第2話 最年長と最年長
昇った月。持参した魔法の灯。それらから照らし出された城下町。
(こんなに堂々と町を歩くの、随分と久しぶりだけど……これが城下町だなんてね)
最後にこの町を歩いた日の記憶を思い返しつつ、目の前の惨状と照らし合わせてみる。
まあ、いくら普段から活気づいた、華やかな町と言っても、夜が静かなのはあまり変わっていない。道行く人の姿は点々としか見かけず、店も、酒が飲める一部の飲食店を除けば、月が高く昇ったこの時間には、商売人はとっくに店じまいをして、客は家に帰っている。
それでも、静かな中なら静かなりの、静かな活気という物も確かに感じられた。
住宅地の窓から漏れる光からは、その光の中に確かな人の命と感情を感じ取ることもできたし、閉店した店からも、明日に向けての仕込みの音、料理の残り香……そんな、確かに今この瞬間も、人々が生きて生活している。
そんな、静かな活気を感じることができていた。それを最後に味わったのは、もう何年も前になるけれど、この町の様子を見れば、ほんの少し前――五日前までは、数年前と変わらない景色が広がっていたことは確信できる。
今はどうだ――
ほんの少し前までなら、家の窓からの光のおかげで、魔法の灯なんかなくとも歩こうと思えば歩くことができたのに、今では魔法の灯が手放せなくなっている。
その魔法の灯でいくら周りを照らしても、見える物は、壊された家と、崩れた瓦礫、壊された店、散らかった店の売り物、踏みしだかれた服、食器、本、子どものおもちゃ……
これだけの人が生きていた証に囲まれているのに、人間なんかどこにもいないことが、見なくとも分かる。感覚に訴えられる。
人が失せて抜け殻と化した夜の町は、もはや町だなんて言えない。
以前にデスニマの討伐任務で出向いた森――それ以上に見る物が無い、世界のスキマだ。
「……いた」
そんなスキマの中を歩いて、通り過ぎた向こうの向こうに、目当ては見えた。
町からはそれなりに離れて、森が見える。けど、森の目の前というほど近くもない、仮にデスニマの一匹でも飛び出してきても十分に対応できる、そのくらいの距離。
そのくらいに離れた地面の上にあぐらを掻いて座っている。そばには新しくなった斧が置いてある。いつでも戦える準備はできているらしい。
(せっかくだから、ちょっと驚かしてやろうかしら――)
ただ話しかけるのもつまらない。だから、呪文を呟いた……
【鏡】の魔法――そのものずばり、物か空間に、手には触れられない『鏡』を出現させる。それだけの魔法。
場所が目の前の壁や手の平等の物体か、何も無い空間に出すかで魔力に多少の差は出てくるものの、わざわざ選ぶ必要がある差でもない。何より、使い道としても、せいぜい自分の顔や身体を映して、化粧や服装をチェックする、その程度にしか使われない。むしろ、呪文を唱えるという手間と、出している間有限の魔力を消費し続けること、その魔力を調節してちょうどいいサイズに調整するといった手間がかかる分、愛用の手鏡を持ち歩いた方がはるかに手っ取り早いと言える。
覚えておいて損はないが、目を見張るような得も無い。使い道と必要性はあるものの、必須とも重要ともとても言えない――
そんな、現実の鏡と似たような立ち位置にある魔法を、図らずも極めてしまったのが、リーシャだ。
呪文を呟いたと同時に、彼女の体に【鏡】が出現。ボディスーツのようにその身を覆い、包み込む。
やがて、数秒と経たず全身が【鏡】に包まれた。結果、どうなるか……
足もとの地面、夜の空、周囲の景色、それらを【鏡】は鏡らしく反射させ、リーシャの姿を消し去ってしまう。あくまで景色の反射なので、よく見れば不自然さは否めないものの、夜の暗さと、風景の溶け込み、そしてなにより……リーシャの自前の存在感の希薄さが、リーシャを完璧に近い透明人間に変えてしまった。
(【鏡】をこんな使い方する魔法騎士なんて、後にも先にも、あたしだけでしょうね……)
誰に教わったわけでもない。幼少の時分、【鏡】を使っていたらふと思いついて、試しに【鏡】に隠れてみたら、元々誰にも気づかれずにいたのが、余計に見つからなくなった。
