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第14話  弟子の終わり

「これが、俺の名前」


 その日。場所はカリレス。羊泥棒の事件でヨースケがまとめたメモを、ミラが受け取った時のこと。

 マナを通して問題なく読める、見たことのない文字を見て、何のけなくヨースケの名前を聞いてみた。


『志間葉介』。


 マナを通して読めはする。それでも文字に起こして見たことがなかった、最愛の弟子の名前のことを聞いてみた。


「志間っていうのは俺も何かは知らない。多分どっかの町の名前だと思う。俺の世界の苗字は、大抵が町の名前か、大昔に適当につけられたものが広まったっていう場合が多いらしいし」

「じゃあ、葉介っていうのは?」

「母ちゃんがつけてくれた……介っていうのは、助けるとか、人の間に立つって意味があるらしいけど、まあ多分、深い意味はない。男の子の名前につける定番と言うか、お決まりというか、ぶっちゃけ記号やね。で、葉っていうのは、葉っぱのこと」

「葉っぱ? 落ち葉とか、木とか花についてる、あの葉っぱ?」

「そ。なんでも俺の母ちゃんが、入院中、えー……出産を前に、家の窓から眺めた時に見えた木の葉っぱがとてもキレイだったから、俺にもそういう、キレイで立派な子に育ってほしいってことで、名づけたそうな」

「……葉っぱになってほしかったってこと?」

「ンハハハ、そうやね。究極的には」


 ミラには少し、難しかったかしら……

 そう葉介が思っていると、ミラは葉介の顔を見上げていた。


「じゃあ……ヨースケも、葉っぱみたいに、どこかに、飛んでいっちゃうの?」


 なんでそうなるんやろう……

 そう思いつつ、真剣に、不安げに尋ねてきた師匠に対する、弟子の答えは――


「せやなー……ミラがしっかりつかまえといてくれたら、飛んでいかずにすむんじゃないかな?」


 我ながら、演劇みたいなセリフを吐いたもんだ……

 そう、我がことながら痛々しい言動に多少の後悔を感じた時。

 弟子の身に、抱き着く小さな感触があった。


「ん……つかまえとく。ヨースケのこと、ちゃんと見てる。だから……一緒にいて」

「…………」


 いつ来るとも分からない別れの時を、もう怯えている。そんなミラに、葉介は苦笑を浮かべつつ……頭の上に、優しく手を置いた。



(ヨースケ……)



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ヨースケ!!」



 箒を操作し、空を飛ぶ。飛んでいって、世界樹へ近づこうとする。

 樹なのだから動きはしないし、王国から見て目と鼻の先、せいぜい10キロにも満たない程度の距離に墜落したのだから、箒の速度があれば、到着まで時間はかからない。


 相手が、普通の樹なら……


「お決まりの展開っつーかッ――やっぱ、簡単にはいかないんだよね、こーいうのッ!」


 箒を操作し、空を切る。蛇行しながら、世界樹へ近づこうとする。

 樹だというのに、空を覆うように伸び拡がっている無数の枝が、近づこうとする葉介へ向かって伸びてきた。しかも、単純な植物の成長とは全く違う、危険な速度と、生物的な動き。明らかに、葉介を狙い打っている。


「まあ、デカくても一応はデスニマにあたるわけだし、生き物に反応して攻撃してるわけね。それか、危険を察知しての防衛本能か――前者だとしたら、マジで燃やさなヤバイな」


 いざ空を飛ぶ直前までは、口調もノリも感覚も、厄介なデスニマを倒すくらいの気構えだった。だがここまで近づいて、これだけ意思を持った動きを見せられては、イヤでも事態を理解する。


 この巨大樹は、放っておけば、いずれこの世界、どころか星そのものを枝に包み込む。それを終えたら、今度はどうするか……

 植物? と言うより、一応は生物なんだから、当然、栄養を摂取しようとする。

 どうやって……まあ、デスニマなら、人間たちが魔法を使えば、その空魔法を吸収して栄養に変える。やろうと思えば、人間との共生も可能かもしれない。

 だが、動物のデスニマや、他でもない葉介自身もそうだったように、樹がそんなことを理解するとは思えない。なら、最も効率のいい方法として、生きた動物をエサと認識するに違いない。今、葉介にやっているように、無数に広がる枝を伸ばして、全ての動物を狩り尽くそうとするだろう。


 まして、デスニマにとって、魔力を宿した人間の血肉は最高のご馳走なのだから、例によって、真っ先に人間を襲うに違いない。

 あっという間に人間は絶滅し、その後で、動物が狩り尽くされる。虫や植物や魚類がどうなるかまでは分からないが、いずれにせよ、あらゆる陸生生物、もしくは世界樹を除いた全ての生命が死に絶えた、新たな世界が幕を開ける。

 晴れて、トレントラは世界樹(トレントーラ)として、この星に君臨するというわけだ。



「同じデスニマ同士、応援したい気持ちがないでもないけど……させるかいな」


 箒を操作し、空を裂く。何がなんでも、世界樹へ近づこうとする。

 神サマ(ヅラ)したぽっと出の後輩(デスニマ)より、今日までずっと一緒に過ごしてきた人間(エサ)の方が、葉介にとっては大切に決まってる。

 ミラが一番、大切に決まってる……


 だから、世界樹へ近づこうと、がんばった。

 いくら巨大な炎が出せても、目の前で発動させなければ当たりはしない。あまりにバカデカくて燃えてくれるかどうかも怪しいし、そもそも、見た目樹といっても、元が島だった以上、火が点いてくれるかも分からない。

 そのために、ただ近づくだけでなく、燃えるよう細工も必要だし、そのための準備も一応はある。


 近づいて、細工して、燃やす……


 字面に起こせばたった三つの工程で済む作業なのに、意思をもって攻撃してくる無数の枝が、葉介の作業の邪魔をする。一つ目の工程である、近づく、それすらマトモにできない。


「あーっ、もう!」


 ワンチャン、まだ距離はあるが、ここから魔法を発動させるしかないか……


 そう、ヤケクソに半ば本気で実行しようとした気持ちをどうにか抑え込む。

 魔法が効く保証もなければ、そもそも届く保証もないんだから。


「近づけねー!」


 お互い、形は違えど似たような経緯で生まれ、似たような力を持つ者同士。

 しかし、お互いジャンルもスケールもあまりに違いすぎて、比較対象として成立しない。

 そんな二つの存在がぶつかる様は、さながら……



『ゴジラvs貞子』



(うわっ、見たかったわ! その映画! この世界に来るより前に……!!)


