第12話 弟子と師匠と新たな仲間
「…………」「…………」「…………」「…………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
三日間という期限つきの任務を、図らずも、任務開始初日で完了させることができた。
なのに、再びリムの家に集まっている、今回のメンバーの面々で、そのことに喜びを見せる人間は、一人もいない。
「…………」「…………」「…………」「…………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
テーブルの前でうつむいて。あるいは部屋の隅にたたずんで。疲れているはずなのに眠ることもできず、ただ何となく、家の外に出ることもせず、赤色を除いたメンバーの全員リビングに集まって、黙り込んでいる。
「…………」「…………」「…………」「…………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
単純に喜べない理由はいくつもある。
まず、今回の羊が消えた原因の解明と問題の解決。この二つ自体は、確かに達成することができた。だが、できたことと言えば、羊泥棒を捕まえたことだけ。
今回の事件の被害者である、羊牧場は全壊。羊は一匹残らず死に絶え、牧場家族は息子一人を残し、両親は死亡。
もはや、羊農家を続けていくことなどできるわけもなく、ケガが治って生き残ったジークも、両親の死を嘆いていたのはもちろんだが、これからどうやって生きていけばいいかと、本気で途方に暮れていた。
牧場だけじゃない。二週間前に誘拐されてきたのを、第2関隊の活躍で保護した子どもたち。
アラタやカリレスの人たちが二週間かけて笑顔を取り戻したというのに、その子どもたちに提供された屋敷は全焼。アラタを除いた子どもたちも、二週間前と同じように、魔法の麻袋に無理やり詰め込まれて、もはや、どれだけ声を掛けても笑うことはなくなった。一生消えないであろうトラウマを、幼いうちから刻みつけられた。
そして、それだけのことをしでかした、羊泥棒の犯人が、ジークの姉だったというオチ。
羊を育てることが生きがいだったジークと違って、ジークの姉は、臭くて汚い羊の世話も、朝早く起きなければならない牧場仕事も、そんな仕事を強いる家族もカリレスも、全てを嫌っていたらしい。だから、20歳になる前、もっと華やかな仕事をし、金持ちになってやると息巻いて、カリレスを出ていってからというもの、ずっと音信不通だった。
両親は、そんな娘のことをいつも心配して、いつ帰ってきてもいいようにと、食卓の椅子は常に四つ並べていたそうだ。ジークは、特に何とも思っていなかっようだが、帰ってくるというなら、その時は両親ともども、温かく迎えてやろうと考えてはいた。
もっとも、とうの本人は、出ていって十年以上経っても、自分を羊農家の娘に生んだ家族を恨み、年月が経ち、現実に負けるごとに、その恨みは薄れるどころか、強まっていくばかりだった。
あげく、子どもたちをさらう目的でわざわざ帰ってきてみたら、私の実家のくせに、まだ羊農家を続けてやがるのか……
そんな、無茶苦茶で身勝手な逆恨みに余計に怒りだす始末。
こっそり帰ってきていた時点で、税金泥棒への復讐以上に、実家も家族もめちゃくちゃにしてやろう。そう、決めていたんだろう。
嘆き悲しみながらも、そんな事情を話してくれたジークの、苦し気な顔と声を思い出すと、誰もが心苦しくなった。しかも、そんな目に遭っていながら、魔法騎士を責めることを一切しなかったことが、余計に心を締めつけた。
事件は解決したものの、失ったものと、被害が大きすぎた。だから全く喜べない。
それも、彼ら彼女らから笑顔を奪っている理由ではある……
だが、一番の理由は、もっと単純な、もっと恐ろしいもののせいだ。
「……ヨースケさんは?」
誰よりも落ち込んで、震えるばかりだったリムが、まるでメンバーを代表する形で、その理由の名前を呼んだ。それには、メルダが答えた
