第10話 弟子と仲間の情報交換
「……で、結論は――」
「なにも分からなかった、と……」
夕暮れ時、陽が隠れる寸前の時間。
あらかじめ決めておいた集合場所で、調査メンバーと第1のサリア、アラタの11人全員がん首そろえて、各々が持ち帰った情報を交換、共有した。
しかし、結果は第5の二人が言った通りである。
「カリレスに住む人たちにも話を聞いてみましたけど、怪しかったり様子がおかしかったり、羊が消えた以外に、不自然な出来事も特に起きなかったそうです」
「元より、農業地帯ということもあって、人が集まる場所とそうでない場所の差は激しいので、何かが起こっていても、何も見ていないというのはむしろ普通です。第1関隊による警備も、人が多い地帯の方を優先されますし」
リムもファイも、無念さを浮かべながら報告していた。
人命を第一に考えるなら、そうなるのも当然のことだ。だからこそ、牧場という人目の少なくなる場所にたどり着くまでの道中、人目の多い場所での目撃情報をアテにしたのだが……
「山の中も調べてみたけど、羊が逃げ出したり、害獣がいたような跡は無かったぜ?」
「何かを隠せそうな場所も探っても見ましたが、怪しい物は見つかりませんでした」
カリレスの各地で働き、羊の世話も日常的に行っていたらしいアラタや、カリレス出身であるフェイの言葉なら間違いはないだろう。
「周辺の村々からも、何とか話を聞き出したけど、怪しい人間や逃げ出した人間、羊を連れたような人間の目撃情報も特に無かったわ。ウソをついてたり、隠し事をしているようにも見えなかったし……」
「ひどいことされなんだ?」
「大丈夫。力ずくで黙らせたわ」
「ならよかった」
「いいんですか……!?」
葉介の発したメルダへの返事に、ディックはそう聞き返してしまった。
「どうかした?」
「どうかしたって……だって、その……国民を護るのが、僕ら魔法騎士の仕事なのに、その、国民の皆さんに、ひどいことしたから、その――」
大方、正直に話したら怒られる……そう思っていたようだ。それが、葉介の反応はと言えば、三人のことを心配し、周辺住民たちのことなどまるで興味が無い、そんな反応――
「その護るべき国民の皆様方ご自身が、自分から護られる権利を放棄してるんだ。だったら、その人たちがどうなろうと、仕方ないでしょうよ」
「ほう、き……?」
首をかしげるディックに対して、葉介は続きを語る。
「確かにね……魔法騎士団の給料は、国民の皆さんの税金から出てる。だから、それに見合った仕事をこなして、国のため、国民の皆さんのために尽くす義務が俺らにはあるでしょうよ。まあ、俺はまだ初任給さえ貰っちゃいない身だが……で、そんな俺らの仕事を一切合切、邪魔して妨害してくれてるのが、他でもない国民の皆さんじゃないよ?」
その事実には、その場の誰もが歯噛みさせられた。
「俺らのことを単純に非難するのは良い。文句を言われるのも仕方がない。貧しい人たちからすれば、税金てヤツは結構な負担だからね。文句や批判、八つ当たりを受けてしまうのも、税金で食べてる人間の役目の一つだろうよ。だからそこまでは俺もゆるす……けど、それで調子に乗って勘違いして、魔法騎士団の仕事を邪魔したり、文句だけ言って何の協力もしなかったり、ダマしたり。いつでも助けると言ってるのに、いらないと拒否したり。あげく、暴力を振るってきたり、大勢で寄ってたかって、魔法騎士に攻撃したり――そこまでされりゃ、もはや護るべき国民じゃない。捕まえるべき犯罪者だろうよ」
国民じゃない。犯罪者……そんな過激な物言いに、聞いている全員、息を呑んだ。
「貧困、税金泥棒、理由は関係ない。つまり、そいつらは全員、せっかく払った税金と引き換えに得たはずの、護られ助けてもらえる権利を、自分から放棄してるってことだ。それだけのことされても、護らなきゃならんとか……そんなバカみたいな話を、受け入れろと言われても文句を言えんだけの見返りを、魔法騎士が一人残らず受け取ってるっていうなら、話は別ですけど……?」
最後の言葉は、ディック一人でなく、その場の全員への問いかけだが――
少なくとも、顔を見回した限り、葉介の問いかけを是とする魔法騎士は、一人もいない。
この国の金銭感覚を持ち合わせない葉介には分からないが……魔法騎士団の給料が、他と比べて高いわけでないことだけは、関長らに加え、知り合いたちからも聞いて知っている。何かしら功績を残せば特別報奨金も出るが、近ごろが例外なだけで、そんなものがもらえるだけの大事件が、この平和な国でしょっちゅう起きてきたわけもなし。
金銭面に限らなければ、巷の仕事とは違って、衣食住が保証されていることで単純比較はできなくなってしまうが……それを差し引いても、国民の皆様方からの仕打ちを容認できる理由にはなり得ない。
「厄介なのは、いつだってロクでもない連中の中にも、護るべき人間が混ざってるってこと、なんだけどね」
一連の話に、自分たちの存在価値を見出せなくなった……そんな若者たち全員、再び葉介に視線を向けた。
「人が集まるってことはそういうことよ。他より多い。声がデカい。ただそれだけのことで、少ない人間、声が小さい人間の姿が見えなくなる。カリレス、リユン、この二つ以外に生きてる人間のほとんどは、俺らの仕事と存在を、デカい声出して否定してる。けど、そんな連中の中にも、俺らの助けを求めてる人間は必ずいる。護られる権利を持った人が、間違いなく混ざってる……」
再び誰もが、自身の仕事を思い出す。
リムにメルダは、以前、葉介を見回りに連れだした時、荷車を押すのを手伝った葉介が、手伝われた相手に殴られたのを思い出した。
あの男に対しては頭に来たものの、その息子は、謝りつつもお礼を言ってくれた。父親はともかく、その息子は、間違いなく護る価値ある国民の一人と感じた。
他の者たちもそう。非難され、ひどいことをされるのが日常だった。けど、そんな中でも、自分たちの仕事に感謝し、護る価値があったと、護ってよかったと、護っていきたいと、そう感じた瞬間は確かにあった。
