第3話 結界、鏡、ダリダリ、くち……
時間は少々さかのぼる……
命がけの事態。騎士寮にて繰り広げられる艶宴。そんなもろもろの出来事の末に思い至った、思い人への気持ち。
それに突き動かされて向かっていったセルシィは、先客であるリーシャを見て、退散することにした。
だがそれも、セルシィ一人だけではなく……
「ヨースケ……」
壊され、荷物やら瓦礫が散乱する町の中。散らかった足もとには最低限の注意を払いつつ、それでも基本の意識は落ち込ませつつ、ため息交じりに城を目指して。
なにも意識しているつもりはない。何を見たいとも思わない。ただ、ボンヤリしていたら、直前に見た、葉介と、リーシャの姿が思い浮かんで、沈まずにはいられない。
(結局、わたくしの気持ちなんて、その程度だったってことか――)
今とは逆方向を歩いていって、無事に葉介を見つけることができた。
それで近づこうとした途端――
カリレスで見た光景を思い出して、足が止まって、体が震えて……
それ以上近づくことができなくなった。そうして立ち止まっているうちに、リーシャが姿を現して、葉介に近づいていった。
それを見た後は背中を向けたから、二人がどうしているかは知れないものの、彼女も、葉介のことを思っていることは見れば分かる。多分今ごろ、イチャついてるんだろう……
(第2のフェイが言ってた通り……少なくとも今までみたいに、ヨースケと接すること、わたくしにはできないわね……情けない)
葉介と話して、過ごした時間だけなら、少なくともフェイやリーシャよりはるかに多く、長い。
それだけに、知りたくはなかった一面と、その恐ろしさも知ってしまった。
そのせいで、六日前……いや、ついさっきまで懐いていたはずの気持ちも感情も、彼に対する恐怖一色に変わってしまった。
リーシャが現れたことで、葉介に近づかずに済んだことに、ホッとするくらいには……
心はもちろん、体も、葉介から遠くへ逃げることを選んでしまうくらいには……
もっとも、そのことにいくら罪悪感を懐こうが、葉介が、いちいち気にするような性格じゃないことも知っている。
昔から、今でも、騎士団内で彼を嫌う人間はいる。森に行った時なんか、進んで嫌われ役を買って出ていた。それだけに、今さらわたくし一人が嫌った程度で、気にすることなんかしないだろう。
リムと一緒に、技を習ったこともある。そんな程度の繋がりしかない、わたくしのことなんか――
(リム……)
葉介を見て。葉介を思って。そうしている内、自然と思い浮かんでくるのが……
五日前に、カリレスで別れることになった少女だ――
リユンでの夜。思い悩んでいたところに出会ったディックと話して、問いかけられて、考えた。
考えて、メルダなりに導き出した答えを、すぐさま実行した。
家の中に戻って、リムと、会話していたリムのご両親、三人の前で、両手両ひざを着いた。葉介の実家で言う、土下座だ。
リムも、ご両親も、いきなりの行動に驚いていたものの、どうしたのか聞かれた後で、自分の罪を告白した。
リムはとっくにゆるしてくれている。
分かっているけど、それを自分はゆるせないから。
ご両親に告白して、懺悔したところで、ゆるされるだなんて思っちゃいない。ゆるされちゃいけない。それだけの罪をわたくしは犯してきた。一生消えはしない罪だ。
そして、誰よりも辛く当たってきた彼女が、気にしていないとゆるしてくれて、友達だと受け入れてくれても、いつだって罪悪感を感じずにはいられずにいた。
そう思っての土下座だった。リムだけじゃなくて、リムの家族にも謝りたくて……
そんな行動に対するリムの答えが、メルダを更に、迷わせることになった――
「はぁ……」
吐こうとしたため息が、メルダの正面から聞こえてきた。
騎士服の色は青。幼い顔と小さな体。それが、トコトコこちらへ歩いてくる。
