第7話 城を護って
ルティアーナ城に限った話ではないだろうが……
雄大で豪奢な城塞。広い空間をあてられた中庭。
魔法騎士や様々な城内労働者たちの住まい。加えて、城内の人間の癒しの場として、残された流麗な川。広い森。
大きくて豪華な城らしい華やかな場所もあれば、巷とあまり変わりないなじみ深い場所もある。地上から離れた小高い丘という、狭くも広い空間には、それだけ様々な場所が広がっている。
見て、歩いた人間が、どの場所に憩いや癒しを求めるかは人にもよるだろうが……
つまり何が言いたいかと言われると、このルティアーナ城のように、大きく、歴史ある場所や建物にあるのは、そういった美しさだけではないということだ。むしろ歴史ある場所にこそ、そういった美しさや厳かさに隠れて、それらとは真逆の、醜悪で、嫌悪極まるような、少なくとも進んで近づこうとは思わない、叶うことなら一度たりとも行きたくない、そんな場所。
現代でもあらゆる国にそう言った、悪い言い方をすれば、汚点と呼ぶべき場所があるように。この城にも、美しさと厳かさの下。建立された城の地面の下に、そう言った空間は存在する。
少なくとも、普通の魔法騎士が立ち寄ることは滅多にない場所。そんな、このルティアーナ城の地下にて――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ヨースケさま♡ヨースケさま♡♡ワタシのヨースケさま♡♡♡愛しのヨースケさま赤い騎士服黒い服力強い肉体慎ましやかな背丈ふくよかな腹部お茶目なお面柔らかなる唇全てがカッコイイ全てがカワイイ全てがスバラシイ全てがオオシイ全てがパーフェクト愛しい愛しいヨースケさまヨースケさまヨースケさまヨースケさまヨースケさまヨースケさま♡♡♡♡♡♡」
「……アンタ、いつまでくっついてる気よ……?」
魔法の灯の光にのみ照らされた、薄暗くも湿っぽく、かび臭くて冷たい空間。そんな場所では、常人には聞こえないようなボソボソとした小さな声も、反響するせいでその大部分は聞こえてしまう。
言われた当人からしたら中々失礼な言葉でも、言った本人に悪意はなく、むしろ愛情込めて言っているからなおタチが悪い。
そんな早口言葉をボソボソ繰り返しつつ、魔法の手枷がついたまま葉介にベッタリくっついて。この城に連れてこられた時から変わらないゲスロリのそんな言動に、声を上げたのはリーシャである。
「ヨースケが迷惑してるじゃないの。さっさと離れなさい」
「離れない♡放れない♡♡ワタシはハナレナイ♡♡♡ココがワタシの場所ヨースケ様の隣がワタシの場所ワタシのヨースケさまワタシはヨースケさまのものずっとずっと離れない放れないずっとずっとずっとずっとズットズットズットズットハナレナイハナレナイ夫婦は永遠にハナレナイ♡♡♡♡♡♡」
「いつからヨースケさんがアナタと夫婦になったんですか? いいから離れなさい! この――ッ」
「寄るな来るな近づくな触るなワタシの体はヨースケさまだけのものヨースケさま以外は近づくな視界に入るなしゃべるな声を出すなクソ野郎カス野郎クズ野郎ゴミ野郎――」
「シェリィさん。汚い言葉を簡単に人に向けるもんじゃありません」
「はいごめんなさいヨースケさまあとワタシの名前はシェ・イ・ル」
新たに割って入ったセルシィに、リーシャとも、今にもつかみ合いのケンカになりそうになったところを、葉介の一言で、ゲスロリ改め、シェイルは大人しくなった。
「それと、これから大切なお話をしますゆえ、少し離れてくれると助かります。シェーンさん」
「はいヨースケ様すぐに離れますワタシはアナタのシェイルですシェイルはいくらでもアナタから離れます――」
(そのままずっと離れてなさいよ……!)
(一生ヨースケさんに近づかないでください……!)
二人とも、そんな言葉だけは何とか飲み込んで、葉介からシェイルが離れるのを確かに見届けた。
「ヨースケ……」
「どした? ミラ……」
「……あの女なに? なんでヨースケにくっつくの?」
「分からん……リーシャさんが倒したのを普通に捕まえたら急にくっついてきてさぁ」
怪訝な様子で尋ねてきたミラに対しても、葉介は本気で分からないという様子で答えている。お面を被っていても、その下には紛れもない困惑と疑問が見てとれる。
(アレを普通に捕まえただけって言えるアナタはすごいわよ、ヨースケ……)
そして、お面の下にある無理解の反応は、すぐ目の前への驚愕に変わった。
「てかミラ、ケガしとるやんけ! 襲撃犯にやられた?」
「え……?」
驚愕と心配に変わりつつ、ミラの両手を握って、手の平を上に向けると、確かに、手の平から出血していた。
「あ……大丈夫。このくらい、すぐ【治癒】できる」
言うが早いか、葉介がこれ以上心配する前に、出血を止め傷を塞ぎ、綺麗な手の平に回復してしまった。
(ミラ……それ、今したケガだよな……?)
