に授かり、生まれた長女。以降は、下の妹弟(きょうだい)を授かることもなく、長女はただ一人の王権正当後継者として定められ、担がれ、強制された。そんな周囲からの期待と圧力に応えようと努力はしましたが……いかんせん、両親と違って才能にも才覚にも恵まれず、努力が報われることもなく、年老いた両親が引退した後は、優秀な政治家たちの傀儡たる、お飾りの女王となるしかない、はずだった」

「……急になんの話ダ?」

「ある女王の話です……そんな愚かな王女の前に、一人の男が現れた。彼は庶民、それも、外国人でしたが、この国の人間には無い知識と教養、聡明な頭脳があった。彼の優秀さに気づいた王女は城へ招き入れ、自身の相談役とした。やがて、王女に限らず、他の政治家や、国王夫妻にも、その能力を認められた――当時、まだキチンと定まっていなかったリユンの貿易事業におけるルールや方向性を明確にしたのも、彼。リユンの住人がいるという事実以外で繋がり自体はまだ薄かった海外との交流を段取りしたのも、彼。当時はまだ無かった国防隊、現在の魔法騎士団の創設を提案したのも、彼。それ以降の政策を一手に引き受けるようになったのも、彼でした」


 淡々と話していく様は、特に感情を込めるでも、楽しげに振る舞うでもない。ただ、過去の事実をありのまま語っていた。


「しかし……政治家や、国王夫妻は、彼が挙げた功績の全てを、王女のものであると、国民たちに喧伝した。未来の元首であり、唯一の王族の血筋である彼女の存在と威厳を確かなものとするために。王女は彼が正しく評価されないことに強く反発したそうですが、彼は受け入れた。自分は、評価や名声といったものに興味は無い。むしろ無い方が良いと」


 その時初めて、声と表情に、残念そうな……だが同時に、誇らしげな感情が宿った。


「そこで彼女はせめてもと、年老いた両親に変わり、女王を襲名したと同時に彼を夫とし、実質的には王配でありながら、国王という位を与えることにした。平民出身の外国人とは言え、すでにその優秀さを示し続けた彼のことを反対する人間は、城内には一人もいなかったそうです。そうして名実共に、彼は、女王のそばにいることが許された……まあ、彼女がそこまで彼のために尽くしたのも、彼の優秀さや、彼に対する引け目以上に、純粋で単純な彼への好意や恋慕が、最たる理由だったのでしょうが」

「……それが、Youたちの両親、というわけカ?」


 ここまで語られれば、ドクターでなくとも、誰のことを話しているのか理解できる。


「……母が女王になった後も、政策は全て、父が考えていたそうです。父が考え、政治家たちと共に細かい部分を詰めて、それを実行させる。母がやったことと言えば、その政策の立ち上げ人として名前を貸すだけ。あとは、国内を周って、国民たちをそれっぽい言葉で励ますだけ。たまに、母自身が政策を考え、実行させたこともありましたが、そのことごとくは失敗するか、やっても意味のないことばかり。そして、そんな失敗の泥は全て、父が被っていた。国民たちの見ている前で、ワザと無様をさらし恥を掻いてまで……そうやって、母は歴代最高の女傑と呼ばれ、父は足手まといの馬鹿殿と呼ばれた。それと引き換えに、戦争中も含めて、父と母が殺されるまでの間は……少なくとも、用済みとなってしまった国防隊への処遇を除けば、実に理想的で平和な国となっていたそうです」

「そんな母親のことを、Youは恥じるカ?」

「……決して良い女王とは言えなかった。戦争終結後の国防隊――現在の魔法騎士団を冷遇するようになったのも、創設を提案し、彼女らの活躍と献身を心得ていた父とは違い、彼女らのことを、女、子どもを使ってまで戦おうとする野蛮な集団だと、母が早計してしまったから。あげく、恩人の娘だからと、ロクに仕事もせず、父のことさえただ一人知らずにいた、あのトップ癌を筆頭大臣に任命してしまった……そんな諸々の失敗が、今日までの悲劇と惨状に繋がったと考えれば、母こそが、恥ずべき馬鹿殿であったと言わざるを得ません」


 母と同じ立場となったから分かる。偉大だ立派だともてはやされていた母の、女王としては資質に欠けた姿の程を……


「ですが、母親としては、とても優しく良い母でした。自分たちを心から愛し、教え導き、時に親として厳しく叱ってくれたこともあった……生まれた場所が違っていれば、彼女は立派な母親として、誰からも愛されていたでしょう。自分たちのことを、親として守ってくださった」


 加えて、彼女ほど、生まれた場所や立場を間違えたと言えるような人物もいなかったと言える。仮に、カリレスの農家の娘にでも生まれていれば、誰にも愛される庶民であり、母親であれたに違いない。

 そうあれなかった母の姿と……一ヶ月前に、自分たちの目の前で消えた少女、エリの最期を思い出した。


「父のこともそう。政治能力関係なしに、お互いに心底愛し合っていた。父が失踪したことで、おかしくなってしまうくらいには……でなければ、女王としての立場に関係なく、戦争中の混乱の中、三人も子どもを設けようとは思わないでしょう。自分も生まれていましたし、数世代前ならともかく、女王の身で元首となっている以上、男児を産む義務も無かったでしょうから」

「確かニ……それで、YouとMeも、そんな夫婦になれるト、そう言っているのカ?」

「それは知りません。少なくとも、自分はアナタに対して好意や恋慕は欠片も感じません」


 それなりに面白い話を聞かされて、聞き返してみたら、遠慮のない冷たい返事。


「アナタはやり方はともかく、実質的な一国の元首だった。ほとんど傀儡とは言え300人の国民を従え、脅迫紛いながら多数の国とも交渉を行ってきた実績がある。加えて、父以上の知識に教養、明晰な頭脳を持っている。そんなアナタなら、国内で新たな事業を生み出すことさえ可能でしょう……その能力を買ったに過ぎません」


 遠慮はもちろん、事実や本音を隠すこともしない。なんなら、表情から、感情を隠すこともしていない。


「無論、夫婦となるからには自分も歩み寄る努力はしますし、妻として最低限の愛情は捧げると約束しましょう。ですが、そこから先は、アナタの態度と行動次第だ。もしも、アナタがこの国にとって不利益を生むか、そうでなくとも、何の役にも立たないと判断した時は、容赦なくアナタを切り捨てさせていただく。たとえ、夫であろうとも」

「……まあ、当然だナ。というか、YouとMeが結婚する前提なんだナ」


 一方的に話を聞いていたドクター・レンジョウだが……

 少なくとも、彼の口から「結婚する」という言葉は出ていない。彼が拒絶すればそれまででしかない――


「OK。分かっタ。I will marry you――結婚しよウ」


 だがドクターは、アッサリと女王の提案を呑んだ。実質、他に選択肢が無いことも事実ではあるのだが……


「Youはウワバミ……シマ・ヨースケの次くらいには面白そうだ。そんな女を、夫婦としてそばで見ているのも、面白いかもしれないナ。当然、国政の手伝いにも力を尽くそウ。国の様子を色々と見て、できそうな政策があれば打ち立てようじゃないカ。成功するかまでは保証できないガ」

「契約……いいえ、婚約成立、ですね。ドクター・レンジョウ」

「サブロウだ」


 ずっと呼ばれてきた自身への呼称に対して、ドクターは言った。


「レンジョウ・サブロウ……Parentsはすでに無く、兵隊だったBrothersも戦争でアッサリ死んダ。正真正銘、天涯孤独の、サブロウ・レンジョウ。それが本名だ」

「では、サブロウ・レンジョウ」


 互いに意見を言い合って、同じ結論で一致したところで、女王は立ち上がり、ドクター――サブロウの唇を奪った。

 目を閉じ、唇を重ねる。それ以上、動きも、感情もない。お互いの利害の一致と、見るべき未来と国だけを見据え、夫婦としての契りを交わす……

 そんな事務的なキスを終えた二人は、部屋を後にし、地上への廊下を歩きだした。



「先に言っておくガ……Meは33年間、研究一筋でLadyのことは何も知らないゾ?」

「お互い様です。自分も生まれて27年、男のことは何も知らない生娘です」

「なら、お互いちょうどいいカ……But、Youの一存で簡単に結婚を決めているが、国民たちは納得するのカ? Meはこの国の敵だった男だゾ?」

「大丈夫です。自分の国は、先代や政治家含め、国民皆馬鹿ですから」

「Wow……トレントラも、Meのせいで似たようなものだったが、ズバリ言うナ?」

「事実です……国王が消え、女王が消えて、それまで表に出なかった筆頭大臣が突然国政を仕切りだしても、まるで疑問も持たず、悪政にさえ黙って従い、不平不満を溜めておいて、逃げるか諦めるしかせず、何も行動を起こさない。そんな呆れたバカしかいないから、自分もこの歳になるまで……ヨースケさんに出会うまで、こんな国のために立ち上がる気など起きなかった」


 廊下を歩き、階段を上っていく。その階段にはすでに、地上への出入り口からの光が漏れ、二人を照らしていた。


「自分のことにしてもそうですよ。いくら金髪に褐色肌、そして、女王のドレスがあるとは言え、言ってみれば外見だけの女が突然現れて、女王を名乗るという状況で、抵抗は感じても疑いもしない。いくら女王の肉親しか知らないような事実を知っていると言っても、身の上を証明する手段も無い。女王としての外見を整え、耳触りの良い言葉を並べて、強い力を見せつけてしまえば、簡単に信用し受け入れてしまう……結局、誰もが自分で考えるのは面倒だから、自分たちの代わりに考え、行動し、上に立ってくれる誰かを待っている。その程度の人たちなのですよ。この国の国民たちは」


 それが分かっていたから、一部以外はせいぜい極めるか、至った程度の魔法を上手いこと組み合わせやりくりすることで、天にも届くように見せていた。そうしたら案の定、誰もがダマされてくれていた。