「……お風呂に入って、そのまま寝室へ行ったわよ。疲れたから、眠るって――」
「……今日一番がんばっていたの、ヨースケさん、ですからね……」
「……それか、私たちと、顔を合わせづらくなったから、かしら……」
両腕を組みながら、壁にもたれかかっているリリアが、静かに、黄色の二人に補足した。
リムもメルダも、その言葉を否定したかった……それでも、できなかった。
顔も体も血に染めて。目の前の女を一方的に、なるべく痛くて、残酷な方法で、痛めつけ、ぶちのめし、追い詰め、そして、倒した。
そして、女を大人しくさせて、第1たちが連れていこうとした時、その第1たちに、笑顔でこう言っていた。
「もし、そのお姉さまが何もしゃべらなかったら、いつでも呼んでください。吐かせるから……」
その言葉と血まみれの笑顔に、ただでさえ脅えていた、精鋭部隊である第1の少女たち。全員が震え、顔を蒼白にしながら、女を連れていった。
もちろん、あの女のことがゆるせない気持ちは、ここにいるメンバー全員に共通していた。どんな目に遭おうと文句は言えないだけのことをしでかし、何なら、今すぐにでも殺してやりたいと、メンバー全員が思ってしまった。
葉介は、殺すよりよっぽど恐ろしくて残忍な手段を講じ、なおかつ、普段見せる冷静さと聡明さをそのままに、女から情報を聞き出そうとしていた。
メンバーたちのように、怒りに任せるでも、罰を与えるためでもない。
ただ仕事として。作業的に、平然と、淡々と……
ディックに治療をさせながらも、それだけのことをしてのけた葉介の姿が、全員の目に焼き付いて。頭から離れず、思い出すと、今でも震えずにはいられない。気分を悪くせずにはいられない……
「ヨースケ殿は、ワタシたちに教えて下さったのだ。ワタシたちが安易に求めた、力と技の危険性を……」
重く、陰鬱な空気となった部屋の中で、今度はファイが声を上げた。
「ワタシたちとて、やろうと思えば同じことができる。できるようになってしまう……それがどれほど危険なことか。彼はそれを、最も分かりやすい方法で教えて下さった。であるなら、ワタシたちはその言葉を胸に、彼の言う力の意味を学んでいけばいい」
「……よく、そこまで肯定的になれますね」
ファイを否定する声が聞こえたのは――ファイの隣から。ファイにとって、最も意外な人物が、否定の言葉を述べていた。
「確かに、分かりやすかった……強くなる恐ろしさも、身に染みた……しかし、教えるために、あそこまで残酷になる必要が、果たして、あったのですか?」
葉介が彼らに投げかけた言葉も、この場の誰もが覚えている。
誰もが強くなることの意味を考えさせられた。
安易に憧れていいものではないことを理解した。
安易な憧れの正体を見ることになった。そして、ソレはあまりに強烈すぎた。恐烈にすぎた。葉介の教えが霞むほど。
それを差し引いても、肯定などできないほどに……
「ファイには悪いですが……少なくともわたしは、今後、これまでと同じように、ヨースケ殿と対することは、できそうにない……」
メンバーの多くがまさに思っていることを……フェイが、代表して言う形となった。
「……そう言えば、ミラ様は?」
仮にもメンバーの一人として、この場に残ったサリアが、話題を変える意味でも問いかけてみた。そのことに関しては、ディックが声を漏らした。
「もう寝たか……もしかしたら、ヨースケさんの所へ……?」
「……いずれにせよ、ヨースケさんのことは、ミラ様にお任せしましょう」
ジンロンが何気ないふうに言った言葉に、全員の視線が集まった。
「皆さん、さっきから一方的なことばかり言っていますけど……ヨースケさん自身は、全然平気だったと思ってます?」
誰も、応えられなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
コンコン、と、ドアを叩いた。どうぞ、という声が、ドアの向こうから聞こえた。
ドアを開けた。中にいる人物の名前を呼んだ。
「ヨースケ……」
名前を呼ぶと、暗い部屋の中。その隅に置かれたベッドの上。そこに、窓からの星明りが葉介のシルエットを浮かべているのが見えた。