傷が治り、これまた葉介はお面の上からでも分かるほど……むしろ、お面の顔ごと安堵した。ミラも何やら安堵して。そんなホワホワした空気を赤と黒が漂わせている横で、緑色は、確かに見ていた。
それぞれの襲撃犯を撃退、捕獲し、誰よりも早く城に戻っていたメア。その後ほぼ同時に合流した、ミラとアラタとサリア、シャルにリリアとレイ、そして、葉介。それぞれの場所で、後から合流した魔法騎士たち。
魔法騎士以外には当然、生け捕りにした襲撃犯が計四人いたわけだが、その内の、葉介が連行してきた女。シェイルは終始、葉介にベッタリとくっつき、恥じらいもなく葉介への愛の言葉をささやき続けていた。
それを見ていたリーシャは、面白くなさそうに顔をしかめ舌打ちしていた。
後から合流したセルシィは、ワナワナ震えつつ何度も舌打ちしていた。
そして、ミラは、表情も変わらず舌打ちもせず、代わりに、こめかみの辺りに太い血管を浮かばせ、固く握った拳からは血を滴らせていた。
「…………」
それだけ頭に来ていたはずなのに、葉介が手を握り、優しい声を掛けただけで、機嫌が直ってしまったらしい。いつもの無表情から、怒気と殺気の雰囲気が消えた。
(いいな……ミラ)
そんな二人のホンワカした空気に、セルシィは嫉妬を向けていた。
(私の手も握ってほしい……)
私もケガしたらよかったかしらと、無傷でシェイルを倒したリーシャは後悔していた。
「……やい! ヨースケ! 俺だってがんばったんだぞ!」
「うん……アラタもさすがやね。大したケガも無さそうだし。期待の新人やね」
「お、おう! 当たり前だ! あんな野郎、俺の敵じゃねえぜ!!」
「二人とも無事で良かった。強くて頼りになる二人が一緒だから、俺も安心して戦える」
黒色からの飾らない言葉を受けて、笑顔をふにゃらせる緑と、無表情をホワらせる赤。
命懸けの戦闘の後の殺伐とした状況にありながら、そんな、ホンワカを漂わせる三色のやり取り。ハタから見ている者たちは思った。
(誰が一番偉いんだっけ?)
黒色とゲスロリを中心に、そういった騒動が起きている横では、別の騒動も起きていて――
「……おい」
「なんだ、税金泥棒? ウチになにか用か?」
「ああ。用はあるとも……貴様、いつまでレイの手を握っているつもりだ? 騎士服まで羽織りおってからに――」
「手を握ってくれたのも、騎士服を恵んでくれたのも、他ならぬレイだ。その厚意に甘んじることの何が悪い?」
こちらでは、レイにシャル、リリア、そして、彼らが捕らえたノッポが集まっていた。
彼女らの話の通り、ノッポは現在、体格的にやや小さい、レイの騎士服の上着を羽織っている。シャルとの戦いの過程で破け、弾けてボロボロになった服を見かねたレイが着せたものだ。
それを含めたレイの優しさに触れたことで、こちらはこちらでレイから離れなくなってしまったというわけである。
「大体、貴様、私とキャラも口調も被っている。どちらがしゃべっているか分からんだろう。ややこしくなるから私たちのそばに寄るな」
「……なにを言っているのか分からない。それに、キャラが被る? ウチはそんな、中途半端に手と顔だけ焼けた肌はしていない。歳もお前より五つも下だ」
「むぅ……!」
「何より、お前ほどデブでもない」
「デブではない! レイの大好きなボンッ、キュッ、ボンッだ!!」
「ちょ、シャル、落ち着いて……カリンも無駄に挑発するな」
ノッポ改め、カリンの挑発に興奮し、取り乱した末に、レイのフェチまで暴露して。
そんなシャルの横でリリアは、視線を下に向けつつ、「胸なら……胸だけなら……シャル様ほど無いけど、セルシィ様よりは……」と、何やらブツブツ呟いているその前で。
「レイ……」
「え……?」
顔を真っ赤にしつつ、どうにかシャルを鎮めようと思っているレイに対して、カリンは声を掛けた。
「この女……レイの、なんだ?」
レイよりもはるかに上背がある体を小さくして、声は切なげに、視線は上目遣い、加えて、弾けた服の切れ目からは、逞しくも艶めく肌を覗かせて。
「なにって……シャルは、オレの一番大切な人だ。将来を誓い合った恋人だ」
上背にあまり似合わない、だからこそ可愛らしいと感じてしまう。そんな仕草に胸が高鳴るのを感じつつも、レイは、ハッキリと答えを返した。
「……そうか」
レイのキッパリとした答えに、シャルは勝ち誇った顔になり、リリアは人知れず表情を沈ませ……直後、カリンは直前以上に、レイにすり寄り、両手を首に回して――
「ウチは……第2夫人でも、側室でも愛人でも構わない」
「え――」
「そばにいられるなら……それ以上は望まない」
「え……あの、えっと――」
今にも唇同士が触れそうな距離まで、艶やかな仕草と表情を見せつつ寄ってくるカリンに、レイは戸惑うばかり。
レイがモテることは今に始まったことではないし、今の第1や、第1を目指す魔法騎士も、目当ては大抵がレイだ。
だが、そんなレイには、シャルという、魔法騎士になる以前からずっと一緒で、その上同じ関長同士という、張り合うこともおこがましく思える恋人がいることで、ここまで明確なアクションを起こす女は、クドクてウザい筆頭大臣を除けば一人もいなかった。
そのため、いくらモテていようと、慣れないアクションを前に、大いに戸惑っていた。
「なにを堂々と浮気の宣言しているのよ、アナタは!?」
そんなカリンの言動に、当然、シャルは怒りを感じた。だが、声を上げ、詰め寄って、二人を引き離したのはリリアである。
「なんだ? お前もレイが欲しいのか?」
「は? ほッ、ほしッ……ちがッ、私は、ただ、レイ様の部下として――」
「顔が真っ赤だな……」
「リリア……?」
「レ、レイ様……わ、私は、そんな――あッ、あうあうあうあう――」
魔法騎士団最強と謳われるイケメン男子。そんな彼を中心に、彼を超える長身の美女が三人。中心の彼よりも高い目線で巻き起こる、乱痴気騒ぎの図である。