 それっぽく見えるよう、魔法の呪文や名前を、発動した後でわざわざ口に出すことに、疑問を持つ人間は、ただの一人もいなかった。


「とは言え……そんなバカばかりだから、誰かが考え、導かなくてはならない。それが、国を治めるということであり、加えて、人を護ることだとも理解しています……正直、事が起きるまで――起きた後も、見捨ててしまって構わないとさえ感じた愚かな国ですが――」


 扉を開けた時――

 眩しいほどの陽の光が、二人の姿を照らし出した。


「今は、強く思います……誇り高い両親がずっと護ってきた、このどうしようもなく愚かでバカバカしい、愛おしい国を、今度は自分が、守って見せると」


「…………」


 相変わらず、淡々とした涼しい声。表情も、多少微笑んでいるだけで大きな変化は無い。

 なのに、なぜか……


(Shiny)


 目の前の女王の姿を見て、研究と異世界以外に何の興味関心も示してこなかったサブロウが、浮かべた言葉がそれだった。



「……シマ・ヨースケのおかげで、カ?」

「…………」


 聞き返したが、女王は答えはせずに、正面へ歩き出しただけだった。


「見捨ててもいいと見切りを付けていた国を、取り戻そうと考え直すほどとハ……どういう男だったんダ? シマ・ヨースケというのハ?」


 サブロウも、ウワバミとしての葉介とは何度か話した。ある程度は、彼の人となりや性格、人格も把握している。

 とは言え、共に過ごした時間は二日だけ。だから、それよりも長い女王に尋ねた。


「ヨースケさん……彼は、一言で言えば――」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「ほーら、キリキリ働く。そっち、まだ整地が済んでないよ? そこの人! そこの作業が終わったらあっちの伐採手伝ってあげて! ケガしたらすぐ治してあげるからすぐに言ってよ?」


 場所は変わって、ココは城下町から城を挟んだ、王国の北側。

 南側のような整備が全く成されておらず、かつての筆頭大臣からは、不要な土地だと切り捨てられていた地域。

 そこに、大勢の人間が集まり、黄色の騎士服を着た女王の妹、メアルダ・クレイン――メイアルーナ・クレイル・ルティアーナの指揮のもと、草木が生え放題、荒れ放題の道を開拓する作業が行われていた。


「もう、北端族なんて差別されるのも、住んでる場所で格差つけるのもつけられるのもイヤでしょう? イヤなら、ほらがんばって」


 トレントラとの戦いが終わって、まず最優先で行ったことは、城下町を復興し、避難民たちの生活基盤を元に戻すことだった。

 それも、十日目にはほとんどの住民たちが戻って生活を立て直して、後は、住民たちの自力で問題ないと判断され、現在は復興がほぼ完了したと言っていい。

 そこで、五日前に新たに始まった政策が、先代の国王と女王が行おうとしたが、死亡したことで叶わなかった、国の北側の整備だった。

 集まっているのは、メアを始めとした元魔法騎士団の若者たち。加えて、なし崩し的にこの国に世話になることとなったグレーソルジャー。

 元々の北側出身の者たちに、北端族たち、そして、檻島から解放された元囚人たち。

 全員、動きやすく、汚れてもいい、かつ着慣れた服装を選んだせいで、騎士服であったり軍服だったり普段着だったりと、新ボロ様々な人間がいる。加えて、全員の前職や境遇もあって、目付きの悪い人間は多い。

 だが、そんな連中の中に、文句を言う人間はいなかった。


(やっぱ、元がマジメに働いてた人たちだから、頼りになるなー)


 当たり前のことだが、彼らの多くがしたかったことは、犯罪とか復讐じゃない。

 自分や家族の生活の面倒を見るため、自分にもできる仕事を見つけ、可能な限りの能力と責任のもと、労働にいそしみ、給料を得て、不自由のないだけの日常生活を送る。

 欲しかったのはそんな、ごくごく普通で平凡な、誰もが得る権利を持つ人生だった。

 それを、社会情勢という大義名分のもと、利用されやすいマジメさと、ダマされやすい誠実さにつけこまれ、虐げられ、否定され、生活を侵され、尊厳を壊され、受け取るべき見返りまで取り上げられたあげく、若さを奪われ棄てられた。

 棄てられた後さえ搾取は続き、残された道は、死ぬか、捕まるか、犯罪に走るか。

 そんなどん底を、他ならぬ国から強いられたんだ。復讐を考えて当然だ。本当なら、今してくれてる仕事にだって、疑問を持って当然だろう。

 それでも、仕事の必要性は理解しているし、働くこと自体への抵抗は無い。

 彼女らにもできるマトモな仕事と正当な賃金、後は、キチンと自立できるまでの衣食住を用意する。真っ当な道を示してあげれば、若さを失くした皆だって、ちゃんと応えてくれるんだ。


(今さら、無駄にさせちゃった時間は返してあげられないし、今の仕事が無くなった後はどうするかも、考えなきゃだけど……彼らがマジメに働いてくれるかぎりは、国として、支えなきゃね)



(メア!)


 そんな彼らの様子を見て、安心していたメアの耳――否、頭に、愛しい声が響いた。


(なーに、セルシィ? わたしとエッチな話でもしたくなった?)

(それは魅力的ですけど……こっちでまたトラブルです。治めるので手を貸してください)


「またか……メルダちゃん、ディック君! ちょっとココ仕切っておいて」

「は、はい!」

「分かったわ」


 二人の返事を聞いてから、メアは箒を取り出して、飛びあがった。




「――ぁぁあああああッ、やってられるか!! こんな下働き!!」


 メアらが開拓していた中心部から、西へ大よそ200メートル地点。

 そこにも、開拓のために大勢の人間が集まっていた。

 だが、集まっているメンバーは、まず、中心部以上に大勢のグレーソルジャーたち。

 そして、中心部に集まっていた、国民たちとは明らかに違う人種の国民たち。

 顔は、例によって若々しく整っているが、それは中心部に集まった面々に見られた、必要最低限か、加えて多少のお洒落やこだわりといった域を超えた、かなり美しく整った顔が集まっている。そんな顔や、顔以上に手も服も、今や土や泥や雑草の汁に汚れている。

 服装は、作業事には向いていない、見るからに高そうなスーツや革靴、ドレス、ヒール、アクセサリー類を、作業ですっかりボロボロになっているのも構わず身に着けている。

 見るからに金持ちな……金持ちだった人種たちが、不満たらたらといった様子を隠そうともせず、セルシィの前に集まっていた。


「なんでワタクシがこんな仕事!!」

「こんな下働き、薄汚ぇビンボー人どもの仕事だろうが!!」

「なに様なんだ!? 薄汚いクズどもの分際で!! 嘗めるなー!!」


 口々に叫んではいるが、その叫びも要約してしまえば、そんな内容。

 こんな仕事したくない。こんな仕事をさせるなんて信じられない。

 なに様だ? ふざけんな!



《やかましい――――――――ッッッ!!》



「……!」「……!!」「……!?」

「……!」「……!!」「……!?」


 セルシィの拡声による一喝に、全員が言葉を飲み込み、静止する。

 その様子を見て、セルシィも語り掛けた。


「無駄口を叩くヒマがあるなら、手を動かしなさいよ!! 本当なら一日二日もあればとっくに終わってる作業が、五日もかけて半分も終わってないってどういうこと!? あのまま檻島に捨てといても良かったアンタたちを、連れ戻して仕事をくれてやってることにまず感謝しなさいよ!!」


 叫ばれたことにも単純にムカついたが、それ以上にセルシィを苛立たせたのは、ひとえに連中の仕事の遅さだった。

 王国北側、中央地帯から離れた西側のココ。

 草木は変わらず生え放題、荒れ放題ではあるが、中央に比べれば、木は少なく、雑草の背も低く、大きな岩等も転がっていない。代わりに、すぐに開拓が必要なほど重要な部分でもない。

 そんな部分に、敢えてこんな連中を集めたのには、当然、理由がある。

 一つは、この島国で共に暮らすことになった、グレーソルジャーたち。彼らに杖を与え、扱いを教え、慣れさせるため。全員、ドクターが作った魔法の道具は使ってきたが、それらは全て、【光弾】特化、【閃鞭】特化といった、あくまで戦闘・侵略のための兵器。

 グレーのほぼ全員、杖という汎用的な道具は使ったこともなく、何なら、魔法の杖、というもの自体を知らない人間も少なくなく、初めて杖を渡され、使ってみた元兵士の中には、兵器以上の便利さに感動し、はしゃぎだす者さえ出た始末だった。

 加えて、この北側の開拓は、突然この国にやってきた300人もの若者たちを新たに住まわせる場所を用意するためのものでもあった。

 要するに、まずはここで、魔法の杖を使いこなせ。で、自分たちの住む場所は自分たちで作れ。というわけである。

 ここで魔法の杖と、作業に必要な魔法の扱いが一定以上と見なされれば、メアが仕切る中央部へ送ることになっていた。


 そして、もう一つは――


「なにが仕事だ!? この私をあんな島に置き去りにして! ようやく反省して迎えに来たかと思ったら――」

「屋敷には薄汚い連中が住みついて、突然こんな場所に連れてこられて――」

「木を切れ? 草を刈れ? 岩を動かせ? 整地しろ!? ふざけるなー!!」

「だから――」



《だーかーらー、そのことまず、感謝しろっての!》



 セルシィが言い返そうとした時、上から幼い【拡声】が響いた。

 全員がそちらを見上げると――メアが箒に乗って、セルシィと連中の間に降り立った。


「今、セルシィも言ってたけど、本当ならアンタたち全員、あの檻島に置き去りのままにしておいてもよかったんだよ? 看守役の神官さんたちや、国からの食料提供とか、全部なくした上でさぁ……そうせず戻してあげて、それまでしてきた悪いことも、もろもろ水に流して仕事回してあげてるんだからさぁ」

「はぁああ!? なにわけの分からないこと言ってんだぁ!?」

「ワタクシたちがなにをしたって言うのよ!? ふざけたこと言わないで!!」


 メアの説明では到底納得できないと、再びギャーギャー騒ぎ出した。


「まあ、それを自覚してないってのも、大問題だと思うけど……30歳未満の若い国民たちの労働搾取、魔力搾取、過重労働に対する低賃金か賃金未払い、罰金の徴収、パワハラ、セクハラ、ついでに脱税――」


