第8話 弟子、落ちる
男の子が泣いている……
大粒の涙を流して、しゃくりあげている、小さな男の子……
――ああ……これは夢だな……
すぐに確信することができた。なぜなら、今目の前にいる子ども……
私自身、子どものころからずっと見てきた男――
レイノワール・アレイスター。彼に違いない。
――レイ……もうメソメソと泣くな。
レイと同じく、今よりだいぶ縮んだ、日焼けもしていない両手で、その涙を拭ってやる。抱きしめてやる。
いくらこうして抱きしめてあげても、いつまでも泣き止まないで……泣き止むまで、ずっと私から離れようとしなかったっけ――
――まったく……仕方のない人だ。あのころから何も変わらない。
ため息交じりに思い浮かべた光景が、目の前に広がるのも、夢の中ならではだ。
部下たちの前では笑みさえ浮かべ、強い姿を見せつけて、頼りにされていた。
二人でいる時は、周りの目もはばからず、私のことを守ると、無理して強い男を演じてみせて。
それが、部屋で二人きりになるや否や、自分に抱き着いてきた。
「シャル……シャルぅ……っ」
嗚咽を漏らして……涙を流して――
子どものころから、魔法騎士になった後もずっと、こんな調子だった。
いつだって強くあろう、誰よりも強くあろうと、常に自分を奮い立たせ、それを十二分に部下たちや人々に示しておいて、二人きりになった途端、脅えて震えて涙を流す。
本当はとっくに、今すぐにでも逃げ出したいくらい、限界なはずなのに、いつだって強い姿であろうとして。
そしてそんな、無理をして作り上げた雄姿に誰もが惹かれた結果、男が少なかった魔法騎士団に、男の志願者が増えていった。
男はもちろん、最も辛いはずの第一関隊入りを目指す女まで増えて、存在価値さえ疑問視されている魔法騎士団を内側から支え、守ってきた男。
好きで魔法騎士になったわけじゃないのに……
本当は今すぐ、部下にも城にも背を向け逃げ出したいくせに……
怖くて辛くて苦しくて、それでも、こんな私のそばにいたいがために、がんばって……
そんな、自分にしか見せない弱い姿を、抱きしめてあげるのは、シャルにとっても癒しだった。
苦しいのは、シャル自身も同じこと。レイのように、泣き出したいと思う時もある。
だがシャルには、それに耐え抜き、戦い抜くだけの強さがあった。
レイには、戦い抜く力はあっても、一人で耐え抜く力が足りなかった。
私がそばにいなければ、とうの昔に逃げ出していたに違いない。
そしてそれは、シャル自身も同じこと……
――レイ……
レイが私のために、日々がんばってくれる姿は、私にとっても眩しかった。
その強さを誰よりも見てきたから、なりたくもなかった魔法騎士としてやっていくことができた。
レイが、私がいたから今の自分がある――そう思っているのと同じように、私もまた、レイがいたからここにいる……
そのことを、レイの温もりを包み、包まれながら感じることが、何より幸せだった……
――レイ……
温かい……暖かい……あたたかい……
心地よいぬくもりに包まれながら、目の前で眠っていたはずのレイの姿が、徐々に、徐々に、消えていき――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「起きました?」
意識が醒めたと感じた途端に、強い雨音と、そんな声が聞こえた。
慣れ親しんだ……とはまだ言えない。言いたくもない、イヤなヤツの声。
それが、シャルのすぐそば、耳元から、聞こえてきた……
「……? ……????」
意識が醒めて、状況を確認する。そして、自身の身を確かめてみる――
メアやミラと違って、騎士服に特に改造は施していないことで、露出らしい露出はほとんどなかった。
それが今は、まず、脚は太ももからくるぶし、つま先までが露出している。
脚に始まり、下着をはいた腰から上の、腹。下着に隠れた胸元からの、肩、二の腕……
着ていたはずの騎士服が、下着を除いて消えている。
そんな、八割がた生まれたままの姿で座っているその身を、後ろから抱きしめている、男は――
「貴様あああああああああああああ!!!」
