第11話 弟子の教え
グロ注意回。
(大丈夫かしら、ヨースケ……)
(ヨースケさん……)
夜に包まれた緑の道を、赤色を先頭とした四色の若者が走っていく。
一部の事情を知る者たちは、後ろに置いていかざるを得なかった黒色のことを心配しつつ……それでもすぐに前を向き、目的の場所まで急いだ。
(ヨースケ……ごめん)
「こんばんわー」
牧場に着くと、住まいの家はまだ明かりが光っていた。代表して、リムが玄関の戸を叩くと、男の声がして、一分もしないうちに戸が開かれた。
「ああ……どうしました? 皆さん?」
「すみません、こんな時間に……どうしても、気になったことがありまして」
リムがジークに説明した後すぐ、ミラが前に出た。
「この家の中にある、魔法の麻袋全部、ここに持ってきてほしい」
突然のおかしな申し出に、ジークも首を傾げつつ、家の中へ入っていった。
(彼はなにも知らない……)
そんな彼の様子と、奥からの夫婦の談笑以外は何も聞こえてこない、変わらず静かな家の様子。どうやらアテが外れたらしい……無表情ながら、そう息を吐いた。
その直後――
「うわあああああああああああ!!」
「ひぃいいいいいいいいいいい!!」
「いゃあああああああああああ!!」
三人分の悲鳴。物が壊れる音。ミラはもちろん、全員が急いで中に入っていった。
「ジークさん……!」
「オゥラアアアアアアアア!!」
リムが声を掛けたところに、悲鳴を上げた三人の誰とも違う、中年女の甲高い声。椅子やらテーブルが次々に投げつけられて、騎士たちはすぐさま【結界】を発動。
そのすぐ後、今度はビンがいくつも飛んできた。それが【結界】にぶつかり割れて、中身が辺りに散らばった。
「……魔法の油? 全員逃げて!!」
ミラが大声を上げた直後――
ガァアアアアアアン――ッ!!
牧場主たちの住まいの天井に、巨大な火柱が上った。
かと思った次の瞬間、一瞬で燃え広がった炎は羊小屋まで届いて、小屋の壁を、天井を、そして、ドアまで燃やしてしまい、中で生きていた羊たちが一斉に外へ飛び出した。
「ホーリーシーップ……」
シップは羊でなく船である。
(まずい……あんな大量の羊が一度に逃げだしたりしたら……)
馬や牛に比べれば小さいとは言え、羊もそれなりの大きさと、それなりの力を持っている。おまけに、植物と見ると何でも食べる。機動力は……葉介には分からない。
そんな羊たちがおおよそ40匹、一斉にカリレスに逃げ出せばどうなるか?
人や家屋はもちろん、カリレス中で育てられている農作物――
いずれにせよ、被害は計り知れない。
「クソ……!」
先にここへ来たはずのミラたちがどうなったかは知れないが、今はまず、あの羊たちをどうにかしなければ。
魔法も使えない葉介に、何ができるわけもないのだが、今は自分一人しかいない。
「ダリダリダリダリ――」
考える時間も残っていない。ただ、夢中で走ってくる羊に向かって走っていた――
「――ッ!」「――ッ!」「――ッ!」「――ッ!」
葉介には聞き取れない、だが、確かに複数人分の声が聞こえた。
直後、走る羊たちの目の前に、巨大な閃く鞭が通り過ぎ、行く手を阻んだ。
かと思ったら、足もとの地面が沈んでいき、葉介は急いで下がるも、羊たちは地面と共に沈んでいき、やがて、巨大な穴ぼこの中で動けなくなった。
その直後には、燃え上がる家と小屋の真上に、大粒の雨と、氷の塊が落ちて……
一分後には、炎を消火してしまった。
「ヨースケ!」
「ミラ……!」
巨大な【閃鞭】が消えて、沈んだ地面の外側を走って家まで急ぐ。
到着するなり、ミラがひどく慌てた様子で葉介に抱きついた。
「ヨースケ……正しかった、わたしとヨースケの考え、正しかった――もう一人いた、魔法の麻袋に、もう一人いて、家が燃やされて、それで――」
「落ち着け、ミラ! 関長がそんな姿見せるな……!!」
静かな、しかし狼狽しきった口調をまくしたてるミラを制して、他のメンバーへ目を向ける。
全員、服は多少燃えているようだが、大きなケガをしている様子はない。一人、彼らの前に倒れているジークには、ディックが治療を行っている……
「邪魔すんじゃねぇえええぞおおおおおおお!!?」
メンバーとジークの無事を確認した直後。
女性の……甲高くドスの聞いた、女性のくせに女性らしさが欠片も無い、中年女性の声が轟いた。
その女は、魔法の麻袋を両手にこちらを睨みつけている。夜の下でも分かるほど、カッと見開かれ血走ったその目からは、見ている者全てに対する怒りがギラギラと燃えていた。
「こんのぉ……税金泥棒のくせに……魔法騎士の分際で……この私によくも、邪魔ばっかしやがってよぉ……!!?」
分かりやすくイラついているせいか、セリフの文法がまるで成っていない。
そんな女に向かって、葉介が前に出る。
「おたくが、羊泥棒?」
「ああん!? 泥棒!? このアタシが泥棒!!? ふざけんな!!!」
叫び、杖を振るって、【光弾】を飛ばす。葉介は難なくかわし、後ろのミラが【結界】でかき消した。
「アタシはこの牧場の娘だよ!! そこで寝転がってるジークの姉貴だ!! アタシがアタシの家のもんをどんだけ持ち出そうが、このアタシの勝手だろうがよぉ!!?」
「自分ん家だろうが、ご家族が知らなきゃそれは泥棒なんだよ……まして、羊を十匹も無断で盗んだりしたら、泥棒以外の何者でもないっつーの」
葉介は淡々と、正論を返す。それに対して、中年女は余計に興奮した。