「それのなにが悪いことだああああああ!!?」


 誰が聞いても悪事と分かる事柄を、ゆっくり、一つずつ、丁寧に、挙げていった。

 が、連中が見せた反応は、理解不能だという態度と、逆切れである。


「そうしろって言ったのは筆頭大臣だろうが! 国がそうしろって言ったんだ!! それに従って何が悪い!? むしろ俺たちが使ってやってることに感謝するのが筋だろうがあああああ!?」

「……わたしたちが言ったのと同じこと言ってるね? 使ってやってるんだから感謝しろってさ」


 そう返すと……連中は全員、言葉に詰まった。


「それに、確かにあのクソババァ、王様と女王様がいなくなった後、神官さん以外の30歳オーバーなお城で働く人たち、クビにしたよ? けどさ、ババァの口から直接アンタらにマネしろって言ったわけじゃないよね? アンタらが勝手にマネしただけでさ」


 もちろん、クズババァとしても、大嫌いな30歳オーバーの国民を排斥するのが目的だったのだから、国全体をそんな雰囲気に変えた張本人には違いない。もしクーデターが起きなければ、トレントラにこの国の北半分を売り渡して、そういう法律を正式に策定していたに違いない。

 だが実際は、そんなことは成されず、事実としては、周りがババァのしたことをマネただけ。国はもちろん、元首モドキのババァも、命令など何もしていないのである。


「うっ、うるさい!! うるさい! うるさい!! お、俺たちが今まで、どれだけこの国のために尽くしてやったと思ってんだ!?」

「そうだ! 俺たちが外国相手に商売してやったから、この国だってこれだけ栄えたんだろうが!? お前ら魔法騎士が食うための税金、誰よりも納めてやったのは俺たちだぞ!?」

「よく言うよ。全員、ゴミババァ個人にお金渡してまるめ込んで、本来払う額よりかなり安い税金しか納めてこなかったくせにさ」


 どれだけ叫ばれても、メアは動揺もせず、ブレもしない。ただ、事実を返していくだけ。


「証拠出せって言うならもってきてあげてもいいよ? 資料作りは得意だし、重要な書類だって簡単に見つけてこられるし?」


 そんなことを言われて……また、誰も何も言えなくなってしまう。


「それに、それだけ国に貢献したって言っといて、いざってなったら、さっさと外国に逃げ出そうとした人たちに言われたくないんだけど? 同じようなお金持ちの人たちでも、メルダちゃん家のメルディーン家とか、今もこの国のためにがんばってくれてる人だっているのに――」


「この俺を――あんな小物どもと一緒にするんじゃねええええええええええ!!?」


 それまでは一応、文句を言いながらもジッと聞いていた。それが、なにが逆鱗に触れたのやら、数人の男がメアに襲い掛かった。


「フンッ――」


 そんな男たち、計五人を返り討ちにしたのは、メアが来てからは黙って聞いていたセルシィの拳である。


「私のメアに、汚い手で触るんじゃねぇ――」

「セルシィ、かっこいい……」


 と、二人の間にピンク色の空気が流れている間にも、殴り飛ばしたのとは別の男たちが走りだそうとする。


「――【炎天】ッ」


 そんな連中が動き出す前に、メアは空に杖を向けた。その杖の先、数十メートル頭上で、葉介のソレには及ばないながら、十二分に巨大な炎の塊が発生した。


「そんなにイヤならさぁ……不満があるならさぁ、今すぐ辞めちゃえば? 見ての通り、代わりなんていくらでもいるんだからさぁ」


 炎を見せつけ、脅し、諭し、突きつける……


「いい加減さぁ、自分たちの立場を自覚しなよ。お前らはさぁ、もう、人をこき使って、ふんぞり返っても赦されてた、お坊ちゃんお嬢ちゃんじゃないんだよ。大勢の国民たちを食い潰したあげく、国外逃亡図って失敗して捕まった犯罪者なの。エラそうな態度や、ワガママや都合の良い要求ができるような立場にないの。分かる?」


 杖を動かすと、炎もそれに合わせるように揺らめき、動き……


「本当なら、家屋敷に限らず、全財産、今着てるその服だって、差し押さえられても文句は言えないんだよ? けど、船が死神に沈められて、全財産も海に沈んじゃったって言うから、家屋敷だけで勘弁してあげて、こうしてお仕事も用意してあげてるのに……文句があるなら、女王の妹として、わたしがまとめて死刑にしてあげようか? 火刑にさ?」


 話しながら、炎の大きさを変化させる姿は、いつでもこの炎を、お前たちに浴びせてやれる。そんな文句に違いなく。


「……ッ!?」

「……ッ……ッ」


 連中全員、文句も言いたいこともまだまだあるようで……だが、それ以上は何も言えなくなり、肩を怒りに、もしくは恐怖に震わせながら、持ち場へと戻っていった。


「……アンタは戻んないの?」


 ほとんどの元金持ち連中が戻っていった中、一人、メアの前に残った男がいた。


「船が沈められた時、とっさに貴重品を持って、箒で脱出しようと思ってた」

「へぇ……」

「だが、船には用意してあったはずの箒も絨毯も無かった。それだけじゃない。全財産の金や宝石類が、キレイさっぱり消えてなくなってた」

「ほぉー……それで?」

「お前らが盗んだんじゃないのか? 俺たちを逃がさないために、金も箒も、お前らが盗んだんじゃないのか!?」

「はぁ? バカじゃないの? できるわけないじゃん、そんなこと」


 突拍子もない男の発言に、メアは聞き返していた。


「檻島に魔法騎士が全員いたことは、アンタらだって船から見てたんでしょ? そうでなくても、あれだけ離れてた、たくさんの船に乗り込んで、誰にも気づかれずにお金やら箒や絨毯やら盗むって……どんだけ身軽で存在感の無い人なら盗めるってのさ?」

「……ッ」


 聞いたところで無意味なことは分かっていたが、それでも、聞かずにはいられなかった。

 結局、無意味だったと理解した男は、歯噛みしながら作業へ戻っていった。



「やれやれ……これで何度目かなぁ」


 炎を消して、思わず言葉に出てしまう。

 セルシィとの念話で会話した通り、元金持ちの連中が不満を言って、作業が中断になったことも、一度や二度じゃない。


「すみません……私ももっと、ちゃんとできれば良かったんですけど……ああいう理屈とか、論理立てたお説教は、私にはできませんし、メアのように、魔法で脅すってことも、私じゃ難しくて……」

「いいよ。これでも女王の妹なんだから、矢面に立つのが当然だよ。それに、こうして呼び出せてもらえるから、仕事中でもセルシィの所へ行けるしねぁ」

「メア……」


 仕事中にも関わらず、メアは抱き着いて、セルシィはデレデレしている。


「メア様。セルシィ様」


 そんな二人に、掛けられた声があった。

 同じ涼しい顔を浮かべる双子、ファイにフェイ。赤く照れた顔を浮かべる、リムの三人。


「不本意……開拓作業が大幅に遅れています」

「不作為……やはり、元金持ち連中のやる気の無さと、魔法練度の低さが著しいです」

「わたしたちも、グレーの人たちと同じように教えたりしようとしてるんですけど、卑しい下等な連中が指図するなって……」

「はぁ……どうでも良い所に全員割り当てて、正解だよ、ほんと」

「まあ、最初から期待はしていませんでしたけど……ここまで使えない人たちとは――」



 二つ目の理由が、コレである。

 船を失い、会社を失い、財産を失い、家屋敷を取られ……

 そうして、浮浪者同然となった元金持ち連中に、女王の厚意によって仕事を与えることになった。だが、そんな連中が一緒に働くとなると、今まで連中に散々搾取されてきた北区の住人、北側の住民、北端族、その他貧困層の国民たちが歓迎するわけがない。

 下手な暴動が起きないよう、彼らとは仕事場を分ける必要があった。

 それでいざ働かせてみれば……


 中央の人たちとは真逆。文句、クレーム、暴言、果ては暴力、ケンカのオンパレード。それでも適当に脅してやれば、仕事を再開する程度の良識はあった。

 だが、肝心な仕事のデキまで最悪だった。

 開拓作業で主に必要な魔法は、【土操作】、【加工】、【移動】。農家でもなければ、日常では滅多に使わない土操作ならともかく、加工や移動は仕事はもちろん、日常生活でも使う

機会が多い魔法なため、草狩りや石を拾い集める程度なら、誰でもできるはずだった。

 ところが、彼らの言う、卑しい、下等な連中は簡単にできる作業を、金持ちだった連中のほとんどは、できずにいた。

 中には魔法を使った物作りの会社を経営していた者もいるというのに、木は満足に切ることができず、雑草の伐採はデタラメで適当。岩どころか、小石の移動さえおぼつかない。


「全ては人を、使う側に長くいたことでの弊害でしょうね。いざ使われる側に立ってみると、まるで役に立たないだなんて」


 おかげで、セルシィの言った通り、本来ならとっくに早く終わって別の場所の作業を行っているはずが、未だにこの地帯から先へ進めない状態が続いていた。


「不穏……彼ら以外にも、手に余る者たちはいるというのに」

「不当……彼らが特に騒がしいせいで、そういう者たちまで感化され始めています」


 加えて、双子の言った通り。元金持ち連中以外にも、厄介で面倒な人間たちはいる。

 どこからか持ってきた人形を身代わりに仕事をサボろうとするチビ介。

 頼んでもいない整地用の発明とやらを披露しては余計な仕事を増やすゴミ。

 デカいだけでどん臭いくせに、態度まで異様にデカいグレーソルジャー1の木偶。

 無言無心で作業していたのに、黒服の男を前にした途端、発狂し嘔吐なさるお姉さま。

 誰かしら捕まえては作業の手を止め、昔話を延々語る元魔法騎士らしい老いぼれ中年女。


 他にも、人格的に難ありと判断され集められた人間たちは、元金持ちらほどでないにせよ、トラブルを起こしてはセルシィらによって鎮圧されていた。


「ごめんなさい、メア様……わたし、あの人たちの面倒見るの、もうイヤです」

「メア……私としても、正直、素直なトレントラの方々以外、見捨ててしまってもイイと思いますが」

「わたしも……けど、下手に見捨てたりしたら、余計面倒なことしでかすかもしれないし、もう少し様子見てあげようよ。あんな連中でも、ジン――女王様の愛する国民には違いないからさ」


