第6話 弟子と師匠と
時間は少々さかのぼる――
「ミラ」
「ん……」
「あっしと一緒に来る?」
「ん……」
ルティアーナ城の地下。
牢屋や武器倉庫があるそこにかつて作られた、緊急用の脱出路への出口。その出口の全てが集まった部屋で、かつての第5関隊関長と、今の第5関隊関長――メイラン・リーと、ミリアーナ・ヴェイルが、第4関隊の関長にして、第2王女、現女王の妹であるメアを前にして、話をしていた。
初めて持った部下にして、最愛の弟子である、シマ・ヨースケ。その処遇をどうするか……それを唯一決められる立場であることに苦悩する、ミラに対して。かつての師匠は、過去に二人で仕事をしてきたその部屋で、言葉を掛けていた。
「一緒に来てくれるん?」
「…………」
返事をしてくれたことが嬉しくて、聞き返したが……二度目の質問に、ミラは頷かなかった。
「……わたしじゃなくて、ヨースケに、来てほしいんでしょ?」
代わりにそんな質問を、メイランへ投げかけた。
「……せやな。確かに、来てほしいで。あの人には」
この国を手に入れたい身としては、当然の答えだろう。そして、メイランの場合、それだけが理由でないことを、あの場にいた魔法騎士たちは分かっている。
「戦力としても、もちろん欲しい。けど――この歳になるまで、こんなに男に興味持ったことなんてなかったもん。戦って殺したと思った時は惜しいって思たけど、生きとるんやったら、そばにいてほしい……戦力関係なしに、あっしのそばにね」
「……ヨースケのこと、好きなの?」
「女はな、強い男に惚れるんやで……アンタもそうやろ?」
「わたしは……」
そんな問いかけをされて、とっさにヨースケのことを考えて……
答えを返すことができない内に、興奮したメイランはまた話しだした。
「強いし、オマケに大胆なお人やぁ。カリレスで首に熱烈なキスされたしやな」
(キスじゃなくて、血を吸うために嚙みついたんじゃ……?)
「その時のキスマーク、治癒もせんと残しとるんよー」
(キスマークって、噛み痕のこと……?)
顔を高揚させて、首筋の傷をさらして、分かりやすくデレデレしながら語る。そんなメイランの姿に、ミラも、メアも、真顔になっていた。
「そんな愛おしい男と一緒にや……ミラも一緒に来てくれたらって、今では思っとるよ?」
それが本心かは分からないが……少なくとも、それを語ったメイランの表情に、嘘偽りは見られなかった。
「ん……それ、いい」
そして、そんなメイランの提案を聞いて、ミラも顔を上げていた。
「わたしと師匠で、森の見回りに行って、帰ったら、ヨースケと、ヨースケに鍛えられてるアラタが待ってる。それで、四人で一緒に、ヨースケが作ったごはん、食べるの」
「アラタ……ああ、あの緑色の彼氏か」
「……カレシってなに?」
「ピュアや……」
弟子からのピュアな質問には、答えなかった。代わりに師匠が答えたのは――
「つまりや。ミラは、家族が欲しかったんやね……」
「家族……?」
そんな言葉を投げかけられて……
言葉に詰まったミラの代わりに、メイランがまた、言葉を続ける。
「あっしが任務で潰した孤児院で見つけた時から……それよりずっと前からか。一人ぼっちやったものな。あっしが拾った後も、ずっと一人やった。まあ、第5自体、他人と関わることなかったし、あっし自身、他とは関わらんで良えて教えとったしな。それで、ホンマに一人ぼっちにしてもやっていけるくらいに、強よなってくれはったけど……ホンマは、家族が欲しかったんやろ? ずっとそばにおってくれる、家族が……」
「…………」
少なくとも、ミラに実の両親はもちろん、家族の記憶自体ない。気がついた時には、大きな建物の中に閉じ込められて、自分以外の子どもたちと一緒に、毎日のように、痛くてひもじい思いをしてきた。
それが、国内で最悪の孤児院で、それが魔法騎士の手で潰されて、自分は他の子どもたちと一緒に助け出されたということは、後で知った。その時に、師匠がわたしのことを拾ってくれたことも。
師匠の言った通り。誰も、わたしのそばにはいなかった。孤児院では、大人たちからはひどいことばかりされて、子どもたちは、自分一人のことで精いっぱい。
そんなわたしが拾われて、連れていかれた先で、初めてそばにいてくれたのは――
「ん……家族、か、どうかは分からない。けど……わたしは、師匠といたかった」
そこまで思い返して――ミラはようやく、ずっと懐いてきた願いを自覚した。
「師匠がわたしを拾ってくれたの……子どもたちの中で、一人だけ黒い肌してたわたしのこと、エリエルの代わりにするため、だよね?」
「…………」
返事はない。そんな無言が答えだった。
「拾ってくれた理由なんて、どうでもよかった。わたしは、ずっと師匠といたかった。なにも教えてくれないし、森の中歩いてても平気で置いていっちゃうし、ウザがられてるって、分かってたけど……でも、それでも、わたしとずっと一緒にいてくれた人、師匠だけ、だったから」
「…………」
「だから……ずっと、師匠と一緒がよかった。わたしのことも、連れていってほしかった……せめて、いつでも師匠が戻ってきてもいいようにって、第5関隊だけは残さなきゃって思ってた。第5残して、待ってた……待ってる間、寂しかった」
そこまで言って、もう一度、師匠の身に顔を埋めた。
「寂しかった……寂しかったよ、師匠。寂しかった――」
「ミラ……」
一人が平気だった。わけじゃない……
一人でも戦えた。わけじゃない……
本当は一人が寂しかった。寂しくて悲しくて、怖かった。
それでも、ガマンした。ガマンして、がんばって、戦ってきた。
だって、第5関隊さえ残しておけば、いつかきっと、師匠が帰ってきてくれるって、信じてたから。
それがミラが、たった一人の関長になっても、第5関隊を守り続けてきた、ただ一つの理由――
「でも……でもね――」
長年溜めに溜め続け、吐き出す相手もいなかった本音をひとしきり語ったところで。
抱きしめられた体を離し、師匠の顔を見上げながら、弟子は語る……
「寂しかったけど……この城には、仲間がいた」
思い出したのは、メイランが突然、何の前触れもなく姿を消してしまって、自動的に関長を受け継いだ後のこと。
拾われた日から、この地下に住まわせられて。そこで、誰とも関わらず、ただ師匠との仕事に同伴、仕事を教わる。それだけがこの二人の日常だった。
だから、メイランが消えた後も、地上へ上がることもせず、朝が来たら森へ出かけて、夕方になったら帰ってきて、書類をまとめて、教わった場所へ書類を【移送】して、明日に備えて寝る。食事は神官のみんなが持ってきてくれていたから、本当にこの部屋だけで一日の生活が完結していた。
わたしはこのまま、一生ココで仕事をし続ける。そう思っていたけど……
師匠が消えて、もうすぐ一年が経つかというころ。いつも通り、森の見回りを終えて、地下道を通って帰ろうとしたところで声を掛けられた。
紫色と、白色の騎士服を着た男女の二人組は、顔を合わせるなり、ミラに質問をした。
お前は誰だ? 第5関隊の新入りか? 第5関隊の関長はどうした?