「うるせええええええええ!! 税金泥棒どもが!! このアタシに向かって!! エラそうに説教垂れてんじゃねえぞおおおおおおおお!!!」
そう叫ぶと、両手に持つうちの、右手に持っている麻袋を広げた。
「テメェら全員! 今すぐ死んじまえよ! クソッタレどもがああああああ!!」
直後、麻袋から、巨大な何かが雪崩れ出てきた。
ドス黒く濁った体毛、異様に伸びて曲がった角、女以上に血走った目――
「デスニマ……!!」
「デスシープか……!」
女の言葉を実行するかのごとく、魔法騎士たちに向かって走っていく、計九匹の黒い影。
「ダリダリダリダリ――」
それに対し、葉介は先ほど使わなかったソレを、上着の下の革袋から取り出して――
「ダリッ!!」
いつもの発声と共に、取り出したものを振る。いつかの森の時とは、形も、大きさも、長さも、材質も、作りも……木こり用の斧とは比べるべくもない、はるかに実戦的な銀色に輝く刃物――戦斧。
切れ味や威力さえもけた違いな斧を喰らった、四匹の羊が、首か体のどこかしらを刻まれて、地面に転がった。
「せ、戦闘準備……! ディックはケガ人守って!」
ミラが慌てて声を上げた。葉介の攻撃で減りはしたものの、まだ五匹残っている。実際、葉介を通り過ぎて、こちらへ向かってくる羊たちもいる――
「おぉおおおおらあああああああ!!」
号令をかけた直後、また女の甲高い声が響いた。見ると、女はすでに箒に乗り込んで、上から羊たちが沈んでいる穴に向かって、何かを投げた。
「なにをした……?」
気づいた時には、投げた何かは羊の群れのど真ん中へと落下して……
ガラスが割れる音が響いた瞬間、そこにたたずむ羊の全て、体毛がドス黒く、角が異形に、目は真っ赤に、変化していく。
「なに? 一体なにをしたの!?」
「今のは……」
全員が呆気に取られ、驚愕の中にいる中で……生きた状態でデスニマに変貌した羊たちは、鋭く伸びた蹄を使って、登れなかったはずの穴を登り、葉介たちへ走ってきた。
「ぎゃははははは!! 死ね!! 死ね!! 税金泥棒の魔法騎士ども!! お前らがガキども助けたせいで、アタシの家が無くなったんだ!! 責任取って全員死ねええええ!!?」
「ダリッ!!」
甲高い声を聞き取りつつ、目の前に来た羊へ斧を振るう。斧は、先ほどと大差ないサイズの羊の首に、食い込んだ。
(硬ってぇ!? 子供や死んで時間が経ったのと違って、たった今まで生きてたからか……!)
「ダリッダリッダリッ――」
ただ首を狙っても断ち切れない――すぐに判断し、食い込んだ斧に蹴りを入れる。三発、四発目でようやく首が落ちた。
(こんなのが、40匹……!)
そう思った直後には、周りをデスシープに囲まれて――
「――ッ!」
「――ッ!」
直後、後ろではなく、上から【光弾】が降り注ぎ、葉介を囲んでいた羊たちが倒れ伏す。上を見ると、箒に乗った第1関隊が五人。騒ぎを聞きつけてここに集結したらしい。
「ミラ! ここは良い! さっきの女追いかけろ!!」
上から来た増援の姿に、葉介がすぐさま声を上げた。
「さっきの女の言葉聞いたやろ! 狙いは、アラタと攫われた子どもら! ここに人数割いたら、子どもらが危ない――リリア! サリア様と箒の皆さん三人連れて、ミラと一緒に女を追いかけろ! 俺と残った魔法騎士で、この羊ども片づける――ッ! できるわな? 皆さん!?」
向かってくるデスシープたちを蹴散らしつつ、叫ぶ葉介の声に、第1のリリアとサリア、ミラを除いたメンバー全員、力強い返事を返した。
表情に迷いを浮かべていたミラも、最終的には同意して……リリア、サリア、箒に乗った第1ら五人の中から三人、計五人の第1を率いて、女の飛んでいった方向――誘拐されたアラタら子どもたちを保護している、屋敷の方へ向かった。
「ファイ、フェイ、ジンロン! 俺と一緒に戦闘! 動いてるデスニマ全部蹴散らせ!」
「ハッ!」「……ハッ!」「…………」
「リム! メルダ! ――名前知らんけど箒に乗ったお二人さん! 牧場から逃げる羊がいたら妨害、で、倒せ! ディックは治療が済み次第リムとメルダを手伝え!」
「は、はい……!」「分かったわ!」
「あぁ……はい!」「了解!」
「あぅ、はいぃ……!」
的確に、魔法騎士たちへそれぞれ指示を出し、全員が即座に従い、動く。
「ダリダリダリダリ――ダリッ!!」
葉介が、戦斧を振るう。首は硬くて簡単には落ちないので、細目な足元を狙い、断ち切っていく。それで動けなくなったところを狙い、従来以上に力を込めて、首を落とす。
ファイ、フェイが、決闘会でも見せた、息の合った動きで【閃鞭】を振るう。二人のコンビネーションにスキは無く、向かっていったデスシープの全て、倒されていった。
ジンロンが巨大な【閃鞭】を振るう。ただ目の前で振り回すだけで、ぶつかった羊は例外なくぶっ飛ばされて、振り下ろせばつぶされた。
群れから外れた羊がいれば、牧場の周囲に回り込んでいた、リムの【土操作】、メルダの【氷結】、上から箒に乗った二人の攻撃で蹴散らしていく。そこに、ジークの治療を終えたディックも加わり、メルダと共に羊を凍らせて……
やがて、戦闘開始から三分も経ったころには、デスシープは全滅した。
「……よし! 俺らも行くぞ! 第1のお二方、アラタ様のもとへ案内して下さい!!」
狩り残しがいないことを確信し、戦斧をしまいつつ、第1の二人へ号令。
空中で頷いた二人とも、すぐに箒を方向転換。葉介も走り出しつつ、先ほどと同じ、魔法を使えない自分を置いていくよう指示を出そうと――
ガァアアアン――ッ!!