「あ――」


 永遠に作られる心配の無い映画を思いながら夢中で逃げ回っているうち、気がついた時には、無数の枝に囲まれていて――


 ミラ――ゴメン……


 魔法の発動さえできないまま、ミラへの謝罪の言葉が、自然と口をついていた……



「――【雷天】・霹靂廣々ッ!!」



 一瞬の覚悟も絶望も、頭に浮かんだミラの顔も、目の前と、周りに発生した、巨大な稲妻がかき消した。


「なにやってんだ! ヨースケ!!」


 直後、後ろから声が聞こえてきた。



「――【閃鞭】ッ【移動】ッ!!」



 続けて、また別の声。聞こえたと思った次の瞬間、【閃鞭】を伸ばした長い長い棒のようなものが空を舞い、再び伸びてきていた無数の枝を切り裂いていた。


「情けなか! ウワバミ!!」


 二人分の叫び声が聞こえた直後――

 箒に浮かぶ黒の左右を、二つの白が挟み浮かんでいた。


「レイ、ゲッカも、なにしてんの?」


「見て分かるだろう……」

「手伝っちゃる。さっさと行きもせ」


 一言ずつ、黒に言葉を掛けた白二人は――

 黒を残して、伸びてくる枝へ向かっていった。


「そもそも! 一発しか魔法を撃てないくせに、得意の武器も使えない中で、突っ込んでいくのが間違いなんだよ!」

「まっこと! お(はん)の力も強さも認めちょるが、敵との相性の良し悪しくらいは理解しもせ!」


「【雷極】ッ!!」

「ちぇすとッ!!」


 レイの極めた雷の光。ゲッカの強烈な閃鞭の一振り。

 それが、正面から伸びてきていた枝の群れを一掃した。


「さあ! オレたちの後ろをついてこい!」

「近こう寄りたいんじゃろ? 道は(おい)()が作っちゃる!」


 二人の白の言葉に、黒は即座にうなずいた。

 無数の枝は、いくつも三人へ伸びようとしている。それを、レイの魔法とゲッカの武器が、全てを蹴散らし切り裂き燃やし。

 葉介も、その後ろをついて飛ぶことができていた。


「ちぃッ――」

「ぐぅッ――」


 とは言え、飛ぶ速度は増したものの、二人の攻撃だけで全てを防ぐにはやはり厳しい。

 枝一つ一つを破壊することはそれほど難しくはないが、数で押されればいずれは届く。

 巨大樹の幹まである程度近づいたところで、二人とも、限界が近づいていた。


「もういい! 二人とも、後は俺が何とかするから、さっさと――」


「うるさい!! もう格好つけるな!!」

「おはんは黙って!! あん樹ぃに近づくことだけ考えちょれ!!」


「聞き分けのない子ら……!」


 頭を掻くお面の下は、間違いなく困惑の表情を浮かべている。

 もちろん、レイもゲッカも、命を捨てにこんなところへ来ていない。むしろ、葉介が燃やそうと動くまで、ただ巨大樹に恐怖して、動くことができずにいた。

 だが、葉介の覚悟と、護りたい人への思いを聞いて……

 レイも、ゲッカも、思い出した。今、恐怖に怯えている自分にも、護りたい人がいたことを……


(そのことを、お前を見るまで気づけなかった僕自身もゆるせないけど――)

(まっこと、情けなか。自分の不甲斐なさに腹が立つが――)


(シャルを護るために、やるべきことは、あの樹を燃やすこと!)

(そんために、ウワバミをトレントラに送る、邪魔はさせもはん!)


 二人とも、強い誓いの決意を込めるも――

 現実は、そんな思いとは裏腹に、無数の枝の雨となって三人へ降り注ぎ……



「うわあああああああああああああ――【移動至】ッ!!」



 そんな三人と枝の間を、猛スピードで突っ切るものがあった。その瞬間、三人へ向かって伸びていた枝の雨は、()()に引っ張られるように向きを変え、伸びていく。


「樹の分際で、私のメアに――近づくんじゃねぇえええええ!!?」


 無数の枝に杖を向け、【移動至】で遠くへ引っ張っていく。そんなセルシィの眼鏡を外した形相と絶叫は、せっかくのキレイな美女の顔と声を、すっかり男前に変えていた。



「――【水操極】・瀑弾ッ!!」



 今度はかなり幼い声。先ほどレイとゲッカがそうしたように、セルシィが引っ張ってきた枝を、巨大な水の塊が蹴散らした。


「やった! 僕の魔法が効く……僕の魔法で、メルダさんのこと護れる!!」



「――【光弾至】・霰ッ」



 幼くはしゃいだ声の次には、静かでクールな声。

 直後、巨大な水の弾から生き残っていた枝が、見えない何かによって引き裂かれた。


「リムさんのため……細い枝に当てるのは難しいが、これなら、俺でも役に立てる」



「――行くぞ!」


 この国を――この国に生きる、大切な人を護るため、この場に集結した漢たち。

 彼らの魔法が、彼らの思いが、枝に阻まれていた世界樹へ――確かな道を、切り開いた。


「二人とも……皆さんも、どうもありがとう! 危ないからさっさと逃げな!!」


 葉介は礼と頼みを叫んだ直後、白二人から離れて、急降下を始めた。


「ヨースケ!?」

「ウワバミ!?」


 二人の呼びかけを無視し、葉介は、魔法の革袋から、酒瓶を二本、取り出した。その蓋を開けると、そこから新たに、丸めていた魔法の革袋を取り出した。

 二つの口を両方広げて、今度は上昇を開始する。


「しっかし、用意はして持ってはきといたけど、まさか使う時が来るなんて……これがご都合展開じゃ!!」


 見るものが見れば、ツッコミどころかクレームの嵐だろーなー……

 そんな非難もクレームも、受けることになる誰かしらへの同情のもと、革袋に詰まったソレを、下から上へ、飛びながらばら撒いていく。

 レイもゲッカも、葉介の行動の意図が分からなかったが――葉介から受けた言葉と、近づいてくる枝を前に、急いで避難を開始した。


「――ん?」


 幹と葉介から離れた直後――レイは見た。葉介が、魔法の革袋からバラまいているもの。黒色に見えていたソレが、何やら赤く変わって……否、光っている。


「なんだ……?」



「そういえば、よりヤバイのはこっちだってのは分かるけど……単純な燃えやすさはどっちのが上だ? 小麦粉と、鉄粉て――」


 主に刃物や食器、果ては兵器まで、人間の生活には欠かせない鉄は、塊であれば、扱いを間違えなければケガをする心配はない。

 だが、細かな粉末にしたものはどうなるか……

 簡単に言えば、純粋な鉄ほど、空気(酸素)に触れただけで自然発火する。使い捨てカイロが温かくなる仕組みはソレである。

 もちろん、そんな発火も、元が粉末なので早い内に燃え尽きる。とは言え、当然熱は残るし、発火した後も、鉄粉が燃えやすいことは変わりない。


 そんな、指定数量をガン無視した可燃性固体がばら撒かれ、舞っている場所に、火が点いたなら……

 どころか、爆発の一つも起きたらば――


「燃焼の三要素……可燃物+酸素供給体+、点火元――ポチっとな」


 血を吸う前に、ドクターから受け取っておいた、スイッチを取り出し、迷わず押した。

 その瞬間――

 けたたましい轟音と、爆発が、世界樹の内部から発生した。


「自爆スイッチ……ドクターが使わないでくれて、本当に助かったよ」


 ドクターの狙いは、大量の召喚の香を使って【召喚】を発動させること。本来は単純にばらまくつもりだったのが、動力室を破壊されたことで、トレントラ自体を瓶に見立て、破壊することで発動させる計画に変更。そのために、瓶を割って中身をばらまく行為を、ドクターは、島の落下で、それがダメな時は爆破によって引き起こそうとしていた。

 スイッチは二つあった。一つは、ドクターと葉介が会話した部屋の装置にあった、時限式の爆破スイッチ。そしてもう一つが、葉介がたった今使った、リモコンによる即座の爆破スイッチ。


「ただ燃やしただけじゃあ、キチンと殺せるか分からんからね。ちゃんと中まで火を通さんと……」


 と、まるで料理でもするような言葉を発した、その時……


 ババババババババババババババババババババババ

 バチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチ

 バキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキ

 ドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカ


 文字に起こせば、そんな擬音が混ざり合うような音がした。

 葉介の実家に例えるなら、うるさい花火大会の中、交通事故が多発している音とでも表現するべきか。

 一言で言えば、無数の爆発音――否、爆発が、内部からの爆発を合図に、外部でも発生し始めた。


「うん……思った通り、樹になるまでの光景でまさかと思ってたけど――」


 爆発という点火のもと、空気から酸素を供給され続け、可燃物である鉄粉が燃焼、結果、起こった粉塵爆発。

 それが起こった後の目の前の光景に、歓喜の声を上げた。


「この樹、一本幹じゃない。たくさんの枝をバスケットみたく編み込んで樹の形してるだけだ。中身も思ってたよりスカスカやし――これなら燃やせる!」


 多分、ここから更に成長して一本幹になっていくはずだったんだろうなー……

 そんな後輩の、内も外も、轟音が響き、爆風が起き、火柱が上がり、火花と燃えカスを散らし始めた(バスケット)の表面には、いくつもの穴が空き、スカスカの中身が見えて――


