第10話 女王
グロ注意回。
時間は少々さかのぼる――
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「◇◆$○※×◇%ッ&△¥#■ッ!? *@※×ッッ&△¥#○※×◆$#ッッ!!」
ルティアーナ城地下――厳密には、城が建つ小高い丘を掘り進んでできた内側。牢屋や、旧式の武器類および道具類を置く物置部屋、神官らが宿泊に使っている、本来は牢屋の見張り番たちのためにあてがわれた部屋等が作られた内部空間。
そんな、丘の内側の各階をつなぐ階段を下っていき、丘の高さを下回った、正式な地上の更に下。最下層の、正真正銘の地面の下に作られた部屋。
城内の緊急脱出口兼、第5関隊の事務所兼、ミラの部屋にて。
四人の襲撃犯を撃退し、これからのことを話し合っていた魔法騎士らの耳に、そんな異様な音が届いた。同時に、おそらくこの地下空間の壁が崩れる音も聞こえた。
「なんだ?」
「まさか、まだ敵が……!?」
全員、急いで部屋を出て、狭い廊下、そして階段を、崩れる音と、汚いメチャクチャな音のする方向を目指して――
上り、走った先にあった光景を見た全員が、同じ思いに駆られた。
敵が来てくれた方が、はるかにマシだ……
「落ち着きなされや……捕虜虐待? は普通に犯罪やで?」
「%$#□は黙&◆□ッッ△!! ぶっ殺@×○*ラァッ●&ッ#ッッ!!」
「もうなに言っとるのか全然分かんねーし……痛ったッ、痛ったいな、もう……!」
シェイルやカリンら、襲撃犯たちを捕らえている檻。その前で、葉介と、クドイ筆頭大臣の二人が揉めている。筆頭大臣は右手に杖を握りしめ、その右手を葉介が抑え込んで、向かい合いつつ話し合っている。
もっとも、話し合っているというより、クドイ方が一方的に喚き散らしているだけ。杖の先が都度都度発光しているのは、威力の貧弱な【光弾】を連発しているせいだろう。
そして、その視線は葉介よりも、檻の中に向かって向けられている。
その檻の方は――
「こんの■■■■■!! テメェのせいだ■■■■■!! テメェのせいで俺はぁ!!」
「死んじまえよクソババァ!! おい! 今すぐその女ぶっ殺せ!!」
「ヨースケさまがんばって今すぐその女ぶち殺してわたしから仕事もシアワセも奪ったその女今すぐ殺せ殺せ殺せ殺せコロセコロセコロセコロセコロセコロセ――」
「返して……ウチの父さんと母さん、今すぐ返せ! ウチの家! ウチの人生! 家族!! 今すぐ返せよ、このクソ女ァアアアアア!!」
「%ッ&△¥#■&△¥#○※×◆$#&#○※×△¥#■ッッッ!!!」
「お前らはいちいち挑発すんな! 痛ったい……ッ!!」
檻の中からは、国と、この国を作り上げた筆頭大臣への怨みつらみの怒声。それを聞いた女は更に顔をクドク、醜く歪めている。呂律は更に回らなくなり、そのくせ呪文だけはキチンと唱えているようで、押さえている杖からは何発も【光弾】が撃たれ、葉介はそれを、鍛え上げた強靭な腹筋で全て受け止めていた。
(なにが強靭だよッ――腹筋はともかく、余った脂肪が普通に痛ぇわボケッ……!)
「落ち着いて下さい! ロシーヌ様!!」
いよいよたまらずレイが声を上げて、他のメンバーも走った。
レイ、シャル、リリア、サリア、メルダがロシーヌを押さえて引き離し、ミラ、アラタ、セルシィ、リーシャ、ディックは、腹を押さえてひざを着いた葉介に駆け寄った。
「ちょっと、なにがあったの、これ……?」
「…………」
メアは、出入り口近くに立っている神官二人に質問した。
彼女が言うには……
ヨースケが疲労困憊のフラフラな状態でここまで歩いてきたちょうどその時、階段を下りて、筆頭大臣がやってきた。普段から不機嫌なのは相変わらずだが、常日ごろ近づきたくもないと思っている地下へ降りてきたことで更に不機嫌になっていたらしい。
そこで、目当てだったらしい葉介を見つけたところに、筆頭大臣を見つけた襲撃犯四人が、彼女に向かって恨み言と罵声を浴びせた。
当然、筆頭大臣が黙っているはずもなく、抵抗できない四人に向かって杖を向けた。
それを、葉介が押さえ、かばって、そして、あんな状態に。ということらしい……
「おいテメェ!! 神官のくせに、このアタシの前でなにしゃべってんだああああああッッッ!!?」
愛しのレイの顔を見て、多少は落ち着きを取り戻したかに見えた。が、日常的に忌み嫌っている神官が、小声とは言え自身の命令を無視して会話したことが気に障ったらしい。今度は神官に向けての【光弾】。それはメアが防いだ。
「オマエらいぃいい加減にしやがれエエエエエエエエエエエエエエ!!!」
元から切れているも同じな堪忍袋の緒が、ちっぽけな袋ごと弾け飛んだらしい。
地下空間が壊れ、天井が崩れ落ちそうな、そのくらいの怒声を、魔法も無しに響かせた。
「どいつもこいつもォォオオオ!! アタシの邪魔しやがって!! アタシを怒らせやがって!! アタシを誰だと思ってんだァアアアアアアアアアア!!?」
これ以上声を上げたら、仕舞いには口から血を吐きそうな……
それでも、心配して止めてくれるような人間は、この場には一人もいない。
「アタシは筆頭大臣だぞ!! この国で一番エラいんだぞ!! この国を回してんのはこのアタシだ!! アタシがこの国の女王だ!! そのアタシが!! なんだってこんなに頭に来なきゃならねーんだ!!? なんだって誰もこのアタシの思い通りにできねエエんだァアアアアアア!!!」
「…………」「…………」「…………」「…………」
この女が、今までこの国のためになることをしたことなんかあったろうか? 誰もがそう思った。
「……で? アンタはココに、なんの用で来たん?」
そんな姿に、レイが嫌々ながらも声を掛けようとしが、その前に葉介が動いた。
「俺に用があって来たんやろ? 早いとこ要件言ってくんない? たった今暇を貰った俺はともかく、皆さんはまだお仕事中なんすわ」
ここまで頭に血が上っている人間相手には、なにを言っても無駄だ。追い返すには早めの説得にかぎる。
そのためにふてぶてしい態度を取り、目の前に立った葉介と、その言葉遣いと話の内容、諸々がまた、筆頭大臣の敏感に過ぎる逆鱗に触れた様子だった。
「イトマ? イトマだぁ!? ふざけんなアアアアアアアアア!!?」
再び絶叫し、杖を向ける。葉介は葉介で、顔に向けられたそれを握り、自身の胸元へ。メチャクチャに撃たれる【光弾】を、今度は鍛え抜かれた大胸筋で受け止める。
(だから普通に痛いんだっつのッ! 大したおっぱいしとらんわ……!)