誰もあたしを見ない。誰もあたしを見つけない……おかげで、面倒なことや大変なこと、怖いものからも逃げられた。
魔法騎士になった後もそう。隠れても逃げられない時や、大変さはもちろんあったけど、そこそこ気楽にこの歳までやってこれた。
幼少の時分に使い方を教えてあげた、幼なじみにそうしたように、こうして姿を消しておいて、こっそりヨースケに近づいて、体に触って。
そうしたら当然、彼は驚く。驚いて、辺りを見回すはずだ。それで混乱したところに、魔法を解きながら思い切り抱きついてやったら――
「……ッ」
悪戯を考えつつ、こっそり近づいていたリーシャの目の前に、気がつけば、槍の切っ先があった。座っていた黒服の足もとに置かれていた斧、その背の先端に付いている槍。それが真っすぐ、リーシャの顔に突きつけられている。
そんな斧槍の、向こう側を見てみると――
「…………」
槍を構えた、お面に隠れた葉介の顔は、ジッとリーシャの方を見ていた。
試しに左へ歩いてみる。お面も左へ動いて、斧もそのまま左へ。
今度は、逆、右へ。すると、葉介も、斧も、リーシャを追って右へ――
「ご、ごめんッ、あたしよ、あたし! 攻撃しないで!」
このまま姿を現さなければ、今にも槍で突き刺してくる。それを察したリーシャは、すぐさま魔法を解除した。その姿を見たことで、葉介もようやく武器を下ろしてくれた。
「なんだ。リーシャ様か」
「リリアよ……いえ、リーシャよ。はぁ……」
とりあえず、攻撃はされないことに安堵しつつ葉介の、武器とは逆側――左手へ移動。腰を下ろした。
「様も敬語もいらないわ……にしても、姿消してたのに、よく気づいたわね。足音とか、気をつけてたつもりだけど?」
「まあ、敵がデスニマだけとも限らんし……念のため、散らかった町の中から、皿とか食器かき集めて、細かく砕いて辺りにばら撒いといたからな」
言われて、後ろを振り向いてみる。そう言えば、町から離れた土の上とはいえ、地面を踏んだ感じ、靴の下でジャリジャリ言う感触と音は感じていた。
「俺も試してみたけど、気をつけてても、ちょっと体重掛けただけで結構音するし」
「へぇ……アタシが移動したのは、どうして分かったの?」
「いくら消えてても、足元がくぼんで足跡着けてたら、そりゃあ分かるわな。それに、よく見たら景色が歪んでるから、慣れれば目で追えるし」
「…………」
昔から、声を掛けない限り、あたしのことを見つけてくれる人なんていなかった。魔法を使ったら、余計に誰もあたしのことが見えなくなった。
なのに、ヨースケだけは、あの森でも、決闘会でも、今も、消えたあたしのことを見つけた。あたしのことを、見てくれた……
「すごいわね。さすがは魔法騎士団の『黒い死神』ね!」
年甲斐もなく感じてしまったトキメキを抑えつつ……周囲を警戒するための知恵、敵を補足してみせる観察眼、もろもろを素直に賞賛しての言葉だった。
なのに、葉介は、お面を被っていても分かるくらい……なんなら、お面さえそんな顔になっていると錯覚するくらいに、困惑しだした。
「その『黒い死神』っての、なんとかなりません?」
誰が最初に言い出したかは知れないものの、少なくとも、カリレスでの仕事の後で誰かが言い出して、結果、騎士団全体に広まることになった呼び名を聞いて、羞恥せずにはいられない。なのに、リーシャはと言えば、笑っていた。
「なんで? 強そうで格好いいじゃない?」
(まあ、この世界的には、格好いい異名なのかな……)
カリレスでも思ったが、葉介的に、この時代を実家に無理やり当てはめるとしたら、少なくとも大正から昭和、もしくは戦後のころのアメリカといったところだ。
歴史のことはサッパリな葉介としても、そんな時代からすれば、そういった異名とか呼び名を格好いいと感じるのも仕方がないとは感じる。実際、格好よさとかきれいさを意識して付けられるものでもないだろうし。
たとえ、葉介が生まれ育った世代から見て、使い古されつくしたダッサイ名前だとしても、それは、この世界のこの時代に生まれた世代には関係のない話だ。
「それに、言っちゃ何だけど今の葉介、『死神』以外の何者でもないわよ?」
その事実に関しても、返す言葉は無い。
