第0話 異世界の夜の夢
「すでにご存じのこともあるでしょうが……この世界で言う魔法とは、魔力を込めた言葉――呪文を口にすることで、その人間が持つ魔力と空気中のマナが反応し、その呪文が表す現象を実際に発生させる行為のこと。こうして生まれた魔法は普通、その現象の発生を終えた後か、使用者の本意不本意に関わらず、使用を停止した時点で元のマナに戻り、空気中へ還ります……ですが、魔法の中には役目を終えたにも関わらず、どれだけ時間が経ってもマナに戻れないものが発生する時がある。間違いなく魔法なのですが、何の現象も起こさない、文字通り『空魔法』ですが、それ自体はただ空気中を漂うだけで、基本的に害はありません……ただ、今となっては、あまりに身近なものとなっているので誰もが忘れていますが、魔法とは元来、人間の力では不可能な現象を形にできる、強力なエネルギーの塊です。そんなものが空気中を漂い、さまよったのち、現在で言う箒や絨毯のような、受け皿として見つけたものに入り込み、動かないはずのそれに再び活力を与え、動き出したもの……それをワタシたちは、デスニマと呼んでいます」
「…………」
「見た目には、死んだ動物が生き返ったように見えますが、実際には、死骸であったものが動き出しただけの状態です。大抵、肉体はもちろん、脳も傷んでいることで知能と呼べるものは残っておらず、ただ生前に肉体が行っていた動作を繰り返している。歩く、走る、這う、飛ぶ……人間であれば、笑う、しゃべる、襲いかかる、戦う、魔法を使う、そして、食べる……もっとも、体が死骸である以上、消化吸収もできないので、普通の食料をどれだけ食べても栄養にはなりません。彼らにとっての栄養は、自分たちと同じ、魔法です」
「…………」
「水滴に水滴をぶつけると、水滴同士混ざり合い、一つになる……デスニマという水滴が、周囲の水滴を吸い寄せる力を持っていると考えてください。距離はどうあれ、そのデスニマの周囲にいる人々が魔法を使ったとしたら、魔法を使い終わった後には必ず役目を終えた、空魔法という水滴が発生します。その空魔法を、デスニマは吸い寄せる力を持っている。マナに還る前にその水滴を吸い寄せ、吸収することで、一つになる。そうやって自らの容積を増やしていく。それが、デスニマという魔法が栄養を摂取する方法です。そして、デスニマによって吸い寄せられた空魔法の中には、そのデスニマに出会う前に、別の動物の死骸に出会い、そちらへ宿るものも現れることがある」
「……だから、デスニマが一匹いると、二匹目以降が生まれやすくなる、と?」
「そうです。しかも、魔法はマナに還らない限り、増え続けるのみで減ることは無い。なので魔法を吸収し続け、容積が増え続ければ当然、ソレを納めておく器も大きくなる必要がある。そのために、魔法自体の力で体のサイズが肥大化し、それに伴って外見も元の状態とは大きく変化していく。しかも、それだけ大きくなっても、いつかはその体に納まりきらないだけの容積となってしまう。納まりきらなくなった魔法は体外に放出する必要がある」
「それが、デスニマの親と子供ってわけ……ですが、魔法が栄養源なのに、子供まで使って、わざわざ人とか動物を襲わせるのですか?」
「ええ……先ほど言ったように、動いているのは魔法のおかげですが、動いている動物たちからすれば、目的も、考える知能も無しに、生前の本能に従っている状態ですから。本来の栄養源がどうあれ、生前通り、獲物を求める。そのために、まだ小さくて動けるなら自分で、大きくなりすぎて動けなくなれば、結果的に群れとしての体を成した、子供たちを使って狩りを行うわけです――もっとも、子供は親とは違って、死骸のような器も無い、100パーセント魔法から成る存在なので、肉体を持つ親や普通のデスニマに比べれば、どうしても存在自体が弱くなります。次々生まれはしますが、一匹一匹が長くはもたず、親のように、空魔法を吸い寄せる力もない。放っておいても最終的にはマナに還ってしまうので、極端な数まで増えることも本来はありません」
「じゃあ、親に成った空魔法も、放っておけば、いつかはマナに戻るってことですか?」
「いいえ……箒や絨毯などを放置しておいてもマナに還らないように、動物の死骸という器がある限り、魔法はデスニマとして生き続けます。魔法の道具もデスニマも、物理的に壊す以外、中の魔法を外に出し、マナに還す方法はありません」