「遅かった、ちくしょう……ッ!!」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その夜もいつも通り、アラタは自分以外、全員が年下の子どもたち、21人の相手をして、寝かしつけていた。
誘拐された子どもたちのために提供された、この屋敷にいる子どもたちの全員、この国に来た時にはお互いに顔も名前も知らない者同士。攫われた国が同じなだけで、住む場所も全く違う場所から集められてきたらしい。
そんな、国が違うのはもちろん、当然親もおらず、知っている人間は一人もいない。
そんな子どもたち全員を慰め、世話をして、見事にまとめ上げたのが、連れてこられた子どもたちの中で、最年長のアラタだった。
時間が空いた第1の魔法騎士たちや、子ども好きの老人たちも世話を焼いてくれようとはしたものの、大人なせいか、中々心を開いてくれようとしない。
そんな子どもたちの一人でありながら、アラタは一人一人、全員に声を掛けていき、その閉ざした心を開き、全員を笑顔にしていった。
おかげで、二週間前には全員が、涙すら流せなくなるほど絶望していたのに、今では第1の魔法騎士らやカリレスの老人、子どもたちと笑顔で遊び回るほど元気を取り戻した。
そんなアラタだから、子どもたちからは慕われて、頼りにされていた。アラタ自身、にーちゃんとして、コイツらを守らなきゃ。そんな指名感から、カリレスでの農作業を手伝う傍ら、子どもたちの世話役を買って出た。
おかげで、仕事の疲れで夜眠くなっても、全員が寝付くまで眠れないのが辛くはあったものの……
しばらく眠れないほど脅え、震え、落ち込むばかりだった子どもたちが元気を取り戻し、グッスリ眠れるようになってくれたことが嬉しかった。
今夜も同じように、一緒に遊ぼうと甘えてくる子どもたち全員を、どうにかベッドに寝かしつけた。
大変だと思いつつ、それも、今夜が最後なことを知っている。
羊泥棒の調査を終えて、ここに帰ってきた時、屋敷まで送ってくれた、白い服を着た魔法騎士のねーちゃん――サリアに言われた。明日の朝、迎えの船が来てくれる。全員、明日の朝に帰れるんだと。
子どもたちは全員、それを聞いて喜んでいたが……アラタは、何とも言えない気持ちだった。
実を言うと、アラタに帰る家は無い。帰りを待ってくれる家族もいない。
物心ついたころから、そのどちらも持っていなくて、路頭をさまよい、盗みとゴミ漁りで食いつないでいたところを、アイツらに捕まって、誘拐されて連れてこられたのがココだった。
この国には、故郷には無かった優しさを感じた。仕事がしたいと言ったら、快く迎え入れてくれた。一つしか知らない魔法も、この国でなら、きっとたくさん学ぶことができる。
だから、帰りたいとは思わなかった。できることなら、この国に、カリレスにずっと残りたい。そう、本音では思っているのだが……
「すぅ……アラタ……」
「アラタにーちゃん……」
寝静まった子どもたちの、そんな寝言が聞こえて思う。
今のコイツらには、俺しかいない。家に帰れば家族がいるかもしれないが、それまでは、俺が守ってやらないと。
家に帰るまでが遠足……そんな言葉はこの世界には無いし、あったとしても、アラタが知るわけもない。それでもコイツらが全員、家に帰るその瞬間までそばにいてやりたい。安心させてやりたい。
その後で、行くところがなく、今までと同じ生活が待っているんだとしても……
それだけで、帰る場所のない故郷へ返る理由としては、十分だ。
(そうと決まったら、俺も寝るか……)
明日の朝に出発し、港に来た船に乗る……
そんな話を思い出しながら、アラタもベッドに潜って、重くなった目を閉じて、まどろみの中に身を委ねる……
(……なんだ? ガアアアン、て――)
今にも眠りそうになったタイミングだった。かなり遠くから、なにかが爆発したような音が聞こえた。
アラタでなければ聞こえやしなかったろう、そんな不自然に過ぎる音を聞き、目が覚めてしまったアラタは、子どもたちを起こさないよう部屋を出て、階段を降り、屋敷の外へ。
(え、煙? え……なんだ? 箒の音? こっちに、近づいて――)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ガァアアアン――ッ!!