「……あ、メルダさん」
「ディック……」
向こうもこちらに気づいたようで、互いに名前を呼びあって、向かい合った。
「どうしたの? そんなにくたびれて」
サポートが中心の後衛部隊である第3関隊も、当然、昼のデスニマとの戦闘には参加させられている。加えて、ケガ人が出れば、その治療もいつも通り。騎士服の洗濯こそ無くなりはしたが、それでも負担と疲労でいえば、今の方がはるかに上に違いない。
だから、疲れて、くたびれていることはある意味当然だが……どうにも、それだけには見えない。
そして、そんなメルダの感じた疑問は、不本意ながら当たっていた。
「はい……部屋で休んでたんですけど、そこに突然、年上の魔法騎士のお姉さんたちが入ってきて、それで、その……」
それで、メルダも察することになった。それ以上は聞きたくもなかったので、発言を止めた。
(まあ、ディックも魔法騎士の中じゃ珍しい、かわいい顔と体してるからなぁ……)
見た目を自由に、簡単に【加工】ができてしまうこのご時世。男は大抵、高身長に二枚目という外見を求める傾向が強い。少なくとも、魔法騎士団に属する男たちはほぼそうだし、ディックくらいの歳になればなお更だ。女から見ても、そんな外見の方が需要は高い。
今のディックや、第5のアラタのような、ある意味年齢相応な、低身長で童顔な、可愛らしい男の子の見た目は珍しい部類に入る。だから、高身長で二枚目な男に飽きた女の中には、ディックに興味を示す者がいてもおかしくない。実際、そんな理由で、外見だけなら、実は本人も知らない人気をディックもまた集めていた。
そして、そんな女たちが、今の騎士寮の空気に中てられて、ディックの部屋に押し入ってきた、というわけだ。
「それで逃げてきたの?」
「はい。窓から……」
途中、追いかけられていないか何度も確認したんだろう。城の敷地外、こうしてメルダと出会ってもなお、周囲に気を配る様子がうかがえる。
「……ディックは、興味はないの? 女と寝ることに」
やや無遠慮に尋ねてみると、ディックは赤面し、目を逸らした。
「そ、そりゃあ……僕だって、正直、興味は、ありますけど……」
赤面し、体はおどおどさせて、両手は何やら手遊びをして――
「でも、その……せめて、その、初めての人は、好きな人を選びたいって、いうか……」
と、羞恥しながら言ったのはそんな、ある意味、人として当然の願いと価値観の言葉だ。
(まあ、気持ちは分かるけれど……)
今、騎士寮で行為に耽っている子たちが何を思ってそうしているのか。それは本人たちにしか分からない。
単純に死ぬ前に経験しておきたいと思ったのか。もしくは、リーシャのように、好きな人と過ごしたいがためか……
「……メルダさん?」
そう考えると、また、葉介への罪悪感と、リーシャの姿を思い出して――
「相手がわたくしなら、平気だと思った?」
沈んだ感情と気持ちを……ある意味、そんな心持ちを思い出させた、ディックに向けてしまっていた。
「わたくしなら、アナタには手を出さない……そう、安心した?」
ディックに近づき、迫る。両肩を掴んで、顔も近づける。
ディックは、更に赤面し、うろたえて、怯えたような表情を見せ……
そこでメルダも、からかいすぎたと反省し、離れようと思った。
「平気、です。メルダさん、なら……」
だが、離れるより前に、ディックの声が聞こえた。
「メルダさん、だったら……手、出して、ほしいです……僕なんかで、よければ――」
(え……え? えぇ……?)
赤面して、目を固く閉じて、体はブルブル震わせて。そんな状態になりながら語った言葉。それには、逆にメルダが混乱し、うろたえる事態となった。
「僕は、その……メルダさん、の、こと――」
(これって……これって、もしかしなくても、こ、こ、告白……? わたくしに!?)
