第1話 弟子の新たなスタート
「シャル様……!」
「シャル様……」
早朝、シャルが第2関隊関長の席に着き、仕事を始めた矢先。
足音が突然聞こえてきたかと思ったら、身近で聞き慣れた声が二人分。
顔を上げると、同じ水色の髪が光る、同じ顔が、目の前までやってきていた。
「どうした、お前たち……」
二人ともいつもの通り、静かな声色と整然とした表情を向けている。
だからこそ、その表情に込められた、やり場のない哀しみやら悔しさやらが、付き合いが長く、誰よりも目を掛けているシャルの目からはよく分かった。
「遺憾……シャル様の口から、どうかヨースケ殿へ提言していただきたい」
「不本意……実に不本意ですが、ワタクシどもは、共に無念でなりません」
二人とも、普段通りの冷静さは見せている。が、眉間にはわずかだがシワが寄り、閉じた唇の裏では、奥歯を噛みしめているのが見て取れる。
「あの男か……シマ・ヨースケ、あの男に何をされた?」
関長の中でただ一人、葉介の勇姿と活躍を見ておらず、加えて、出会った瞬間の出来事から、ただでさえ葉介に対して良い感情は懐けていない。
そんな男が、よりにもよって、自分が最も信頼する部下たちに、こんな顔をさせるなど……
場合によっては、ヤツの上司である、ミラに対して苦情を言わねばならない。
大切な部下への思いから、そう身構え双子の言葉を聞いた。
「ヨースケ殿は……ワタクシどもの名を、呼び捨てで呼んで下さらない」
「加えて、敬語は不要だと申し上げたのに、それすら直して下さらない」
「……は?」
身構えていた耳に聞こえてきた話に、思わず力が抜けて、その場に倒れそうになってしまった。
「どういう意味だ?」
「……つい先ほど、ヨースケさまたちと、朝食を共にした時のこと――」
この時点で、なぜにあの男と朝食を共にしたのだろうかと疑問に感じはしたが、とりあえず、黙してフェイの話に聞き入った。
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「なんじゃこれ……」
いつもの時間に目を覚まして、小屋のドアを開けた目の前の光景に、葉介は、思わずそう声に出してしまった。
「あ、おはようございます! ヨースケさん!」
「おはよう。待っていたわよ」
いつもの黄色二人、リムとメルダはともかく……
「ヨースケさーん!」
「おっさーん! ミラっちー!」
青と黄色の関長二人、セルシィとメアに……
「遅いわよ。もうみんな待ちくたびれているわ……」
白色の……………………昨日、決闘させられた女性に……
「まあ、あたしたちもだいぶ早起きしてたし……セルシィちゃんが一番早く来てたわね」
「おはようございます。ヨースケ殿……」
「おはようございます。ヨースケさま……」
紫が三人。見覚えがある女性と、マジメに知らない二人の若者。
計八人の人間が、それぞれ食料を手に、小屋の外に立っていた。
「……私、何かしました?」
「ヨースケへの不満なら、関長のわたしにも責任、ある……」
一緒に目を覚まして、隣で手を握って立っているミラが、前に出ながら言った。
「違います違います!」
「ヨースケと一緒に、朝食を食べたかっただけよ」
「朝食……なんでまた? いつもはお昼なのに?」
黄色二人の発言に対して、そう尋ねてみると、二人とも、特にメルダは不満げな顔を見せた。
「約束したじゃない。仕事が終わったら、今度こそ夕飯ご一緒するって。なのに、昨日はアナタ、宴会に出なかったでしょう?」
「だから、ガマンできずに朝から来ちゃいました!」
「いや、ガマンできずにって……」
ミラを諫めつつ、メルダとリムの発言に対しては苦笑を漏らした。
「私も同じく、ヨースケさんとご一緒したくて!」
「面白そーだから付いてきたの」
「……お仕事大丈夫なん?」
関長二人に対しては、そう素朴な疑問を投げかけた。
「私は早速、決闘を申し込もうと思ったのだけど……それどころじゃ無さそうね」
「朝飯前に、勘弁してくださいよ……アラビアジン様?」
「なにそのメチャクチャな名前! 私の名はアレリアヴィータよ! 長いからリリアで良いって言ったじゃない!」
「そうでしたね………………………………………………リリエ様?」
「リ・リ・ア、よ! たった三文字なんだから、覚えてちょうだい!」
(三文字ねぇ……)
一回り年下の、ライバル? に対しては、そんなやり取りを行った。
「まあ、そんなこんなで、あたしたち全員、アナタ目当てに集まったってわけよ」
「同じく……」
「同じく……」
「……すみません、どちら様でしょう?」
寝起きながら、大マジメに尋ねる葉介に、リーシャはちょっとだけ傷つきつつ……
「……そう言えば、まだ名乗ってなかったわね。あたしは――」
「お初にお目に掛かります。第2関隊、ファイリー・リトラス――ファイでございます」
「同じく第2関隊、フェイラナ・リトラス――フェイとお呼びください」
「……あたしはリーシャね」
食い気味に名を名乗ってきた、初対面の双子。その後で気軽に名乗った、リーシャ。
彼女らを含む、集まってきた人たちを見て、葉介はただ、思った。