「数は少なくても、そういう人たちを助けたなら、結果的に、周りにいる家族や友達、その他助ける価値のない人間も、助けることになる……一人を救うことが、十人を助けることにつながる。十人助けたなら、百人の人間を護れたことになる。人を護るっていうのは、そういうことだって、少なくとも俺はそう思ってますよ」
極論と言ってしまえばそれまでの論理だが、結局のところ、人を護り、助け、救うということは、そういうことだ。
逆に言えば、一人を救うこともできない人間に、十人を助けることができるか? 百人を護ることができるのか? そういうことだ。
「できることなら、全員に護る価値があるって信じたい。そんな、護る価値ある人間を助けるために、ほんの少し協力してほしい……それすら仕様もないうっ憤のために拒否するってんなら、力ずくで聞き出すのも致し方ないでしょうよ。俺らは仕事で国民を護ってる。その国民の皆さん自身が、他ならぬ国民を護らせてくれる協力を惜しむ限り、最後には、価値があろうが無かろうが、救える人間は一人もいなくなっちゃうんだから……」
「…………」「…………」「…………」「…………」「…………」
「ごめん、長くなった……俺らも、カリレスに四つある出入り口を全部見回ってみたけど、何にもなかった」
「……あ、当時見回っていた第1関隊からも、特に怪しい物は見なかったって言われたわ」
思いつくかぎりの可能性を挙げ、各場合に考えられる調査を行ったが、結果は全て空振り。手掛かりどころか、結局、逃げ出したか害獣か泥棒か、原因さえ分からず仕舞いだ。
(振り出しやな……また考えんと)
そうは思っているものの。
脱走、害獣、泥棒……
他に考えられる現実的な原因なんか、いくら考えても葉介には思いつかない。まあ、訪れて一ヵ月の異世界の現実が、葉介の知る現実に当てはまるかという、そもそもな問題もあるわけだが。
そんなことを言い出したら考えること自体無駄になる。集まってくれたメンバーのがんばりまで無駄にしないためにも、葉介は必死で考える――
(しかし、こうなると、もう、泥棒ならとっくの昔にはるか遠くまで逃げてるか、そもそもが三つとも間違ってるか……それくらいしか無いんよなぁ)
「……ごめん」
考えている葉介、そして、葉介の話を胸中で反芻するメンバーの耳に、静かな声が聞こえた。
「本当なら、考えるのも、関長のわたしの仕事……なのに、ヨースケに全部まかせちゃって……役に立たない関長で、ごめん」
関長としての役目は負っている。それによる責任も感じている。だが、立場とは裏腹に能力が伴わず、何の役にも立っていない。
表情は変わらず無表情だが、雰囲気も、声も、分かりやすく沈んでいた。
「なぁーに言ってんだよ!」
落ち込むミラに、葉介が声をかけるより前に、アラタの大声がその場に響いた。
「一番エラいからって、何でもできなきゃならねーわけじゃねーだろ」
「それは、そうだけど……」
「俺もお前も、ヨースケ以外の他のヤツらだってなんにも思いつかねーんだから、お前一人が気にすることねーよ」
「おいコラ……」
さりげなく自分たちのことまでディスってくれている、アラタの大声での励ましに対して、リリアが声を上げ、葉介以外の顔が歪んだ。
「……まあ、いいわ。もうすぐ陽が暮れる。今日の調査はここまでにしましょう」
「……そうね。城に帰るか」
どの道、ここでこうして考え続けたところでラチが明かない。まずはメンバーを休ませないと。なので、城への帰還を提案した。
「あ、あの――」
帰還を提案したリリアと葉介の後で、今度はリムが手を上げた。
「えっと……良かったら今日は、うちに、泊まりませんか?」
「うちに? リムん家ってこと?」
聞き返すと、はいと返事しながらコクリと頷いた。
「泊まるって……リム一人ならともかく、11人やで、俺ら?」
11人という言葉に約二名、サリアとアラタが、自分たちも? という顔になった。
「大丈夫です! わたしのうち、野菜農家ですけど、家はよくご近所の人たちが遊びにくるくらい広いですから!」
「……しかし、いきなり大勢で押しかけちゃご迷惑でしょうよ?」
「いいえ、聞き込みの途中でパパとママ……父と母にそのこと話したら、ぜひ泊まっておいでって言われました。ねえ、ファイさん?」
一緒に聞き込みを行っていたファイに話を振ってみると、ファイも頷いた。
「…………」
いずれにせよ、全体の指揮権を暗黙的に任されている葉介ではあるが、全体の行動指針の最終決定権は、関長であるミラにある。だから、ミラの方を見た。
「……今から帰ったら時間がかかる。みんな疲れてる。リムの家に、お邪魔しよう……」
というようなこともあって、カリレスのリムの家での宿泊が決定した。
「おかえりー! リムー!」
「ママ、ただいまー!」
先に言われた通り、現場の牧場に勝るとも劣らない、広い敷地が広がる野菜畑。その隅っこにポツンと、だが十分に大きいと言える家。そこで、リムの両親が出迎えてくれた。
「魔法騎士の皆さんも、よく来てくださった! さ、さ、遠慮なく、入ってください」
「今日はご馳走ですからねー」
畑と同じく心の広さがうかがえる雰囲気、穏やかな声、農夫らしい凛々しくも柔らかな笑顔……
若々しく綺麗な見た目のそんな二人に出迎えられ、リムと母親の抱擁を目の前にして。未だに警戒心と不信感を拭いきれずにいた葉介も、泊まって問題なかろうと感じた。
他人の家での宿泊に緊張を見せていた他のメンバーも、その様子に安堵が芽生えた。
「アラタも来ればよかったのに……」
葉介の隣に並んでいるミラが、ポツリとそんなことを呟いた。
俺と一緒にさらわれてきた子どもたちの面倒を見なきゃ……そう言って、自分たちが寝泊まりしている屋敷へ帰ってしまっていた。
「アリタ様が帰って寂しい?」
「アラタ……別に、寂しく、ない」
メンバーで唯一聞こえていたらしい、葉介からの静かな質問には、すぐさま即答する。だが、即答した無表情にも、葉介には分かる程度に照れ隠しの色がうかがえた。
家に入ると、中には言っていた通り、ご馳走が並んでいた。
葉介がこの世界に来て、おそらく初めて見ることになった、大きなテーブルに、色彩豊かな料理が並べられている光景。人数分の小皿が並べられ、テーブルの中心には、様々な料理、パンが大皿に盛りつけられている。
そんなビュッフェスタイルの夕飯を、全員でいただいた。
(うま……ッッ!!?)