「おお、ミラ。どうかした?」
顔は暗くてよく見えないが、声の調子はいつもと変わらない。
そんな葉介に近づき、ベッドに座り、向かい合った。
「ヨースケ……大丈夫?」
「なにが? 俺はいつもと変わらんけども?」
「……無理、しなくていい」
そう言うなり、葉介の手を探り当て、握りしめる。
優しく……それでも、確かに感じた。
「あの女に攻撃してる時も。し終わった後も。お風呂上がりも。寝るって言って出ていった時も……震えてるの、分かってた」
「……敵わんな。ミラには……」
両手を握られて、その震えを見透かされ……それが分かった途端、ミラの声を聞いた後で、必死に抑えていた体が、再び震えだしてしまった。
「あーあ……せっかく、みんなの前ではガマンしとったのに……」
「今は、わたし一人しかいない」
「…………」
優しい言葉を受けつつも……その顔を見ることは、できなかった。
「情けないねぇ……デスニマと戦うことに比べりゃ、はるかに楽なことだというのに、人間相手に、ちょっと本気出したらこれだ。こんな弱っちいオヤジが、ミラ様の弟子だというのだから。笑える話だね」
「そんなことない……わたしだって、同じことしたら、こうなってたから」
葉介の自嘲も自虐も、全てを聞き入れて。受け入れて。葉介の手を握りしめながら、言葉を送ることを続ける。
「ヨースケは、必要なことをした。それだけ。ヨースケが責められること、ない……」
「必要以上、の間違いじゃない?」
ミラは、首を左右に振った。
「確かに、残酷で、見てて怖かった。けど、もしヨースケがああしなかったら、他の子たちがやってた」
あの時、ミラが一人感じていたことを、ヨースケに語り掛けた。
「あの女のこと、あの場にいた全員、怒ってた。全員、今すぐ殺してやりたいって、思ってた。だから、あの女が呼んだ、燃える鳥が倒された時、全員で飛びかかろうとしてた……もし、ヨースケが止めてなかったら、全員で寄ってたかって、あの女に攻撃してた。そのまま、あの女を殺してたかもしれない……あそこまでひどい人間は、魔法騎士にとっても、珍しいから……」
「……俺だって、同じだよ」
葉介は、ミラの言葉に対して、自分のあの時の考えを語る。
「俺の実家でも、ひどくて最悪な人間はいっぱいいた。そういうバカの話も散々聞いてきた。あの女は、少なくとも俺が見た中でも、最悪の部類だった……だから、痛い目に遭わせたかっただけ。それと一緒に、ディックやジンロンに、強くなることと、人を倒すことの違い、教えたかった。で、聞くべきことは聞き出さなきゃとも思って、普通に聞いたって話すわけがないと思ったから、ああした……」
と、葉介としては、いくつものやりたいことを一度にするために取った行動だったが……
生まれて初めて、指を折った時の感触。耳を削いだ感覚。抉った目玉の手触り。砕いた前歯の硬さ。噛みちぎった時の血と肉のニオイ、味……
実家でもする機会が無かった。むしろ、機会なんか一生欲しくなかった。それでも、やることになった、グロ注意の数々……
今思い返してみても、なぜアソコまでする必要があったのかと、疑問に感じてしまう。
痛めつけるにしても、拷問にしても、彼らに教えるにしても……やりようは他に、いくらでもあったのに。少なくとも、あの場では、ああする以外に思いつかなかった。
やった時は、余計な躊躇をしてしまわないうちに、とにかく実行した。途中でヤベェと思ったらディックを呼んで、治療させて、相手が何もできなくなるまでひたすら続けて。
やった時の気持ち悪い感触は、今でも体に残っている。血や皮や肉は風呂で洗い流せても、体はハッキリ覚えている。
やってしまった自分自身さえ、恐ろしくて、震えが止まらない……
「必要なことだと思って、必要以上のことしでかして、で、やった後は怖くて震えて……こんな弱っちいジジィが魔法騎士っていうのも、どうよ、実際……?」
必要以上に犯人を痛めつけ、やった後には後悔している。