すぐさま立ち上がり、自分と同じ、下を隠した下着だけになっている男へ、拳を飛ばした。
「落ち着きなさいな」
「ふざけるなああああああああああ!!」
拳は簡単に受け止められた。それでも、拳は止めない……
「何をした!? 貴様、この私に何をした!!?」
「覚えていないのですか? 自分の身になにがあった、かッ……」
「ぐっ……!」
両手の拳は受け止められ、急所狙いの蹴りすら止められ、そんな質問をされつつ、頭突きを喰らった。
「アナタの騎士服は、あそこです」
痛みに怯んでいるシャルに、指差し教えた先。
雨が吹き込んでいないそこには焚き火が焚かれ、そのすぐそばにシャルの、そして、葉介の騎士服が広げて置いてあるのが見えた……
「無礼を働き申し訳ありません。この雨のせいでお互いずぶ濡れで、体も冷えていたもので。天気のせいか少々冷えますし……ただ、あいにく魔法で乾かすことも、温めることもできない身ゆえ、原始的な方法を使うより他にありませんでした」
「原始的……?」
そこまで聞いてシャルも、魔法が無かった時代、火を炊くこともできなかった人々は身体を温めるために、互いにくっつき、人肌の体温で暖を取ったという、恥じらいに耐えるべき方法があったことを思いだした。
それを思い出し、自分は抱きしめられる以外何もされていないことも確認し、幾分か冷静になったところで――
「……そうだった。思い出したぞ」
夢を見るより前に起きた出来事を、思い出すことができた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――ッ! ――ッ!」「――ッ! ――ッ!」
「――ッ! ――ッ!」「――ッ! ――ッ!」
降りしきる雨。揺れる馬車。向かってくるデスウルフたち。飛び交う魔法。
中心を走る大馬車を護るために、後方の馬車群が並列に走り、デスウルフの群れを迎え撃った。しんがりのシャルを中心に、馬車群前方からはリーシャの指揮のもと、第2たちが攻撃を仕掛けていって。
それを繰り返している内、最初こそ大群で掛かってきたデスウルフの群れも、すでに最初の半分以下にまで数を減らしていた。
「順調だ……このまま橋を渡って、一気にヤツらを叩くぞ」
「……橋?」
シャルの命令に従い、黙って先輩方の勇姿を見ていた葉介だったが、その言葉に反応した。
「そうだ……貴様は眠っていたから見ていないだろうがな、この先には、それなりに切り立った崖がある。普通は箒や絨毯で移動するから関係ない話だが、馬車など地上を通る時には唯一の道だ」
「橋……」
説明を聞いて、後ろを夢中で攻撃しているシャルとは逆に、窓から乗り出した身を正面に向ける。
天気のせいでやや暗いが、確かにシャルの言った通り、広大な草原の道を分断する崖――巨大な地面の裂け目が見え、その中央に一本だけ、橋が通っている。木製で、距離はあまり長くはなく、幅はおおよそ二車線程度だが、作りは立派で、遠くからでも頑丈さが伝わってくる。
それを、ジッと見つめていた。
やがて、全ての馬車が、大馬車を護るための並列から、橋を渡るための一列の形に戻っていく。途中、段差でも踏んだのか、馬車が上下に揺れ、車体と共に葉介らの身も跳ね――
「止まれえええええええええええ!!」
葉介の突然の絶叫に、目の前のシャルは目を見張る。
「早よぉ止まれ!! 罠や!!?」
「何を言っている貴様、突然……!!」
「橋の向こうに人がおるんが見えた! こんな雨の日に傘も差さんと、【結界】も使わず杖だけ取り出しとんのが複数人――このまま行ったら橋ごと落とされる!!」
「なッ――」
葉介の見たもの。葉介のセリフ。
そのどれもが、根拠のない戯言に聞こえた。実際、戯言だと断じてしまえばそれまでだ。
まして、言っているのは他でもない、シャルの嫌いな、シマ・ヨースケ……
《全馬車停止!! これ以上橋に近づくな!!》
シャルの嫌いな――森を焼き払う作戦を成功させ、城の護りを成功させた、シマ・ヨースケの言葉だからこそ、信じるに値した。
シャルの【拡声】を聞き、全ての馬車が橋の直前で急停止した……その直後――