川でつかまえた泥臭い魚。森から獲ってきた野草に木の実。それらをどうにか食えるよう調理したもの。誰かさんたちが親切に持ってきてくれた、冷めた腐りかけの豪華料理。
この世界に来て、食べてきたものはそんな物ばかりだった。だから、羊農家でもそうだったが、できたての手料理の味は、葉介の舌に、胃袋に、ガツンと突き刺さる衝撃があった。
「これ……美味しい……!」
「お城で食べる料理よりも、絶品ね」
葉介に限らず食べているメンバーの全員が、リムの母親の手料理に目を丸くし、表情を綻ばせ、次の一口を求めて夢中で食していた。
「ママ……母の料理は、カリレス1って言われてます。カリレスにいる人たちみんな、母の手料理目当てに、食材持って遊びに来るんですよ?」
お母様は謙遜しているが、リムのそんな自慢話にも納得できてしまえるだけの説得力と衝撃が、この料理には確かにある。
「皆さん、お代わりは?」
「いただきます!」「いただきます――」
「いただきます……」「いただきます」
普段は表情に乏しいファイとフェイ、いつでも冷静だったリリアも、ここでの食事には満足しているようだった。もちろん、葉介も……
(これ食うためなら、飛ぶぞ! 異世界)
さすがにそれは言い過ぎだが……それだけの価値を確かに感じた。
食事が終わった後は、各々で思い思いに過ごした。
久しぶりの親子の会話に花を咲かせる者もいる。
外に出て夜風に当たる者もいる。
物思いにふける者もいれば、居心地の悪さを感じている者もいる……
「はぁ……」
暗い夜でも緑と分かる、青々とした植物の群れ。
だが、ただの雑草や草むらとは違う……野菜という、人間にとって有益なものを恵んでくれる。僕らは君たちの味方だよ? そう言っているような気さえする。
そんな、カリレスのどこでも見られる、緑色の景色を眺めながら……
サリアは、何度目になるか分からない、ため息を吐いた。
「はぁ……」
「どうかしたの?」
そんなサリアの耳に、なじみのある声が聞こえた。
「リリア様……!」
サリアと同じ、第1関隊の先輩、かつ、第1関隊内での副将。そんな尊敬する女性の声に、リリアよりもはるかに後輩である、サリアの声は上ずり、自然と姿勢は正された。
「私たちと合流して……というか、ヨースケの顔を見てから、ずっと様子が優れないけど……なにかあった?」
「あー、いえ、別に、その……」
リリア様の決闘の結果に納得がいかず、ちょっかいを出したらゲロ吐かされた……
さすがに、正直には言えない。だから、言えることを言うことにした。
「その……なんというか……圧倒されました」
「圧倒?」
突然大げさな言葉が聞こえたので聞き返すと――サリアは、語った。
「彼を見ていて、思い出したんです……私が、第1関隊に入った、当時のことを」
それは、随分と忘れていた気持ちだった。
「レイ様のいる第1関隊……精鋭部隊の第1関隊……その一人に、第3の下っ端だった私が選ばれたこと、とても誇らしくて、これから私は、レイ様のもとで、この国を護っていける。それが、嬉しかったんです。でも……」
だがそんな考えも、一か月と続かなかった。
「第1に入って、いざ国を……人を護ろうと、各村々を周っても、リユンやカリレス以外では、姿を見られただけで、ひどい言葉や、最悪、暴力を浴びせられる。そのくせ、都合の悪い時はちゃっかり力をアテにされて、できてもできなくても、感謝もされず、文句ばかり。リユンから各村への移動だけでも大変なのに……私たちは、この国と、人を護りたいだけなのに、その護る人たちは、税金のことしか考えていない」
精鋭の第1関隊。
精鋭とは、最も優れているという意味では断じてない。精鋭でなければ、絶対に長続きしない、過酷な部隊だということ。それを理解したのは、第1になった後のことだ。
毎日毎日、リユンからは離れた村々を周って様子を監視。住人に見つかれば、罵声罵倒や攻撃を受ける。デスニマや犯罪者が現れれば、多くの場合は一人で駆除し、手に負えなければ応援も呼ぶ。
被害が出たなら、税金泥棒、仕事しろ、またそんな文句の嵐……まあ、実際は、ほとんど住人たちが自力で対処してしまうものだから、魔法騎士の仕事が無くなって、結果、税金泥棒の能無しだと呼ばれるというのが真実なのだが。
昔は全ての村々にあった、魔法騎士たちの拠点。それを壊されさえしていなければ、こんな苦労はせずに済んだ。それを、逆恨みで壊したのはお前たちだろう……
そんな、口答えや文句すら許さない。おかげで、護る価値なんかとても感じられない。
第1関隊とはつまり、デスニマの脅威ではなく、城下町の外にいる国民たちの恨みを一身に受けながら、毎日仕事をしなければいけない、最も過酷な最前線で戦う集団のこと。
そんな部隊にいて、心が折れて逃げ出し、辞めていく仲間たちの姿を見ながら、それでもサリアが今日までやって来られたのは……尊敬できる、憧れの人がいたからだ。
「そんな、どうしようもない仕事だけど……私は、がんばってこれました。第1には、レイ様がいたから……」
とっくの昔に崩壊してもおかしくない、今の第1が崩壊せず、今の形を保っている最大の理由が、レイの存在だ。
関長である彼が、第1の一人一人を気遣い、労い、慰めの言葉を掛けて、全員を見てくれている。デスニマが現れたなら、その無類の強さで敵を圧倒し、そのカリスマと統率力で全員をまとめ上げてくれる。
強くて頼もしくて格好いい、尊敬を、憧れを……恋慕を集める人がいる。
加えて、レイ様には及ばないまでも、リリア様をはじめ、強くて格好いい人たちが集まっている。だから、第1関隊は、今でも若い魔法騎士たちにとって憧れになっている。
だから私も、第1であることを誇りに思ってきた……そのせいで――
「それで、いつからか、第1にいることが誇り以上に、驕りになっていたようです。私は、精鋭部隊の第1関隊の一人。他の隊よりもすごいんだって……たかが、第1関隊にいる。ただ、それだけのことなのに……」
その発言は、第1のリリアを怒らせるかも……そう思ったが、リリアに怒りの雰囲気は見られない。だから続けた。
「第5関隊……なぜまだ残っているのかも分からない、関長一人だけの隊。そこに入ってきたのが、30歳を超えた、魔法騎士としてはとっくに引退している歳の、おじさん。ハッキリ言って、なめていました。だから、彼の活躍には、圧倒されました」
今さら、リリアに対して語るまでもない、彼がしてきた行為行動の全て――