「お? 来た」


 そんな状況でも、やはり生物的な欲求には逆らえないのか。

 漢たちが避難し、狙える唯一の獲物となった葉介へ、再び枝が伸びる。が、葉介はそれらに敢えて向かっていき、ぶつかる前にUターン、自分の方へ引きつけて――


「定番中の――定番!」


 爆発を起こし続ける幹の直前で、急旋回。結果、葉介を貫こうと伸びていた枝の全てが、爆発で脆くなった、スカスカな樹の幹(バスケット)へ深く突き刺さった。


「この状況が欲しかったんだよ。頂上だけじゃなくて、木の幹からも、空の枝とつながった、この状況が!」


 そんな状況と、すでに爆発が納まったのを見て、再び革袋に手を突っ込んだ。


「五日間の間に、シャルにお願いして、地下のいらない武器を【加工】して、ありったけ作ってもらった鉄粉に続きまして――次のご都合展開を喰らえぃ!!」


 叫びながら、魔法の革袋から取り出した、魔法の狼煙を打ち上げた。




「グレーソルジャー!!」


 魔法の狼煙が打ち上がる、少し前。

 呼ばれたグレーソルジャー全員、反射的に姿勢を正し、ドクターを見た。


「準備はできているナ? 全員、Meの魔力は覚えたナ? 残りの魔力、All inして構わなイ。この距離ならば、残った魔力でも届くはずダ」

「だ、だども、そぎゃーなことしたら、ジョウコウでなしに、ドクターに……」

「Meの魔力はゼロに近いDrop程度しか残っていなイ。ならば、同じ魔力でもより魔力量の多い、ウワバミの方へ反応すル。Youが恐れる事態にはならなイ」

「せやかてドクター、ジョウコウへ向かうにせよ、結局枝に、邪魔されるんちゃうん……?」

「見ていたなら分かるだろウ? 枝が反応し襲うのはLiving thingsのみ。Objectには反応しなイ」

「…………」

「Meは冷酷な人間だが、お前たちにウソをついたことは一度もなイ! 違うカ?」


 それを言われた瞬間――グレーソルジャー全員の顔から、疑念の感情が消え去った。



「魔法騎士団もだ! ヨースケを――私を信じろ!!」


 そして、魔法騎士団も同じ。

 飛んでいったヨースケ。レイたち。彼らの姿と、ドクター、シャルの声を受けて。

 これだけ遠く離れていながら、それでも不安に駆られていた魔法騎士たちもまた、覚悟を決めた。



「……来タ! 魔法の狼煙、合図ダ!」

「さあ……上手くやってみせろ、ヨースケ――」



「――【移送】ッ!!」「――【移送】ッ!!」「――【移送】ッ!!」

「――【移送】ッ!!」「――【移送】ッ!!」「――【移送】ッ!!」




「――来た! 魔法の油!」


 続けてのご都合展開――デスニマの五日間の間に、無人となった城下町から、魔法の麻袋と一緒にくすね……拾い集めておいた、魔法の油。各家庭や店や物置小屋から、大量に集まったそれを、島を離れる前に、シャルとドクターに全て預けておいた。

 魔法の狼煙が上がった時、その全てを葉介に――シャルとドクターの魔力に向けて【移送】しろ、と。


 そうして飛んできた魔法の油の一本一本、木の幹スレスレを飛ぶことで、上から下まで、贅沢に、丁寧に、真心こめて、バカデカい世界樹へぶつけていく。

 瓶が割れ、散った中身は樹の幹(バスケット)の表面、加えて、幹を貫く枝に掛かって、染み込んでいく。

 その間も、枝による攻撃は続いていた。が、それも幹へ近づいていた時よりも、簡単に逃げることができた。葉介を外して、幹に深く突き刺さった枝は、簡単には引き抜けないから。


 飛んできた瓶をぶつけ、枝を避け、枝は幹に突き刺さり、また瓶をぶつけて……


 やがて、粉塵爆発によって黒く焦げついた幹に、ほとんど隙間なく枝が突き刺さった。


「避けてて分かったけど、あの枝って本物の植物やな――ともかくこれで、中まで火が通る!」


 最後の一本がぶつかった。それが、準備完了の合図になった。



「ここまでありがとう。怖かったら、俺を置いて逃げても構わんから」


 リーシャとは違って、箒に、人間の言葉が通じるかどうか、葉介に分かるはずも無し。

 それでも、仮に言葉が通じるのなら――

 空中に静止し、安定飛行を維持している。それが、返事と言えるだろう。


「じゃあ――やるよ!」


 腰かけていた箒に足の裏を乗せ、立ち上がる。箒の上で、仁王立ちになって、両手を、世界樹に向かって伸ばす。

 空気を吸った。世界樹を見据えた。また枝が伸びてくる中……覚悟を決めた。



 ――【発火】ッ!!



 女王にならってパチンと両手の指を鳴らし、呪文を正確に叫んだ瞬間――



 葉介が最後に見た光景は、海から上る火柱と、空を燃やす火炎の網。


 葉介が最後に感じたのは、全身に走る裂痛と、急激な眠気に虚脱感。


(ああ……ご褒美、前借りしといて、よかった――)



「貞子の勝ち――」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「…………」

「…………」


 真っ黒な煙というか、霧というか、靄というか……三者はどう違うのかと聞かれれば葉介的には困ってしまうものの、とにかく、そんなものに囲まれて包まれた場所。


「いや、もうエエやろ、その説明」

「……そうだね」


 座っている葉介の言葉に対して、葉介と同じ姿勢で座っている、イケメンとしか言いようがない、特徴のない顔をしたイケメンは頷いた。


「にしても……てっきり、もう成仏したもんだと思ってたけど?」

「そうだね。僕も、あれが最後だって思っていたんだけど……君が、生き返ってから色々としたせいかな? 君が眠っている間は、こうして会うことができるみたいだ」

「ずっと俺の中にいたん?」

「うーん……そうなるのかな? 僕もよく分からない。気がついたのは、たった今だから。もし君の中で生きてたなら、今度こそ静かなる(トン)を最後まで読んでたんだけど」

「…………」

「極東の妻たちの続編も気になるし」

「…………」

「ゴッ東ファーザーも興味があるし」

「アンタの好きなジャンルがよぉ分かったわ」

「東が如くのプレイ動画も……」

「ごめん。予告PVしか見たことない」


 陛下の好みやジャンルはどうあれ、とにかくここでこうしている以上、現実の自分がどうなっているかは想像に易い。


「まだ生きてるってことか」

「ああ……君が生きていて、本当によかった」


 直前までフランクに話していたのが、急に神妙な面持ちと声になって――

 見上げてみると、そこには気さくな青年ではなく、威厳に満ちた、国王が直立していた。


「そして、よくぞ我が国を護ってくれた。元国王として、お礼を言わせてもらう――ありがとう」


 直立し、両手を左右に、伸ばした腰を直角に曲げ。

 深く頭を下げた先代国王に対して――葉介はひざを着いて、頭を下げた。


「は……もったいなきお言葉、感服の至りにございます。先王陛下」



 形式ばったお礼と挨拶を終えれば、国王はその場に座り、葉介もあぐらをかいた。


「できれば、先王としてお礼がしたいんだけど……まあ、この状態だからな」

「……んじゃ、お礼代わりに、質問に答えておくれ」


 心から安堵していながら、顔は申しわけなさと不甲斐なさを見せている。

 そんな先代国王に対して、葉介は、問いかけた。


「ずっと気になってたんだ……俺の、ミラに対する、もろもろの感情とか気持ちとかってさ、王様の、父親としての感情かい? それかやっぱ、ファントムとしてのただの刷り込みかい? それとも……」