《前方の馬車全員、橋の向こうへ攻撃!!》
リーシャの【拡声】が響く中、第2たちは攻撃を開始した。彼らが狙った先――橋の向こう側には、杖を握った男女が二十人ほど。
こんな、崖と橋以外なにもないような場所で、傘も、【結界】も使わず、かと言ってどこかへ出かけているわけでも、橋を見にきた作業員にも見えない。
そんな、こんな場所に集まっているのが明らかに不自然に過ぎる、人相の悪い男女の集団が……
「シマ・ヨースケ……貴様、よく気がついたな」
完全に意識から遠のいていた前方の、予想だにしていなかった敵襲。
その存在をいち早く察知した、目の前に座っている男へ歓心の声を上げた――そんなシャルの胸倉を、葉介は掴んだ。
「なんで気がつかんのぞ!! お前関長やろうが!? ついさっき襲われといて、罠や待ち伏せの一つも予想できんのかワレェア!!?」
胸倉を掴みしめ、互いの顔を近づけつつ、大声で怒鳴り散らす。突然の出来事に、目を丸めるばかりなシャルを突き放しつつ、止まった馬車から飛び出した。
「シマ・ヨースケ――どこへ行く!?」
「しんがりですから、しんがりの仕事してきます。応援は結構」
「なに? 一人でいく気か? デスウルフはまだ相当数残っているぞ!」
「……アナタ方は橋の死守をお願いします。あれが落とされたら、帰りに苦労するでしょ」
雨の中、それなりにぬかるんでいる地面を蹴り、まだ数十匹は残っているデスウルフへ、走り出した――
「ダリダリダリダリ――」
「くっ、勝手なことを……!」
いくら前例があるとは言え……
いくら戦うだけの力は持っているとは言え……
魔法も使えない身のくせに、走ってくるデスウルフたちへ走っていく、黒い背中。
「だが……っ」
だが実際、葉介の言葉は正しい。深い裂け目の両端を繋ぐために、頑丈に作られた立派なこの橋も、魔法を駆使されれば簡単に壊されてしまう。
並の魔法でも七、八人、フルバーストを使われれば四人か五人、鍛えた人間なら一人でも、落とすことは可能だろう。
【修復】の魔法を使えば直せないことはない。
だが【修復】とは、使っていた道具やちょっとした小物を壊した時に使う、その程度の魔法であり、加えて、壊れた物の破片が全て、すぐ近くに集まっていて初めて成立する魔法だ。崖の下に落ちてしまっては、そもそも【修復】を発動することすらできない。
なにより、【修復】したいものが大きく、重いものになるほど、必要な魔力は増大する。あれだけの大きさの橋を直そうと思えば、この場にいる魔法騎士の全員が魔力を使い切ってもとても足りない。
橋を直すことができない以上、できるとしたら、【浮遊】で重さをなくした馬車を、向こう岸まで【移動】させるくらいだが、この人数とあの数の馬車を渡すとなると、時間もかかるし魔力もかさむ。全ての馬車を渡しただけで、大半の魔法騎士らの魔力が尽きる。
かと言って、最低限の数だけ渡したのでは、肝心の護りが薄くなるだけ。
魔法騎士全員、橋ごと落とされるよりはマシだが、それも最悪の一つには違いない。
「総員! 橋の上、または周囲にいる者たちへ攻撃! これ以上、橋に魔法一つ、指一本触れさせるな!」
何人かは、葉介が睨んだ通り、自分や味方が橋の上にいようと関係なく、橋を落とそうとしていた。
シャルが葉介に話した通り、便利な魔法が発達した結果、見捨てられ、身を持ち崩した人間はいくらでもいる。そうして落ちこぼれた人間たちがヤケクソになった時の恐ろしさは知っている。
だから橋に何かをされる前に、前にいるリーシャともども部下たちに指示を出し、全ての人間を制圧、気絶させるのに、時間は掛けなかった。
「よし、前から順に、橋を渡っていけ! シマ・ヨースケは――」
「ダリダリダリダリダリダリダリダリダリダリダリダリ――!!」
二十メートルばかり離れたそこには、雨の中向かってくるデスウルフたちを、文字どおり蹴散らしていく葉介の姿があった。
「ダリダリダリダリダリダリダリダリダリダリダリダリ――!!」
(足が全く見えん……あれだけの数のデスウルフ、たった一人の生身で、全て倒したというのか……?)
