プロローグ 終わりの始まり……
グロ注意回。
理不尽。不条理。過酷。残酷。無情。
ザっと挙げてみても、自分がかつて、もしくは今この瞬間、遭ったことがある辛い現実を示す言葉というものはいくらでもある。
実際、こんな言葉では到底足りないくらい、むごい仕打ちを受けた人間もいる。ハタから見れば大したことはないが、本人にとってはこれらの言葉に該当する心情な場合も、大いにあるのが人間の感情の難しい部分だ。
中には、明らかに自業自得としか言えないのに、人や環境や何かのせいにするような人間もいるし、それ以前の、とんでもない理屈から来る逆恨みで自己肯定に走る輩もいる。
彼らの場合は……
「――ぅぅぅううううあああああああああ!! 何なんだよ!! あの役立たずの老いぼれクソババァアアアアアアアアアアアアア!?!?!?!?」
いつだかと同じ場所。いつだかと同じような時間。男は、いつだかの誰かと同じように、大声で叫び、目の前のテーブル、周囲にある物を壊していた。
「マジで何だったの? 散々エラそうなこと言っておいて――」
「口だけ……死ねばいいのに……なんで死んでないの――」
彼と同じ場所にいる、別の誰かしらたちも同じ。叫びはしない。物を壊すこともしていない。だが、それらを行う男と同じ程度には、キレていた。
「目的のガキどもはさらってこられねーわ、無駄にカリレスぶっ壊すわ、あげくの果てに貴重な『香』一つ、無駄にしやがってぇぇぇええええ――」
「とっさにうちらが動いたから、無駄にはならなかったけど……それをしなかったら、本気でタダの無駄骨だった」
「マジで役立たず……わけ分かんない……なにしに生まれてきたんだ、あのクズ……」
それはいつだか、彼らに対して怒りイラつきのまま叫んだあげく、エラそうな言葉を残して去っていった女に対する怒りの声。
彼女らの様子と反応からして、とても容認できる行動ではなかったようで、それに対してキレて、イラついていた。
「……あのクズのことは、もういい。思い出したくもねぇが、アレのおかげで準備が整ったのも事実だ」
そんな、キレるばかりの連中とは、別の声が掛けられた。
そんな言葉には、キレていた連中全員、意識を向ける程度には落ち着いた。
「必要な物はそろった。後はアイツらとすり合わせて、動くだけだ」
「…………」「…………」「…………」
「正直言って、俺としてもあの女と同じだ。これ以上待つのは限界だ……準備ができた以上、さっさと動きたい。で、この国と、魔法騎士団、全部ぶっ壊してぇ」
そしてまた、全員がその言葉に意識を向け、押し黙り、歯噛みする。
ここに集まった連中の目的は一つ。
自分たちを散々苦しめた魔法騎士団を……
自分たちに惨めな人生を強いたこの国を……
真っ当な怒りか逆恨みか。ハッキリ言って、各々の事情な以上、第三者からすればどっちだとは言えないし知ったことじゃない。
少なくとも間違いなく言えるのは、そんな各々の事情は、連中にとって、怒りを国やら人様に向ける動機として、間違いなく成り立っているという事実だ。
実際、そんな連中の怒りの力は、国を傾けるに十分な威力を有することになる――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「はぁ……はぁ……」
「ふぅ……ゲホッ……」
ルティアーナ城城下町は、多くの商人や金持ちの屋敷が立ち並び、中心街は、小さいなりに思わず目を引く出店や露天商が立ち並び、リユンとはまた違った人々の賑わいを見せていた。
それが今日は、露天商に並んでいたであろう衣服や小物、雅な作りの食器類は無残に地面に転がり、葉介も遊んだ的当て屋等の遊び場も、見る影もないほど壊され、飲食店に至っては、食材から食器から調理器具から、全てがその場に散乱し、見るも無残な姿に。