「この状況見て!! この国を見て!! 休んでるヒマなんかあると思ってんのかァアア!!? 特に!! お前は!! 顔もカラダも汚ねぇお前は!! 死ぬまで働け!! 休まず働け!! 働いて死ね!! アタシの視界に入らないよう!! 戦いまくってさっさと死ね!! それが仕事だ!! さっさと働けェエエエエ!!! 死ねェエエエエエ!!!」
いくらか【光弾】を撃った後は、普通に殴ってきた。威力も無く、普段の葉介ならわざわざ避ける意味も無い。だが、五日間で溜まりに溜まった疲労と、弱いとは言え【光弾】のダメージを負っていた葉介には、か弱い中年女の拳ですらふき飛んでしまっていた。
「はぁ……はぁ……もういい――早く立て!! 今言った通り、アタシはお前に用があるんだ!!」
「ヨースケになにをさせる気ですか? 彼はもはや、疲労が限界の状態で――」
葉介に近寄る女に、近くにいたリリアが声を掛けたが、顔へ裏拳を飛ばされる以外は無視された。
「お前、このアタシに散々、偉そうなこと抜かしたな? この国立て直すための政策がどーのこーの……言い出しっぺはお前だ。だったらお前が考えろ! 今すぐ執務室に行って政治家どもと一緒に話し進めろ」
「……いや、それ夕方も言うたけどアンタの仕事だろうに。魔法騎士の俺らの仕事じゃねーし――」
「アタシに!! 口答え!! するんじゃねェエエエエエ!!!」
倒れている葉介に馬乗りになり、か弱い腕力で、葉介の、お面を被った汚い顔ではなく、上半身に拳を振るっていった。
(あー……ヤバいな。あんま痛くないだけに只々ムカついてきたわ)
倒れた葉介も、周りに立つ魔法騎士らも、全員が思っていることだ。本人の言った通り、こんなクズでも仕えるべき国の長には変わりない。だから従い、顔を立ててやってきた。
なのに、幼子でもあるまいに、起こすのは癇癪ばかり。自分で一番偉いと言っておいて、国をどうにかすることは全て他人任せ。あげく、そのための政治的な仕事さえ、若い政治家たちならいざ知らず、魔法騎士の葉介に押しつけようとしている。
王は病没。女王は病という名の木偶。
だからと言って、こんな女が、この国のトップだなんて――
「ハァ……ハァ……疲れたのか? 休みたいのか? だったら、休まずに済むようにしてやる。お前なんかに使うなんて、もったいないしムダ使いなんだがなぁ――」
息を上げて、殴るのをやめて、ポケットに手を突っ込んで、取り出したのは――
「魔法の活力剤? 待ってください! ヨースケはすでに一本飲み干しています! 今飲ませたら――」
再び上げたリリアの声を、今度は【光弾】でふき飛ばし、黙らせた。
「オラッ、さっさと飲め! これ飲んで死ぬまで働け! 最期にアタシの役に立て!!」
倒れている葉介のお面を力づくでずらして、現れた口元へ薬を持っていき――
「これ以上――ヨースケをッ――」
そしてとうとう、無表情なまま怒りを募らせている、ミラが動き――
「――がぁッ!!」
筆頭大臣のクドイ顔を殴り飛ばした……ミラではなく、レイの拳が。
「……いい加減にしろよ、クズ女……」
手からは薬を、口からは血を飛ばしながらふっ飛んで、転がった。そんなクドイ顔に向かって、怒りに染まったレイが、唸った。
「オレたちは全員、命懸けで戦ってるんだ……この国と! 不本意だがお前みたいなクズを護るためにな!! それなのに、自分はなにもしないくせに、何から何まで文句をつけて……」
「え、ちょ……レイちゃん、なに、怒ってんの? アタシに怒ってんの? よりによって、アタシに? いつも、アナタのことだけは可愛がってたのに? なんで――ガァッ!?」
レイの怒りの言葉をさえぎりながら、ズレた疑問を投げかける。そんな、焦っていながらも甘く不快に変わった声は、レイが振り下ろし、クドイ女の股間に突き刺さった足がさえぎった。
「ああーそうだなぁ――関長になって、最強だって呼ばれるようになったころから、城に帰る度に必ずアンタのことイかせてやってたよなぁ? そうしないと、魔法騎士団無くすって、全員クビにするって……シャルがどうなるか分からないって言うから、行きたくもないアンタの部屋に行って。気が済むまでイかせて。そんな腐った身体で部屋まで行ってた俺のこと、優しく迎えてくれてたシャルの気持ちがアンタに分かるか?」
「ちょ、レイ、ちゃんッ……痛い、やめ、靴で、グリグリしないで、痛ッ……お願い、やめて、痛いッ、怒らないで? また、シてあげるから、たくさん可愛がってあげるから、もう、やめ――ァァアアアア!!?」
レイの話が聞こえているのかいないのか、勘違いも甚だしい言葉で赦しを請うて。そんな、反省も無ければ悪気すら無く、どこまでも人を見下し嘗め腐ったクドイ態度は、レイに何度も靴を股間に振り下ろさせるほど、激怒させるには十分で……
「それでもなぁ――僕一人がガマンすれば、魔法騎士団やみんなのことは守れると思ってた。それでみんなは普通に働けるって。苦しい思いをさせずに済むって。シャルのことを、守れるって。なのに……いざ魔法騎士団どころか、国がピンチになったらなにもしないで、ヨースケを……あげく、リリアにまで――」
何度も、何度も股間を踏みつけながら、愛用の杖を取り出して――
「殺す」
そこでようやく、レイの豹変ぶりに固まっていた魔法騎士たちが動いた。
杖を片手に、今にも女を消し炭に変えそうな形相のレイを、シャルとリリア、メアを始め、倒れている葉介と、葉介を護るようにそばに寄り添ったミラとアラタ以外の、全員が止めて、引き離した。
「殺してやる!! お前みたいなクズがこの国のトップに立ったことがそもそもの間違いなんだ!! シャルにずっと辛い思いさせて――リリアのことまで殴ったお前を殺して!! どっかに隠れてる女王も殺して!! いっそ今すぐ!! こんな国滅ぼしてやる!! 護る価値も無いこんな国――ッッ!!」
「落ち着け、レイ! 冷静になれ!!」
「レイ様!? ダメです!! 私は全然、大丈夫ですから!?」
「ダメだってば、レイッ……!」
「おう!! やれやれ!! その■■■■■今すぐ殺っちまえ!!」
「これで分かったろう! こんな国に護る価値なんかねーんだよ!!」