葉介が、生身でデスウルフを倒すのを見るのはこれが二度目になる。動物として死んだ身であるデスニマが、普通の動物に比べて脆いのは間違いない。加えてあの数、更に脆い子供だろう。
だが少なくとも、立ち上がって、走り、襲い掛かるだけの頑丈さは持ち合わせている。それは自分たち人間からすれば、生きていたころと変わらない脅威のはずだ。
そんな脅威を、あの男は魔法も使わず生身で、しかもほとんどを一撃で倒していっている――
(本当に人間か……それともあれこそが、本当の人間の姿、なのか……?)
もちろん、今の葉介はすでに、葉介の実家から見ても規格外の域なのだが……
魔法の発達によって、誰もが鍛錬や訓練を捨て、この数十年で、肉体的に貧弱になっていった。
そんな人間しか知らないシャルら若者からすれば、それに当てはまらない、ミラや、葉介の姿は、とても信じ難いものに映っていた。
《……よし、戻ってこい! シマ・ヨースケ!》
目に見えるデスウルフをあらかた倒してしまった、ちょうどそのタイミングで。
馬車群の多くが橋を渡り終えた、そのタイミングで。
【拡声】を使い、葉介を呼び寄せた。
「ゲホッ……叫びすぎた、喉痛ぇ――」
葉介も、後ろを警戒しつつ振り返り、馬車まで走ろうとした――
「……む?」
だが、走り出そうとしたその足が、突然地面に張りついたかのように止まってしまった。
「あれは……!」
シャルも、【感覚強化】で目を凝らしたことで、すぐにその理由を理解した。
いつ負ったのかは知らないが、地面に貼りついている右足が、赤いズボンの上からでも分かるほど出血しているのが見える。
そんな傷ついた足を引きずりながらも、懸命に馬車まで戻ろうとしている。
「あ――!」
だが途中で、左足が崩れ、地面に倒れ伏した。
葉介は四つん這いになりながらも、シャルと目を合わせ、腕で合図を送っていた。
「先に行けと言うのか? 貴様を置き去りにして……」
新入りの下っ端の分際で、なんと生意気な……
そう思った時には、橋を渡っていない馬車は、シャルが乗る一台だけとなった。
「……先に渡っていろ」
馬車に指示を送り、シャルも後ろへ飛び出した。
最初にあの男を見つけた時は、助ける義理は無いと見捨てた。だが今は、癪ではあるが、魔法騎士の一人。それも、今日だけだが私の部下となっている。
それを、見捨てることはできない――
「さっさと立て。早いとこ橋を渡るぞ」
有無を言わさず葉介の身を抱き起こし、肩を貸す。後は【身体強化】で速めた足で、橋の向こうまで走り抜けるだけ。この男なら、片足だろうが振り落とされることもあるまい。
ぬかるんだ地面に何度か足を取られそうになる。後ろからは雨音と共に、またデスウルフの足音が聞こえてくる。
(くそっ、いくら湧いて出てくる気だ……!)
