第9話 弟子、ごちそう
「はぁ……はぁ……」
雨はだいぶ弱まっている。こんな崖の下にいては、左右の崖のせいで見える雲は小さいが、様子からして、もうすぐ雨は止みそうだ。
(やれやれ……そりゃあ、醜くて汚いことは俺の仕事、とは言ったし自覚しとるけども――)
そんな、薄暗い天気の雲の下で――
「グルルルルル……」「グルルルルル……」
「グルルルルル……」「グルルルルル……」
倒れたデスウルフに囲まれた葉介を狙い構える、デスウルフの群れを前に、葉介もまた、右足を気にしつつ構えを作る。
(どうすりゃあ、あんな勢いよく下ってきておいて、生きてたのか知らないけど。てか死んどるけど……この崖下は一本道。このまま行かせりゃあ、間違いなくシャル様と鉢合わせする。生きた動物を襲うのなら、見逃すなんて希望も淡すぎるだろうし……やるっきゃねーゃな)
お手洗いに行く前に、あれだけエラそうなことを抜かしてきたんだ。そうでなくとも、葉介には分からないが、今のシャルに、魔力に余裕があるとも思えない。
助けは期待できないだろう。
「犬の居ぬ間に、去ぬ時など得ぬ……俺はなにを言ってるんだ?」
呟きながら、フードを被り直した時……
「……ッ!」
シャルには聞こえないよう、掛け声は控えつつ――向かってきたデスウルフの一匹へ、右足を喰らわした。
「うぅぐぅ――ッ」
案の定、蹴りだした右足は、くるぶしを中心に全身が痛み出した。
くるぶしから始まって、つま先、太ももにまで痛みが伝わってくる。
(この国にあるんやろうか、狂犬病ワクチン……!)
もちろん、そんな痛みや疑問なんかデスウルフたちが知るわけもなく、構わず向かってくる。
続いて向かってきたデスウルフに対しては、左足でその場を跳ねて、そのまま左足を飛ばす。飛び蹴りを喰らったデスウルフは遠くまで吹っ飛んだが――
「うぉ……!」
着地と同時に、また別の犬が襲い掛かってきた。
(飛び蹴りはやっぱ、デスニマ向けの技じゃねーな……)
一対一ならともかく、敏捷な動きでどこから何匹来るか分からない。そんな相手に、威力はともかく、体勢も状態も、視界まで不安定になるこの技はよろしくない。
それを重々理解したことで――
「もういい……プレゼントしよう、右足の一本くらい!」
開き直って、踏ん張りが効く左足で踏ん張って、右足はそのままこん棒代わりにすることに決めた。
「こんの――っ!」
蹴り出せるのは右足の一本だけ。方向転換も、ほとんど左足だけでする必要がある。
全身に広がっていく右足の激痛と、左足に溜まる疲労の中、それでも、デスウルフたちを迎え撃ち、倒していくことができていた。
夢中で蹴っている内に、段々、自分でも不思議に思えてきてしまう。
もう止んだが、雨に濡れるのをガマンして、こんなに痛いのもガマンして、息切れも疲れも無視して……
何が哀しくて、好きでもない、むしろ嫌いな女のために、ここまで命を懸けているのやら……
「……うぇ、ヤバッ!」
夢中で蹴りつつ、頭がボンヤリし始めていたせいか、左右への意識を怠っていた。
そのせいで、右側の死角から跳んできた犬の歯が、モロに右手に喰い込んだ。
(うわぁー、よりによって右手かよ。左手なら、左足で踏みつけられるのに、今の右足じゃあ……)
かなり痛いのをガマンしながら、別の犬に、右手の犬を振ってみる。
ぶつかった犬は飛んでいったものの、右手の犬は、未だに歯を喰い込ませたまま放してくれそうにない。
「分ぁーったよ! 右手もプレゼントすりゃ良えんやろう!!」
そんな問題でもない気もするが……
右足も、右手も犠牲にしながら、あと何匹残っているやら。
痛みと疲労、出血のせいで、数えるどころじゃないデスウルフの群れへ、とにかく繰り出す、右足。
段々と、目の前が霞んできたせいか……
この場で見えるはずのないものまで見え始めた。
(あー……無傷で帰らなきゃ、まーたミラに、命を粗末にしたって怒られるかね?)
あの時も、無表情は変わらないくせに、今にも泣きそうな様子で、俺に対して怒っていたっけ?