「なんというか……『魔法』と呼ばれる子らが不憫に思えてくる話ですね……」
「ですが、その空魔法が宿るデスニマを倒してあげれば、役割を終えてマナに還ることができます。なので、デスニマを倒すことは人間にとっての危険を取り除くと同時に、魔法たちを救うことにもなります」
「なるほど……しかし、なんで今さら、私にデスニマのことを話して下さるのですか?」
「アナタ自身、ご自分のことを知りたいと願っていたようなので」
「ああ――やっぱ、デスニマだったんですね、私……人の名前が覚えられないのも、そのせいで――」
「いえ、それはアナタ自身の問題かと……」
「――あっそ」
「他にも聞きたいことがあるようですね?」
「そりゃあ、ねぇ……答えるのがイヤなら、わざわざ尋ねはしませんけど?」
「イヤだなんて……話すべきことは色々とありますが、時間の許す限り、質問にも答えます」
「――誰やねん」
間髪入れず、前置きも無く、かなり今さらな疑問を、葉介は唸った。
「ここがどこだかとか、どうして話してんのかとか、ぶっちゃけ疑問の嵐ですけど……とりあえず、まずドチラ様か教えていただいてもよろしいですか?」
話していた男、そして、周りに目を向けつつ、質問した。
自分が今いるこの空間のことは、見覚えがある。というか、時間が経ちはしたものの、それでもよく覚えていた。
真っ黒な煙というか、霧というか、靄というか……三者はどう違うのかと聞かれれば葉介的には困ってしまうものの、とにかく、そんなものに囲まれて包まれた場所。
そんな場所に体育座りしている(実際に座っているのかも感覚的に怪しいが)葉介の前で、デスニマのことを説明してくれた、イケメンのことも覚えていた。
イケメン……そうとしか言いようがない、特徴と呼べるものがほとんどない外見をした、赤み掛かった髪の毛の男。
そんなイケメンは、待っていましたとばかりに葉介に向き直り、頭を下げた。
「申し遅れました……ワタシはユウマ・セトノワの長子にして、ルティアーナ王国前国王、ショウ・セトノワ・ルティアーナと申します」
「王様?」
「はい。と言っても、実質的には王配……言ってしまえば、婿養子の立場ですが」
いかにも王様然とした、壮大な素振りと堂々とした姿から一転、フランクな声色とはにかんだ笑顔を向けた前国王、ショウを前に、葉介は体育座りから立ち上がり、背筋を伸ばした。
「失礼を、陛下……数々のご無礼、お詫び申し上げます」
国王陛下……そう呼ぶべきかとも思ったものの、すでに新しい国王にはシンリーがいるし、ショウ自身、前国王と名乗っている。
先代国王に対する敬称が分からないので、とりあえず、陛下、と呼んで頭を下げて、ひざまずいた。
「そんなに畏まる必要はありません……アナタも、ワタシも、今さらお互いに気遣うような仲でもないと、気づいているでしょう?」
恐縮しつつ、そう気安く諭しているショウに……
葉介は顔を上げ、顔を見合わせ――お互いに、ほほ笑み合った。
「確かに……初めて会った時、妙に身近な人に感じたんだよね。会うのも初めてなら、顔見るのも初めて。なのに、なぜだか知ってる……それも、昨日今日じゃない。ずっと昔から――正確に言ったら、ある日目が覚めて、この国にいた時から、かな?」
「その通り……ワタシも、最初に向き合った時は混乱しましたが、同時に確信もしました。あの時は、残念なことにしゃべりかけることができませんでしたが、アナタに明確な変化が起きたからでしょう。こうしてお話ができている、というわけです」
「明確な変化、ねぇ……」
それも気にはなったものの、いずれは話すだろうと思い、聞くに徹することにした。
「話を戻しましょう。今言った通り、アナタはデスニマです。しかし、タダのデスニマとも違う。あなたは、ファントムだ」
「召喚の香で生まれたのですか?」
「そうです……少々、複雑なので、順を追って説明しますね」
「全部話す時間あるの?」
「がんばります。足りないようなら、ワタシの記憶をアナタの記憶に流し込みます」
「最初からそうすればよくない?」
「付き合ってください。人とおしゃべりするのも十年以上ぶりなのです」
「……じゃあ、がんばって」
葉介からの許可も得たので、ショウは姿勢を正し、息を整え服装を正した。
(意味あるん? それ……)