人々が行き交っていた往来には人の姿はまるでなく、ただ物が散らかった、閑散とした風景が広がるだけ。
住民たちの住まいである家屋敷も壊されて、もちろん、人の気配はまるで無い。
そんな、人がいなくなった町にも、残っている者はいる。
黄色。青色。紫色。一色ずつ集まった三人が、杖を片手に、息も絶え絶えに、目の前を睨みつけていた。
「はぁ……何匹、倒したっけ?」
「数えてない……数える余裕なんて、ない……」
「だよな……」
皮肉を言い合う紫と黄色の少女。後ろから一言だけ言う青色の少年。
三人の見据える正面には……大小三十匹は超えているデスニマが、牙を剥いていた。
「ねぇ……魔力、どれだけ残ってる?」
「ほとんど残ってないわよ、そんなの……」
「あと一回ずつ、大ケガ治したら、俺も空っぽになるからな」
騎士服は、汗と泥にまみれ、両手はダラリと下がり、両足はひざを曲げ、背中は猫背。
三人が三人とも、かなりの時間、戦っていたのは間違いない。
そしてもちろん、デスニマがそんなことを気にかけてくれるわけもない。
「今日が、最後になるかもね……彼氏だってまだいないのに」
「まだ死にたくないわよ。私だってまだ処女なんだから……!」
「こらこら……まあ、俺だって童貞だけどさぁ」
あまり人に聞かせられた内容ではないが、そんなことを口走りたくなるほど、三人ともが追い詰められていた。
「生きて帰ったら、一発ヤりなさいよ」
「ちょっと、私が先よ」
「……死にたくなってきた」
なんでよ! 基本、魔法のおかげとは言え、中々に整った容姿をした黄と紫が、イケメンの部類に入る青に叫ぶより前に、三十匹超のデスニマは一斉に飛び掛かった。
「――ッ!」
「くぅ……!」
前衛である二人の少女が、【光弾】、【閃鞭】で攻撃。【治癒】要員である後衛の少年を守りつつ、攻撃を行いデスニマを倒していく。
一応、三人ともある程度の距離を保ちつつ、着実にデスニマを倒すことができているのだが……
いかんせん、数が減らず、その数の力で次第に押されていき、やがて……
「うわッ!」
紫色に、デスウルフが飛び掛かった。それを、黄色が【閃鞭】で倒すが、一度崩れてしまった戦局を、デスニマと言えど見逃してはくれない。スキを突くだけの知能はないが、スキの有無など無視して、ただ襲い掛かってくる。
「この……!」
とうとう、後ろにいた青色が【閃鞭】を振った。だが、攻撃をあまり鍛えてこなかった青色による鞭では、黄色や紫色に比べてあまりに貧弱で。
戦局を立て直すには至らず、デスモンキー、デスウルフ、デスバードの三匹に、一斉に襲い掛かられて――
「サル――」
「バトーレ――」
「ダリッ!!」
腕で顔を覆い、目を固く閉じた、三人の耳に、聞き覚えのある掛け声が聞こえた。
「なにした人かは知らん……」
目を開いて見てみると、今まさに、自分たちに襲い掛かってきていたデスニマ三匹、全て真っ二つに倒されていた。
「顔かゆい……後は、私たちにお任せ下さい」
三人よりもはるかに老いた声。背は、青色よりもだいぶ低い。
なのに、長い斧を握る黒色は、今の三人にとって、実に頼もしい男の背中。
「うわ――ッ!」
それでも、葉介の前からは、すでに大量のデスニマが襲ってきていた。
それを認識した次の瞬間には、そんなデスニマたちの目の前に、赤い何かが降ってきた。地面を揺らし、地上の物を跳ね上げる衝撃に、黄色が声を上げた時。その衝撃に飛び上がったデスニマ全て、斧と、蹴りと、パンチが仕留めた。
「こんのぉ――!」
そんなデスニマを仕留めている中に、緑色の姿がある。力強く、速い。なのに、赤や黒に比べれば、ぎこちなさが見て取れる、赤色と同じくらい小さく、幼い姿。
それでも、両手に握った剣を必死に振い、赤や黒に比べれば少数ながら、着実にデスニマを仕留め、倒して見せている。