なぜ一日中森を歩いているのか?
どうしてこれだけ歩いていて疲れないのか?
毎日こんなことを続けているのか?
これが第5関隊の仕事か?
メイラン以外の魔法騎士とは、顔を合わせること自体初めてだったけど、それでも一つずつ、ゆっくり、慣れないながらも必死に、応えていった。
二人とも、驚いたり、顔を見合わせたり、色々な反応をしていたけれど……
二人を見ていて思った。この二人と、もっと話をしてみたい。
赤色はこの城では必要とされていないから、他の色と話す必要はない。
そう師匠からは教えられていた。けど、紫も白も、そんな赤い服を着たわたしに、敬意を向けてくれて、そして、心配してくれた。
そんな気持ちが伝わったから、質問に答えて、地下道を通りながらも、話を続けた。
二人はわたしと同じ、第2と第1の関長で、恋人同士でもある。
私たちは、ミラの仲間だ――
シャルとレイは、そう言ってわたしに手を伸ばしてくれた。そして二人で、わたしをお城の地下から、地上へ連れ出してくれた――
その後は、黄色と青――メアにセルシィ、第4と第3の関長も紹介された。
関長会議というものが月に一度開かれることも、その時初めて聞いた。師匠はロクに出席していなかったということも。
四人とも、ほとんど何もしゃべらないわたしと仲良くしてくれて、気にかけてくれた。
いつの間にか、わたしも四人のことを、気にかけるようになった。
初めて分かった。
これが、仲間なんだって……
「全員の魔法騎士たちと、仲良くなれたわけじゃない。それでも、シャルとレイは、この部屋と森のことしか知らなかったわたしのこと、仲間に入れてくれた。メアにセルシィも、わたしのこと、仲間だって言ってくれた……関長のみんな、わたしの大切な仲間」
「ミラっち……」
後ろで存在感をなくしていたメアだったが、自分の名前を出してくれたミラに対して、嬉しく思わずにはいられなかった。
「師匠のこと、今でも感謝してる。わたしが、一人でも戦えるよう、強くなれたの、師匠のおかげだから……なにも教えてくれなかったし、拾ってくれた理由も、今は正直、おかしいって思うけど……それでも、初めてそばにいてくれたの、師匠だったから……」
そこまで感謝の意を伝えてところで――弟子は、師匠と身体を離した。
「本当に、感謝してる……だからずっと、第5だけは残してた。わたしと師匠が、一緒にいられる場所だって思って……けど、そんな第5でも、わたしはもう、一人じゃない、から……」
魔法騎士団としての仲間はできた。それでも第5では一人のままだった。
けど、それもほんの少し過去のこと。今は本当の意味で、一人じゃない。
「師匠……わたしはもう、師匠がいなくても、大丈夫。今のわたしには……最強の弟子と――最高の師匠がついてる」
「…………」
「だから、ごめん、一緒にはいけない……大事な弟子と、師匠にとって、恥ずかしい人になりたくない、から――」
かつての師匠の目を真っすぐ見上げ、言い放った言葉と声には、決してぶれない、決して変わらない、決意、信念、誇り……そんな、一言で表すには難しい、だが確かな感情が込められて。
「……今まで、ありがとう、ございました。師匠……ありがとう、ございました」
そんな声のまま頭を下げて、両手は太ももに、腰は直角に曲げる。
弟子の、師匠に対する礼をもって、今までの御礼……そして、別れの言葉。
「…………」
誘いの言葉を断られた。ミラはもちろん、必然的に葉介のことも手に入れられない。
それを理解したメイランは――
「…………」
それ以上何も言わず、表情も特に変化がない。ただ、無言でミラの両肩に手を置いて……
「…………」
きびすを返して、来た道を戻って去っていった。
「ミラっち……」
メイランの姿が見えなくなったところで、後ろでずっと聞いていたメアはミラに寄り添った。
「……ッ」
頭を下げた状態のまま、ミラは、そこから動かない。
ただ、肩が、小さく震えていた。
髪が、小さく揺れていた。
嗚咽が、小さく漏れていた。
「――――」
そんなミラの身を、メアが抱きしめた。
「ごめん……ごめんね、ミラっち。ごめんね――」
「……なんで、メアが謝るの?」
ミラからのそんな質問には、答えない。ただ、ミラと同じくらいに肩を震わせながら、抱きしめる両手に力を込めていた。
そんな状態が数分続いて――
「……戻ろ」
ミラが静かに一言発し。上げた顔には、いつも見せる無表情が貼りついていて。
ミラは、メアと一緒に、弟子の待つ牢屋への道を引き返した。
「……ところで、カレシってなに?」
「シャルにとってのレイのことだよ」
「ふーん……
……ん?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ヨースケ……師匠――」
すでに、袂を別ったかつての師匠。
この先、一緒にいると決めた弟子。
赤色の天女。
黒色の死神。
ミラにとって大切な二人の、ミラにとって悲しい闘いが――
「――始め!」
「…………」
「…………」
いつだかの夜とは違って、二人とも、ゆっくりと歩きだした。
真っすぐ。目の前の相手に向かって。
一歩一歩。一歩一歩……
そんなふうにお互い近づいているのだから、当然、最終的には互いが目の前に立ち――
「――――」
最初に右の拳を突き出したのはメイラン。もちろん右の一発で終わるわけもなく、右を振りぬいた次の瞬間には、左の拳を打ち込む。
相対した葉介は、飛んできた拳を、避ける。もしくは拳を握った両手を使って、さばき、流す。
エリエルよりも速く、ミラよりも強く、二人よりも美しく、一撃でもマトモに喰らえばふっ飛ぶだろう拳の嵐を、避け、さばき、流し、避け、さばき、流し――
「――――」
大きな一撃を後ろへ流しつつ、葉介自身の身も前に。そのままメイランの後ろを取り、背中に向かってひじ鉄を打つ。
「ふッ――」
そのひじ鉄を、メイランは前に出て避けつつ、裏拳をお返しした。
「ダリ――」
そして、その裏拳を読んでいた葉介も、頭を下げつつその勢いのまま蹴りを打ち込んだ。
「おっと……なッ!」