「殺せ殺せ殺せ殺せ殺せコロセコロセコロセコロセコロセその女ぶっ殺せ――」
「レイ……気持ちは分かるし、応援したいが、そんな姿は見たくないぞ……!」
レイは激怒し。魔法騎士らは押さえて。手を着き起き上がった葉介は女の返り血を拭い。ミラとアラタは呆然とし。クドイ顔を腫らした女は股間を両手で押さえて悶え。襲撃の実行犯四人は牢屋の中から煽り声。神官二人は無言で棒立ち。
もはや収集がつかなくなった、そんな狂った空間で――
とうとう、【身体強化】で無理やり仲間を引きはがして、震える女のクドイ顔目掛け、杖の切っ先を向け――
《おやめなさい――》
低く、かすれた声が響き渡った。かと思えば、レイと、筆頭大臣の間を、白く太く、大きな閃きが横切った。
「これ、【閃鞭天】……」
そんな光景を見て、メアだけは、すぐに誰だか分かったらしい。そして全員が、その閃きがやってきた先を見た。
《魔法騎士団、第1関隊関長、レイノワール・アレイスター……そんな女のために、手を汚してはなりません。怒りを鎮め、杖を納めなさい》
その声が静かに語りかけながら、巨大な閃きは、徐々に消えていく。と同時に、閃きの裏に隠れていた、当人の姿も浮かび上がらせた。
「……女王様!?」
最初、セルシィが叫ぶように声を上げた。関長らを始め、ほとんどが息を呑んだ。だが数名は、キョトンと顔をかしげた。
「……ジンロン?」
「ジンベエです……いえ、ジンプンです」
「いや、ジンロンでしょ……ジン。ウー・ジンロン」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
静寂が、カリレスを包んでいた。沈黙が、世界の声と化した。
声を出すことを忘れた全員が、一様に空を見上げていた。
それら全ての視線の先に、一本の箒、一人の、女性。
一枚の革袋が垂れ下がった箒はゆっくりと空を旋回すると、土壁の前、壁と紫色の双子の間に降り立った。
「ちょっ、そっちは危険です!? 戻ってください――」
増援の一人としてココへきたサリアが叫んだものの、それはメアが制した。
ファイとフェイは、その人物を改めて観察してみた。
服装は、最初に見た通り。上と下とが一体の、袖口は広い、ドレスを身に着けていた。
色は白を基調としているようで、普通に白の胸元部分を中心に、そこから両手両足、四方向、先端へ伸びていくにつれ、徐々に色が変化している。左袖が青、右袖が紫、スカート部の、右足首部が赤、左足首が黄色。
それぞれの袖口、裾に別々の色が装飾され、基本であり中心である白と合わせて、五色の集まった、変わったデザインの服。だが、色が集まっているからと言って、不自然になったり、無意味に派手になっていることもなく、それぞれが、それぞれの色を際立たせ、協調し合う……調和を分かり易くデザインしたような、見た目に反して秀逸なデザインをしていた。
派手ではない。が、決して大人しいわけでもない、絶妙なバランスのもとデザインされた礼服は、それだけに、着る者を選ぶに違いない。そんな秀逸な衣装を着ている人物は正に、選ばれ、そして、選ぶことを許される、そんな風格と雰囲気を漂わせている。
パチン――
と、双子の間に立つその人物の、右手が真っすぐ上に伸び、伸ばした先から音が鳴る。
その瞬間――
「なんだぁ!?」
「か、壁が……!?」
見上げるほどにそびえ立ち、見えないほどに左右に伸びた、土の壁。集まった者たち数十人がかりの【土操作】でてこずっていた巨大な壁が、一つの指の音の後、一瞬で砂と化し、崩れ落ちた。
「そんな……こんなことが……!」
誰もが呆然とする中、誰よりも動揺を隠せずにいるのが、ファイだ。
「リムさんが【土操極】で作り上げた壁を、一瞬で……これは、まさか――」
「【土操天】……地獄土」
砂と化して崩れ落ち、一瞬で世界が広がった。地面に落ちたことで砂は舞ったものの、それが晴れるまで大した時間はかからない。
世界が広がり、視界が開け、壁の向こう側も見えた。
「……え? なぜ、リムさんが? エルダさんも……?」
「アリシア姉さん、兄さんたち、それに、村の人たちまで……!」
壁の砂が晴れた先。そこには、リムにエルダ、アリシアら双子の家族を始めとした、カリレスに残った住民ら、子どもを除いたほぼ全員が集結していた。その手には、杖はもちろん、農具やら何やら、武器になりそうなものを握りしめている。
ココとは別の壁を護っていたリムだったが、その壁と周囲の安全を確信したことで、急いで加勢に駆けつけた。
が、向かっている途中で村に残った住民ら、ほぼ全員と出くわすことになった。安全のために家に隠れているよう何度も言っておいたのに、この村のために戦ってくれる若い子たちが心配で、幼い子どもたちだけ残して、自分たちもとこうしてやってきたらしい。
上での戦いに手一杯だった第1らは気づくことができず、リムは止めようとしたが、これだけ大勢の人たちを止めることは叶わなかった。
だからせめて、残り魔力が少ないながら守らなきゃ……そう自身の士気を高めつつ、自分が作った土の壁を信じて身構えていた。
が、身構えて待っていてみれば、起きたことは【土操作】によるいつかくる破壊じゃなくて、一瞬の崩落。
崩落して舞った砂の向こうを見た時は、開いた口が塞がらなくなった。
「女王さま?」
「え……女王さま!?」
「女王さま!!」
リムが、幼いころの記憶を思い出し、その記憶の姿が間違っていなかったことは、後ろにいる住民らの上げた声が証明してくれた。
歓声のような……歓迎のような……感激のような……感嘆のような……
いずれにせよ、目の前に立つ、白いドレス姿の女性に対する声が。
《自分は、女王ではありませんよ》
やがて、カリレス側から上がった声を制するように、【拡声】が響く。
低くかすれた声。それは、カリレスに残っていたリムも、双子も、聞き覚えのある声だ。
そして……その声の主を思い出し、あらためてその人物を観察した結果、城で彼女を見たレイたちと同じ反応を見せることになる。
《アナタ方が女王と呼ぶ人物……サティーナ・ルイス・ルティアーナは、もうこの世にはおりません》