(ダリダリ……)
そんな感じでヤイヤイやった後に、それぞれが持参した食事に加えて、昨夜とはまた別の、葉介とミラのために持ってきてくれた食事を手に、計九人で朝食が始まった。
本来なら、ミラもここにいるはずだったが、仕事があるからと、自分の分の食事を持って行ってしまった。
(大勢が苦手だから逃げたよね、絶対……)
大勢が苦手なのは俺も同じだっつーの……そう不満を感じつつ、わざわざ来てくださった若者たちと一緒に、朝食を楽しんでいた。
約四名ばかり、名前を間違えては指摘をされるなどお約束も交えつつ、とりあえず、お互い特に不快を感じることなく、無難に会話し楽しんだ(と、葉介は信じていた)。
そんな朝食の席にあって、それは突然、話題に上った。
「ヨースケさん……なんで、わたしのこと、呼び捨てで呼んでくれないんですか?」
リムのそんな発言に、メルダも同意を示す。
「そうよ。しゃべり口調だって、敬語ではなくて、タメ口でいいじゃない」
真剣にそう言われたので、苦笑しつつ正直に答えることにする。
「単純に、この話し方の方が慣れているだけですよ。それ以上の理由は特にありません」
「……でも、ミラ様や、メア様に対しては、タメ口で話してたわよね?」
「そりゃあ、関長命令には逆らえませんもの……」
「命令されたからタメ口を聞いているの?」
「はい」
苦笑する葉介の様子から、心底不本意であることが、リリアにもリーシャにも理解できた。
「でっ、でしたら、ヨースケさん! 第3関隊関長として命令します。今後、私の名は呼び捨てで呼び、且つ敬語も使用しないこと――良いですね!」
「えぇー……」
突然、横からセルシィが声を張り上げてきて、葉介は困惑してしまった。
(ジィー……)
(ジィー……)
そんな彼らの横では、リムとメルダが、自身の関長のことを、ジッと見つめて……
「あー……おっさん。そこの二人にも、そうしてあげて。これ命令」
「はぁ……」
「同意……ヨースケ殿――」
「賛同……わたしたちも――」
「お断りします」
また、食い気味に出てきた双子に対しては、ヨースケはそう返事を返した。
「拒否……何故?」
「なにゆえって、あなた方の関長は、シャル様でございましょう? シャル様の許しが無い以上、私としては、不要な不敬は働きたくありませんので」
「不要……」
「不敬……」
項垂れている双子を尻目に――
「アリア様も、そういった希望はレイ様の意思をご確認願います」
「リリアよ……まあ、私は別に、どちらでも構わないけど……」
そんな、微妙な雰囲気を作ったところで、彼らの朝食は終了した。
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「……あの男は、命令が無ければそんなことも自分で決められんのか?」
フェイからの説明を聞いて、シャルはただ呆れるしかなかった。
「まぁ、ヨースケの場合、あれで結構マジメな性格みたいだし。彼なりのシャルちゃんに対する礼儀なんじゃない? タメ口苦手ってのも事実みたいだけど」
「うお……! リーシャさん、いつからそこに?」
「ずっといたわよ?」
見た目こそハキハキした印象の若々しい美女だが、最年長という年齢に相応な落ち着いた物腰と雰囲気。茶髪、というよりオレンジ色に光る髪。そんな外見なのに、なぜか誰よりも薄い存在感。
そんなリーシャの存在に驚きつつも、その言葉を聞いて、思い返してみる。
気に食わない気持ちばかり先走って、あまり考えなかったが……
ミラに拾われてから今日まで、奇怪な言動こそ目立ってはいたが、その実、懸命にミラの期待に答えようとしていた。
昨日の仕事での会議でも、作戦を立てたことは元より、自分の意見はハッキリと口にし、更には、面識のないはずの、村に残してきた魔法騎士たちのことも気にかけて。
思い返してみれば、確かに、冴えないながらにマジメさが垣間見えていた。
加えて、シャル自身を含む、他人と話す時の口調や物腰から、礼儀や敬意も見て取れる。
そんな人間の性格からすると……
敬意を払うべき、関長の許しが無ければ、嫌々であれ無礼な口を聞くことはできない。
そんな考えを懐いていると言われれば、わざわざ命令を気にする気持ちにも納得はできる。
「そういったわけでありますので、ぜひとも、シャル様からヨースケ殿に対し、我々二人の呼び名と会話口調の軟化をご許可いただきたい」
「お願いいたします」
「あたしもよろしくー」
「……仕方がない」
シャルとしては、正直、あの男と顔を合わせること自体不本意だが、それでも自身が従える第2関隊の部下、そのトップ3からの頼み事を、無碍にすることはできなかった。
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「えぇー!? 謹慎!?」
「痛ぃたたたたたた! 痛たた、痛い痛い!」
朝食を終えて、関長二人にリリア、第2の三人が去ってしばらくした後。
ミラからは、また指示を出しに来るから待っているよう言われていた。
それまでの空いた時間、今日は一日休みだという黄色二人の特訓をしていた矢先、やってきたミラから告げられた。