ついさっきの言葉、ゲロを吐かされたことも含めて、あのおじさんには、圧倒されっぱなしだ。
「レイ様とはまた、全く違ったすごさ……見た目だけではとても分からない、私たちには無い、知識と能力……それらを駆使して、仕事に全力で取り組む姿……正直、今の私は、レイ様以上に、シマ・ヨースケに、魅せられております」
今さらながら、心から尊敬すべき彼にちょっかいを出し、脅しをかけたことがどれだけ愚かしいことだったか。それを思い知り、深く反省させられた。
「……第5関隊に入りたい、ということ?」
「……正直、それも望ましいと思っております。けど、彼は、私たちとは違いすぎて、遠すぎて……私では、彼の力にはなれない。それも、確信しています」
魅せられて、尊敬して、だからこそ、分かってしまったことだ。私は、彼と共に働くに値しない……
「……いずれにせよ、ヨースケの下につきたいというのなら、無理な話よ」
理解したからこその諦め。それに心を沈ませている後輩に、第1の副将は、厳しい口調を投げかけた。
「彼は元来、誰かの上に立つことを望む人間じゃない。自分でもそう言っていた。今回の仕事では、それができない関長の代わりに、便宜上みんなをまとめているけれど、本来の彼は、アナタと同じ。誰かの下につき、命令され、実行することで力になる……そうするために力を発揮する、そういう人間よ」
今日一日の姿の印象とは全く違う、シマ・ヨースケという男の本性。それは、サリアにとっては意外な事実だった。
「そして、その相手も、誰でもいいわけじゃない……私や、アナタにとってのレイ様。彼の選んだ相手が、ミラ様ということ」
「……どうして、ミラ様に?」
失礼な話、ミラという少女は、とても忠誠や命を尽くす価値のある人物とは思えない。力はあるが、能力はさほど感じられない。
「それは……シマ・ヨースケ本人しか、うかがい知れないことよ。まあ、ミラ様があの男の命を救って、その後で拾ったという話だけど……ただ――」
「ただ?」
聞き返した後輩と、真っすぐ目を合わせた。
「私の感じた限り、少なくとも、ミラ様には能力と経験が足りないだけで、関長としての器は確かにある……私には、シマ・ヨースケは、その器に見合っただけの人間に成長してもらうために、力を尽くしている。そんなふうに見えるわ」
「…………」
「多分、彼は確信しているのだと思う。ミラ様こそ、未来の魔法騎士団を背負って立つ人物なんだって――」
「――――」
現実味も、説得力も感じられない、そんなリリアの話に、サリアはただ、聞き入るしかなかった――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「…………」
すでに夜空には星が輝き、月もそれなりに高く昇っている時間。
そんな、東から頂点目指して西へ昇っている最中の月を、一人、目で追うように見つめている。
「フェイ」
そんなフェイの耳に、男の声が届く。子どものころ……なんなら、生まれた時から誰よりも隣で聞いてきた、男の声だ。
「ファイ」
振り返るよりも早く、双子の兄の名前を呼んだ。
「何に悩んでいる?」
「……なぜ、わたしが悩んでいると?」
「お前が、一人で空を見上げる時は、決まって何かに悩み、考えている時だ」
「そう……ファイと同じクセでしたね」
「ああ……その通りだ」
他人と話す時も、互いに話す時も、変わらない。声に、表情に、感情を出すことなく、ただ淡々と、言葉を交わすだけ――
「…………」
考えてみれば――
フェイは、隣に座った兄の顔を見つめつつ、幼いころからのことを思い返した。
ただ気がつけば、隣には常に兄がいた。妹はいつも、兄の隣を歩いていた。そうすれば、いつだって正しく、間違いなく……間違うことなく、生きてこられたから。
双子とも、このカリレスをまとめる名門、リトラス家に生まれて、普通に家族からの愛情を受け育ってきた。けれど、リトラス家の跡取りとなることが決まっている長男、それを支える次男、長女と、必要な子どもが揃った後に生まれた自分たちには、役割も、居場所さえ残っていないことが、幼心に分かっていた。
そんなリトラス家の中で、ファイは幼いころから、誰に教わるでもなく『上手に生きる』ことができていた。
他人の望む言動、口調、感情、行動……そんなものを考えて、誰からも嫌われない、捨てられない……捨てる必要も、意味もない、そんな子どもだった。
だから、フェイもそんなファイのマネをした。言動も、口調も、感情も、行動も……
全てファイをマネしていれば、自分も『上手に生きられる』。おかげで双子ともども、家族からは見捨てられることもなく、少なくとも、必要は無いが存在は認められている、そんな子どもでいることができた。
そうやってきた兄が、リトラス家を離れ、魔法騎士になる。そう言い出したものだから、また妹もマネをした。
家族から快諾を受けて、魔法騎士になった後も、やってきたことは同じだ。
ファイをマネして、働いて……ファイをマネして、仕事して……
ファイをマネして、戦って……ファイをマネして、会話して……
そう。気がつけば。魔法騎士団、第2関隊において、双子そろって副将となっていたのも、全部、ファイのマネをしてきたからだ。
ファイのマネをしていれば間違いない。間違わない。幼いころから、そうだったから。
だから……
「ファイ?」
「なんだ? フェイ?」
「ファイは、ヨースケさまのことが、好きですか?」
「……ああ。好きだし、尊敬しているとも」
そこからは、いつもの淡々とした口調や、感情が見られない顔が一変。口調は饒舌になり、夜の暗さの中でも分かるほど高揚し、ほとんどしたことのない、身振り手振りを交えながら、シマ・ヨースケという男の、偉大さ、強さ、勇姿を、憧れを交えつつ語っていく。
(ああ……ミラ様の言った通りだ)
そんな姿を見ていると……フェイも、自身の顔が高揚し、胸が高鳴っていくのを感じる。この感情は、たった今、ファイが語りながら感じているのと、同じものだと確信できる。
(そうか……わたしは、ヨースケ殿が好きだったのではなく、ファイが、ヨースケ殿を好きだった……それだけか――)
それなら――と、また新たな考え、疑問が、フェイの中に芽生える。
葉介に対して……今日まで感じてきた思い、感情の全てがファイのもので、自分もそれをマネしていただけだったとするならば――
(なら、わたしは……わたし自身は、どう思っている? 本当の、わたしとは……わたしとは、誰だ?)