だがそれも、橋を渡りさえすれば迎え撃つことができる。
前からは、声は聞こえないが、第2の部下たちが急げと身振り手振り叫んでいる。
だから葉介を担いでいる身で、できる限り急いで、夢中で走った――
だからだろう――
制圧し、倒れていた誰かが、二人に気を取られている魔法騎士らの目を盗み、橋に向かって杖を向けているのに、誰も気がつかなかったのは。
だからだろう――
橋にたどり着き、その真ん中まで走ってきたタイミングで崖が崩れ、片側の支えを失った橋と一緒に、二人仲良く落ちてしまったのは。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
落ちたと感じた瞬間には、魔法で飛び越えようとするにも遅すぎて、とにかく無事に着地するために、【浮遊】の魔法を二人分使った。
それまでの戦闘でかなり魔力を使ってはいたが、こうして生きている以上、どうにか下まで無事に下りることはできたらしい。
その後の記憶が飛んでいる辺り、そこで気絶していたんだろう。
状況から察するに、一人、意識をハッキリさせていたシマ・ヨースケが、直前とは逆に私のことを抱えて、雨宿りができそうな場所まで運び、火を起こして、服を脱がせた、というわけだ……
「……まだ生乾きですが、ガマンすれば着れはしますね」
その、葉介の声が聞こえた。
シャルが着ていた騎士服を広げ、眺めている。それを咎めるよりも前に、シャルへその騎士服を投げ渡した。
確かに、上も下も生乾きだが、いつまでもこの男の前で、肌を晒していたくはない。それを分かっているから、この男も服を渡してきたんだろう。
何から何まで、コイツに心を見透かされているようなのが気に入らない。
だがそれでも、腕を袖に通した。
「さて……」
そうこうしている内に、葉介も服を着た。
そこでようやく、葉介の右足をマトモに見ることになった。くるぶしの辺りから痛々しく出血をしていて、そこに止血として靴下をいくつか巻き付けてある。
そんな足をズボンに隠して、引きずりながら、焚き火の前に座った。
「その足……見せてみろ。私は第3ではないが、そのケガを治す程度のことはできる」
「そんな魔力の余裕、あるのですか?」
だが葉介は、シャルの申し出を切り捨てた。
「何が起きるか分かりません。魔力は節約しておいて下さい。私は大丈夫です」
そう言うと、焚火の前に座った。
「……て、まだ食うのか?」
焚火の前に座るやいなや、服と一緒に当てていたらしい魚の干物を手に取った葉介に、思わず声が出た。
「どうにも、城出てからお腹減って仕方ないんですわ。城にいた時はそんなことなかったんですけど……食べます? 二匹焼いときましたけど?」
「……いただこう」
港町では拒否した魚の干物だったが……もろもろの気苦労のせいか。それとも葉介の食べる様を見てしまったせいか。うずいた腹の欲求に従って、差し出してきた干物を手に取った。
「……まずッ!」
受け取った魚を一口食べるなり、また思わず声が出る。
味は、喉が渇かない程度の塩味が絶妙に効いていて、乾燥している分身はやや硬いが、淡泊で大きさの割に食べ応えはある。
そんなプラスの要素を余裕でマイナスにしてしまう、魚特有の苦みと生臭さに加え、川魚としての泥臭さ、青臭さ。
(コイツはいつも、こんなものを食っていたのか? あんなに美味そうに……それで、あの強さか?)
