第8話 カリレスのアラタネシア
ルティアーナ王国三大重要地。
うち、間違いなく最重要と言っていい場所が、国内の食料事情の99%を担っている農業地帯『カリレス』。
カリレスには農業を行う上で、農民たちが理想とする環境的条件が全て揃っている。
まず、日の出から日没まで、常に太陽の光を浴びていられる日当たりの良さがある。カリレスに限った話ではないが、周囲には小さいながら山もあり、そこにある水源から流れてくる水は、人間も問題なく飲めるほど水質が良い。
野菜を育てるなら、畑を作るのに不自由せず、栄養をたっぷり蓄えた土が広がっている。先に説明した山を削り、棚田や段々畑として、果物や穀物を育てることもできる。
それだけ広大で、恵まれた環境であるため、家畜を育てることも数や種類を問わず容易に行える。
害虫や害獣の問題は、魔法を使うことで解決している。
それ以外で問題があるとするなら、それだけ豊富な食糧を狙って、外からの泥棒や強盗が後を絶たない、といったところだろうが、リユンと同じく、第1関隊の魔法騎士が昼夜交代で常に派遣され、目を光らせていることで、そういった外的要因は事前に対処することに成功している。
とはいえ、現代日本の警察がそうであるように、全ての事件、あらゆる異変から護ることは、もちろん不可能であるわけだが……
「羊泥棒の野郎……絶対ぇにゆるさねぇーぞー!!」
件の被害に遭った、牧場主である家族を前に、緑色の、質素ではあるが丈夫で身軽そうな服を着た少年は、短い茶髪を揺らし、両手に拳を握りつつ叫んでいた。
「落ち着け、アラタ……いなくなったものは、もうどうしようもない。第一、まだ泥棒だって決まったわけじゃ――」
家族――老夫婦と、壮年の息子がそうなだめる物の、アラタ、と呼ばれた緑服の少年は、幼い顔に浮かべた興奮を抑えようともしない。
「あんなデカい羊が一度に十頭、小屋の外に逃げ出すなんてこと、あるわけねーだろう!! あの夜は俺が、ジークと一緒に一頭残らず小屋に入れて、鍵だって間違いなく閉めてた……誰かが鍵を開けて、羊たちは『魔法の麻袋』に入れた! それしかねーだろう!? 俺たちがこの国に連れてこられた時みてーによぉ!!」
アラタの大声での訴えには、息子のジーク自身、説得力を感じてしまっていた。
最初、ジークは自分が鍵を閉め忘れたのかと思った。だが、ガキのころから今日まで、両親と共にずっと羊たちの世話をしてきた自分が、今さら戸締りという初歩的なミスをするわけがない。疑っていた両親も、最終的にはそう確信した。
戸締りの他にも、ミスをした覚えは何もない。害虫害獣の侵入を予防する魔法も問題なく発動していた。だとすれば……
たった今、アラタの言った通り。魔法で侵入を防ぐことができない、人間が侵入し、羊たちを連れ去った、と考えるのが、最も現実的ではある。
「しかし、果物や作物ならまだ分かるけど、家畜を狙って強盗が入ったことなんて……」
もちろん、刈り取った後の羊の毛や、ニワトリの産んだ卵、すでに食肉加工済みの牛や豚なら、狙われることはままある。実際、魔法騎士たちの目を盗み、被害に遭った例もある。
だが、生きた状態となれば話は別だ。素人は元より、そう言った加工の技術に精通している人間にとっても、加工することは魔法を使っても楽な作業じゃない。なら、すでに加工済みのものを盗んでいった方がはるかに楽で安上がりだ。
盗んで育てるにしても、羊から取れる羊毛は素人が扱える代物ではないし、羊乳も取れはするが、それなら味も栄養価もより高い牛を狙った方が早い。何より、育てる環境として、カリレス以上の土地はこの国には無いのだから。
だが、大人であるジークはそう論理的に考え、納得することはできても、彼とは一回り以上歳の離れた、15歳のアラタには、それも無理な話のようで……
「ここの羊は、この国で一番なんだろう? そんな羊を狙ったヤツが犯人だ。なら、残った羊も狙われるかもしれねーじゃねーか? それに、もしかしたら他の動物たちだって、狙われるかもしれねーじゃねーか!?」
羊十頭は少なくない数ではあるものの、それで全部というわけではない。もちろん、減った分の損害は免れないが、赤字を出さないだけの数は残っている。
それが、アラタからすれば、またソイツらを狙って犯人が来るかも。そう思うわけだ。
「これ以上、カリレスの動物たちを盗られてたまるかよ! やられちまう前に、俺が犯人見つけてボコボコにしてやらぁー!!」
そう叫ぶなり、アラタはジークの制止を無視して、牧場の外へと走り出してしまった。