「まず、瓶に入った『香』と呼ばれる魔法には、今のところ、『デスニマの香』と、『召喚の香』の二種類が存在しています。それは、アナタも知っていますね?」
「ええ、まあ……」
「アレも、ある意味で言えばデスニマ……マナに戻っていない空魔法に特殊な加工を施し、魔法が発動する効果を付与したものです」
「そうやって作ってたの……」
「ええ。もっとも、器がハッキリしている魔法の道具とは違って、作るためには相当な技術が必要なので、この国で作れるような代物ではありませんが……それは置いておきます。『デスニマの香』は、動物の死骸に宿って活力を与え、動き出すという魔法の性質を強化したもので、本来なら宿ることができない、生きた動物、人間にまで宿り、デスニマに変えてしまう。もっとも、無理やり宿ったせいで肝心の宿主の肉体を傷つけ、結果的に死んだ状態に変えてしまう、魔法でできたゾンビウィルスのようなものですが……」
「殺戮兵器としては、中々やね」
「そして、『召喚魔法の香』……これの仕組みも、少し複雑です。まず、アナタの見た通り、幻獣の召喚を成功させるには、香に加えて、二つの材料が必要です。一つが、少なくとも一人以上の人間の犠牲。そして、召喚したファントムの肉体の器となり、同時に力の基となる物質――火や水、魔法の道具なども当てはまります。これらを香が開いた穴にささげることで魔法が発動します。発動された魔法は、吸い込んだ人たちの魔力の総量に見合う、吸い込んだ物質と最も相性のいい存在を見つけ出し、それらの力を魔法に与え、姿かたちは物質から決定し、捧げられた魔力に見合う力を持った、ファントムを作りだして召喚するわけです――こことは違う、異世界を参照して」
「えーっと……」
「簡単に言えば、魔力という支払った予算の金額と、物質という条件を入力して検索を掛けて、数ある異世界から最も条件に見合った生物という製品を見つけてきて、全く同じ姿、同じ力を魔法にコピーし、商品として送ってくる、ということです」
「なんて大がかりな割に雑な通販……魔力とは別に、条件まで物質で請求してやがるし……違うわ。なんでそんな単語知ってんの?」
商品画像も説明も無しに、金の代わりの魔力と、条件となる現物まで請求し、受け取ったそれらに見合っただけの製品を、こちらの確認も無しに一方的に送りつけてくる。買う方にとってはギャンブルでしかない、生き物限定の異世界通販の仕組みも気にはなったが……
それ以上に、突然この世界の人間の口から聞くことは無いだろうと思ってきた単語の山が聞こえたことで、聞くに徹するはずが、思わず聞き返してしまった。
「え? インターネットあるの? この世界?」
「ありません。それは、この後話します……アナタがさっき城へ連行した、シェイルという女から聞き出した話は覚えていますか?」
「誰それ?」
「気にしないでください。そこで彼女が言っていた、全部で五つあった召喚魔法の香のうち、最初の一つは、外森で実験も兼ねて使用した。それが失敗してしまい、何も生まれはしなかった、と……」
「ああ……覚えてるよ。レイ様も、同じ情報聞き出したって言ってたね。カリレスの実家襲ったお姉さまが、使い方の説明もよく聞かずに五本しかないうちの一本を叩き割ったけど、ミニブラックホールが地面を抉っただけで何にも生まれなかったってヤツやろ?」
「そう、それです……発動と同時に全員が避難し、材料とする人間が一人もいなかったことで、何も生まれなかった。あげく、お姉さまは逆ギレし、その日は全員帰ってしまった――しかし、実際には生まれていたのです。誕生の衝撃で、彼女らから遠くへ吹き飛んでしまっていたようですが……他のファントムとは違い、何の魔法も使えず、動物の姿も取っていない。デスニマである以上死んでいるのは間違いない。ただ、死んではいるものの、体の状態も、姿も思考も、全てが完璧に生前に近い、人間のファントム」
「それが俺ってわけか……でもおかしくない? 抉れた地面が材料になったってのは何となく想像できるけど、ファントムを呼ぶには人間の犠牲、というか、魔力が必要なわけでしょ? さっきの例えで言えば、条件だけ出してお金払ってないのに、製品が送られてきたってことになるじゃん」
「そうです」
「そうなの?」