(無事に帰らないと……まだ教えてやりたい技も色々あるし、何よりミラのこと、一人にしちゃおけないよ、仕事も大変だろうに)
まだ、第5の仕事も全く知らないくせに、我ながら生意気なことを考えている。
そう思っていても、ぼんやりしてきた頭の中に浮かぶのは、ミラの顔、ミラの姿、ミラの声――
(変態か、俺は……?)
苦笑し、頭を抱えたくなった、その瞬間――
右手とはまた別――左手に。左足に。左肩に。右肩に。背中に。首に。
同時に喰い込む感触。
もはや、痛みもロクに感じられない。だが、何匹という、それなりの大きさの犬の重さに耐えることもできなくなり、そのまま地面に倒れ込んだ。
「あー……」
もはや、しゃべることすら億劫で。動くことは、もっと億劫で。
そんな葉介にできるのは、せいぜい、思談だけ――
(ミラ……ありがとうよ……こんなおっさん、拾ってくれて――)
思談した瞬間、歩いてきた犬の一匹の、歯と、舌と、黒が視界を覆い――
直後、見えていたものが突然、飛んでいったかのように上へとズレて、視界が開けた。
「……?」
視界だけじゃない。あれだけ重かった体から突然、重さの一切が失せた。
おかげで、未だに感じる痛みの中でも、体を起こし、周りを見渡すことはできた。
「随分と……長く物騒な、お手洗いだな? この、大バカ者がッ」
見ると、デスウルフたちは全て、まるで木の枝のように枝分かれしながらいくつも伸びている、鋭利だが太い光――【閃鞭】に貫かれ、息絶えている。
そんな光の木の枝の、幹というか、根元というか……
例えはどうあれ、シャルがいる。
そんな光の枝を消しつつ、シャルは葉介の前まで歩いていく。そのまま杖をかざし、呪文を唱えて、葉介の全身の傷を塞いでいった。
「シャル様……魔力は節約しなさいと、言っておいたでしょうに――」
「黙れ。貴様のような生意気な新入りに、ナメられたまま死なれてたまるか……貴様こそ、自慢の斧はどうした? 私は見ていないが、それが武器なのだろう?」
「小屋で使ったまま置いてきたんですよ。姿を現すなり引っ張られて、取りに行くヒマもありませんでしたし」
「そうか。それは悪かった……斧は無いくせに、魚は持ち歩いているのだな?」
「いざって時の非常食だったんですけど……おかげで空腹しのぎにはなったでしょうよ?」
「そうだな。ものすごく不味い魚と真水をありがとう」
互いに悪態をつきたいだけついた後には、葉介の体から、痛みすら消えていた。
「あくまで傷を塞いだだけだ。流した血は元に戻らんし、何かの弾みで傷口が開く可能性も高い。仲間と合流できたら、第3の者たちにちゃんと治してもらえ」
「……ありがとうございます」
「どういたしまして……簡単に死ぬな。せいぜい、私に対する一切の失言に対して、後悔してから見苦しく死ね」
「……やっぱ、嫌いですわ、アナタのこと」
「奇遇だな。私も、貴様のことが大嫌いだ」
互いに目を離し、苦笑し合った……その直後。
「イヤな予感が……」
「奇遇だな。私もだ……」
いつの間にやら雨も止んだ中、改めて、今いる崖下を見渡してみた。
左右の崖同士の距離は、上では二十メートルはあったが、ここではその半分程度。動き回るのには不自由しないが、走り回るには少々狭い。
地面は雨のせいで濡れてはいるが、幸い、土が水を浸透しやすいのか、ぬかるみは少なく、踏みしめられて踏ん張りも効く。
向こう側や崖ふちのあちらこちらには、緑や木々が伸びてちょっとした林になっているようで、薄暗い天気と合わせて、向こう側はよく見えない。
そんな向こう側から、いつか聞いたことのある、木を踏みしだく、足音が聞こえてくる。
シャルは、杖を構えなおした。葉介は、両手に靴下を取り出し構える。
そんな二人の視線の先に、現れたもの――
(ナ〇ノカミー!!?)
