第5話 弟子の野外訓練開始
「はーい! それじゃあ、今日の野外訓練の内容を発表しまーす!」
馬車から全員が降りた後で、先ほどと同じように三色の関長が前に並んだ。
先ほどと違うのは、三人の前に大勢並ぶ黄色の中に、ポツンと黒が混ざっていること。
そして、並んでいる場所が、さっきの城から遠く離れた場所にある、森……が見える、崖の真ん前ということ。
「知ってる人もいると思うけど、今日の訓練の場所はココ、『アヤルカ森』でーす!」
(なんだ、その女の子二人足したような名前……)
そんな疑問を感じつつ、関長三人の後ろに目を向けてみる。
今言った通り、三人の真後ろは崖になっていて、まだ東(?)に傾いた太陽が影を作っている。何メートルかは分からないが、建物三階分はあるか無いかだろうか? 岩肌は白く、所々雑草も生えていて、土が崩れている箇所もある。
そんな崖の上に、暗い緑が広がっている。崖の下にいるせいで森の様子はとても見えないが、あの緑がアヤルカの森だろう。
「それじゃあ、改めてルールの説明ねー。ボクら三人は先に行って、森の真ん中に見えてる、白い崖の頂上で待ってるから、方法はどうあれソコにたどり着けばそれでお終い。タイムリミットは日没まで。普通に歩いてそのくらいだね。もしタイムリミットまでにゴールできなかったり、途中でギブアップしたら、罰ゲームとして、歩いて城まで帰ってもらうからねー」
改めて、今言われたルールをおさらいすると……
・森の中心に見える、白い崖、という場所の頂上がゴール。
・タイムリミットは日没。
・ギブアップは可。それか時間切れの場合は罰ゲーム(歩いて帰宅)。
(まーたざっくりした訓練やなー……)
「何か質問ある人ー?」
最後の言葉を言いながら、右手を上げて部下たちを見てみる。
「…………」「…………」「…………」「…………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
その言葉に、反応する者はいない。全員、葉介と同じくルールを理解したようだ。
「大丈夫だね。魔法は自由に使っていいけど、無暗に環境破壊しないように。ギブアップする人は、帰る前にボクらに向かって、名前とギブアップの旨を書いた手紙を移送すること。良いねー?」
(ぶ……っ!)
最後に、葉介にとってかなり聞き捨てならないことを言われて、吹き出しそうになったのをどうにかこらえた。
(わざわざ迎えにも来んっちゅーわけかい。魔法が使えんアタシャあ、どうすれば……)
「ちなみに、誰か別の子の名前書いて、ギブアップしたことにするっていうイタズラは禁止だよ。名前が違ってもボクらには分かるんだから。そんなことした子は強制ギブアップ扱いだからねー」
(しかも、代わりの誰かに手紙送ってもらうこともできねーと……いや、本人が名前とか書いときゃ証明にならねーかな?)
「てなわけで、今からスタートだよ。森には色々いるけど、何に出くわしても自己責任でねー」
(その色々を詳しく教えてくんねぇかな?)
「じゃあ、おっ先ー!」
と、言うが早いか、関長三人は弟子たちに背を向けて――
(おー)
三人がジャンプした時、特に助走もなにもつけていなかった。そんな状態で数メートル単位のジャンプを数回繰り返して崖を登り切り、そのまま緑の奥へ消えていった。
(あれも魔法か。人間にできる動きじゃないし……素の動きがアレだっていうなら、すげーへこむな……)
「あー……面倒くさい」
「やだやだ。わざわざ遅くて揺れる馬車なんか使って、こんな所まで来させないでよー」
葉介が落ち込もうかと感じた時、周囲から、そんな力の抜けた声が響いてきた。
黄色の服を着た、40人超の若い男女。全員がその場で背伸びをしたり、座り込んだり、体をほぐしたりと、随分とリラックスしている。
上司である関長がいなくなったことで、緊張の糸が切れた、というのは分かる。
分かるが、それ以上に……
「いつもの、城下町の見回りや、書類作りだけでもダルイっていうのに、こんな所まで連れてこられて……」
「本当よね? 今日はセルシィ様の第3関隊が町の見回りの日で、書類も少なかったから、午後はのんびり過ごそうって思ってたのに。これじゃあ夜になるまで書類整理なんてできないわよ!」