「ごめんな、アラタ。もっと時間をかけて鍛えていくはずが、いきなり実戦に引っ張り出しちゃって……」
「……へッ! 構わねーよ! てか、左から二匹来るぞ! 上からも一匹、右から五匹!」
まだまだ、デスニマはやってくる。その全てが、三人に向かってやってきている。そんな中にありながら、黒色は緑色へ、申し訳ない声を掛けていた。緑色は、必要な情報をどうにか言葉にしつつ、動揺と緊張を隠しきれていない、年齢相応の声を上げていた。
「ん……二人とも、がんばって」
「はいよ……顔かゆいけど」
「い、言われるまでもねーぞ! ミラァアアア!!」
そんな部下二人に対して、静かな激励を投げかける第5関隊関長。
冷静で、タフで、強い……そんな第5関隊の姿に、魔力と疲労、両方の限界から諦めの文字を浮かべていた三人の心には、再び、希望が宿った。
「フッ――」
「オラァ!!」
「ダリッ!」
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もちろん、あれだけ賑やかで華やかだった城下町が、カリレスの事件からわずか五日間で、こんな有様になってしまうには、相応の理由というものがある。
その説明のために、まず最初に聞くことになるのは、クドイ女の声だ――
「あらあらあら……言い訳はそれでおしまいかしらぁ?」
ルティアーナ城内にある、関長室――実際には、立派な騎士寮の横にポツンと建てられた掘っ立て小屋だが……その前に、声も顔もかなりクドイ中年女がいて、その後ろに、黄、青、紫の関長三色が、不本意そうな様子で並んで立っている。
そんな四人の前には、赤色の少女。左にフードをいつも以上に深く被らされている黒色の中年。更に、右に赤い髪を揺らす白色。
その三人の後ろに、黄、青、白、黄と四人の若者が並ばされ、その後ろには、わざわざ集められた大勢の魔法騎士たちが並ばされていた。
「なんだったかしら……あまりに内容がふざけてて、直視に堪えないのだけど……」
クドイ女――ロシーヌ・クラロッツォ筆頭大臣は、ミラが提出した今回の仕事の報告書を眺めつつ……明らかな怒りとイラつきを声色に隠そうともせずに、そのくせクドイ声で、その内容を読み始めた。
「まず、件の事件の真相は、羊泥棒であったと。それで、犯人は、被害に遭った羊牧場の一人娘で、家族に対する私怨から、今回の犯行に至った、と……」
ここまでは、普通に読んでいる。実際、犯人とその動機に関しては、自身にも覚えがあることで、納得はできているらしい。だが、その次を読み始めたら、声色から納得は失せてしまった。
「で、その犯人が何をしたかというと……まず、実家である家を焼き払って、羊たちを逃走させたと。で、その羊たちに何かを投げたかと思ったら、その何かを受けた羊たちは、一瞬でデスニマ化し襲ってきた、と……」
普通なようで粛々と。落ち着いているようでワナワナと。徐々に徐々に、声色だけでなく、表情にまで変化が起きていく。
「そのデスニマたちは、第5のブスが指揮して全滅させて、逃げた犯人はすぐに追跡。その犯人は、二週間前に第2に助けられた、外国から連れてこられた子どもたちを狙って、寝泊まりしてる家を、デスシープの親を使って襲撃した、と――」
「……ヨースケは、ブスじゃない……」
「黙ってろカス!! このアタシの許可なく二度と声を出すな!!?」
ただでさえ色々ガマンしながら読み上げていたのを、ミラに邪魔されたことで怒り狂い、奇声を上げる。ミラがすぐに黙ったのを見て、その顔を再び、報告書へ向ける。
「それで、襲撃された家にはカスがいち早く駆けつけて、子どもたち全員と、牧場主夫婦は保護。その後に駆けつけた第1たちの協力により、親のデスシープ打倒に成功。けど、その夫婦は犯人に、ま・た、捕らえられ、生きた羊たちをデスニマに変えたのとは別の、未知の道具によって、火事と一緒に吸い込まれる。で、そこから出てきたのが、燃える大きな鳥であった、と……」