葉介は思わず、心の中で呼んでしまった。
「あれって、親ですよな?」
「ああ……」
「デスウルフの親なら、オオカミじゃないのですか??」
「なにも同族同士で子供を作るとは限らん。一匹の親から、全く別種の動物の子供が生まれているのを、貴様も森で見ているのだろう?」
森で遭遇した、一匹のユニコーン――【光源】の魔法を使う、馬のデスニマによって生み出された、大勢の子供のデスニマを見ていた葉介は、無言で頷いた。
「おそらく、偶然森からはぐれて死んだイノシシが、デスニマとなったのだろう。平原に普通、イノシシはいないからな」
「それが大きくなってここに落ちたか、それか元々ここで親になるまで成長した後、オオカミたちを生み出すようになったか……」
「いずれにせよ、この巨体だ。いかに崖や山道をスイスイ登っていくイノシシと言えど、地上へ登ることはもはや適わんだろう。第一、こんな平原のど真ん中、それも崖下では、人間や他の動物と出くわすことも難しい。数の多さは確かに異常だが――理由理屈はこの際別にして、エサ欲しさに焦った親イノシシが、闇雲にオオカミの子供を作り増やし続けたと考えれば……貴様の予想も、大外れだな」
「嬉しい誤算……?」
そして、そんなお父さんだかお母さんだか知らないが、口元の牙がまるで、トナカイのように長く歪に伸び、発達したデスボアによって、生み出されたか、はたまた森での三人みたく子供にされたか……
いずれにせよ、そんな三つ目オオカミたちの生き残りが、左右の崖から降りてくるのが見える。
「……シャル様?」
「なんだ?」
「残った魔力で、あのイノシシ一匹だけなら、相手にできます? 私にはとても無理なので……」
「できるが、それが?」
「んじゃ、犬どもは私がお相手しますゆえ、イノシシの相手、お願いできます?」
「…………」
相変わらず、生意気な男だ。傷は塞いだとは言え、満身創痍な体と頭のくせに、今この場での、最適解を簡単に導き出して、それを、指図してくるのだから……
「良いだろう――だが、どうやって犬どもを惹きつける気だ? アイツらは、私も貴様も、お構いなしに襲い掛かってくるぞ?」
「んなこと、私とて分かりませんがな。せいぜい、不味そうな演技でも努力なさいな」
「では貴様は、美味そうな演技を試みるのか?」
互いに皮肉を言い合って……互いに背中を合わせたその時――
左右にいたオオカミたちが、一斉に二人に襲い掛かり、同時にシャルは、デスボアに向かって走り出した。
「ダリダリダリダリダリダリダリダリダリダリダリダリ――ッ!!」
落ちる前にも聞こえていた、葉介の掛け声を耳にしながら、デスボアへ全力疾走する。
(【発火】で一気に燃やせれば確実だが、雨で濡れている。そうでなくとも、私の残りの魔力で、あの巨体を燃やすことは難しい。そもそも、メアほど鍛えているわけでもない……【閃鞭】を操り、首を落とす以外にない!)
そんなシャルの耳に、後ろでなく、左右から犬の呻き声が聞こえた。
左右に目を向けると、左右に一匹ずつ、犬がシャルを睨んでいる。
「チィッ――」
マズいか……そう感じ、魔法を発動しようとした時――
「ダリッ! ダリッ!」
後ろからまた、こちらに向けた声が聞こえた。そして直後、左右にいたデスウルフに靴下がぶつかり、下へと落ちた。
「そっちの女はまーずいぞー♪ こっちのジジィはうんめーぞー♪」
大声での謎の歌を気にすることもせず、落ちてきたデスウルフを気にすることもせず、より遠く離れた、デスボア目掛けて――【身体強化】を発動させる。
「ブオオオオオオオォォォォ――!!」
巨大なイノシシも黙ってはおらず、巨大化した鼻を地面へ叩きつける。
地面に巨大な鼻型を残したが、そこにすでに、シャルはいない――
「喰らえ!」
すでに、崖を蹴ってデスボアの頭上に跳んでいたシャルは、伸ばした【閃鞭】を操り、その太っとい首に巻きつけた。
(このまま締め上げ、切断すれば――)
だが、それももちろん、黙ってはいない。シャルを振り払おうと、その巨大な頭を振り回した。
強化した握力で、杖と湿った体毛を握り続けるが――
(ちぃ、ダメか……ッ!)