「それにしても……お城の地下。初めて来ました」
「僕もです……」
「私も……」
そんな、ホンワカと乱痴気と、二組の対照的な騒ぎからは遠ざかった、サリア、ディック、メルダの三人は、単純に今いる場所を見渡して、素直な感想と表情を浮かべていた。
「薄気味悪い雰囲気、ですね……」
「雰囲気もだけど、空気そのものが重い感じがするわ……」
魔法の灯の光にのみ照らされ、浮かび上がった空間を見回してみた。
床も壁も、石を積み上げ、敷き詰められた、見るからに固く、冷たい空間。それ自体は城の城壁にも言えることながら、地面の下にある分、冷たさはより一層際立って見える。
加えて、メルダの言った通り。冷たいのはそんな空間の作りや雰囲気だけでなく、この古く暗い空間に漂う空気そのものが、得体の知れない重さ、そして冷たさを含んでいるように感じられた。今、彼女らが集まっている牢屋前は、特にそれが感じられた。
「それに……あの人たち、神官よね? 私たちを森に飛ばしたり、城下町の市民たちを逃がしてくれた――」
サリアが向けた視線の先。今いる地下牢の出入り口に立つ、二人の人物。
全身を覆い隠している茶色のローブ。目深に被っているせいで顔は口元しか見えないものの、この国の人間らしく、綺麗に整っている。
そんな二人とも、この地下牢へ降りて、ここまで道案内をしてくれた。そして、あの場所に見張りとして立っている間、一言も言葉を発さずにいる。
「神官の人たちは、普段はココを拠点にして、仕事もココでしてるんだよ」
辺りを見渡し疑問にくれる、そんな三人に、話しかけたのはメアである。
「お城で働く人たちの中でも、特に高い魔力を持ってる人たちがなるのが神官。神官に選ばれた人たちは、普段は普通の仕事のかたわら、【転移】の魔法を鍛えて、いざって時のために備えてる。それはみんな、知ってるよね?」
三人とも、曖昧ながら頷いた。
「けど、みんなも知っての通り、【転移】って、魔法の中でも一番ってくらい消費する魔力が膨大だから、一日の内にちょっと鍛えただけで、すぐ魔力はゼロになっちゃう。おかげで一生かかったって、『極める』のはもちろん、『至る』ことさえできない魔法なんだよ」
三人はもちろん、今ここにいる魔法騎士の誰も使わない【転移】という魔法の説明を聞いて、三人とも、途中からメアの方へ振り向いたホンワカ組と乱痴気組も納得した。
「そんな魔法だから、鍛えるにはとにかく年単位の長い間、使い続けるしかない。彼女たちが何年も鍛えてくれたから、何人も集まってのフルバーストとは言え、大勢の人間を移動させる【瞬間移動】が使える……そんな人たちだから、歳を取ったから若い子に、なんて替えも効かない。滅多に見かけないし地味に見えるかもだけど、みんなが思ってるより、すごい人たちなんだよ。神官のみんなって」
再び二人の神官を見つつ、そう言い切った。
「【瞬間移動】だけじゃない……この五日間、それより以前から、城下町や城へのデスニマとか、害虫・害獣の侵入を防いでくれてた【害獣除け】の魔法。森の内側全域――要するに、城や城下町にまるごと掛けてくれてたの、誰だと思う? 年中、毎日欠かさずにさ」
聞いていた魔法騎士全員、自身の中にあった、神官という職を与えらえたローブの人物たちの認識を改めていた。
「……すごい人たちなのは分かりましたけど、そんなすごい人たちの仕事が、こんな、お城の地下での仕事、なんですか……?」
ディックの素朴な疑問に、メアは途端に表情を曇らせた。
「いいや……まあ元々、城内の仕事から、色々な人たちが選ばれてはいたよ。メイドさんだったり、厩舎小屋から政治家まで、ピンからキリまでだけど、少なくとも、日の当たる仕事をしてた。この地下の管理も、少なくとも神官には選ばれない、下働きの人たちがしてたし、犯罪した人を地下牢に入れたり監視したりは元々、新米の魔法騎士の仕事だった……あのおばさんが、筆頭大臣になるまでは、ね」
そんな説明に、全員が納得すると同時に、気分を害されることになった。
「いくら王様や偉い人たちのために鍛えてるすごい人たちだって、あのおばさんからしたら、顔も体も、見たくもない年寄り連中だからね。そのくせ、替えが効かないから追い出すこともできない。だからせめて、必要な時以外は姿を見ずに済むよう、デカいローブで全身隠させて、仕事も地上じゃなくて、こんな地下に追いやることにしたってわけだよ。ローブが取れた時に備えて、ご丁寧に、本人の意思関係なく顔まで綺麗に【加工】させてさ。次の年寄りをこの城に置きたくないからって理由で、後任の神官を選ぶことさえしなくなってさ」
その結果、仕事が丁寧な彼女たちのおかげで、下働きや新米魔法騎士がしてた以上に地下は綺麗になってるけどね。そんなわずかばかりの擁護を聞いても、全員の表情は暗いまま。
「……そう言えば、さっきから彼女ら、一言もしゃべらんね」
「あのおばさんが、しゃべるのも声出すのも、禁止しちゃったからね。声を出さなくなるよう、喉まで【加工】しようとか考えてたらしいよ。せっかくの魔法が使えなくなるかもってことで、渋々やめたみたいだけど」
全員が一度、気分を悪くして……その後に言われた事実で、ホッと安堵した。
「で、こんな汚くて暗い所、おばさんは滅多に来ないのに、律儀に言いつけ守ってるんだよ。それだけこの城に尽くしてくれる人たちだから、神官に選ばれたってわけなんだけど」
自身らの前に立つ二人、更には、この地下のどこかにいるであろう大勢の神官たちに対して。考えたことも無かった憐れみ、そして、今さらに過ぎる感謝と尊敬の感情を、魔法騎士たちは懐くことになった。
(神官て、そんな下働きを指す言葉だったかな? まあ、ここじゃあ職業ってより役職みたいだけど……)
葉介は一人、『神官』という言葉について疑問を感じていた。
「――はい! 神官の皆さんの説明は終わり。レイがお城に来た理由、聞かなきゃでしょ?」