突然、屋敷中に、巨大な崩壊音、崩落音が一度に鳴り響いた。
「わああああああああああ!!」「わああああああああああ!!」
「あああああああああああ!!」「わああああああああああ!!」
直後、子どもたちの悲鳴が聞こえた。
衝撃でふっ飛ばされたアラタは、急いで悲鳴の方へ走った。
「逃げてんじゃねえぞ!! クソガキども!! さっさとアタシの役に立てコラァアアア!!」
悲鳴のした、子どもたちが眠る一室。そこで、甲高い声で絶叫する中年女が暴れていた。
激怒に染まった声を上げながら、その顔には、満足感と、優越感をにじませて。
逃げようとする子どもたちを、右手の杖から伸びる【閃鞭】で次々に捕らえては、左手に二つ握っている魔法の麻袋の一つへ詰めていく。
「おいババァ!! テメェ何やってんだ!?」
たまらずアラタが叫び、女に向かって走り出す。
「ババァ?」
と、女は聞き返しながら、アラタへ杖を向けて【マヒ】を発射。避けることも叶わず体に受けて、すぐに体が痺れ、動けなくなってしまう。
「おいクソガキ!! ババァって言ったか!? このアタシに向かって!! ババァって言ったのかああああああああ!? アァアン!!?」
部屋から逃げようと走っていた、最後の一人を麻袋に詰めこんだ後、怒りの声と、優越の顔をそのままに、【マヒ】して倒れたアラタの腹を、思い切り踏みつけた。
「粋がるな!! 口答えすんな!! テメェらクソガキはこのアタシに使われるのが仕事なんだ!! 生意気な態度取ってんじゃねえ!! 死ね死ね死ねぇええええ!!!」
何度も踏みつけ、最後は【身体強化】による脚力で、アラタを思い切り蹴りつける。
吹っ飛んだアラタの体は、崩れた壁を突き破り、二階の高さから地面へ落ちる。
下が柔らかな草と土だったおかげで命は助かった。それでも、マヒを超えた痛みが全身を襲った。
「せっかく、全員、使ってやろうかと思ってたのによぉ……テメェみてーなクソガキはいらねぇ!! テメェは今すぐ!! 魔法騎士どもと一緒に死ねええええええええ!!!」
甲高い声での絶叫。そして、左手に握ったもう一つの魔法の麻袋を、二階から上へ放り投げて、それに向かって【発火】を放つ。麻袋はあっという間に燃えていき――
(うッ――臭っせぇッ!! とんでもねぇ死骸のニオイ……!)
強烈な死臭と腐敗臭に加えて、ズゥウウンッという、地響きを響かせながら、ソイツはアラタの前に降り立った。
(なんだ、コイツ……バカでかい、羊の化け物……)
アラタ自身、これまでの人生で、デスニマを見たのは初めてじゃない。しかし、親を、それも、目の前で出くわすことになったのは、これが初めてのことだ。
今日まで世話を手伝ってきたヤツらとは、けた外れのサイズ。屋敷の半分は超えていそうな縦幅。屋敷よりも太いと感じられる横幅。
そんな、黒くて不気味で目つきの悪い、親へと成長したデスシープが、目の前にたたずんでいる。
「ギャハハハハハハハハハハハ!!」
女がまたお笑い声を上げた。かと思ったら、右手の杖をめちゃくちゃに振って、今いる屋敷に【発火】を使う。
今日まで子どもたちと一緒に世話になり、寝食を共にしてきた屋敷が、燃え上がっていく。
「わああああ!!」
「熱いよおお!!」
また、子どもたちの悲鳴が聞こえた。まだ屋敷の中に隠れ潜んでいたらしい。
突然起きた火事にたまらず屋敷の外へ飛び出して――それを、女は嬉々として捕まえた。
「熱いのがイヤだったらなぁ……最初っから隠れてんじゃねーぞ!! クソガキどもがぁああ!!?」
終始、身勝手な言葉ばかり叫んで、出てくる子どもたちを一人残らず魔法の麻袋の中へ。
自分も含め、子どもたち全員が一度、無理やり押し込められ、すし詰めにされた麻袋に入れられて、誰もがそのことを思い出したくもないと震えていた。
それを、二週間かけて慰めてはげまして、笑えるようになってくれた。
その子どもたちを、よりによって、また同じように、魔法の麻袋の中に。
アラタの目の前で……
「クソガキ!! テメェはいらねえ!! 一人くらいいなくたって問題ねぇ!! 羊に踏みつぶされるか食われるか――どっち道さっさと死んじまえぇぇえええええええ!!」
早く、助けにいかないと――
そう思っているのに、痛みと痺れが、体を動かしてくれない……
(ちくしょう……ッ)
体中の痛みと痺れ……
どうしようもない無力感……
燃える屋敷と、向かってくるデスシープと、女の甲高い笑い声……
その全てに対して、涙が流れ、歯を食いしばり……
それでも、女だけは睨みつけた。
そんな女の姿すら、すぐに羊の影に隠れてしまって……
「ちくしょう……!」
ブワッという音が、突然耳に響いた。それと同時に、痛くて痺れて動けなかった体が真横に動いて、羊も女も視界から消える。
音と、自分がそうなっている原因。そして、温かく、優しい感触の理由を、アラタはハッキリと認識した。
「お、前……ッ」
色々な意味で、その光景には驚かされた。