 その先は、なぜだか言葉に詰まった。

 そんな葉介の様子を見ながら……先王は、笑いかけた。


「仮に、僕の感情が多少なりとも君の中に残っていたとして……もしくは、初めて見たミラへの刷り込みがあったとして、それだけで君は、あそこまで命を懸けられたのかい?」

「…………」


 難しいこと、複雑なことが理解できず、できたとしても、それ以上考える力もない。

 だから大して考えず、何となく行動し、適当に流されながら、無責任に生きるダメ人間。そんな自分の代わりに考えてくれて、責任も取ってくれる人。そんな都合の良い存在でいてくれたのがミラ。だから俺は、ミラのために命をかけておけばいい。

 そんなふうに、『普通』ならできる思考から逃げて、開き直って、今日までやってきた。その方が分かりやすいし、行動する時は、誰かのために……誰かのせいにするのが、一番楽だから。

 けど、その実、ずっと疑問も感じていた。いくら気持ち的に楽ができるからと、どうして、赤の他人でしかない少女のために、これだけ本気でやってこられたか……

 特に具体的な理由を、考えようとしたことがない。けど、自分の中身がミラの父親だと知った時……自分がファントムだと知った時……そのどちらかが、あるいは両方が、理由じゃないのか? そう思った。

 結婚も、子どもを持った経験もないので、親心なんてものを理解することはできない。

 ファントムとは言え人間にも刷り込みは起こり得るのか、葉介は知らない。

 できないし、知らないが、本当は、この世界に来た時点で、ずっとミラに対して、持っていたんじゃないか、と――


(けど……まあ確かに、それだけなら、ミラのことだけ考えときゃ良かったものねぇ)


 ただ、ミラ一人のことを思い、そのためだけに行動していたなら、()ができた場面はいくらでもあったろう。そうせずに、ミラを、ひいてはその周りにいる人間や、ミラの生きるこの国のために、命懸けで行動してきた。

 なぜか……ミラにとって、大切なものだからだ。そして、葉介にとっても、かけがえのないものに変わっていた。体力的にシンドくても、ミラと一緒に守った方が、気持ち的にもっと楽ができるものに。


 そして、それらを与えてくれたのもまた……


 自分の命を助けてくれた人。その強さを自分の中に刻みつけた人。

 健気で懸命で、たった一人で戦い続けてきた、強さと、弱さを見せてくれた人。


 命令や言い訳に強いられないと、全力を出すことさえしない自堕落思考停止爺。

 そんなどうしようも無い三十路の、無駄だと思ってきた努力を認めてくれた人。

 無駄なうえにシンドイだけだと思っていた人生を、こんなに()にしてくれた人。


 葉介は思った。

 この人の役に立ちたい。この人に認められたい。

 この人についていきたい。この人のいる場所へ行きたい。


(それが、弟子になるってこと、なのかな……)



 葉介が、葉介なりの答えを見出した直後だった。


「……早いな、今回」


 最初に出会った時と同じ、葉介の身体が、上に向かって浮かび上がった。


「さあ――みんなが君の帰りを待ってる」

「……これが、本当に最後かな?」

「そうだね」


 もうこれ以上、ココに来る理由はお互いにない。だから本当に、これが最後なんだと分かる。だから、先代国王――ショウ・セトノワ・ルティアーナは、浮かんでいく葉介を見上げて、何度も、何度も叫び続けた。



「ありがとう! 本当に、ありがとう! 国を――僕の家族を護ってくれて、本当に! 本当にありがとう!!」


「いいよ! 陛下こそ、元気でね! もし、俺の世界や、似たような世界に生まれ変わっても、映画や漫画ばっかり見すぎないようにねー!」



 心からのお礼と、くだらない返事。


 最後の最後まで言葉を交わした、骨と、ガワが、別れを告げた瞬間――



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「ヨースケ!!」


 ずっと聞いてきた愛おしい声と、前借りしたはずのご褒美の感触が、目覚めたばかりの葉介を出迎えた。


(今回は、部屋に行かなかった。もう戻らんことは分かっちゃいたが……やっぱ、ミラに会いたかったんやね。すぐにでも)


 もしかしたら、また部屋に戻って、一瞬でも、漫画の一冊でも読んでやれたかという期待もあったのだけど……

 今はただ、実家には星の数ほど溢れている娯楽より、この世界に一人しかいない少女の尊さを、味わっていたかった。


「ヨースケ!」

「ヨースケさん!」

「おっさん!」

「ヨースケ」

「ヨースケ……」


 少女の声と感触のすぐ後には、多くの声が聞こえてきた。

 今となってはすっかりおなじみな、白、紫、青、黄。

 向こうを見渡すと、グレーと、緑も見えて。

 そして、抱きつく赤。


「……また、助けていただいたようで、ありがとうございます。皆さん」


 まずはそう、お礼を言った。照れ、謙遜、否定、気遣い……様々な声がまた聞こえるよりも前に、赤色を優しく引き離しつつ、立ち上がった。


「……トレントラは、どうなりました?」

「……ん」


 短い声を上げたのは、ミラ。声を出して、指さした方向は、さっきまでトレントラが伸びていた場所。

 あの時は確かに、巨大樹が空に向かって伸びていた。そこから更に無数の枝が伸び、一面の空は枝に覆われていた。

 それが、今は空一面の枝など一本も残っておらず、あれだけ大きく太く見えた樹の幹は、巨大だが真っ黒な大量の枝が、海から伸びているだけ。そんな枝の中に絡まっている黒焦げの塊は、中心にあった(トレントラ)だろう。


「Perfect work……よくやってくれた、ウワバミ」


 ちゃんと死んでいるのかしら……

 そんな葉介の疑問に答えるように、ドクターと女王が、空から箒に乗って現れた。


「たった今、Queenと一緒に調べてきたガ……外部はもちろん、内部までくまなく黒焦げになっていタ。あの状態では、仮に生きていたところで活動はできない。ゆっくり死んでいくだけダ」

「……海底に根っことか張ってないかな?」

「そこから雑草のように、栄養を摂って元気になル。そう言いたいのカ?」

「雑草の頑固さ、嘗めるでないよ。樹だっておんなじ」


 他の誰も思わなかった懸念点を言う葉介の言葉に、野菜農家のリムをはじめ、誰もがまた、言葉を失い不安になる。

 だがドクターは、笑っていた。


「No problem……そう言うと思って、Meもまた、細工してきた」


 細工? 葉介が首をかしげた時……

 ドクターは、白衣のポケットからスイッチを取り出し、ポチ。

 また、さっきほどではない物の、爆発音がここまで届いた。

 真っ黒な枝も、黒焦げの島も、一瞬のうちに白い煙で包み込んだその爆発は、何度も、何度も繰り返し……

 最終的に、真っ黒ながらも確かに顔を出していた巨大樹の幹を、完全に、消し去った。


「……爆弾、まだあったの?」

「Uh-huh……Youと同じ、道具は常に持ち歩いていル」


 そうドヤ顔を見せつつ、白衣の下の、魔法の革袋を見せる。その中に、爆弾を作るためのアレやコレやが入っていたということだろう。


「じゃあ……これで本当に、解決したってこと?」

「Yes……トレントラは正真正銘、跡形なく滅び去っタ」


 自国の滅びを、笑顔で語り、受け入れる。おそらくは歴史上初の、独裁者の姿だろう。

 そのことを、指摘する人間も、非難する国民もない。


「終わったんですね」


 全ては、女王のその一言に集約している。

 ようやく戦争が……戦いが終わった。

 戦い抜き、全員、生き残ることができたんだ――



「なにを言うか?」



 そんな空気と雰囲気をぶち壊す、年寄りの声が響いた。


「あと一匹、残ってんだろう。デスニマ」


 全員が疑問を懐くより先に、答えを口に出す。そして全員、苦悩に駆られることになる。

 誰もが、心の奥底では分かっていた。それでも敢えて、考えないようにしていた。

 デスニマの、最後の一匹――


「デスニマは一匹も残しちゃいけない。一匹でも生きてたら、二匹目、三匹目が生まれやすくなる。だよね、ミラ?」


 問いかけられたミラは……答えることができなかった。

 それでも、葉介の言った通り……


 初めて二人で森を歩いた時は、一度に二匹もデスニマが出た。

 その日以降も、毎日というわけではないが、四日から五日に一匹、あるいは最初と同じく、二匹現れる日もあった。

 葉介に出会う以前は、せいぜい月に一匹出るか出ないか、三匹も出れば多いと感じるくらいだったのに、葉介と一緒に森に出るようになってから、明らかに出現頻度は上がっていた。