手をパンッと叩きながら、全員の意識の方向を変えて。全員がハッとなった後で、レイはカリンに、葉介はシェイルに語りかけた。
「それじゃあ、カリン……今は、大人しく牢屋に入っていてくれ。後で必ず会いにいくから」
「分かった。いつまでも待っている」
「それじゃあ、シェーさん、今度こそ大事なお話しないといけないので、静かに閉じ込められとって下さいな」
「はい分かりましたシェイルも待ってますヨースケ様が会いに来てくれるまでアナタのシェイルはずっとずっとずっとずっと待ってま」
二人の女を神官に預け、男二人がすでに入っている牢屋へ入れられる。二人とも、愛しい男に言われた通り、大人しく中に入って、中から手枷に繋がれた手を振り笑顔を見せて。
「男女は分けといた方がよくない?」
「神官の二人が見張ってるから大丈夫」
そんなやり取りを挟みつつ、牢屋内の女二人を面白くもなさそうに見ている者たちの前で、レイも葉介も、無難に手を振っておいた。
「……リーシャ?」
「……あ、ごめん」
一人、牢屋の中をジッと見つめていたリーシャも、葉介の声に慌ててついていった。
牢屋を離れた後は、地下の更に下を目指し、階段を降り始めた。
その間、さっきまでの続きとばかりに、メアはこの地下空間の説明をしてくれた。
城が建つ丘を掘り進め作りだした、この地下空間にあるのは、まず、罪人を閉じ込めておく地下牢。
いくつか処分してしまった物もあるが、かつて魔法が無かった時代から使われていた、無骨で古めかしい金属が並ぶ武器庫。
そして、彼女らが目指している場所。この城の地下と、外の森を繋ぐ、緊急用の脱出通路である。
「罪人を閉じ込める場所と、武器庫や緊急脱出通路が同じ空間にあるのですか?」
聞いていたサリアが、疑問の声を上げた。彼女以外にも、そんな作りにしている疑問を感じてはいるようだが、その答えを分かっている様子の者たちも多くいる。
「そりゃあ、牢屋から逃げられたら、武器盗まれたり、そのまま緊急通路から逃げられたりされちゃうかもだけど、そんな簡単にいくような構造してないもん。通路には鍵だって掛かってるし。武器にしても、こっちはそういう武器の扱いが上手な兵士たちが見張ってたんだよ? それよりよっぽど武器の扱いが上手い人ならともかく、少なくとも盗みや人殺ししかしたことないような人が武器なんか取ったって、毎日訓練して戦ってるような人間に勝てるわけないっしょ?」
葉介の実家にあるような、誰でも簡単に人を殺せる重火器であれば、それでもかなり危険に間違いない。だが、この地下の武器庫にあるものはさっきも言った通り、魔法が発見される前から使われて、未だに処分されず残されているだけの金属製の刃物だ。
普通の人間なら手に持っただけでフラつくくらい重たいそんな武器、よっぽどの達人というならいざ知らず、素人が手に入れたところで使いこなせず捕まって終わりだ。
「――ま、魔法が発達して広まった今のご時世じゃあ、昔の武器に興味ある人なんていないんだけどねぇ。処分するのが大変だからって、今でも捨てずに置いてあるんだけどさ」
そして、使うことなど無いはずだったそんな武器の手入れも、神官たちが手の空いている時にやってくれているらしい。おかげで、魔法が使えない人間も、今のように戦うことができているのだから、葉介としても感謝しかない。
「……あ、ほら、あそこ」
四人を閉じ込めた牢屋から離れ、ひたすら下へ続く階段を下りた先。人が二人くらいまでは通れそうな、細い道の先。
そこに、まるで暗闇に隠れるように真っ黒に塗られた、あまり背の高くない、古めかしい木製のドアが一つ。場所と合わせての雰囲気と言い、仮に捕まっていた罪人が見つけたとして、見るからに不気味で、近づきたいとはとても思えない。葉介の実家で言うなら、見た目明らかに心霊スポットの入り口、といったところか。
「あそこが――」
「わたしの部屋……」
メアが言う前に、ミラがボソリと遮って、中に入っていった。
全員が続いて中に入る。中に入るなり、ミラが魔法の灯でその中を照らしてくれた。
他より小さな通路やドアのサイズに反して、中は結構な広さを有している。中央には、十人程度は並んで座れそうなテーブルがあり、その上には、整理された書類の束が乗っている。そのテーブルに合わせていくつもイスが並んでいて、どちらも場所と相まってかなり古いようだが、十分に使うことができる。
左右を見回してみると、隅の方の天井から、カラフルな楕円形の何かがぶら下がっている。加えて、古い布団に、おそらく替えの騎士服やら生活用品が入っているであろう箪笥や木箱がいくつかに、魔法の革袋。布団の上には可愛らしいパジャマが、キレイに畳まれ置いてある。
広さと合わせて、片づいてはいるようだが、生活感は確かに感じられる。
「ミラッち……ごはんの時以外に姿見せないと思ったら、ここで生活してたの? 騎士寮に自分の部屋あるよね?」
「どうせ仕事場だし、誰も来ないし……師匠がいた時から、一緒に住んでた。だから、ずっとココにいる……」
「そうだったんだ……」
「それに……騎士寮の一人部屋に入ったら、若い子たちにイヤな顔される」
「ああ……」
同じ騎士寮でも、一般騎士たちは相部屋、関長の四人には特権として一人部屋が与えられている。嫌われ者の第5であれ関長には変わりない。そして、そのことを快く思わない者は少なくない。
そのことを瞬時に理解するメアの前で、ミラは説明を続けた。
「……ここから外森へ行く。日が暮れたら帰ってきて、処理した動物の数とか、デスニマが出たならその数とか、書類にまとめる……」
ミラが説明している間も、初めて来た部屋に夢中になっているメンバーの中で、リーシャは、部屋の更に奥を凝視していた。
「ここから森へ行くってことは、つまりアソコが……?」
「そういうこと……あそこにドアが七つあるでしょう? あのドアの先にある道の全部が、森の中のそれぞれ七か所に繋がっているというわけですわ。朝が来たら、アソコから森へ目指していたというわけです」
