第1話 弟子、初日の朝
「…………」
まず、古い木の香りを感じた。その後は、布団と、その下の硬い木の感触を感じた。
そこで目が覚めて、開いた窓の隙間から光が見えて、ようやく葉介も思い出した。
「そう言えばここ、魔法が使える異世界だった……痛ててて――ッ」
体を起こそうとした途端、体中、特に、太ももを中心に痛みが走る。昨日久方ぶりに行った、激し目な運動による筋肉痛だ。
まだ眠気も残っている。普段ならこのまま、二度寝に入るところだが……
「……朝飯の準備しよっと」
昨夜、食事と一緒に持ってきてくれた靴を履いて、昨夜のうちにミラから聞いた、小屋からほど近い共用のトイレで用を足した後は、小屋の中から必要なものを漁る。
まだ朝日も昇り切っていないものの、十分に明るくなっているおかげで、昨夜に比べれば小屋の中もよく見える。
おかげで、ホコリを被ったマッチ棒と焚き木、酒の空きビン、バケツ、鉈、そして、銛を見つけることができた。
「最初から、道具が揃ってんのはマジにありがたい。初めてではあるが……何とかなることを祈ろう」
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「……なにしてんの?」
パチパチパチと、弾ける音が響く中、葉介の耳に、ミラの声が聞こえた。
「見て分かんない? 朝ごはん食べてる」
朝日が昇って間もない時間から、川の真ん前で焚き火を起こして、川から獲ってきたらしい魚を焼いて、食べている葉介の姿と、立ち上る煙に、無表情のミラは立ち尽くしていた。
「もしかして、勝手に魚獲っちゃまずかった? それとも焚き火禁止?」
「……別に。焚き火くらい平気だし。煙たいけど……この川で泳いでる魚、食べようと思うヤツなんていない」
「は? 汚い川なの?」
「汚くない。見ての通り綺麗な水。下流じゃ、普通に町の人たちが洗濯してる」
「ならよかった。俺も洗濯はここでできるわ」
安心したところで、また一口、焼き魚にかぶりつく。咀嚼しつつ、もう一匹を手に取る。
「食べる?」
「……遠慮する……美味しい?」
「不味い」
見様見真似で勝手が分からず、最初は何度か失敗し、それでもどうにか要領をつかんで、苦労して捕まえた三匹の魚の一匹目の身を飲み込んで、そう返した。
「なんの味もついてないし。内臓は取ったけど、匂いも泥臭いし」
「ああ、そう……」
「せめて、塩でもあればだいぶ違うんだけどね。小屋の中には無かったし、この辺、海も無さそうだし」
「持ってこようか? 塩……」
「いいの? ありがたい。ぜひお願いする……にしても、ココ、城の西? 南?」
「……北」
「……どっち道、城の敷地内でしょう? なのに川と森って、すごいね、よく考えたら」
「ん……元々、森の真ん中にある、ただの丘だったんだけど、まだ魔法が無かった時代に、木を切りだしてお城を建てたって……川と森は、当時の王様たちの慰安目的で残されたとか、単純にお金が無くなったから残ったとか……本当の理由は、誰も知らない」
(『丘』か……まあ、多少角度はあるけど『山』ってほどじゃないしね。『丘』の頂上に川ってのも聞いたことないけど)
そうこう会話しながら、ミラがジッと見つめている前で、三匹焼いていた魚はあっという間に皮と骨だけになってしまった。
「ごちそうさまでした……」
「ご、ち? ……ていうか、朝ごはん、持ってきたんだけど」
「あー……」
空きビンに汲んだ川の水を飲みつつ、ミラが朝っぱらからやってきた理由を聞いて、葉介は少し考えたが……
「いいや。食い物は自分で何とかするよ」
「え? でも……」
「こんなおっさんに、住まいや、生活に必要なもの用意してくれてるだけでもありがたいのに、そこまでお世話にはなれないよ。幸い、川は綺麗で魚もいるし、川向こうには森もある……道具は小屋にほぼ揃ってるし、まあ、他に欲しい道具があれば頼みたいけど。食事は、いよいよ空腹で死にそうって時だけお願いする」
「……分かった。好きにして」
そうこう話している間に、火ばさみで燃えている薪を小さくしていく。火が小さくなったところで踏んで消火し、バケツに汲んでおいた水を手ですくって掛けていった。
「……それでミラ、弟子になったはいいけど、具体的に俺は何すればいいのさ?」
「……小屋で話す。来て、ヨースケ」
言われた通り、ミラは小屋まで歩き、葉介も続いて中へ入っていった。