俺の体を抱きかかえて、羊から十メートルばかり離れた場所まで逃がしてくれた人。
女の子だ。赤い服を着て、白髪のショートカットを揺らす、褐色の肌をした、小さな――と言っても、アラタと身長はそう変わらない、女の子。
それを認識した時、アラタもよく知るその少女は、アラタに話しかけた。
「大丈夫?」
「…………」
無表情のミラに問いかけられ、すぐに答えようとする。だが、口が思うように動かず、体もマトモに動かない。
「……【マヒ】の魔法受けた?」
アラタの状態を理解するなり、取り出した杖でアラタに触れる。すると、アラタの体から、痺れは解かれ、痛みが薄れた。
「わたしは第3じゃない……【マヒ】は解けるけど、簡単な【治癒】しかできない……仲間がすぐ来る。それまで、ガマンして」
無表情ながらも優しい問いかけに対して――アラタは、必死に叫んだ。
「俺以外、全員捕まっちまった! 助けてくれ! あのババァが持ってる袋だ!!」
「ババァじゃねえ!! クソガキがあああああああああ!!!」
魔法で強化もしているのだろうが、恐ろしい地獄耳でその言葉を聞き取って、絶叫してきた。
「……もっと言って。そうしたら、怒る。怒ったヤツは、逃げない」
「……黙れクソババァ!! テメェこそ今すぐ死んじまえ!!」
ミラの言葉に従って、座り込んだ状態で、とにかく叫ぶ。
「弱い者イジメのクソババァ!! 見た目だけ綺麗にしてんのバレバレなんだよ!!? 顔も体も性悪垂れ流しの加齢くせぇ老いぼれブスババァ!!!」
すると、ミラの言った通り――女は余計に怒りだして、愚かしくも逃げることもせず、デスシープの後ろに立った。
「ぶっ殺す……テメェだけは間違いなくぶっ殺す!! ゴミクズのクソガキがああああああ!!?」
「させない……おかげで、仲間たちが間に合った」
直後、自慢げに仁王立つ女の前の、巨大なデスシープに、【光弾】の雨が浴びせられた。
「ああん……!?」
光が降ってきた方向を見ると、箒が三つ。一人を乗せた一本と、二人を乗せている二本、計三本の箒と五人の魔法騎士たちが飛んできた。
「ミラ様……こっちは二人乗りしてるとは言え、箒よりも速く走るって……」
「今さらだけど、自力が強いと【身体強化】も速くなるのね……」
「感心してないで、全員戦闘態勢!!」
リリアが号令を掛けつつ、地面に降りる。デスシープに向かって走りながら、杖から【光弾】を発射していく。
「増援だぁ!? まだガキ殺してねぇのに……ちくしょう!!」
「させない……」
麻袋とは別の革袋から、箒を取り出したが――それに乗るよりも前に、ミラがそばまで走ってきた。
「お前の相手は、わたし――」
「はぁ!? ふざけんな!! なんでこのアタシが、ガキの相手なんかしなきゃならねーんだ!!?」
「じゃあ……子どもたち、返して――」
「いい加減にしろ!! クソガキの分際で!! 税金泥棒の分際で!! このアタシに向かって!! 身勝手な命令ばっかしてんじゃねえぞおおおおおおおお!!!」
自身の言動はとことん棚上げ。否定も批判も大声でごまかして、自分の正しさしか信じない。
どこかで見たことある女だなぁ……
誰だったかを思い出す前に飛んできた【マヒ】を避けつつ、女の腹に一撃を喰らわせ、吹っ飛ばすと同時に麻袋を取り上げた。
「返してもらう……」
ちょうど同じタイミングで、リリアら第1たちも、デスシープを倒し、デスシープはその姿を消し去った。
「それにしても……人間がデスニマを、それも親まで従えるなんて、聞いたことがない」
「ええ……あの女が、そんなことをしたってこと、でしょうか……」
余裕を見せるリリア、肩で息をするサリアら四人。
そんな第1たちに、ミラとアラタも合流したタイミングで――
「ミラ!!」
葉介が、リリアたちと同じように第1の一人の箒に便乗し、残りのメンバーも続々合流した。
「ヨースケ……無事でよかった」
「牧場は片付けた……子どもらは無事?」
言われてミラは、握っていた麻袋を開く。
中からは、捕まっていた子どもたち、21人。そして、老人が二人。
「ジークさんのご両親……!」
「いないと思ったら、捕まってたんですね……」
尋ねてみても、老夫婦も、子どもたちも、全く返事はしない。特に子どもたちは、誘拐された時のトラウマを刺激されたらしく、アラタが知っている笑顔も元気も、完全に失われているのが見て取れた。
「お前ら……ごめんな、にーちゃんが守ってやれなくて……」
子どもたちを抱きしめ、泣き出すアラタと、泣くことすらできなくなった子どもたちを前にして――
「……とにかく、まず消火。リリア――」
と、すぐさま冷静さを取り戻した葉介が、指示を出そうとした――
「あぁ……!」
「ぐぅ……!」
突然、老夫婦がうめき声を上げた。見ると、二人の胸を、白く閃く鞭が貫いていた。
「テメェら――大概にしろよ」
その【閃鞭】は、ミラが殴り飛ばした瓦礫の中に立つ、女の手から伸びていた。
(しまった……杖、折ってなかった……!)