「いらなくなったなら、食べますから下さい。もったいないんで」
「…………」
こんな男と間接キスなんか……
半ばヤケクソになって、残りにがっついた。
「……これからどうします? 助けを呼ぶことはできるのですか?」
途中から、葉介から受け取った瓶に入った水で流し込み、どうにか完食を果たしたタイミングで、葉介がそう尋ねてきた
「無理だ」
問いかけに対して、ハッキリと答えてやる。
「一応、救難信号として光を打ち上げることで、仲間が助けにきてくれる手はずにはなっている。だが今回の任務は、警護対象を無事、目的地へ送り届けること。私を含め、仲間が合流することが困難な状況になった場合は、構わず目的地へ向かうよう命令してある」
「正しい判断ですね……では現状、迎えが来てくれるのを待つしかない、と」
短く返事をするその声色から、感情は読み取れない。単純に冷めているようにも感じるし、感心しているようにも見える。
年上らしく、何もかもを分かっていて、悟っているような……
「にしても……」
こんな状況にありながらも、余裕に満ちている。それがますます気に入らない。そう思っている矢先に、目の前の焚き火をいじりつつ、また語りかけてきた。
「どうせ、聞いたって分からないから聞かないって言いましたけど……こうなるとやはり、気になりますね」
「…………」
「今回迎えた賓客って、何者ですか?」
いつもながらに適当で覇気の感じられない態度ながら――冷静な声を出すその雰囲気は、張り詰めた、鋭いものを感じさせた。
「奇襲してきたのがチンピラだけなら、港町に集まってたところに魔法騎士たちが現れて、ヤケを起こした八つ当たりで片づいたでしょうよ。けど、そこにデスニマ、それもあれだけの数が襲い掛かってきたっていうのは、いくら何でもでき過ぎに思ってしまうのは、この世界のことを未だよく知らない私だけの感覚でしょうか? それとも、森はともかく、平原では、あれだけのデスニマが現れることは普通なのですか?」
「そんなわけが無い。森だろうが平原だろうが海だろうが、そもそも一匹現れることすら稀な存在だ。私自身、現状の事態には混乱している」
葉介が、そして、葉介に言った通り。今のこの状況は、いくら何でもおかしいと、他ならぬ、シャル自身が大いに感じている。
そのことを考えつつも、葉介の質問に答えることにした。
「今回の賓客……悪いが、詳しいことは、実は私たちにも知らされていない」
葉介は、特に反応することなく黙って聞いている。
「よくあることだ。警護対象の中には、対象と依頼者、当人同士にしか知らされない事情を持った者同士もいる。だから基本的に、相手のことを無意味に詮索するようなことはしない。自分から話しにくる時以外は、自分たちが今守っているのは何者か。それを知らずにいるというのが通常だ。重要人物だということだけは共通していることだしな」
「正しい判断ですね。それなら、仮にやましい人間をやましい理由で警護させられていたとしても、理由を聞いていない以上、知らなかった、で通すことができる」
「そういうことだ……」
第2の有り方やルールは分かった。今回の警護対象が何者かは分からないということも。
だから、もう一つを聞くことにする。
「じゃあ、今回のデスウルフの群れ、たまたまだと思いますか?」
「……たまたまでなければ、なんだと?」
「たまたま大量に発生したにしては、タイミングが良すぎます。数も、私が生まれて初めて遭遇した時の比ではありませんでしたし、数だけなら、三日前の森と同じくらいだったでしょう?」
そしてお互いに、思い出したのは三日前、森へ行く前の作戦会議での会話。
「私自身、特に確信なく発言したことですが……デスニマをワザと生み出すことって、可能なのでしょうか?」
少なくとも、シャルは聞いたことが無い、その事実。
「仮にそんなことができたとしたら、落ちこぼれたチンピラたちをけしかけて、それがダメだったからデスウルフを用意して……あるいは事前に用意しておいて、魔法騎士団に向けて放った。そう考えれば、細かい理屈や理由は置いといて、辻褄は合いますよね?」
「そうだな……辻褄は、合うな」
そこは肯定しておいて……返事を返した。