一旦読み終えたらしく、報告書を下に下げて、ミラに視線を移した。
「アタシのことバカにしてんの?」
「…………」
「バカにしてるわよね? アタシのこと? こんな作り話はね、捨て書類の裏側にでも書いて一人で眺めてなさいよ!!」
ミラに対するイラつき。見下すべき相手への愉悦。仕事の結果を見た怒り。そう言ったものがない交ぜとなり、喜んではいるが怒っていて、だから怒声を叫んでいた。
「で、羊農家の夫婦守れなかった言い訳したあげく、その次には、カリレスの住人、ほぼ全員が失踪? 理由も生死も不明? 何者かによる誘拐の可能性あり? ふざけんな!!!」
報告書を投げ飛ばし、それはちょうど、ミラの顔に当たる。
それには微動だにしないミラに、言葉をまくしたてた。
「アンタら、自分らが何したか分かってんの? カリレスはこの国の食糧の九割作ってる場所って分かってる? そこに住んでる農家のほとんどが消えたってことはねぇ、この国の食糧、無くなるってことじゃないの!?」
当然のことながら、城にも食糧の貯えはあるし、魔法による保存技術が発達したこのご時世、城以外の地域でも、今すぐ食糧が尽きるという危険は、しばらくはない。
とは言え、作る人間がいなくなっては、いつかは間違いなく食糧は尽きてしまう。カリレス以外で、安定した大量の食糧を作ることができる場所も無し。なまじ自力の食糧自給率に優れていただけに、国としても食糧の輸入は、行っていないわけではないが、その量は生産量に比べてはるかに少ない。逆に、食糧は輸出品としても重宝されていたこともあり、それが無くなるとなれば国の経済への打撃も計り知れない。
そもそもの話が、この女は第5の無能っぷりに期待していた。だから仕事の失敗を理由に、大いに見下しバカにして、追い出してやることがそもそもの目的だった。仕事の失敗の報を受けた後、手の空いた空かないに関わらず城内にいる魔法騎士全員、わざわざ集めたのも、全員の前で第5のゴミどもを笑いものにするためだ。
ただ、その失敗の理由が、あまりにも稚拙に過ぎて、何より、失敗の内容が、この女から見ても深刻に過ぎた。だから、第5以外にも激怒していた。
「大体が! なんだって農家たちが簡単に攫われるのよ!? 第1関隊の巡回はどうした!? カリレスを護るのが第1の仕事じゃねーのか!? 第1は一体何してたってのよ!!?」
「……申しわけありません。全ては、第1関隊の至らぬ所にございます」
その質問には、ミラの右隣りに立つ、リリアが頭を下げながら答えた。
「あの晩には、私と、後ろのサリアを除く、五人の第1関隊が巡回しておりました。しかし、羊牧場の崩壊に、デスニマの発生という緊急事態が重なり、そちらに戦力が集中しておりました。おそらくは、そのスキを突かれての犯行かと思われます――」
「ふざけんな!!」
言い終わるか終わらないかのタイミングで、その顔にビンタを喰らわせる。後ろに立つサリアが思わず飛び出しそうになったのを、ジンロンが制した。
「五人もいたくせに……お前ら含めて七人もいたくせに、こんな……わけの分かんねぇ妄想話垂れ流したと思ったら、レイの部下のアンタまでそんな妄想に乗っかって? アタシのことバカにしてんじゃないわよ!!」
失敗の結果に怒り狂いつつ、そもそも報告書の内容を信じていない。だから話の順序がメチャクチャになるのも構わず、声を上げた。
「正直に言いなさいよ……この二人が何したってのよ?」
「正直に……?」
聞き返したリリアの顔に、自身のクドイ顔で迫りつつ、無駄に白くしなやかな人差し指で、赤と黒を指さし叫んだ。