ミラが後悔した瞬間には、【閃鞭】は長さを縮めていき、老夫婦は、燃え盛る屋敷の前に立つ、女のもとへ。
「魔法騎士の分際で……税金泥棒の金食い虫どもの分際で……このアタシの――このアタシの!! このアタシの!!! 邪魔しやがってよぉ!!?」
「なにしとんぞお前!? 実の両親ちゃうんか!!?」
「ああ親だよ!! クソ親だッ!! このアタシを、汚ったねぇ羊農家なんかの娘に生みやがったクソ親父とクズ母だよ!!?」
葉介の言葉を聞く気はない。空中でぐったりとしている両親を前に、ポケットを探りながら、甲高い声を叫び続けた。
「だから愛想つかして!! もっと良い仕事してやろうって出ていったのに!! どいつもこいつも、クズみたいな金でこき使いやがって!! そのくせ歳を言った途端、誰もかれも無視しやがって!! クソ親どもはアタシの実家のくせして、汚ねぇ羊農家続けやがってええええええええええ!!!」
何もかも、気に入らないもの全てに対する怒り、恨み、めちゃくちゃにまき散らして、ポケットから瓶を取り出した。
「頭のおかしいクソ親どもはゆるさねぇ――イカレた魔法騎士どもはもっとゆるさねぇ――このアタシの思い通りにもできねえクズは、一人残らずゆるさねぇえええええええええ!!!」
と、葉介がそのタイミングで走り出した。だがもはや、女が瓶を、両親の足もとに投げるのを、止めるにはあまりに遠すぎて――
「ぐぅ……!」
「きゃあ……ッ!」
「なに……!」
瓶が割れる音――そのすぐ後、瓶が落ちたその場所に、黒い穴のようなものが開いた。
女が【閃鞭】を解除しつつ、すぐさま離れると、その穴の中へ、ひん死の老夫婦、そして、屋敷を轟々と燃やす炎が、吸い込まれていく……
「なん、だ……?」
「え……え……?」
双子でなくとも、そんな光景に誰もが混乱する中で――
やがて、火事の炎が全て吸い込まれた瞬間、その穴が爆発するように、光り輝く。
直後、そこから再び炎が燃え上がる。せっかく消火された屋敷を再び燃やしたその炎は、徐々に、徐々に、形を成していった。
(なんだありゃ……デスニマのニオイなのに、デスニマとは別のニオイがする……!)
大きさが二メートル以上あるように見えるのは、翼を左右へ全開に広げているからだ。
羽毛は全体的に真っ赤に染まっているが、顔や爪、見た目から、葉介の世界でいう、ワシに見えないこともない。
なのに、ワシには普通無い形をした、孔雀の派手さと、ニワトリのしなやかさを足したような、目立つ尾びれが長く垂れさがっている。
そんな、飛行には向いていなさそうな尾びれをぶら下げつつ、羽ばたきもせず翼を全開にしたまま空中で静止しているのは、全身から噴き出し、燃え盛る炎で浮力を得ているからだろう。
その炎の勢いが再び増して、ワシの輪郭そのままの、より巨大なワシを形作る。
鳥の形をした巨大な炎。その姿は間切れもなく――
「火ノ鳥……!」
「小っちぇえなぁ……材料が炎でも、老いぼれ二人の魔力じゃあ、これが限界かよ。やっぱ、若い魔力じゃねーとダメかぁ」
「材料……材料?」
その言葉には、アラタが反応した。
「材料って……材料にするために、コイツらを攫おうとしたのか? バケモノ作る材料にするために? そのために、コイツらのこと攫おうとしたってのか!?」
「他にクソガキどもに使い道があるかよぉおおおお!!?」
アラタの怒りの声にも、女はそれ以上の怒りの声で開き直った。
「テメェらが金食い虫の分際で!! 材料にするガキども保護なんかしたせいで!! このアタシが!! 帰りたくもない実家なんかに帰るハメになったんだよぉおおお!? こうなったのも全部なぁ!! お前ら!! 魔法騎士どものせいなんだよぉ!! 『ファントム』が生まれちまったのもなぁ!! 全部!! 全部お前ら魔法騎士どものせいなんだよぉおおおおおおおおお!!?」
「幻獣……ヒネリもクソもないな」
かろうじて、葉介はそんなことをぼやくが、そんな場合でもない。女はまた甲高い声で絶叫した。
「こうなったら……コイツ使って、テメェらも!! このカリレスも全部!! 全部燃やしてやらぁ!! お前らのせいで!! この国で一番大事なこの土地全部!! 灰になっちまうんだ!! テメェら全員!! 責任取って!! 今すぐ灰になりやがれぇええええええええええ――」
再三に渡った絶叫が、火事に照らされた夜に響き渡ったと同時に――
女の絶叫に従ったフェニックスが、その両翼を広げ、燃え上がったと同時に――
バッシャアアアアアッ!
と、水がぶつかる音が響いた。
「――は?」
次の瞬間には、自前の炎以上に巨大な水の塊を受けた鳥は、ずぶ濡れになって地面に落ちた。
(決闘会じゃできなかったけど……役に立った! 練習して良かった!!)