基本は赤い騎士服ながら、下は、靴もズボンも五日間走り回り蹴りまくってボロボロになったので、普段着の黒靴に黒ズボン。その上には趣味で重ね着したフード付きの黒コート、サイドポッケ付(重要)。
これだけなら、葉介もよく知る魔法使いのイメージで通すこともできた。
が、手には鎌こそ持っていないが、まあまあデカい刃物。加えて、手にはお面と一緒に新しく拾った、髑髏をあしらった手袋をはめて。おまけに事情があるとは言え、今や常に被っているフードの下の顔は、デフォルメされているとは言え、骸骨のお面ときたもんだ。
(ていうか、死神のイメージは異世界共通なんな……)
「それにしても、斧付きの槍……槍付きの斧? そんな古い武器、どこで手に入れたの?」
「ミラに相談したら、もらった。ていうか、お城の地下にいくらでもあった」
「へぇ……誰も行きたがらないお城の地下には、地下牢の他に、魔法が生まれるよりずっと昔の武器が捨てずに置いてあるって噂は聞いたことあるけど、本当だったんだ」
死神のくだりの後は、周囲には警戒しつつ、顔を突き合わせ会話を楽しんだ。
話す機会、会う機会自体が少なく、カリレスの仕事にも同行できなかった。この五日間だって、デスニマのせいでそうなっていた。だからそんな時間を取り戻したくて、二人きりになれた時間、葉介と話していたかった。
「斧とか槍とか剣とかね。一応、手入れはしてあるけど、魔法が生まれた今となっては使い道無いし、処分に困ってるって言ってたわ」
「ふーん……」
「リーシャも使ってみる? 魔力が切れた時用に」
葉介はそう言いつつ、手元に置いてあった斧槍を差し出した。
「い、いいわよ。こんな大きいの。あたしにはとても扱えないし――」
「魔法があるのに?」
「魔力が切れた時のための武器を使うために魔法使ってちゃ、本末転倒じゃない」
「それもそうか……じゃあ、この辺りは?」
すると、今度は持参していた魔法の革袋を探って、そこから別の武器を取り出した。
「アラタが使ってたのよりは短いけど、ちょうどいいんじゃない?」
「アラタ……ああ、緑の子ね。あの勘の良い――」
取り出したものは、葉介の言う通り。アラタが振っていた剣よりは短いが、ナイフと呼ぶほど小さくもない。リーシャのひじから先ほどの長さの、鞘に収まった短剣だ。
それは、リーシャも受け取って見てみた。鞘から抜くと、古くはあるが、言われた通り手入れはされている。重さも両手で握るほどでもなく、確かにこれなら、リーシャも魔法抜きで扱えはするが。
「……どの道、こんなの使ったことないわよ」
「俺とか、アラタのマネして振っときゃ何とかなるよ」
「あたしはアナタたち第5関隊と違って、力持ちじゃないし器用でもないの」
この五日間、第5の三人を見ていてつくづく感じたことだった。
大半の魔法騎士たちは、有限の魔力をやりくりしながらどうにかデスニマと戦っていた。魔法を使えば倒すこと自体は簡単だが、数が多く、次々と現れるのを繰り返されれば魔力はどんどん消費する。
今や、リーシャ以外には、関長他、戦闘が上手かった子たちを除いて、城に残った一般騎士の大半は魔力切れを起こして戦闘不能。見回りさえも危険なため、他にやることも無いから、適当な相手を見つけて寝る始末。それでカップル成立までいく人たちがいるのは、良いことなのか悪いことなのか……
そんな中、第5の三人だけは違っていた。当然、魔法を使う場面もありはしたものの、基本的に【身体強化】で少量のみ。それ以外は、自前の身体能力と武器、技を遺憾なく使って、襲い来るデスニマを次々と倒して。まだまだ成長途上な緑の子を含めても、デスニマを最も多く倒していたのは、間違いなくこの三人だ。
実際、いつの間にやら魔力切れを起こしていたヨースケを除き、ミラもアラタも、残った魔力には余裕があった。
そういった魔力の面、そして、体力的、精神的な面でも、三人しかいない第5関隊に負担を強いることになるのは必然のことだろう。
「本当……戦ってるヨースケ、メチャメチャ格好よかったわよ」
自身も戦っているさ中、見ていた姿を思い返す。
華麗な蹴り技で。あるいは斧槍で。デスニマを次々に倒していく葉介の姿。