 それを言われると、四人とも、それ以上は言えなくなった。

 これからは、もっと連中に厳しくしてもいい。双子とリムと、セルシィに、メアはそう指示を出した。




「リンユウ……」

「……ゲッカ?」


 メアが西の方へ移動し、仲間や元金持ちどもと話している間。

 残された作業者たちの中には、作業中とは言え余計な口を聞こうとする輩も現れる。

 声を掛けたのは、かつてゲッカと呼ばれた白色の男。声を掛けられたのは、かつてリンユウの名を冠した青色の美女。


「調子はどうじゃ? 魔法の杖の具合は?」

「おお……こがぁ(こま)いのに便利なもんが、トレントラには無かったんに、こがぁ小んまい島国では当たり前に使われちょるとか。世界は分からんもんじゃ」

「まっこと。これ一本あれば、光弾銃も魔法棍もいらんとは。オイらが勝てんかったんも道理じゃ……武器だけのせい言う気もあらせんが」

「ほーかい……正直、今でも信じられんのんじゃ。他とか、デカイだけじゃったジョウコウはともかく、ゲッカとアテラバまで1対1で敗けたっちゅーんが。武器が強いんは確かにあるが、そういう相手なら他の国にもおったけんのー……そがい強かったがか?」

「ああ、強かった。強かったが……正直に言えば、アイツら自身にはそこまで、少なくともオイらや他のソルジャー以上の強さは感じなんだ。なのに敗けた。多分、その理由が分からんのが、勝てんかった理由なんじゃろーな」

「ほーかい……」

「まあ、俺等(おいら)の中で最強……どころか、歴代最強の幹部(リンユウ)が加勢しちょったら、勝負は分からんかったと思うが――」

「儂は最強なんかじゃないが」


 敬意と賞賛を、軽い談笑の中に混ぜた言葉だった。そんなゲッカの問いかけに対して、リンユウは首を横に振った。


「最強の幹部……トレントラ最強は、ウワバミじゃ」

「ウワバミ……」

「幹部も含めて、誰も逆らえんかったドクターに逆らって、国ごと倒してしもた。正真正銘、最強の男じゃ」

「……確かにな」

「ウワバミに比べたら、儂なんか……」

「……今でも、ウワバミのこと、忘れられんか?」

「…………」


「……アテラバ!!」


 リンユウが切なげな顔を浮かべた直後、ゲッカは、後ろに向かって声を上げた。


「手が止まっとる! ハンカチなんぞ噛んどらんと手を動かせ!!」


 どの口が言う……と、アテラバは返したかったものの――


 おしゃべりをしながらも、目の前の荒れ放題な道を綺麗に整えてみせ、どんどん前へ進んでいく青白と、杖を適当に振り回しているだけで全く進んでいない赤。

 この場でどちらの方が悪質かを問われれば、間違いなく赤色だと誰もが言うだろう。


「仕方がなか……」


 リンユウもゲッカも、どのグレーソルジャーよりも早く魔法の杖を使いこなし、速攻で西から中央へ移動していった。それに約一日遅れでアテラバが合流し、そこから他のグレーたちもポツポツと移動してきていた。


「ゲッカ……」


 もっとも、アテラバにとっては移動してきた順番も、グレーたちも、この国も、どうでもいい。


「手伝っちゃる。さっさと終わらせもそ」


 かつてゲッカと呼ばれた白色の男。かつてアテラバと呼ばれた赤色の少女の生きがい。

 たとえ、戦争に敗けて、強国の幹部から、小国の使いっパシリに変わっても。たとえ、彼の視線の先にいるのが、リンユウと呼ばれた青色の美女であろうとも。

 今、自分はこうして、彼と一緒に、彼のそばにいられる。

 それだけを望み、それだけを目指して戦ってきた少女にとって、それが叶った今こそが、今日まで戦い、生き抜いてきた、意味であり証しに違いなかった。


「あんくとぅやー……」




「あ、あの、メルダさん?」

「なによ、ディック?」


 そして、なにも指示される側ばかりが談笑を行うとも限らない。仕事中に余計なおしゃべりが禁物なのは世界共通だが、それでも余裕がある時は、ついおしゃべりを望むが人のサガというヤツだ。まして、親しい、以上の間柄である者同士なら、なおさら……


「えっと……今さら、ですけど、お家の方は大丈夫、なんですか? なんか、色々大変だって、聞きましたけど」

「ああ……まあ、確かにね。大変だった、らしいわよ」


 噂に聞いた程度で、具体的に何があったかは知らない。そんなディックと同じように、メルダも、曖昧な様子で応えた。


「うちも、仮にもリユン出身の金持ちだし、この間の檻島の襲撃、手を貸せって言われてたみたいよ。他にも、わたくしの姿見た誰かに、お前の娘のせいで仕事にならないとか脅されたりしてたみたいだし」

「えぇ? 大丈夫だったんですか?」


 今でこそ、連中は何もかも失っているものの、少なくともあの四日間や、それ以前には普通に金も地位も持っていた。いくら状況が状況だったといっても、それに物を言わせられれば危ないことになることくらい、ディックでも、曖昧ながら想像はつく。


「ええ……両親も毅然と断ったみたい。同じリユン出身の金持ち同士でも、そこまで仲が良かったわけじゃなかったし」

「そう、なんですか?」

「そうよ。むしろ、こっちは普通に国内相手に商売してるだけなのに、海外を相手にしてるからって、エラそうに一方的に見下してきて、むしろ関係としては最悪だったみたい……ま、うちが作った氷の良さは、海外にも通用するって連中も認めてたから、ビジネス上の最低限の付き合いだけはわきまえてバランス取ってたみたいだけど」

「そう、ですか……」


 難しいことや内情的なことは、市井の洗濯屋の息子でしかないディックには分からない。ただ少なくとも、こうして話しているメルダの顔に、不安だとか、不満だとか、そういう感情はなく、むしろどこか、スッキリしていることだけは分かった。


「ただまあ、それでも大変なのは間違いないみたいよ。海外へ卸売りしてくれてた連中は全員が没落しちゃって、うちにはそんなノウハウもコネも無いから海外へ売ることができなくなっちゃったし。このご時世だから、国内で氷なんて買ってくれる人たちもほとんどいないだろうし……そんな状況なくせに、国内の復興に資金を出してくれたりしたから、家計は火の車みたい」


 向こう側でメアが言っていた、国内の復興にお金を出してくれたお金持ちたち。主に、メルダの実家であるメルディーン家をはじめとした、古い呼び方をすれば、下級貴族に当たる人たちがそうだった。

 上流貴族に当たる連中に見下され、檻島への襲撃にも賛同せず、上流連中からの罵声罵倒脅迫圧迫にも決して折れることなく、この島国への肩入れを貫いた者たち。

 全員が共通して、海外相手のマーケットを独占していた上流連中を一度に失ったことで窮することになりはした。それでも、結果だけ見れば、上流連中と違って没落することもなく、地位も住む家も失うことなく、下級とは言え貴族として君臨することができている。

 ……もっとも、仮に上流連中に味方したとしても、檻島を護る五人を突破できるわけもなかったろうし、よしんば五人を突破しても、杖職人の罪人たちを手中に収めたが最後、体よく切り捨てられただろうことは分かりきっていたろうが。


「まあ、どっち道、今は蓄えてたお金でどうにか生活してるみたいだけど、このまま行ったら、破産するかも」

「……破産しちゃったら、メルダさんは、どうするんですか?」


 元々の実家との関係を考えれば無理もないが、仮にも自身の実家のことだというのに、あまりに平然と言っている。

 それが、諦観にまみれているようにも感じられて、心配で、尋ねずにはいられなかった。


「そうね……元々、実家に帰るのはイヤだったけど、今じゃ本当に、戻ったところでって感じだし。今は一応、魔法騎士の仕事もあるけど、それだっていつまで続くか分からないし……まあ、どうにもならなくなった時は、ディックの実家にでもお世話になろうかしら?」

「……!」


 冗談ぽい口調で語った、そんな言葉を聞いた瞬間――

 ディックは、メルダの両手を握りしめていた。


「え――え?」


「はい! メルダさんは、僕が一生守ります! ディクセル・ダムドダークが、必ず幸せにしてみせます!!」


「――はぁ!?」


 突然の絶叫に、メルダも絶叫で返してしまった。

 慌てて周囲を見渡すが……後ろから指示を出す立場なことで、前で作業している誰も、今の会話や絶叫は聞いていない様子だった。


「ち、違うわよ! わたくしはただ、ディックの実家の洗濯屋に、下働きで雇ってもらおうかって、そういう意味で……」

「え、えぇ……!?」


「ただいまー」


 と、二人が顔を真っ赤にしながら会話しているところへ、箒に乗ったメアが戻ってきた。


「二人ともありがと……でも、イチャイチャするのは、休憩時間にしてよね?」


「は、はい……」

「ごめんなさい……」


 そんな注意を受けて、二人とも、メアに背を向け前へ行き――

 隣のディックの手を、メルダは握りしめた。


「その……今言ったこと、責任、持ってよね?」

「は、はい!」




「――ところで、三人とも、カリレスとご実家の方は大丈夫でしょうか?」


 メアが元の場所へ戻った直後、セルシィが、集まった三人に対して行った質問だった。


「カリレスも、被害こそ少なかったと言っても、色々と大変だったと聞きましたが?」

「平静……特に問題はありません」

「平穏……失った農具もリトラス家が保証し、すでに多くの農業が再開されています」

「うちもです。むしろ、新品でピカピカの農具がタダで手に入って、作業がはかどるって、両親も言ってました」

「そうですか……特に問題が無いのなら良いんですが、もしご実家が困っていたら、帰宅していただいても全然大丈夫ですからね?」


 セルシィからの気遣いに礼を言ったところで、セルシィはまた、没落連中のもとへと走っていった。



「……うちは、確かに平気ですけど、お二人の家は、大変じゃないんですか?」

「否定……は、できませんが」

「…………」


 セルシィが離れた直後、リムが双子に問いかけた。

 リムの実家からすれば、新たな農具も手に入り、家も畑も無事だったことで、今まで通り、美味しい野菜を作っている。また、リムの実家に限らず、多くの農家が国の現状をかんがみて、各所に食料提供を行っている。