「お昼ご飯までには戻るんだよー」
そんな、ジークの母親の呼びかけには、ちゃっかり手を振って返しつつ――
二週間前。一人の男が、外からこのルティアーナ王国にやってきた。
男の目的は、祖国から誘拐した子どもたちを売って、金に換えること。そのことがバレないよう、この国の魔法騎士団、第2関隊に敢えて護衛を任せ、加えて、事前にそそのかしたゴロツキたちに自分を襲わせるなど、危険ではあるが自分が怪しまれない手をいくつも講じておいた。
が、それだけの苦労も空しく企みは暴かれ、囚われることとなった。
自身の子どもだと偽り歩かせていた三人を含む、計22人、うち、21人の子どもたちは、そのまま魔法騎士団に保護され、国に返すまでの間、そこから最も近くて広いココ、カリレスにて預かるという方策が取られた。
歩かされていた三人以外の子どもは、彼が所持していた、『魔法の革袋』よりも大きな『魔法の麻袋』に詰め込まれていた。その一人がこの少年、アラタ――本名、アラタネシアである。
魔法の麻袋に詰め込まれていた19人の子どもたちは、ほとんどがグッタリとして、すでに命を落とした子も一人いた。魔法を使っているとは言え、本来は道具を収納するための道具であり、人間や生物のために作られていないものに長時間、すし詰めに近い状態にされていたのでは無理もない。
そんな麻袋に詰められていながら、アラタは一人、辛そうながらも元気に立ち上がっていた。どころか、同じ目に遭っていた他の子どもたちを気に掛けることさえしていた。
生き残った子どもたちと一緒にカリレスに連れてこられた後も、それは同じ。
最年長の15歳ということで責任感が芽生えたのか……絶望し、落ち込む子どもたちを慰め、笑わせようと努めていた。
そんなアラタが、ここでの仕事を手伝いたいと言い出したのが、ここにきて三日目のこと。故郷の国へ戻る日の目処が立ったころ。帰るまでの間に、お世話になっている人たちに恩返しがしたいと言い出し、カリレスの農民たちは、それを受け入れることにした。
もちろん、農業を知らない、15歳の子どもにできる仕事などタカが知れている。中には、専用の魔法を覚えることが必須な作業も多い。
加えて、生まれつきマトモに魔法を習った経験が無いというアラタがマトモに使える魔法は【身体強化】の一つだけ。それ以外は、この国で必須魔法と呼ばれるものさえ、一度ちゃんとした指導が必要なレベル。教育格差や貧困・犯罪の幼齢化が問題となっている諸外国ではままある例だ。
だから、させてもらえる仕事は、魔法を使わずともできること。具体的には、草むしりであったり、水を汲んできたり、ゴミを捨てに行ったり、家畜にエサを運んだり、収穫した作物を運んだり、そう言った下働きのみ。
そんな、面白くもない、体力的にも辛い仕事を、アラタは文句一つ言わず、全てこなしていった。
元々、【身体強化】を使うまでもなく体力に恵まれていたことで、体を動かす仕事に抵抗はなかった。加えて、やや短気で直情的なキライはあるが、愛想よく物怖じしない、真っすぐな性格が好まれ、住民たちや、魔法騎士からも快く受け入れられていった。
朝日が昇れば、カリレスを回って自分ができる仕事を探しては手伝う。それでお昼ご飯をご馳走になったり、ということもあった。
日が沈んで、子どもたちを預かっている屋敷に戻れば、子どもたちを慰めつつ、おしゃべりして笑わせるということを、子どもたちが全員眠るまで続けていた。
そんなことを繰り返して、農業の仕事が楽しくなって、叶うことなら祖国に帰らず、ココでずっと働きたい。そう思い始めた矢先――
アラタが手伝った場所の一つであり、特に可愛がってくれた家族のもとで起こったのが、羊の消失事件である。
事件が起きたのが、アラタが手伝った日の夜ということもあって、アラタ自身も責任を感じていた。
だからこそ、自分が犯人を見つけ出してやる。そう思い立って以降、犯人捜しに奔走した。
羊を盗みだしたヤツ。怪しいヤツ。
ソイツをとにかく探し求めて――
「デスニマのニオイ……こっちか?」
そうして、事件が起きてから二日目の今日。カリレスの入り口の一つであるこの場所で、アラタはとうとう見つけ出して、攻撃を仕掛けた、のだが……
「…………」
「この、野郎ぉ……」
黒い服に、フードで顔を隠している男。わずかながらデスニマのニオイがプンプンするうえ、見るからに怪しいソイツに向かって、思いきり棒を振り下ろしてやった。が、男は魔法も使わずに、ちょっとの動きでその棒を叩き落とした。
その後は、何度も殴り掛かろうとした。
