第13話 最終決戦
サイズは普通だが、それでも頑丈そうにできている、無骨な鉄のドアだったが、ドアノブを回して引くと、意外にもアッサリ開いてしまった。
グレーは立ち入り禁止の割に、ずっとそうだったのか。それとも、もう用無しになるからか……
ドアを開けて、中に入る。そんな動作一つの中にも、それだけの疑問が浮かび――
「Hay! ウワバミ!」
「ハーイ! ドクター!」
中に入ると、意外というか、らしいというべきか。白衣はアッサリ見つかった。
目が合うなり、お互い、特に敵対心も無ければ嫌味もない。いかにもこの二人らしい、フランクで気安い口調と態度で挨拶をした。
「Hmm……それが素顔カ? 興味はなかったガ、個性的でイイじゃないカ……そのお面は必要カ?」
「気に入ってる。それだけ」
顔は隠さず、左側頭部から斜め上を見上げている、髑髏のお面を撫でながら、葉介は次の言葉を語った。
「なにしてんの?」
「Ha-Ha! それを聞くのはNonsenseじゃないカ?」
「かもね……けどさ、多分もう、ココに残ってんの、俺ら二人だけみたいやで?」
「の、ようだネ……But、No problem! Meがそんなことも想定していないわけないだロ?」
「だよねー」
ハタから見れば、お互いが殺し、殺されようとしているとは思えない、気の良い友人同士の掛け合いにも聞こえる。
そんなやり取りをしつつ……葉介は、入ってきた部屋を見渡した。
地下に比べればはるかに狭い、せいぜい中学高校の一教室くらいの広さしかないその部屋は、一見片づいているように見えて、よく見れば、入口とその周辺に何もないだけ。
部屋の奥を見ればドクターが立っていて、葉介には分からない機械と、木箱に入れられた小瓶の山が置かれている。
そして、何よりも目立っているのが、そんな機械と、木箱が置かれた先に見える、巨大な水槽のような、ガラスの向こう。
「その、ガラスの向こうでうごめいてる、キモいのが……?」
「Yes……マナと魔力が反応して魔法と成り、だがその後マナに戻ることができずさまよう、空っぽの魔法。それに、Meが作りだした物質を合わせることで、デスニマの香、または召喚の香と成ル。この水槽は、その原料となる空魔法を集めた場所というわけサ」
ガラスの向こうでうごめている、霧のような、靄のような……両者の違いを説明しろと言われれば、葉介的には困ってしまうが、そんな感じの物体。
量も大きさもまるで違うが、チラ見した程度のデスニマの香、召喚の香の小瓶の中身と、なるほどよく似ている。
「……王国にばらまいたお香は、この部屋で作ってたってこと?」
「Uh-huh……さすがに分かるカ?」
「昨日、地下に行った時からおかしいとは思ってたんだよ。グレーが使ってる武器は作られてる様子なのに、お香が作られてる様子が全然ないんだもの。てっきり、もっと地下に専用の部屋があるのかなーとか思ってたけど」
「Ah-hah……そのことに気づいて、ここまでたどり着くとは、本当にYouはCleaverダ」
「サンクス……」
アラタとリンユウのおかげなんだよなー……
そう思いつつ、上着のポッケから靴下を取り出す。それを、ドクターへ投げ飛ばし――
土が、部屋の中心に散らばった。
「ま、そら対策くらいしてるか」
「Uh-huh……随分と原始的な武器を使うナ。まあ確かに、この見えない『魔封の壁』は魔法を通さなイ。加えて、魔封着とは違って、物理的な攻撃も通さないようになっていル」
「そうなると、身体強化で蹴り壊すってのも無理かな?」
「HaHaHaHa! それは無理ダ。タダの壁や【結界】とは違う、Shockは全て無効にすル。KickもPunchもいくら続けようと、ヒビも入らない」
「その機能を魔封着にも付けてあげたら、俺がウワバミになることもなかったのに……」
「Refuse……魔法の付与を、固形の金属や壁、材木等ならVery easy。固くて重い絨毯も、比較的Easy。But、軽く柔らかく、不定形な衣類に付与することは、Very hard。そこに更に衝撃無効まで、付与してられないサ」
「え……でも、魔法の袋は? あれも軽いし小さいし、割と不定形じゃないの?」
「魔法の袋は、内側に直接魔法を発動させたものダ。袋そのものに魔法を付与しているわけじゃないのサ」
「魔法の道具作るのって、大変なんだ……てか、魔法でできることとできんことの差が、いよいよ分からんな」
「それを調べるためにMeがいタ……そんなどうでも良いことよりも、もっと会話をEnjoyしようじゃないカ」
「いいね」
お互い、中心にある壁のせいで干渉できそうにない。もっとも、お互いに怪しい動きをしている様子もない。
外では今ごろ、女王たちが落下するこの島を【浮遊】させ、必死に【移動】させているだろうが……
こんな状況では葉介的にも、できることは会話くらいだ。
「それで、そのガラスの向こうにあるのが、空魔法なのは分かったけど……デスニマの香やら、召喚の香に変えるのは、その機械で操作する感じ?」
「Yes……このMachineの、コッチのスイッチが『デスニマ』、コッチが『召喚』ダ。この部屋の下階層には、それぞれ両者に変えるための物質が溜まっている。このスイッチで、変えたい方の通路へのドアがOpenされル。空魔法は空気より重く、下へどんどん沈んでいくからネ。その性質を利用し、物質の方へ沈んでいって、やがてどちらかの香に変わル。それを、下へ降りて、小瓶に詰めて、Youのよく知る香に変わるというわけサ」
「……よくできてるねー」
理解するのに、少々時間を要したものの、それでもあの機械と、空魔法がお香に変わる仕組みは分かった。
「つーことは、この部屋の下の階の部屋に、お香に変えるための物質? を作ってたってわけ? そっちに見える階段を下りて」
「Yes……やはり、Your quick understand。実にTalkしやすい」
「サンクス……それで、今やそのガラスの向こうにある空魔法、全部が召喚の香ってわけかい?」
視線をドクターから、その後ろにあるガラスの向こうへ向けると……
ドクターは、不敵に笑った。
「Uh-huh……それが分かっているということは、Your understand?」
「なにが?」
「Meが異世界へ行く、その方法サ」
「異世界へ行く、じゃなくて、異世界が来る、でしょ? まあ、もっと言えば、異世界を呼ぶ、か?」
「Ah-haaaaAAAAH!!」
なにがそんなに嬉しいのやら……
「で、ファントム呼ぶ時には、そこにある小瓶を地面に叩きつけて中身のお香を叩きつけるわけだけど、異世界を呼ぶために、この島自体が、地面に叩きつける瓶てわけかい? まあ、本来は、単純にお香を外に放出する程度だったんだろうが」
「Ahh-haaaaAAAAAAAAHHHHHHH!!」
「分かったから、それ……」
葉介にはさっぱり分からない。が、どうやら自分の考えを的中されることが、ドクターにはメチャメチャ嬉しいらしい。
「……で、さっきまでこの国にいた、グレーの皆さんや、王国の皆さんを、異世界召喚のためのエサにするつもりだったと」
「…………」
「あー、でも、逃げることは想定してるっつってたか……もしやして、俺がぶっ壊した動力室で吸収した魔力って、この島のどこかに蓄えてたりする? 動力室の人間全員死んだ時の非常用だったり、今日みたいに侵略されても異世界召喚は確実に発動できるように」
「Fantastic! Your very-very nice guy!!」
「……サンクス」
字面にすれば、彼のしたこと、しようとしていることはそこまで悪いことには聞こえない。加えて、葉介が彼の狙いを言い当てる度、興奮して声を上げている姿は、ごく普通の興奮した男性でしかない。
それだけに……さも当然のように、一応は国民でもある兵隊たちをも犠牲にしようとしたこと。それ以前に、余裕で五桁は届くであろうこの世界の人間たちを、生かさず殺さずの状態にしていたという事実が、より不気味で生々しく感じられた。
「てかさー、話は変わるけどさー、動力室の人たちさー、なにも生きたまま入れとくことなかったろうよ」
無理やり話題を、異世界召喚から、動力室に切り替えてみた。
「殺してデスニマにしてしまっても魔力は無くなりゃせんし、お香もデスニマの香もたくさんあることだしさー」
それはそれで、大して変わらない気もするが……
あの部屋の光景と、あの部屋から聞こえてきた苦しげな声を思い出し……
再び気分を悪くしながら、平静を装い尋ねてみた。
「Hmm……けどそれでは、キチンと魔力が吸収できるか分からないじゃないカ」