 そして、そんなカリレスの一元管理を任されている、双子の実家はというと……


「困窮……便利な魔法の登場で、ただでさえ作られなくなり値上がりしていた農具を外国から新たに買い集めたことは、大きな負担になりました。加えて、海外相手の食料輸出によって得られるはずだった我が家への利益も、一度に失いました。そこに、この国の時世」

「窮厄……女王様は、これまで通り、カリレスの管理に対する報酬は支払うと約束してくださいましたが、他にも保障すべき人々や、補填すべき被害はいくつもある。それらにもお金を費やして、今後もやっていけるかどうか……」


 土地を管理するということは、その土地から出る利益の多くを得られる代わりに、負債や損益もまたかぶるということ。全てを管理し、全てを背負うリトラス家の存在があったことで、農家たちも安心して、ノビノビと仕事を行い、その利益の一部をリトラス家に献上してきた。

 そして今回も、これまでと同じようにした結果……

 全ての負債を背負ったリトラス家は、窮することになったというわけだ。


「えっと……えっと……」


 話を聞いたリムだったが、正直、話の内容は理解しきれずにいた。

 リムの家も、そんなリトラス家の庇護のもと、なにも気にせず野菜を作ってきた。困ったことと言ったら、せいぜい新品の農具が中々手になじまない、そんな程度のことだ。そんな家に生まれたリムからすれば、農業以外の、管理やら保障やら、難しい言葉を並べられてもピンと来ないというのが現実である。


「えっと……だ、大丈夫、です! きっと――」


 それでも……よく分からない、下から見ているから、言えることもある。


「そりゃあ、リトラス家のお仕事は、よく分かりませんけど、カリレスがすごくタフでたくましい土地だっていうことは、お二人も知ってるじゃないですか。そんなカリレスのみんなが味方してくれてます。きっとまた、今まで通り……いいえ、今まで以上にお金が稼げます!」

「リムさん……」


 もちろん、保証もなければ確証もない、言ってしまえばデマカセの強がりなのは、双子も分かっているし、他ならぬリム自身も自覚している。それでも、いつもの無表情ながら、元気をなくしている二人に少しでも安心してほしいから……


「それに……もし、その、ダメになったとしても……カリレスの人たちに、お世話になったリトラス家の人たちのこと、見捨てるような人はいません。わたしも、わたしの家も、絶対助けます! 二人や、ご家族のこと、助けますから! だから、安心してくだい」


 これだけは、カリレスに生まれ育ち、そこに生きる人たちをずっと見てきたから、言い切ることができた。


「……謝意」


 そんなリムの慰めに、ファイが、返事をした。


「ではその時は、リムさんのご実家に、お世話になるとしましょう」

「――は、はいっ!」


 今まであまり見たことのない、ファイのキレイな微笑みを向けられて……

 リムは、赤面しつつも返事を返した。



(ファイ……やはり、彼女のことが――)


 二人の様子を見て、フェイはなにも言わず作業に戻った。

 兄の様子を見てきて、分かっていたことだ。カリレスを護った五日間はもちろん、檻島を護った四日間でも、普通に戦っているようで、何かとリムのことを気にする言動が見え隠れしていた。

 リム自身や、他の人間には気づかれない程度の些細な言動だったものの、他でもないフェイが気づかないはずはなかった。


(しかし……失礼な話、なぜ彼女を……?)


 彼女が良い娘なのは間違いない。素直で優しい性格に、芯の強さも持ち合わせている。加えて、同じカリレス出身という共通点もある。

 とは言え、羊泥棒の事件が起きるまでは、お互いに接点なく、話したことさえなかったろうに。


(そう言えば……昔、第4に行きたいと言いだした時も、唐突でしたね)


 双子とも、入団時からずっと第2でやってきた。仕事に対するストレスこそ普通にあったが、それ以上の大きな不満もなく、わざわざ第4へ行く理由など見当たらなかった。

 それも、唐突に言い出して、しばらく迷って、また唐突に、やはり第2のままでいいと言い出して。

 それ以上は特に追求せず、その話もそれっきりだったのだが……

 なにか、第4にあって、それが無くなりでもしたのだろうか……


(……ん?)


 と、そこで、気づいたことがあった。

 昔の第4にはあったが、のちに第4から無くなったもの。

 そして、第2にはずっとあったもの。


「まさか……!!」


 加えて……

 幼いころ、家族の誰よりも甘えていたアリシア姉さんや、リムにあるもの……

 母や、妹の自分には無いもの……


「…………」


 また一つ、知らなかった兄との違いを見つけられて嬉しいような……

 できることなら、知りたくなかったような……


「……仕事をしましょう」


 なんだかんだ、並んで仕事に戻っている、兄とリムの姿を見やり、フェイも、作業を再開した。




「……へ?」


 午前中の作業を終えての、昼食込みの休憩時間。

 束の間、作業者たちの管理から離れ、愛しのセルシィとの逢瀬を楽しんでいたリムに対して、掛けられた声があった。


「聞かせてほしい。ウワバミ……シマ・ヨースケのこと」


 青い服を着た、青い髪を揺らす美女は、切ない表情を浮かべてそう言った。


「……痛ッ!」


 その儚くも美しい顔と抜群のスタイルに、鼻を伸ばしたメアだったが、突如腕部に走ったツネくられる痛みのおかげで正気に戻った。


「……聞かせてって、何を話せばいいの?」

「なんでもいい。彼のことが知りたい……どんな人だったか、知りたい」


 一目惚れに近い形で惹かれ、だが、何も知らず触れられもせず、唐突な別れに引き裂かれた。

 一ヶ月経った今でも忘れることができない男……


 もう二度と会えないなら、せめて、知りたい。

 そんな、女として初めて知った欲求に従って、彼のことをよく知っていそうな人たちに、話を聞きにきていた。


「うーん……まあ、座れば?」


 せっかくのセルシィとの蜜月を邪魔されたという気持ちがないでもないが……

 ずっと、思い出さないようにしていた骨だけ親父のことを、メアも話したくなった。


「おっさん……シマ・ヨースケは、どんな人だった、か……まあ、率直に言って――」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 女王とドクターがいる城。

 開拓作業を推し進めている北側。

 そんな二か所の間に、城を円状に囲む形で外森は広がっている。

 元々、今でこそ城が建っている丘を中心に大きく拡がる一つの森――むしろ、樹海と呼べる規模の森林だった。

 そんな樹海の中心にある丘に、現在のルティアーナ城は建立された。


 ルティアーナ王国。平和と食料自給率だけが取り柄の小さな島国。

 もっとも、以前どこかで話した通り、そんな国にも、数百年もさかのぼれば、内乱もあれば内戦もあった。そんな戦禍から、国王や要人を護るための場所を作るようにとお達しされたことで、作られたのがルティアーナ城であり、戦争が終わった後も政治拠点として使われ続け、そこを中心に城下町が作られた。

 それが、ルティアーナ城、城下町、そして、外森の成り立ちである。


 そして、そんな外森のことを、おそらく現段階で誰よりも知っている人物が二人いる。 

 その二人は今、件の外森で向かい合い……


「うぅ……ッ」


 うち、一人はひざを着いた。


「……わたしの勝ち?」

「せやな……あっしの敗けやわ」


 仁王立ちする、白髪褐色の少女。

 ひざを着く、銀髪長身の美女。

 そんな二人を、横で白い騎士服の女と、新しい赤い騎士服の上に黒の上着を羽織った少年が見守っていた。


「ん……約束通り、師匠は今から、わたしの弟子」

「しゃあないな……分かった。従いまひょ。師匠」


 ミラが、かつての師匠に言い放つ。かつての弟子の言葉に、メイランは従った。


「にしても……あっしも知らん動きに戦い方やったな。それ、教わったのって……」

「……ヨースケが、教えてくれた」


 痛みを押さえつつも興味津々に聞いてくるメイランに、分かりきっていたであろう答えを返してやった。


「やっぱりな……あっしも、習ってみたかったわ。ヨースケから」

「習える……アラタ」


 メイランの独り言に対して、ミラは一言で応えると、アラタに声を掛けた。呼ばれたアラタは、自身が持つ魔法の革袋から取り出した紙束を、メイランに見せた。


「……え? これって……」


 そこに書かれているのは、指南書。

 葉介の知る限りの、技、格闘術、運動方法、鍛錬方法に至るまで、分かりやすく丁寧に、要点を押さえてかなり読みやすくまとめられている。

 しかも、特筆すべきは……


「挿絵までついとるやん……」


 指南書に限らず、本や文章自体は、この国、この世界にも存在する。むしろ、魔法による【筆記】が簡単に行えるようになったことで、今も増え続けている。しかし、写真などなく、PCによる画像加工も当然できず、上手い絵が描ける人間も限られたこの世界で、挿絵のついた本というものは少ない。

 常時フルバースト状態の魔法によって、無理やり天にも届くほど引き上げられた【筆記】の完成形……それっぽく名づけるなら、『【筆記天(ヒッキテン)】・念写(ねんしゃ)』だろうか。