「とりあえず、コレ、追加の着替えとか、あれこれ。洗濯は自分でする。川があるし。お風呂も川で済ませて」
そこには確かに、この世界の服や布が、いくつも畳んで置いてある。シャツと、ズボンと、下着と、どれがどれか、見て分かる形はしているが……
「真っ黒やなー全部……靴まで」
「ん……今も、黒い服着てるし、黒が好きかと思って」
「別に、黒が好きってわけじゃ……まあ、でも、ありがとう。長袖なのも地味にありがたい」
地味ではあるが、無駄に目立ちもしない。汗を掻けばにじむし、乾けば白くもなるが、それ以外の汚れもシミも目立たない。
今言った通り、特別好きなわけでもないが、嫌いでもないため、無難な色だと思って感謝した。
「……で、することだけど」
ここでようやく本題に入る。葉介も服を置いて、ミラに真っすぐ向き直った。
「弟子だから、やることは修行」
「うん」
「でも、魔力が無いんじゃ、できることなんて、タカが知れてる」
「うん……」
「だから、とりあえず、わたしの言うこと、聞いてもらう」
また外へ出ていき、葉介も続いた。
小屋から少し離れたところで立ち止まって、二人して向き合う。
「とりあえず……わたしに攻撃して」
「攻撃? ミラに?」
「ん……当たったら、合格。入団テストも兼ねてる」
(昨日の説明と言い、なんとまあ、ざっくりな……)
昔から、人より物覚えが悪い葉介としては、あまりに分かりやすくてありがたいことだが、分かりやすいことと、大ざっぱなことは違う気がする……
「……それで、どう当てたら合格?」
「んー……当てられたら、どうでもいい」
「で、もう攻撃していいの?」
「ん……いつでもいい――ッ」
しゃべっている最中、ミラの目の前に、靴の裏が見えた。
すぐさま頭を後ろへ下げつつ、体も後ろへ移動。
(……あれ? 次が来ない……)
「……て、なんでそんなに離れてんの?」
一撃目を放った時は、お互いの間合いはせいぜい二、三歩の距離だった。
たった今、ミラも二歩ほど下がったものの、葉介はそこから、三歩ほど離れている。
「なんでって……そら反撃が怖いし、下がるでしょ、普通」
「……反撃はしない。図に乗るな」
「ああ、そうですかい……!」
返事をしながら、走り出す。離れていた間合いを一気に詰めて、足の届く距離まで近づいた瞬間、
「ダリッ!」
昨日と同じ掛け声と動きで、足を出した。それを、最初の一撃と同じように、ミラはヒラリとかわす。二撃、三撃と、同じように蹴りを繰り出すも、結果は全て同じ。
「ダリッ! ダリッ! ダリッ! ダリッ!」
「…………」
そんなことを10分も続けているうちに、息が上がって、ひざに手を着いてしまった。
「もうお終い?」
「……まさか。まだまだイケるって」
今朝からの筋肉痛もある。本当なら、このまま休憩を挟みたい。
とは言え、弟子とは言え、仮にも年上として、目の前の小さな女の子に弱みや弱音を見せることはしたくなかった。
「体力もつける……少なくとも、タカがデスウルフの子供、23匹に息を上げてたんじゃ、話にならない」
「確かにね……体力無くて、申し訳ない――ッ!」
また、話しながら間合いを詰めて、蹴りを放つ。当然、ミラはヒラリと避けてみせた。
「ダリッ! ダリッ! ダリッ!」
「…………」
「ダリッ! ダリダリッ! ダリッ!」
「…………」
「ダリッ! ダリッ! ダリダリダリダリッ! ダリッ!」
途中から、足の痛みや息が上がるのも無視して、自分が今、何をしているか、何で動いているのかの自覚すらなくなって、気がつけば、背中を地面に着いて、そのまま動けなくなっていた。
「……どのくらい動けてた?」
「10分、無いくらいかな……」
「現時点で動けるのは、20分。短いな……本当、体力なくて申し訳ない」
体中が汗でベタつき、息も絶え絶え。元々あった筋肉痛、で、今した修行のせいで、ひざも足裏も、腰まで痛くて、立ち上がることさえ辛くてできない。
そんな葉介に対して、変わらない無表情のミラは、座りながら話しかけた。
「昨日から、ずっと蹴ってばっか……殴ってこないのはなんで?」
「別に……大した理由はないよ。昔から何となく、殴るの苦手で蹴る方が得意ってだけ」
決して、元いた世界で有名なマンガやアニメに出てくる、黒い足したコックさんとか、七重人格者とかに憧れただとか、そんなことではなく、葉介自身が試して考え、結果、落ち着いたのが今の蹴り専スタイルである。