「あら……書類、持ってこなかったの? ここで終わらせちゃえばいいじゃない。どうせ私たち以外、見てないし」
葉介には計り知れない、愚痴の会話が聞こえてきたり、中には世間話に花を咲かせるグループや、気だるそうに居眠りを決め込んでいる者、どこに持っていたのやら紙束を取り出して、杖を片手にそれに目を通している者もいる。
どうするでもなくジッとして、どうするべきか悩んでいる様子な者も見かける。
(コイツらに合わせる意味もない)
元居た世界なら、孤立し、目立つのを嫌って、自分も似たような行動を取っていたかもしれない。
だが、この世界に来た時点でとっくに孤立しているし、ミラに弟子入りした時点でだいぶ目立っている。
加えて、自分はコイツらと違って、魔法は一切使えない。普通に歩いて日没ギリギリというなら、こんなところでノンビリする時間は全く無い。
「…………」
崖のあちらこちらを見上げながらジッとしている。そんな、黄色の中で一人だけ黒の、しかも、自分たちより一回り以上歳を取った男の存在は、彼女らの目を十二分に引いている。
ほとんどの黄色は、気にはしてもいちいち相手にしようとは思わず、目の前のこと――おしゃべりや休憩、書類仕事を優先させている。そんなことをしていても、自分たちなら余裕でゴールできるし、ここまでの馬車の移動だけで疲れているのだから。
だが中には、分かりやすく黒色を気にしている者もいる。
「あ、あの……」
その内の一人が、とうとう黒色へ話しかけた、その瞬間。
ガッ、と目の前の崖に手を掛け、直後に足を掛けた。
「はぁ? 魔法も無しに何やってんだ?」
黄色の誰かが言い、話し込んでいた者たちも順に目を向けていく。
この程度の崖なら、ここにいる誰もが余裕で登ることができる。ただしそれは、先に行ってしまった関長三名と同じように、魔法を使えばの話だ。
あの三人が魔法を使ったのは見て分かった。それと同じように、崖の突起やら割れ目やらに、手足を三点確保しつつ、ゆっくり、だが確実に登っていく黒色は、魔法を一切使っていないと見て分かった。
さっきの関長三名は、上まで登るのに五秒と掛からなかった。他の黄色たちでも同じか、掛かっても十秒にも満たないだろう。
それを知っている黄色たちからすれば、魔法も無しに、ほぼほぼ垂直な目の前の崖を登っていく黒色の姿には、様々な意味で目を引かれた。
「リムー、早くしなさいよー」
黒色に話しかけようとしていた、黄色の少女の耳に、後ろから別の女の声が届く。
ビクリと、あまり発育が良いとは言えない小さな身体と、そんな身体とは対称的に発育の良すぎる乳房を震わせた少女に、後ろからの声は続く。
「さっさと話しかけなってー。何なら魔法で突き落としたっていいからさー」
嫌みったらしい軽い声と、その後に響く笑い声。
もちろんそんなことしたくはない。彼女らだって、まさか本気で言ったわけじゃないだろう。ないだろうが、それは、少女には分からない。後ろで笑っている連中が、冗談みたいな理由で、自分たちの気に入らない人間を傷つけたことは一度や二度じゃない。
振り向いて見てみると、集まった彼女らの何人かの手には、杖が握られている。それを崖に、登っていく黒色に向けている人もいる。うっかり呪文を口走って魔法が暴発でもしたら、冗談じゃ済まないのに……
と、少女が心配を浮かべた時、上から、土がドサッと崩れる音が聞こえた。
また見上げると、黒色の、左手と左足は崖に掛かっているが、右手、右足、そして胴体がぶら下がっている。どうやら、掴むか踏むかするはずだった部分が崩れたようだ。
笑い声は止み、少女を含め、何人かは声を上げた。だが、彼女らが心配した後にはすぐ、再び三点確保を行って、また登っていった。
「ちっ……魔法を使いなさいよ。なに考えてんの、あのおっさん……!」
また後ろから、さっきと同じ声が聞こえてくる。それも気になったが、それ以上に、少女は、そして、他の黄色たちは、登っていく黒色の姿に釘付けになった。
杖を持っていないのは、杖を使わないミラ様の部下ならあり得なくはない。だが、それを差し引いても、黒色が魔法を使う気配はない。ただ純粋に、自分の手足と体力だけで、ゆっくり、確実に、上へと登っていく。
「がんばれ……」