金髪、というより、黄土色に白い物が混ざった髪。目の下には、褐色肌の上からでも分かるほどの隈が浮かんでいて、長身ながら、その顔はやつれている。
そんな、いかにもくたびれた雰囲気だというのに、そんな雰囲気を帳消しにするほどの、自信と、覚悟と、威厳に満ちた、堂々とした表情を浮かべ、【拡声】された声もまた、堂々としている。
《自分は、国王と女王の長女――第一王女の、シンリー・ユー・ルティアーナです……わけあって、今は魔法騎士団・第4関隊、ウー・ジンロンと名乗っておりますが》
短いセリフの中に、サラッと重要な内容を淡々と話しているうち、聞いている者ら全員に、様々な感情が芽生え、だが共通して動揺が広がった。
「ウー・ジンロン……第4関隊の?」
「え、女性、だったのですか……」
双子は、ジンロンの性別に驚いて……
「ウーさんが……女王さまの娘で……なのに、ウーさんになって、わたしと同じ、第4関隊で働いて……?」
リムは、衝撃の事実に、頭がついていかない様子で……
「死んだ? 女王様が?」
「病にふせっていたはずだろう?」
「確かに、ちっとも姿を見せなくなったし、あの女に好き勝手させすぎで、病気にしちゃあおかしいと思っちゃいたが……」
そしてある意味、最も重要な事柄に声を上げている、カリレスの住民たち。
《そして……アナタ方が、一応は女王と呼ぶべき、『自称』女王なら、この場に連れてきております》
ジンロン……否、シンリーが言いながら、箒に縛りぶら下げている、魔法の革袋を見る。
パチン――
再び指を鳴らした瞬間、革袋ははじけ飛んで――
中から、一人の女が放り出され、地面を転がった。
「――人をいきなり狭っ苦しい魔法の革袋なんかに詰めて、ようやく出したと思ったら……なんだ!! この汚ねぇ場所はぁあ!!?」
《筆頭大臣のくせに、ここがどこかも分からないのですか?》
放り出された女に対して、シンリーはどこまでも見下し、声も、視線も、ひどく冷たい。
女はクドイ顔をさらにひどい形にゆがめつつ、言われて場所を見回してみた。
足元に散らかる砂の塊。その下に広がる草地。集まっている人間たち。そして、その人間たちの、向こうに広がる景色。
「……カリレス!? ぅあああああああああああ!!?」
ようやく気づき、声に出したその瞬間、ロシーヌはその顔を余計にゆがめ、誰の目にも分かるほど大げさに、体中を掻きむしり始めた。
「なんて所に連れてきやがった!! 虫と動物と土と木と年寄りと!! アタシの大嫌いな!! 汚いものかき集めたこんな場所に!! この!! アタシをぉおおお!!?」
国のトップの発言とは思えない、言葉とうろたえよう。他人にはこの場所が国の最重要地帯であることを散々語っておいて、いざ目の前にした途端、隠そうともしない嫌悪と罵声。
嫌うまでもなく悪感情しか抱いていないカリレスの住民は元より、国はもちろん、誰よりもこの女に恨みを抱いてきた北端族さえ、言葉を失う滑稽な姿だ。
「そうですよね……アナタはそういう人です」
シンリーは、あらかじめ【拡声】で声を大きくしている。そして、後から現れたロシーヌの声も、この場に集まった全員の耳に届くくらいには大きくされているらしい。
そのことにさえ気づかない、クドイ慌てようを見せるばかりの女に向かって、シンリーは、語り掛けた。
「幼いころから、アナタのことは知っています……夢や理想に燃える若手の政治家たちに混じって、一人、見るからにやる気がなく、肝心の仕事では手を抜いていた。それでも上司を持ち上げ媚びることだけは上手く、ソレを利用し、邪魔な同期や後輩の政治家たちを陥れ、蹴落として、出世していった……幼かった自分は、政治に口出しできる立場でなかったので黙っているしかありませんでしたが、アナタの存在は、ずっと疑問に感じていました」
「おい!! 今すぐこのクソ野郎黙らせろ!! 今すぐ捕まえろ!! アタシの一番大事なドレス盗んで!! このアタシを捕まえて!!! こんな汚い場所まで連れてきやがった、この犯罪者今すぐ捕まえろぉおおお!!?」
彼女の話を遮りながら、ロシーヌは近くに立っている双子に向かってクドイ声を絶叫した。だが、双子はそんな命令には従うことなく、他の集まった者たちと同じように、シンリーの話に聞き入っていた。
「アナタのような政治家など、すぐクビになる……そう思っていましたが、気づけばアナタは、当時の筆頭大臣に並ぶ立場にまで上り詰めていた。ただずっと、城に引きこもり楽な仕事だけして、上司に媚びへつらうことしかしていなかったアナタがだ。城の外へ出ていくところなど、リユンでの豪遊くらいしか見たことがない、そんなアナタが……次代の筆頭大臣に選ばれたと知った時は、子どもながらに眩暈を催しました。いくら父や母がいるとは言え、それに次ぐ政治のトップが、こんな女で良いのかと……そんな自分の懸念は、見事に的中してしまったッ」
終始、淡々と語っていたシンリーの語気が、最後は強まり、叫ぶように言った。
「筆頭大臣になった後で、まずアナタは、飾りとして扱われていた父を……国王を、表向きには失踪という形でその手に掛けた。そして、そのことで嘆き悲しみ、心を病んで弱っていた母に言い寄り、やはりその手に掛けた。怪しまれないよう、表向きには病で倒れ、表に出ることができない。そういう体で。国民から慕われた女王の存在のみ利用し、自分の立場を盤石にするために――」
「テメェはそれ以上しゃべってんじゃねぇええええええええ!!!」
再び絶叫しながら、今度は杖を向ける。そこから威力の無い下手くそな【光弾】を撃ちまくるも……
すでに彼女の目の前には【結界】が施され、全ての【光弾】は彼女に届く前に弾けて消えた。
「このままでは、自分も、二人の妹までアナタに殺されてしまう。そう確信した自分は、神官の皆さんの助けを借りて、妹たちを連れて城を出ました。まだ幼かった末の妹は里親に預け、自分と、上の妹は、身を隠した後に、名前を変えて、魔法騎士の一人として城に戻ってきました。性別までごまかせたのは、やや心外でしたが……両親を殺された恨みはもちろんありました。けどガマンしました。そうまでしてでもアナタがこの国のトップに立つことで、この国をより良くしてくれるというなら、構わないと……そして、アナタの政治家としての手腕を見てきましたが――」