ひじ鉄からの回し蹴りは、後ろへ下がって簡単に避けてみせた。だがそのすぐ後には、葉介はメイランの目の前まで迫っていた。
「……ッ、……ッ」
前蹴り、回し蹴り、前蹴り、回し蹴り、その他名前は知らないが間違いなく蹴り――
(相変わらず、足技なのに、スキがあらへんな――)
足技は大抵、手技に比べてスキが大きい。そんなことは、葉介以上に長く鍛えてきた身であることを差し引いても常識のこと。葉介自身もよく知っているからこそ、初手には仕掛けずメイランの姿勢が不安定な瞬間を狙って仕掛けた。
「せやけどなッ――」
速く、スキがなく、そして強い、そんな蹴りの嵐をある程度受けたところで、跳躍。
「その短い脚と開かんお股じゃあ、上におる相手は蹴られへんやろ?」
葉介が一番気にしている言葉を投げかけつつ、跳んだ先から落下に任せ、お返しのかかと落としを――
「じゃあ、蹴らんからいい」
繰り出そうと足を上げた時には、下にいた葉介は消えていた。そのことに気づいた直後には、メイランの真下へ移動した葉介に、振り上げた足とは逆の足をつかまれた。
「おぉッ、おわぁああぁああ!」
その足を引っ張られ、その勢いのまま、回る、回る、回る、回る――
クルクルクルクル、メイランの目が回り始めたところで……
「ああぁぁぁらッ、せッ――」
片足をつかんでのジャイアントスイングに投げ飛ばされた先で、空中に浮かんだ体の向きを変え、体勢を直して地面に着地。
若干フラつきつつ立ち上がると――
「――て、アンタも目ぇ回しとるがな!!」
お面をつけた小男が、平然と立っているようでフラついている。そんな光景に声を上げたと同時に、見ている魔法騎士ら、真騎士団ら、囚人らにさえ笑いの声が上がった。
「ふぅ……このまま魔法抜きでやり合っても、ラチが明かんな」
息を整え、体勢を整え、三半規管も整う。ちょうど、葉介も今度こそ平然と立った。
「こっからは――『天女』の魔法解禁で行くで!」
このまま生身で、どちらが強いか決めるのも一興だとは思う。
初めて出会った、あの夜とは違う。必死に取り繕ってはいたが、あの時の葉介はすでに、ただ立っているのもやっとなくらい、フラフラだった。
そんな自身の状態も顧みず、あらゆる武器、あらゆる手段を使ってあっしに挑んでくる……
そんな男の姿に、メイランは惹かれた。
そして、今……リリアと戦った後と言っても、体力、体調共に万全と言っていい。特に取り決めはしていないが、あの夜のように、武器を使ってくる様子もなく、加えて魔法さえ使うことなく、生身で向かってくる。
あの夜とは違う姿を見ている今も、心惹かれ胸躍っている。もっと、ヨースケの違う姿が見てみたい、見ていたい――
とは言え、ここには真騎士団の代表として立っている。ボロボロの状態になっても残ってくれている、レイちゃんや他の子ぉらのために、敗けるわけにはいかへん。
だから――
「――【体強天】・天空ッ」
呪文を呟き、地面を蹴る。その瞬間、足もとの砂浜は大きくへこみ。彼女の姿は消えた。
囚人たちは、そのまま彼女を見失った。アラタも、リムも、双子も……
が、彼女のことをよく知る者たち、そして、相対する葉介は、上を見上げた。
「高っか……」
上空、20メートルくらいか……柔らかな砂浜を一蹴りでそれだけ、『天』にも届く跳躍を可能にする。ミラでさえ未だに行きついていない、天の領域で――
「……ッ!」
気づいたと同時に、葉介は横へ移動した。直後、葉介の立っていた場所に、メイランが拳を突き立てていた。
「よぉ避けたな――」
もちろん、葉介とは違って手足は壊れていない……
そんなことを葉介が思った次の瞬間には、再びメイランは消えていた。それを目で追った先――海岸線の上で、メイランは空中を蹴った。
「ちぃッ、速いな……!」
舌打ちしつつ、再び横へ移動。今度はその真横を、飛び蹴りが通り過ぎていく。
「蹴ってるのは、【結界】ね……」
身体を壊さないよう【硬化】で補強しつつ、【体強天】で大移動、移動先には【結界】を張ることでソレを蹴って方向転換。
まさに一足跳びで大地と天空を自由自在に行き来する様は、まさしく『天女』そのもの。
「……あれが、ミラの師匠かよ?」
「ん……」
見ている第5の二人――アラタとミラが、そう話していた。
ミラが出会った日から今日まで、憧れてきた師匠。その戦い方。
恵まれた体格に見合った、幼いころから鍛え抜かれた格闘能力はもちろんのこと、その最大の武器を活かすために磨かれた魔法とその使い方。加えて、その魔法の威力さえ十二分に発揮するための身体能力。
ただ『天』に届くだけなら、ミラでもいずれたどり着くだろう。
そしてその時、そんな魔法に振り回されることなく、師匠と同じくらいに使いこなすことが、果たしてできるだろうか……
「ヨースケ……」
それは、まだ『極めた』段階でしかないミラには分からない。もちろん、ギリギリ『至って』いるだけのアラタも同じ。そして今は、そんな憧れよりも、その憧れに挑む、もう一人のことが気になった。
「ヨースケ、勝てよ、ヨースケ……」
「つかまえッ――るのは無理か、さすがに……」
どこから攻撃してこようと、葉介がここにいる限り、この場所を狙うしかない。だから、狙ってやってきて、着地し静止したその瞬間を狙って攻撃すればいい。
対処法だけ聞けば子どもにも分かるくらい簡単なことに聞こえるが……
「避けても次の瞬間には向こうに跳んで……つかまえるヒマないな」
避けることは、どうにかできる。そもそも避けなければ、余裕でふっ飛ばされて、最悪死ぬ。そして敗ける。だから避けるわけだが、避けた地面に着地し攻撃した次の瞬間には移動を済ませている。
そんな一足跳びの速度を前に、手も足も出ないとはまさに今の状態だ。
「生身じゃラチが明かんな、確かに……仕方ない」
このまま避け続けていれば負けはしないかもしれない。が、勝てもしないし、そもそも永遠に避け続けられる自信も葉介にはない。だから、葉介もまた、解禁することにした。
「リーシャ!」
葉介が叫んだ時……
魔法騎士団の側から、飛んでくるものがあった。紫色に光る見慣れないソレを、囚人たちは、大き目な杖だろうかと最初は思った。