葉介の実家の警察なら、余裕で懲戒解雇だろう。そもそも、実家には魔法なんか無いし、犯人は間違いなく死んでいる。懲戒どころか、もはや殺人罪か傷害致死罪で逮捕。生きていたとしても、普通に傷害罪だかで逮捕に違いない。
と、また実家にまで思考が脱線してしまったので、話を仕事に戻すことにした。
「暴力だけじゃないよ……今回の仕事だって、あの女を見つけ出すために、俺はなにができた?」
ここが魔法の世界だということさえ無視して思いついたことと言ったら、考えられる限りに、常識的かつ、無難な推理。それを元に捜査する以外になく、せっかく集まってくれたメンバー全員、まる一日かけて無駄足と徒労を強いてしまって。
そこまでして真相にたどり着いた瞬間は、ミラと同時か、ミラよりも遅れていた。
「魔法の一つも使えない。デスニマは子供しか倒せない。だから代わりに考えようと思ったら、考えたことの全部、的外れ……」
何もかも、関長として必要な能力に欠けている、そんなミラを、部下として支えるために、今日までやってきた。そして今日が、理由や経緯はどうあれ、葉介にとって……多分、ミラにとっても初めての、第5関隊の直々の任務だったろうに。
そんな大事な任務で葉介ができたことと言ったら、ただ、何もかもをしでかした後の女を捕まえて、ボコボコの血祭りに上げたこと。それだけじゃないか。
「どうよ? ぶっちゃけ。こんな役立たずのおっさんが、魔法騎士て……」
つくづく、体力と口笛だけしか取り柄のない自分がイヤになった。メンバーにも、ミラにも、合わせる顔なんか無かった……
「……正直、魔法騎士としては、向いてないと思う」
愚痴と本音をひとしきり話した葉介に、ミラは、ハッキリとそう言った。そんな人間は、魔法騎士にふさわしくない、と……
「でも……わたしの弟子としては、有能」
そして今度は、葉介のことを肯定した。
「わたしには、ヨースケが聞かせてくれた考え、思いつかなかった……思いついたとしても、それを、メンバーにどう指示したらいいか、分からなかった……ヨースケは、全部分かってた。だから、みんな動けてた……今のわたしには、できないこと……」
いつか、関長として、しなきゃならない日は必ず来るだろう。それでも、関長である今現在、それをすることができない。それができる葉介の姿が、ミラには頼もしかった。
「魔法の麻袋に隠れてること、気づいたのも、ヨースケがくれた、メモのおかげ……あれ読んで、必死に考えて、魔法の麻袋が、あの家にもあったこと、思い出したおかげ……ヨースケがいなかったら、わたしは、気づかなかった……それに――」
それに、犯人の女にしたことだって、ミラにはよく分かっている。
「好きであんなことしたんじゃない。そのくらい、分かってる……確かに、やり過ぎだったかもしれない。けど、わたしの弟子が、必要だと思ったから、そうしてただけ。なら、弟子のしたことは、師匠の判断……だから、よくやったって、言う……」
そう言った後で、握っている手から両手を放して――葉介の身を、抱きしめた。
「ご褒美と、お礼のハグ……ヨースケ、よくやった……おつかれさま、ヨースケ。おつかれさま……」
するんかい……ハグに対して、いつも思うことも言うことも、葉介はしなかった。
(ああ……落ち着くな。ミラにこうされると……)
ちょっと前なら、すぐに実家と照らし合わせて、これで俺はウン度逮捕されてるだろう? そんな下らないことを考えていた。
だが、仕事で体は疲れ果て。拷問のせいで精神的にも参ってしまって。己の無能さに心は沈んで。
そんなしょぼくれたジジィの身を抱きしめてくれている、小さな少女の優しさと温かさが、震えも止められずにいた三十路の心に沁みて……
「……今日はこのまま、一緒に寝てもらっていいかな?」
「ん……一緒に寝よう」
この世界に来て初めての、葉介からの、添い寝のお誘いだった。
すでに、やってしまった失敗も、犯してしまった行動も、取り消すことは、魔法を使ってもできやしない。
だからせめて、やった後の自分を包んでくれる温かさに、今だけは癒されていたい。