「そうです。例えとしてお金とは言いましたが、魔力をささげたから召喚されるわけではなく、ささげられた魔力の量に足るだけの力を持った存在が呼び出される――つまり、捧げられた魔力が0なら、魔力を全く必要としない存在を呼び出すことになる」
「……だから、魔力どころか、そもそも魔法なんてもんが存在しない、俺の世界から、俺が選ばれ呼び出された、と?」
「そう。つまりは召喚するだけなら、姿かたちを決定する物質さえあれば、魔力は必ずしも必要ない、ということです」
彼の言った通り複雑ながら、召喚という魔法の仕組みはどうにか理解した。だが同時に、疑問も湧いてくる。
「ただの土を材料にしただけで、わざわざ人間連れてきたっての?」
「ただの土、だけではありません。あの時、失敗した召喚魔法の香が材料として吸い込んだのは、下にあった地面と……そこに埋められていた、人間の遺体です」
「……あの森に、お墓なんて無かったと思うけど」
「ええ。ありません。殺された後は、適当に埋められただけでしたから……城からほど近い距離にある、広くて大きな外森なら、外へと通じる道以外に、好き好んで入り込む人間も少ない。死体を埋めて隠すには、最も都合の良い場所だったわけです」
「そうとは知らず……というか、知ってたとしてもまさか、埋めた場所の真上だとは思わず、召喚魔法の香を使ってしまったと?」
「そうです。そうして、ミニブラックホールによって地面が掘り出され、その土と一緒に、ワタシの遺体を吸い込み、新たなファントムを生みだした、ということです」
「……てことは、つまり、俺が今、この世界にいるための、この体って――」
「ワタシの躰、ということですね。えぐれた分だけ土も混ざってはいるでしょうが」
この世界に来て初めて聞くことになった、この世界へやってきた経緯と、今の自分がある理由。それを葉介は、噛みしめた。
「なので、アナタはファントムとしては……人造怪人、ということになるのでしょうか?」
「あれは骨だけじゃなくて、骨から肉から百パー人間の遺体でできた怪物だから。制作過程も魔法よりむしろ化学寄りだし」
「では、自律行動式人類型幽鬼骸骨格でしょうか?」
「それじゃあ姿も人骨オンリーのはずじゃん……屍人や生ける屍もしっくり来ないし、借金0円はただの人だし――」
――と、二人してうんうん考え出して、およそ七秒後。
「……ああ! 沼男!」
「それやー!!」
スワンプマン。詳しいアレは各々ググっていただくとして……
ざっくり説明すると、雷に撃たれて死んだ男がはまった沼に雷が落ちることで誕生するという、生前と同じ見た目と記憶・人格を持った、あくまで死んだ男とは別個体の男のことである。
「そういえば、ワタシが埋められた場所、今でこそ枯れた地面ですが、ワタシが連れてこられた時には沼が……まあ、無かったのですが」
「無かったんかい! あのババァなら土掘るのも嫌がりそうだから信じかけたわ」
と、判明したと思われる葉介のファントムとしての種族のことで、二人して盛り上がっていた。
「アナタの世界のことを知ったのも、アナタとこうして一つになったことで、あなたの記憶をワタシも知ったためです。全てはとても見られませんが、アナタの知っていることの大よそは理解しました」
「……俺、あなたの記憶なにも知らんのですが?」
ショウの語った事実に対して、葉介が聞き返すと、ショウも答えた。
「まあ、理由はいくつか考えられます。単純に、材料の記憶は必要なかった……脳はもちろん、皮膚さえ残っていない白骨死体では記憶など残りようがなかった……ですが、ワタシが思うに、アナタの持っている記憶が、わたし如きの記憶に比べて、情報量も知識量も濃く、多量なことが理由、だと思っています」
「……俺、自慢じゃないけどおバカさんやで?」
間違いなく自慢とは言い難い、そんな告白をした中年に、若い先代国王は優しく語った。
「アナタのいた世界では、ワタシが生きている時代に比べて、圧倒的に進んでいる、ということです……食事一つ取ってもそう。ワタシが食事をする時は、せいぜい、この料理はこの食材でできていて、こんな味つけがされていて美味しい。この料理にはこんなお酒が合う。ワタシを含め、この世界の大半がそんな意識でしょう」
「ふむふむ……」
「ですが、あなたの食事は違う。料理を前にして、この料理の食材は炭水化物だ、こっちはタンパク質だ、野菜が足りていない、これを食べると太ってしまう、バランスを考えてこれも食べるべきだ、糖分・塩分は控えよう、これを食べたらこれだけ運動しなければ……たった一度の食事という行為にさえ、これだけの知識や考えを総動員している」