それは葉介のもとへ真っすぐ飛んでいき――葉介の左手に納まった。
「ごめんね……力借りる」
「お出ましやな……」
はるか上空に張った【結界】に腰かけつつ、地上の様子をうかがっていた。
日本刀……刀のファントムを抱きしめる葉介を。真騎士団を。魔法騎士団と女王様を。
そして――
「見とるか? リユンの金持ちども……」
この島を取り囲む大型帆船たちを見下ろしながら、感嘆の息が漏れる。
彼らがどうしてこの島に、大きな船でやってきたか。メイランは知らない。少なくとも、真騎士団の雄姿を見守りに来たというわけじゃないことは、メイランでも分かる。
が、彼らに言われた通り、自分たちは今、この国を手に入れるための戦いに挑んでいる。その目標の目の前まで来ている。
リユンにも何かしら、企みや思惑があるんやろうが、少なくとも、あっしらが目標を成し遂げた後は、何の文句も言わせへん。それを反故にした時こそ、無理やりにでも言うこと聞かす。誰にも、あっしらの邪魔はさせへん――
「……ん?」
そのために、最大にして最強の壁である、葉介を、立ち上がりつつもう一度見下ろした。
「うわッ!」
「ちょっと、なにこれ!」
「ゲホッ、ぺッ、ぺッ……」
地上で見ている者たちは、目を閉じ、鼻と口を押さえていた。
葉介が呼び出した聖剣・利衣叉が、葉介の周囲をひとりでに移動、高速回転。
柄と鐺に海岸の砂が巻き上げられ、回転の遠心力による風で更に舞い上がる。
葉介の全身が、砂嵐に覆い隠された。
「目くらましか……天女相手には妥当な作戦やね」
【結界】の上でくつろぎながら、小規模な砂嵐をノンビリ眺める。
【感覚強化】を使ってもみたが、これだけ砂粒が舞い上がっている以上、葉介の姿は全く見えない。
「まずは、あの砂嵐を止めんことにはな」
砂嵐など、この島国にいるかぎり無縁だが、戦争を求めて世界のあちこちをさまよっていた時に、砂漠を歩いたこともある。あの時遭遇した自然現象に比べれば、ファントムが無理やり起こした嵐の、なんと可愛らしいことか……
「このひとっ跳びで仕舞いや」
【結界】を蹴り、秒で砂嵐の中へ。
結果、巻きあがった砂の全て、衝撃と風圧で散らばった。
(また砂嵐起こすにも、何十秒かは時間が掛かる。そんだけあったら、仕留めるには十分――)
「ぺッ、つっても、さすがに舞うな、やっぱコレ、ゲッホ……」
砂嵐は散らばった。とは言え、元々地面にあった砂は、むしろ着地の衝撃で舞い上がる。さっきから普通に起きている現象だ。
(にしてもいくら白い砂浜っつったって、白すぎなような……てか、口にも入っとんのに、口ん中全然たまらんな、てか、口ん中で、溶けて――)
「て、これ、小麦こ――」
「うわぁ!!」
「きゃあ!!」
メイランの着地した地面から発生した、突然の轟音。爆発。ただ眺めていた真騎士団も、シャルとミラの【結界】に守られた女王と代表らも、一様に身を伏せ、縮こまっていた。
「――ファイ、フェイ! そっちは無事か!?」
「驚愕……ですが問題無しです!」
「失禁……した者はいません!!」
双子と、その後ろの囚人たちにも、ケガ人は無し。
囚人たちはほとんどが縮こまっているし、シャルの後ろにいるリム、メルダ、ディックの三人は腰を抜かしているものの、囚人たちを守った双子は経験者なだけあって、戦慄こそしながらも仁王立ちしていた。
(お前の指示通り……とは言え、さすがに無茶をしたな、ヨースケ)
そして、経験者たちさえ多くが忘れていた大爆発を起こした張本人、葉介は……
「リーシャ……俺のこと、セコくて最低な卑怯者だと思う?」
はるか上空で小麦粉まみれになりながら、腰かけているリーシャに向かって、そんな言葉を掛けていた。
葉介のやった細工は単純。
リーシャに砂を舞わせてもらうのと同時に、小麦粉の入った魔法の革袋を取り出しシャルに合図。十分に砂が舞い、自身の姿が隠れたと判断したところで、中身をぶちまけ、足もとにも一通りばら撒いて、砂と小麦粉の嵐の中心から離脱。その際、魔法の油をこぼして導火線にする。
メイランが飛び込んできたところで、マッチの火を油に引火させたところで、リーシャにつかまって空へ退避。
メイランの着地によっていくらか辺りに散らばりはしたが、余計に小麦粉が広がり、足もとにばらまいた小麦粉も舞い上がり、そこに火が点き、大爆発――
(最初、小麦粉はもったいないから、鉄粉使おうかとも思ったけど……真っ黒だから一目でバレそうだし、自然に優しくなさそうなので)
爆発させて燃やしている時点で、自然に優しいもクソも無い。
(良い子はマネしないでね)
できるか……
リーシャに乗って地上に降り立ち、服にかぶった小麦粉をはらっていると、まだ残っていた砂ぼこりもまた、ゆっくりと晴れていった。
「…………」
爆発の中心にいたメイランは……砂に埋もれて、倒れていた。
「……早く治療しておやり?」
真騎士団に、少数ながら残っている青色たちへ声を上げた。それを聞いた青色たちは、急いでメイランのもとへと走った。
「なんにつけても、手枷着けたままメイランさんに勝てたのは、僥倖――」
敵となった真騎士団はもちろん、味方であるミラや、他の魔法騎士団たちでさえ、言葉を失い、呆然となって。
そんな目線も無視しつつ、安堵して呟いた独り言を中断させて振り返った時――
数少ない第3の皆さんが、メイランのいる場所へ集まっている。なのに、未だ舞う砂ぼこりを嫌ってなのか、その中心には近づこうとしていない。
そんな若い衆の姿も呆れ果てた光景ながら……葉介が凝視していたのは、そんな有象無象ではなく、その向こう、砂ぼこりの中心。
「おぉ……」
砂ぼこりの向こうに隠れていても、黒焦げになったその人はフラつき、今にも倒れそうな有様ながら、それでも、二本の足で立ち上がっているのが、誰の目から見ても分かった。
(【硬化】使ってたおかげで耐えたか……まあ、死なれたら死なれたで、目覚めは悪いけど)
殺すと宣言した。他に勝てそうな作戦が無かったのもあるが、殺す気でこの手を使った。
それでもやはり、積極的に死んでほしいとは思わない。彼女が死んだら、ミラが泣く。