「黙れ!! 黙れ黙れ黙れ!! しゃべるなぁぁああアアアアアアアアアア!!!」
相変わらず、シンリーの言葉をさえぎり叫んでいる……だがそれは、まるで話の中のなにかを恐れ、ソレを必死に隠すため、誰にも聞かせないよう声を上げている。そんな印象を誰もが感じた。そして、そんなものに邪魔されることなく、シンリーの話は続く。
「政治の仕事は、全て他の政治家たちに丸投げし、アナタ自身は、ただ筆頭大臣という立場にあぐらを掻いて、何もせず惰眠を貪り豪遊するのみ。アナタが筆頭大臣として、やったことは一つ。城で働いてくださっていた人たちの中から、自分の大嫌いな、三十歳を超えた人たち全員をクビにしてしまったことだけだ――」
「しゃべるなって言ってんだァァアアアアアアアアアアアアアアア!!」
やがて【光弾】が出なくなったと見るや、叫びながら走り出した。
「ダリ――」
その拳が届くよりも前に――消えた【結界】の向こうから伸びたシンリーの足裏が、ロシーヌのクドイ顔面をとらえた。
「三十歳を超えた人間は、魔力が徐々に減少し、いずれは魔法が使えなくなる……魔力の絶頂期とかいうありもしないデマを、国中に流布すると共に……!!」
「……は?」
王女に顔面を蹴り飛ばされ、地面を転がる筆頭大臣の姿よりも、衝撃的な話を誰もが耳にした。
「え……デマ?」
「デマって、なんだよ……三十歳が魔力の絶頂期で、そっから魔力は減ってくって……」
「だから、俺たち全員、三十歳で定年だって言われて、一方的に首切られて、そのせいでどこも雇ってもらえなくなって……」
集結した北端族の間に、その言葉は一瞬で広がっていった。
自分たちが職を失い、落ちぶれることとなった。そうなった最大の原因である、魔力の絶頂期の話は……
「三十歳を境に、成長と共に増加していく魔力がほぼ打ち止めとなるのは事実です。しかし、ソレを境に魔力が徐々に減っていく、そんな事実はあり得ません」
「やめろォオオオオオオオオオオ!!?」
再び語り出した王女に、ロシーヌはまた襲い掛かろうとした。
「ごあッ」
だがそれも、同じように顔面への蹴りを喰らって、後ろへふっ飛び転がり黙った。
「ダリ……魔力大国であるトレントラに手紙を送り、確認しました。間違いありません。魔力の絶頂期というのは、この女が流したデマだ。自分が大嫌いな、三十歳を超えた年寄り。それを、自分の目の前から消し去るために……自分が認めた、若く美しい人間だけを残し、それ以外は排斥する。そんなバカげた理想の国を作り上げるために……!」
「ふざけんなアアアアアアアアアアアアアア!!!」
語られた衝撃の真実に、声を上げたのは、北端族らの最前列で双子に倒された、デカ女だった。
「じゃあなにか……そんなウソのせいで、アタシの息子は飢え死にしちまったってのか? ずっと働いてきた仕事クビにされて、金は全部税金に持ってかれて、家も食い物も、ダンナにまでいなくなられて、日に日に弱ってく息子を、ロクに食べさせてやることもできないまま、死んでくのをただ見てるしかなかった……その原因が全部、ウソだったって? その女のついた、ウソだったってぇ……?」
「そういうことになりますね」
それを聞いたデカ女の目は、シンリーから、ロシーヌへ……
そして、デカ女に限らず、北端族に堕ちた者たち全員が、クドイ顔を睨みつけた。
「よくも……」
「全部ウソだっただぁ? デマだっただぁ?」
「年取って悪かったなぁ……そんなに年寄りが憎いのかぁ?」
「自分の歳ぃ棚に上げやがって……俺らになんの恨みがあるんだぁ!?」
「おい魔法騎士ども!! アタシを護れ!! コイツら全員殺せ!!」
魔力が尽き、物騒な目を向けられ、小さくも確かに聞こえてくる恨み言を耳にして。
「レイちゃん! アタシを護ってよ!! ずっと可愛がってあげたじゃない!? アタシのこと護って! このクズどもから護って!! ねぇ!!?」
ずっと無視してきた国民たちからのそんな感情に、ようやく危機感を感じ取って叫んだものの……
ここにいる魔法騎士の誰一人、ロシーヌの言葉に従う者は、いなかった。
筆頭大臣を護る……役割の一つを、誰もが放棄し、見棄てることにしていた。
「おい、カリレス!! アタシを今すぐ助けろ!! アタシはこの国の女王だぞ!! アタシがお前らを生かしてやってたんだぞ!! 臭くて汚ねぇお前らが生きてんのをアタシが許してやってたんだ!! 今すぐ助けろ!! 武器があるんだろ!? コイツら殺せ!! アタシを守れええええええええええ!!?」
当然、そんなことを叫ばれたカリレスの住人たちにも、動く者は一人もいない。
殺されたという女王や国王と違って、一度もこの土地へ来たことは無く、初めて来たと思ったら、無遠慮な嫌悪と拒絶を叫んで。あげく、カリレスそのものをバカにし。侮辱し。
だからこちらも、一つの恩も感じていない筆頭大臣に対して、嫌悪と拒絶を選ぶことにした。
「国はゆるさねぇ……魔法騎士もゆるさねぇ……だがなぁ――」
「お前だよ、一番は……一番ゆるしちゃおけねぇのはぁ!?」
「殺してやる……ぶっ殺してやる!!」
「息子の仇ィィィイイイイイイイイイイイイイイ!!」
パチン――
ロシーヌに向かって、北端族全員が走り出そうとした。だが、進んでいた者たち全員、その足を止めた。だがそれは、立ち止まったというより、まるで張り巡らされた布か網を押していき、やがて押し返されたような……
「――【結界天】・天幕」
「なんだ!?」
そしてそれが、筆頭大臣の前に立つ第一王女の仕業であると、誰もが気づいた。
「皆さん……どうか冷静に」
「はぁああ!? 冷静!? なにが冷静だ!? なんで冷静でいられるってんだぁ!?」
「その女だけは、ぶっ殺さなきゃ気が済まねぇ!! その女、絶対にゆるさねぇ!!」
「もちろん」
王女は、彼女らの言葉を肯定しながら――
逃げようとした筆頭大臣の足首に【閃鞭】を巻きつけ、自身の目の前に転ばせた。
「皆さんの気持ちは、よく分かります……だからこそ、その権利、譲っていただきたい」