「このゴミ二人が何かとんでもないことしでかしたんでしょう? で、アンタらはそれをごまかすための作り話に乗っかってる。こんなゴミどもでも力だけはあるからね。そうでしょう?」
「……なぜ、そう思われるのですか?」
「後ろの四人見たら分かるわよ!!」
呆れ口調と冷たい目。そんなものをリリアが浮かべているのも構わず、今度はリリアの後ろの、メルダ、ディック、サリア、ジンロンの四人を指さした。
「帰ってきた時から分かってんのよ! こいつら全員、このゴミ二人に脅えてたじゃない!」
そんな言葉に、ジンロンはいつも通りだが、三人は愕然とさせられた。脅えていたのは事実だが、そんな風に見られていたとは思っていなかった。
「おまけに、メンバーが三人足りないわよ? こいつらが怖くてカリレスに居残ったんでしょう? 違う!?」
クドイ声が言った通り、リム、ファイ、フェイの三人は、カリレスに残ったことでここにはいない。
「本当はコイツらがとんでもない失敗したんでしょう!? だからカリレスの住民たちが消えたんでしょうが!? それをごまかすためにこいつらに脅された!! 本当のこと言いなさい!!?」
「…………」
「そうすれば、このゴミ二人のクビ……いいや、失敗の責任とって、一生の重労働だけ。他のメンバーも第1関隊も、不問にしてあげるわよ。さあ……言いなさい!! 本当のこと!!」
「……ハァァ」
クドイ声で言い切った後で、深いため息を吐いたのは、葉介である。
「……おい、ゴミ! 誰がしゃべっていいって――」
「リリアー? 『本当のこと』言えば、第5以外は不問だって」
「ん……リリアの好きにしていい」
「しゃべるなぁああ!!」
二人に杖を向け、光を撃つ。二人とも、無抵抗で後ろに飛ばされた。
「アタシの!! 目の前で!! 汚い声で!! 汚い顔で!! 二度と!! しゃべるなぁああ!!!」
吹っ飛んだ二人に対して、何度も、何度も【光弾】を撃っている。
いくつかは、ただ地面にぶつかっているだけ。だがいくつかは、二人に直撃している。訓練も受けていない、大した威力の無いそれに二人がこたえている様子はない。が、当たれば直立していたのを倒されるくらいの威力がある以上、決して痛くないわけでもない。ただ、仰向けの状態で全ての【光弾】を受けながら、衝撃と痛みにひたすら耐えている。
後ろに並ぶ一般騎士たちは絶句しながら、前に並ぶ関長三人は飛び出したいのをガマンしつつ……全員、この場で唯一の発言権を与えられた、リリアに視線を集中させた。
「真実は――」
十発ほど【光弾】を撃ちまくったところで、リリアが声を上げた。
よく通る、毅然とした、迷いや曇りの全く無い声で、ハッキリと答えた。
「報告書に書かれていること。その通りです」
「……なんだと?」
二人への攻撃を止め、リリアの方へ向き直る。ただでさえクドイ強烈な顔を、更にひどく歪ませている女に向かって、リリアは続けた。
「何度でも申し上げます。この事件の真相と顛末は、ミラ様が書かれた報告書に記載されていることが全てであり、カリレスの住民たちの失踪は、我々第1関隊のミスによるもの。それが、紛れもない真実でございます」
二人をかばっているわけじゃない。ただ真実を語っている。
ミスの責任を二人になすりつけることなど、第1関隊としてのプライドが許さない。何かしらの責任を取らされるにしても、そんなものを恐れる人間など第1には一人もいない。リリアはもちろん、後ろに立っているサリアも、直前まで不安げだった顔に、満足げな微笑みを浮かばせていた。
「むしろ、いくら国政の最高責任者と言えども、我々魔法騎士団の仕事に対して都合の良い妄想をこじつけないで頂きたい。それは、今任務にて辣腕を振るい我々を指揮した、第5関隊の二人に対する侮辱であると同時に、責任を果たすべきであった第1関隊への侮辱です。それは、明らかな越権行為であると受け止めます」
(らつわんてなに?)