そしてドクターはと言えば、直前までの興奮と雰囲気を崩さないまま、平然と答えた。
「Youも分かっているだろうけれド、人間とデスニマでは、魔法の発動とその仕組みも全く違う。魔力に関しても、生きた人間の状態とは違ってスムーズに吸収できなくなる恐れもある。だから、生きた状態で魔力のみを吸い続けた方が確実ダ。そうだろウ?」
「いや、そうだろう、と言われても……」
半ば予想はしていた答えに、また困惑させられる。
効率。利益。結果。そういうものを最優先に追求した結果、それに伴う人々の苦労、苦しみ、安全さえ二の次、どころか考慮無し。ブラックな職場を作りだす人間の典型例。
ドクターの場合は、そんな本質に加えて、純粋な研究欲というか、職業病というか、そういうハッキリした欲と、異世界へ行きたいというハッキリした目的があるから、余計に入り込む余地がない。周囲の人間に対する配慮というものは……
「Hmmm……やはり、ウワバミとのTalkはVery nice」
「……そう?」
「Yes! Meの話が分かり、自分なりの意見も出してくる。Meの話を否定しかしないバカどもや、分からないくせにバカの一つ覚えに肯定しかしない下っ端どもよりはるかに有意義ダ!」
「…………」
「更に素晴らしいのは、Youは特別、常人以上の才能は感じないということ……Youのいた世界ではそれほどの教養がNormaly cultureということだろウ?」
「失礼やな……まあ、そらみんな思いつくだろうけれど。俺の世界の紳士諸公なら」
いきなり葉介を褒めだしたかと思ったら、今度は葉介のいた世界に興味を向けて、そして、また何やら思いを馳せはじめた。
「Very-very fan! Meが長年の研究で発見した答えを簡単に閃く人間が大勢いる世界カ! Amazing! そんな世界に行けば、Meの知らないことはいくつもあル! そんな人間たちとのTalkは実に面白そうダ!」
「……それが目的かい?」
葉介に対して、異世界へ行く理由は、『分からない』と答えていた。それが今、ドクターの言葉を聞いて、ドクター自身も分からずにいた理由がハッキリと理解できた。
「要するに――お友達が欲しかったんやね?」
「……What’s?」
聞いてみると……直前まで満面の笑みだった表情が、瞬時に疑問と、驚きに変わった。
「誰にも理解されない自分の話を、理解してくれる人に出会いたい。だからこの世界捨てて、別の世界に行こうって、そう思ったんやろう?」
「……なぜそうなル?」
表情は変わらない。否定も肯定もしない。ただ聞き返してきた。
「自分でそう言ったんじゃん。今……」
だから葉介は、ただ答えを返した。
「ガキのころから、天才だった自分の話を聞いてくれる人間はいなかった。自分と同じドクターたちは、理解しようともしないくせに否定してくる。下っ端のグレーたちは、理解できる頭もないくせに怖いから肯定しかしない……人間の会話ができてる気がしない。この先、自分とマトモに会話ができる人間は現れそうにない。だから、ココとは違う、別の世界の人間に会いに行きたい……そんなところかな?」
「…………」
相変わらず、表情に変化はないものの……
話すごとに、目は少しずつ見開かれ。口元はヒクヒクと震え。鼻の穴まで開閉し。
葉介にさえ分かるくらいの変化が、今の話が、事実だということを示している。
(ぶっちゃけ、ここまでの行いがエグすぎて、俺だって理解できる気がしなかったけど……気づいてみたら、俺よりよっぽど人間らしいわ、この人)
この世界で、おそらく最も優れた知性と才能を持って生まれた天才。
だがその本質は、自身の考えを理解されないことに怒り、話が通じないことに怯え、孤独になるしかない身の上を呪っている。
その孤独から逃げるため、もしくは否定するために、話の通じない人間どもを切り捨てて、利用して、目標へひた走ることを選んだ、哀れな駄々っ子。
そして、その目標とは至ってSimple……
理解できないからと否定しない、理解できないくせに闇雲に肯定もしない――
マトモな実りある意見を交わし、会話することができる、そんな、対等な人間に出会うこと。
「…………」
そして、その天才の今の感情は、葉介にも理解できてしまえる。
そんなわけがない。Meの望みなわけがない。
そう否定したいのに……天才の頭脳は理解する。葉介の言葉は正しいと。
「……ウワバミ」
しばらく固まり、無言になった後で、ようやく開いた口からの言葉は――
「Your……Very-very cleaver。But……Very-very eyesore!!」
(言い返せない代わりに大声。本当、俺なんかより、よっぽど人間らしいじゃん)
こんな出会いでなければ、仲良くなることもできたかも知れない。
ミラじゃなくて、彼の理解者になる可能性もあったかもしれない。
「リーシャ――」
そして、今やその可能性は――
「Wha……痛ッ!」
ガラスの割れる音が響いた。同時に、ドクターは自身の頬を押さえた。
「おうおう……魔法も物理も通さないのは、目の前のこの壁だけかいな」
葉介が言っている間に、ドクターの側の窓を割り、ドクターの頬を傷つけて、また窓を通って、葉介の側の窓を突き破って戻ってきた、リーシャを手に取った。
「You……!」
手元に戻った嫁さんの、裸体に滴る血を舐め取る様は……
「死神……」
今まで、研究は発明以外に興味を注ぐことのなかった、ドクターの目から見ても、恐ろしく、おぞましく……美しかった。
「人の嫁さんの裸体、ジロジロ見てんじゃないよ。エッチ……」
と、嫁に着いた血を綺麗に舐め取りつつ――葉介は、嫁の裸体をガン見していた。
刃も鎺も、リーシャが人間だった時の肌の色。
刃渡り二尺三寸。刃紋は互の目、大湾。
先反り、六分二厘。鎬造。中切っ先。
彫り無し。銘無し。もちろん、刃毀れ無し。
まあ、要するに……
(全っ然分からん……)
一時期ハマっていた刀鍛冶親子の動画で覚えた、言葉と形だけのにわか知識で言えることなど、こんなものである。
そして、そんなこと以上に、明確に分かること……
かろうじて刃に欠けや毀れは見られないが、それ以外、峰の側の元から切っ先にかけて、血のように真っ赤な亀裂が走り、中には穴と呼べるほどにえぐれた箇所もある。
それだけボロボロの様は、リーシャの力無しに魔法を使った葉介の身体の状態と同じ。刃は無事で切れ味は健在と言っても、少なくともこれを見て、名刀だ業物だと言う人間はいやしないだろう。
(リーシャの身体、エッロ……)
もっとも、そんな裸体をガン見している葉介が気にしているのは、刀としての良し悪しじゃない。
傷だらけであれボロボロであれ、この世界にたった一人の嫁さんが、俺の手の中で、痛々しくも美しく、艶めかしい全裸姿になっているという事実。
(……ヤりてー)
「……じゅるり?」
と、ドクターの声が聞こえて、慌ててよだれを拭い、鼻の下も縮めた。
(変態だわ俺……)
「Sword……That’s a ファントム? どこに隠していタ!?」
「へぇ、一目で分かるとは、さすがやね……小っちゃい魔法の革袋に詰めて、喉と食道加工して飲み込んどいた。ドクターもやってみる?」
大きく口を開けつつ、質問に答えてやると……ドクターは、心から楽しそうに笑った。
「Ha……HaHaHa! Amazing! Exiting! You are really Fantastic! Meにはとてもできない発想をいくつも持っていル! 本当に、YouとのContactは面白イ!!」
「ありがと……異世界に行くのやめてくれたら、俺でよければいつでも話し相手になるけど? 俺より面白いかもしんない人たちも、大勢紹介しよう?」
「Hmmm……Attractive――」
顔にケガを負いはした。窓ガラスにも穴が空いた。が、そのどれも意に介さず、顔は【治癒】して、ガラスは【修復】して。諸々を済ませてしまった後は、数秒間、本気で悩む素振りを見せて……
「No……それは、できないナ。Youを失うことは、今となってはVery regrettable。But、やはりMeは、Youと同じがそれ以上の知性を持つ人間に会いたイ。その可能性が高いのは、異世界へ行くことダ」
「そっか……俺じゃあ、ドクターの友達になれんか……ゴメンね、おバカさんで」
「Hmmm……あと二年、Non……一年早く出会っていれば、ウワバミ、Youの説得を受け入れていたかもしれないナ」
悲しげに、お面で顔を隠す葉介に語りかけながら……
ドクターは、手元の装置のスイッチを――
「リーシャ」