「戦い方、だけじゃない。国の具体的な復興策とか、他にも色々、女王、様にしか分からなそうな、難しいことも色々書いてた……そっちは、女王様に渡したけど」


 余談だが、そっちを受け取ったシンリーもまた、アラタの手元にある指南書の方に興味津々の様子だったりした。


「ホンマに、分かりやすいな、これ……あれ? これは……うわっ――」


 パラパラとめくっていって、途中で明らかに他とは様子が違う表紙があった。

 それをめくると、それまではあまりに気色が違う――具体的に言えば、目つぶし、金的、頬裂き、骨折り、噛みつき等々――技の数々まで描かれている。

 通常のものと共通して、親しみやすいイラストで描かれていることが、その技のエグさ危険さをより強調しているようにも感じられた。


(まあ、あくまで非常時とか、戦争とかの一大事のみに使う技って、注意書きされとるしな)


「わたしの、一番の弟子が遺したもの……好きなだけ読んでいい。ただし、わたしの弟子になること。それが条件」

「そこの二人は、ミラの弟子なん?」

「おう!」

「はい!」


 アラタと、サリアの声が重なった。


「……ほな、弟子になるさかい、ミラもあっしに色々教えてや?」

「ん……」


 かつての弟子に、今度は弟子と呼ばれ、師匠と呼ばせられる。普通なら、こんな屈辱もないだろう。

 だがメイランとしては……



 ただの政治的な謀略に利用するためだけに拾い、それまでは第5の雑用代わり程度にしか考えていなかった、自分の後ろをヨチヨチついてくるだけだった少女。

 弟子だと思ったことは無い。なのに、一方的に師匠と呼んで、こんな自分に尽くそうと、ついてこようとしてくれていた。そんな健気な姿を見ていると、本当に、魔法騎士の弟子として育てようかとも思った。


 そう思った矢先にエリが見つかって、ミラも、第5も用無しになったのだが……

 あの時は本気で、ミラを連れていくことも考えた。それでも、こんなロクデナシのために、いたいけな少女の人生をメチャクチャにするのは忍びなくて、置き去りにすることを選んだ。今ならまだ、こんな国でも、ミラの歳ならやり直せると思ったから……

 そんな願いとは裏腹に、ミラは、第5を残したまま、自分の帰りを待っていた。

 そして今、多くの弟子を持ち、慕われて、自信満々に生きている。そんな姿が本当に嬉しくて、心の底から誇らしかった。



「ほな、師匠に弟子の名前を呼んでもらいまひょか?」

「……え?」

「あっしの名前や。弟子なんやから、呼び捨てで呼んだってや」


 笑顔のメイランからの申し出に、ミラは、しばらく目を泳がせた後……


「――メイ、ラン……」


 褐色の顔を真っ赤に染めて、必死な様子で名前を呼んだ。


(や~ん、あっしの師匠、かぁ~わぁ~いぃ~いぃ~♡♡)



「……さあ! 休憩も終わりにして、そろそろ作業を再開しましょう!」


 かつての師弟の決闘が終わり、新たな師弟が誕生した。それを見届けたことで、サリアが手を叩いた。


「ここでの作業は、お二人がいないと進まないんですから。お願いしますね」

「ん……分かった」

「はいはい――」

「……うし」


 四人とも、当然と言えば当然ながら、なにも無しにこんな場所にいるわけじゃない。

 現在、島国の北側は、グレーソルジャーや国民たちの手によって整地が進んでいるが、整地を済ませて新たに家を建てるには、当然、材料となる建材が必要になる。

 本来なら、農業と同時に林業も行っているカリレスから材木を仕入れるところを、その多くは城下町の復興に宛てられていて、北側の分までとなると、とても数が足りない。

 そこで、建材として育てられたわけじゃないが、北側に比べれば、太く、大きな針葉樹が多く生え並んでいる。そんな外森の中から、建材に使えそうな木材を仕入れること。それが、この四人に与えられた仕事である。


「――【加工】ッ」

「――【加工】ッ」

「――【加工】ッ」


 木々の伐採においても、【加工】の魔法を使って切断することができる。

 ミラやメイランなら、【身体強化】による拳で殴り倒せもするが、それでは断面が歪になり使用に適さない。どうせ加工するなら、最初から加工で切り倒した方が早い。

 ただし……


「アラタ……今日も、斧でやるの?」

「おう。【加工】はまだ練習中だからな」

「……デスニマと戦う時も、斧使ってたし」

「おう!」


 二人が会話した通り。与えられた赤色の騎士服の上に、黒いフード付の上着を羽織ったアラタは魔法ではなく、斧を使っていた。

 魔法を駆使する三人に比べれば、人力な以上どうしても時間は掛かる。それでも、その人力にも魔法を駆使することで、他三人に見劣りしないくらいの作業速度は出せている。

 そして、こんな広い外森に、たった四人だけ、というのも疑問の声は上がったが……


「好き勝手に木を切られたら、外森に生きてる動物たちが死ぬ……で、デスニマが生まれる」


 そんなミラの意見を聞き入れて、なにより、材木自体は、未整地の北側でも、形や質はどうあれ手に入れられることから、外森に詳しいミラとメイラン、そして、ミラが信頼する二人の魔法騎士の四人体制で作業を行うことになったのである。


「このくらい、かな……」

「せやな。ほな一回、城下町まで運ぼか?」


 ある程度の木を切り倒し、倒した木は魔法の麻袋へ。

 材木加工は彼女らにはできないため、城下町にて待機している、そういう加工を得意としている業者の皆さんに頼む必要がある。

 木々を切り倒し、運んで、その間にまた、新たに木を切り倒す。その作業の繰り返しだった。


「ん……じゃあ、アラタにサリア、また、木の運搬、お願い」


 そして、森に残って作業を続けるのは、必然的に、森に詳しいという理由でココでの仕事を割り振られた、ミラとメイランの二人。少なくとも、どちらか一人は残って作業を行っていた。

 そのミラから指示を受けたアラタとサリアは、並んで箒にまたがって、城下町へ飛んでいった。


「――なあ? 作業しながらやけど、聞いていい?」

「……危ない作業中以外なら」

「そん時は、手か口、どっちか止めるさかい……ヨースケのお話、聞かせてや」

「ヨースケ……?」


 唐突ではあったが……

 逆に、今日まで話題に上らなかったのが、不思議な名前でもあった。

 メイランは、本気でヨースケに恋してる。それは、ミラもよく分かっていたのに……


「まあ、今までは、名前出したらミラが辛いかと思ってガマンしとったけど……もう、エエんちゃうかなって、思ってやな……」

「…………」

「教えてや。ヨースケって、どんな男やったん?」

「どんな男って……」


 かつては師匠と呼び慕った女からの、不器用ながらの気遣いに呆れつつ――


「ヨースケが、どんな男かって……わたしが知ってるヨースケは――」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 そして、ミラらが作業を行っている外森から、北ではなく、南。それも、南西の端。

 今は無人と化しているリユンの港町にて。そこにも、とある男女の姿があった。


「……もう、思い残しはないか?」

「うん……まあ、正直、今は気づかないだけで、色々と悔いは残ってるだろうけど――」

「そうだな……生まれ故郷だ。悔いも未練もある、か」


 リユンを――そして、その向こうに大きく広がる、生まれ故郷の小さな島国。

 ずっと憎んで、必ず出ていくと決めていたのに、いざ、出ていくことを実行する段階になって……

 騎士服を捨て、普段着姿となった、シャルも、レイも、表情には曇りが差していた。


「……やめておくか?」

「……いいや。出ていくよ」


 そして――そんな曇りも受け入れて、悔いも悩みも振り切って、背を向ける。

 ずっと決めてきたことを、実行するために。愛しい人と、誰にも邪魔されない場所へ、旅立つために。


「それとも……シャルこそ、お母さんが心配?」

「心配……まあ、そうだな。新しい場所になじむにも、時間はかかりそうだしな」


 二人にとって、一応の、最後の悔い。

 おかしくなりながらも、まだ生きている、シャルの母親。レイの元妻。

 二人にとっては、二人の仲に割って入り、回り道を強要させられ、国を出ていくことを決定づけさせた女。

 とは言え、わざとそうしたわけでもなく――むしろ、事実だけ述べるなら、彼女の方こそ、実の娘に愛する夫を寝取られた被害者であって――なにより、二人を引き合わせた張本人であり、家族には違いなく。また、狂っていたとは言っても、彼女なりに、シャルとレイのことを心から愛し、思いやっていたことも知っている。

 だから、そんな彼女を一人にしてしまうこと。それだけが懸念ではあったのだが……


「ただベッドの上でしゃべるしかないと思っていたが……一応は、働く意思もあったわけだ」

「魔法騎士団として、だけどね……」


 今の仕事は、魔法騎士団とは程遠い。とは言え、現役の魔法騎士団が実際に働いているのを見て、本人もやる気を出したらしかった。

 誰かしら捕まえては、輝かしい青春の話を語りだすクセはそのままだが、魔法は元魔法騎士として普通以上の水準に達している。上手いこと制御できれば、普通に働き手として使えはする。

 それも全て、残された者たちに丸投げする形になってしまったが……


「結局、あの人が本当に願ってたのは、家族じゃなくて、魔法騎士でい続けることだったんだね」

「身もふたもないが、まあ、そういうことだろうな……」


 様子をしばらく眺めた辺り、夫も娘も、家族のことは必要としていない。

 おかしくなっているとしても、普通に働ける限り、生きていくことは可能だろう。



「……じゃあ、そろそろ出発しようか?」


 レイが提案しつつ、自身の魔法の革袋から、魔法の絨毯を取り出した。


「今さらだけど、こんなに大きなもの用意する必要、あったのかな?」


 当たり前だが、箒と違って複数人乗りすることを前提に作られた魔法の絨毯は、大きければ大きいほど荷物も人も多く乗せられる。

 だが、大きければ大きい分、加えて、乗せるものが重ければ重い分、必要な魔力はかさむ。もちろん、事前に魔力を満タンに込めておけば、移動中の魔力供給も合わせて、ある程度の問題は解決するのだが。