「……どうした? フェイ?」
兄からの呼びかけも耳に入らず……夜空ではなく、地面を見つめながら、思考の底に沈んでいった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「あ、メルダさん」
「ディック……」
食事を終え、入浴も済ませ、外で夕涼みをしていたディックの前に、歩いてきたのはメルダである。
「あ、その……よかったら、隣、座り、ますか……?」
「あ……ありがとう」
話題に困り、とっさに座っていた庭椅子の、空いた隣を示してみると、メルダも座った。
まさか本当に座るだなんて思ってもみなかったディックは、余計に身を強張らせた。
「…………」
「…………」
隣同士、座ったまでは良かったものの、鉢合わせした直前までと同じ。話題はない。ネタも無い。だから、ディックは必死に、言葉を繋ごうと思考して……
「えーっと……リム、さんと、なに、話してた、んですか?」
思いついたことを口に出す。家の中から、リム親子と楽し気に会話している、そんな声だけは、庭先からも聞こえていた。
「……多分、普通のことよ」
多分……その言葉を聞き返すよりも前に、メルダは話し出した。
「他愛もないこと……魔法騎士団での仕事のこととか、娘の調子はどうかとか、リムとお友達でいてくれてありがとう、そんなことを言われたわ」
「……確かに、普通、ですね」
「ええ……アナタが普通と言うなら、あれが普通なのでしょうね」
「……メルダさんの普通は、違うんですか?」
とっさに聞き返してから、失礼だったかと案じたけれど……メルダは、続けた。
「少なくとも、わたくしには、あんな風に、笑って迎えて、心配してくれる人はいない……両親は、わたくしがいつになったら、家に帰ってきて、家業を継ぐか。それしか興味が無いわ」
「…………」
両親や、家族仲が上手くいっていない魔法騎士。さして珍しい存在でもない。
なりたがる人間は少ないが、なろうと思えば誰でもなれる。そんな魔法騎士になる理由は色々だが、親への反発や親からの強制、勘当代わりに放り出された先が魔法騎士だった……金持ちか庶民かによらず、そういう例は数多い。
メルダの細かい事情はディックも知らないが、メルダがお嬢様だということだけは知っているディックにも、彼女がそんな一人だということは容易に想像ができる。
「……リム、笑っていたわ。とても、楽しそうに……」
メルダのことを考えていたディックの耳に、今度はリムの名前が聞こえた。
「ご両親と話して、ご両親に甘えて、とても、楽しそうだった。とても明るくて、癒されてて、愛されてるのが見て分かる……幸せなことが、よく、分かったわ」
そう、語っていく顔と口調からは、少しずつ、平静さの代わりに、哀しさが宿っていくのを感じた。
「そんな幸せそうに笑っていた……そんなリムの笑顔を、奪ってしまったのはわたくし」
それは、哀しさと、後悔にまみれた、懺悔の言葉だった。
「ずっと、リムには酷いことをしてきた。庶民の出身で、気弱そうで、何でも言うことを聞く。だから、何でも言うことを聞かせて、イジメてきた……」
今でも思い出す。忘れたくても忘れられない。
金持ちなだけで勘違いして、命令することが快感で、間違いだったことに気づくことなく。
もし、シマ・ヨースケに出会うことがなければ、それは今でも続いていたに違いない。ずっとずっと続いて、もしかしたら、リムのあの笑顔を、永遠に奪っていたかもしれない。
そう考えると、ゾッとする。
そうなる前に、二人は、ヨースケに出会った。ヨースケが、リムを、そして、わたくしを変えてくれた。
そして――
「そして……そんな、ひどいことをしてきたわたくしを、リムはご両親に、友達だって、言ってくれた。第4関隊の、友達だって……」
その言葉と笑顔に、ウソも偽りも無かった。ご両親も、笑顔で喜んでくれていた。
ずっと、娘をイジメてきた、わたくしを見ながら、だ……
「そんな笑顔が、わたくしには、眩しすぎた。だから、逃げてきた……リムの家から、逃げてきた」
「……リムさんと、友達に、なりたくないんですか?」
「なりたいに決まってる……」
そう。友達だと紹介され、そう思われることは本当に嬉しかった。嬉しすぎたくらいだ。
だからこそ、逃げてしまった。
「リムはわたくしを、赦してくれてる……わたくしも、今までしてきたことの、償いをしていくと決めた。けど……どれだけ償ったって、わたくしがしでかしたことは、無くならない。そんな……そんなわたくしが、誰かの友達になるなんてこと、ゆるされると思う?」
ひどいことをしてきたのは、何もリム一人だけじゃない。誰よりも辛く当たったのがリムだが、他にも、偉そうに、高慢ちきな態度と言動で人を傷つけてきた。
そうしてしまった人たち、全員に謝ってきた。ゆるしてくれた人もいれば、最初から相手にしていない、覚えてすらいない人もいた。そして、今さらなんだ? 絶対にゆるさない! そう、今でも怒っている人だっている。
そんな人たちの誰よりも、傷つけ、ひどいことをした。そのリムが、わたくしのことをゆるすって。そして、友達だって、言ってくれた……
「優しいんですね。リムさん……」
その事実を、ディックは言った。
「それに……メルダさんも、優しい人です」
懺悔し、後悔が浮かび、思い悩むばかりのメルダに、ディックの優しい声が掛けられた。
「優しい? わたくしが?」
メルダにとって、自分に最も似つかわしくない言葉が聞こえた。大勢の人たちに迷惑を掛けた、ひどい女に対して……
「昔は、ひどかったのかもしれないけど、そのことを反省して、今でもリムさんのことを思いやってるメルダさんは、とっても、優しい人なんだと思います……少なくとも、反省してるフリした人や、反省した気になってるような人より、ずっと立派です」
他の隊に比べれば、いさかいやいがみ合いが少なく、仲間同士、平和にやっている第3関隊にいるディックも、そういう人間は多く見てきた。むしろ、治療のために国民たちと面と向かう機会が多い、そんな第3だからこそと言っていい。
悪いことをした。そんなふうに欠片も思ってない人間が、周りに言われたから仕方なく受け入れて、理解したフリをして、とりあえず反省したフリをする。
間違っている。そう周りが言うものだから、そこで初めて間違っていたと認識し、謝って、ただそれだけで反省を終わらせ、ゆるされた気になっている。
真に愚かしい人間とはそういうものだ。罪を自覚することができず、反省の仕方も知らず、悪びれもせず後悔さえしない。そんな人間のことだ。
「そんな人たちと違う、優しいメルダさんは、その……す、素敵な人、だと、思います」
「素敵って……なにそれ?」
ディック自身、自分で何を言っているのかと、言った後で後悔した。他に言葉が思いつかず、とっさに言ったのがそれだった。だがらまたすぐ、言いたいことを言う。
「その……だから、その、つまり……メルダさんは、もう、メルダさんのことを、ゆるしてあげてもいいんじゃないかって――」