淡々と、かすれた低い声で語られた言葉の内容に、誰もがまた声を上げようとしたが……
直後に見せた、王女の苛烈で強烈な形相は、北端族からそれ以上の言葉と威勢を奪った。
「この女をぶち殺す……それは、両親を殺され、住んでいた城を妹ともども追われ、目の前で、愛する国と国民たちを苦しめ、痛めつけ、死ぬさまを見せつけられた。あげく、まだ幼かった、末の妹の命さえ、信頼していた里親の命ともども奪われた……自分にこそ、誰よりもその権利がある。違いますか?」
苛烈で強烈、激烈にして痛烈――声色は変わらず淡々としているのに、その表情に確かに含まれた、怒気、恨み、悔しさ、殺意……
北端族の大勢が、筆頭大臣のせいで大切なものを奪われ、失った。
だが、少なくともこの場に集まった人間の中で、最も多くを奪われたのは、間違いなくこの、王女だ。
その形相と言葉から、誰もがそれを認めることになった。そして、その迫力に、自分がと声を上げることは、できなくなった。
「……おい、ちょっと待て、なんのことだ? 王と女王はともかく、末の妹なんて知らねーぞ?」
立ち上がった筆頭大臣は、今の状況が分かっていないのか、それとも分かっていてなお逃避しようとしているのか、そんなマヌケな声を上げていた。
「……なんだ、その目は?」
が、そんな言葉に答えることなく、代わりに向けられた、シンリーの目を見て……
「なんなんだその目はァアアアアアアア――ッッ!!!」
その目が気に障り、もう魔力は切れているくせに、魔法も撃てないのに杖を向け――
「がああああああああああああああ!!?」
が、響き渡ったのは【光弾】の呪文ではなく、ロシーヌの絶叫と……
「……杖を向ける際、人差し指を立てるのは良くないそうです」
シンリーは相変わらず、淡々と語った。ロシーヌが持ち上げた右手。そこに握られた杖と、人差し指を掴んで、真後ろへ曲げて、二本分のバキッという音を響かせた。
「あぁぁああああああああああああああああ!?」
その指と杖を、遠慮なく動かし、四方八方へ折り曲げねじる。
その光景と、女のクドイ絶叫は、騒いでいた北端族の全員の表情を強ばらせ、黙らせた。
「どうしました? まだ指の一本ですよ?」
淡々と、冷たい言葉を投げかけて……
十二分に人差し指を痛めた女の身に、蹴りを喰らわせ、また地面に転がす。
パチン――
また指を鳴らすと、今度は地面の砂が動いた。土の壁から崩れ、無造作に散らかっていただけの砂が、まるで水が流れるように、一か所に集結しだした。
シンリーの前。指の痛みに地面をのたうつ、ロシーヌのもとへと――
「な、なんだ……なんだぁ? なんだぁ!?」
痛みに涙を流すばかりだったロシーヌも、ようやく異変に気づいた。もっとも、気づいたからと言って逃げられるものではなく、気づいた次の瞬間には、集まった砂に、本人にとっては美しい顔以外を包まれた。
「あれは……リムさんと同じ、【土操極】?」
「いいえ、全然違います」
ただただ目を奪われるばかりのフェイと、声を出したファイの間に、リムが立った。
「わたしがもし、土操極で同じことをしようとしたら、できなくはないけど、あんなに器用に顔だけ出すなんて、できるかどうか……そもそも、元から湿った土ならともかく、ほとんど水分が無い砂粒を、あんなふうに固めて固定するなんて……」
「では、あれも――」
「【土操天】……餓鬼土」
フェイが気づきの声を上げ、シンリーが声を出した時には、ソレはできあがっていた。
顔のみ出した砂の塊は、大の字の形に広がってそこに鎮座していた。
砂によって無理やり伸ばされた手足、限界まで広げられた股関節、そうして固定された身体は、土に隠れていても無理な姿勢であることは、唯一見えている顔の苦悶を見ずとも誰にも分かる。だがいくら苦しくとも、戻すことも、楽な姿勢を取ることも許されず――
「償う必要は無い……懺悔の言葉も、贖罪の行動もいらない……ただ、苦しめ」
パチン――
「がああああああああああああああああああああああ――――ッッッッッ!!!」
指を鳴らす音の直後、それを余裕でかき消す、これまで以上の絶叫がコダマした。
何が起こったかは、見ている全員が分かった。
目の前の砂の大の字の、左腕の部分が、内側に向かって潰れてしまった。
中の左腕がどうなったか……想像するのが容易なだけに、誰も想像したくなかった。
パチン――
「あああああああばああああああああああああああああああ――――!?!?」
再び絶叫。今度は右足。
誰もが目を背け、硬く目を閉じ、後ろへ下がり――
「逃げるなッッ!!!」
そんな誰もの耳に、今度はシンリーの絶叫が轟いた。
「島の北からココまで集まった方たち……アナタ方の望みは、筆頭大臣はもちろん、自分たち魔法騎士、そして、カリレスの皆さん全員に、こうすることでしょう? だったら、今さら己がしようとしていたことを、他人がしている程度のことで、怖気づかないでいただきたい」
パチン――
「ぅああああああああああああああああぁああああああああああああ――――!?!!」
言っていることは、理解できる。彼女の言ったことも、否定できない。
そのくせ、北端族の誰もが否定したかった。
少なくとも自分は、ここまでのことをしたかったわけじゃない。こんな残酷なことがしたくて、ココへ来たわけじゃない。
右腕が潰れる光景を見ながら、誰もがそんな、今さら都合の良い思考を浮かべていて……
「そして、カリレスの皆さんも、よく見ておきなさい。今日まで北端族が受けてきた仕打ちが、まさにコレだということを……仕事を失くし。お金を失くし。家を失くし。家族を亡くし。それはこんなふうに、手足を一本ずつ失っていくのと同義だということを。アナタ方に責任はない。責めを受ける筋合いはない。ただよく見ておきなさい。ずっと他人事だと認識してきた、彼らの苦しみとはどんなものであったかを――」
パチン――
「がぁあぁああああああああああぁああああぁぁあああああぁ――――!?!!」
他人事……
そう思ってきたことは否定できない。北端族の存在を認識してはいても、彼らがこうなってしまったことは、自分たちのせいじゃない。それだけは間違いないから、それだけを理由に目を逸らし、豊かに幸福に生きてきた。