ドクターが手を動かすよりも速く――
一人でに動くリーシャの切っ先は、葉介のいる部屋に隠された、兵器全てを切り裂き、破壊した。
「もうリーシャ一人で良いんじゃないかな?」
《――――》
「俺と一緒じゃなきゃヤだ? それは嬉しい……ありがとう、奥さん」
自分を守ってくれた、最愛の妻に対して、葉介は優しく、服を着せてやった。
「まあ、歳とか顔とかも、重要な要素には違いないし、俺自身、それを否定できるほど聖人じゃねーけど……結局のところ、なにが大事かって、好きだと思った相手にとって、自分がどんな存在でいられるか。相手はそれを求めてくれるか。そこに尽きると思うよ」
「Wow……こんなもので死ぬとは思っていなかったけれど、それでも、Meは止められない」
と、葉介を殺す手段を破壊され、いつかのリーシャからの質問に対する答えを余裕な調子で返している葉介を前にしながら、それでもドクターもまた、余裕を崩さない。
「そのSwordが、単なる金属ではなく、ファントムだということは分かっタ。なら、Meのこの白衣、幹部たちが着ているものと同じ機能に加えて、この壁と同じ、衝撃無効も付与してあル。魔法でも、刀でも、力づくでも、Meを殺すことはできなイ」
余裕な表情のまま、白衣の内側に畳まれていたらしい、フードを被り、頭と顔を隠してしまった。
「……ダサ」
「Shut up! 自分でもDesignは失敗したと思っていル……緊急時にしか使わないのだからNo problem」
割と張り詰めた雰囲気が流れたと思ったら、また元の様子に戻る。
ハタから見れば、もはや気の合う友人同士に違いないのに……
「……Oh year。たった今、召喚の香も必要量に達しタ」
「まだ準備の段階だったの!?」
ドクターの思想と願いはもはや、友人一人の存在程度で、止められるものではなくなっていて……
「Youがこの島を沈めてくれたからネ。必要量に少し足りなかったから、急遽作りだしたのサ」
「道理で。妙に会話を引き延ばすと思ったら……」
「Your same me。Youも会話を引きのばして、そのSwordでMeを殺すつもりだったんだろウ? あとは、このスイッチを押すだけダ。どうする? その刀でMeを殺すカ?」
「……なんか、止めてほしそうに聞こえるけれど?」
「Yes、実はワクワクしていル……あとは、スイッチを押すだけ。長年使ってきたMachine、わざわざ目で見て確認する必要もなイ。Youを警戒し、見つめたまま、何なら、目を潰されようとも操作できル」
「…………」
「そして、Meは決してYouから目を離さない。Of course、そのSwordからも……少しでも怪しい動きをすれば、Meはこのスイッチを押す。再びそのSwordがこの部屋に到達するより早く、【召喚】は発動されるだろうネ」
「…………」
「目の前には、魔封壁。Swordは未だ、鞘に納まれYouの手元。この状況で……Youは、Meを止める手段があるかナ?」
「…………」
「MeのFriendを自称したいなら――Stop me」
「…………」
葉介は、刀から手を離した。リーシャは、その場に浮いたものの……特に大きく移動するでもなく、葉介の後ろへ下がっていく。レンジョウの視界から、消えることはない。
「…………」
お面越しでは、葉介の表情は分からない。声も言葉もなく、ただ、両手をポッケに納めつつ、髑髏の顔をうつむかせ。
そんな黒色の様子を見て……ドクターが感じたのは、落胆だった。
今さらやめる気などサラサラない。それでも、期待していた。
この男なら――Cleaver且つExcitingなウワバミなら、こんな状況でも、Meの想像を超えてくるんじゃないカ……
もはや生きる意義も価値もないと思っていた、この世界に生まれてきてよかったと、少しでも思わせてくれるんじゃないカ……
ウワバミならば本当に、Meにとって、Friendになってくれるんじゃないカ……
(さしものウワバミも限界カ……まあ、こんな物だろウ――)
期待をしすぎてしまったらしい。それが、分かってしまった。
だから……スイッチを押すことにした。
もちろん、決してウワバミから、そして、Swordからも、目を離すことなく。
ウワバミではない、MeのTrue Friendになりえる人間に出会うために――
「……ッッ!?」
思わず耳を押さえ、その場に伏せた。
「……What’s?」
あまりに突然の出来事だった。一瞬のことで、何が起こったのか分からなかった。
耳を、いじってみた。特に異常はない。周囲を、ウワバミたちを見てみた。相変わらず、Swordは浮いているだけ、ウワバミはうつむいているだけ。
それでも……確信があった。
「ウワバミ……What’s did you do?」
魔封壁を超えて。魔封着を超えて。刀も使わず。その場から動かず。
それを、この男はやった。
「なにをした……この状況で、YouはMeに、なにをした!?」
興奮が止まない。ワクワクが止まらない。
この男はやはり、Meの想像を超えてきたのだから。
「…………」
髑髏のお面と、レンジョウの目が合った時――
「――ぐああああああああッッッッ!?」
再びレンジョウは、両耳を塞ぎながら、床に倒れ伏した。
「…………」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
あれは、デスニマの森の任務を終えた翌日。第4関隊の仕事を通して、初めてこの世界の文字に触れた後のこと。
魔法が使えないから、当然【筆記】もできない。手を使って字を書くしかない。
それが判明したことで、この世界の文字を書く練習を行った。
最初こそ、慣れない文字を覚えるだけでも大変で、書くのはもっと大変だった。それでも毎日続けていくうち、文法がほぼほぼ母国語と変わらないこともあって、段々と使いこなせるようにはなっていった。
「……そう言えば、最後の相手のエリエルを倒した時、お前、なにをした?」
字の練習の次に思い出したのは、最後にシャルと交わした会話。
「……ん? ああ、あれは――」
「【念話】だよ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
(ぶっ飛んダリ 吹き飛んダリ 弄んダリ 遊んダリ 力んダリ 息んダリ 縮んダリ
凄んダリ 孕んダリ 弾んダリ 食んダリ 噛んダリ かがんダリ しゃがんダリ
えーっと……
痛んダリ 傷んダリ 悼んダリ 富んダリ 跳んダリ 飛んダリ 跳ねたり
あ……)
世の中には、色んなダリがあるもんだ……
練習のためにと適当に書き出した当時は、そんなことをしみじみ感じていた。
(詰んダリ 積んダリ 包んダリ つかんダリ 摘まんダリ
進んダリ 涼んダリ 荒んダリ かさんダリ かがんダリ
しがんダリ せがんダリ セカンダリ せなんダリ
えーっと……
編んダリ 去んダリ 膿んダリ 笑んダリ 込んダリ
挑んダリ 揉んダリ 踏んダリ 蹴ったり
あ……)
そして、今。それら書き出した文字を頭に浮かべ、心の声に出していく。
すると、一言ごとに魔封壁の向こうにいるドクターは、頭を……否、耳を塞いで、床でもがき苦しんでいる。
(選んダリ 軋んダリ 並んダリ 睨んダリ 凹んダリ 妬んダリ 嫉んダリ
組んダリ 仕組んダリ 苦しんダリ 微笑んダリ 尊んダリ
産んダリ 生んダリ 止んダリ 病んダリ やっかんダリ
えーっと……
飛び込んダリ 踏み込んダリ 詰め込んダリ はめ込んダリ
攻め込んダリ 投げ込んダリ しけ込んダリ 蹴り込んダリ
突っ込んダリ 引っ込んダリ かっ込んダリ ぶっ込んダリ
はぁ……)
(これは――まさか、念話……!?)
そして、床に倒れもがく天才は、耳を押さえても響き轟く爆音の正体に、頭を押さえながらもたどり着いた。
(確かに、念話は魔封着を着ていようと通じル! 攻撃でなく連絡手段だし、そもそも服に護られたBodyでなく、相手のBrainへ直接作用する唯一の魔法――)
直接声を出すことなく、言うなればテレパシーで会話を行う魔法、【念話】。
使用の際、魔力を込めれば込めるほど、遠くの相手とも会話できる。理屈としては、魔力を多く込めた分だけ、発する声もまた大きくなり、遠くにいる相手にも声を届けることができる。逆に言えば、目の前にいるのに過剰に魔力を込めれば、それは耳には聞こえない騒音に変わる。
それを、魔力の加減が効かない葉介が行ったら、それはもはや、音の鳴らない、爆音どころじゃない音の兵器と化す。
(But、Meは誰とも、魔力の交換は行っていない――違ウ! そうカ!)