「……ん? なんだ、今の?」
と、ディックがそれを言おうとした瞬間。メルダの思考が、思わず氷結した時だった。
ディックがそんな声を上げたと思ったら、メルダの手を離れて、足と視線を城下町へ。
「ディック?」
「……今、魔法の狼煙の音がしました」
「え? 何も聞こえなかったわよ?」
「聞こえました。ずっと【感覚強化】を使っていたので」
押し入られた女の魔法騎士たちから逃げるために、ずっと耳を澄ましていたディックだから聞き取れた。魔法の狼煙を打ち上げる際には、魔法を撃つ時とは違った音が鳴る。誰も使わなくなった魔法の狼煙でも、一度でも聞いたことがあれば、その音は間違いようがない。
そして、ディックが視線を向ける先。つまり、その音が鳴った先にあるのは……
「森の方……まさか、ヨースケ……!」
気づくと同時に、長身の黄色と小柄の青色は走り出していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ダリダリダリダリダリダリダリダリ――!!」
「あの黒いの何やってんだあんな古臭い戦い方してバカじゃないのどーして魔法使わないのよこの魔法全盛の時代に声で分かるただの年寄りワタシよりもジジィかわいいワタシよりクソジジィ生きる価値のないクソジジィあんなのがいる魔法騎士なんてやっぱりただのクズどもだゴミどもだ税金泥棒なだけの生きる価値のねークズどもクズクズクズクズ――」
「…………」
葉介がダリダリがんばっている頭上。夜を照らす光の下で、ゴシック少女が出現させたいくつもの【結界】。その中の一枚の上にたたずんで、下を見ながら相変らずブツブツ口を動かし続ける少女を、リーシャは観察した。
(見た目は可愛らしく【加工】してるけど、あれは明らかにアタシよりも歳行ってるわね。だいぶ……)
顔も身体も、自由に【加工】ができてしまうこのご時世、顔立ちや体格等の外見は、もはや年齢の判断材料にはならなくなってきている。だが、ある程度人を視る力のある人間なら、【加工】の効かない各関節のガタつきや動作の機微、態度や立ち居振る舞い、更には呼吸や言葉遣い等、加齢に伴いイヤでも身に着いてしまう特徴を見分けて、大よその年齢を推し量ることはできる。
背は低くて小柄、手も足も小さく肌も白く、眼が大きく鼻の小さい、人形のような顔立ちながら、その実、自分から逃げていた動きは明らかに大人……少なくとも中年以上のガタつきがあった。
(それでも、あれだけ見た目の可愛さを維持できるくらいには自力の【加工】ができて、おまけにこれだけの【結界】を出せる。ここに来る前は、建築の仕事でもしていたのかしら……?)
何かしらの仕事に従事していれば、その過程で学ぶ技術や知識はイヤでも身に着く。この世界でもそれは同じことで、勤めていた仕事によって個々人が得意となる魔法は変わる。
家や建物を建てるうえで、細かな調整から仕上げまでに不可欠な【加工】。
空を飛ぶには箒か絨毯が使えるが、操縦が必要なうえ、足場としては安定感に欠く。だから、その都度魔力は消費するが、呪文一つで何もない空中に、高さに関わらず固定された足場を出現させられる【結界】。
少なくともこの二つは、建築を生業とする者たちにとっては必須の魔法となっている。
(大方、若いころは建築で食べてたけど、例によって30歳で切り捨てられて、その後はマトモな仕事も、結婚できる男も見つけられなくて、そのくせ見た目の【加工】にばかりお金も時間もかけてるうちに落ちぶれた――そんなところでしょうね)
この国では典型的な、タチの悪い負け組年増の末路だ。
そして、ブツブツ呟いている間に、自身の身の上を物の見事に的中された中年少女は、相変らず地上で暴れまわっている黒を見下すばかりで、リーシャには目もくれない。
(こっちを気にしないなら、さっさと捕まえるわよ……!)
する価値も無かった観察を終わらせた後は、今立っている【結界】を踏み抜いた――
「え――」
最初乗っていた【結界】を踏み抜いて、前にある【結界】の一つに着地しようとした瞬間だった。その【結界】が消え、リーシャの体は下へ落ちていく――
「バカじゃねーのかバカじゃねーのかバカだバカだ大バカのクズだカスだゴミだワタシの【結界】だぞワタシが出したワタシの【結界】をワタシの自由に出したり消したりできるに決まってるお前みたいな税金泥棒が歩いていい道なんてどこにもない落ちろ落ちろ落ちて死んじまえ落ちて死んじまえババァのクセにムダにキレイなその顔面つぶれて死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね――」
「よっと……」