三人の中で最強なのは、間違いなく関長のミラだ。魔法の扱いならともかく、単純な力や経験では、魔法関隊の中であの娘に勝てる人は少ない。だが、繰り出す技のキレや手数、立ち回り、動きの華麗さも含めたら、葉介の方がはるかに上だった。
今でも、魔法に頼らない、古臭い戦闘を理解しない子は何人もいる。それでもほとんどの子は、とっくの昔に彼を認めている。そして、それよりはるか以前から、そんな彼に、魅せられている人間だっている……
「褒めて下さって光栄ですが……なにゆえくっついてくる?」
「ん? フフ……」
会話しつつ、徐々に距離を縮めていって、最初は足、次に腕、肩と、密着する面積を広げていった。
抱きつこうとしたら避ける葉介も、徐々に近づく女は、避けようがないらしい……馬車での経験が、ここで活きることになった。
「格好よかったし、見惚れたけど……大丈夫なの? この五日間、ほとんど休んでないし、それに、昨日やおとといは寝てないんじゃない?」
ずっと彼を見ていたからこそ、懸念せざるを得ない。
戦闘で誰よりも戦ってくれている第5の三人の中でも、特に筆頭大臣に嫌われている葉介は、城にはほぼ戻らず、夜まで城下町の見回りを命じられていた。おまけに、三日目にあの森がデスニマの発生源だと分かった後は、その寝ずの番まで一任させられた。
戦える魔法騎士複数人と交代で見張るべきだという声も上がっていたのに、筆頭大臣はそれを却下。本人も受け入れたことで、おとといの夜からここで見張りを続けている。朝が来れば、そのままデスニマと戦闘。
つまり、この五日間、最初の二日間に取った睡眠以外にまとまった休息もなく、おまけに少なくとも昨日とおととい、二日間は徹夜をしているということ。
「それなら、一応は大丈夫ですけど?」
そんなリーシャの心配に対して、葉介は上着のポケットから、小瓶を一本取り出した。
「それって……『魔法の活力剤』?」
「一口飲んだだけで、眠気も疲れも吹き飛んで戦える」
お面の下は、多分笑っている。それが分かるくらいに気軽に話しているが……すでに、中身が半分以上減っている瓶の中身を見たリーシャの顔は、優れなかった。
「確かに、徹夜仕事とか休めない人がタマに使うやつだけど……けど、それは元気にはしてくれるけど、疲れを取ってくれる薬じゃない。疲れ自体は無くならずに溜まっていくのよ?」
葉介の実家でいう、麻薬や覚せい剤といったものに比べれば、強烈な中毒性や副作用といった、人体への害は少ない。が、感覚を麻痺させて疲労を感じなくさせるという効果は同じ。
実際、これに依存したせいで、限界を超えたことにも気づかず働き過ぎたせいで、過労死してしまった例は数多い。そういう事実が一般にも広まり、使用の際には誰もが細心の注意を払ってはいるものの、未だに事故や、悪用する人間も数知れない。
できることなら使わない。それが、この薬を知る人間が選ぶ、最も有効な対処法……
そもそも、需要はあってもそれなりの値段がすることから、わざわざ買わない者の方が多いのだが。
「うん。その辺の事情も聞いた。実際、渡してきたシャルも、ミラも、受け取った時はすごく申し訳なさそうにしてたしね」
「シャルちゃんが、その薬をヨースケに渡したの?」
「そ。シャルも、よっぽどの時以外は使わんし使わせんようにしてたらしいけど……おかげでこうして戦える。だから、シャルのことを責めないでやっとくれ」
話を聞いて、声も表情も沈ませたリーシャに、葉介は優しく語りかけた。
「…………」
言いたいことは、山ほどある。それでも、彼がそう決めたのなら、これ以上は言っても無駄だろう。
歳だけは他より長く取ってきたことで得た思考の柔軟さは、そんな結論をリーシャに出させた。いくら納得ができなくとも、受け入れるしかない、と。
「……ヨースケ、やっぱ、疲れてる、わよね?」
だから、ヨースケも嫌がるだろうから、これ以上そのことは言わないことにした。
代わりに、別の言いたいこと……したいことを、することにした。
「そらぁ、まぁ、ぶっちゃけ疲れちゃいるけれど……」
「……今の騎士寮、夜になると、若い子たちがどんなことしてるか、知ってる?」
「知らない。昨日から夜はずっとここにいるし。てか、騎士寮なんて壁登ったことしかないし」
壁?