そのメイランが立っているのを見て、葉介は、リーシャを置いて歩き出した。
メイランもそれに気づいたようで、未だ動けずにいる第3たちを置いて歩き出す。
砂ぼこりの中から――頭や手や肌が黒く焦げ、服も髪もボロボロで、砂にまみれて、なのに背筋を伸ばし、拳を握っている。そんな、淑やかさを犠牲に、気高さと、更なる美しさを漂わす、地に堕ちた天女は姿を現した。
「まだやる?」
黒い死神が、赤い天女に問いかけると――メイランは、白い歯を見せて笑ってみせた。
「……そこまでするほど、マオラン・リーのこと、怒ってんの?」
好戦的な笑みに向かって、葉介が返した問いかけに……メイランは一度、驚いた顔を見せて、そしてまたすぐに、笑みを浮かべた。
「分かっとんのやな……さっすが、骨だけとはいえ、王様やね?」
「王様も面識はなかったみたいだけどね……他に理由も思いつかんし」
「マオ、なんて?」
「マオラン・リーです」
アラタの疑問の声に、応えたのはシンリーだった。アラタだけでなく、真騎士団も魔法騎士団も、ほとんどの者たちは首をかしげている。
分かっている様子なのは、シンリーと、レイと、シャルと……
「そっか……師匠、だからこんなこと……」
「なんだよ、ミラ? お前、そいつのこと知ってんのか?」
そんな名前の人物のことを知らない、アラタと、リムら他のメンバーの視線が、ミラに集まった。
「わたしも会ったことはない。わたしが生まれるより前か、生まれたすぐ後に死んでる……師匠のお母さん。で、魔法騎士団、作った人――」
それを聞いた、分かっていなかった者たち全員、ミラを、そして、メイランを見た。
「恨んでるのは当時の王様女王様? この国自体?」
理由を知っても、葉介は調子や態度を変えることなく問いかけていた。
「恨む? まさか……あっしは別に、誰のことも恨んでへんえ。オカンが死んだんは、名誉の戦死っちゅーやつやしな」
問いかけられたメイランも、笑顔も調子も口調も、何も変わらず答えていた。
「最初っから言うてるやん。あっしはただ、強い国が作りたいだけ。オカンが遺した、魔法騎士団使こて、強い国をな――」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
時間は――どころか、年月はかなりさかのぼる……
ルティアーナ王国にとっての隣国――もっとも、四方を広い海に囲まれているため、隣と言ってもかなり距離の離れた大陸の海岸線に位置する国だが――には、この国には無い、軍隊があった。
いつ終わるとも知れない、何年も続いてきた戦争にはその国も参加していて、多くの兵士たちが集められ、戦い、戦死する若者たちは多数。
もちろん、志願兵も大勢いたろうが、戦死した者たちの全員が全員、好きで兵士になり、好きで戦っていたわけがない。望まず兵士になり、嫌々戦いに参加して、生きたかったのに戦死した、そんな人間も数知れないだろう。
そして逆に、兵士として志願し、戦いを望み、なのにその機会を与えられない、そんな人間も中にはいた。
『リー・マオラン』も、その一人だった。
兵士に必要な、素手の戦闘力、魔法の戦闘力、加えて頭のキレ、どれを取っても、並みの兵士など足もとにも及ばない、光る物を備えていた。
なのに、実際に兵士として、戦地に送り出されることはなかった。
理由は、さして珍しくもない。マオランが女性だったから。
魔法が発達し、性差による能力や体力の差が無くなってきた今でさえ、性別を理由に、何かしらの仕事にありつけない例はルティアーナ王国にも存在する。数世代前ともなればなお更。素の体力が物を言う軍隊ともなれば、より顕著だったに違いない。
気概はある。能力もある。実力もある。体力さえある。だが、お前は女だろう……
それだけで、マオランは戦地へ送られることはなく、せっかく入隊を許された軍隊の中で、誰にでもできる雑務以外に仕事を与えられることはなかった。
結婚し、子どもがいたことも理由の一つだったかもしれない。何なら、活躍の機会を与えられないストレスを最愛の夫にぶつけた結果が、若くして設けた二人の子どもだった。
いずれにせよ、彼女が祖国の軍人として、戦いに参戦できたことは、ついぞ一度もなかった。
そんな彼女に転機が訪れたのは、終戦のおよそ三年前。
当時から知る人ぞ知る……だが彼女は一度も耳にしたことのない小国から、軍人を一人派遣してほしい。そんな要請が来たこと。
その派遣要員に選ばれたのが、マオランだった。
聞けば、その小国には軍隊がなく、このまま大国間の戦禍に巻き込まれれば、戦う力を持たないその国はあっという間に壊滅する。だから、国を自衛するための軍隊を作りたい。そのための監督・指揮官として、軍人を寄こしてほしい、と。
雑務しかしてこなかった彼女にとって、ある意味で言えば大抜擢だったが……
実際には、能力はあっても使い道がない、面倒な人材を体よく追い出すための口実。
マオラン自身は当然気づいていた。子どもながら物事の分別が付き、歳の離れた弟の面倒をよく見ていた娘も気づいていて、そんな話は受ける必要はない。そう彼女に諭していた。
だが……マオランはその仕事を引き受けた。
元々、祖国とは言え愛国心が強いわけじゃない。そんな国の軍隊にいても、このまま雑務だけで終わってしまう未来は見え透いている。
せっかく軍人になったんだ。どうせなら、自分を必要としてくれている国に尽くしたい。
加えて、まだ幼い、愛する息子の身に起きた問題。そして、安全だったはずの国内で起きた暴動に巻き込まれて死んだ、最愛の夫のことを忘れたくて、生まれてから一度も聞いたことがない、海のど真ん中にあるような、小さな小さな島国へ、愛する娘、息子ともども渡っていった。
ルティアーナ王国に渡った後は、さっそく要請のあった軍隊――国防隊の創設に取り掛かった。
軍隊とは言っても、あくまで目的は祖国の自衛。距離は離れているし、この国自体は戦争には参加しておらず、加えて、侵略されるような理由も無い。それでも、敵国同士に挟まれた海に位置するこの小国が、どんな形であれ戦禍に巻き込まれないとも限らない。