ゴスロリ中年が呟きぼやいた0コンマうん秒の内。リーシャは平然と、【結界】の上に立った。
「【結界】くらい、アタシだって使えるわよ、――ッ」
それを証明するように、舌を動かした。その瞬間、中年があらかじめ出現させていた【結界】に交じって、新たな【結界】が出現した。
「残りの魔力の都合もあって、あんまり数は出せないけど……自分の【結界】と区別がつくのかしら?」
挑発もかねて、ゴスロリ中年にそう問いかけてみる。
目の前の空間や空中に、透明な壁を出現させる。そうして出現させた【結界】は、大人一人が余裕で納まり、乗れるだけの大きさをした長方形という以外に、特徴や違いはない。個々人での差異があるわけでもなし。あったとしても、誰にも区別はつけられない。
普通なら、そうだった。
「……て、わ――」
自身で出した足場から、さっそく中年のもとへ移動しようとした瞬間。周りに浮かんでいただけの足場が、動き、漂い、そのいくつかがリーシャを襲った。
「やっぱりバカだ本物のクズだカスだゴミだ【結界】は得意なんだ【加工】の次に【結界】が得意なんだ極めたら【移動】なしでも自由に動かせるんだそんなジョーシキも知らないのかバカだクズだカスだゴミだ――」
向かってくる紫色を大いに見下し、バカにし、聞こえもしない罵倒を飛ばしながら、杖を持った右手、何も持たない左手を大げさに動かす。それに従うかのように、透明な足場はメチャクチャに動き出し――
「――【結界極】・壁嵐ッ!!」
「ヒ、ヒィィイイ~~~~!! 技に名前つけてる……!!?」
葉介はなぜだか戦いのさ中、上から痛々しいものを感じ取り、戦りつしていた。
「サル―― バトーレ―― ダリッ!!」
浮遊していた足場の全てが、リーシャに向かって突進しだした。
透明だが一枚一枚は大きい。夜でも昼ほど照らされた場なら、目で追うことは容易だし、避けることも難しくはない。だが、それも十枚や二十枚では効かない数で次々来られれば、避ける以外にできることはなくなってしまう。
(魔法で狙うにも遠いし、【結界】で防がれるに決まってる。【結界】出すにも【身体強化】で逃げ回るにも、魔力がいるっていうのに……!)
襲い掛かってはまた飛んでくる結界の嵐。それを操っているゴスロリ中年はと言えば、昇ってきた結界から一歩も動いていない。最初動かしていた両手さえ、今は動かしてすらいない。汗も掻かず、手も服も顔も肌も、何も汚そうとせず、ブツブツ呟きながらそこに立ち、リーシャを、葉介を、ただ殺そうとしている。
(なんか、頭来るわね、ああいうの――)
「ウザったいさっさと死んでお前らなんかに構ってるヒマないワタシはこれからお城襲わなきゃいけないの早く死んでよワタシに時間取らせないでよワタシは今からお城も税金泥棒もぶっ壊して生まれ変わったこの国でシアワセに暮らすのお前たちが生きてたら不快なだけだからさっさと死んで死んで死ね死ね死ね死ね死――」
未だに地上で下品な戦いをしている黒色骸骨。未だにみっともなく結界から逃げ回っている紫色。
他でもないかわいいワタシを怒らせたゴミクズのカスの分際で、未だに死にもせず悪あがきばかりして。
「もうゆるさない絶対ゆるさないとにかくコロス間違いなくコロス二人とも殺す下の小汚いお面もだらしないクソババアもコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス――」
だらしなく逃げ回るばかりのクソババアを確実に殺すため、革袋を手に取った。
最初に使ったものとは別に作っておいた、空から城をぶっ壊すために用意したコイツら。
城じゃなくて、こんなヤツらに使うことになっちまったのも、かわいいワタシを怒らせたこの二人のせいだ。
税金泥棒のゴミの分際で、苦労ばかり強いてきたワタシの前で、イチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャ――
「殺す!! 絶対殺す!! お前ら二人だけは!! 城の前に間違いなく殺す!!!」
初めてリーシャは、中年の言葉をハッキリ聞き取った。そんな絶叫のもと、革袋から取り出され、燃やされた麻袋から、いくつもの羽音が飛び出した。
腐った羽毛をまき散らし、メチャクチャで、不細工な羽ばたきで飛び回る。そんなデスバードの群れが、中年を中心に広がった。
「超ベリーバード……」
上でリーシャがいくつもの羽音を耳にする中、下の葉介は、衝撃に体が跳ねていた。
ボロボロの翼を必死にバタつかせていながら、あまりに巨大になり過ぎた体は浮き上がる気配も感じさせない。