「そんなに、いちいち意識しませんて」
「無意識の内に、ということです。そもそもアナタ、いくら運動しても痩せられないからと、一時期意識しまくっていたでしょう? 近年は諦め気味ですが」
「言うな」
「食事に限りません。それら応用を用いる以前の、常識や前提といった段階から、アナタの住んでいた世界は、質も量も、この世界とは圧倒的に差がありすぎる……しかも、これだけの教養を常識として要求されるにも関わらず、一社会人として生きていくには更に難解な専門知識を山のように要求される。アナタほどの人が、あちらの世界では落ちこぼれとされる理由がよく分かりました」
「……まあ確かに、俺のいた世界に比べりゃ、ここは何もかもが簡単だよ。簡単な分生き易い……代わりに、色々危なっかしくもあるけども」
もちろんそんな、危なっかしいとか不安定だとかいう感想も、完璧を目指して今も進歩や進化を続けている現代社会からやってきた人間だから持てる感覚だろう。
そんな時代がまだ来ていない世界からすれば、今現在こそが目指すべき完璧なのだから。
「……とはいえ、進んでいるからこその楽しみも多い。アナタの記憶は、辛いことや苦しい光景、ワタシでも目を覆いたくなるような恥ずかしい体験も数多かったですが、幸せや楽しみも多かった。中でも特に素晴らしかったのが、アナタはもちろん、アナタの生きる世界中の人々に愛されている、地獄からのし」
「やめなさい」
自分の知らないところで、自分の記憶を堪能していた様子の青年に対して、苦笑するしかなかった。
「まあ、それは別にいいとして……今の俺の体が陛下の骨と土と魔法でできてて、俺自身は、【召喚】するために存在を複製されたもの。つーことは、今ココにいる俺って――」
「はい……本物の志間葉介さんは、今も元の世界で変わらぬ人生を送っているでしょう。先ほども言った通り、今ここにいるアナタは、シマ・ヨースケさんの意識と記憶、心、性格の全てがそっくり複製されたものを、ワタシの遺体を糧にこの世界に召喚された、真っ赤な偽物です」
(異世界転生でも、異世界転移でもなく、異世界召喚――もっと厳密に言えば、異世界憑依だったわけか。まあ、新たに生まれったって意味じゃあ、転生とも言える気がするけど、少なくとも転移ではないわな)
聞かされた衝撃の事実に、とりあえず、そう感じておいた。
その後すぐに、偽物として気になったのは、元の世界で生きているという、本物のこと。
(ちゃんとやってんのかなぁ、本物……会社に迷惑かけてなきゃいいけど……部屋の掃除とかちゃんとしてんのかね……ちゃんと自炊してるといいんだが……たまには実家に電話とかしとるやろうか……筋トレとか走るだけじゃなくて、ストレッチもせな、あっちゅーまに体固くなんべ……)
自分が偽物だと分かった以上、今も実家で普通に生活しているであろう本物のことなんか、考えても仕方がない。それでもこうして、本物の心配をしてしまう……そうやって、偽物には正真正銘、帰る実家が無い存在なんだという事実を忘れていたかった。
「……詳しい仕組みは、よく分かった」
と、ひとしきり実家にいる本物の心配をした後で、すぐさま話をもう一度切り出す。心配しているうちに感じた。もうあまり、時間が無いと。
「けど余計に分からん。材料にされた魔力がゼロだったから、魔力がゼロの俺が呼ばれたって理屈は分かる。けど、なんで俺? 俺よりよっぽど賢くて強い人間なんていくらでもいたろうに」
「……それは、すみません。本当に偶然としか言いようがありません。いくらワタシの躰を使っていると言っても、死んでいたワタシがアナタを選んだわけではないので。魔力が必要なく、何の特殊な力も無い存在として、たまたま魔法が存在しないアナタの世界を見つけ出し、たまたまその世界で生活していたアナタを、たまたま選んでファントムとして召喚した……そうとしか、言いようがありません」
「魔力が無いってこと以外、完っ全なランダムだったってわけか……」
「体格も、どうやら関係ないみたいですし」
「うっせーわ」
二人ともで明らかに違う、互いの身長差や対格差を見ての発言にだけは、言い返した。
「とは言え……本人じゃない複製の身とは言え、まさか異世界に来ちゃうとはねぇ。今さらながら――」