「だがそれだけだ。あるかどうかも分からない、あったとしてもどうやっているか分からない、そんな方法のことを考えたところで仕方がない。今は、ここで体力を回復して、助けが来るのを待つべきだ」
「…………」
葉介は座ったまま背伸びをしつつ、後ろにもたれかかる。
「学ぶことも、予測することもしない……こちらの質問には、知っていることを答えはしますが、問いかけには考えもせず、して下さるのは否定だけ」
「……貴様、なにが言いたい?」
そんな返しに反応した、葉介の目は――シャルも身震いするほど、冷たいものだった。
「アナタ、よく関長なんてやってこれましたね」
「な――」
葉介自身、なぜ自分がこんなことを言っているのか理解できなかった。
実家にいたころ、働いていた会社でも、物思うことは常々あった。それでも、積極的に発言したり苦情を出したり、といったことはあまりしてこなかった。
人見知りの気や、単純な気の弱さ、仕事ができない負い目、そして何より、ただ単に面倒だと思ってきたからだ。
そんな風に生きていきながら、上司も先輩も後輩も、様々な人間を見てきたからかもしれない。目の前の若い隊長の言葉が、葉介の神経を逆なでしたのは。
「上に立つ者としての、力だったり人格だったり、そういうのはあるでしょうよ。実際、部下の皆さんのことも考えて、力も把握はしてるみたいですね……そして、それ以上のことは、なにも考えていませんよね?」
「なん、だと……?」
「任務に関しても、考えているのは遂行することだけ。どうすれば上手く遂行できるかまでは考えていない。部下の皆さんを上手く使うことはできているようで、活かすことは考えていない。人の上に立つのに向いているというだけで、人の上に立つために必要な能力は何一つ伸ばそうとしていない。仕事にも、部下の皆さんにも親身だったレイ様に比べて、ちっとも関長らしくありません」
「貴様……っ」
いい加減、キレられる前に立ち上がった。
「まあ、それでもミラはもちろん、セルシィやメアに比べれば、キチンとリーダーをしている分、はるかにマシですけど」
「おい!! どこに行く!?」
「お手洗いに……覗きなさるな?」
今にも掴みかかってきそうな怒声に対して、適当に返しながら、落ちた時に比べてだいぶ弱まった雨の中、右足を引きずり歩き出した。
(あーあ……あの女のこと、よく知りもしないのに、なんであんなこと言っちゃったんだろ……)
元々、あの女のことは、顔を合わせた時から、他の三人やレイには感じなかったものを感じていた。特別な感情じゃない。単純に、コイツとは相容れないという、本能的な嫌悪感があった。
これまでの人生、初対面でそんなことを感じたことは、無くはない。葉介自身もよく分からないが、お互い相性が悪かったんだろう。
そして、そういう嫌いな人間に限って、好きだと思える人間以上に観察してしまう。
だから、タダでさえ嫌いだと思えてしまう人間の、より嫌いな部分がよく見えてしまって……今ある状況も相まって、それをつい、言葉にしてしまった。
(仕事にやる気が無くて、必要なこと以外伸ばしてこなかった……なんて、俺も人のこと言えんのにね)
もちろん、実家にいた時の話ではあるが、この世界に来た後も似たようなものだ。
仕事、と呼べるだけの働きをした回数自体まだ少ない身だが、本格的に仕事が始まった後も、これまでの人生の経験上、似たようなことになるという予感だけは感じる。
(ま、いっか。今まで文句なんて言われたことありませーん、て顔してたし。少しばかりショックを受けた顔が見れて、良しとするか……)
そう思いながら、元いた場所からしばらく歩き、離れていった――
「くそっ、あの男……!」
魔法騎士になって二週間――否、もうすぐ三週間になろうという男から言われたことに、シャルは、一言も言い返すことができなかった。
認めたくなかった。出会った時、顔を合わせた瞬間から、大嫌いな男から……
事実を突きつけられたことが。
(私は関長だ――関長、なだけだ……)
シマ・ヨースケが言った通り……
私は今まで、関長らしいと言えるような働きをしたことが、どれだけあったろう……
城での仕事は、部下たちの仕事内容やその担当、休憩・休暇の采配等。
だがそれも、今ではファイやフェイのような優秀な部下たちが取りまとめ、自分は、それに目を通して、許可を出せばそれで終わり。