元はおそらく立派なワシだったろうに。子供を生み増やすためだけにデスニマにされ、結果、親として大きくなり過ぎてニワトリと化した。そんなデスバードの親が、まだ残っていたデスニマを踏みつぶし、地面に降り立った。
「これがちょベリバか……思ってたよりデカいな……やっぱり俺は――七面鳥がいいや! トリゃああ――!!」
「…………」
食べたこともない実家の味を胸に、ちょベリバに向かってトリぁああと走る、葉介の頭上にて……
デスバードを出したことで止んだ結界の嵐の中で、リーシャは変わらず、中年をにらみ据える。
「殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す――」
もう聞こえなくなったが、口の動きで言っていることだけは分かる。口だけじゃない。目を見て、顔を見て、振舞いを見て、様子を見て……それだけで、よく分かる。
(今まで捕まえてきた人間にもいたわ。アンタみたいに、大して苦労も知らないくせに、誰よりも苦労してきましたって顔して、そんな程度の苦労に見合った今の境遇に八つ当たりばかりするヤツ……)
今でも増え続けている失業者の全員、苦労をしているのは、努力やガンバリが足りなかったせいだとは言わない。むしろ、今のこの国は、トップが最悪なせいで、誰の努力も年齢一つで否定され、結果、間違いなく滅びに向かっている。そんなトップに、仮にも近しい立場にいながら、今ある待遇に甘んじて、なんの進言も陳情もしてこなかった。
その点だけは、税金で食ってきた身としての怠慢だと言われれば返す言葉も無い。そんな自分たちのせいで、どれだけ苦労しても報われないと恨まれるのは仕方がない。
けど少なくとも、この女は違う。
身勝手な理想ばっかり膨らませて、その理想をつかむための苦労も努力もせず、そのためのガマンすら知らず、全部が全部、他人頼み国頼み。そんなことで助けてもらえるわけもないのに、誰も助けてくれないと勘違いして、誰も助けてくれないから自分はこうなったんだ、そう他人や国に逆恨み。
城や城下町を襲ったのだって、大儀も無ければ願いもあるまい。ただ、スッキリしたい、スカッとしたい、誰でもいいから八つ当たりしたい……
だから、タカが他人のイチャイチャすらガマンできないし、葉介の安っぽい挑発ですぐに頭に血を上らせるし、それを晴らすために、城を落とすための切り札であろうデスニマを、たった二人の魔法騎士を殺すためだけに、惜しげもなく使うことができるんだ。
(こんなゲス女のために、アタシたちは毎日、魔力が無くなって死にかけるまで戦って、国民たちは逃げることになっただなんて……)
リーシャ自身、国民たちからはひどい目に遭わされてきた。仲間が辛い目に遭わされるのも見てきた。だから、その国民たちがデスニマに襲われても特に胸は痛まなかったし、犠牲者やケガ人が出たことにはむしろ、ざまあみろ、と、歪んだ喜びさえ感じている。
そしてそんな、自分たちを罵倒するばかりの国民たちだって、それぞれが生きていた。マジメに生きていた人もいたろうし、家族や子どもを守っていた人もいたろう。愛想も愛着もとっくに失せた、こんな国に生まれていながら、それでも間違いなく、目の前の憂さ晴らしがしたいだけなゲスロリババァよりも懸命に生きていた。
そしてそれを、このゲスロリババァは、たったの五日でメチャクチャにしたんだ。
「【鏡至】・反化装……」
遅まきながら感じた敵への怒りを、鎮め、落ち着き、リーシャは静かに口にした。
「なんで技の名前は日本語なんだよ……!!」
再び上から感じた痛々しさ。そして、すぐにそんな場合じゃないと思い出し、自分が痛々しい目に遭わないよう戦闘を続行。
「歌ったり、ツッこんだり……ラージッ!! バーンッッ!! ダリィィイイイイイァッッッ!!」
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね――」
新たに呼び出したデスバードの群れ。それが憎ったらしい紫色へ飛んでいく。
さっさと食われろ。さっさと死ね。アタシはこれから、あの城落としに行かなくちゃならないんだ。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね……死、ね?」
と、そこでようやくおかしいと気づいた。
「いない? いないいないいないどこ行ったどこ行ったどこ行ったどこ行った――」
間違いなくあのババァ、さっきまで綺麗なだけのマヌケ面でアソコに立っていた。なのに今、その姿がどこにも――
「――いや」
すると、デスバードたちも動きと方向を変え、全羽一様に一点を目指し飛んでいった。