「ゆるす……わたくしが、わたくしを?」
心から反省している。償いだってしてきた。そんなメルダさんはもう、ゆるされたっていい。そう思ったから――
「どうしても、メルダさん自身が、自分のことゆるせないなら……僕が!」
「…………」
「僕、が、その――」
僕がアナタをゆるします……そこまで言いかけて、口を閉じてしまった。
なぜ自分がこんなエラそうなことを言っているのか、理解ができなかった。
ただ何となく存在は知っていた。話をしたのは、今日が初めてだ。そんなメルダさんのことを、僕は何も知らない。もちろん、メルダさんの気持ちも、何を思ってきたかも、分かりっこない。
なのに、今日一日で仲良くなって、ただそれだけのことで、事情も知らないメルダさんに対して、こんなエラそうなことを言うだなんて……
「ディック……アナタ、歳いくつ?」
気まずく、心細くなってしまったディックに対して、メルダの方が声を掛けた。
「え? 15歳です」
「リムより年下じゃない。そんな小さな子が、生意気なことを言うんじゃないわよ」
トゲのある物言いとは裏腹に、顔は穏やかに微笑み、手でディックの頭をワシャワシャとなで回す。それに、ディックがくすぐったそうにしているのを眺めながら――
メルダは何となく、重くなっていた自身の心が、軽くなったのを感じた。
(わたくしが、わたくしをゆるす……そのために、わたくしがするべきことは――)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「…………」
夜風に当たって、風呂上がりの火照った体を涼しめ冷やす。
座り込んだ状態でそうしながら、両手に持った紙の束を凝視する。
考えているのは、紙の束に書いてあること。今日一日あったこと。
そして、この家に来た時、他でもない、部下に言われたこと――
「ミラ、ごめん……」
食事の後、入浴するより前。二人だけになった時、葉介に言われたのは、謝罪だった。
「この事件、俺の手には負えないかもしらん」
謝罪の後で言ってきたのは、そんな弱音だ。
「俺なりに必死こいて考えて、それに応じた調査もしてもらったんやが……少なくとも、俺の感覚で、これ以上考えるのは限界だわ」
俺の感覚、という言葉に疑問を感じた直後、更に続けた。
「異世界から来た俺には、これ以上、この世界の感覚で考えることはできん」
今までほとんど忘れていた事実を、ミラはそこで思い出した。
ハッキリ言って、今でも葉介が異世界から来たという話を信じる人間は、関長たちの間でも少ない。だが少なくとも、ミラは葉介の言葉を、ほぼほぼ全面的に信頼している。
だから、今さらながら気づかされた。自分が葉介に対して、何を押し付けていたかを……
「だから、もちろん俺も、もっと考えはするけど……こっからは、ミラにも考えてほしいんだわ。今回の事件のこと」
そして、ごくごく自然で当然のことを、葉介は、求めてきた。
「ごめんな……俺がもっと、この世界のこと学んでいれば、もっとちゃんとやれてたかもしれんのに――」
「……ヨースケは、悪くない」
いつものマジメさと優しさから、表情を沈める葉介に、ミラもまた謝った。
「悪いのは、わたし……この世界のこと、何も教えてこなかった……そんなヨースケに、全部、丸投げしちゃってた……ごめん」
弟子は放っておいても勝手に成長する。それを待つのが師匠の仕事……
ずっと信じて思い込んできたソレが、間違いどころか、どれだけ愚かな考えだったか。今となっては、ハッキリと理解できる。
葉介を弟子に取る以前より、たくさんの技を覚えることができた。
それは、葉介が教えてくれたからだ。
どんなこともどんな技も、教えられないと理解できるわけがない。覚えられるわけがない。それに気づかず、自分が師匠にされたことを、そのまま弟子にしてきた。
そうして何もしてこなかったせいで、なにもできずにいる。
そんなバカに向かって、ヨースケは本気で落ち込んで、謝ってる。いる意味なんてほとんどない、役立たずだっていうのに……
それでも――
「ん、分かった……わたしも、考える……ヨースケと一緒に、考える……これは、わたしと、ヨースケ……第5関隊の仕事だから」
役立たずであれバカであれ、それでもわたしは、ヨースケの師匠だ。
強くて優しくて頭がキレる、そんな誇らしい男が弟子なんだ。
その弟子が、師匠を頼ってきた以上、応える義務が師匠にはある。
なにより――夕方にも謝ったことだけど、本来、誰よりも考えなきゃならないのは関長だ。
「ありがとう……調べた結果は、全部この紙に書いてある。読めるかな?」
「ん……読める。これが、ヨースケの故郷の字?」
受け取った紙の束には、見たことのない文字が書かれてあった。マナを通して読むことで、ミラにも問題なく読むことができはする。
だが、字画の多いもの、少ないもの、角ばったもの、丸いもの、様々な形式からなる、様々な文字の組み合わせから成っている。
そんな日本語の横書き文章に、ミラは文章の内容関係なく見入っていた。
「そう。これが、俺の実家の文字。読めるようで安心した」
この国の文字の手描きは練習してきたし、簡単な資料を書くくらいならできるようにもなった。が、ある程度長い文章や、今回のメモのようなとっさの走り書きでは、どうしても故郷の文字で書いてしまう。
そのことを、ミラも理解し、頷いた。
「……ヨースケの名前は、なんて書くの?」
「俺の名前? 書こうか?」
頷き返し、葉介はペンを取り出して、紙の隅の方に、志間葉介と書いてみる。
その文字のことや、名前のこと等、他愛ない会話をしばらく楽しんで……
葉介と別れ、入浴も済ませて。ミラは受け取った紙の束と睨めっこしながら、必死に考え続けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「羊が逃げたんだとしたらどっち道戸が開いてないと逃げられるわけないつまりは鍵が開いてたってことになるでも羊が逃げた痕跡はこの土地のどこにもなかったつまり羊は逃げたわけじゃない逃げたわけがない害獣やデスニマは魔法で入ってこれない入ってきたとしても第1の皆さんに見つからないわけがない土地の外まで逃げ出した羊を害獣が食ったそれにしたってあの牧場からだとどの出入り口も結構な距離だしだからどうやって羊が逃げ出したんだって話になってブツブツブツブツブツ……」
陽はとっくに沈んでいるうえ、目と鼻の先にある山の影で、余計に暗くなっている。それでも、月明かりや、遠くはあるが、並ぶ家々から漏れる光のおかげで、なけなしの視界はとりあえず保証されている。
そんな暗闇の中、歩きながら、ブツブツブツブツ声を漏らしつつ、歩いている男が一人――