少女は、自分でも気づかぬうちに、そう呟いていた。両手はいつの間にか、小さな拳を握りしめていた。
そして、黒色が登り始めて、二分ほどが経過した辺り……
「やった……!」
少女の呟きの通り、黒色は崖の上に到達し、立ち上がった。
(あー、怖かった。でも、意外と登れるもんやね……)
両手や服に着いた土を払いながら、葉介は自分が今登ってきた崖を見下ろしてみる。
高さは大よそビルの二~三階くらい。垂直に近いが、一応は斜面になっているため、落ちても滑り落ちるだけで、ケガはしてもよっぽど運が悪くなければ死ぬことはないだろう。
それでも、今まで山はともかく、崖を登った経験なんかほとんど無い葉介にとって、登れたことは単純に僥倖だった。
(まぁ、俺ごときに登れる崖なら、誰でも登れるか)
最後にはそう結論づけ、森の方へ目を向ける。
目の前に広がる緑。そして、その向こうに見える、切り立った白い岩肌。
(あれがゴール地点か。分かりやすいな)
目立つ目印も確認して、すぐに森の中へ歩こうとした、その時……
後ろの崖から、トントントンと、崖を蹴る音が聞こえた。ついさっき聞いた、関長三人が崖を飛び越える時に聞いた音だ。
誰かが魔法で登ってきているらしい。それに気づいて、振り向いた時……、
崖の下から、黄色の騎士服が飛び出した。飛び出して、着地した。
「あの……!」
と、少女が着地の体勢から立ち上がった時、
「あっ、ああああ!」
着地箇所か姿勢が悪かったのか、バランスを崩して後ろへ傾いた。
すぐに反応した葉介が手を伸ばし、その小さな手を握ってやった。
(軽る……)
そう感じつつ、小さな少女の身を引っ張り上げる。手を離すと、少女は呆然としていたものの、
「あ……ありがとう、ございます」
「いえいえ。おケガはありませんか?」
「は、はい、大丈夫、です……」
「なら良かった。ではお先……」
そう言い残して、背中を向けてしまう。
そうして去っていく葉介の背中に、少女は声を掛けようとしたものの、できなかった。
代わりに無言なまま、口笛を吹きつつ歩いていく葉介の黒い背中に、ゆっくりとついていった。
「行っちまった」
「すげーな、あのおっさん」
崖の上へ消えた二人、というより、黒色の方を思い出しながら、残った黄色たち、特に、少数派である男の騎士たちは声を上げていた。
男の一人が、周りにはやされて崖に手を着いてみる。
さっき、黒色がやったのと同じように、魔法は使わず、両手足のみで、崖登りを試みたが……
「……たぁッ、無理無理! 魔法も無しに登れねえよ、こんなの……」
適当な体勢で適当な出っ張りを掴み、適当に一歩二歩登っていったところで飛び降りて、そう笑いだした。
そもそも、彼ら自身、魔法も無しに本気で登れるとは思っていない。
彼らが物心ついたころにはすでに魔法というものが存在し、それを生活および日常に活用することを前提とした生き方をしてきた。
その過程の中で、知らなくとも魔法で解決するものが、自身らにとっての必要事項から消えていくことは当然の帰結だろう。その中の一つが、崖の登り方であったり、自分たち自身の体を鍛える方法だとしても。
「こんなの魔法無しで登れるの、それこそミラ様くらいじゃね?」
「だよな……だから、ミラ様の部下になれたってことか?」
崖を見上げながら、黒色の話題で盛り上がり、考えていた。
「別にすごくもなんともないわよ」
そんな男たちの耳に、女の声が響いた。崖を登っていった少女――リムに声を上げていた、その一人。
「今時、あんなことができるくらい体を鍛えているのなんて、ミラ様以外には、魔法の便利さも知らずに気に入らないと言っているだけの、時代遅れのジジィやババァくらいのものなんだから。あの男もそうってだけでしょう? 今時、何の自慢にもならないわよ」
もっとも、そう言っている彼女自身、気に入らないからと黒色のことを否定しているのは、彼女自身の語るジジィやババァと大差ない。
それに気づいていないのは本人だけで、周りの全員がそれに気づいているのだが……
「…………」「…………」「…………」「…………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
そのことをいちいち指摘する者はなく、これ以上、そのことを話題に出す者は一人もいなかった。