関長として現場を見て回り、指示を出すこともあるが、実際、何もしなくとも部下たちはしっかりやっている。何かしら失敗をすればその尻ぬぐいは関長の仕事だが、そのことも含めて、関長が必要な場面など、城での仕事ではほとんど無い。
なにもせず、なにも考えなくとも、私の一日の仕事は終わってしまう。
城周辺にデスニマが現れ、その討伐に向かう際には、必ず一人は関長が駆り出される。
ミラや、他にも関長がいる時は、その意見を聞いて、取りまとめていた。
取りまとめた、だけ。現場では、そうしてできた作戦から、さっさと終わるよう無難に指揮をしていた。それだけ。
そこから学び、次に活かそうと、何かしら考えたことは、一度も無かった。
レイがいた時には、よりそれが顕著だった。
人の話や意見を聞くことも、それをまとめることも、作戦を考えることさえ、私よりはるかに上手い。実力も、私以上の『最強』と認められている事実から、そのことに何の疑問も感じないまま、レイに全てを任せていた。
余計なことは、なにも……余計に、なにもしようとせずに――
(なにもしていない……私は、関長でいただけ。関長にあるべきことなど、なにもしていない――)
もちろん、シャルの身からすれば、なりたくもなかった魔法騎士の、関長の一人を務めてやっている以上、それ以上を要求されるなど冗談じゃない。
無理やり魔法騎士になって以来、やる気など、最初から皆無だった。
なのに、皮肉なことに、やりたくもない仕事をこなすための能力には恵まれた。
こんな私のそばにいたい。その一心で、血のにじむような努力をしては笑われる毎日だったレイの横で、周囲からは期待され、その期待の全てに答えることができてしまい、気がついた時には、第2関隊の関長にまで上り詰めていた。
周囲からも、レイからさえ、褒められ、尊敬されるのが日常だったおかげで、関長になった後も、それまで通り、必要以上のことはしてこなかった。
それでも普通に仕事はこなせていたし、大した事件が起きることが少ない平和な国では、それで十分だった。
だからだろう……
実際に大した事件が起きた後、部外者にそのことを指摘されるまで、気づかなかった――違う、気づかないフリをしてきた。
(私の隣で……私のために、必死にやってきたレイに比べて、私は、なにも――)
『最強』の魔法騎士、レイ。
第一関隊関長、レイ
最愛の恋人、レイ。
魔法騎士の頂点に立ち、騎士たちからの期待や、組織の頂点としての責任を一身に背負って。
私は。そんなレイに寄り添って、ただ一人、彼の弱さを理解して、はげまし、慰め、支えて。
それだけのことで、魔法騎士、そして、関長としての責務さえ全うした気になっていた。
レイがいたから、今日までやってこれたんじゃない。
レイを理由に、なにもしてこなかった。
(私は――間違っていたのか? 私が、関長でいたことは……?)
葉介からの言葉を噛みしめて、これまでの自分を振り返って、事実を直視して、後はただ、自己嫌悪の沼に沈んでいく……
目の前が暗くなり、息苦しささえ感じてしまっている、そんなシャルが思い出したのは、今日まで自分が、魔法騎士でい続け、あり続けることができた、理由にして絶対である、ただ一人の人。
(レイ……)
危険な目に遭うのは、初めてのことじゃない。命を落としかけた経験も、皆無なわけじゃない。
そんな時でさえ、特に感じたことはないのに……
今この瞬間だけは、なぜか、レイの顔が思い浮かび、無償にその存在が恋しかった――
「レイ……レイ――」
小声で呟き続けながら、涙目になってしまっている。そのことに気づいた後になっても、葉介がまだ戻ってきていないことに、少なからずの安堵を覚えていた。
「あの男……どこまで手洗いに行ったのだ?」
まさか本当に、覗くと思ってだいぶ遠くまで行ってしまったのか?
貴様のようなジジィの体なぞ、なんの興味もないというのに。
それとも、まだ私が怒っていると思って、遠くへ逃げたか?
もっとも、私がどれだけ怒っていようが、魔法が使えないあの男が地上へ戻るには、私のそばにいるしかない。
そのどちらにせよ、時間がかかりすぎではあるが……
「……本当に、時間がかかりすぎていないか――」
気づいたと同時に立ち上がり、葉介が歩いた方向へ走り出した。
「クソ――ッ!」