……とにかく、予想通りの答えが聞こえたから、葉介に、更に近づいて、そのまま、くっついた。
「教えてあげよっか?」
実際に、今の騎士寮を思い出す……
リーシャも、住まいである騎士寮の中にいれば、当然、そう言った声を聞き、匂いを感じ、空気に酔う羽目になってしまう。
結果、そういう衝動を催してしまうことにもなる。
結果、気になる男のことを、欲してしまうことになる。
「あたしで良かったら……癒そうか? 疲れ――」
くっついていただけだった腕に組みついて。足も絡まるくらいにくっつけて。ヨースケの顔をジッと見つめながら、顔を隠すお面をずらして、見えた唇に顔を近づけ――
「どっち道体力使うじゃん」
「確かに……」
溢れてくる衝動と、精一杯の勇気を振り絞って、人生で一番大胆になってみたのに……そんな理性的、且つ合理的な一言を返されては、リーシャとしても、肯定するしかなかった。
「ほら、離れた離れた。あんまりくっつかれたら、いざって事態に対応できん」
「~~~……」
彼は大人だ……
対応も。振舞いも。礼儀も。話し方も。接し方も。考え方も。
年上とは言え、二つしか違わない私なんかより、よっぽど大人だ。それが、今のやり取りだけでよく分かった。
「ヨースケ?」
お面を直した葉介から離れつつ、どうしても、彼の口から聞きたくなった。
「前に聞きそびれたんだけど……ヨースケは、29歳の女って、どう思う? やっぱりもう、おばさん、かな? 好きになんて、なれない、かな……?」
「そらぁ、アァタ――」
と、葉介が、何かしら返事を返そうとした、その時――
「え――」
突然、リーシャは胸ぐらをつかまれ引っ張られ、ヨースケは、二人が座っていた正面に回った。
片ひざ立ちの状態で、左手に握った斧を背中に回し――その斧に、何かがぶつかる音がしたかと思ったら、葉介の背中を中心に光が弾けた。
「今のは……【光弾】?」
「わざわざ、向こうから出向いてくださるとは――」
斧を握ったまま立ち上がる。そんな葉介に続いて立ち上がり、森の方を見た。
そこには、この場にはあまりに不釣り合いの、白と黒の可愛らしいゴシックドレスが見えた。そんな可愛らしい服がよく似合う可愛らしい顔をした少女(?)は、巨大な麻袋を左手に、右手に握った杖は二人へ向けている。
そして、その可愛らしい顔は、そんな可愛らしさをまるごと帳消しにしてしまうくらい、ひどく歪んだ形相を浮かべていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「あの二人なにワタシの目の前でイチャつきだしてこっちは男なんて一人もいないこんな暗くて汚い森の中にずっといるのにそうよ誰もワタシを相手にしないこんなにかわいい顔してかわいい服着たワタシをどうして誰も見ないのなんで男はワタシを見ないのよワタシこんなにがんばってるのに――」
長く生えた雑草と、湿り気を帯びた土が、かわいい靴を汚す。傷つける。そこらに生えている草むらや木が、お気に入りのかわいい服を汚す。傷つける。
そこかしこに湧く虫がうっとうしい。どこもかしこも汚いせいで座る場所もない。土とか木とか、なにより、動物や死臭が臭くて臭くて仕方がない。
こんな汚い森の中なんか、一秒だっていたくない。汚い上に臭いデスニマになんて近づきたくもない。なのに、話し合いの末に、この森での仕事を押しつけられてしまった。
「なんでワタシがこんな目にどうしてワタシがこんな目におかしい間違ってるワタシはずっとがんばってるがんばってるかわいいワタシのことをミジメにしておかしいこの国もこの国の人間もおかしいワタシがこんな目に遭ってるなんておかしいワタシがシアワセじゃないなんておかしいワタシに彼氏がいないなんてこの国はおかしい――」
今やっている汚い仕事にも腹が立つ。
こんな仕事をしなきゃならないワタシの境遇にも腹が立つ。
ワタシをこんな境遇に追いやった人間にも国にも腹が立つ。