「やっぱ一番考えられるんは誰かに盗まれたってことになるけど羊なんてそこそこデカい生き物わざわざ盗む理由も分からんしまあ動機はこの際置いておくにしても戸締りはキチンとしてたっていうし鍵を壊すならともかく開けるような魔法は無いっていうしだとしたらやっぱ玄関の鍵を開けて忍び込んだ家の中から羊小屋の鍵をわざわざ見つけてきて鍵を開けて羊を盗んでまた鍵を家の中に戻して玄関の鍵を閉めて逃げたっていうわけのわからん話になる盗まれたってことを気づかれんためかそんなことしても十匹も盗めば気づかれるに決まっとるからカモフラージュなんか意味ないしブツブツブツブツ……」
黒いフードで素顔を隠して、あごに手をやり、ブツブツブツブツ……
まあ、誰あろう、志間葉介なのだが。
こんな場所とこんな格好、こんな様子とこんなたたずまいでは、どう見ても不審者のソレにしか見えないし、何なら、たった今本人が一生懸命考えている、泥棒だと言われても仕方がない。
そして当人はと言えば、そんな自分の姿に自覚を持つこともせず、興味も持たず、歩き回りながら、ひたすらにブツブツ考えるばかり――
「仮に盗まれたと仮定して盗んだ方法は『魔法の麻袋』で間違いないのかカリレスでは野菜やら食肉やら運ぶために当たり前に使われてるようだから持ち込んだとしても怪しまれはしないだろうし第1もわざわざ検品なんかしないようだし麻袋に入れたとするなら隠すのも簡単だろうしカリレス中の麻袋全部調べるわけにもいかんからなぁあの牧場の家の中にも普通に置いてあったしていうかもし麻袋に入れたんだとしたら持ち運びも簡単で怪しまれず出入りできるんだからとっくに遠くまで逃げてるもしそうならどっち道手遅れで犯人も分かりゃせんブツブツブツブツ……」
ミラにも頼んだとは言え、葉介も、決して考えることをやめたわけではない。そもそも葉介自身、この一ヵ月で大よそではあるが、この世界の在り様は理解したつもりだ。
中世ヨーロッパベースのファンタジー世界……
そう最初は感じていたが、フタを開けてみれば、誰もが魔法を使っている以外は実家とそう変わりはない。
言ってしまえば、科学や電気・ガスの代わりに魔法が発見され、広まり、利用・活用されている。『魔法の灯』とか『魔法の袋』が発明されていて、バイクや車の代わりに箒と絨毯が飛んでいる辺り、あと一世紀もすれば、魔法を使ったテレビや電話が生まれているかもしれない。
見た目や年のころは中世なのかもしれない。だが、技術面だけ見て無理やり実家の時代に当てはめるなら、大正から昭和初期、何なら、文字通り戦後のアメリカといったところか。
もちろん、この国の外は全く知らないので、一概にそうとは言い切れないことだが、この国に限って言えば、そんな認識で大方間違いはあるまい。
「よっぽど想像力に夢が欠けたヤツが考えた世界なんだなぁブツブツ……」
余計なお世話であるブツブツ……
「あ……ヨースケさん」
歩きながら、ちょうどリムの自宅まで戻ってきた、ヨースケの耳に届く声。
あまり声量の感じない声を出す、黄色い騎士服は、一人しかいない。
「ああ、ジンタン……」
「ジンロンです……どこへ行っていたのですか?」
目の前で話してみると、その声の暗さと言うか、陰りというか、そういうものが余計に感じられる。
そんな失礼なことを感じつつ、質問には答える。
「向こうの川で行水を……」
「行水って……お風呂なら用意されていましたよ?」
「ああ、そうなんですか……」
「ヨースケさんも、自分たちと一緒に入ればよかったのに……なぜわざわざ川に?」
(なぜって、そりゃあ……)
ジンロンを見ながら、フードの下で苦笑が漏れる。
目の下のクマや、褪せた金髪に混ざった白髪が目立ってはいるが、十分に二枚目な褐色顔の長身。ファイも綺麗に整った顔だし、ディックも幼いながら美男子と言える。そんな若者たちの姿形を思い出すと……
(まあ……【加工】で顔とか体のどの辺までイジるもんなのかは分からんが、そんだけ綺麗に整えられるのなら、その、身体も、その、ねぇ……下の方も、ねぇ――)
イケメンの男の子に囲まれて、自身の男の子を気にする男……志間葉介。31歳。
「……? まあいいです。お時間があるなら、ぜひまた、お昼の続きをお願いしたいのですが」
なぜだか押し黙ってしまった葉介に対して、ジンロンは、そんな要求をしてきた。
「お昼の続き……?」
「キック以外にも、もっと教えてほしいことがあります」
「あ! 僕も教えてほしいです!」
話している二人の耳に、甲高い声が聞こえた。かと思えば、その小さな影は二人の方へトコトコ走ってきた。
「あ……ぜひ、ワタシも」
また、別の声。たった今、思い浮かべていた男子メンバー全員。
それぞれ、ちょうど話していた相手と別れてやってきた二人を含めた、この三人とも、昼間もアラタに続いて葉介から学びたいと、真っ先に手を上げてきた三人だ。
「教えるのは、そりゃあ構いませんけど……」
リムやメルダとはまた違った意味で、目も顔も輝かせている三人の顔を前にすると、断りづらいと感じてしまう。そもそも、断る理由も特に無い。
無いのだが……何となく気になって、聞いてみることにした。
「しかし、三人とも、なにゆえ技なんか習いたいんですか?」
未だにタメ口が慣れないせいで、どうにも敬語が混ざってしまう。だが、そのことを気にせず、真っ先に答えたのはディック。
「僕は、ヨースケさんが格好よかったからです! だから、ヨースケさんみたいに強くなりたいんです!」
「そ、そうですか……」
両手に拳を握って、迫られながらの言葉に、葉介もたじろいだ。
「ワタシも同じです……ヨースケ殿の勇姿に憧れました」
「自分も……今よりもっと、強くなりたい」
「……強くなって、どうするのですか?」
理由自体は、リムやメルダと変わらない。あの二人に対しては、特に疑問は感じなかった。それがなぜだか今さらになって、疑問に感じたから聞いてみた。
「もちろん! 悪いヤツをやっつけます!」
「技だけ覚えても、デスニマは倒せやしませんよ?」
まあ、蹴りだけでデスニマを倒している葉介が言うのもなんだが……
子供や小さいヤツなら、確かに生身でも倒せないことはない。だが、親はもちろん、馬とかクマさん等の大きなものになれば、魔法抜きの生身で倒すことは不可能になる。
そんな、葉介の言いたいことも、三人はすぐに理解したらしい。
「はい……けど、悪いヤツは、デスニマだけじゃありません。人間の悪いヤツなら、ヨースケさんの技だけでやっつけられます」
「そらぁ、人間相手ならイケますけど。てか、俺の知ってる技なんて全部、人間相手の技術ですし」
「ええ……ですから、ヨースケ殿の技で、犯罪者たちを倒します」
「魔法を使った方が確実では?」
「魔法は誰でも使える……そんな物に頼ることなく、人間を制することができる。それに自分は憧れました」
「……とどのつまり、人を倒したいから、私の技を習いたい、と?」
率直に聞き返すと、三人ともが、迷いなく頷いた。
「……まあ、理由はどうあれ、教えるのは構わない。けど――」
教える前に……これだけは、言っておきたかった。
「強くなることと、人を倒すことは、全く別ですよ?」
それは、どういう意味か……?