それを望んだ弟子と、受け入れた師匠はそのまま横になって、お互いの温かさを感じ合いながら、同時に寝息を立て始めた……
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
開けていた窓からの陽光と、そこから来る自然の香りが、起きた時にまず感じた。
あまり意識していなかったが、どうやら、窓の向きはちょうど東側だったようで、海の向こうから昇ったばかりの朝陽が、灯りのない部屋を煌々と照らしてくれている。
それでも眠っていたいのは、今もまだ隣で寝息を立てている、強くも健気な少女からの温かさと、随分と久しぶりに感じた、柔らかなベッドの感触のおかげだ。
とは言え、第5関隊の一人として、ココでこうしているわけにもいかない。
そう感じて……感じつつ、ミラはもう少し寝かせてもいいかと考えて、ゆっくりと、ベッドから立ち上がった。
持参した魔法の革袋から酒瓶を取り出して、中身の水で顔を洗って口をゆすぐ。仕方のないことだが、こんな時だけ、実家にあった水道と、小屋の前にあった川の水のありがたみが感じられる。
せめて、おトイレが汲み取り式のボットン便所で、ふき取りは紙なことだけは、葉介にとっては本当に幸いだ。
(インドだっけ? のフィンガーウォシュレットなら、まだ――ギリギリまだ、何とかイケる……エジプトの砂だったら、死ねる……)
「おい」
顔を洗ってさっぱり目の覚めた葉介に、若い声が掛けられた。
「あれ……アラタ様?」
「アバタだ――いや、アラタだ! あと、様はいらねーよ、気持ち悪りぃ。敬語もやめろ」
昨日も言われたものの、二度と会うことはないと思っていたから忘れていた。
「アラタ……もうとっくに出発したもんだと思ってたけど?」
彼自身を含む子どもたち全員、本来なら、今日の朝、住人たちに見送られながら、リユンの港まで旅立つはずだった。
それが、昨夜の襲撃と事件を受けて、子どもたちを十分休ませた後で、陽が昇るよりも前に、襲撃には十分警戒したうえで、リユンまで送ることが決まっていた。
今ごろは、無事にリユンにまで送り届けて、迎えの船を、第1たちの警護付きで待っているころのはずだ。だからアラタも、他の子たちと一緒に、とっくにリユンにいるものだと思っていたのに。
「……どうせ、俺には帰るところなんかねぇ。だから白いねーちゃんたちに頼んで、残ることにした」
「……この国にも、行くとこなんか無かろう?」
家族はもちろん、身寄りも知り合いもいない。カリレスの住人たちには受け入れられているようだが、だからと言って、彼らがアラタの面倒を見る義理は無い。
15歳の子どもには残酷な事実を問いただしてみたら……アラタは、葉介の目の前まで迫ってきた。
「お前に頼みがある」
「なに?」
「俺を魔法騎士にしてくれ!」
「…………」
半ば想像していた言葉だが、それでも葉介は、呆気に取られた。
「魔法騎士にしてくれ! 俺を!」
声色はもちろん、わざわざ二回繰り返した辺り、生なかな決意ではないらしい。
「……一応、なにゆえ魔法騎士になりたいのか、聞いてもいい?」
多分、魔法騎士になること自体はできるだろう。年齢的にも問題はなさそうだし、外国から来た不法入国者ではあるが、そのことに実家ほど面倒な仕打ちはこの国には無い。ミラやレイの話を聞いた限り、年齢以外の資格も無さそうだし。
動機も、大方の想像はできる。それでも、本人の口から聞いておかなければと思った。
「昨日……俺は、あの女から、チビたちを守ることができなかった。にーちゃんの俺が守らなきゃいけなかったのに、俺は攻撃を一発喰らっただけで、動けなくなっちまった」
もろに【マヒ】を喰らった以上、動けなくなるのも仕方がない。まして、相手は弱いと言っても大人。アラタはロクに魔法が使えない子どもだ。
だが、本人からしたら、それは負けていい理由にはならない。
「俺が弱っちかったばっかりに、チビたちにまた、怖えぇ思いさせちまった。ジークんところの、とーちゃんとかーちゃんも助けられなかった。俺だって、ミラが助けに来なきゃ死んじまってた。それでもし、チビたちまで殺されてたら――」