「――シッ!」
杖を向けたディックが歓喜した直後には、戦斧を取り出し走り出していた葉介が、地面で力なくうごめく鳥の首を斬り落とした。
(不死鳥ではなかったか……)
「……は? あああぁぁがああああああぁぁあああああッッッッ!!?」
呆然と固まっている、そんな女の口に、斧を手放した葉介が指を突っ込み、かき回す。サリアは、思わず口もとを両手で押さえて、顔を青くした。
女は、指を抜かれると同時に地面に吐き出した。
「…………」
女に向かって、リリアたちが走り出そうとした。それを、葉介は片手を上げて制した。
誰もが疑問に感じたが……振り返った葉介の、フードを脱ぎ、火事に照らし出されたその顔を見た瞬間――全員、動けなくなった。
「テンメェ……ッ」
両手足を地面に着いて、口からも目からも液体を垂れ流し、声に直前ほどの力はこもっていない。そのくせ、終始見せていた怒りも恨みも変わらない。もちろん、傲慢さも身勝手も、変わらずそのままに違いない。
それが分かったから、葉介は心底ホッとした。
「ちょうどいい機会……ジンロン、ファイ、ディック。俺がさっき言ったこと覚えてる?」
突然名前を呼ばれた三人とも、とっさに返事を返すことはできない。
葉介は、はめていた手袋を外しながら続けた。
「他のヤツらも、教えてやるからよく見とけ。強くなることと、人を倒すことの違い……なぁ?」
怒りと不快感に震えるばかりの女に、極力、優しく聞こえる声を作って、語りかけた。
「チャンスをあげよう。一対一で勝負してやる。俺を倒せたら逃がしてやる」
そんな提案に、後ろから批判の声が上がるのも無視して続けた。
「ハンデもやる。俺は、魔法を使わない。まあ、魔力切れでどの道使えないけども……」
そんな葉介の言葉に対して……女は、液体で汚く染まった顔を、更に汚く歪ませて――
「なに自分勝手なこと言ってんだ……このアタシを! テメェらが捕まえる権利があると思って――ッ」
叫びながら、杖を向けた。直後、木の枝が二本、折れる音が響いた。
「ぎゃあああああああああああ!!」
そして、女の、散々聞かされた怒りや興奮とは、全く別種の絶叫も――
「杖と一緒に、指立てるなや。折って下さいと言ってるようなもんやろう……」
折り曲げた杖と人差し指から手を離し、拳を振るった。
「ぎゃああああああああ!! 鼻が!! アタシの鼻があああああ!!」
「やかましいなぁ……」
呟きつつ歩き出して、女の後ろへ。そこで何やら手を振ると、女は側頭部を押さえた。
「拾え」
言いながら、女の足もとに放り投げる。女は涙目で葉介を睨んでいたが……
「拾わんでいいのか? 大事なもんだろうがよ?」
そう言われ、チラリと、ソレを見てみると……
「……は?」
ソレを認識したと同時に、今も押さえている、痛みの走る部分を確かめてみる。
そこに、あるはずのものが――無くなっている。
「耳……耳ッ、左ッ!? アタシの! アタシの左の!! 耳がぁああああああ!!?」
そんな二人の、勝負とすら言えない一方的な光景に、後ろに並ぶ魔法騎士たちは、顔を青くしていた。普段無表情なファイにフェイも、顔を蒼白にしていた。
常に気丈なリリアも、思わず自身の耳を押さえた。あまり感情を表に出さないジンロンさえ、眉間に深く皺を寄せ。
アラタに至っては、後ろにいる子どもたちに見せないよう努めつつ……
イヤでも香る血のニオイ、人一倍聞こえるババァの悲鳴、ばっちり見えてしまった、折れた指、つぶれた鼻、耳の断面。それらに、歯も、体も、ガタガタ震わせて。
平然としているのは、葉介の師匠である、ミラ一人だけ。
「ディック」
そんな、後ろに並ぶ者たちに、声がかけられた。
「治せ」
短く、そう指示を出した。
「これ以上やっても効果は薄い……続きは、一度綺麗に治してから」
そんな言葉に、ディックは余計に身震いするが……逆らうのが怖くて、急いで駆けつけて、女に【治癒】を施した。
「さてと……それじゃあ、質問や」
骨折も傷も耳も、ディックに綺麗に治させ、下がらせた後で、女にそう問いかけた。
「羊をデスニマに変えた道具……それと、ファントム? を作った道具、どこで手に入れた?」
「どこで……?」
「こんなバカ女が、あんな道具作り出せるわけが無かろう。どこからか手に入れたんだろうよ……出所と、仲間がいるのならソイツらの名前吐け。そしたらやめてやる――」
「ふざけんな死ね――ッ!!」
ミラに答えた後の、葉介の言葉を遮りながら飛びかかってきた女に、蹴りを喰らわせた。
「がぁッ……あぁあぁぁ――ッ」
蹴られた部分……股間を押さえ、また吐き出しそうな顔になっている。後ろの面々も、思わず自身の股間を押さえていた。
イメージのせいか誤解されがちだが……女の身でも、金的? は普通に――どころか、かなり効く。股間は男女問わず人体急所の一つである。
鍛えようのない内蔵二つが薄皮一枚でぶら下がっている男に対して、女の股間は内臓の代わりに、骨折しやすい恥骨が皮膚を持ち上げ隆起している。加えて、出産のために筋肉も腱も他より弱く作られている。
そんなところを打たれたらどうなるか……骨を打たれた激痛はもちろんのこと、威力が強ければ恥骨骨折、最悪、骨さえ超えて、子宮破裂を引き起こす危険さえある。
恥骨骨折や子宮破裂に至ったかどうか。知ったこっちゃない葉介は、未だ身もだえている女を持ち上げ拳を振るった。右手の握り拳から飛び出した、中指の第二関節――一本拳にて、顔を殴られた女は……
「……見えない……目が、左の目が見えない! アタシの! 目がッ!!」
「うるさいねぇ……」
潰した左目の血に濡れた手に向かって叫んでいる。そんな、右手首を、本人いわく、か弱い握力で握りしめ、自身の顔まで持ってきて。
「目玉の一つで、なーに大騒ぎしてるのさ……ご自分のご実家とご両親に何したか、分かっておいでですか? あ? お姉さまぁ――」
「げぁああああああああああああああ!!?」
握りしめたことで伸びきった、小指と薬指に奥歯を立てて、食いしばる。