三人が聞き返そうとしたものの、葉介は突然、別の方向を見た。
「ミラ様……?」
葉介の視線の先。そこには木が一本生えていて、その下にミラがたたずんでいる。三人とも、単にミラのことを気にしているのかと思ったが……
「ファイ様や?」
「……え?」
「魔法の麻袋っていうのは、あんなふうに、カリレスのそこかしこに置いてあるものなんですかね?」
いきなりの質問ながら、カリレスのことをよく知る一人のファイは、答えた。
「まあ、そこかしこというと言い過ぎではありますが……そもそも、『魔法の袋』は材料の関係上、大きなものになるほど詰め込める量が増える代わりに、耐久性は下がっていきます。そうでなくとも、出荷物ごとに袋は分ける必要があるので、魔法の麻袋をいくつも買い込む農家は多いです。とは言え、魔法で【修復】を行えば、袋自体が壊れるまでは使用が可能ですし……そういうこともあって、家の中や物置小屋の中に放置されていたり、あんな風に木に引っかけてあったりという光景も見かけはしますね」
そのせいで、タマに子どもがいたずらで中に入っていくのは困りものですが……そう、ファイは話を締めくくった。
「…………」
その話を聞いて、また葉介は顎に手をやり、ブツブツと口を動かして……
「まさか……!」
「ヨースケ!!」
「ミラ!!」
第5関隊の二人の声が重なった直後。距離が離れた別の場所に立っていた赤色二人は、目が合うなり同時に同じ方向へ走り出した。
「ミラ様? ヨースケさん!?」
「ヨースケ殿! どうしたのです!?」
そんな、ディックとファイの声、それより前の赤色二人の声を聞きつけた他のメンバーも、走っていく赤色二人に気づいた。
「ミラも気づいた?」
「ん……自信ない。けど、もし当たってたら、大変なことになる」
「羊泥棒は逃げたんじゃない」
「ん……泥棒は逃げてない。今も隠れてる。多分、あの家の中」
ミラの言った通り……
羊を盗んでそのまま遠くへ逃げた。そう考えるのが最も自然だと二人ともが考えて、それ以上は行き詰まっていた。
だがもしそうなら、羊小屋の鍵のことがどうしても納得いかなかった。羊を盗むだけが目的なら、わざわざ鍵を盗まず魔法で壊せば済むものを。
しかも、使った後はその辺に捨てれば済むものを、わざわざ家の中の、元あった場所に戻しておいた。十匹も一度に盗んだのなら、カモフラージュなんか意味がないのに……
だから逆に考えた。
鍵もそうだが、家の中に入ること、それも目的の一つだったとしたら……
玄関の鍵を開け、羊小屋の鍵を盗み、小屋に入って、羊を盗んで、また家の中へ。
この一連の行動全てに、意味があるなら……
そう考えたら、導き出される答えは一つ。
「あの家の中には、リムの家と同じ、魔法の麻袋がいくつもあった」
「ん……あの中に、盗んだ羊の入った袋が混ざってても分からない」
「魔法の袋って、人間が入っても生きてられるんよな?」
「ん……中に入っても息はできるし、寝返りや背伸びもできる。それに、口さえ閉じられなきゃ、自力で出ることもできる。羊も、がんばれば自力で出られるかもしれないけど、人間と違って難しい。もし逃げられそうになったとしても、人間が一緒に入って、出られないよう見張ってたとしたら、それも問題ない」
「つまり、袋の中に隠れて羊たちに何かしてたとしても、それすら外の人間には気づかれない」
「でも……玄関の鍵を開けた方法、それだけが分からない。壊すのが無理なら、鍵が無いと開くわけないのに……」
「あの家に飾ってあった絵、覚えてる?」
「え? うん。可愛い家族四人の絵が、楽しそうに笑ってた……え? じゃあ――」
「うん。ジー、ジーコ? ……息子さんにご両親、あと、もう一人女の子がいたよな? 台所の椅子も、お揃いのが四つあった。アタラ様もいたとは言え、元々四人家族だったってことだろうよ」
「ジークとアラタ……」
二人とも、走りながらも息切れさえ起こさないまま、気づき、思い出し、導き出された答えを語っていく……
もちろん、明確な根拠は無いに等しい。
ハッキリ言って推理とすら言い難い、雑なこじつけでしかない。
当たっているわけがない。
どうか、間違いであってほしい……
そう祈りつつ、リムの家からそれなりに離れた、現場の牧場まで全力疾走を続けた。
「ヨースケ! ミラ様!」
そんな二人の後ろから、また別の声が聞こえてきた。
わざわざ振り返りはしない。声のすぐ後で、リリア、ファイ、ジンロンの三人が、二人のすぐ後ろまで追いつき、その後ろに後のメンバーも続いた。
「ミラ! 全員を連れて先にお行き! 俺より早く着くやろう――」
「何を言ってるのッ……ヨースケも、魔法を使ってさっさと――ッ」
「魔力切れだよ! 俺はこれ以上速く走れん! 使い物にならん!」
二人とは違い、やや息を切らしているリリアに向かって、葉介は毅然と叫んだ。
「魔力切れって……」
「ん……分かった。全員、わたしに付いてきて。コイツは、邪魔だから置いてく」
リリアが疑問を聞き返すよりも早く、冷たい声でそう指示を出す。
全員、二人に対して疑問やら戸惑いやら、様々な感情を浮かべつつ……
それでも、魔法で強化した脚力で、簡単に葉介を追い抜いて、走り去る。
彼らに続くこともできない葉介は、ただひたすらに疾走を続けた。
メンバーの姿が見えなくなってからも、夜の草地を走り続けること約六分。
「ほ……迷わず来れた」
あまり自信が無かった地理に迷うことなく、件の牧場の目の前まで、ようやくたどり着いた時――
ガァアアアアアアン――ッ!!
そんな、建物が爆発し、崩壊する音に思わず立ち止まった直後――
炎を噴き上げる家。
炎が燃え移った羊小屋から、羊たちが一気にあふれ出し、逃げ出していく様が見えた。
「オーマイゴート……」
ゴートは羊でなくヤギである。
「ダリダリダリダリ――」
解決まで、あと――
1時間……
長っが!?
と思った人は感想おねがいします。