たとえ、笑顔を失ったとしても、一生笑えなくなったとしても、それでも全員、生きててくれた。
まあ、お姉さまからしたら、御家族とは異なり子どもたちは最初から生け捕りが目的であられたろうが、それは、アラタはもちろん、魔法騎士にだって分からなかったことだ。
生きててくれたからこそ、ジークの両親のように、死んでしまった可能性が恐ろしい。
「もう、弱っちいせいで、大事なヤツ守れねえなんてイヤだ! 強くなりてぇ! 強くなって、悪党が来てもぶっ倒してぇ! そんで、誰もかれも、守れるようになりてぇ!!」
「強くなったくらいで、守れるとは限らんだろうよ」
幼い決意の言葉に、年長者である葉介は、あくまで現実を突きつけた。
「昨日見とったよね? 俺より強いヤツが大勢いたにも関わらず、不意打ち喰らったとは言え、捕まったご両親を助けることは叶わなかった……できたことと言ったら、仕返しとしてもやり過ぎな拷問くらいだよ」
昨夜の葉介のやり過ぎは、アラタも目の前でハッキリ見ている。実際、思い出して唇を震わせている、幼いアラタはもちろん、普通の人間でさえ、人生で見る機会なんかない……あっちゃいけない『やり過ぎ』だった。
それも全て、目の前にいながら護ることができなかった。そんな失敗の結果から来たものだ。
「それでも――」
そんな、守る、という行為の現実を突きつけられても、アラタの気持ちは変わらない。
「それでも、守りたかったら、結局強くなきゃ無理じゃねーか。強くなんなきゃ、守りたいもの守ること、一生できねーじゃねーか!?」
(へぇ……分かってるな、この子)
曇りのない目で叫んでくるアラタの言葉に、葉介は感心させられた。
強くなるということは、残酷になれること。
技は凶器。力は危険物。
昨夜の葉介はそれを実践し、やみ雲に強さを求めるメンバーに、こうなりたいのかと問いかけた。
では、それが恐ろしいから、弱いままでいいのかと問い返されたら……
答えは否だ。弱い人間も弱いままに生きられる。それが理想には違いないが、世界はそんなに優しくできていない。危険な目に、理不尽な目に遭って、他にどうしようもない状況に陥った時、最後に物を言うのは、戦う力だ。
戦うという選択肢が取れない弱者は、ただ死ぬしかない。自分も。自分と一緒の誰かも。
戦うには、力がいる。生き残りたければ――守りたければ、強くなるしか方法は、無い。それをしてきたから、葉介自身、生きている。
……まあ、割かし優しい世界に生まれ育った葉介の場合、鍛えてきたのは単純に、健康とダイエットと体力作りとダイエットやダイエットにダイエットが主な目的なのだが。
「だから頼むよ! 俺を仲間に入れてくれよ! そんで、俺のこと、強くしてくれよ! ヨースケの知ってること、俺にも教えてくれよ!!」
「……俺やミラのいる、第5に入りたいってこと?」
聞き返すと、大きく頷いた。
まあ、部外者どころか、そもそも外国から来たアラタが、魔法騎士団の五つの隊がどんな役割を持つかなど知るよしも無いだろうが。それでもよりによって、第5とは――
「ん……分かった」
そもそも、入って一ヵ月の、下っ端中の下っ端に、そんなことを決める権限があるわけもなし。そう思っていた葉介の耳に、その権限を持った人物の声が聞こえた。
「ミラ……起きたの?」
「ん……起こしてくれても、よかったのに……」
寝起きながら、少々ムッとしている。起きた時に葉介がいなかったのが不満だったらしい。
「……第5に入りたいなら、許す」
「本当か? ミラ!」
「構わない……アラタなら多分、やっていける。わたしが許す」
「おいおい――」
実際、アラタに第5に必要なだけの体力があるのは、昨日一日一緒に行動したミラも、図らずも戦うことになった葉介も知ってはいるが――
「気になってたんやけど、そんな簡単に魔法騎士って、なれるもんなん?」
葉介自身が誘われた時と言い、常時募集中であり、年齢以外の制限は特に無いことも知ってはいる。だが普通は、何かしらのテストだとか試験だとか、そういうものが必要ではないのだろうか?