もう一度、殴り掛かろうとする。
「…………」
「グゥ……ッ」
そしてまた、同じことをされる。
常に目の前に立たれて、こっちが殴ろうと拳を振り上げた瞬間、肩を胸にぶつけてくる。そうして後ろへ押し出して、また目の前に立つ。
目の前に立って、殴るより前に押し出され、殴る形を作らせない。
「だったら――」
普通に殴るのがダメならと、【身体強化】による脚力でジャンプ。男の真上から殴り掛かろうとした。が――
「…………」
「なっ、おい……!」
拳が振り下ろされるよりも前に、男は逃げてしてしまった。当然、ただ落ちるしかない空中から追いかけることもできず、普通に地面へ着地。直後、また目の前に立たれる。
「…………」
「こんのぉ……ナメてんのかぁ!?」
殴ろうとしたら邪魔されて。ジャンプしたら逃げられて。そのくせ、この男は攻撃らしい攻撃をしてこない。そんなことを繰り返されたアラタは、とうとう絶叫した。
「さっきから逃げてばっかりでよぉ! こっちには何にもしねーでよぉ!! 俺をナメてんのかぁ!? この羊泥棒がぁ――!!」
ブン――ッ
絶叫した直後――顔のすぐ横から、強烈な風が吹いた。見ると、そこには直前には無かったはずの、赤い靴。赤いズボン。赤い右足。
寸止めされたことで痛みはない。なのに、直前の風が、その蹴りの痛みを伝えた。
そして、感じた……
コイツには、勝てない――
「…………」
男は終始無言なまま、アラタがそれ以上動かないことを確認すると、足を下ろして、下がっていってしまった。
「お知り合いですか?」
案内役の少女、サリアに尋ねてみる。相変わらず、葉介と顔を合わせるなり気まずそうに顔をしかめ、視線を泳がせつつ――
「あ、はい……アラタ! この人は泥棒じゃないわ!」
曖昧に返事をした後で、慌てた様子で緑色の少年――アラタへ近づいていった。
「彼は私たちと同じ、魔法騎士よ」
「……ま、魔法騎士?」
蹴りの寸止めを喰らって、ずっと呆けていたアラタだが、その言葉に反応した。
「魔法騎士って、白いヤツのことじゃねーのか?」
「仕事によって色が変わるの……カリレスでは、白い騎士服が普通だろうけど、他にも紫、青、黄、赤色の四色があって、主にお城で働いているわ」
「紫、青、黄、赤……じゃあ、あの黒いヤツは違うじゃねーか!」
そんな絶叫を……予想していたらしい葉介は、上着の前を開いて見せる。柄は多少違うが、明らかに白とは色違いなだけの、サリアと同じ騎士服が露わになった。
「……なんでテメーだけ、そんなもん着てんだよ?」
「趣味」
一言で返事して、ボタンを締め直した。
「まあ、ちょうどよかったかも……アラタ、彼らにカリレスを案内するから、手伝って?」
「えぇ? 俺は羊泥棒の犯人を――」
「ただ探すだけで見つかるなら、誰も苦労しないわよ。ほら、一緒に来なさい!」
「ヨースケさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫……大丈夫」
心配して話しかけてくれたディックに笑いかけながら、葉介は、思った。
(なんでだろう……そんなつもり無いのに、段々厨二っぽい言動になってきてる気が……)
黒い上着とフードで素顔を隠し、元気な子ども相手に終始無言、最後には蹴り一発で圧倒……一連の流れだけ見れば、中々の厨二である。
(そんなつもりなかったのに……あああぁぁ~~~~~~)
あと十歳も若ければ、オレサマツエーと無条件ではしゃいでられたかもしれないが――
さすがにこの歳でこれは無いと、内心激しい羞恥を感じている男……志間葉介。31歳。
そして、そんな内心を隠す平然とした表情を見るメンバーの仲間たちは、相変わらず魔法も無しに、少年相手とは言え圧倒して見せた葉介に注目している……
(これが、オレツエー系か……)
カリレスに入った後は、現場となった牧場まで真っすぐ歩く。道中、村の様子を観察しつつ、この村を知る仲間に色々と質問もする。
そうして歩き、見て、聞いている間に、葉介は感じていた。
(あー……なんか、懐かしいね、この感じ)
左を見上げれば、あまり高いわけでもない山が視界を遮って、右を見渡すと、真っ青な海と空。その間を見回してみると、あるのは畑と土と草。
これだけ聞けば、以前行ってきた村と、海の有無以外は大差なく感じる。
だが、以前の村とは違って、土地が開けて見晴らしも良く、遠くの景色がよく見える。家は、奥に見える大きな屋敷を中心に、小さいながらもカラフルで近代的な、立派な家々が並んでいる。