耐えがたい爆音の中、それでも思考ができてしまう天才の頭脳は、全てをつなぎ、答えを導き出す。
(あの、Meを殺すために窓を割ったSword……アレは、Meを殺すため、だけじゃない。仮に失敗したとしても、Meの血を取り、舐め取れば、ファントムであるウワバミはMeの魔力を取り込めル! Meを確実に止めるために、Meの血を取ったのカ!?)
(上がり込んダリ 運び込んダリ 忍び込んダリ 負けが込んダリ 車が混んダリ
混んダリ 来なんダリ 憐れんダリ せなんダリ 取らなんダリ
恨んダリ 憎んダリ 滅んダリ 死んダリ
住んダリ 棲んダリ 済んダリ 澄んダリ
へっくしッ――)
ドクターが頭を押さえたまま、倒れ伏して動けなくなったのを見て。
葉介は、みたび傷が広がる手元にリーシャを戻した。
鞘を抜がして、床を切り開いて、その中に飛び込んだ。
魔封壁のない下の階。お香の素が入っているんだろうデカイタンクや、できたお香をビンに詰める生産ラインの前を歩いて、奥の階段から上の階へ。
心の中で、声をダリダリ繰り返しながら……
(ラジバンダリ
サルバトーレ・ダリ
宇宙細菌ダリー
軍荼利
ダリダリダリダリ
ダリダリダリダリ
ダリダリダリダリ
ダーリンダーリン)
最後は手抜きになっちまった……
そんな下らない後悔を感じつつ、倒れているドクターに寄り添った。
「……Your amazing……まさか、念話を武器にするとはネ……」
「言っとくけど、音響兵器なんて、俺の世界じゃ半世紀前には発明されてるからね」
「HaHaHa……他にも、Meが知らない、武器や道具や、常識が、異世界にはあったんだろうネ……行きたかったナ。Your home world――」
その言葉を最後に……
そうとう、脳への負荷が掛かったらしいドクターは、目を閉じて、動かなくなった。
(オウカク……エリに使った手がドクターにも通用して、よかったよかった)
血を吸って魔力を取り込めば、手に入れた魔力の持ち主と念話が通じる。
それに気づいたのは、五日前の夜、レイら真騎士団と別れた時。
あの時、葉介は初めて念話を交わした。昨日今日も会話した、エリの声だった。
だが、実際にエリが念話を送ったのは葉介でなく、メイランだったと、並んで歩いている二人の様子を見ていて分かった。
それでしばらく考えて……自分の中に、メイランと同じ魔力があるせいだと気づいた。
理由は一つ。魔力欲しさに、メイランの血を吸ったせい。
そして、あの時はそんなことは全く分からなかったものの、偶然にもエリエルの鼻血も摂取していた。後は、四日間の間に女王から、【念話】の使い方を習えばいい。
(にしてもこれ……いたずら念話とか問題起きんのやろうか?)
そして、そんな念話をダリダリ送ったことで、護りたいものを護ることができた。
一度目は、国を賭けての勝負で、エリを。
二度目は、世界の命運が懸かった場で、ドクター・レンジョウを。
(ダリは世界を救う、か――)
そんなわけない……
ないと、葉介自身も分かっているが。
それでも今は、感謝する。
全てのダリに。
全世界のダーリンに。
宇宙細菌ダリーに。
明王、軍荼利に。
誰だか知らんが、サルバトーレ・ダリに。
そして他でもない……
世界さえ護る力をくれた、神。
ダブルダッチに。
「うぉわぁっとと……さぁーつてと――」
八百万のダリへの感謝の後、島が大きく揺れる中。
気絶したドクターを魔法の麻袋へ丁重に詰める。
昨日の時点で殺すと決めていた。動力室を覗いたことで、絶対に赦してはおけないと思った。
が、ここで会話し、動機も知って、考えが変わった。
所詮、平成生まれの単純でミーハーな本質の葉介にとって、しゃべりもしなければ顔も声もロクに覚えていない不特定多数の被害者より、キチンと言葉を交わし気心が知れた犯人の方が、大事に思えてしまうのである。
「ドクターを止めたはいいけど……この大量の召喚の香、どうしよ?」
ドクターを詰めた後は、お香の詰まったガラスと向き合っていた。
「今は、このガラスに閉じ込められてる状態だけど……放っておくのはマズイわな」
今、シンリーとメア、そして他の魔法騎士たちによって、この空飛ぶ島国はゆっくりと地上に降ろされているだろう。そして、その間どんなアクシデントが発生して、このガラスが割れるかどうか分からない。
もし今、このガラスが割れたりしたら、その瞬間、中のお香は漏れだして、召喚を実行するための、ミニどころじゃない、ビッグサイズのブラックホールが発生するはず。
そうなったら、周りでこの国を支えてくれている人たちも、逃げられる保証はない。
目の前の葉介はもちろん、彼ら彼女らを吸い込んで、加えて、この島に蓄えてあるという魔力も取り込んで、【召喚】を発動させるだろう。
結果、周囲の人間は犠牲になり、加えて異世界の召喚も成されて、この世界は終わる。
「そうならないよう……ここで何とかするしかない、よなぁ」
仮に、無事地上まで降りられたとしても、それで安全とは言い切れない。むしろ、地上の方が危険は多いと言っていい。周りに人はいるものの、空の上で処理する方が安全性は高いに違いない。
「んん~~~でもな~~~~……マジに、どうしたら……」
ここでドクターを叩き起こしたところで、多分なにも教えてはくれない。
王様なら何とかできるかもしれないが、例によって、記憶以外は残っていない。
今この瞬間、この場にいる、葉介が方法を見つけるしか――
「……んぇ?」
と、頭を抱えている葉介の頭を、小突く衝撃があった。
「あー……うん、ごめん。一人じゃないよね、俺。リーシャもいるものね」
左手を離れて、目の前に浮かんで存在を主張する聖剣の姿に、少しの瞬間癒される。なにも思いつかず、できることが分からない。それで悩み苦しむ葉介にとって、リーシャの存在は――
「……あれ?」
しばし、リーシャと見つめ合った後――
ガラスの向こうを見て、リーシャを見て……
交互に見て。
「リーシャ」
再び、愛妻の名を呼んだ時……
「うん……そっか……ありがとう。本当に――リーシャに出会えて、幸せだった」
死神にしか聞こえない、聖剣の声。
葉介も、それに愛情と、慈しみを込めて返し、お互いの額を合わせ、目を閉じた――
「……じゃ、行こっか」
お互いの命と熱を、確かに感じた。
覚悟を決めて、決意を固めた。
後は、互いの最愛を信じて、実行に移すだけ。
「リーシャ――愛してる」
鞘を握りしめ、柄に手を添え――一気に、引き脱いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「皆さん!! もう少しです!!」
シンリー女王の肉声が空中で響く。
シンリーとメアの女王姉妹に加えて、今ではリムやメルダら、複数人の魔法騎士、および国のために立ち上がってくれた国民たちが、巨大な島を【浮遊】で支えている。
それを、第3を中心とした【移動】を得意とする者たちが、国へ落ちないよう海の方へと誘導していく。
それを数十分間、慎重かつ迅速に、女王およびレイら関長たちの号令のもと行った結果。
はるか上空とは言え、王国の真上に位置していた島を、王国内でも何も無い海岸線を超えることに成功していた。
「よし――【移動】を解いて!! 全員で【浮遊】を掛けて、ゆっくり降ろしてください!」
海岸線を超え、陸からの距離も十分に開いた。それを確信したタイミングで新たに指示を飛ばす。
終始続いている力の限りの絶叫は、島を全力で支えるために【拡声】さえ使っていない。それでも、そんな魔法に頼るまでもなく、この場の全員が女王と同じ気持ちでいる。
数々の過ちはあった。過ちの末、争いも起きた。それでも今日まで生きてきて、これからも生きていく故郷の国を、自分たちの手で守り抜く――
そんな同じ気持ちのもと、全員の魔法は、国一つ分の巨大な岩の塊をも支え――
「――よろしい! 魔法を解いて!!」
やがて、トレントラは、陸から数百メートル離れた海に、ゆっくりと降ろされた。
「メルダさん!!」
どれだけ速度を落としても、超巨大な岩の塊が海に落ちれば、津波は当然発生する。その津波に向けて、女王が、そしてメルダが杖を向けた。
「――【氷結至】・冷界ッ!!」
「――【氷結】ッ!!」
杖から放たれた魔法の冷気は、この世を冷たい世界へ変える。
冷たい世界で発生した津波もまた、巨大なうねりを形にしたまま静止した。
「……やった」
誰かが、呟いた。
「やった……助かった!」
「やったんだ! 俺たちの国を守れたんだ!」
「国を護った!! トレントラに勝ったー!!」
魔法騎士、一般市民、北端族、犯罪者――
誰と言わず、何者と言わず、この島国で生まれ育ち、この島国のために戦った者たち。
誰もが声を上げ、拳を突き上げ、箒や絨毯を飛ばしていた。
大勢の歓声はそのまま勝ち鬨に変わり、図らずも起こったトレントラとの戦争も、目前に迫っていた国の危機にも、勝利した証しだった。
「ヨースケ……!」
だが、大勢が歓喜している中でも、それができない人間もまた、いる。
「エリィ……いいえ、ミラ、ダメですよ。まだデスニマの香が完全には晴れていない」
「そうだよ……行っちゃダメ、だからね」
そんなミラを目ざとく見つけた、シンリーとメアの女王姉妹は、ミラが無茶を考えないよう、箒の上から押さえていた。