 それでも、葉介と二人で余裕で倒せていたし、ほんの少し前の、森での大量発生のこともあったから、たまたまそういう時期なのかもしれない。その程度にしか感じなかった。後でメイランたちが動いていたことも分かったから、そのせいだとも思っていた。


 けど……そんな時期の原因も、今なら分かる――分かってしまった。


「違う……ヨースケは違う――」


 分かってしまったのに、それでも認めたくなくて、否定の言葉が口を突いた。


「ええ……アナタはデスニマかもしれない。けど――」


 同じように、女王も声を上げていた。だが葉介は、顔を横に振った。


「放っておいても、それだけで別のデスニマが近くで生まれる。それに、さっきの見たやろう? 俺自身、いつでも子供を生み出す危険がある。その時、誰かが犠牲になったら遅いし、なにより……魔法騎士として、国民の皆々様に示しがつかんでしょう?」

「…………」


 今の状況で、国民への示しもなにも……

 そう感じた者もいた。だが、女王としては、反論の余地もない。

 暴君は打った。敵国も倒した。後は、正式に女王を襲名し、それを国民たちに知ろしめるだけ。絶対的な力を示し、信頼を勝ち取ることで……

 そうするために、国民たちにとって絶対の敵である、デスニマ。その存在は、確かに見逃すわけにはいかなかった。



「ミラ?」


 理解しながら、それでも苦悩を隠しきれずにいる。そんな女王を尻目に、葉介は今度は、ミラに呼びかけた。


「俺にやった、魔法騎士入団テスト、アラタにはまだしてないよね? それ、俺が内容決めていいかな?」

「…………」


 再び集結したと言っても、魔法騎士団は実質壊滅状態。再結成するにしても、もはや従来通りというわけにはいかない。そんな状態でテストなんて、なんの意味もない。

 けど、ここでの葉介の出した提案は、そんなことの意味じゃないことくらい、ミラにも分かる。

 だから、無言でうなずいた。


「そういうわけだから……アラタ」


 ミラからの許可を得て、今度はアラタへ呼びかける。

 世界樹を相手に向かっていったのは、葉介と、数人の漢たちだけ。魔法の油を【移送】したのは、魔法騎士らにグレーソルジャー、一部の者たちだけ。それ以外は、全員がその場にへたり込むだけか、動けず見ているしかできなかった。

 そんな、動けなかった一人の、弱虫な自分が情けなくて、せっかく葉介が帰ってきたのに、マトモに顔を合わせることができなかった。

 その、葉介の呼びかけに、アラタはやっと、葉介の顔を見た。


「騎士団入りの、最終テスト……最後のデスニマを、アラタが倒せ」

「俺が……?」

「そうね……お互いに武器無し、魔法無しでどうよ?」


 上着を脱ぎ捨て、肩に掛けていた魔法の革袋も投げ捨てる。はいていた靴も脱いで素足になって、上下黒の長袖長ズボンという、安っぽくて、無防備だと分かる姿に変わった。


「それができれば、アラタは正式に第5関隊の一員になれる……できるね?」


 できないなんて言わせない……


 そう、口調と姿は語っていた。それだけ語ると、真っすぐ、アラタのもとへ歩き出した。



「ヨースケ……俺は――」


「ダリ」


 アラタが何かを言う前に、有無を言わさぬ前蹴りが、アラタの顔面に突き刺さった。


「ほらほら、デスニマは待っちゃくれないよ――」


 語りかけ、尻もちを着いたアラタに、追い打ちの蹴り――

 だが、アラタはそれを避けて、立ち上がっていた。


「この野郎……やってやる! 俺だって――」


 立ち上がり、叫びながら、葉介に向かって走り出そうとした。


「え――」


 が、次の瞬間には、葉介は目の前に立っていて、左手に、右腕の袖を掴まれた。


「なっ、ちょっ――」


 直後、その袖を引っ張られ、上下に揺すられる。右腕を好き勝手振り回されて、仕舞いには――


「うおっ!!」


 右手に胸倉を掴まれ、バランスを崩した足を掛けられ、右腕の引きも相まって、派手に地面に叩きつけられた。


「ゲホッ! なんッ、だ、今の……」

「柔道」


 今日まで、機会は少なかったとは言え、葉介からは様々な戦い方や、技を習ってきた。葉介が教えることができない時は、ミラから習う時もあった。

 そんな、葉介からも、ミラからも、一度も習った記憶のない動きと技――『支釣込足(ささえつりこみあし)』。ソレに疑問を持ったアラタの疑問に対して、葉介は、一言で返した。



 柔道。

 正式名『日本伝講道館柔道』。

 主に投げ技、組み技、締め技を主体に戦う、日本生まれの柔術系格闘技。


 葉介の実家において、最も有名な格闘技の一つであり、葉介が高校三年間の青春を部活動として捧げたスポーツ競技である。

 当時は今よりはるかに貧弱だったことに加えて、絶望的なセンスの無さを発揮したことで、三年間でギリギリ黒帯だけは巻いたこと以外、一つの成績も残せはしなかった。

 だが、中学まで運動嫌いの肥満体だった体を鍛え直し、引退後も体力を鍛え続け、社会人になってからもマンガやら動画で知識を得つつ、独学で葉介なりのスタイルを、使い道も無いくせに確立するに至った。

 その原点は、間違いなくこの三年間だった。


「じゅー、どー……て、なんだ? 知らねーぞ、そんな……」

「知らんでいいよ、こんなん。デスニマにも魔法相手にも使えねーもん」


 そして、そんな原点となった格闘技さえ、デスニマ相手には意味がない。葉介が散々周囲に言ってきた通り、あくまで、葉介の実家の、人間相手の技でしかないのだから。

 この世界の人間を相手にしても同じ。ミラとケンカになった時のように、魔法で簡単に体を強く、頑丈にできてしまえる相手に、組み技や関節技、寝技を仕掛けたところで決まりっこない。

 だからわざわざ教えなかった。そのことを、葉介は特に悪いとも思っていない。


 事実、見ている者たちの中には、服や手足をつかまえて、状態を崩して投げ技等につなげる。そんな動作を把握して、早々に対策を見つけ出す者たちもいた。


(つかまったらマズイなら、適当な魔法で離れて攻撃すれば何もできないわね。もし――)

(最悪、【発火】で燃やしちゃえば、つかまえるも何もないし。ただ――)

(【移動】で逆につかまえることもできるし、投げ飛ばすこともできる。もっとも――)

(仮につかまったとしても、【閃鞭】で串刺しにしてしまえば、勝負は決まる。ただし――)

(技を掛けられたとしても、【マヒ】で動きを封じれば済む話だな。まあ――)

(【身体強化】、【硬化】……防ぐのはもちろん、逃げる手段はたくさんある。それも――)