だから、そんな戦禍からこの国を、人々を護るための組織を。
そう説明し、肝心要の人材を募集したものの……
いくら国防が主目的とは言え、当然ながら、命懸けとなる危険な仕事を好きこのんでやりたがる人間はいなかった。元々、戦争から逃れるために流れ着いてきた金持ちたちはもちろん、小国であるこの国の経済を回す役を担っていた男たちからも、口をそろえて拒否された。
そこで、苦肉の策として、比較的手の空いている者が多い、女、子どもを集めようという考えに至った。
もちろん、批判の声は上がった。彼女をののしる声もあった。
当時の国王、王女からも……
それでも、他に方法が無いと、国王たちを説得したことで、渋々ながら、国王はその案を可決。政治家たちは国防隊のための特別予算を組んで、国防隊に参加した者たちには、当時としては破格の報酬、給料を支払うことを約束。
結果、本人らの意思はどうあれ、最終的には希望者が殺到した。
どうにか人材を確保した後は、城から住み込み(帰宅は可)の許可も取り、軍隊としての訓練を行った。とは言え、集まった人員が人員なので、全員、マオランとは違い肉体は貧弱。魔法にしても、生活にしか使ってこなかった女たちや、子どもが遊びで使ってきた程度の魔法が、戦うために長く訓練をしてきた兵士たちに勝てるわけがない。
それでも、祖国には無かった質の良い杖や、天極至法は強力な武器だと気づいた。
だから、肉体的な訓練は最低限にとどめ、代わりに必要な魔法を厳選し、それに合わせた特訓内容を検討し作成。いざ特訓を始めた際には、隊への参加を買って出てくれた愛する娘とも連携しつつ、集まった全員、一人一人の適正を見極めて、個別の指導も行った。
集まった者たちも、いくら自分たちの国と生活を護るためとはいえ、乗り気でない者たちが大半だった。それでも、自分たちと同じ、女であるマオランの熱心かつ丁寧な指導を受けた結果、集まった者たちの魔法は目に見えて上達していき、加えて、実際に国のすぐ近くで外国同士のいさかいが起きたのを目の当たりにしたことで、誰もが本気で特訓に取り組むようになった。
結果、マオランが国に来てから半年後には、最低限戦える実力を持った兵士たちを育て上げ、一年後、王女が女王を襲名したのと同じころに、軍隊として完成させた。
人が育った後は、彼女らの実力と適正に合わせて、それぞれ役割を持つ、五つの隊に振り分けた。
分かりやすいよう、それぞれ数字と、女王のドレスになぞらえて色が割り振られた、この美しい国を護るための五つの門――
五つの生きた関が、司令塔であるマオランの的確な指示号令のもと動いた。
海岸線を毎日監視しつつ、最重要拠点の城下町には最も多くの人員を配置、小さな村々にも隊員を送り、要人と見なした人物には警護を充てて、争いが始まれば徹底抗戦、ケガ人が出れば、専門の部隊がすぐさま駆けつけ治癒を施す。
島国の間近で争いが起これば、その争いの監視、国民たちの安全確保に避難誘導。
この島国に侵略の手が伸びれば、侵略者との抗戦、城下町やリユンとの連携、対策。
そうして戦い続けた結果、何度か戦禍に巻き込まれそうになったのを、終戦までの約二年間、犠牲者はたった一人にとどめつつ、この国を護りきることができた。
たった一人の犠牲者――マオラン・リーの命と引き換えに。
いつも通り、敵国同士の争いが島国の近くで起こった時。それを最前線で監視していたマオランに、敵の魔法による流れ弾が直撃、海に落下した。
すぐさま仲間の隊員たちによって連れ戻されたものの、流れ弾か落下の衝撃か、いずれにせよ、即死だった。
遺言もなければ、心残りさえ誰にも聞かされることなく、本当に、ほんの一瞬の出来事だった。
そして、残された娘や隊員たちは、悲しむヒマさえ与えられないまま、仕事を続行した。
自分たちにとっての指導者であり、指揮官であり、恩人であるマオランの命を奪った、敵たちを今すぐ亡き者にしたい……
この国を参戦国にしないよう、そんな衝動を抑えて。この国を、護るために――
そうして終戦を迎えた後は、国防隊もまた、必要ではなくなった。とは言え、犠牲まで出しながら、国を護ってくれた者たちをただ放り出すわけにはいかない。
そこで、国防隊は国家公認の治安維持組織として残すことが決定。『国防隊』から、『魔法騎士団』(一般公募)へと改名された。そこで国防に変わる、新たな仕事の割り振りが国家によって行われたのだが……
その実態は、せっかく身に着けた力の活かしようがない下働き。
重宝されたのは、ケガ人・病人が出た時に仲間たちを助けるために、【治癒】を鍛えられた第3くらい。他に与えられたのは、皮肉にも、かつてマオランが祖国で与えられたのと似たような仕事。わざわざ魔法を鍛える必要のない、誰でもできてしまう仕事。城への住み込みは許されたが、給料は激減した。
特に、最前線、海岸線を護るため、戦闘に特化するよう鍛え抜かれた、メイランら第5たちの扱いはひどいものだった。
戦争さえ終わってしまえば、呆れかえるほど平和なこの島で戦う相手など、犯罪者を除けば、害獣と、デスニマくらいしかいない。
当時や戦時中にも当然デスニマの脅威はあったものの、滅多に現れる存在でないことも、あまり鍛えていない一般人でさえ魔法で普通に倒せることも、今も昔も変わらない。
だからせめて、デスニマが現れないよう、見張る仕事を与えよう。それでもしデスニマが現れたなら、その時こそ存分に戦ってもらおう。場所は、デスニマが出やすい、城と城下町を囲む外森で構わないだろう。そこ以外はいらないだろう……
そんな扱いを受けた結果、第5の人間たちから順に、城から姿を消していった。
第5だけじゃない。場所や役割はどうあれ、命懸けで戦って、国防という仕事をやり遂げたにも関わらず、なまじ戦争との関わりが薄かったせいで国民たちから感謝の言葉も少なく、用無しになった後の扱いから、魔法騎士でいることに意義を見出せなくなり、辞めていく者たちは後を絶たなかった。
創設メンバーで残っていたのは、メイランを始めとした、魔法騎士に生きがいを見出した者や、熱心だった者のみ。
そうして残った者たち全員、信じていた。