「ワタシだって結婚したかった結婚して美味しいもの毎日食べて気が済むまで買いたいもの買って遊んで笑って毎日がお買い物三昧お菓子三昧ご馳走三昧死ぬまで楽しくシアワセに暮らすための男が要るのに男は誰もワタシを見ないこんなにワタシはかわいいのに顔も服もかわいいのにこんな歳になるまでワタシを相手にしない人間はおかしいこの国はおかしい全部おかしい――」
どう考えてもおかしい……
仲間内で最年長に至ってしまった実年齢になるまで。
ワタシのことを放っておいたこの国に腹が立つ。
ワタシを無視する人間に腹が立つ。
誰も相手にしないせいで、落ちてしまった境遇に腹が立つ。
こんな境遇なせいで押しつけられた、今の仕事に腹が立つ。
「誰もワタシを見ないワタシはこんなにがんばってるなのに誰もワタシを相手しないこんなにかわいいワタシのことは誰も相手にしないこんなに汚い森の中にずっといてがんばってるワタシの前でなんであの二人はイチャついてるのよ――」
一通り恨み言を吐き出して、再び森の外に座っている、黒と、自分よりも若い紫の二人組へ目を向けた。
最初はただくっついて座っているだけだった。それが、紫の女の方が男に抱きついて、今にも始めそうな艶っぽい雰囲気を漂わせているのが見えた。
「ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなワタシはこんなにがんばってるのに汚い森の中でがんばってるワタシの前でイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャがんばってるのに男のいないワタシにそんなもの見せつけるなんてゆるさないゆるさないゆるさないゆるさない」
杖を取り出し、足もとにあった魔法の麻袋を手に、森から飛び出した
「コロシテヤル――」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あの娘が、デスニマを生み出したの?」
「デスニマが大量にいる森の中を、顔も服も無傷で出てこられる人間なんているわけがない。分かりやすく敵対的な態度と言い、間違いないでしょうな」
現れて、【光弾】を飛ばしてきた白黒の少女を見やりつつ、二人で状況を分析していた。
「お前らのせいだお前らのせいで全部台無しだもっと夜が深くなって全員が寝静まったところを襲う手はずだったのにお前らがワタシの前でイチャついたからだワタシを怒らせたからだワタシにはいない男を見せつけたからだ悪いのはお前らだお前らが全部わるいんだ――」
「なんか、ものすごい勢いで口動かしてるわね……何言ってるのか全然聞こえないけど」
こっちを見ながら、早口で何かを話しているのは分かる。ブツブツ言う音も聞こえてくる。だが、その声が小さすぎて、何を言っているかは聞き取れそうにない。
「もしかしてアレかな……いわゆる、リア充爆発しろってやつかな?」
「りあみつる? 爆発しろってなに?」
「主に恋愛で上手くいってる人たちを皮肉った、俺の実家の諺だよ……その昔、リアさんと充さんて名前の仲睦まじい夫婦がいたんだけど、あまりに幸せに生きてたもんで、周りから妬み嫉み恨みを買って、ある日とうとう、トチ狂った連中によって家ごと燃やされ仲良く爆死させられましたとさ」
「爆死って……ただ夫婦仲良く幸せに生きてたっていうだけで?」
「それだけ人間の嫉妬心てもんは、愚かしくも恐ろしいってことでしょ……」
葉介自身、キチンと語源を調べたわけではないが、会社の気の良い後輩たちが教えてくれたことだし、間違いないだろう。
「全部が全部お前らのせいだお前らが作戦を台無しにしたんだお前らがワタシを怒らせたからだワタシを怒らせたせいで段取りがメチャクチャだ悪いのはワタシじゃないお前らだワタシは悪くないワタシは悪くない全部が全部お前らが悪いんだこの国が悪いんだかわいいワタシをシアワセにしないヤツが全部悪いんだシアワセにならなきゃならないワタシのシアワセの邪魔するヤツらが全部悪いんだ――」