 そして同時に、全員が同じ結論にたどり着く。

 それしか知らずに来たとは言え、そもそも魔法を使わなければ対抗できないということ。

 だが逆に言えば、魔法を使ってしまえば簡単に勝てるに違いない。


 もし――  ただ――  もっとも――


 ただし―― まあ――  それも――


 ――相手が、シマ・ヨースケでさえなければ――



「それに、使えそうな技なら、ミラに全部伝えたよ。習ってない?」


 葉介的にも、この世界で使い物になるとは思っていない。とは言え、全部が全部、役立たずということもない。だから、使えそうな技は葉介なりに厳選して、ミラに教えていた。

 そしてミラも、それを覚えて使うことができていた。ちなみに、最初のころに、リムとメルダにも一部教えている。

 アラタはどうか……


「……まあ、さすがに五日間だしね」


 アラタの疑問と反応を見るに、習っていないか、習ったにしても身についていないか。



「ほらほら、ボーっとしてるヒマねーべ?」


 どちらにせよ、倒される側の葉介には、関係のない話だ。

 伸びた右手の袖と、襟元を掴む。掴んだ手を上下左右前後に揺らし、振り回す。そうして体勢を崩し、フラついている足を引っかけて――


「がぁッ――!」


『大外刈り』であお向けに倒した後は、左手で袖を引っ掴んだまま、右手はアラタの首の後ろへ回し、襟を掴む。


「ガアアアアアアッ――」


 右手を左わきに挟み引っ張りつつ、右腕で相手の首の後ろを圧迫、加えて掴んだ襟を締め上げる。

 本来は右手で自身のズボンをつかむ単純な抑え込み技だが、襟を掴んだことで締め技として極められた『袈裟(けさ)固め』の痛みと首への圧迫に、アラタは悲鳴を上げた。


「ぐぅぅ――うぅぅ……」

「早く逃げないと、このまま絞め落とすよ。右肩も外す」


 そんな発言が、聞こえているのかいないのか。アラタは必死に上半身を動かしている。

 基本、誰でも見様見真似で使える打撃技と違って、寝技や組み技は知っていなければ、使うことはもちろん、逃げることもほぼ不可能。

 ましてや、これだけキレイに決まった状態から脱出するのは、逃げ方をキチンと習っていても難しい。

 とは言え、この先アラタが、ミラと一緒に戦っていく相手は、葉介よりも更におっかない、凶悪かつ理不尽なヤツらだろう。


 理性を失くして暴走する犯罪者たち。

 理性も恐怖も持ち合わせないデスニマ。

 ある意味それより厄介な、害獣と化した生きた動物。

 もしかしたら、またファントムが現れるかもしれない。

 今日のように、外国と戦争だなんて事態もありえない話じゃない。


 そんなヤツらに比べればはるかに貧弱な、三十路のジジィの一人くらい、簡単に撃退してもらわなければ困る。

 そうでないと……



「もう終わりかい……こんなことじゃあ、ミラのことはお任せできんな?」

「……! うぅッ……!」


 ミラの名前を出した時――

 アラタは、動けずにいた両足で地面を蹴った。


「ダリィ!!」

「痛て……!」


 そして、その勢いで伸びた足を、葉介の頭にぶつける。

 技の形の都合上、アラタの上半身ばかり見ていた葉介は反応できず、モロに喰らった。


「ダリィ!! ダリィ!! ダリィ!!」


 一発でコツを掴んだようで、同じ動きで二発目、三発目、四発目を打ち込んだ。


「ちぃッ――」


 五発目を喰らったところで、とうとう手を離し、距離を開けた。


「おらぁああああああ!!」


 直後、アラタも即座に立ち上がって、飛び出し走り出した。


「え――」


 が、葉介もまた、アラタの目の前まで迫っていた。


「ちょっと、動きが単調すぎ」


 そして今度は、右手に胸倉を掴まれ、また上下左右、前後に振り回される。

 力はあるが、小さく、体重も軽く、技術もあまり持ち合わせないアラタの身は簡単に振り回され――


「いや、少しは抵抗せいよ……ほら――」


 そのまま足を掛けられて、簡単にひざを着かせられる。

 そのまま右手につかんだ襟で絞め上げ、伏せた状態の背中の上に腰を乗せる。足を滑らせてアラタの左を向き、左足のすそを左手に掴んで、首を絞めたまま正面へ進む。それに合わせて、アラタの身も回る。


「あぁあぁあああああああああッ――ッ!!」


 自身を軸に回転し、極められ続ける『腰締め』の圧痛と息苦しさに、思わず声が漏れ出た。


「うぅ……うぅうう――ッ」


 どうにかして逃げようと、襟に手を掛けた。が、襟と首の間に隙間はなく、圧迫の力は弱まる気配もなく、葉介自身にも、一切のスキは見つからない。というか、体勢のせいでロクに見えず、痛みと苦しみで頭も回らない。


「~~~~~~ッッああああああああああ!!」


 回らない頭でアラタが起こした行動は、自身の服を引き裂くことだった。


「ゲホッゲホッ! はぁ……はぁ……」


 ズボン一枚の半裸姿になって、咳き込みながら、葉介と向かい合う。

 向かい合う男の、半身に構えた両手足には、スキらしいスキは一つも見当たらない。アラタを黙って見つめるその目は、アラタの上から下までまんべんなく見据えている。

 お面を外した素顔は、無表情。そんな無表情が、間違いなく語っていた。


(ヨースケのやつ……本気で俺のこと、ヤる気じゃねーか)


 今日まで、ヨースケとは何度も向かい合ってきた。いつだって、優しい目を向けて、俺のことを思いやってくれていた。初めて出会った時、勘違いして襲い掛かった時でさえそうだった。

 それが、今は違う。本気で俺のことをぶっ倒そうと……ぶっ殺そうとしている。



(エエ腹筋や……幼いながらイケメンだし……魔法も無しに……ゆるせん。ぶっ殺す)



 そんな視線と無表情が、アラタには、恐怖だった。



(そうそう……あの無表情が、やりあってるうちに怖くなってくるのよね)


 地面に座り込んで、黙って二人の戦いを見ているリリアは、アラタの心境を察していた。

 葉介とは誰よりも多く向き合い、戦った。だから、そんな葉介の強さと、向き合った時の恐ろしさはよく知っている。

 ただ、向かい合うだけで逃げ出したくなってくる。そんな、得体の知れない恐怖を。



(かわいい弟子相手にも容赦なしか……ヨースケらしいな)


 ある意味ではリリア以上に、葉介と戦ってきたレイも、同じことを思う。

 相手が女、子どもであれ、対峙する以上は全力で叩き伏せる。それも、魔法を使えない身で生き残るための窮策だったと分かるが、それを躊躇なくできることもまた強さだ。

 リリア、レイ、そして、最愛の師匠なはずのミラにさえそうしたことは、話に聞いて知っていた。



(ふ~ん……あれが、ヨースケの本気の構えってわけやな)


 同じように葉介と戦って、だがリリアやレイとは全く別の考えを巡らせるのは、ある意味で言えば、葉介と最も近しい感覚を持ち合わせている、メイラン。

 自分はもちろん、檻島での戦いで見せた構え――足は肩幅に開いてひざを軽く曲げ、上半身は、背筋を極力伸ばし、アゴが上がるほど顔を上へ向ける。弱点の一つであるアゴを上げる仕草や、敵とは言え相手を見下すような態度は疑問に感じもしたが、今思えばアレは、いつどこから飛んでくるかも知れない魔法や、デスニマに対応できるよう、目いっぱい視界を確保するための構えだった。

 それが今は、どの方向、どんな動きにも対応しやすい足運びの構えは同じだが、上半身は猫背気味の前傾姿勢で、顔はアゴを引き前方のみ見据えている。

 完全に、1対1の格闘戦を意識している、あれが正真正銘、ヨースケが得意とする戦いに臨むための、本気の構え。



「ヨースケ……アラタ――」


 そんな、他でもない大切な弟子たちが戦っている様を見せつけられているミラは、ただ、祈るしかない。


 なにを、祈るのか……

 どう、祈るのか……


 それさえ分からないまま、ただ、二人のことを、祈るしか――



「――――」


 破り裂かれ、ボロボロになった緑の服を投げ捨てながら、再びアラタへ迫る。アラタもまた拳を握り、応戦のために構えた。


「うおおお!!」


 目の前に迫ってきた瞬間、拳を突き出した。が、それさえアッサリ避けられて――


「うぅ――がっ、あぁっ、かっ、かっ……ッ」


 右手、左手、右手、左手、右手、左手――

 その場に立ち止まり、繰り出される両拳のラッシュ、ラッシュ、ラッシュ……

 今日までほとんど使ってこず、本人も苦手分野だと断言していたパンチ――


(けど……本当に、苦手みてーだな!)