「ただ隠れてるだけただ消えてるだけバカだバカだ本当のクズカスゴミだデスバードだぞデスニマだぞ姿見て襲ってるわけじゃないんだ人間がどこにいようと襲い掛かるんだそんなことも知らねーのか税金泥棒のくせにそんなことも知らねーのかやっぱバカだやっぱクズだやっぱカスだやっぱゴミだ――」
どれだけ遠くに離れていても、どれだけ姿を隠しても、自身の最も近場にいる生き物、とりわけ人間に喜び勇んで襲い掛かるのがデスニマという怪物だ。
なぜそこまでして人間に襲い掛かるのかは知らないし、自分は襲われないようにできている仕組みも知ったこっちゃない。
相手がどんな悪あがきをしようがどうでもいい。
さっさとその紫ババァも黒ブス骸骨も殺してワタシにシゴトをさせろワタシは城に行かなきゃならないんだそれをソイツらがワタシを怒らせたから今こうなってるさっさと終わらせろもう待ちたくないガマンできない時間をムダにしたくないハヤクハヤク速く速く早く早く――
「――早く早く早くはや……は、や……?」
夢中でしゃべっていたせいで、ずっと気づけずにいた。
「は……? は? は? はッ? はッッ?」
白くてスベスベの、小さくてかわいい手。その両方が、掴まれて、後ろに引っ張られ、羽交い絞めにされた。
「は? は………………
ババァァァァアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」
後ろをよく見た時、自分の顔が歪んで写っていた。まるで歪んだ鏡のように。その鏡をよく見ると、人の形をしていて、自分の手も、その鏡が握りしめている。
「はなせはなせはなせはなせはなせはなせ放せ放せ放せ放せ離せ離せ離せ離せ離せハナセハナセハナセハナセ――」
いくら言ったところで、リーシャがハナスわけもなし。人型に歪んだ鏡に写し出され浮かび上がる、かわいいはずのその顔は、奇しくも、中年本来の顔を表すかのような、醜いバケモノの顔。
「くるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなクルナクルナクルナクルナクルナクルナクルナクルナ――」
鏡にいくら命令しても、放しはしないし、離しはしない。話しもしない。だからデスバードへ命令するが、当然、人間の言葉を理解するはずもない。
そして、いくら自分は襲われないようになっているはずでも、襲い掛かる相手が真後ろにいて、その真ん前に押さえつけられている。
そんな状態でいれば当然――
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああ――ッッッ」
おおよそ、かわいいという言葉が全く似つかわしくない、中年女の絶叫がコダマした。
「折れたああああああああああああ!!?」
直後、負けず劣らずの三十路の絶叫が下から響く。と同時に、中年を襲っていたデスバードの全て、バタバタと地面に落下していく……
「ヨースケ……」
信じていた男の勝利と心配、そして、グッタリしている犯人を引っ張って、地上へと飛び降りた。
「ヨースケ……!?」
飛び下りて、ゲスロリは放り投げて、急いで葉介のもとへ走ると、そこには信じがたい光景が広がっていた。
「討ち取ったり……いや、討ち取っダリ」
特に意味のない言い直しを行った、お面を着けて、両手には二本に折れた斧の黒い死神。
周りには、大小さまざまなデスニマの死骸。そして、死神が腰かけているのは、両足と、首を落とされた、デスバードの巨体の上。
「うっそ……ヨースケ、デスバードの親、一人で倒しちゃったの?」
子供だけなら、何十匹いてもヨースケは負けない。森や、この五日間でそれをイヤと言うほど確信はしていた。だが、巨大な親ともなると、魔法を使わないことには絶対に倒せない。
そう思っていたのだけれど――
「うん……て言いたいけれど、あの二人に助けてもらった」
そう、指さした先を見てみると……
「あ……リーシャさん……」
「どーも……」
「……なんで、アンタたちの方がボロボロなわけ?」
黄色の長身、メルダと、青色の短身、ディック。
二人とも杖片手に、服も髪の毛もボロボロに、肩で息をして立っている。
「いや、その……駆けつけた時には、ヨースケさんが、デスバードの両足切り落として倒してたんですけど、首は硬くて斬れなかったみたいで――」
「で、わたくしたちが交代して、首を切ってトドメを刺そうと思ったのだけれど、倒れているくせに、大きな羽を広げて大暴れするものだから、全然思ったように行かなくて――」
「ちょっと待って……ヨースケ、この鳥の両足切り落としたの? 魔法も無しに!?」
さりげなく語られた事実に、リーシャが思わず声を上げた。
「うん。犬とかクマとかに比べれば細い足だったから、簡単に切り落とせたで」