「とりあえず、合図送っとくかな」
下らない話をしている間も止まらない、そんなブツブツを無視しつつ、上着のポケットからある物を取り出す。
形は魔法の灯に似ているが、先端の光る部分がより大きく、だが細長い楕円形に変わったもの。
『魔法の狼煙』……目の前を照らすのが目的の魔法の灯の光を数十倍に強めて、空に打ち上げられるよう作られたもの。一言で言えば、打ち上げ式の閃光弾である。
かつては、デスニマ発生等の非常事態が起こった時、国民たちはこれを打ち上げることで魔法騎士団に助けを求めていた。が、その国民たち自身による濫用や悪戯が頻発したせいで、合図としての信頼と効力を失い、今や打ち上げられても誰もが無視する光となった。
だがそのおかげで、今や誰も打ち上げることのなくなった光は、本当の非常事態の合図にちょうどいい。なので今では、葉介はもちろん、全ての魔法騎士が持ち歩いている。
使い方は、空に楕円形を向ける。後は、魔法の灯と同じく下側の先端を三度、肌で叩くだけ。
すると、楕円は空に向かって真っすぐ打ちあがり、その先でピカッと白く光る――
「あら?」
打ちあがった後、上まで光が伸びるのに五秒と掛からない。だが、打ちあがって一秒弱で、何かにぶつかり、弾けた。
「ムダムダムダムダムダお前たちがすることなんてかわいいワタシにはお見通しワタシはずっとがんばった今でもずっとがんばってるがんばってるかわいいワタシにはお前らが考えることなんて全部が全部分かってる分かってる分かってる分かってる分かっ――」
「これは……」
魔法の狼煙の光は、打ち上がった後も数分は消えずに残る。その光のおかげでハッキリ見えた。
人一人が余裕で納まる大きさをした、透明な四角形の板――【結界】の魔法が二人の頭上、二人の周囲にこれでもかと張り巡らされていた。
「迂闊だった……周りは気にかけてはいたけど、透明なうえに空は気づかんかった」
失敗を呟きつつ、取り出した靴下を少女へ投げつける。案の定、飛んでいった石入りの靴下は彼女でなく、彼女の前にある【結果】に弾かれた。
「リーシャ、俺ら以外、周りに誰かいる?」
「少なくとも、あたしが来た時にはあたしたち以外いなかったわ。元々、あの森はアナタ一人に任せろっていう、筆頭大臣様の命令もあるし……城に残ってる子のほとんどは、魔力切れでお楽しみ中。戦える子たちは待機してるけど、それも、魔法の狼煙が上がらなきゃ動きようがないし、お城は最優先で護るべき場所だし」
「関長の皆さんも、各配置に着いてるだろうしね……」
「お前らだけは殺す絶対に逃がさないこの国のイヌ税金泥棒ワタシをシアワセにせずにミジメにしたあげくこんなことさせてしかもワタシの目の前でイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないコロスコロスコロスコロスコロスコロス――」
今でもブツブツ口を動かして、左手に握っていた麻袋を【結界】の向こう側へ投げ込む。それを【発火】で燃やすと……
そこから、大量のデスニマが一度に現れた。
「リーシャ。俺が何とかしてアイツら押さえるから、城に戻って応援呼んできてくんない?」
「なに言ってるの……あたしも戦うわ」
葉介の意見を無視しつつ、葉介の前に出る。
「デスニマがあれで全部とは思えない。親はいないみたいだけど、そのうち現れないとも限らない。そうなったら、魔法も使えないヨースケ一人じゃ、どうにもならないでしょう?」
「そらそうかもですが、二人でも足りんでしょうに。足止めだけなら一人でもできるし、だったらもう一人は応援呼んだ方が早いですわ。それに、俺の魔力切れのことなら、気にしなさんな。考えなしに魔法使いまくった俺の自業自得だし」
「魔法なんて、ちっとも使ってないじゃない」
「は……?」
「魔法、使えないんでしょう?」
それを言うと……お面を被っていても、葉介が動揺していることはハッキリと伝わった。
「気づいてないって思ってた? とっくに分かってたわよ。ずっと、アナタのこと見てたのよ」