別の場所では、アラタにサリア、リンユウが、シャルやレイらに止められていた。
「……お願い、帰ってきて――」
小さな願いの呟きは、多数の歓喜の絶叫に簡単にかき消される。
その呟きに込められた願いさえかき消すように、巨大な岩の塊は、ゆっくりと、傾き、海へ沈んでいく。岩の入り口である広場と、そこを覆うデスニマの香がここからイヤに鮮明に見えていた。
「ヨースケ……ヨースケ――」
出てくる気配は、感じない。生きているかさえ、分からない。
それでもミラには、願うことしかできず……
「ヨースケ!!」
そんな願いが感極まって、ついに大声に出した時――
そのガラスを割る音は、小さくも確かに、ミラの耳に届いた。
ミラを含む、複数人がその音に振り返ると……
デスニマの香の中から、何かが飛び出すのが見えた。
黒い服を着て、顔はお面で隠していた。手に紫色の何かを握っていて、握っているソレに引っ張られている。
魔法の箒とは違う。あれは、この世界には存在しない、刀剣だ。
そんな特徴的な姿を持った人間を、この場に集まった者たちは、一人しか知らない。
「ヨースケ!!」
ミラが今度こそ、歓喜の絶叫を上げたその目の前で――
リーシャに引っ張られる葉介は、脱出した窓の高さそのままの、彼女らのはるか上空を、王国へ向かって飛んでいった。
ミラが真っ先に反応し、箒を操作し追いかけて、アラタら他の魔法騎士らも続き――
「……ッ、ッッッ――」
陸地まで到着した葉介は、上手く着地をすることもせず、地面を転がる。
「ッ……リーシャ……」
地面を転がりながらも、握り抱きしめ、離さなかった刀に声を掛けた。
「……あり、が、とう……リーシャ……ありがとう――」
声も言葉も詰まらせながらも、繰り返し送られた葉介の言葉を受けて――
紫色に光る聖剣は、やがて全身から光を溢れさせ、ゆっくりと、消えていった。
「リーシャ……」
「ヨースケ!!」
「来んな!!」
リーシャが消えて十秒もしないうち、ミラも陸に着地していた。
「近づくんじゃない……!」
走ってきていたミラに向かって、葉介は、うずくまった体を両手に押さえながら、苦しげに、だが必死な声を、お面の下から上げていた。
「そこに、いなさい……全員、来てくれるまでは、押さえ――」
「なに、言ってんの……ヨースケッ!?」
そこで初めて、十メートルほど離れてはいるが、葉介の変化に気づいた。
トレントラへ駆けつけた時にも、葉介の身体はヒビ割れが広がっていた。そして、今も同じ状況にある。
あるのだが……トレントラで見た時は、単純に皮膚が裂けている、特に違和感のない赤いヒビ割れだった。それが、今の葉介の、手や首、額、米神と、少ない露出している部分でも、あまりに異常な、真っ黒なヒビ割れが見える。
慌てたミラでも、思わず足がすくむくらい、その黒いヒビ割れは異常で不気味で……
「おっさん!?」
「どうしたんですか? ヨースケさん!」
「おい、ヨースケ!!」
ミラの後にも、続々と魔法騎士たちが着地していく。だが、葉介の異常な姿と、尋常でない様子に、誰も、近づくことができない。
「皆、さん……ごめんなさい……最後、まで、迷惑、かけて――」
「なんですか? ヨースケさん?」
苦しげに漏らす声に、シンリーが聞き返した直後。
その身を押さえ、フラつきながらも二本の足で立ち上がって、魔法騎士たちと向かい合い。
「けど、これが、最後――コイツらを、倒したら、全部、終わ――」
詰まらせながらも無理に出した声は、最後まで言い切ることさえ叶わない。
直後、絶叫が――今日まで誰も、ミラさえ聞いたことがない、葉介の狂声が響き渡った。
「うわぁッ!!」
「きゃあッ!!」
そんな狂声のさ中。大量の羽音と足音と獣臭と。直後には、鳥と言わず、犬と言わず、サルと言わず、シカと言わず、イノシシと言わず、馬と言わず、クマと言わず――
いつかの森や、最近の五日間の数さえ目じゃない、あらゆる種類のデスニマが、葉介を中心に大量発生した。
「倒せええええええええええ!! デスニマ全部、ぶっ殺せえええええええ!!」
とうの葉介は、そんなデスニマたちの中心で、そんな絶叫の懇願を最後に、両手両ひざを着いてしまっていた。
「全員!! 【結界】を張りながら散れ! 小さいヤツは各個撃破、デカいヤツは二人以上で当たって仕留めろ!!」
「箒を持った者はデスバードの対処だ! メア! オレと一緒に空での戦いを指揮しろ! この場のデスニマ、一匹残らず駆逐するぞ!!」
シャルとレイが、すぐさま反応した。
その声を聞いて、すぐに動けた者もいる。目の前の光景にすぐには動けない者もいるし、ただただ固まるばかりの者も数人いる。
「ヨースケ!!」
動けるか。動けないか。大別して二種類の魔法騎士たちの中で、動くことができた赤色は、次々湧いてくるデスニマを蹴散らしていきながら、真っ先に葉介のもとへ向かった。
「ヨースケ……!」
葉介を中心に、デスニマたちは発生している。と言っても、葉介自身の身から湧いて出ているわけじゃないらしい。だから、再びひざを着いて、うずくまっているそばまで近寄って、触れることもできた。
「ミラ……」
「ヨースケ……なんで? このデスニマ、なに……?」
「……召喚の香の、なれの果て」
ミラからの質問に、葉介も、苦しげながらも答えを返した。
「トレントラの中には、召喚の香が大量に作られてた。放っておくのもマズいと判断して、処理することにした……詳しい材料は俺にも分かんないけど、いつかデスニマに成る、マナに戻ってない空魔法も材料に使われてる。だから、リーシャの力を使って、召喚の香から、空魔法だけ斬り離した……そのせいで、リーシャは力を使い果たして、逝っちゃったけど」
その説明には、悲しげな顔を見せつつ……それでも、続ける。
「それで、斬り離した大量の空魔法だけは、デスニマである俺が全部吸収して、ここまで飛んできたってわけ……その結果、吸収したは良いけど抑えきれない魔法が溢れて、こうなったってわけさ」
通常のデスニマも、空魔法をエサとして吸収し、だが外へ出す手段が無いことで体が肥大化する。それが限界を迎えた時、溢れた空魔法が子供のデスニマに変わる。それでも本来は一体ずつを、せいぜい十体から二十体。それ以上増えるより前に、空魔法を吸収できない子供は自然消滅してしまう。
それが葉介の場合は、巨大な島の中心に大量に生産されていた召喚の香から、空魔法のみを急激に吸収した。肥大化こそしていないが、それでも人間一人分の身に納まり続けられるわけもなく、こうしてデスニマの子供として放出する羽目になったというわけだ。
「ごめん……自分じゃ止められん、これ……嘔吐下痢が一度始まったら、止められないのと同じ……出し切るのを待つしかない……!」
例えは汚いが、つまりはそういうこと。
止める方法は一つ。出なくなるまで、出し続けるしかない。止まるまで出てくるデスニマを、一匹残らず排除していきながら。
「説明は終わり――分かったら、ミラも戦って」
「でも――」
「俺だって戦いたいけど、動けそうにない――足手まといは放っとけ、関長としての責任果たせ!」
説明を聞いてもなお、葉介に寄り添おうとするミラの身を、苦しい身体を持ち上げて、ひどく重たい手で押し出した。
「戦え!」
「ヨースケ……!!」
「戦え!! 師匠ぉぉぉぉおおおおお!!」
デスニマの子供で見えなくなった、葉介の叫び声を聞いて……
葉介へ向かいたい足を踏み込んで――目の前に群がったデスニマ全部、拳の一撃でぶっ飛ばした。
「女王様」
他の魔法騎士たちと共に、デスニマを駆除していきながら、シャルは、自分と同じく地上で戦っているシンリー女王へ声をかけた。
「なんですか? シャルさん?」
「このデスニマども、明らかに子供です。そして親は、シマ・ヨースケ……あの男を仕留めれば、このデスニマたちも消えるのでは?」
戦いの中で尋ねたのは、魔法騎士としては当然の定石である、親を仕留めること。
「それが最善なら、私が――」
「それは、おそらく意味がない」
葉介に、視線と杖先を向けたシャルに対して、女王は首を横に振った。
「そんなことで止まるくらいなら、ヨースケさんなら、真っ先に自身の口でそうしろと言ってくるでしょう。それが無いということは、やるだけ意味がないということ」
「しかし、それは――」
「そうでなくとも、あれだけの数にこれだけの規模。元を絶った程度で止まらないことなど、見れば誰でも分かることです」
「そうですか……そうですね」
女王の返事を聞いて……シャルは杖を、葉介ではなく、別のデスニマへ向けた。
「しかし、まるでそうあってほしいというふうな口ぶりですね」
「シャルさんこそ、自分にそう答えてほしかったふうな態度ですよ……シャルさん以外も」
デスニマと戦っている魔法騎士ら――戦いながらも、近くで二人の会話に聞き耳を立てていた魔法騎士の何人かは、戦いの中で張り詰めていたはずの表情を、僅かながらも崩していた。
「とは言え……自ら汚れ役を買って出ようとしたそのお気持ちには、心からの敬意と感謝を表します」
「そんな、私は――」
「いずれにせよ――デスニマは、一匹残らず駆逐する。それが魔法騎士団、この国を護る五つの門、五つの関の役目!!」
「魔法騎士団――ダリダリ!!」
ダリダリ!! ダリダリ!! ダリダリ!!