気づいたリーシャに、葉介が説明を補足した。
「出口は七か所もあるのに、入口はこの部屋一つに全部あるわけ?」
「万が一、森の中の出口が敵に見つかった時は、最悪、この部屋潰せば侵入は防げるからってことだそうな」
「……どうやって、侵入したって分かるの?」
「知らない」
何度その作りの理由を思い出しても、作ったヤツは頭が良いのか悪いのか……
そんな言葉だけは声に出さずにいつつ……朝が来ると同時にあのドアから森へ向かい、奇襲をかけるというのが、夕方に関長室で話し合い、決めた作戦だった。
そうして奇襲をかける相手、計四人が捕まったことで、必要なくなった作戦を話し合っていた時のことを思い出しながら、レイは言った。
「しかし、初めて来た時も思ったが……地下だから暗いが、関長室よりずっと立派だな」
「うむ」
「ですね」
シャルにセルシィも同意したそんな意見に、戸惑いが広がっていたメンバーの顔に、柔らかな笑みが広がった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……というのが、ヨースケたちが捕らえた女から聞き出した情報だ」
全員が落ち着き、中央のテーブルに座したところで、リユンを指揮していたはずのレイが城まで来た理由を話しだした。
その一つが、カリレスでヒノトリを呼び出した女を尋問し、聞き出した情報の報告である。
「この情報を聞き出すために、派手に拷問したらしいな。見てた第1の全員、真っ青な顔でヨースケのこと、死神だって言って怖がってたぞ」
「……その恥ずかしい異名の出どころは第1か」
「なになに? 派手な拷問て、どんなことしたの?」
件の仕事のあらましは、ミラと葉介が一緒にまとめた報告書に書かれているが、わざわざ書く必要のない事柄は載せていない。そのため後々報告書を読んだメアら関長たちも、事件の大まかな全容を把握することはできたが、解決に至るまでの細かな出来事はさすがに知らない。
拷問もその一つで、初耳だった様子のメアは、興味津々に葉介に迫っていた。
「どんなって……お望みなら、今牢屋に閉じ込めてる人ら使って、再現しましょうか?」
「ダメ」
お面の下から、邪悪な冗談を返した葉介に向かって、ミラが真剣な声を投げかけた。
「ヨースケはもう、あんなことしちゃダメ」
葉介はミラしか見ていないが、ミラ以外の、あの場にいたメンバー全員が、蒼白になりながらも真剣なまなざしで葉介を見ているのを、メアや、リーシャらも気づいた。
「どうしてもしたいなら……わたしにして」
「えぇ? 拷問するほどミラから聞きたいことなんかねーべゃ?」
「そういう問題じゃねーだろ!」
ミラの真剣な発言。葉介のずれた返答。アラタのツッコミ。
緊迫していた空気が、あっという間に弛緩した瞬間だった。
「まあ、拷問うんぬんはともかく……シャーレさんが、城へ連行してる間にボソボソしゃべってくれた内容と、特に違い無さそうですな」
「そんな名前だったっけ?」
「忘れた」
名前はともかく、葉介も、なぜだがくっついてくるようになったシェイルから、情報を聞き出してはいた。
「ああ……オレも、カリンを連行しながら話を聞いたが、結果は同じだった」
三人の女から聞き出した話を要約すると――
カリンが言った通り、今夜城を襲った四人は、この国の北側の端。端的に言えば貧民窟で生きていた者たちの中から選ばれた四人ということ。
三十歳を機に仕事を奪われた浮浪者。家族を失った者。親に、社会に見捨てられた者。逃げてきた犯罪者。
いずれにせよ、金も、仕事も、住む家も、家族も、助けも、何も無い。そんな人間たちが寄り集まって、時に助け合い、時に殺し合い、ただ共通して、国と城への怨みつらみを積み重ねつつ生きている。
そんな『北端族』と呼ばれる、底辺中の底辺脱落者たちが集まる場所に、今から一年ほど前に、一人の女が突然現れた。その女が彼らに渡してきた二種類の瓶。
瓶を割ることで、死んだ動物はもちろん、生きた動物さえ瞬時にデスニマに変え、数日間エサを与えて育てれば親にもできる『デスニマの香』。
瓶を割ることで、材料――火や水といった自然物や、魔法の灯のような魔法の道具――と、魔力を宿した人間を吸い込み、それらに見合った怪物を文字通り【召喚】できる『召喚の香』。
その二つと、それらの使い方、それらで生み出したデスニマやファントムに襲われないようにするすべ。それらをひとしきり説明した後で、これらを使って国に復讐しろ。そう、女は言ったという。
「今日までの一年のうちに、国の色んなところで、デスニマの香を使ってデスニマ作りを試しとったそうな」
「ああ……前に行った森に出たユニコーンも、【召喚】が上手くいくか試してみた結果らしい。今思えば、あの森の村も、城から見て北側だった」
更に言えば、いくつもあるデスニマの香に比べて、召喚の香は貴重で、全部で五本しかなく、デスニマほど実験もできず、ユニコーンより以前に一度、使ってみて失敗したこともあったらしい。
それが、第1がクズ女から聞き出し、葉介とレイが、シェイルとカリンから聞き出した情報である。
「その話が本当なら、これが最後の一本になるわけか……どの道、この得体の知れないお香の出所と、女の正体は分かんないね」
ゴミ生み男から取り上げた、召喚の香の瓶。中身は香油や香水というより、真っ黒な見た目の煙か靄だが、そんなものが入った小瓶を眺めながら、メアは不満げに言った。
「まあ、今はその辺はどうでもよろしいでしょ。今、一番重要なのは敵が誰かより、カリレスからさらわれた人らがどこにいるかってことさね」
「……そうだな。それも、カリンから聞き出すことができた」
正体不明の敵と、危険な兵器。それらへ思考が傾きかけていた魔法騎士たちの意識を、黒と白の発言が修正した。
「カリレスからさらった人たちは、彼女たちが住んでいた北端の、ある場所に全員閉じ込めているらしい。具体的な場所は、実行組としてここへ来た四人とも知らないそうだが」