五本指の中でも小さく短く――それだけに、肉も皮膚も薄く、柔らかく、よって痛みも強く。だから、【硬化】でも使えば逃げられるだろうに、イヤでも出てくる絶叫が、魔法も、思考も邪魔をする。
「ぁぁぁあああああああああああ!! ああぉぉぉぉうぇぇえええええ――」
だから、不味くて硬い川魚の干物で無駄に鍛えられた奥歯で、そう時間をかけず指二本を噛みちぎられた。よほど痛かったようで、指も突っ込んでいない内からまた吐き出した。
「ん? うん……ベッ――ディック? 治せ」
指は二本とも、お姉さまの右手の上に吐き出してやって、ディックを呼ぶ。今まで以上に震え、顔を青くしながらも、ディックは急いで、お姉さまに【治癒】を施した。
「教えておくけどな……今この場にいる、魔法騎士団の第3関隊は、ディック一人だけや。この意味分かるか?」
傷は治っても、直前の痛みは忘れられない。そんな記憶に震えるお姉さまに対し、冷めきった声を掛けてやる……
「つまり、ディックの魔力が底を着いた時点で、お前を治すことはできなくなる。他の魔法騎士らも【治癒】自体はできるけど、後遺症もなく、綺麗に治せる保証は無いってこと」
お姉さまは、カッと見開いた目で葉介を見上げるものの、そこには、さっきまであった威勢や怒りは、もはや無い……
「それでも、続けるか?」
「あ……あッ、あああああああああ!!」
もはや、怒りも攻撃する気も失せて、治ったその身で駆け出した。
「あぁぁあああああああああああああああああ!!?」
当然、魔法も使っていない生身の足で、葉介から逃げられるわけもなく、葉介の投げたナイフはお姉さまの内ひざに突き立ち、転倒させた。
「そんなに痛い目に遭いたいんだ。お姉さまマゾなんだねぇ……分かった――」
それからは、同じことの繰り返し。
お姉さまの指を折り。腕を捻じり。足を壊し。【治癒】。
前歯を砕き。アゴを砕き。頬を引き裂き。【治癒】。
鼻を潰し。目玉を抉り。耳を削ぎ。【治癒】。
みぞおちを殴り。股間を蹴り。人中をうがち。【治癒】。
引っ掻き。引き裂き。噛みつき。噛みちぎり。【治癒】。
大よそ、簡単に死にはしない代わりに、死んだ方がマシなレベルの痛みを与え、死にそうになったら、ディックに綺麗に治させて、直前とは違う手段を講じ――
「……ごめんひゃい……ごめんなひゃい……ゆるひて……ゆるひて……」
やがて、初めこそご気性のままに狼藉あそばされていたお姉さまも、とうとう、その御身を横にし、震えるばかりの御姿に変わられた。
「やめてほしけりゃ、どうすんな?」
「……はにゃす……はなしゅ……ぜんぶ……はなしゅ……はにゃすから……ゆるひて……」
「……第1の皆さん、拘束よろしく。落ち着いたら聞き取りも。ああ、逃走はもちろん、自殺もしないよう、十分お気をつけて」
魔法も自殺もしないよう、拾った石と、自前のタオルで作った即席の猿ぐつわで、お姉さまの口を縛りあげた葉介の声に、サリアら第1はすぐさま行動した。
だが、それもお姉さまを捕まえるためというより、ただ、葉介が恐くて、この場から早く逃げたいからだ。
サリアらに限らない。
誰しも目を背けたくなる残虐行為を、平然と、淡々と、作業的に行ってみせた。
そんな姿に、葉介を慕い集まったはずのメンバー全員、恐怖している。リムに至っては、葉介が指二本を噛みちぎった辺りでめまいを起こしたのを、ファイが支えてかろうじて立っていた。
「ちょっとは理解したかな? 強くなることと、人を倒すことの違い」
脅えるメンバーの前に立って、両手も顔も血に汚した葉介は、最初に呼びかけた三人に語ったことを、また語った。
「人間、誰しもそんな簡単に死なないようにできてる……けど、壊すこと自体は簡単だ。俺が今やったようにね。で、大抵の人間は、ソレをされれば、それ以上動けなくなる。よっぽど怖い目に遭うか、よっぽど痛い目に遭うかするだけでな。多少の知識さえあれば、わざわざ強くなるために鍛えなくても、誰でも簡単にできる。で、それをすりゃあ見ての通り、人間一人くらいなら、倒すことは簡単にできるってわけよ」
たった今、彼らの目の前でして見せたことが正にそれだ。
恐怖と痛み……それを贈答いたしただけで、あれだけ大暴れされていたお姉さまが、見事に大人しく、小さくなられた。
「けどなぁ……見ての通り、危ないんだわ、コレ。放っときゃいずれ死ぬレベルの大ケガさせることになる。ケガは魔法で治せるけど、心にも、魔法じゃ治せない傷を残すことになる。この女はそうなって当然だけど、倒すべき人間が全員、そういう相手だとは限らん」
途中ディックが【治癒】を施さなければ、何度死んでいたか知れない。それだけの傷と痛みと、恐怖を刻みつけられて。お姉さまは一生、立ち直ることはできないでしょう。
「つまり、何が言いたいかと言うと……鍛えなくても誰でもできるってことはだ。体鍛えて、技を覚えて、強くなったらば、それだけ、より簡単に、こういうことができるようになっちまうってこと。望む望まないに関わらずね……まあ、魔法にも同じことは言えるだろうけども。アナタ方魔法騎士団は、その魔法で、どんな相手も、無傷で、安全に倒せるよう鍛えてきたのでしょう? こんな物騒なことする必要も無しに、人を捕まえられる……そんな便利で安全な武器持っておいて、アナタ方は、まだ武器が欲しいんですか?」
自分を慕い集まって、自分から技を習いたい。そう言ってくれた若者たちに向かって、敢えて、問いただした。
「私ごときに憧れてくれたのは、素直に嬉しいです……技とか、体の鍛え方が知りたいなら、教えるのは全然構いません……ただ、もう一度聞かせていただきたい――私から技なんか習って、どうするんですか?」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「強くなって、どうするのですか?」
第1の少女らが、お姉さまを拘束なさり……
彼らを照らし出していた火事の炎を鎮火させ……
カリレスに来て一日目。日付が変わる時さえ待たず――
第5関隊が任された事件は、今この瞬間、解決した……
「スンスン……スンスン……スンスン……」