(テキパキと仕事ができるってこと)
(……えっけんこういって?)
(門外漢のくせに口出すなってこと)
倒れている赤と黒が、小声でそんなやり取りをしている間も……
自分が思う通りにならない現状と、リリアのクソマジメな正論に対して、目をカッと見開き、口も鼻もヒクつらせて、体中ワナワナと――否、クドクドと震わせている。今にも爆発しそうなことが、誰の目にも明らかだ。
「……どっち道、責任取るにしても、今じゃねーわな」
そんな女が、リリアに対して杖を向けようとする前に、女の一番嫌いな声が聞こえた。
すぐさま振り返り、もう一度【光弾】を浴びせようと――
「ぎゃあああああ!! 汚ねぇえええええ!!」
杖を向ける以前に、フードを取った葉介はすでに、女の目の前――文字通り、目と鼻の先、一寸先で、鼻がくっつくくらいに近寄っていた。
「フードを取るな!! 汚い顔見せるな!! 汚い声出すなあ――!!!」
思わず後ろへ飛び上がって、そのまま杖を向けた。
「テメェこそ少しは黙れや。おばさん」
撃たれた【光弾】は適当に避けつつ、素早く杖を取り上げ捨てる。腰から、ナイフを引き抜いた。
「なッ、なに、する気――」
「そんなに俺の汚い顔が見たくねーなら――」
杖を奪われ、ナイフに脅える女に、葉介は周囲の静止も聞かず近づいていき、右手のナイフを振り上げて――
「なっ――シマ・ヨースケ!!」
「なにしてるんですか!?」
並んでいた関長三人が、思わず走り出そうとしたのを、ミラが前に立ち、止めた。
「もっと汚くしてやるから、俺らの前に出てこないでくれない?」
葉介は、自身の米神に突き立てたナイフの切っ先で、右の米神から目の下、鼻の上を通り、左の頬へ、斜めに、かなり歪な曲線を、女の前で、魔法騎士らの前で、刻んだ。
「俺らが今することは、仕事の失敗を嘆くことか? その責任取ることか? 違うやろ? カリレスの農民の皆さん、いなくなっとんぞ?」
左手に持ち替え、今度は左の米神。そこから同じように、右頬にかけてナイフを刻んだ。
「消息不明。生死不明。だったら、まずその人ら捜すことやろうがよ!」
左右非対称な傷を顔に刻んだ後は、ナイフを地面に投げ、その傷に両手の爪を立てて、思い切り抉り開く。
ナイフによる傷が、八本の爪でさらに広がり、流れる血と合わせて、葉介自身の言う通り、それはそれは、とても見られたものじゃない、汚い顔に変わった。
「そのために、カリレス出身だった三人には現地に残ってもらってる。カリレスに残った住人にも協力を仰いでな。俺らは今、報告しに帰ってきてるだけ。この後またカリレスに戻って、行方不明者の皆さんを捜しに行かなきゃならないの。失敗の責任取るためにもさ」
「――――」
ふざけんな!! お前らの責任は私が決める!! 勝手な理屈を汚い顔でこねるな!!