 それらを喰らい、受け止めながらも、それを確信した。

 速さもある。キレもある。体重も乗っているようだが、威力に乏しい。何より、その威力も、蹴りと違って打つごとに弱っていくのが、アラタにも――アラタだから、分かる。

 生身の人間相手に怯ませるには十分だろうが、アラタには、耐えることができた。

 耐え抜いて、拳を引いてできた一瞬のスキを突き、さっきまで自分がされたのと同じ、葉介の胸倉を掴んで――


「慣れないことはお勧めしないよ」


「ごぉッ――」


 葉介の声が聞こえた瞬間、後頭部を押さえられ、顔を葉介の胸にぶつけられた。

 まず、胸筋にぶつかった鼻が、普通に痛かった。

 だがそれ以上に、後頭部と首の、境目部分というのか……


「~~~~~~~ッッ!!」


 左右から二か所、今まで味わったことのない、鼻以上の激痛が走っていた。両手足は自由の身なのに、痛みで何もできなくなるくらいに。


「うおぉぉおお~~~~~~……」


 頭を両手で押さえて鼻を押し潰し、後ろ首の上部二か所を親指の関節で押しつぶす。

 本来なら、健康促進が目的で施されるツボ押しによる刺激も、戦闘においては、決定的な痛みと代わり、スキを生む。

 そんなツボ責めも、魔法相手にゃあ意味が無ぇと、ミラにも教えてこなかった。

 そんな首へのツボ責めと、鼻への圧痛。

 ここに更に、顔全体への圧迫と窒息の効果も加われば理想の技として完成なのだが……


(やっぱ、俺のおっぱいでリムの技は無理か)


 当たり前である……


(リムが使ってるの見た時は、アレンジすりゃあ強くなると思ったけど、そもそも目の前まで来なきゃ仕掛けらんないし、窒息しないなら決め手にもならんし……これやめよ)



「痛ってええええええええええええ!!?」



 新しい技に見切りをつけた後は、さっさと技を解いて別の技を使う。

 もっとも、続けて使ったのはごく単純。そもそも、技とすら呼べない行為。


「服を脱いだら、そら捕まえづらくはなるし、柔道の技も大半は使えなくなるけれど、こんなふうに弱点も増えるってわけよ。そもそも俺、柔道だけじゃねーし」


 ただ、アラタのむき出しの上半身の、皮膚を両手につまみ、思いきりつねくる。


(痛いんだよなぁ、コレ……ガキのころ、女子とケンカとなると大体コレされて、泣かされたことが何度あったか)


「ちなみに、部位によっては、もっと痛いよ? ほっぺとか、耳とか、鼻とか、まぶたとか、唇とか、乳首とか……?」


 葉介が例を一つ挙げるたび、いつかのカリレスの時のように、周りで見て聞いている人間たちはその部位を押さえ、顔を青くしていた。


「こんのぉ――!!」


 もっとも、現に痛い思いをしているアラタには、説明を聞く余裕も無ければ周りの反応も見ていられない。

 激痛に耐えかね、拳を繰り出した――


「ぐぅうううう……!!」


 結果、更に痛い思いをすることになった。



「か、噛んだ……!!」



「がッ……!!」


 肉をつねくられ、顔を狙った拳は避けられて腕に噛みつかれ、あげく、股間を蹴り上げられて。アラタはアッサリ地面に倒れ込んだ。


「デスニマは噛むやろ」



「確かに、噛むわね」

「噛むね」

「噛みますね」

「噛む」

「噛むな」

「噛むわ」


 葉介のセリフに、納得している者もいる中……


「強い……」

「えげつねぇ……」


 誰かが、そんな言葉を漏らしていた。

 アラタという少年が未熟であることも事実ではある。だが、見習いながら、第5関隊としてデスニマの五日間を誰よりも戦い抜いていた。その強さを知る者は、魔法騎士の中にもいた。実際、下手な魔法騎士よりはるかに強い実力を有しているだろう。

 加えて、素の腕力や身体能力なら、若さもある分、葉介を上回っている。なのに勝てないのは、ひとえに葉介が持つ経験、知識、技量と言った、若いアラタには持ち合わせない物のためだ。



「ちなみに、服の上からは噛まないようにね。急に引っ張られたら前歯全部もってかれる。抜けた歯、失くしたりしたら、魔法でも戻んないよー」


 そうやって打ちのめされているアラタに、なおも教える葉介の声は、いつもの通り、平然としている。


「……え? 終わり? もし終わりなら、全然お話にならんのやけど?」


 平然と、嫌味もなければ憐れみもない。煽っているわけでも、貶しているわけでもない。ただ、淡々と事実を告げている。


「…………」


 そんな事実と、体の痛みという現実が、アラタの心さえ打ちのめす。

 強くなったと思っていた。ヨースケから習って、ミラとがんばってきた俺は、誰より強くなれる。なったんだって。デスニマの群れと戦って倒したことも、自信になっていた。


(どこがだよ……全然、弱えーじゃねーか……!)


 ヨースケの強さはよく知ってる。それでも、今の俺なら勝てるんじゃないか? そんなふうに思って戦ったのに。

 なのに、さっきから一方的に喰らってばっかりで、喰らった後の、逃げる時にしか、攻撃を喰らわすことさえできない。

 ヨースケの言った通り、話にならない。


(こんなもんかよ……これが、俺の限界かよ、ちくしょう――)



 勝てない……


 俺なんかじゃ、ヨースケには、勝てやしない……



「アラタ!!」



 心が折れて、勝てないと悟り、諦めた……

 そんなアラタの耳に、届く声があった。



「アラタ!!」



 誰もが無言になる静かな空間の中、普段静かなその声は、よく通って、映えて聞こえた。


「ミラ……!」


 ミラの声。自分の上司で、ヨースケの師匠で、俺の師匠でもある、そんな、少女の声が聞こえる。


「ミラ……!」


 痛みはとっくに引いている。それでも折れた心が、体から力を奪っていた。

 そんな体にどうしてか、力がまた、湧いてきた。


「ヨースケ……」


 立ち上がって、また向かい合う。口を拭った葉介は、変わらず黙っている。



「ぶっ倒す」


「やってみ」



「ダリッ!!」

「ダリッ」


 アラタの回し蹴りと、葉介の前蹴りが同時に繰り出す。

 回し蹴りが届くより前に、前蹴りはアラタの胸を押し出して、下がらせた。


(考えろ……ただ殴りかかったって、つかまるか返り討ちにされる。だったら――)


「……おお!」


 突然、アラタは背中を向けて、走り出した。

 逃げたか? 誰もがそう思った。が、すぐにUターンして、葉介に向かって走り出した。



「ハハ! なるほど……」


 いつかの決闘を思い出して、レイは声を上げていた。



「うおおおお!!」


 走り。殴りかかり。また走り。

 近づいて。蹴りかかって。離れて。


(ヒットアンドアウェイー……動きがいちいち大げさだしメチャクチャやけど、まあ、捕まらないようにするには、ベストかもしらんね)