だいぶ前からそんな気がしていた。だから、決闘会の後、こっそり【探査】の魔法を使って視てみた時、驚くと同時に納得もした。
セルシィや第3の子たちとは違って、魔力の質まで見分けられるほどの精度も無ければ知識もない。それでも、水の入ったバケツをひっくり返しても必ず水滴が残るのと一緒で、魔力切れを起こした人間にも水滴程度の魔力は必ず残るという常識は知っている。
だから、本来なら量の個人差はどうあれ、決してゼロにはならず、わずかでも間違いなく人に宿っているはずの魔力が皆無なことだけは、素人目にもハッキリ分かった。
「アナタはとても強いけど、アナタ一人じゃ、デスニマの群れに加えて、彼女までは倒せない。応援呼びに行ってる間に、彼女に逃げられるかやられちゃう。だから、一緒に戦うわ……戦わせてよ。アナタと一緒に」
そう、真っすぐ言葉を飛ばすリーシャの目から、絶対の決意と強い意志が、葉介にハッキリ伝わった。
「……だったら、とりあえず、今出てるデスニマは俺が相手します。リーシャはこれ以上デスニマが増えないよう、あの女の相手をお願いします」
そう言いつつ、リーシャに近寄って――
「え……えぇ!? ちょ、なに? ヨースケ、あん……っ」
腰に手をやって、抱き寄せた。思わず伸びた首元に、お面越しの顔を近づけた。
「思った通りや」
「ゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス――」
先ほどまでも、こちらを大いに憎んでいることは伝わっていた。
それが今は、そんなものは比べ物にならないくらいのハッキリとした殺意を向けているのが分かる。
「やはり、俺らがイチャイチャしてると彼女は怒るみたいですね」
「え、あ――」
「激怒した相手は、逃げるという選択肢が頭から消える……彼女が怒ってるうちに、倒しちゃってちょうだい」
言いたいことを言い終えると、抱き寄せていたリーシャからアッサリ離れて、デスニマの群れに向かってしまった。
「まったくもう――ッ」
本気でドキドキした……むしろ、ヨースケのそばにいる間、ずっとドキドキしっぱなしだった。
触れられて、抱き寄せられて、トキメいた。
なのにそれが、敵を怒らせるための手段だったなんて。
どこまでも冷静で合理的、そして、大人。戦いの現場で、これ以上頼もしい人もいないことは確かだ。反論の余地もない。
けど、それをされた当事者の身としては――
「――ッ」
葉介の後ろに続いて走り、【結界】を跳び超えて飛び出したリーシャが【光弾】を撃つ。
それに気づいた白黒の少女は、手近に浮かんでいる別の【結界】へ飛び乗り、移動した。
「アンタのせいで――せっかくヨースケと二人っきりになれたのに! イチャイチャしたくても利用されるだけで、ちっとも親密になれないわ!!」
走りながら、リーシャも結界へ。少女は別の結界へ飛び乗って、リーシャも更に続く。
やがて、二人して立体的な追いかけっこをしている内、張り巡らされた【結界】の山の中腹辺り。地上から二十メートルほど離れた高さで止まった。
「とにかく今は、彼の望み通り、アンタを倒す。その後で、存分にヨースケとイチャイチャして、アタシに惚れさせてラブラブになるんだから!!」
愛しい男との恋路を邪魔された、最年長のアラサー魔法騎士と……
「ふざけんなコロスお前はコロス税金泥棒お前がシアワセになっていいわけがないシアワセになっていいのはワタシそのワタシからシアワセ取り上げたお前はコロスアイツもコロス絶対コロスワタシがコロスコロスコロスコロスコロスコロス――」
自身のかわいさと堕落のみ求め、手に入らなかった怒りを国と魔法騎士への憎悪に変える、最年長のアラフォー少女と……
未だ、魔法の狼煙の残滓に照らされた空間。
地上で泥臭くがんばっている最年長の頭上で向かい合う、二人の女のプライドが、今、ぶつかる――
リアさん充さん夫婦のご冥福を祈ってくださる方は感想おねがいします。