「……殴った方が、早いと思うけど」
「蹴りほど鍛えてこなかったから、威力が無いんだよ。手をケガするのもイヤだし」
「……まあ、スタイルに文句は言わない。わたしにも、苦手なことはあるし」
「それはどうも――ッ!」
みたび、話しながら両手を地面に着いて、立ち上がりざまに蹴り出した。
その不意打ちさえ、ミラはヒラリとかわして見せた。
「うぅ……」
そこまでして、本当の限界が来てしまったようで、ひざを着いて動けなくなった。
「……今日はこれでお終い。続きは明日」
「早や……分かった」
笑い続けるひざに力を込めて、どうにか立ち上がる。上がっている息を整えて、背筋を伸ばし、両手は太もも、足はかかと同士を着ける。
「ありがとうございました」
「あ、うん……お疲れ」
お辞儀して、返事が聞こえたところで、姿勢を崩した。
「それで、明日までにしておくことあるの?」
「……自分で考えて」
「は?」
「鍛えたいなら、自由にして。わたしからは、いちいちこうしろって指示しない。お前にできる仕事も、今のところ無いし。ただ、明日も同じくらいの時間に、コレする。それだけ」
(本当にざっくりやな……)
だが、それはつまり、自分で考えて、自分のやりたいタイミングで、自分のやりたいトレーニングメニューができる、ということ。
言ってしまえば丸投げということだが……
仕事もまだ無いとは言え、食料集めや、生活も自立していかなければいけない葉介としては、ありがたいことだ。
「分かった。んじゃ、自由にさせてもらう」
「ん……ただ、城の方には入ってこないで」
自由と言いつつ、最後にそう付け加えた。
「トイレに行くのは仕方ない。ほとんど外だけど、一応、城の中だし。けど、それ以外は極力しない。他の誰かと出くわしたり、話したりしたら、色々と面倒」
「ありがたい。俺も、そうさせてほしいって思ってたんだ」
昨日の時点で、初対面の若者らの反応がああだったんだ。一日も経てば、噂は狭い城中に広がっているに違いない。
そんなところへノコノコ入っていって、ジロジロ見られるだけならともかく、話しかけられるのは勘弁だ。ただでさえ他人と話すのが苦手なうえ、異世界の人間と会話が合うわけも無いことだし。
「じゃあ、もう行く。塩以外に、欲しいものある?」
「欲しいもの……じゃあ――」
葉介から欲しい物を聞き出して、別れた後は城の方へ戻る。
戻って、誰もいない影に入ったところで……
(ガタガタガタ……)
ミラは、その褐色の二の腕を両手に押さえながら、ガタガタと震え出した。
(確かに、体力はまだ足りない。技も未熟……でも、蹴りの威力は、本物……)
今日の修行で、全て避けきった蹴りを思い出しながら、感じていた。
(わたしだから避けられた。けど、シャルとか他のヤツだったら、間違いなくボコボコ。で、大ケガ、ボロボロ、血だるま……)
自分目掛けて、いくつも打たれた蹴りの雨。まだまだ未熟だったし、目で追えたから避けられた。けど、当たっていてもおかしくはなかった。
(しかもアイツ、騙し打ちも不意打ちも、何の迷いもためらいも無しにしてきた……挨拶とかは礼儀正しいくせに、戦いは綺麗事じゃないって、知ってるんだ……)
普通、こういう修行を始める時は、タイミングを言葉や声で確認する。それが無くとも、お互いに構えたりして、その空気とか雰囲気が合った時が開始の合図代わりになる。
けど葉介は、いつでもいいと言った瞬間、それが言い終わらないうちに蹴りを繰り出した。その後も、話しをするために立ち止まったり、倒れ込んだところへ駆けつけ声を掛けたり、そういう時を狙われた。
今日はお終い。そう言った後は攻撃してこなかった。そう言うまで、攻撃し続けてきた。
(わたし相手には、それくらいしなきゃ当てらんないって思ったのかな……それはそれで、誉れ)
自分があのおじさんより強いのは当然としても、あのおじさんも、元々かなり強い。あの歳までに、どんな鍛え方をして、魔法も無しに、どう戦ってきたのやら……
葉介のいた世界を知らないミラの価値観では、それらを推し量ることは到底できない。
だが、色々なことが分からないながら、それでもミラは、改めて思う。
(わたしの目に狂いはなかった。弟子にして正解……どこにも絶対、逃がさない)
その時、無表情のミラが浮かべている目は、葉介という、理想の弟子に出会うことができたことへの……少女として歳相応な、歓喜と興奮だった。