 服を着ていればまだ捕まえやすいが、何も身につけていないのでは、つかみどころは限られる。直前にしたようにつまんだところですぐ逃げられるし、腕をわし掴むことも、葉介の握力と手の大きさでは難しい。


(ただ……この戦い方、問題もあるんよな。割と致命的な――)


「おおおおお!!」


 葉介よりも、体力はともかく持久力は低かった。それも、今日までの戦いで向上されて、今では、短い時間ならずっと走っていられる。

 そんな自負のもと、何度目か、葉介に向かって走り、殴りかかり――


「がぁ――ッ」


 腹部を、鋭い強烈な痛みが襲った。


「走れば急に止まれない……反撃にご注意」


 身をかがめつつ、ひじ鉄を腹にぶつけた――そんな葉介の、胸倉を、アラタはつかんだ。


「ありがとな……足、引っかけられて転ばされたら、俺の負けだった」


 鋭い痛みに耐えながら、つかんだ胸倉を上下に揺らす。


「こうやるんだよな……ヨースケが、得意にしてた、投げる技!」


 そう言いながら体を回転させて、葉介の懐に入り込んで――


(ああ、なんだ……ちゃんと、ミラから習って、覚えてたんな。それとも、たった今、俺の動き見て覚えた? だとすりゃ才能半端ねぇ――)


 葉介が感心した直後――

 葉介が最も得意とし、この世界でも活用してきた、『背負い投げ』を喰らった葉介の背中は、地面に叩きつけられた。


「うおお――!!」


 その痛みを感じるヒマもなく、首に腕を回される。

 とっさに受け身を取るのに精いっぱいで、なんの防御の体勢も取っていなかった葉介の首に、簡単に裸締め(チョークスリーパー)が極まった。



「よく、やったね、アラタ……強いじゃん――」

「どこがだよ……俺なんかより、ヨースケの方が、ずっと――」


 黒と、緑が、そんなやり取りをした直後には、黒は締め落とされて――




「…………」


 締め技からの回復は早い。意識が落ちてから、せいぜい一分も経っていない。

 そんな短い時間の間に、アラタは目の前に座って、ミラは前に立っていた。


「……合格、やね。ねー? ミラ」


 ミラは……答えない。ただ、泣きそうな無表情で、葉介を見ているだけだった。


「さぁーつてと……」


 最後の仕事は終わった。

 引き継ぎも済ませた。

 なら後は、去るのみ。



「リム! メルダ!」


 去るよりも前に……葉介は、別れの挨拶のために、声を上げた。


「二人に鍛えていただいたから、ずっと戦ってこられました。一番最初に、一番お世話になりました。ありがとうございました」


「ヨースケさん……」

「…………」



「ディック! ファイ! フェイ! ずっと言えませんでしたけど、短い間とは言え、俺と、ミラのこと、支えてくださって、ありがとうございます。皆さんの今後のご活躍、お祈り申し上げます」


「ヨースケ、さん……」

「謝意……」

「謝意……」



「リリア! あんまり、仲が良いとは言えなかったけど、出会えて良かったって今は思うよ。この先、色々苦労はあろうけど、どうか、お幸せに」


「なに言ってるのよ……バカ」



「メア、セルシィ! シャル、レイ! お幸せに」


「……え、終わり?」

「短い」


「割と他より深い付き合いだと思うが……」

「フフ……」



「ジンロン……女王様! なにも手伝えないし、なにもできなかったけど、どうか、良い国にして、良い国王になって下さいな」


「……ええ、もちろんです」



「サリア……アナタは強いです。どうかご自分に自信を持って、がんばってください」


「ヨースケさん――ありがとうございます!」



「アラタ……ミラのこと、よろしくね」

「…………」


 ひとしきり、世話になった者、関わりがあった者への言葉と感謝を述べて、半裸になったアラタには、さっき脱いだ、黒の上着を掛けてやって。



 とうとう、最後の一人と向き合った。


「ミラ」

「…………」


 目を伏せ、奥歯を噛みしめている。直立し、拳を震わせている。

 それだけで、見ている者たちには、ミラの気持ちが分かった。


「ミラ」

「…………」


「……!」


 次の瞬間、無言で立っていたミラの身を、葉介は、抱きしめた。


「ヨー、スケ……?」

「ごめん……ミラ、ごめん……」


 聞こえてきたのは、震える声での、謝罪の言葉。


「ごめん、ミラ、ごめん……」

「なんで……なんで、ヨースケが、あやまるの……?」

「ミラがいないと、俺、なんにもできなかった……ミラがいなきゃ、何にもなれなかった……仕事とか、居場所とか、仲間とか、生きがいも、全部、ミラからもらった……なのに俺、ミラに、一つも恩返しできてない……」

「ヨースケ……」

「なにもできなくてごめん……役立たずな部下でごめん……ダメな弟子で、本当に、ごめん……!」

「…………」


 諸々の感情が、それらの言葉に詰まっていた。感謝の言葉と、ごめんという一言一言に込められた気持ちが、ミラの心に、確かに伝わっていた。



「ヨースケ、は、わたしの、弟子……ヨースケ、は、わたしの、誇り……ヨースケが、わたしの、全部……」


 だからミラも、つたない言葉を搾りだして、ありったけの感情を込めて、弟子に送った。


「わたし、は……わたしも、ヨースケから、全部、もらった、から……全部、もらいすぎなくらい、もらった、から……だから……ヨースケは、ずっと、一緒、だから……ずっと、ずっと、一緒に、いてくれて、る、から……」


 上手く言葉にできなくて、おかしな話と言い回しになってしまったけれど……

 それでも、葉介には、届いていた。


「ありがとう、ミラ。本当に……」

「……ん」



 ――今日までたくさん、ありがとうございました。師匠……


 ――うん……



 最後にそう、言葉を交わして。互いの額を突き合わせて――



「……じゃあ、行くね」


 一言だけ告げて。返事を聞く前に立ち上がって。思わず伸ばしたミラの手に触れるより前に。

 すでに、オレンジ掛かっている海が見える、絶壁に向かって歩き出した。



「あ、そうだ……これだけは最後に言っておきたいんだけど――」


 絶壁まで歩き、魔法騎士らと向き合って。

 葉介は、最後の言葉を送った。


「みんながノリノリで使ってた、ダリダリって言葉――」



「ダリダリ――ダリィダリィ――ダルいダルい……え、いいの?」



「…………」「…………」「…………」「…………」

「…………」「…………」「…………」「…………」


 実家とは別の言葉が、マナを通して翻訳されていては、日本語の洒落や語呂合わせは通じない。

 それでも、意図は伝わったらしい。

 今それ言う?

 ほぼ全員の心の声が一致し、目が点になっているのを確認したところで――



「――【発火】ッ」



 背中から下へ飛びこみ、指を鳴らして、呪文を呟いた。

 すると、世界樹さえ燃やした、巨大な炎が海上に発生。その炎の中へ、葉介の全身が包まれた。


(ああ……あれ、やっとかなきゃ……)


 魔法による全身の痛み。炎による全身の熱。

 それらに包まれ、溶けていく感覚の中で。葉介は、右手に全力を込め――




「ヨースケ……」


 最後に送られた、何とも言えない話を受けて、誰もが何とも言えない感情を懐いた中。それでも、葉介が飛び込んだ炎の海と、沈んでいく、親指を立てた右手を見つめて。


「…………」「…………」「…………」

「…………」「…………」「…………」

「…………」「…………」「…………」


 彼との別れ。彼の生き様。彼の死に様。

 全てが一度に、魔法騎士たちの心に刻みつけられた。



「ありがとう……



 ――おとうさん」



 涙をこらえ、震える声で、呟いた。


 そんなミラの手を……アラタが、握りしめた。





『リムの技』を完成させうる漢を知ってる人は感想おねがいします。












次、最終話。

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