手は滑り、杖が悲鳴を上げ始める。杖の先が折れるより前に【閃鞭】を解除したことで、そのまま真後ろ、葉介のいた方向へ吹っ飛んでしまった。
「――ッ」
再び呪文を唱え、【閃鞭】を発動。鞭を伸ばし、崖に生えている木に巻きつける。
「なぁ――!」
だが、地面が湿ってもろくなっていた、根元から抜け、崖を転がってしまう。
「くそっ――!」
新たに魔法を発動させようにも、時間が無い。【身体強化】の発動下とは言え、この高さから落下すれば無傷では済まない。
万事休す――
「ダリダリダリダリ……」
そう感じたシャルの耳に、再び例の掛け声――と同時に、背中に衝撃と、地面よりも柔らかな感触。
「貴様、シマ・ヨースケ……!」
「うボア……ッ」
自分を受け止めてくれた、男に振り返ると、先ほど塞いでやった傷口の多くが、再び出血してしまっている。
「……こんだけ血に濡れてりゃ、ご馳走に見えますかね?」
「私には、不味そうにしか見えんぞ」
そして立ち上がり、背中を合わせ――
シャルの目の前には、巨大化したイノシシの吐息。
葉介の視線の先には、数匹残っている犬の呻き声。
「はぁ……はぁ……」
「…………」
お互いに、お互いの呼吸の音と、お互いの匂いと、お互いの体温を感じていた。
体全体が汗に濡れている。それすら分かるほど、近い場所にお互いを感じる。
「大丈夫ですか? シャル様……」
「シャル……私のことは、シャルでいい……」
紫色の、靴下を握る葉介に、シャルは妖しく微笑みかけた。
「喋り口調も、普通にしていい――いや、命令だ」
「…………」
吐息交じりのそんな優しい言葉に、葉介も反応に困ってしまう。
昨日まで、どころか、ついさっきまで、お互いあんなに毛嫌いしていたはずなのに。気がつけば、こんな状況になってしまって――
「……そんじゃ、続けよっか」
そしてとうとう、覚悟を決めた。
心臓の鼓動が高鳴ることを自覚する。そしてそれは、シャルの方も同じであることを確信し――
「ああ……ああ――」
そしてシャルも――覚悟を決めた。
「ダリダリダリダリ――」
シマ・ヨースケならば、あの程度のデスウルフどもは倒せるだろう。
なら私は、あのデスボアを倒して見せなければ。
残りの魔力全てを【閃鞭】に注ぎ込めば、勝機はある。
だが、それを外せば今度こそ、ガス欠で戦えなくなる――
(やってやるさ。私は、第2関隊関長――シャルロッタ・ヒガンテだ!!)
再び、デスボアに向かって走った。デスボアも再び、地面へ鼻を叩きつける。
先ほどと同じ動きでそれを避け、デスボアの頭上へ。
「さあ、喰らえ!! ――ッ!」
【閃鞭】の発動、首に巻きつけたと同時に、【身体強化】を解除、全ての魔力を、杖先の鞭へ――
「フルバースト――!!」
「ブゥゥオオオオオオ!!」
先ほどは上げなかった鳴き声、悲鳴と呼べるほどの痛々しい声が、真下から聞こえた。
「苦しいだろう……さあ――落ちろ!!」
巻きつけた鞭が喰い込んでいき、首を通っていくのが分かる。
それにデスボアが声を上げ、先ほど以上に体を揺らし始めた。
今は、【身体強化】は使っていない。シャル自身の握力や体力も、決して強いとは言い難い。それでも杖からは、決して手を離すことはせず――
「――勝った」
確かな手ごたえと、落下の感覚と共に――ハッキリと見た。
デスボアの首が、地面に落ちた、その光景を――
「――ッ」
倒れる巨体の動きに従って、地面へと飛び降りる。先ほどは無様に葉介の身に飛び込んでしまったものの、今度はしっかり飛び降りて、普通に着地することができた。
「ダリダリ……」
随分と脱力した、例の掛け声に振り返る。
思っていた通り。倒れ、動かなくなったデスウルフたちは、親を倒したことで死んだのか、葉介が全て片づけたのか……
今となっては分からないが、そのデスウルフたちの中心で、顔も体も血まみれな葉介が、フードを脱いでいるのが見えた。
「美味そうに見える?」
「ひどく不味そうだ」
互いに皮肉を言い合って、互いに笑みをこぼし合った時……
「シャルちゃーん!! ヨースケー!!」
崖下を照らす木漏れ日と共に、魔法騎士の誰かの声が、崖下に響き渡った。
おいしそう……
と思った人は感想おねがいします。