「助けられなかった人たちも、出ちゃったことだしね……」
メアが連れてきた、男が言った事実を思い出して、また全員が深刻になる。だが、そのことばかり気にしているわけにはいかないということも、誰もが理解していた。
「大まかであれ、居場所が分かったなら、救出に行かにゃあならんが……レイがここに来たのは、そのことを報告するため、だけ?」
「……さすが、ヨースケは察しが良いな」
ただ吐かせた情報を報告するだけなら、わざわざレイが来る必要はない。城を護るための助っ人に来たとも考えられるが、到着が、デスニマが攻めてこないはずの夜というのもおかしな話である。それ以外の、重要な理由があると、葉介は察していた。
「リユンになにかあったん? 襲撃された? それとも避難した人たちの暴動とか?」
「いや……それは無い。確かに、城下町の住民たちが避難してきたことで、それなりに混乱は起きたが、事前に避難先の選定や支援物資の準備、現地での誘導や炊き出しの配給も上手くいって、特に問題も無く落ち着いている。北端族からの襲撃も、今のところは無いな。あるとしたら、混乱に乗じて火事場泥棒しようとしたヤツもいたが、すぐに捕まえることができた」
三大重要地の経済拠点である、リユンは今のところ無事。それを聞いて、葉介の話に不安を感じていた全員、安堵した。だがまたすぐ、不安に駆られることになる。
「問題なのはむしろ、カリレスの方だ」
三大重要地の、農業地の名が出た瞬間、葉介と、夕方の関長室で葉介の話を聞いた者たちは、ハッとした反応を見せた。
「二日前、城下町の住民たちの避難を開始したころだ。カリレスに、国内の各地の村々や、北側から来たヤツらが集まってきた。そこで、住民たちが出ていったなら、自分たちを代わりに住まわせろと、カリレスに押し入ろうとした。現地の第1たちや、カリレスに残ったファイたち三人が止めてはいるが、時間が経つごとに人は集まって、暴徒と化してる。このまま放っておいたら、本当にカリレスが部外者たちに乗っ取られかねない」
「……ヨースケの、言った通りになりましたか……!」
同じ第1でも、ずっと城に残り戦っていて、第1の状況を把握できていないリリアが思わずうなってしまって。レイは、リリアを、そして葉介を見た。
「ヨースケ……お前、こうなるって分かってたのか?」
「――――」
「分かってたなら、どうして言わなかった!?」
「落ち着いてください、レイ! ヨースケさんも、その可能性に気づいたのは、ついさっきなんです」
声を上げたレイをセルシィが制したものの、葉介は、お面を被った顔をうつむかせていた。
「申し訳ない……もっと早く気づくべきだった」
「いや、おっさんが謝ることないよ。普通、こんな状況じゃあ誰も思いつきもしないって、そんなこと……」
「思いつかにゃあならんだろう、俺が。それくらいしか役に立たんというのに……」
テーブルに手を着き、頭を抱え、お面の顔ごと落ち込んでいる葉介の姿に、誰も、なにも言えずにいた……
「……とにかく、オレはこの後、カリレスの応援に行く。第1も何人か加わるが、リユンも護らなきゃならないし、現時点ではとても手が足りない。そのために城から何人かの助っ人を要請しにきたってわけだ」
「うーん、でもなぁ……城は城で、デスニマやあの四人と戦ったせいで、ほとんどの魔法騎士は魔力がスカンピンだし。シャルも、もう空っぽなんだよね?」
メアから振られたシャルも、表情を沈ませ頷いた。
「……この部屋にいる人間以外で、戦える魔法騎士の人数は?」
「一応、あの四人は僕らだけで対処できたのもあって、最初と同じ。九人かな?」
「その人数でやりくりするわけか……」
落ち込んでいた葉介も、メアとレイの会話を聞いて、声も様子も気を取り直し、集まった者たちに向き合った。
「まず第一に、暴徒に襲われてるカリレスへの応援、および暴徒の鎮圧。人数割くならこっちだろうね……でもって第二に、北端族にさらわれたカリレスの人たち、全員の救出。人質殺されちゃあたまらんから少数精鋭が理想かな……ほんで、この城の護りの、三つのグループに分けて向かわにゃなるまいな」
「カリレスには俺が行くぜ!!」
葉介が発した提案を聞いた時、いの一番に声を上げたのは、アラタだ。
「カリレスじゃあ、すっげー世話になったんだ。そのカリレスが襲われて、乗っ取られて好き勝手されるなんてガマンできねー! 俺にカリレスを護らせてくれ!!」
「ダメ……」
思い入れのある土地を、自分の手で護りたい……そんな緑色の声を、赤色の声が制した。
「アラタには、北端族の方へ行ってもらう……」
「なんでだよミラ!! 俺じゃあカリレスは護れねーってのか!?」
「違う……」
口から唾を飛ばしつつ、鼻先がくっつきそうなほど近づいている。そんな興奮気味のアラタに対して、ミラは静かに、冷静に言葉を続けた。
「アラタは、目も、耳も、鼻も効く。カリレスで羊探した時みたいに、その特技は、何かを探すのに向いてる……正確にどこにいるか分からない、さらわれた人たちを捜すためには、アラタの力が必要」
「そりゃあ――」
「カリレスの人たちのニオイ、覚えてる?」
ミラからの質問に、少しだけ逡巡した後で……アラタは、コクリと頷いた。
「だったら、さらわれたカリレスの人たち、捜して。カリレスの人たちを助けることも、カリレスを守ることにつながる……わたしも一緒に行くから」
「……分かった」
アラタという部下に対して、その能力を認めたうえで、その使い方を示し、気持ちを汲むことも忘れず、向けるべき意識の方向性を正し、的確に指示を出している。
その姿は、逸る部下をたしなめて、正確に必要な言葉を贈る、上司の姿に違いない。
(ミラっち……いつの間に、こんなに立派になって……!)
(ミラが、キチンと上司をしています……!)
(成長したのだな、ミラ……)
(これも、ヨースケのおかげか?)