たった今、女の左足が潰れたように、一つずつ失っていった果ての姿が、北端族だということさえ忘れて……
「【治癒天】ッ!」
――バチッ
叫んだ声そのままに、今まで以上の怒りと、同時に嫌々のこもった指の音が鳴る。
すると、見る見る潰れていた四肢の砂は元の形を取り戻した。
同時に、ずっと苦痛と苦悶に歪んでいた女のクドイ顔に、わずかばかりの安堵と解放感。
両手足が治ったらしい……それを理解して、誰もが胸を撫でおろした。
パチン――
「えぇぇぇえええええええあぁぁがああああああああああああ!!?!!?」
だがそんな安直な安心も安堵も、すぐさま絶叫に上塗りされる。
そこからは、同じことの繰り返し。シンリーが指を鳴らすごとに、固められた大の字の四肢が順に潰れて、四つ全てが潰れては、【治癒天】による即座の治癒。
とっくに気絶するかショック死していてもおかしくない激痛ながら、それは彼女が上手いこと、ショック死ごときで終わらせてしまわないよう手加減し、且つ、【治癒天】による意識の覚醒で気絶することも許していないから。
だから、【拡声】で拡大された女の絶叫は終始、カリレスにいる全員の耳に届くことになった。それに、気分を悪くしている者たちに囲まれながら、密かにメアは、思っていた。
(せいせいするし、スカッとするけど……子どもたちがこの場にいなくて、本当に良かった。最悪、一生のトラウマになるか、悪くしたら今のリムちゃんみたく気絶しちゃってるよ……あ、ファイ君に起こされた)
何度繰り返したか分からない、【土操作】による四肢の破壊。【治癒】による回復。
時間にすればわずか数分だが、痛ましい絶叫のせいで、見ているだけの者たちさえ十分にも二十分にも感じられてしまった。
そして、それだけの時間、絶叫を繰り返した筆頭大臣は……
「あぁ……あっ、あ、あ、あ、あっ、あぁぁあぅ……あぅ……」
四肢の全てを潰した回数が、二桁を数えるより前には、叫ぶことをしなくなった。両目からは大粒の涙。鼻からは大量の鼻水。口からは唾液と泡と、声にならない無意味な声を、途切れ途切れに漏らすだけ。
「これ以上はやるだけ無駄か……非常につまらない」
パチン――
また、指を鳴らした音が響く。また、大の字が形を変える――だが今度は、四肢のどこだかが潰れるのでなく、全体が元の砂として、地面に流れていき、やがて、中にいた筆頭大臣は、砂とともに草地に投げ出された。そんな様を、変わらず青い顔で全員が見ているのだが――
「すごい……あんなに何度も潰しておいて、傷あとさえ残ってないどころか、後遺症も無しに問題なく動かせるなんて。あんなの、セルシィ様にだってできない……」
隣で震えるメルダの手を握りしめながら、第3のディックは、青ざめながらも感嘆の息を吐いていた。
(もっとも、体はともかく、心の方は、もう魔法でも治せそうにないけど……あ、元々か)
「さあ、アナタ方の番だ」
放り出された後は、砂に埋もれてうずくまり。両手足には力がこもらず、ただただ体全体をビクビク震わせるのみ。そんな筆頭大臣を足蹴にしつつ、シンリーは、北端族に言う。
「正直、こんな程度では全く気が済みませんが……自分は、とりあえずコレで良しとします。次はアナタ方の番だ。アナタ方を辛い目に遭わせたこの女……好きにして構いません。何をしようとも、第一王女の自分が許します」
終始涼しく淡々と。冷静にして冷徹に。冷酷であり残酷に……
そんな第一王女の姿と言葉に、北端族の全員が、動けずにいた。全員が、カリレスを奪うためにココに集まってきた。カリレスを奪い、この国を奪い、自分たちを惨めにし、蔑み、バカにしてきた全てに仕返しするために。
なのに、その元凶を目の前で、それも、思わず目を覆いたくなるような方法で、存分に痛めつけられる様を見せられた。そんな彼ら彼女らの中から、怒りはすでに消えていた。
代わりに植えつけられたのは、自分たち以上にあの女を憎んできた、王女に対する、恐怖だけ……
「さあ、どうしました? なにもしないのですか?」
シンリーはなお、北端族に呼びかけた。
「自分がしたのと同じことをしようと集まっておいて、いざ別の誰かがしているのを見ると怖気づくのですか? アナタ方の怒りと覚悟はその程度なのですか?」
そんな問いかけに……誰もが、応えられずにいた。顔を見合わせて、互いに目を伏せる者もいる。ただただ奥歯を噛みしめ、拳を震わせ、だがなにもできない者もいる。
「恐ろしいのは自分ですか? それとも……アナタ方ご自身ですか?」
そんな、唐突な呼びかけに、目線を逸らしていた者たちは、その視線を王女へ向けた。
「この際ハッキリ言わせていただくが……カリレスを我が物にと集まっておいて、今は安堵しているのではないのですか? 自分たちが実際に、自分がこの女に対してやったようなことを、アナタ方ご自身がやらずに済んだことを……怒りの感情と積年の恨みに突き動かされていた先ほどまでならともかく、冷静になった今、感じている感情は、安堵なのでは?」
再び北端族の全員が顔を見合わせた。
図星、とは一概に肯しがたい。だが、否定することもまた、できない。
曖昧に顔を見合わせて、自分自身を除いた人間たちの顔色と反応を見ながら、再び自分の感情を見て。だが答えは分からず……
「自分の言った言葉を理解しかねますか?」
自分自身のことなのに、答えを出すことができない。
そのくせ答えを求めるばかりの北端族の耳に、第三者の声はより響いた。
「ご自身の感情と、ご自身の行動、理解することができかねますか? 自分がどうしたいのか分かりかねますか? どうあるべきか分かりかねますか?」
矢継ぎ早に、質問が飛んでくる。それにまた考えさせられて、余計に答えは出なくなる。
「自分自身のことなのに、全く分からない。理解もできない。そんなことで、小国とは言え、よくもこの国を堕とそうなどと、大それたことを考えたものだ」
呆れ果て、吐き捨てる。それをされても、実際になにも答えられない彼らには、応えることはできない。
「実に愚かしい……見ているだけで情けない……危なっかしくて見ていられない……だが、それで良い」