 レイが取り出した絨毯は、彼の言った通り、二人が荷物込みで乗り込んでも、かなり余裕がある大きさをしている。


「確かに……私たち、二人だけなら大きすぎだな――そろそろ出てきてはどうだ?」


 レイが聞き返すよりも早く、シャルが声を上げた先。無人になったいくつもの建物の一つから、姿を現したのは――


「リリア?」


「レイ、様……シャル様」


 サイドテールにまとめた赤い長髪。レイや、シャル以上の長身。かつ、普段着の上からでも分かるほど、引き締まった肉体。シャルには及ばないながらも豊満な胸元。

 そんな、見るからにたくましい身体と見た目をした女が、二人と同じように、まとめた荷物を手に姿を現した。


「さっさと来い。それとも、ずっと隠れているつもりだったのか?」

「え……シャル、どういう……?」


 レイが聞き返している間にも、リリアはおぼつかない足取りで、二人の前まで歩いてきた。


「言いたいことがあるのだろう? ハッキリ言ったらどうだ?」

「…………」


 しばし、うつむき、噛みしめて……顔を上げると、レイと目を合わせた。


「レイ様……どうか、私も、アナタと一緒に……!」

「リリア……」

「レイ様、私……私……」


 ずっと、秘めてきた思いがあった。今、伝えるべきだと分かってはいる。

 なのに、いざ彼を目の前にしたら、どうしても、言葉も気持ちも詰まってしまって……


「リリア……気持ちは、嬉しいけど――」

「私は構わんぞ?」


 レイが、哀しげな顔で、苦しい返事をしようとしたのを、シャルが言葉を被せた。


「シャル……いや、けど――」

「お前の気持ちは、よく分かっている……素直になれ。私は、一人も二人も気にはしない。お前のそばにいられるならな」

「…………」


 他でもない、愛しい恋人から、そんな言葉を言われたら……

 レイも、リリアと目を合わせた。


「えっと……一緒に、来てくれる、か?」

「……! は、はい!」


 リリアとしても、断られると思っていた。そう思うのが、むしろ当然だろう。

 だから、レイが受け入れてくれたことで、その表情は歓喜に染まった。


「レイ様ー!!」

「うわ!」


 やがて、感極まった様子で、両手の荷物も放り出して、レイに抱き着いた。


「レイ様! 大好き! 大好き!! 愛しています!! レイ様!!」

「んーッ!! んーーーッッ!!」


 身長差のせいで、その巨乳に顔を挟まれ包まれてしまったレイを見ながら、シャルは、ため息を一つ……


(やれやれ……結局、シマ・ヨースケの言った通りになってしまったな)


 イチャつく二人を眺めながら、シャルが思い出したのは、白い崖の上で、檻の中から葉介と交わした会話のこと。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「ちなみにだけど……もろもろ解決したら、シャルはどうするわけ?」


 焚火を起こしながら、唐突に尋ねてきたのはそんなことだった。


「どうする、か……少なくとも、レイはこの国に対して、すっかり愛想を尽かしている。問題が解決して、どれだけ国が良い方向に向かっていったとしても、決してこの国をゆるしはしないだろう。私は、そんなレイに、ついていくだけだ」

「ついでに、リリアも連れてってあげたら?」


 割と真剣な声色で答えたシャルに対して、焚火に大量の紙をくべながら、軽い口調で言ってきたのはそんな内容だった。


「リリアを?」

「シャルだって気づいておろう? リリアの、レイに対するお気持ちは」

「…………」


 それは当然、気づいている。前々から、単純な忠誠心とは全く別の感情があることは分かっていた。似た立場にいたヨースケとつい混同視していたものの、そこに、カリンとかいう女が現れ、レイに分かりやすくすり寄った時の反応を見て、確信させられた。

 単純な上司と部下といった気持ちとは違う、他のレイを見て騒ぐ女たちよりはるかに真っすぐな、特別な感情……


「それにさ……レイも多分、リリアのこと好きだと思うよ」


 リリアのことを思い出しているシャルに、葉介はまた、軽い口調で暴露した。


「なっ……なぜ、そう思う?」


 ずっと、自分一筋でいてくれていると思っていた。そんなレイの気持ちが、自分よりも若い、別の女に傾いていると聞かされて、さしものシャルも動揺させられた。


「森にデスニマが大量発生した事件の時、最初に俺のところに来た時から、おかしいと思ってたんだよ。リリアって、第1の副将なんでしょ? 人を指揮する力だってあったよね? そんな頼りになる部下をさ、いくら応援要請と作戦会議のためとはいえ、わざわざ一緒に連れて帰る必要ある? 現地の報告や情報共有なら他の下っ端連れてきたってできることだし、副将だというなら、普通は現場に残ってもらって、自分の代わりに指揮を取らせるでしょうよ」


 説明していきながら、相変わらず、大量の紙を火にくべていく。


「いくら計画してたとは言え、故意じゃなかったにせよ、部下から死人を出してしまって……せめてリリアだけは、自分の目の届く所に置いときたかった、のかもしらんね。それでも、まあ俺の発言もあったとは言っても、危ない森にまた連れてって、森よりはまだ安全なお城にシャルを置いてったあたり、一番がシャルなのは間違いなかったろうけど」


 紙を全て火にくべた様子で、用意していたバッタとヘビを、焚火で炙りだした。


「まあ、あくまで勘だから、間違ってるかも分からんけど……もしかしたら、この後レイが来たら、確定するかも分からんね」



 その言葉の通り……


 最初、シャルの服を【加工】した様を見て、明らかに激怒していた。だが、その後で追い打ちとなったのは、リリアの名前を出した時だった。

 それで、シャルも確信した。


 レイは、自分だけでなく、リリアのことも――



「あと、せっかくだから、もう一人連れてってあげたら? えー……カバンさん?」



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「カリンも行くぞ!」



 と、葉介の言葉を思い出しているところへ、ちょうど、当人の声が聞こえてきた。


「レイ!」


 長身に加えて、長くスラリと伸びたしなやかな手足。二人と違って膨らみこそないが、引き締まった肉体に、見るからに強いと分かる肉体と顔。

 カリンは宣言したと同時に、三人の前に近づいた。


「え、カリンも……?」

「なにか問題あるか?」

「えっと……」


 チラッと、思わずシャルの方を見た。シャルはシャルで、諦めたような表情で頷いていた。


「……じゃあ、一緒に行こうか?」


 レイからすれば、シャルほど深い愛情も無ければ、リリアのような淡い気持ちも懐いていない、ただ積極的に迫ってくる女でしかない。

 それでも、変わろうとしている国を棄てて、旅立つ自分の前に現れて、ついていくと言ってくれる。そんな彼女の気持ちが、どうしてか嬉しかった。


「これで全員だな? もう増えんな?」


 ややイラ立ちを込めながら、周りを見渡すシャルの声。

 それに、レイがやや動揺している間も――それ以上、増えることはなかった。




 その後は、四人と荷物を巨大な絨毯に乗せて、空に浮かび上がった。

 このまましばらく飛んでいった先に、大陸行きの船が停泊している。それに乗り込み、便乗させてもらう。そういう手はずになっている。


「未練か……一つ、無いことも無いがな」


 空を飛んでいる間、無言でいるということもない。シャルとレイが最初に話していたように、話題は、生まれ故郷に対する未練について。

 リリアは、そんなものは無いと、レイと一緒にいることが一番だと断言した。

 が、カリンはそう、正直に話していた。


「死神……シマ・ヨースケだったか? あの男が、チビ二人に遺したという技の指南書。アレを、キチンと読めないまま、ここまで来てしまったことだな」

「技の指南書? そんなものがあったのか?」


 一時は殺したいほど憎みながら、ずっと葉介に憧れていたレイと、レイとは違った形で葉介に特別な感情を懐いてきたリリアが食いついた。


「そうだ。チラッと読んでみたが、絵付きで説明書きされていてかなり見やすかった。書かれた内容が細かく丁寧すぎて複写することは不可能だったが……いくつかの技は覚えている。船の上ででも披露してやろうか?」


 二人とも、興味津々にうなづいた。

 シャルは、特に興味はなかったものの、気づいたことがあった。


(ヤツがやたらと紙を燃やしていたのはそういうわけか……)


 おそらく、【筆記】に失敗したものや、練習に使った物を焚火に使っていたんだろう。

 なにを書いていたかは、いちいち興味もなかったし、牢屋の中からは、よく見えなかった。かろうじて見えて覚えているのは、やたらとゴツイ男たちの絵画と、葉介の世界の文字であろう、『全選手入場』という言葉だけだった。


「二人がそこまで食いつくとはな。シマ・ヨースケという男、一体どんな人間だったんだ?」


 幼いころから肉体を鍛えてきたカリンが、同じく肉体を使って戦う葉介に興味を持つのは分かる。だが、レイもリリアも、普通に魔法を使ってきて、普通に魔法を使った戦い方をしてきた。

 そんな二人の食いつきぶりに、カリンは疑問を感じた。


「シマ・ヨースケが、どんな男だったか……一言で言えば――」


 と、意外なことに、その質問に答えたのは、シャル。


「普通の男だ」




「What’s? 普通?」

「ええ。普通です」


 ドクターからの質問に、女王が返した答えがそれだった。


「確かに、彼は実に強く、頭もキレる、頼りがいのある人でした。しかし、本質的には――」




「ただ、大切だと思ったもののために全力で、場合によっては命をかけて、戦える。ダメだった時は落ち込むし、けど弱いところは隠そうとする。そんな、普通の人、だったな」

「普通……」


 メアからの答えを聞いて、リンユウはかなり、意外そうな表情になっていた。




「……そんなに意外?」

「せやな……あんだけ強くて、すごい御仁なんやから、もっとすごい話が聞けるかと思っとったんやけど」

「……確かに、ヨースケは強いし、すごい。そうなるために、すごく、すごく努力してきたんだと思う……いっぱい努力して、強く、すごくなって……でも、優しくて、面白くて、たまに厳しくて、怖くて、けど、傷ついたりするし、悲しんだりもする、ただの、普通のおじさん。それが――わたしの最強の弟子。わたしの最高の師匠。シマ・ヨースケ」