そんなミラの姿に、四人の関長たちは全員、末娘の成長に喜ぶ兄姉の心持ちだった。
そして葉介も、自分はともかく、アラタに対してはしっかり上司をして、実際に葉介が思った通りの差配をしてくれたミラの姿に、うんうんと小さく頷いていた。
「……ほしたら、カリレスには、俺行くわ」
ミラがアラタに指示を出したところで、葉介がそう声を上げた。
「来てくれるのか? ヨースケ?」
「うん。暴動を抑えるのに、戦闘になるとキツイかも知らんが、もしかしたら森の時みたく、説得できる人間が必要になるかも分からんし」
「ダメ」
嬉し気な声を上げたレイに応えていた葉介に向かって、ミラはハッキリとそう言った。
「ヨースケは、カリレスに行っちゃ、ダメ」
「そう? じゃあ、北端族?」
「北端族もダメ……」
「待てミラ――」
ミラの一方的な物言いに、黙って聞いていたレイも、さすがに意見した。
「ミラの気持ちは分からないでもないが、ヨースケの力は必要になると思う。城に待機させる気なら、俺と一緒にカリレスへ連れていきたい」
「絶対にダメ……!!」
あまりにも一方的に、レイの希望も、葉介の気持ちさえ拒否している。
普段から温厚なレイも、さすがに納得しかねて表情を険しくしているが……
そんなレイとは裏腹に、この五日間ずっと城にいて、葉介の姿も見てきた他のメンバーは、ミラの意見にむしろ納得していた。
「立ってみて」
レイがまた声を上げる前に、ミラは葉介に向かってそう言った。未だ納得しかねている葉介も、言われた通り立ち上がると……
「――っと、ごめん」
椅子から立ち上がり、姿勢を正そうとした瞬間、足がほつれて、フラついて、テーブルから離れた位置で静止した。
「足に来てる……わたしたちと違って、この五日間、ロクに休めてない。昨日とおとといは徹夜してる。ここまで歩いてる時もフラフラだった。いい加減、休まないと、倒れる」
「……今のこの国の状況を見て、休んでいるヒマなどあるのですか? ミラ様?」
姿勢を正した葉介は、そう、敬語で反論を返した。
「それに、疲れてるってことなら――シャル様、あの薬、もう一本下さい」
「ダメよ」
シャルに向かって言った言葉に、今度はリーシャが声を被せた。
リーシャはそれ以上言う前に、ポケットから取り出したものをシャルに投げ渡した。
「魔法の活力剤……渡して三日だぞ、一本飲み干したのか?」
「え? まあ、戦闘になったから一本飲み干したけど、マズかった?」
味はソコソコだったけど……そんなことを涼しく口走っている。だが、それを聞いた他の面々は、一様に表情を暗がせた。
「渡した時に説明したはずだ……こいつは、一口飲んだだけで、疲れた体に残った力を無理やり引き出し、元気にする。だから本来、瓶一本でも一度に一口、それもほんの少量ずつ、数日かけて消費することが前提で作られたものだ。当然、量を飲めば飲んだだけ、体に残されている力の多くを消費することになる」
「つまり?」
「飲めば飲むほど、元気が出る代わりに後から来る負担もバカデカい、ということだ」
「じゃあ、それを二本以上飲んだとしたら?」
「二本分の力を、ボロボロの体から無理やり引き出すことになる。動くのに最低限必要な体力はもちろん、ただ単純に『生きるため』に要する力まで全て引き出され、死ぬ」
「……んな危ないもんなら、渡した時にちゃんと説明――しとったな、そう言えば」
ミラと、シャルと三人で話している時、この薬を渡された時のことを思い出しながら、確かにそんなことを言っていたのを思い出した。
「ごめん……疲労で意識がもうろうとしてて、説明ちっとも頭に入ってなかった。単純にちょっとずつ飲めば大丈夫な、元気の出るお薬とばかり……」
「……認識としては、それで間違いではないが、同時に危険なものと言うことだ。世間でもそう誤認して、命を落とす人間も多い。これもちゃんと説明したぞ」
容量・用法が決まっているなら、錠剤にでもしておいてくれればいいのに……
この世界に、薬を錠剤にする技術があるんだろうか? 考えるだけ無駄なので、考えないことにした。
「ん……なら、すぐにでも休んだ方がいい」
ミラがそう声を上げて、また葉介と向き合った。
「ただ寝るだけなら、力は使わない。無理やり力を引き出す薬だけど、眠れなくするわけじゃない。引き出した力も、使わなかったら負担にならない。しっかり寝て、しばらくノンビリしてれば、薬の効果も無くなる」
「…………」
理屈も分かったし、理由も知れた。それでも使命感と責任感から、納得はできかねる。そんな様子な黒い部下へ、赤色の上司は、優しく語った。
「休むヒマなら、わたしが作る……ヨースケは、本当によく、がんばった。今倒れられた方が、魔法騎士団にとって、ずっと痛手。今は、師匠と、先輩のこと信じて、休んで」
「――――」
ミラに言われて――他の集まったメンバーの顔も見る。全員、少なくともレイや、仏頂ヅラを浮かべるシャルとリリア以外は、休んでいいと、信じてくれと、骨のお面に向かって優しく微笑みかけていた。
「……分かった。じゃあ、お言葉に甘える」
最終的にはそう折れて、そのままドアから廊下に出て――
ドアを閉めたところで、壁に手を着き、床に片ひざを着いた。
(ヤッバいなこれ。確かに、すぐにでも眠った方が良さげなアレらりら○※×◇リダ¥)
「……本気でヨースケのこと、まだ戦わせるつもり?」
もはや思考の呂律さえ回らなくなっている。それほどの負担に気づいているかは知れないものの、残ったメンバーに向かって声を上げたのは、リーシャだ。
「そりゃあ、バカな筆頭大臣の命令だってことは分かってる。立場的に逆らえないことも理解してる。けどだからって、魔法騎士は大勢いるのに、この五日間で本当に休み無しで戦ってきたの、ヨースケ一人だけじゃない」
「リーシャさん――」
「この五日間、あんなにボロボロになるまでこき使って、普通関長が考えなきゃいけないことまで、ヨースケに考えさせて、魔法の活力剤使ってまで戦わせて……ヨースケ一人に、これ以上どれだけのこと押しつける気なのよ! アンタたちは!?」
「――――」
どちらかと言えば大人しく、頼りにはされているが、あまり積極的に意見をするような人じゃない。そんな魔法騎士団最年長の、彼女らの知る限り初めて見せた激怒する姿に、残ったメンバーの全員、困惑を見せた。
「押しつけじゃない。バカな筆頭大臣の命令……も、あるけど、それはキッカケ。こうするって決めたのは、ヨースケ自身」
だが、ただ一人、葉介の上司だけは、そう反論を返した。