否定、否定、否定……否定の連続の後に聞こえてきた、肯定の言葉。思考に沈んでばかりいた者たちは、顔を上げ、王女の顔を見た。
「本当なら、アナタ方はそうやって、ご自身のことだけを考えていればいい。自分自身のこと、家族のこと、仲間のこと、お仕事のこと、ご自身に関わること……それだけを考え、より幸せになる生き方のみ考えていればそれで良い。それこそが、国民のあるべき姿なのです……それを捻じ曲げ、国全体を歪ませて、アナタ方に余計な負担と思考を植えつけたのは、この女だ」
再び足もとの女を蹴突き、恨みのこもった視線を向けた。
「そして……この女に好き勝手させていたのは、他でもない、王女の身にありながら逃げ出し、身を隠し成り行き任せにしてきた、自分の責任だ」
恨みの視線そのままに、顔を女から北端族へ。その視線の恨みは北端族ではなく、王女自身に向けられたものだと、全員が気づいた。
「今さら、この女を痛めつけ、引きずり下ろしたところで、償いになるわけでも、まして、アナタ方の敵討ちになるわけでもありません。この女に奪われていた母の形見……代々受け継がれてきた、女王のドレスを取り戻し、着飾ったところで、女王になれるわけはない。逃げ回っていた王女を信じろなどと、とても言えたことではない……それでも――」
そこまで言葉を紡いで。顔を伏せ。目を閉じ。息を吐き。再び顔を上げて……
「それでも、恥の極みであると自覚しながら、敢えて言いたい! 自分に……ワタクシに、アナタ方をどうか、護らせてほしいと! 女王として!!」
それは、終始変わらなかった、淡々とした口調とは違う。最初にここへ降りてきた時と同じ、堂々とした、風格ある声だった。
「アナタ方の感じる怒り、不安、疑問……全てをワタクシが背負わせていただく。解決することは難しくとも、むげにすることは決してしない。ワタクシにどうか、責任を取るチャンスを与えていただきたい! 今日までずっと、国から目を背けてきた……アナタ方を護ることなく逃げてきた、その責任を!!」
「このシンリー・ユー・ルティアーナを! 女王として認めていただきたい!! そして信じていただきたい!! この国の北へ追いやられた皆さんにどうか、この国を諦めず、人であることを諦めず、ワタクシを信じて任せていただきたい!!」
最後の声は、まるで突風が吹き荒れ空気を叩きつけられたような迫力と威力を、直に向けられた北端族、そして、その後ろに立つ魔法騎士団たちは、感じた。
「もちろん……受け入れかねるというのなら仕方がない。アナタ方の気持ちを強制することは、ワタクシにはできない……それでも、一つだけ言わせていただくなら――」
パチン――
指の鳴る音が響いた。直後、王女の足元、女の周囲に広がっていた砂の山が、津波のような、生き物のような、そんな動きで王女の背中に立ち、カリレスを塞ぐように、立ちふさがった。
「これ以上、カリレスと、カリレスに生きる罪のない人々を危険にさらそうとするのなら、その時は、愛する国民の皆さんと雖も容赦はしない。王女として。そして、魔法騎士団の一魔法騎士として――」
(もう、一魔法騎士なんて域、とっくに超えちゃってるけどね)
国を統べる者としての覚悟。反逆者たちに向けて放たれた啖呵。
そして、他に類を見ない、圧倒的な魔法の力。
「女王さま……」
自然と、そんな声が上がった。双子とリムの後ろ。カリレスの住民からだ。
「女王さま!」
「女王さまが、帰ってきた!!」
「女王さまの娘が、この国を護るために帰ってきた!!」
「女王様!!」
「女王さまー!!」
武器を手に、自分たちの生まれ故郷を守ろうと集まってきた農民たち。目の前で繰り広げられた惨劇に対する恐怖を超えて、全員が、新たな女王の誕生に歓声を上げた。
「女、王、さま……」
そして、カリレスからの熱狂はやがて、反対側にまで伝染し……
「女王様!」
「今度こそ信じていいんだな? 女王さまを!」
「次にこんなひどい国にしたら、ゆるさないよ!!」
「忘れねぇからな! さっきの言葉!! ちゃんと責任取れよな!!」
「それまでゆるさねぇぞ!! 女王サマよぉ!!」
全てを赦したわけじゃない。赦すことなどできはしない。
それでも、否定することもしない。
カリレスが……
北端族が……
敵対していたはずの者たちが一つとなって、新たな女王の誕生を受け入れ、声を上げていた。
「ヨースケと同じ……」
そして、一部始終を見ていた魔法騎士たち。うち、メルダが呟いていた。
「相手を怒らせて、ビビらせて……そうやって相手の感情めちゃくちゃにして、なにも言えなくなってる間に言いたいこと言って、最後には都合の良い結果に誘導する……」
「言われてみれば……ヨースケさんが、森でしてたのと同じ、ですね……」
集まった者たちの歓声に包まれる中でされた、メルダとディックの話に、近くにいた魔法騎士らは、納得し、頷いていた。
(確かにね。最初に怒らせた後でビビらせて、その後は疑問を投げかけて、考え出す前に強引に答えをねじ込んで。かなり強引に話をまとめちゃったなぁ……)
メアの感じる通り。冷静になって振り返ってみれば、言葉と言いやり取りと言い、強引な展開は否めない。なにか一つ間違っていれば、こんなに都合良くはいかなかったろう。
それでも、今夜起こるはずだった悲劇を防ぐことはでき、クドイババァは痛めつけ、そしてジンロンは――シンリーは、逃亡の王女から、帰還した女王として認められることになった。
(おっさんから学ぶことって、こういうことだったのかな? 普通なら解決しそうにない修羅場を、派手な行動と勢いで上手いことごまかして、無理やり解決まで持ってく、良く言えば心理誘導。悪く言えば、洗脳と、詐欺……)
「まあ、なんにしても、女王の器は十分だったわけだ。大変なのはこれからだよ……お姉ちゃん」
沸き起こる歓声。歓声にごく近い怒声。
一部とはいえ、国民たちから自分という存在が、女王として認められ、受け入れられた。それを成したことで、一抹の達成感に満たされながら――
女王にもまだ、懸念はある。
(こっちはなんとかなった。あとは、未だ囚われの身の、カリレスの住民方――無事、連れ戻せるかは、アナタ方に懸かっています……ミラ)