ダリダリ!! ダリダリ!! ダリダリ!!
ダリダリ!! ダリダリ!! ダリダリ!!
「ルティアーナ王国――ダリダリ!!」
ダリダリ!! ダリダリ!! ダリダリ!!
ダリダリ!! ダリダリ!! ダリダリ!!
ダリダリ!! ダリダリ!! ダリダリ!!
葉介がやってきた、葉介にとっての、異世界の中心でダリを叫ぶ、全員の声が、全員の心が、一つに重なり。
全ての国民たちが、国を護るために戦った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
どれだけの時間が流れたことか――
トレントラへ突入し、地上へ安全に降ろすことができた時は、午前中、少なくともお昼よりは前だった。
それが、今や太陽はすっかり西へ傾き、普通の白い光の中へ、若干の黄色と橙色が混ざり始めている。
それだけの時間が経って。戦った者たちの勝ち鬨が響いていたはずの空間は、今……
「……レイ、生きてるか?」
「うぅ……死んだかも」
地面にへたり込んだシャルが、箒と杖を両手に握りしめ、うつ伏せているレイへ呼びかけていた。
「……メア、大丈夫?」
「……セルシィの子ども産むまで死ねないよ」
フラフラな様子で歩いてきたセルシィが、大の字になって空を見上げるメアに寄り添っていた。
「……サリア、大丈夫か?」
「……大丈夫に見える?」
「さすがに……疲れた」
サリアはもちろん、体力に優れたアラタとミラも、地面にへたり込んでいた。
当然、彼ら彼女らに限らない。
魔法騎士たちはもちろん、一般市民、北端族、犯罪者、この場に集まり戦ってくれていた者たち全員、再び集結し、大量に湧き出て、いつ止まるとも知れないデスニマの大群を相手に、必死に戦った。
しかも、戦ったのは王国の人間たちだけでなく――
「なぁ……なんで、儂らがコイツらと一緒になって戦っとん?」
「さぁ……じゃが少なくとも、デスニマに喰われて死ぬよりはマシじゃろ」
「あんくとぅやー……」
背中合わせに座り込んでいる、アテラバとゲッカ、そしてリンユウが会話していた。
三人に限らず、周りには大量のグレーソルジャーたちも、王国の国民たちと一緒に倒れ込んだり、へたり込んだりしていた。
「儂ら、この先、どうなるんじゃろーか?」
「知らん……なるようになるだけじゃ」
「あんくとぅやー……」
国民も。魔法騎士も。敵国兵士も。女王も。誰も。かれも。
全員が理由やキッカケはどうあれ、目の前で起きた脅威に立ち向かい、結果、一人も欠けることなく生き抜いて、戦い抜くことができた。
死屍累々の人々の山は、その何よりの証しに違いない。
そして、そんな死屍累々を築き上げた原因を生み出した、張本人はと言うと――
「うぃ~ぃ、サッパリしたぁ~」
その場に立ち上がって、思いきり両手を上げて背伸びをしていた。顔はお面のせいで見えないものの、そんな動作と声色が、言葉の通り、出すものを出し切ったことでの爽快感を如実に表している。
何なら、ただの絵なはずのお面さえ、(#>ω<#)に変わっているように見えてしまうほどにサッパリした様子である。
「ヨースケ……!」
葉介の声に、真っ先に反応したのはミラ。背伸びで両手の上がったその身に、フラフラながらも走ってきたその足で抱き着いた。
「ヨースケ、大丈夫? 痛いところない?」
「アハハハ……全身痛いけどね、ぶっちゃけ」
そう平然と語る葉介の手には、ミラが最初に見た時と同じ、痛々しい亀裂が走っている。しかも、魔法を使った時の、ただヒビ割れているだけな状態とは違って、その亀裂を中心に、肉が盛り上がり傷口は外側に開いている。
葉介の全身の内側から、何かが飛び出した跡。まさにそんな状態の、醜く痛々しい傷が全身に広がっていた。
「そんな体になってるのに、平気そうにしてるなんて……さすが、ヨースケさん」
ミラの後で、サリアがフラつきながらも近づいた。サリアは葉介の前に立つと、すぐにその傷だらけの身体に杖を当てて、呪文を唱える。
元第3による【治癒】は、セルシィやシンリー女王のような速度こそなく精密さも足りないながら、ただ大きいだけの大ざっぱな傷を、少しずつ綺麗に癒していった。
「にしても……ヨースケって本当に、デスニマ、なんだな」
治癒を施されている葉介に向かって、千鳥足で近づいたアラタがそう語り掛けた。
「そーだよ。まあ、デカくなることだけは、どうにか抑えたけども」
「デカく……そう言えば、あれだけのデスニマを生み出した割に、ヨースケさん自身の大きさは変わっていませんね?」
子供を生み出すほど空魔法を取り込んだデスニマは、総じて体が巨大になる。大きさは個体や種類によっても変わるが、大抵は見上げるほど、ちょっとした家程度のサイズに変わる。
それをよく知る女王の問いかけに、自身の魔法の革袋に手を突っ込んでいる葉介は、答える。
「まーね……一応、生身の死体からできた普通のデスニマに比べれば、元から魔法でできてるファントムは、空魔法を取り込んでも体のサイズは変わりづらいみたい。とは言え、排出したら子供も作れるし、あんまり過剰に取り込んだら、デスニマの親みたいにデカくなる。いやー、大きさ変わらんよう抑えるの大変だったよ」
「……もしかして、デッカくならないようにするのが苦しくて、あんなに叫んでたの?」
「イエース」
メアからの質問に対しても、葉介は陽気に答えた。
「だってさー、デスニマの親を見てたら分かるやろ? 一度デカくなっちまったら最後、二度と元の大きさには戻れなくなる。小さい服を無理して着たせいで生地が伸びたら、二度と元には戻らないのと理屈は同じ。まあ、動物ならむしろデカい方が色々と有利だし、わざわざデカくならないようがんばるってことはしないだろうけどさ」
魔法の革袋から、魔法の麻袋を取り出す。そんな葉介の話を聞いたメアは、複雑に顔をしかめていた。
「けどさー、デカくなったら、リーシャに捕まって脱出、なんてことも当然できなくなるしさー、なにより――」
「なにより?」
「服が弾けて裸になるでしょ!」
「ん……そーだね」
「確かに……」
「そいつはマズイな」
集結した赤、白、緑は、黒の言葉に大いに納得していた。
そんな光景を、女王他、地面に伏せた者たちは苦笑し眺めていた。
「さぁーつてと……あと、残った問題は、だ」
お面をずらして素顔をさらし、一通り話と治癒を終えたらしい葉介は、取り出した魔法の麻袋を開いて、手を突っ込んだ。
何かをつかんで、引っ張りだしたそれは……
「ほーら、おやつの時間も過ぎとるで? 起きなさい」
麻袋から出てきたものを見て、何人かの者たち、特にグレーソルジャーらは大きく反応していた。
目を見開くか、飛び起きるか、固まるか。それだけ、魔法のロープ手枷をはめられたドクター・レンジョウの登場には衝撃が走った。
「……Ummm……」
そんなドクターはと言うと、眠たそうに何度か目をこすりながら、横たえていた体を持ち上げていた。
「Ummm……Ah、ウワバミ?」
「はい、お水」
Thank you……お礼を言いながら受け取った瓶から、水を一口。口の中をゆすぎ、喉が潤った様子のタイミングで、葉介は話を切り出した。
「とりあえずさ、二つほど、早急にしてほしいこと、あるんだ」
「What’s?」
まだ眠気は残っている様子ながら、それでも天才の頭脳は今の状況と自身の置かれた状況を理解する。今の自分が、お面をかぶった友の言葉に逆らえる立場でないことも。
だから、葉介からの要求を、黙って聞いて――
理解した後は、未だ疲労困憊の様子で座り込む、女王の前に立ち――
「トレントラ国民一同!!」
それまで葉介も聞いたことのない、凛とした声が響き渡る。それを聞いたグレーソルジャー、そして、葉介を除いた三色の幹部たちも、疲労にだらけきっていた体を一瞬で引き締め、座った状態でも姿勢を正した。