そう叫びたかった。だが、できなかった。自分で自分の顔を、ナイフを突き立て爪を立て、ただでさえ汚い顔を、更に汚く変えてしまって。
そんなことを平気で、痛みも無視して目の前でされた、そんな男の行為、狂気が、女から、言葉も威勢も、奪ってしまっていた。
「分かったならさっさと帰ってくれる? 仕事の邪魔」
「――――」
「帰れっつったのが分からんかった? なら、もっと顔汚くしたら帰ってくれるか!?」
絶叫しつつ、地面から引き抜いたナイフを額の中心に突き立てる。
血と唾を、ウツクシク【加工】した顔やら服に受けて。汚い男の狂気を目の当たりにして……何より、その汚らしく『加工』されてしまった顔をこれ以上見たくなくて。
捨てられた杖を急いで拾い、そそくさと、去っていった。
「……めっちゃ顔痛い」
「当たり前だ!!」
ナイフに着いた血を拭ったタオルで、自身の顔を押さえつける葉介に、シャルが叫んだ。黒いタオルで分かりづらいが、タオルも、葉介の手も、すでに血で真っ赤に染まっていた。
「ヨースケさん、すぐに手当てを……」
「【治癒】しますから、タオル、どけて……」
真っ先にセルシィ、次いでディックが葉介に近づいて、タオル越しの葉介の顔に杖を向けた。次いでメアにシャルも近づくも、タオルの下の葉介の唇は、笑っていた。
「……ああ、いいよ。治さなくても。この顔でいれば、あのおばさん追い返せるって分かったから」
「そんな――」
「むしろ、このまま化膿するかカサブタになってくれりゃあ、その方が好都合だね。上手くいけば、一生あのおばさんのクドイ顔見なくて済む」
そんな軽口を叩きつつ、タオルを押し当て止血して……
そんな葉介の姿に、後ろに並ぶ一般騎士ら全員、これまでも何度か経験したように、言葉を失っていた。
国政の最高責任者に対して、雇われの身である魔法騎士――それも、関長ならいざ知らず、一般騎士の新人、下っ端が物申す。本来なら許されない光景だ。まして、手を出すなどもってのほか。
だから彼は自身に手を上げた。自身の顔を傷つけ、相手が最も嫌いな、汚い顔を作り上げ、見せつけて、追い返す。そんなこと、マネするのはもちろん、思いつく人間さえ、ここには一人もいない。
だが、見事であると思う以前に、見るからに痛々しく残酷な行動が……そして、そんなことを躊躇なく行ってしまえる男の狂気が、一般騎士らには衝撃で、衝撃以上の、戦慄で、恐怖だった。
「ヨースケ……」
呆然と言葉を失う黄と紫、治療は不要という言葉に困り果てている青色二人の前に、赤色が立つ。ずっと、顔にタオルを押し当てている黒色を、心配そうに見上げていた。
「……ちょうどいいかも。おばさん帰ったし、紹介したら?」
「え……?」
「紹介って?」
ミラは聞き返し、メアが疑問の声を上げる。葉介は、「アラター」と呼びかけた。
呼びかけた先には、緑色の質素な服を着た、少年が立っていた。
背はミラと変わらない……否、ミラよりもやや低いくらい。だが両手足は長い。スラリとした細見なようで、体の節々には必要な筋肉が逞しく備わっているのが分かる。
そんな逞しい肉体を持ちながら、男らしく整った顔には幼さが残っていて、この場に集まった誰よりも年下ということが見て分かる。
その少年は、葉介の呼びかけに答えて、赤と黒の立つ場まで歩いてきた。
「騎士団入り希望者のハカタノシオ様です」
「アラタネシアだ……」
普段なら、大声で訂正していた。だが、葉介の様子に、それどころではないらしい。
「ごめんごめん……第5に入りたいってのを、ミラが許した。だよね、ミラ?」
「ん、うん……アラタ、自己紹介して」
「お、おう……」
振られたアラタだが……振られた通りの自己紹介をしづらい様子でいる。この場の全員と同じ、クドイ女もそうだったが、その女を追い返すために負った男のケガの方が気になっている。
「えっと……第5関隊に入れてもらった、アラタネシアだ、です……アラタでいい、です。よろしく、です……」
簡単に自己紹介を済ませた後は、とうとう黙っていられなくなり、葉介に向き直った。