「確かに、押しつけって言われたら、否定はできない。強くて、頭も良くて、全部考えてくれるヨースケのこと、わたしたち全員、頼りにしてる……ヨースケはそれに、応えてくれてる。応えるために、がんばってる。だからわたしたちは、こうして今も生きてる」
「ヨースケが自分から押しつけられてくれてるから、全部ヨースケに任せてもいい……そう言いたいの?」
ミラは正論を返したのだが、それでもリーシャは、ゆるせない様子だった。
「そりゃあ、ヨースケはすごいわよ。アンタたちの言った通り、頭も良いし、色々考えてくれる。おまけに、メチャクチャ強い。生身なのに……魔法が全然使えない体なのに――」
「リーシャさん……!」
シャルが呼んだ時にはすでに、リーシャの口から、葉介の秘密が叫ばれた後だった。
「魔法が、全然使えない?」
「ヨースケさんが、ですか?」
「……はい?」
この部屋でその秘密を知らない者たち――ディック、サリア、リリアの三人は、分かり易く反応した。そのことを知っていて、秘密にしていた他のメンバーたちは、気まずげに視線を逸らしていた。
「……どういうことですか? レイ様――」
「……そうだな。お前たちなら良いだろう。このことは一応、内密に頼む」
ここでレイは初めて、リリアに、リリアを含めた三人に、葉介の秘密を打ち明けた。
外森で偶然発見された葉介がデスニマに襲われていたところを、ミラが助け、そのまま弟子、部下にしてしまったこと。
そんな周知されている事実の裏に隠されていた、葉介が本当に城へ連れてこられた理由。
本来なら誰もが持っているはずの魔力を、全く宿していなかったこと。
当然、魔法を使うことなどできず、そもそも魔法の使い方、魔法の存在さえ知らない様子だったこと。
加えて出自・素性も不明であることから、不審人物として連行することとなり、同時にミラが気に入り弟子にしたこと……
異世界から来た、という未だ眉唾な話以外、全て話して聞かせた。
そしてその後は、彼女らも知っての通り。
デスニマ討伐に駆り出された時も。ミラの謹慎中に行ってきた各隊での任務も。
決闘会も。カリレスでの任務も。そして、この五日間も全部――
「魔法を一切、使うことなく、全て生身の、知恵と身体能力だけで、戦い抜いてきた……?」
今まで知ることのなかった事実を聞いて、誰よりも衝撃を受けているのは、リリア。
「そうだ……それが、お前が超えようと目指している男の真実だ」
そんなリリアに、上司のレイは、言葉を投げかけた。
(ウソ――いや、そんなウソを、わざわざつく理由なんてない。リーシャさんやレイ様は、そんなウソをつく人たちじゃない……)
つまり、本当に魔法は、使わないんじゃない。使えない。様々な仕事や決闘会、そして、リリアにとっても今までにないくらい、辛くて苦しい五日間を、魔法も無しに、今日まで戦い抜いてきた……
(魔法が使えないのに、デスニマと渡り合えるほど強い――城や、魔法騎士たちや、ミラ様、レイ様さえ、守ってのけるほどに――)
葉介の力と凄まじさは、今日までで理解しているつもりでいた。それでも、必ず超えてみせると、あの男にだけは負けない、負けたくないと、決闘に負けた日から思い続けてきた。
そして今日、初めて思う――
(勝てない……私は、あの男に――魔法騎士としても――副将としても――)
カリレスへの応援にと、レイが最初に頼って、アテにしたのは、葉介だった。それだけですでに、誰よりも彼の近くで戦ってきた自分より、葉介の方が頼りになると言われたも同じだ。それでもあの男の実績を考えれば、まだ納得もできた。
そんな納得が、納得しきれない事実と共に崩れ去り、代わりに、絶望的な現実を突きつけられた。
レイにとって、魔法も無しにずっと戦ってきた葉介は、魔法が無ければ戦えない自分より、はるかに優れた存在だと。そんなヨースケは、リリアにとって、はるか遠くにいる存在だと。決して、一生かかっても、追いつくことができないほどに――
(私には、あの男を超えることなど、一生――)
「落ち着け、リリア……」
冷や汗を大量に流しつつ、打ちひしがれている少女の耳にそんな、愛しい男の声が響き、肩を優しく抱かれた。
「確かに、ヨースケには、ヨースケにしかない強さがある……だからと言って、リリアがヨースケに劣っているってわけじゃない。お前にも、お前にしかない強さがある」
「…………」
「まずは、それに気づくことだ」
優しくそう諭されて……
敗北感と絶望感に呑まれかけていた白の副将を、どうにか落ち着かせることができた。
「……それで、なにが言いたいの?」
リーシャの激怒と文句の叫びに、ミラは臆することなく、毅然と言い返していた。
「ヨースケは魔法が使えない。わたしたちとは違うから、特別扱いして、戦わせるなって……そう言いたいの?」
「それは……そうよ、そう言いたいのよ!」
一瞬言いよどむも、すぐにまた声を上げた。
「私は少なくとも、これ以上ヨースケのあんな姿見たくないのよ。元々部外者で、私たちとは違って、戦えないはずのヨースケが、今よりボロボロになって、辛いのもガマンして、苦しくても戦うのをやめない、そんなヨースケの姿なんて――」
「ヨースケは部外者じゃない、一人前の魔法騎士……!」
途中で遮りながら、ミラもまた、声を上げた。
「それに……辛いのガマンして、苦しくたって戦ってるの、ヨースケ一人だけじゃない」
それを言われて……リーシャも、言葉を詰まらせた。
「わたしも、アラタも、メアにセルシィに、シャルに、メルダにディックにサリアに、レイに、ここにはいない魔法騎士たちも……全員、命懸けで戦ってる。この戦いだけじゃない。この攻撃が始まる前から、毎日そうしてた……たまたま今が、一番大変なだけ。たまたまヨースケが、一番がんばってくれてる。それだけ」
「それは――」
「辛いのも苦しいのも、みんな同じ。そんな中で、一人だけもう戦わなくていいっていうの、他のみんなにも、本人にとっても、失礼……リーシャは、ヨースケのこと、バカにしてるの?」
少なくとも、リーシャにそんな気は毛頭ない。ただ、愛しい男のあんな姿に、声を上げずにはいられなかった。それだけだ。
そんなリーシャを、ミラは無表情ながら、強烈な視線で威嚇した。
「文句があるなら、全部わたしに言って……けど、ヨースケのこと、バカにするのだけは、いくら仲間でも、ゆるさない……」
「――――」
リーシャと同じ……むしろ、リーシャよりもはるかに、葉介のことを思いやり、そして理解している。
そんなミラの静かな怒りを前に、リーシャはそれ以上、なにも言えなくなった。