今こそこんな扱いを受けていても、いつかまた、自分たちが必要とされる日が来ると。この国のために戦い、国防隊の時と同じように、誇り高く戦える日が来ると。
人が去っていったなら、代わりを集めればいい。実際、最初のころは、国防隊の活躍を知り、憧れ、讃えて、彼女らのようになりたいと志す若者たちは大勢いた。
だが、そんな気持ちで騎士団入りした若者たちも、国防隊とは全く違う魔法騎士団の実態と現実に失望し、一年ともたず去っていった。
国防隊への憧れも、熱心な夢も世代を経るごとに消えていき、代わりにやってくるのは、戦う意味も、魔法騎士団の存在意義さえ知らない――他に仕事がなかったから。金持ちの家に生まれた落ちこぼれの受け皿。ただ何となく魔法騎士になろうと思った。そんな愚にもつかない理由でやってきた青二才ばかり。
そんな若者たちでも、かつて自分たちがそうされたように、この国を護れるようにと訓練を課そうとしたものの……
理解したのは、マオラン・リーが、指導者・創設者として、いかに優れていたかということ。そして、新しい世代の若者たちが、いかに戦う意味を知らず、やる気がないかということ。それだけだった――
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「別にな、あっしらが用無しになるんはエエねんで? 実際、戦うんは怖いし、誰だって死にとうない。誰にもそんな思いさせんために組織されたんが国防隊や。そのためにオカンとあっしらは、命懸けてこの国のために戦ったんや……そんな、国防隊がや……」
そこまでは、いつもの調子で話していたのが……声も、表情も、沈み、暗くなり。
「オカンが必死になって作り上げた魔法騎士団がや。無くしてしまうんでもなく、変えるにしても中途半端で、変わった後に集まって、残ったんは、腑抜けばっかりや。今じゃあ国防隊の名前も、誰がこの魔法騎士団を作ったかも、そもそも何のために魔法騎士団が生まれたかすら、誰もかれも忘れとる。誰も、オカンのことなんか覚えてない……自分らが誰のおかげで、今みたいに、平和に、普通に生きることができとんのか。だぁーれも、なんにも、覚えてへん……」
沈痛な面持ちで。悲痛な感情で。話す声色には怒り以上の、哀しみが籠められて。
「……まぁ、時間も経っとるし、忘れるんはしゃーない。しゃーないけどな……それでも、ゆるせへんねん。オカンが創って、オカンが育てて、オカンが守った魔法騎士団が、すっかり貧弱になり下がったことも。護ってきた国民からバカにされるんも。まるでオカンのことまでバカにされとるみたいなんが、あっしにはどうしても、ゆるせへんねん――」
「…………」
「師匠……」
「せやから、思い出させることにしてん。魔法騎士団がなかったら、自分らも、この国も、どうなるか。そんで、外国と戦ういうことが、どんだけヤバいっちゅーことか……そんで、みんな思い出したらエエねん。魔法騎士団作ったオカンが、どんだけ偉大な人やったかっちゅーことをやな――平和に甘える言うことが、どんだけ恵まれたことかっちゅーことをやな!」
「ダリ」
メイランが叫んだ時――いつの間にやらメイランの目の前まで移動していた葉介の、右足の裏がメイランの顔面を捉え、尻もちを着かせた。
「ミラを拾ったのも、そのためか?」
不意打ちに近いそんな一撃に、ギャラリーが目を丸くするのも構わず、葉介は、自分が聞きたいことを聞き出した。
「髪は白いけど肌が黒いミラを拾ったのは、その目的を果たすためか? ミラをエリエルにしようって思ったわけか?」
問いかけられたメイランは、一度口を閉じて……立ち上がりつつ、答える。
「せや。あのクソ女が暴走して、女王も国王も死んだ後に消えた、三人の娘。その中で一番幼い、王様にはなれても、周りの大人を頼らざるを得ん幼帝を演じさせるためにな……何年か面倒見て、あっしの言うこと全部聞くようになったら、エリエルとして持ち上げるつもりやってん。白髪やけど、この国には珍しい黒い肌やし、髪の毛なんて簡単に染められるしやな。仲間らがちゃんとした金髪の娘ぉ見つけたおかげで、魔法騎士団も、ミラにも用済みになってもぉたけどなッ――」
今度は左足が、メイランの腹部に突き刺さった。
「腐ってもミラの師匠だし……捨てられた日から、今でもミラは、おたくのこと慕ってる。だから死なない程度にと思ってたんだけど――」
「やっぱ、殺す」
右足、右足、右足、右足、左足、左足、右足、左足、左足……
大きく抉れた砂浜の上で、葉介の黒い両足の全てが、メイランぶつけられていく。
メイランの腹、胸、上腕部、脚部、側頭部、顔面、腕、脇腹――
蹴りを喰らいながら立ち上がろうと構わず、おおよそ、正面に向かい合った状態から狙える箇所の全て、葉介の黒い靴が食い込んでいく。
「がッ、ごッ……ヨースケになら、殺されても構へんけど、タダでは殺されへんえ――」
しばらく蹴りの嵐を耐えたメイランも、蹴りを繰り出した。
右足、右足、右足、左足、右足、右足、左足、左足、右足、左足――
「ウソやん……全部避けるか防ぐかされてもぉとるやん――」
メイランの言った通り。
メイラン自身、直前のことでフラフラな状態とは言え、それでも繰り出される、キレも威力も衰えていない流麗な蹴り技を、葉介は全て、避けてしまうか、避けきれない物は受け止めている。
「確かにね……俺と違って脚は長いしお股は開くし、そんな足から飛んでくる蹴りは、綺麗で格好いいし強いし羨ましいよ。おかげで読みやすいわ!」
逆に、葉介が繰り出す蹴り。
フォームは単純、短い脚の運びもマチマチ、体も股関節も硬いせいで、傾くか、地に手を着くか、跳ぶかする必要があり、所々バランスも危うい。速くて強くて、どんな体勢からも繰り出せる、ただそれだけの雑な蹴りが、全てメイランの身に食い込んでいく。
「なんでだ……?」
二人の蹴り合い――ほとんど葉介の一方的な蹂躙を見ながら、アラタは疑問の声を上げた。
「あの女のキックのが格好いいし、強さだって負けてねぇ。背も高くて、手足も長いあの女の方が良い蹴りしてるって、俺でも分かるのに……なんで、ヨースケの方が強えーんだよ?」