「いくら細いって言ったってねぇ……」
確かに、ちょっと想像すれば、古顎類でもない鳥の足が、少なくとも哺乳類の足よりはだいぶ貧弱なことは、子どもでも見れば分かる。おまけにデスニマである以上、生前に比べればだいぶ脆くはなっているのは間違いない。
かと言って、それでもデスニマの親としてあそこまでデカくなっているのだから、強度も大きさ相応になっているだろうに。しかも、葉介が倒したのは、見た目にも貧弱な鳩形類や樹鳥類ではなく、猛禽類である。
「で、結局、僕が水に濡らして、リリアさんが凍らせて、動きを封じるのが精いっぱいで……」
「最後のトドメは、【身体強化】を掛けたヨースケにお願いしたの……」
「ヨースケ、【身体強化】掛けてもらったの?」
「うん。もう解けてるけど……」
変わらない調子で返事をしているようで……お面に隠れた顔と、デスバードの死骸の上で脱力している姿はまるで……掛けられた魔法の感触を噛みしめている。そんな雰囲気が感じられた。
「ただ、武器の方が耐えられなかったようで、首を落としたと同時に折れてしまった」
「また折っちゃったの? おとといも、別の斧折ってなかった?」
「リーシャ様、【修復】してー」
「仕様がないわね……」
声には不満と億劫さを出していながら、その実、口元は笑っている。
森で初めて会った時もしてやった、誰もが当たり前に使える【修復】の魔法を、今もこうして。ただそれだけのことでも、彼と、自分だけの繋がりが感じられるのが嬉しかった。
「しかし、一回の【身体強化】で簡単に壊れるとは……リーシャが武器を使いたがらない理由がよく分かったよ」
「え……あ、うん」
いくら魔法を使ったからと言って、木製の斧ならいざ知らず、ほとんど金属でできた武器まで壊せるのはヨースケくらいだ……そんな言葉は、敢えて飲み込んだ――
(それにしても……)
一方、葉介は葉介で、綺麗に直してもらった斧槍を眺めつつ、ディックとメルダ、二人が駆けつけてくれた時のことを思い出した。
――【水操至】・瀑弾!!
――【氷結至】・冷界!!
(百歩ゆずって、名前つけるのはともかく……叫ぶ? 名前。いい歳して)
葉介も人のことは言えない。
(俺のはただの掛け声だから……そのくせ、俺に魔法かけてくれた時は、まんま「身体強化!」て叫んでたし……帰ってきてからの五日間、魔法騎士の皆さん、ずっとそんな感じなのよな。いい歳して)
と、色々と疑問もあるものの……それでも今は、感謝する。
今日まで共に戦い、壊れてもなお戻ってきてくれた戦斧に。
そして他でもない……
ちょベリバを制する力をくれた、伝説なりしダブルダッチに……
「……それよか、犯人はどないしてん?」
「……ああ! そうだった」
そこでようやくリーシャも思い出して、懐から道具を一つ取り出した。
「何ですか、それ?」
「『魔法の手枷』。これを着けられた人は、一切の魔法が使えなくなるの」
説明しながら並んで歩き、未だ倒れているゲスロリの方へ歩いていく。服はボロボロ、体も傷だらけのボロボロで、最初に見た、歪んでいながらも愛らしい見た目は見る影もない。
「さっさと連れていきましょ」
そんな倒れている女に手を伸ばし、さっそく手枷をはめようとした――
「痛ったいッ!」
その瞬間、隣に立っていた葉介の蹴りが脇腹を直撃。握っていた手枷が落ち、後ろへふっ飛んだ、直後、上から降ってきたものが、葉介に直撃した。
「ヨースケ!」
「ヨースケさん!」
後ろに離れて見ていたメルダとディックの二人も、声を上げた瞬間気がついて、上を見上げる。上には、いくつもの【結界】が浮かんだまま。足場として横を向いていたはずその全てが、今は縦を向いている。
「お前ら殺す」
上から降ってきた結界の下敷きにし、倒れた葉介を踏みつけるゲスロリは、真っ先に【治癒】を施した顔から、空中にいた以上の形相を浮かべた。
「お前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺すお前ら殺す――」
相変わらずブツブツ小さな声だが、それでも何を言っているのか全員が分かる。同じ言葉を繰り返しながら、ゲスロリは杖を持ち上げた。
メルダもディックも、倒れていたリーシャも立ち上がったものの、それよりも速かった。
「【結界極】・壁弾……!!」
唱えると同時に、宙に浮き、空を遮っていた足場の全てが、雨あられと降り注いだ。
大きさはあるが、ただでさえ透明で見えづらい四角形を、三人ともどうにか避けていく。
(このッ、近づけない……結界を【氷結】しても仕方がないし……)
(あわ! あわわわ! 【水操作】で……水でどうしろと!?)