そんな疑問を発する弟子に、師匠は平然と答えた。
「お城で働く人たちは、それなりに経歴とか、身分とか、能力は要求される。でも、魔法騎士団は別。若くて、戦えるだけの魔法さえ使えるなら、それ以上は要求しない。勧誘は、関長だったら自由にしてもいい」
「分かっちゃいたけど、ガバガバやね……」
「でも……ん……確かに、ちょっとは、試してみた方が、いい」
「なにをためすんだよ?」
その単語を聞き取ったアラタは、そう聞き返した。どんな試練でも、キツイ条件でも、必ず成し遂げる。誰でもなれる魔法騎士になるための覚悟が、その顔には宿っている。
「することは簡単……今からわたしと、ヨースケと一緒に、走ってもらう」
「走る……走る?」
身構えていたのが、その言葉で力が抜けたようだった。
「魔法は禁止……わたしとヨースケ、二人の足についてこられたら、第5に入れる」
「それが、ためしかよ?」
「できなかったら、第5には入れられない。他の隊に入ってもらう……」
「アラタの場合、他はもっと厳しいろうね……」
あまり長い交流でもないが、アラタの魔法の事情に関しては葉介も聞かされた。
親きょうだいは一人も無く、マトモに魔法を教わることができず、この歳になって使えるのは、たまたま呪文を知ることができた、【身体強化】の一つだけ。他は、【治癒】や【水操作】といった必須魔法はもちろん、必須以前の【筆記】さえ使うことができない。
葉介にしてもそれは同じだが、そんなものは必要が無い第5でやっていけるだけの体力に恵まれて、字に関しても、たまたま葉介でも覚えられたからできただけのことだ。
アラタを仲間に入れるとなれば、それさえ一から教えていくことになる。そんなこと、引き受けてくれる関長や一般騎士など、書類仕事が主な第4や、【治癒】を極めなければならない第3にいるだろうか……
「俺と一緒で、多分、魔法騎士になるには第5でなきゃ無理だろうよ。そのために、俺らの足についてこられるか?」
「やってやるよ!!」
考えることもせず、即答だった。
「……ミラ、アナタはここにいな。第5が二人とも留守にしてちゃ、他の子たちが起きてきた時、混乱させる」
「あ……ん、分かった」
「どっち道、俺についてこれんようじゃ、俺より速いミラはもっと無理だろうよ」
師弟で会話した後は、アラタの肩をつかんで、走るのにちょうどいい道まで歩いた。そこで、適当な場所に立って、スタート位置とした。
「そんじゃあ、とりあえず、適当な距離走ったら、またここに引き返すってことで――」
「追い抜いちまってもいいのか?」
「ああ、いいよ。ぶっちゃけ、俺だって実はそんなに速い方でもないし。寝起きだし……」
会話しながら、両手足を伸ばしてストレッチ。アラタもマネしているが、ただ形をマネしているだけで、意味も意義も分からずやっている。
そんな動きの意味以上に、思っているのは別のこと……
(ついていけだぁ? 追い抜いてやらぁ……!)