実家にいたころは、創作物としては面白いなぁ……程度の認識でしかなかった、異世界。
生前は、自分の生まれ育った世界が全てだった。それ以外の世界があるとは、理論理屈はどうあれ考えもしなかった。
だが実際、こうして魔法が存在する世界があり、そこで他の異世界の力を利用する発明まである以上、他にいくつもあるんだろう。
(そう考えると、もしかしたら俺じゃなくて、あるのか知らんが、版権世界と呼ばれる世界の住人が呼ばれてたかもしらんわけか。魔法や魔力が無いって条件だけでも、星の数あらぁなぁ……蒸気船に乗ってたころのネズミとか。二足歩行するビーグル犬。の飼い主とか)
葉介と作者は、飼い主派なのだ。
(やっべ、見てみたいな、それ……そんなお歴々のが、俺なんかより、よっぽど上手くやっていけたに違いないし)
この世界で生きていきながら、何度も思ってきたことだった。
俺なんかより、デキる人間は大勢いる。強さであれ賢さであれ、役立つ人間はいくらでもいたろうに。ここに来るのが本物じゃないなら、実家にも迷惑は掛からないことだし。
なのに現実に来ちまったのは、華が無ければ取り柄も無い、31歳の枯れたおっさん。
(いや、まあ、来ちまったもんは仕方がないんだが……やっぱ、来ちまったなりの努力が、俺には足らなんだのかね? それとも立ち居振る舞いの問題かね?)
俺は異世界物の主人公。そんな痛ましい考えを起こしたことはない。けど実際に来ちまった以上、もっと、そういうジャンルの主人公っぽい言動を心掛けていれば、もっと安全で確実に、諸々の問題も解決していたんじゃないか……
もっと、敵が出たら慌てふためいたり、怖がって涙目になっておけば良かったろうか?
敵がゆるせない行動を取ったら、熱血的に怒って、叫んでいれば良かったろうか?
目の前には女が大勢いたことだし、鼻の下を伸ばして涎を垂らして、シャルとか、リム辺りの、胸とか尻でも追いかけていれば良かったんだろうか?
(まあ、俺としては、そういう大人になりたくなくて、俺なりにがんばってきたつもりやけど。こっちでも実家でも――てかどっち道、そういう方向性は俺には無理な話やし)
「……ワタシは、この世界に来てくれたのが、アナタで良かったと思っています」
と、葉介が自身の存在と在り方を疑問視しているところへ、ショウは語り掛けた。
「確かに……言っては悪いですが、アナタよりも優秀で、ケンカの強い人というのはいくらでもいたのは間違いありません。それこそ、あなたの大好きな、ピーターやブルース、トニー、クラーク、アル、東郷といった人物たちが異世界転生してきてくれたなら、この世界もだいぶ面白いことになっていたでしょうから」
「名前言うなし。つーか、国のピンチに面白さ求めてどうすんな?」
直前に似たようなことを考えていた葉介も人のことは言えないが……
確かに、面白そうな光景を想像した様子を見せた二人は、向き合った。
「……と、彼らほどではないにせよ、優秀な人たちというのは、アナタの世界にも大勢いたことでしょう。そして、仮にそういう人たちが、アナタの代わりにこの世界に来たと仮定して、その人たちは、アナタ以上か、最低でもアナタと同じくらいに、上手くやっていけたと思いますか?」
「それは……分からんけど」
「いくらファントムと言えども、思考も、感じる痛みも疲労も、普通の人間と変わりない。簡単には死なないことなど、死んでみなければ分からない。そんな状態で……仮に、アナタ以上に優秀な人が、今日まで起きてきた数々の事件を目の当たりにしたとして。アナタのように考え、アナタのように身を呈し、アナタのように、最後まで戦い続け、アナタのように、仲間たちのことを考えて……それらのことを、アナタのように、最後まで逃げることなく行うことができた。そう言い切れますか?」
「近い、近い……」
言葉をまくしたてつつ迫ってくる先代国王様を制しつつ……
ショウの言いたいことは、葉介にも分かる。
「んー……ま、そりゃあ、俺じゃなきゃとっくに逃げ出すか、死んでただろーなーって思うような場面も多々あったけど。てか、とっくに死んでんだけど」
こうしておけば……
ああなっていたら……
あれがああったなら……
自分でなく誰それなら……
そういう、もしもの話ができるのは、いつだって過ぎた後だ。