「我々は今日、ルティアーナ王国に敗北した――トレントラは崩壊状態、もはや国としても、砦としても機能はしなイ! だから――今日この瞬間、ルティアーナ王国への降伏と、国家トレントラの解体を宣言する!!」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
グレーらも幹部らも、言葉にするまでもなく分かっていた。それでも他でもない、ドクターという絶対支配者の口から――多少の訛りこそありつつ真剣な口調なことも相まって、現実味を強め、やがて、現実として突きつけられた。
小さな小さな島国ながら、空中要塞国家という絶対のアドバンテージと魔法の兵器を駆使することで、どんな大国でも恐怖を見せつけ、植えつけることで、戦うまでもなく勝手に敗北させて、支配してきた。
そんなトレントラが……
トレントラより多少大きいだけの島国を相手に、敗北し、滅ぼされたと……
「そういうわけダ……Great Queen」
宣言した後、ドクターはシンリー女王に対してひざまずいていた。
「見ての通り、ソルジャーたちにはもはや、戦意はNothing。Meのことは好きにして構わないが、良ければソルジャーたちだけは助けてほしいナ」
「……よろしいのですか?」
「Yes……今日まで好き勝手してきたんダ。今さらMeだけが助かりたいとは思わなイ。むしろ、全てをやり切ったタイミングでのPerfect Lose。悔いも憂いもNothing」
そんな交渉をそばで聞いている兵士たちも、特に反応は示さない。敗けたことに対する戸惑いと、今後に対する不安、諸々の出来事を前に、何もできず呆然とするばかり。
「But……彼らは、Meの命令に従い動いていただけだからネ。戦争はしてきたが、実は人をKillしたことがある者は少ないんダ。何なら、ついさっき以外で、マトモに戦闘した者も」
「の、ようですね……確かに、軍事国家にしては、武器こそ強力ながら、兵士一人一人はあまり強くないと感じていました。そもそも、あれだけの技術に、強力な兵器を見せつければ、大抵の国は自分と同じく、無条件に降伏するでしょうからね」
「Yes……Because、今日までのトレントラの悪行の全ては、Only my crime。兵士、Non……国民たちは、Not crime、ということダ。そんな彼らが処刑されては寝覚めが悪イ。だから処刑はMe一人にしてほしいナ」
あまり、目上の人間に物を頼む態度には見えないながら……
国民たちのことを、決して信用せず、兵士であり手足であり、駒として好き勝手に使ってきた。
そしてその報いは、自分一人で潔く受け入れようとしていた。
「処刑……まあ、それは追々考えましょう。今はまず、この状況を収拾することです」
「Hmmm……それもそうだネ」
とりあえずの話し合いは成った。それを確信したことで、ドクターは再び葉介へ振り返った。
「ウワバミ……この国に対する正式な敗北と降伏の宣言はしタ。それで、もう一つのしてほしいこととは?」
「えーつとね……教えてほしいんだ。ああ、これ、手枷の鍵ね」
「なにを?」
二人で顔を見合わせて、手枷を外した葉介は、トレントラから脱出する直前の出来事を話していき……それによって残った、最後の問題に対する答えを質問した。
「Hmmm……召喚の香の素が、まだあの国には残っているわけカ」
「そ……空魔法は全部俺が回収して、デスニマの子供に変えて、マナに還ってもらった。後は、お香の原料だけ。放っておくわけにもいかないし、また悪用されても敵わんから、適切な償却方法を早急に教えてほしいんだ」
償却とは一般的に、会計処理において、いらない資産を貸し倒れとして処理すること。
要は、使い道のない高額な物品や設備、出来損ないの商品等を廃棄処分した時に行う処理の会計用語だが――現場によっては、そんな廃棄処分の行為自体を『償却』と指す場合もある。
「Well-well……一応、空魔法にさえ触れなければ、ほとんど意味のない物質ではあるガ。確かに、この国のためにも償却の必要があるナ」
ドクターも手枷を外しつつ、そんな言い回しを理解し、納得もして、その方法を話そうとした――
「……んあ?」
「な、なんだ?」
「きゃあ――ッ!!」
その瞬間――
突然、地面が揺れた。
「……え? 地震?」
「な、な、な、なんだ?」
「なによ、これ……!?」
「あ、あ、あ、あぁあぁ……!!」
地震大国出身の葉介にとって、屋外にいる状況で起きた、体感でせいぜい震度5弱か5強の揺れで慌てるほどのことはない。
だが、葉介以外の反応を見れば、少なくともこの国には、実家ほど地震との縁はないことは見て取れる。
そんな国に、こんなタイミングで地震が起こる理由など、どう考えても二つしかない。
たまたま、近くの海洋プレートが跳ね上がったか。
もしくは――
「……コイツ、動くぞ」
「ん……見れば分かる」
継続する揺れの中、脅えるミラとアラタを抱きしめながら見上げた先。
落下の衝撃による津波を防ぐために、周囲の海は凍らせた。その凍った海が、ひび割れ、砕け、弾け飛んで、裂けていく。
裂け目が大きく、広く拡がっていき……
「……立った? トレントラが立った!?」
「おう、見れば分かる……」
葉介とアラタの言葉の通り。
海へ着地させた島国の底面は、決して平衡とは言い難い断面だった。だから海へ降ろした時は、倒れこそしないまでも、斜めに傾いた形で安定していた。
それが、震度5弱か5強の揺れの中で、まるで生きているように少しずつ起き上がっていき、やがて、空へ浮かんでいた時と同じ体勢――直立に変化していた。
「ドクター?」
「No! Meは何もしていなイ。そもそも、Me以外であの島を操縦できる人間など、この世界には一人もいなイ!」
黒と白衣がそんな会話をしているのをよそに――
直立した島はそこから上へと浮かび上がり、更に、上へ上へと変化していった。
上へ上へ……要塞としての灰色の砦がいくつも並んでいた表面は、あっという間に島の茶色に吞み込まれ、飲み込んだ後も、上へ上へ。
そんなふうに、ひたすら上を目指しながら大きくなっていく島の表面から、今度は細長い――サイズとしてはかなり巨大だが――器官のようなものが伸びた。
一本の器官が伸びた途端、そこから新たな器官が伸びて、そこからまた別の器官、新たな器官……
そうして一本の大きく太い中心から。
下へと伸びていき、長い一塊となり。
上へと伸びていき、無数の細長い器官が幾千幾万と伸び拡がっていき。
そうして誕生したそれは――
「これは……樹か?」
海から伸びて、天まで届き、空を覆い隠していくソレは、シャルの言った通りの、巨大樹そのもの。
「……お香の素って、植物由来? 樹木系の?」
「……Yes。あらゆる有機物を糧とし、時に生物さえ苗床としてしまう強靭な繁殖力。何事も無ければ数百年間生き続ける生命力。子孫の種子を無数にばらまき、種を繁栄させることができる支配力。何より、魔法の杖になるほど魔法との相性も良く、加えていくらでも簡単に手に入れることができル。デスニマ誕生の最大の欠点だった、死骸に対する寄生力の弱さを、生きた動物にさえ憑りつけるまでに引き上げるには、樹木の細胞は理想的な材料だっタ」
「道理で……元が島国だった割に、木の一本どころか雑草すら見かけなかったのはそういう?」
「Yes……偶然ながら、異世界へとつながる召喚の香に変化したのも、おそらく縄張りと種の繁栄を望む強力な生物的本能が、魔法の力と合わさり世界を超えたものだとMeは推測していル」
「なるほどね……さすがに、こじつけっぽいけど」
「Sorry……それだけ、魔法とはまだまだ未知なる分野だということダ。召喚の香の誕生は本当に偶然だったからナ」