自然に囲まれている、というより、挟まれて、その中に発展させた場所で生きている……
(実家を思い出すなー……)
もちろん、ココに比べればある程度の発展はしていた。違いは、ただのそれだけだ。
山があり、海があり、それに挟まれた場所に家々が並び立って、ちょっと歩けば当たり前に畑が並ぶ。
ココほど分かりやすい農業地帯、というわけでもなかったが、景色から雰囲気から、以前行った森の村に比べれば、より故郷の景色に近い場所。
(夕方ごろに夕日に向かって、思いっきり走ったら気持ち良いんだろなー……)
そんな、ちょっとしたノスタルジーを感じつつ……
歩いているうち、アラタも世話になったという、羊牧場に到着した。
敷地面積の度合いは、葉介の乏しい農業知識では判断しかねるが、多くの羊たちを放し飼いにするだけあって、かなりの広さがある。
そんな牧場を営んでいる、ジークという男と、その両親である老夫婦から、話を聞いた。
「さすがに都合よく、目ぼしい情報は手に入らなんだな」
「……そう言いながら、かなり時間かけて調べてたわよね?」
得た情報をまとめている葉介に、リリアはそう言った。
「……待たせてしまい、本当に申し訳ない」
「謝らなくていいわよ……今回の仕事は、第5が中心でやってるんだから。アナタや、ミラ様の判断には従うわ」
そう断言するリリアや、集まっているメンバーに、心から申し訳ない様子で頭を下げていながら……
メンバーの全員、直前に見た葉介の姿を不快に感じるどころか、感心していた。
現場となった牧場に来たのは、実際にどんな被害に遭ったのかを被害者の口から聞いて、資料には無い何かしらの情報を得るため。だから、資料に書かれていること以上のことが話に出なかった時点で、別の調査に切り替えるべきだ。
そう考えて、ここにもう用は無いとリリアが判断している前で、葉介はジークと老夫婦、アラタに対しても、次々に質問していった。
鍵を掛けた時、羊小屋も牧場の周囲も、いつもと様子は変わっていなかったか?
羊小屋はもちろん、家の戸締りもキチンとされていたか?
羊以外に無くなったもの、盗まれたと思われるものはないか?
その日の羊たちの様子。食欲や機嫌。健康状態。
その日の天候。気候。カリレス全体の様子。
等々……
大よそ、普通の質問もあれば、羊泥棒とは関係の無さそうな、どうでも良いと感じるようなことまで、事細かに聞き出して、それを自分はもちろん、ミラや他の子にもメモらせて。
その後には、一度見せてもらった羊小屋はもちろん、牧場の中、敷地の中を、たっぷり一時間以上かけて、自分の足で歩き、目で見て回って。
そこまでして初めて、目ぼしい情報は無い、そう判断した。
(やはり、他の魔法騎士とは明らかに違う……)
普通の第1の一般騎士なら、最初の話を聞いた時点で、牧場を離れていただろう。リリア自身もそう判断したんだ。他の一般騎士だってそうに違いない。そもそも、調査や捜査という仕事自体、本来、魔法騎士にとっては畑違いなのだから。
この男は違う。調査や捜査というものがどういうものか、それをよく理解している。もちろん、人によっては、全くの無駄な行為と捉える者もいるだろうが、少なくとも、今日集まったメンバーに、そう考える者はいない。今の聞き取り調査だけで分かる。
この男は、本気でこの事件を解決する気でいると……
(言っては悪いけど……本当に、ミラ様よりよっぽど頼りになる男だわ)
葉介的には、社会人としてイヤでも身についてしまった観察力と、生まれつき自身の内に流れるA型の血に従って行動したに過ぎない。そのせいで、無駄な時間を使ってしまったことを悔いている。
そして、その無駄な時間が、調査、という仕事をしたことがない、知りもしない魔法騎士たちに、自分たちがこれからする仕事がどういうものかを自覚させた。
そして同時に、全員に同じ思いを芽生えさせた。
(魔法を使えないヨースケさんが、ここまでやってるんだ……)
(私たちだって、やってやるわ!)
(…………)
(僕は第3だけど……僕だって、やってやる!)
(宣誓……! ヨースケ殿のために――)
(決意……! ヨースケさまの助けに――)
(ヨースケはわたしの弟子……ヨースケは、わたしが守る)
しかし――
結論から言えば、彼らがせっかく懐いてくれたやる気も決意も、無駄に終わってしまう。
解決しなかった……というわけじゃない。
事件自体は、指定調査期間の三日を待たず、無事、解決を見た。
ただそれが、彼女らが、予想だにするはずもない結末となった……それだけだ。
事件解決まで――
あと、10時間……