アラタが、そんな疑問を口にした。アラタに限らず、この場の誰もが思った疑問だった。
片や、一目で体格に恵まれていると分かり、得てして技も美しい美女。
片や、一目で何一つ恵まれることなく、それに見合った不細工な技ばかり使う小男。
そんな二人が激突し、優勢なのは、小男。美女の方は大きなダメージを受けているし、魔法も使っていない。それでも、見るに見事な蹴りを繰り出している。
しかし、魔法を使っていないのは男も同じ。同じ条件で、ダメージの面では男が有利とは言え、勝っているのは男の方。
「ん……無理もない」
そんな、アラタや他のギャラリーたちの疑問に対して、ミラが声を上げた。
「ミラ……分かるのかよ? なんで、ヨースケのがすげーのか」
「分かる……師匠のキックは技。ヨースケのキックは武器」
アラタの疑問に、ミラは二言で答えた。
「師匠のキック、確かに綺麗。あんなに長い足ならどこから蹴っても届きそう。脚も開いてるから、どこでも狙える。理想の形が作れて、すごく綺麗な蹴りになる……それだけ。結局、魔法で戦うから、そのついでに鍛えて、キレイになった、それだけの、技。慣れれば簡単に読めるし、簡単に防げる」
「技……それだけの……」
「でも、ヨースケは違う……魔法なんて使えなかったし、武器がないと、デスニマは倒せない。その武器まで無くなったら、生身で戦うしかない。だから、生身でも唯一武器にできる、蹴り技を徹底的に鍛えた。魔法や、刃物の代わりになる、武器にするために……」
そこまで丁寧に言われたことで、アラタもようやく、ミラの言いたいことが分かった。
「魔法のついでに鍛えただけの技と、相手を倒して生き残るために磨いてきた武器。魔法抜きで戦ったら、技と武器と、どっちが強いかなんて、考えなくたって分かる……」
「……なんか、すげーな、ミラ」
「わたしはヨースケの師匠」
「そーだな……ヨースケの師匠だから、俺の師匠だよな?」
「今さら?」
ミラが解説した通り。ミラが言うところの、メイランの技は、相変わらず、誰が見ても華麗と認める形で繰り出されていた。あまりにも美しく理想的すぎて、見る者が見れば、どう来るかが分かりやすい、そんな蹴りだった。
葉介は武器を、ひたすらに繰り出していた。相手がどこにいようと、自分がどんな体勢でも、打ち込み、当てて、倒すため。形も見た目も不細工なだけに、どこからどう来るかが全く読めない、武器の嵐。
(まあ、それでも、爆発のダメージが無けりゃ、今ごろボロ負けしてるのは俺だったろうよ)
本来なら、自力でも圧倒的に負けていた。仮に相手が万全の状態なら、魔法抜きでも勝てるわけがなかった。それが、直前のケガのおかげで、葉介の目でも追えるようになって、互角になった。
互角になった、生身での二人の蹴りがぶつかり合い、ぶつけ合い――
「――【身体強化】ッ!!」
とうとう、メイランが叫んだ。
敗けたくない、勝ちたい……
負けそうだと悟り、夢中で叫んだ呪文だった。
「がッ――」
「そっちが魔法使うなら……俺ももう、遠慮はせん」
強化した身体で襲い掛かろうとした。そんなメイランの、股間を蹴り上げた。
その蹴りに悶絶し、前かがみになりつつ口の空いたアゴ目掛け、回し蹴り。その足のひざを瞬時に曲げ、一度後ろへ下げてから、鼻への蹴り。
鼻が潰れたのを感じた、次の瞬間、一気に間合いを詰めて、人中――唇と鼻の間の部分目掛けて、右手中指の第二関節を突き出した一本拳――
「……痛ぅッ!」
が、トドメのつもりで繰り出した拳の一撃も、鼻が潰れた直後に唱えたらしい【硬化】によって防がれた。
(さすがに、生身で【硬化】を超えるほどの力は無いわな! こっから反げ――)
「がぁッ――」
反撃に出ようと、メイランが前へ出ようとした瞬間、側頭部に硬い衝撃を感じた。
(なん――拳やない――蹴りとも――杖? ちがう――あれは、流木……!?)
それを認識した直後にまた衝撃。
決闘前に片づけていた流木で、一発、二発、三発――
硬化されたメイランの頭をめった打ちにし、流木が折れたと同時に服をわし掴んで――
「フッ――」
掴んだ服を後ろへ引っ張り、背負い投げで背中から叩き落とす。
即、馬乗りになって、左ひざを腹に突き刺し、左手で胸倉を掴んで。
右手で、一発、二発、三発、四発……
メイランに対する諸々の感情を、未だ【硬化】の効いたその顔に。
同時に後頭部にも、砂浜とは言え、地面が、一発、二発、三発、四発……
まるで新品の粘土みたいに、最初硬かったものが、徐々に、殴るごとに――
何十発と殴っていくうち、普通の感触に変わっていき――
葉介の息が上がり、美しかった顔が、火傷と腫れで見る影もない様になったところで――
「…………」
今度こそ、立ち上がらなくなった。
「うそ……メイさんが……」
2勝0敗。それを成した葉介を要する魔法騎士団にとって、これ以上の朗報はない。
だが逆に、0勝2敗の真騎士団たちにとってそれは、絶望以上の何物でもない。
「メイさんが、敗けた……」
「私たちのボス、よね……?」
「一番強くて、私たちのこと、率いてくれる人……それが、魔法も使えない相手に敗けるって、どういう……?」
「騒ぐな」
うろたえ、狼狽し、絶望が一気に広がる。そんな空気に待ったをかけたのは、メイラン以上の信頼と尊敬を集めてきた、一人の青年。
「まだ二人敗けただけだ。最後の一人になるまで何度敗けたっていいんだ。最後に、五人を倒せばそれで勝ちだ……オレが勝てばな」
ただの事実。それも、実現困難な無理難題を、平然と、平気な口調で言い聞かせる。
根拠はない。確信もない。なのに、それを聞いた真騎士団の若者たちは、その言葉を信用させられた。
だって、他の誰でもない、『最強』の魔法騎士がそう言ったのだから。
「次はオレだ」
倒れたメイランを【移動】させつつ、四日前と同じ、白い騎士服姿のレイが、前へ出た。
「…………」
ヨースケに――ではない。ヨースケの後ろに立っている、一人の女へ視線を向けていた。
(絶対に僕が勝つ。勝って、こんな国ぶっ潰す……そして、今度こそ君と――)