誰もがその場その場で、できる限りの力を尽くして、行動した末に結果は起こる。手や気を抜けば失敗もするし、手も気も抜かなかったつもりでも、する時はするのが失敗だ。
だからこそ、すでに起きてしまった結果にとらわれて、あーしとけばこーだったら……
そんなことばかり考えるのは、ナンセンスに違いない。
「まあ、俺じゃなかったら、こうはいかなかったろーなーって、思わなかったことが、無かったでも、そりゃあ無かったけど……」
とは言え……
過去を振り返ることが、悪いことだというわけじゃない。
「俺くらいに鍛えておかなかったら、そもそもが最初のデスウルフに喰われてたろうし。魔法も無しにデスニマと戦えることもなかったろうし。この五日間で過労で倒れてたとしてもおかしくなかったろうし。ファントムだから平気だなんて分からんし。ファントムでも辛いし――」
むしろ、過去を振り返ることで……
過去を振り返らないと、見えないものも、当然あるわけで――
「まあ、俺くらいの阿呆な人間なら、嫌われるのだって慣れてるから、俺が積極的に嫌われ役に回って、結果的に丸く納まった場面もあったとは思うし。カリレスで拷問したのも、若い子たちが怒って暴走する前に、年長者の俺が、て考えもあったし。あのクズ女追い返したのも、元々ブサイクだった顔、余計にブスにしてあげたおかげだし――」
葉介自身も話していきながら、結構なことをしてきたもんだとつくづく感じる。確かにこんなこと、ファントムであることを差し引いても、自分とは違って、普通の人間はやらなかっただろうなぁ……と、思う。
普通じゃない俺だから、やってこれた。
そしてそんな、痛くて苦しい思いを積極的にこなしてきたのも――
「俺以外に、今日までやってこれた人間が、いたとも中々思えんけども……ミラのためにさ――」
最終的に考えついたのは、結局、この世界に来て、最初から今日までずっと考えてきた、ただ一人。
(ミラ……)
強い娘だけどそれだけで、強さ以外の能力が総じて低い。教え方も導き方も、なんなら、師匠という言葉の意味さえ分かっていないんじゃないか……弟子入りしておいてなんだが、とても師匠と呼べるだけの力量は感じない。
そんな師匠のもと、放任されたかと思ったら、いきなり無茶ぶりされて。どうすればいいか自分も分かってないくせに、期待ばかり大きくて。
そんな女の子の期待に応えるのが、どれだけ大変なことだったか。
そんな娘を見捨てることなく、そばでやっていける人間が、他にいたろうか。
俺以外に、あの娘の良い所も悪い所も受け入れて、あの娘が成長してくれるまで、一緒にやっていこうと心に決められた人間が、果たしていただろうか――
「僕は……君がうらやましい」
一人の少女に思いを馳せて、後でキモイと後悔する三十路に対して、また、若い声が掛けられた。
「なに急に?」
急に、おそらくは素の口調に変わったことも気にはなったが、それよりも葉介が気になったのが、今の一言だ。
「君には、パワーもフィジカルもある。確かに、才能は無かったかもしれないけれど、そのうえで長年の努力の積み重ねの結晶が今の君だ。加えて、コミックやアニメ、インターネットで培った知識に基づいた、信念や閃きがある。年齢を重ねたことでの思慮深さもある……僕にあったのは、考える力くらいだ」
自身の身体を見下ろしながら、ショウは、自嘲していた。
「僕もできることなら、頭だけじゃなくて、体を使って、国や、奥さんのことを支えたかった。男にとっては、やっぱり、強さは憧れだから……けど、子どものころから虚弱で貧弱だった僕には、どうやっても無理だった――」
そんな告白をされて、あらためて、イケメンだが特徴のない顔だけでなく、体の方も見てみた。
服の上からでも分かるくらい、手足はかなり細いうえ、指先や手の甲にはシワが浮かんで、とても健康的には見えない。服の下に見える胴体を見ても、普通の人に比べてだいぶ痩せて見える。顔もただのイケメンのようで、よくよく見ると、頬が軽くこけている。
近くでよく見ないとそれらに気づかなかったのは、ひとえに【加工】の賜物だろう。もしくは、この空間が、醜くないようそう見せているだけなのか――
「だからかな? 僕よりパワーも、フィジカルもあって、バトルもこなせる、強い君が選ばれて、【召喚】された」
「おバカさんと貧弱の、二人で一人前?」
「かもしれないな……あいにく王様のクレーバーさは、受け継がれなかったようだけど」