(こんな結界の雨の中じゃ、【鏡】で消えたって意味がない……!)
一度降ってきた足場は消えるでもなく、また空へと浮き上がり、何度も、何度も地面を叩いていく。それを操るゲスロリと、足蹴にされている三十路の周囲には特に多くの壁が降り注ぎ、とても近づけずにいる。
そんな三人のことを、ゲスロリが大人しく見ているはずもない。
「まずいわ! またデスニマ呼び出される!!」
リーシャが叫び、ディックとメルダが見た時には、すでにゲスロリは新たに魔法の麻袋を取り出していた。
「コイツで死ね今すぐ死ねワタシの結界と地上のデスニマの親のコイツで今すぐ死ね必ず死ね絶対に死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね――」
ブツブツと、誰にも聞こえない言葉を呟きながら、麻袋の口を両手に、広げ――
「死ね死ねシ――ッ!」
広げようとした瞬間、胸ぐらを掴まれた。
ゲスロリがそれに向かって目を向けるよりも、上半身だけ持ち上げた葉介に、その身を引っ張られる方が早かった。そして――
「なッ!?」
「えぇ!?」
「……ッ!?!?!?!?!?」
「~~~~~~~~!?○×!?△□!?くぁwせdrftgyふじこlp;!?!?」
その瞬間、黄、青、紫、ゲスロリも、驚愕と同時に停止した。足場や結界の雨あられも、空中か地上で静止した。
「…………」
唯一動いている黒色はと言えば、ゲスロリの口を、ずらしたお面の下からの舌と唇でクチュクチュ塞いだ状態のまま、手を胸倉から、ゲスロリの手に。
口封じしたまま、リーシャが落としたのを拾っていた手枷でゲスロリを拘束、麻袋も取り上げる。そこまでして顔を離した。
「しかし、こんな便利な道具あるなら、最初から魔法騎士全員に配っとけっての」
悪用を避けるため、一般の流通が制限されているのはもちろん、魔法騎士の中でも関長か、それに準ずるだけの信頼ある人間にしか渡されないのである。
「ああ、そうなの……」
「よ、ヨースケ、さん……?」
座ったまま手枷で拘束した女をつかむ、葉介に、動揺を隠しきれない様子でディックが話しかけた。
「その……今、その、その人に、してたのって――」
「口づけですけど?」
ですよねーと、ディックにメルダは白目を剥いた。どうか見間違いであってくれと祈っていたリーシャは、空よりも真っ白になっていた。
「お三人さんもね、人間相手にした時は試してごらんなさい。大抵の相手は、さっきみたいに体も頭も止まりますから」
「え……あ、そう、なん、ですか……」
さすがに敵を相手に、戦いのさ中で恋愛も無いだろうということは分かってはいた。理由を聞いてみれば案の定、なんとも葉介らしい行動理由を聞くことができた。
「舌を入れたら呪文も封じられますしね」
「舌を……そう、ですね」
とは言え、行為が行為だけに、ディックも、メルダも、リーシャも、釈然としないものを感じていた。
「まあ、それは良いですけど……ディック様、ケガ治せます? 痛くて立てないです」
「……あ! はいっ、はいっ、すぐ、治しますね……」
言われてディックもようやく我に返り、すぐさま葉介の傷を治療。体中の傷が癒えるのに、三十秒と掛からない。おかげで立ち上がることができた。
「ありがとうございます……んじゃ、この人は私がお城へ連れていきますゆえ、三人はもう行って下さい」
「行けって……?」
葉介の口から、突然そんな言葉が出たことに、三人とも疑問を浮かべた。
葉介は葉介で、そんな三人にこそ疑問を浮かべた。
「……気づいてないの?」
問いかけても、変わらない反応を示す三人の前で、空を指さした。
「……ッ!?」「……ッ!!」「……ッ!?」
そこで三人とも――
ルティアーナ城の上空に浮かび、城を、夜を照らし出す光。
空に打ちあがった、三つの魔法の狼煙に、三人ともようやく気づいた。