「ヨースケ……見てたけど、大丈夫かよ? せっかくの男前が台無しじゃねーか?」
「アハハ、お上手だね、こんな汚い顔のおっさん捕まえて」
「ヨースケは、汚く、ない……」
アラタの本気の心配も、ミラのそんな力無い否定も、葉介は笑って流すだけ。
終始タオルで止血するだけで、それ以上は治療も魔法も拒否している。
本人の口から言った通り、ものすごく痛いはずなのに、ただ笑って、周りに気遣って。
「……まあいいや。報告も紹介も済んだことだし、俺らは仕事に戻ろうや」
そんな自分の姿に、誰も何も言わない中で、そう話題を逸らした。
そばにいるアラタとミラ、ディック、そして、やや離れた位置から葉介を見守る、リリア、メルダ、ジンロンに対して。
それでも、とっさに動けずにいる若者たちに、もう一度優しく声を掛けようとした――
「皆さん! なんでこんなところにいるんですか!?」
その時そんな、若い絶叫が彼らの耳にこだました。
声を上げた黄色と、青色も一人。そんな二人組が、肩で息をしつつ大汗を掻いている。城中のあちこちを探し回っていたらしい二人とも、ひどく慌てて、同時にかなり怒った様子で、関長たちへ叫んでいた。
「大変です! 城下町が、デスニマの大群に襲われてます!!」
全員が驚愕している間、誰よりも早く反応したミラと葉介が走り出した。次いで、アラタ、その後ろに、リリアら派遣メンバーと、関長、残りの一般騎士たちも続いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ふぅ――これで全部かな? 今日は……」
五日前までの今ごろまでは、大勢の人々が歩き、行き交って、活気と笑顔にあふれていた大通りも、今や見る影もない。葉介が食べた、故郷の味には程遠いながら懐かしみを感じた、麦がゆを売っていた出店も、黄色二人と遊んだ的当て屋も、それ以外の屋台も露店も、全て壊され、踏みつぶされて。当然、人の姿も、気配すら残っていない。
この場に残っているのは、葉介とミラ、アラタの第5関隊総員と、彼らが来る前まで戦っていた三人の男女。それだけ。
「アラタ……戦いには、慣れた?」
「ハァ……ハァ……楽勝、だぜ……」
口では強がりを言いつつも、握った剣を杖に、肩で息をしている。
城下町がこんな有様になった最初の日こそ、デスニマを相手に、戦えはするがつたない様が目立っていた。さすがに五日も戦い通したことで慣れてはきたようだが、それでも二人に比べれば、倒した数はまだまだ少ない。
「大丈夫でした?」
自分たちが来るまで戦ってくれていた三人を気遣って、葉介は声を掛けた。すると、三人ともが葉介の顔を見るなり、身を固め、顔を引きつらせてしまった。
「あー……申しわけありません。怖かったですね?」
謝りながら……ずらしていたお面を着け、顔を隠してしまう。
五日前にワザと切りつけ、抉って広げて。止血以外の治療も拒否し、その傷が膿んでカサブタになり。その後も何かと絡んでくるクドイ女を追い返すため、その都度その都度、傷つけ続けた結果、とてもじゃないが、人様に見せられない有様になってしまった。
そんな素顔を隠すため、壊され散らかった町の道中で拾った黒いお面には、この国なりに優しくデフォルメされた、髑髏の顔が描かれている。
そんなお面の上に、更にフードを被って、お面と一緒に拾った、白い手の骨が刺繍された黒の手袋をはめた手で、必死に顔を隠そうとする黒色の姿に、脅えていた三人とも、すぐ自身の振舞いを恥じることになった。
ピンチになったところを駆けつけて、デスニマたちはすっかり倒してしまった。
そんな、今この状況では第1以上の精鋭部隊であり、その中核である男に対して、こんな、脅えた態度を取ってしまったことに……
「…………」「…………」
三人だけでなく、葉介本人の雰囲気そのままな、優しい顔をした骨の顔を見て、それがあまりに似合ってしまっている黒色の姿に、ミラも、アラタも、ただ見守るだけで、言葉を掛けることができなかった。
「……にしても、顔かゆい」