お互いに皮肉を言い合って、笑い合う。
笑い合って――
また、あの時と同じ感覚を、葉介は感じた。
「……時間かな?」
「みたいやね」
地面についていた(と感覚的には思える)体が軽くなり、上へフワリと浮かび上がる。いつだか初めてここに来て、ショウと初対面を果たした後の、あの感覚だ。
「他にも、伝えるべきことはある……最初に言った通り、僕の記憶の全てを、君に渡そう」
ショウはそう言うと、浮かび出した葉介の頭に手を添えて、自身の額を、葉介の額に重ね――
「……これ意味あるの?」
「無い。けど、それっぽいだろう?」
特になんの変化も感じないので聞いてみれば、案の定の答えだった。
「けど、確かに、僕の記憶は渡した」
額を離して、同じ目線で語り掛けるショウの顔は、とても満足げで――
「――て、あれ? なんで陛下の体まで浮いてるの?」
「……僕の役目も、これで終わりということだ」
同じ目線、同じ高さ、つまりは体が浮いている。そんな状態にありながら、二人の会話は続く。
「記憶渡したら消えちゃうの? 良かったの? それで――」
「そりゃあ、未練もあるさ……静かなる東、まだラストまで読んでないのに」
「…………」
「だが、君がこの国と、娘たちを救うには、僕の記憶が不可欠だ」
実に切実な未練を語った、次の瞬間には、葉介から見て、実に王様らしい顔に変わっていた。
「改めてお願いしたい――この国と、娘たちのこと、どうか救ってほしい」
「――――」
「それは、師匠次第、か?」
と、葉介が言おうと思った答えを、ショウは先に声に出してしまった。
「知るものも、馴染みも、愛着もない。そんな世界に突然やってきた君にとって、彼女がこの世界での、絶対の価値観で、行動原理になっているものね……うん。君は、そのままでいいと思う。君自身の気持ちも、僕が一番よく分かってる」
「…………」
「だからこそ、僕は君に、娘たちとこの国を託すことができる」
「……?」
――だって、彼女は……
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「…………」
目が覚めた時、だいぶ懐かしい感触と匂いをまず感じた。そのすぐ後で、被っている布団を持ち上げて、胸に手を当ててみる。
「布団は……無事やな」
最重要懸念事項を確認しつつ、体を持ち上げて、真夜中の暗い部屋を見回してみた。
買ったはいいが、なんだかんだ手をつけていない漫画本。フィルムも開けていないブルーレイ。数世代前の携帯ゲーム機。テレビの下にはホコリ高きテレビゲーム機。
コタツを見ると、スマホと財布の貴重品、安物の腕時計、お茶を飲み干した後のペットボトル、ハンカチにポケットティッシュその他。
他にも色々と散らかっている、葉介が働いて得た金で作り上げたプライベート空間。
「ちゃんと掃除もしろよ、本物……」
今は眠っている、本物に語り掛け――部屋を、目に焼きつけた。
ショウから記憶を受け取って、彼が消えた今なら分かる。
彼が消え、彼の意識の世界も消えた。意識を見つめる必要がなくなった以上、同じように、俺の意識であるこの場所へはもう、二度と戻ってくることはない……
「言いたいことは、色々あるけど……体、大切にね」
自分自身に向かって、なにを言っとるんだという気がしないでもないものの――
志間葉介に対して、言いたいことも言い終えた。
あとは、シマ・ヨースケに戻るだけ。
「おやすみ――」
再び布団をかぶって目を閉じた、その瞬間また、あの時と同じく、胸に湿り気を感じて――
「布団が血に汚れるとか、やめて~~~――」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
いつだかと同じように、胸に痛みが走って、両手足はぶら下がっていた。
目の前を見ると、女の胸から上が見えて――
するべきことも、理解した。
(人血、うま……!)
早速行動に移しつつ、感じたのは、いつだかの拷問の夜に感じたのと同じこと。
「――!」
味を堪能しつつ、十分な量を吸えたと理解した瞬間――
横から金色の何かが飛んできたので、後ろへ避けて、口を拭った。
(コイツは不味そう……)
「ダリダリ……」
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