それを横目に、ストレッチを終えた後は、同時に前を向いて、よーい、ドン――
(そんなに速くないだぁ? どの口が言ってやがるッ、ちくしょう――)
スタートして七分弱。最初の方こそ、速くはあるが、余裕でついていけるだけの速さだった。それでも、少し意識しておかないと、すぐに置いていかれそうな速度だった。だから、意識さえしていれば、余裕でついていける。そう思っていた。
そんな考えが通じたのも、走って五分が経過した辺りまで。意識しながら走っているうち、足は悲鳴を上げ、息は上がって、胸が苦しくなっている。そこから更に二分間、歯を食いしばって、両手を振りながら、どうにか食らいついている。
ついていくどころか追い抜いてやる……その意気込みも今となっては忘れ、とにかく、置いていかれないよう食らいつくのが精いっぱい。
背中越しでも分かる。汗こそ普通に掻いているようで、葉介はまだまだ余裕で走っている。スタートした時から変わらないペース、安定したフォーム、足の運び。そして、そんな走るための技術はもちろん、基礎体力の差がそもそも違う。
アラタ自身、誘拐される以前から、体力だけは自信があった。おかげで生きてこられたし、このカリレスでも、ロクに魔法が使えないなりに働くことができていた。
そんな自信が、物の見事に打ち砕かれた。自信と一緒に、両足も今にも崩れそうだ。
コイツがこんなに速いっていうなら、ミラは一体、どれだけ速いっていうんだ――
(イヤだ……俺は絶対……魔法騎士に……もう誰も、あんな顔させないように――)
「うわ――ッ!!」
追いかけ続けていた男の背中が、突然静止した。追い抜くことはできたが、これは追いついたわけじゃない……
「おい、なんだよッ! ……なんでッ、止まったんだよ? ハァ――疲れたのか?」
今にも置いてかれそうになっていた。だから必死に食らいついた。
だからこそ、突然止まったことがゆるせなかった。
「……変じゃね?」
「変? 何がだよ……?」
「静かすぎる……ここまで走ってくるまで、人の姿見た?」
「……は?」
突然言われた質問に、聞き返しつつ首を横に振る。
こっちは、追いかけるのに精いっぱいで、とても周りを見る余裕なんてなかったのに、この男は、周りを気にしながら走っていたのか……?
「戻るよ」
そう言うと、葉介はさっきと同じペースで走り出し、アラタもそれについていった。
葉介とアラタが走っているころ……最初にその異変に気づいたのは、リムだった。
リムは、葉介やミラよりはるか前に目を覚ましていて、両親の手伝いに朝の畑へ向かっていた。そこで獲れた、新鮮な野菜を使っての、美味しい朝食を振舞おうと、一家そろって考えていた。
農家の多くは朝が早い。野菜農家なら、野菜が傷まないよう朝露や雑草等を管理しなければならないし、育った野菜や果物の収穫も、多くはこの時間に行われる。
畜産農家も、家畜にもよるが、餌やりや家畜小屋の清掃、健康管理。生き物だけに、やるべき仕事は朝から晩まで数多い。
だから、リムの家に限らず、カリレスに住む多くの農家たちは、今ごろはとっくの昔に目を覚まし、仕事を始めていてもいいはずの時間だった。リムの家族も、他の家より際立って朝起きる時間が早いわけでもなし。もっと早い家はいくらでもある。
なのに、久々に家族三人、畑まで歩いていく時も。畑で作業している時も。畑から野菜を両手に帰っていく時も。誰にもすれ違うことなく、日常的に聞いてきた人の声や、家畜の鳴き声さえ、ほとんど聞こえてこなかった。
そのことが気になったリムが辺りを見回ったところ、全てではないものの、多くの家から人の気配が消えていた。
それをミラに報告し、ミラがメンバー全員を起こしたタイミングで、葉介とアラタもちょうど走って戻ってきた。
「ミラ――村の様子がおかしい」
「ん……分かってる」
大きすぎる犠牲を出しながら、羊泥棒は逮捕した。
アラタを除く子どもたちは、無事に故郷へ送り届けた。
なのに、事件は終わっていない――
すでに、事件は始まっていた。
第Ⅳ章 完