「そっか……」


 いつも見せる無表情ながら、自信満々に語られた答えに、メイランも、納得した。


「……ん? 彼氏のお帰りやで?」

「カレシじゃない」


 上を見上げながら言った、メイランの言葉を即座に否定する。

 言われた通り、アラタとサリアの二人組が、箒に乗って戻ってきた。



「アラタ……前から言いたかったこと、ある」

「え? なんだよ?」


 箒から降りたアラタとサリアを労ってから、ミラは、アラタと向き合った。


「アラタは……ヨースケじゃない」

「……は?」

「アラタは、ヨースケにはなれない」


 やぶから棒にそんなことを言われて、アラタは言葉を失った。


「アラタがヨースケになろうとしてるの、見たら分かる。服装も真似て、武器までマネして……けど、見た目とか、戦い方とか、いくらヨースケのマネしようとしたって、アラタはアラタ。ヨースケじゃない。ヨースケには、なれない」

「…………」


 横から聞いているサリアやメイランにも分かるほど、アラタは、怒りに震えていた。


「んなこと分かってんだよ! ヨースケのすごさはよく知ってんだよ! 俺だって、ヨースケの代わりになれるだなんて思ってねーよ! けど、ヨースケは俺に頼むって言ったんだよ! それに俺だって、ヨースケみたいになりてーんだ!! 目指しちゃいけねーのかよ!!?」

「ん……アラタがならなきゃいけないのは、ヨースケじゃない」


 アラタの怒声を聞いても、ミラの声は変わらない。ただ必要な言葉を送るだけ。


「アラタは、アラタ……アラタがなるのは、アラタ。ヨースケよりすごい、アラタ」

「……ヨースケより、すごい?」

「ん……ヨースケも、そう言ってた。弟子は、師匠より強くなるものだって。アラタはヨースケの弟子。だから、アラタに自分より、強くなってほしいって、思ってたんだと、思う。そのために、ヨースケを、倒させたんだと思う……ヨースケを目指すのは良い。けど、本当に目指さなきゃいけないのは、ヨースケよりすごい、アラタ。任せるっていうのは、多分、そういうこと……」

「俺が、ヨースケよりすごい……そんなこと――」


 できるわけがない……

 言いたくはないが、そう思わずにはいられない。

 さっき言った通り、葉介のすごさはアラタはもちろん、魔法騎士団の全員が知っているのだから……


「ん……アラタとヨースケは違う。生まれた世界が違うし、違う人間なんだから、どうしたって、同じにはなれない。当たり前なこと……ヨースケは、自分の知ってる自分のやり方で、最高の魔法騎士って言われる人になった。だから、アラタも、アラタのやり方で、やればいい」

「俺の?」

「ん……やり方が分からないなら、考えて、見つければいい」

「…………」

「わたしも、手伝うから……わたしも、師匠たちよりすごい、わたしにならなきゃ、いけないから」

「…………」


(ししょ~~~~~~~~ぉ♡♡♡♡)


 横から見ている二人とも。

 二人の姿を黙して見つめている前で。

 自身の師匠の姿に感嘆している前で。


「…………」


 うなだれ、迷い、悩み、考え……

 そんな少年に語りかけながら、ミラは、自身の魔法の革袋から取り出したものを、アラタに差し出した。


「これ、あげる」

「……俺に?」

「ん……アラタが本当に、持った方がいいもの」


 手渡されたものを、広げてみる。

 それは、今アラタが身につけているのと同じ、フード付の上着。ボタン閉め、サイドポッケ付(重要)。

 一つ違うのは、今のアラタが羽織っている物や、葉介が羽織ってきた黒ではなく、かつてのアラタがずっと着てきたボロ服の色。

 ボロ服よりもピカピカな、新品の緑色をしばらく見つめ――


「ん……やっぱり、アラタには、(そっち)の方が似合う」

「もしかして、ただ俺にコレ着せたかっただけじゃねーのか?」

「ん……やっぱり、黒は、ヨースケの色だから……」


 良い話だと思っていたのに、そんな本音を聞かされて、せっかく着替えたアラタも、サリアにメイランも、苦笑し、脱力させられた。


「もし、アラタが、自分はヨースケよりすごい人になれたって思った時が来て、その時、自分は黒の方が似合ってるって思うなら、その時は、黒を着たらいい……黒だけじゃなくて、好きな色を選んでいい。ヨースケも、好きな色、選べたから」

「だったらよぉ……俺にも、ごほーびよこせよ?」


 アラタの唐突な発言に、さしものミラも、首をかしげた。


「確かに、ミラの言った通りだ。ヨースケと同じになろうと思ったのが間違いだった。俺も、ヨースケとは違う、ヨースケよりスゲーヤツになりてぇ……けど、ごほーびくらい、俺ももらったっていいだろ?」

「……ヨースケと同じごほうびが欲しいの?」


 おう! と返事をするアラタの様子から、単純にごほうびが欲しい、というのではない。葉介を超えたいという対抗心、だが同時に、葉介への憧れも捨てきれない思い……


「ん……」


 そういう複雑な、だが間違いなく成長を目指す、強い感情を察して……ミラも、アラタの言う、ごほうびを渡すことにした。



「あら~……」


 アラタを抱きしめるミラを見て、メイランは、顔をほころばせていた。


(なんか、胸が痛い……)


 ミラに抱きしめられるアラタを見て、サリアは、なぜか走る胸の痛みに動揺し、頬をふくらませていた。



(これが、ヨースケがもらってたっていう、ごほーびか……悪くねぇ、てか、かなり、イイじゃねーか――ん?)


 と、アラタが疑問を感じたタイミングで、ミラは身体を離した。


「おい、ミラ?」

「カレシじゃない……!」


 気になったことを尋ねようと、アラタが呼びかけるも、ミラは、そっぽを向いたまま――


「ピュアや!」

「む~~……」



「お……?」


 直後、アラタが真っ先に気づいた。


「ん……」

「あ……」


 その後には、ミラと、メイランが気づいた。


「え……どうしました?」


 一人、分かっていないサリアは、疑問に尋ねた。


「デスニマだな……一匹みてーだが、デカいな」

「ん……多分、デスベア」

「出現だけじゃなくて、数に、種類まで分かるんですか?」

「【感覚強化】使ってねーのか? まあ、俺は元々使ってねーけど」

「…………」


 第5に加わった時点で、分かっていたことではある。それでもこうして、三人との差を見せつけられて、何度目となるか分からない自信の喪失を感じた。


「あっしが行こか?」


 サリアが落ち込んでいる間にも、第5の会話は続く。メイランが陽気な声を上げるが、ミラは首を横に振った。


「んん……四人で行く。サリア」

「……へ?」

「今から、第5の仕事しに行く……わたしたちみたいになりたいなら、よく見てて」

「は、はい!」


 落ち込んだ部下を即座に鼓舞して、次の段階を導き示す。


「ん……行こう。サリア、アラタ、メ、メイラン……」


 彼女らの師匠として。上司として。そして、関長として……


 斧はしまって、剣を取り出したアラタ。

 拳を鳴らす、メイラン。

 杖を握る、サリア。


 三人の前、先頭へ進み出た。



「魔法騎士団! ダリダリ!!」


「ダリダリ!!」「ダリダリ!!」「ダリダリ!!」



「第5関隊! ダリダリ!!」


「ダリダリ!!」「ダリダリ!!」「ダリダリ!!」



 元の語源がどうであれ、魔法騎士団、特に、第5関隊にとって、己を鼓舞し、力を引き出し、勝利を誓う――そんな意味合いを持った言葉を叫んで。

 第5関隊関長が、走り出す。その後ろに、緑、白、赤の三人が続く。


 走り出した、第5関隊関長の揺れる白髪。

 その根元には……小さな黄金色が、光り輝いていた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「…………」


 目を閉じる。呼吸も浅くして、周囲に意識を向ける。

 聞こえてくる音を聞く。強くはない風が木々を揺らす音と、荒い吐息が聞こえる。

 薫ってくる匂いを嗅ぐ。湿り気を帯びた木と土の匂い。空気の匂い。随分な悪臭。

 肌に伝わる感触を知る。涼しく爽やかながら、それに混じった人間的な生々しさ。


 目で見なくて済むそんなことを確認した後は、目を開けて、辺りを見回す。

 下は、地面。むき出しの地面、正面に見える高い岩肌。

 周りは、突然脅してきて、返り討ちにしてやった汚い男。人種、というか、姿、形がバラバラなのが30人ばかりノビている。

 上は、夕方だろう。岩肌よりもはるか上には、暗み掛かったオレンジ色の空が見える。


 そして、下でもなく、上でもなく、周りでもない、正面を見る。


「なんじゃこれ……」



「アナタの強さ、感動しました!! ぜひ!! わたしを弟子にしてください!!」


 わざとらしく艶めくピンク色の、レザーベストとでも呼べばいいのか?

 胸元以外の、二の腕やらヘソを丸出し、下は、ベストと同じ色をした、太もも丈の短パン、ブーツのみ。髪の色までピンク色だが、そんな髪の下からは、とがった大きな獣耳が飛び出して、あざとくピクピクはねている。

 そんな、目がチカチカする見た目をした、やたらと露出の多い小さなケモミミ少女――むしろ幼女が、飛び跳ねながらそう大声で叫んできた。



「見事な戦いじゃ……ソナタを、わしの弟子にしてしんぜよう。ありがたく思うがよい」


 これまたわざとらしい、いかにも魔法使いですとよ言いたげな、黒いローブにウィッチハットをかぶった緑髪美女が、長く鋭く尖ったエルフ耳をピクピクさせつつ、デカイ杖片手にエラそうな態度でそう言った。

 少女に比べれば露出は少ない。が、ローブの下には、おそらく下着さえ着けていないようで、グラマラスな身体のラインがローブを押し上げ主張していた。



「また?」


 とりあえず、服とは一体なんのためにあるのか。

 本気で問い質したくなる服装をした二人を前にして。

 上下黒の無難な服装で、地べたの上にあぐらを掻いて、右手にこめかみを支えながら――


 男は、言った。



「無駄な努力ばかりしてきた三十路が、異世界行ったら弟子ですわ



 2人」




       〈了〉



長げーよ!?

と思った人は感想おねがいします。










ご愛読ありがとうございました。

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