「……そんで、そんな大事な魔法が消えてしまって、残されたお香の素と、島に蓄えられてたっていう大量の魔力だけが合わさった結果、異世界に繋がらない代わりに、あんなふうになった。てな解釈でいいのかな?」
「Uh-huh……さすがウワバミ。それで間違いないだろうナ。言われてみれば、魔法ではなく、純粋な魔力のみを香の素と合わせるとどうなるか、試したことはなかったナ」
向かい合ったお面と白衣が、会話する間にも……
少なくとも、彼らのいる島国から見える範囲の空は、ほぼほぼ無数の枝に覆い尽くされた。枝からできた広い影と、網目から覗く木漏れ日が、生まれたばかりの巨大樹を照らし出し、強調し。
「まさに神面樹……いいや、これはもう、文字通り立派な世界樹やな」
確か、旧約聖書の始まりの五書のことを、トーラと呼ぶんだっけ……
争いと破壊の末に誕生し、世界を覆い隠すほどに大きく成長する。
それはもはや、植物、大樹といった枠なんか超えて、新たに生まれようとする、一つの世界に違いない。
「まあ、せいぜい五人分の魔力で島一つギリギリ浮かせられたくらいだし、五桁や六桁人分集まれば、世界の一つも作れるか……よかったじゃん、ドクター。ドクターの願ってた、新しい世界がこれから生まれるよ」
「Hmmm……」
葉介からの、皮肉たっぷりな賞賛を受けて――
ドクターは、数秒間考えた後で、答えを返した。
「This is wrong my wish……Meの夢は異世界ダ。すでに見知ったこの世界を新しく作り変えたところで、得るものなど何もありはしなイ」
「得るどころか、全部なくなるだけだろうね。せっかくドクターが見知ったことも、全部」
理由や動機は、どうでも良い。おそらくは、この世界のこの瞬間、最もCleaverな会話を交わしていた二人の中で、目の前の巨大樹――否、世界樹は、決して許容できる存在でないという意見が一致した。
「――んで、あれを殺すには?」
「Fire……元が植物だからナ。燃やすのが一番ダ……一番なんだガ――」
対応策を答え、だが腕を組み思案する。
思案の理由は明白。ソレはあくまで、トレントラが島国だった時の対処法だからだろう。それが、見上げ、世界を覆い隠そうというほどの巨大な世界樹に変わってしまっては、単純な【発火】など、焼石の水にすらなりはしないだろうから。
「……ちょっと、血吸っていい?」
顎に手をやり、考え込むドクターに向かって、葉介が上げた声は普段通りだった。
「……ウワバミ、Youがアレを燃やそうというのカ?」
「他に誰ができる? アレを燃やせるとしたら、もう俺しかいないでしょう?」
「……Youは今、何人分の魔力を宿している?」
「五人分と少々。それでトレントラを【浮遊】させることも一応はできたし、更に増やせば勝算はあらぁな」
「But……今度こそ、Youの肉体は耐えられないと思うガ?」
「かもね。無理して扱える魔力も、せいぜい十人分が限界かな……そん時は仕様がないね」
「ダメッ!!」
地震はとっくに止んでいた。それでも誰も動けずにいた。世界樹の光景もそうだが、二人の会話を聞きながら、誰も口を挟もうとしなかったのは、誰も二人の会話についていけなかったからだ。
だが、今の会話の内容は、理解できた。理解してしまったから、ミラは急いで葉介に抱き着いた。
「絶対ダメ! ヨースケが死ぬの、絶対ダメ!」
「ミラ……俺一人の命と、この世界まるごと。どっちが大事よ?」
「ヨースケの方が大事!! この世界まるごとより、ヨースケの方がずっと大事ッ!!」
「言い切った!!?」
柄にもなく大声を出して、涙目に顔を湿らせながら、断言した叫び。
のんびり屋で能天気、他人からの感情にもあまり関心を示さず生きてきた……
そんな葉介にとっても、心に響かないはずがなかった。
世界より、そこに生きる人々より、何より失いたくないもの。それが、たった一人の、三十路のジジィだという断言が……
「……気持ちは嬉しいんだけどね――」
ただ、どれだけ嬉しくても、どれだけ気持ちに応えたくても、譲れない物がある。
「俺としては、やっぱ、この世界、守りたいかな?」
「……どうして?」
ミラからすれば……どころか、葉介の事情を知る者らからすれば、不可解に違いない。
ルティアーナ王国が故郷というわけでもなく、どころかこの世界の住人ですらない。
確かに、今アレをどうにかしないと死んでしまうのは間違いないが、それをするための力を行使すれば、成功しようが失敗しようが、高い確率で葉介一人が死ぬ。
いくら力を持っていても、そのために死を免れないなら、何もせずに逃げ出したって、誰にも咎める道理なんてないのに――
「……まあ、いくら他所から来た身と言っても、多少なりともこの世界や、この世界の皆さんと関わったことだし。なにもせずにいるのも気が引けるし。そもそも、俺が考え無しに空魔法と召喚の香の素、斬り離したからこうなったわけで、責任は俺にあることだし」
「そんなこと……!」
「それにだ」
ミラが反論するより前に、葉介にとって、最も大切なことを紡いだ。
「この世界が滅んだら、一緒にミラまで滅んじゃうでしょうよ」
「え……」
「ぶっちゃけ、国が滅ぼうが世界が消えようが、俺としてはどうでもいい。もし仮にミラがいなかったら、とっくの昔に逃げ出してる……けど実際、この世界にはミラがいる。なら、命かける理由としては十分さね」
「ヨースケ……」
「……ま、贅沢言えば、アラタにも助かってほしいけど」
「俺はミラのツイデかよ……」
国のためじゃない。世界のためでもない。ただ一人、アナタのために命を懸ける。
そんな言葉が、ミラの心を熱くした。その後で付け足すように挙げられた名前を聞いて、アラタは嬉しくも苦笑を浮かべた。
そして、そんな葉介に選ばれなかった者たち……
表情は様々だった。三人の様子に、微笑ましく笑みを浮かべる者もいる。葉介に選ばれなかったことで、微妙な顔になる者もいる。
そして、そんな葉介の話に、全く別な顔に変わった者もいる――
「てなわけで、ドクター?」
言葉を失うミラやアラタや、他の者たちを尻目に、またいくらかのやり取りをして。
「Uh-huh……I see。My Blood、全部吸ってしまって構わないヨ」
許可をもらい、首筋をさらされて。葉介は、躊躇なく歯を突き立てた。
「ん……んん、んぅぅ……んんん~~っ、んんんんん~~~~~♡♡♡」
ドクターの苦悶の声の中、必要な血を吸い取って、口を拭って。
その後、戦闘に参加せず麻袋の中で眠っていたグレーソルジャーたちからも新たに血をもらって。
ドクターや、シャルや、他の仲間たちとも言葉を交わした後。
お面を被った。
「あ、そうだ……ミラ、物は相談なんやけど……」
そして、ミラを見て、ひざを着いて、視線を合わせた。
「相談? 今?」
「そ。今しかできる時ない……ご褒美、前借りしてもいい?」
「ご褒美……」
葉介の口から語られた、その言葉が意味するものを、ミラはよく知っている。
だからそれ以上話すより先に、葉介の身を抱きしめた。
「いくらでも、ご褒美あげる……イノシシでも、シカでも、いっぱい取ってくる。何十回でも、何百回でも、抱きしめる。だから……だから――」
だから……
そこから先を言う前に、その体を離されてしまった。
「ありがと。これで力が出せる」
お面を被っているせいで、どんな顔をしているか見えない。それでも、そのお面の下から聞こえた声は、いつも聞いてきた、いつも通りの葉介の声だ。
「行ってきます」
その後は、引き止めるヒマもなく――
落ちていた箒の一本を拾って。
何気ない声と一言だけ残して。
ミラの叫びにも構わず。
空へと浮かんでいった――
おい、~ダリがねーぞ! どうなってんだ!?
わたくしの~ダリが無いだなんてどういうこと!?
と思った人は感想おねがいします。