「デスニマは、全部やっつけた……けど、被害も甚大……その責任を、作戦考えた、第5関隊が負うことになった……」
「で、その結果が、ミラの謹慎てこと? 俺は?」
「ちょ、痛いって! 痛いってば、ヨースケ、ちょ……!」
「……ヨースケは、特にお咎めなし。責任は、関長の、わたし一人……」
「おいおい……手柄は一人占めしていいから、責任は俺に全部押しつけろって、作戦会議の時点で言っといたろ? 俺が作戦の立案者だって言わなかったの?」
「あぁあああああ痛ったぁたたたたた!!」
「言ってない……ていうか、言っても同じ。立案は、第5。第5の関長はわたし。だからわたしの罰……お前は、わたしの弟子。弟子の不手際は、師匠の不手際……ヨースケは、気にしなくていい」
「それじゃあ、昨日頼んだ意味ねーじゃん……ん? どした? メルダ?」
「どうしたじゃないわよ! 喋りながら肩捻らないで! わたくしの肩外す気!?」
「はい」
「はい!!?」
「ウソウソ」
涙目になっている、メルダの極めた肩から離れつつ……
昨日の会議を思い出しながら、思わず項垂れてしまった。
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「あ、そうだ。もし、この作戦が上手くいった時なんですけども……」
「もちろん、分かっている。この作戦が上手くいった時は、お前は晴れて正式に魔法騎士団の一員として迎え入れる。不審者としての扱いも廃すと約束するし、何なら、それ相当の報酬も、お前に用意すると約束しよう」
「そんなことは、どうでもいいです」
レイからの言葉を一蹴して――葉介は、ミラの手を握りながら言った。
「この作戦が上手くいった暁には、その相当の報酬とやら、および全ての手柄を、ミラのものにしていただきたい」
「なに?」
「ヨースケ……?」
レイと、ミラが疑問の声を上げて、他三人も疑問の表情を浮かべている。
そんな関長たちを見据えつつ、続けて提案を出した。
「逆に、作戦が失敗したり、何らかの責任を取る必要がある場合は、全てを私の責任としていただきたい。必要とあれば……価値はないでしょうが、私の命をささげて償います」
「ヨースケ!」
「お願いします……手柄の全てはミラ様に。責任の全ては私、志間葉介に――」
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そういう頼み事のために、今回の作戦の内容はともかく、考えた人間は、関長間以外で明言しないよう頼んでおいた。
そうして、作戦の結果がどうあれ、手柄はミラに、責任は葉介に、そう事前に取り決めておいたのに……
「大丈夫……被害は大きかったけど、成果はそれ以上に評価された。だから、謹慎て言っても、たった三日。その間、仕事はシャルが代わりをしてくれるって。だから、平気……」
「それにしたって、ミラが立てた作戦のせいで、大きな被害が出たって見なされちまったわけやろ? 今からでも、俺のせいにできないの? てか、実際俺のせいだし。償いに腹を切れっていうなら切るし。全然」
「腹を切る……?」
ミラにが被った恥と罰を、どうにか自分が被れないものか……そう思いながらの葉介の提案に、黄色二人が首を傾げる中、それでもミラは、首を横に振る。
「良い……ヨースケは、気にしなくていい」
無表情ながら、優しく語りかけると、手に持っていた小袋を、葉介の手に握らせた。
「これなに?」
「さっきも言ったけど、被害が出た代わりに、作戦成功は評価された……その、特別褒賞金。本当は、魔法騎士団を代表して、レイがもらったやつ。レイはいらないから第5にって。わたしもいらないから、ヨースケにあげる……ていうか、ヨースケの」
ミラではなく、レイが受け取ったのも、作戦の立案者を名言しなかった結果の一つだろう。報酬はミラでなく、レイに。責任は葉介でなく、ミラに……
葉介が最も望んでいなかった、不本意極まりない結果を聞いて、歯噛みさせられた。
「俺も別にいらないんだけど……まあ、受け取ってミラが納得するっていうなら、受け取っとく」
それでも、レイも望んでそうなったわけじゃないだろうし、ミラもそれを承知でこういう形にしたのだろうから、受け取ることにした。
揺らしてみると、中から小銭の音が聞こえる。中を覗いてみると、金色に銀色の硬貨が光っている。
重さや見た目、量からしても、それなりの額なのは何となく想像できるものの……
いかんせん、この国の貨幣価値は元より、実家でも、金貨や銀貨、一両金とか一朱銀の価値さえ知らない葉介的には、金だけ渡されたところでピンと来ないというのが正直な感想である。
(金貨一枚十万円て聞いたことはあるけどな。こちら柴又区だったかで……あれ? 高砂区? 府中区?)
「……で、ミラが謹慎してる間、俺はどうすれば?」
「ん……ちゃんと考えてる」
何区だったか思い出すのを早々に諦めた、葉介が聞き返した、直後のこと……
「おっさーん!!」
声が聞こえ、足音も聞こえてくる。
とっさに隣に立っていたリムの襟を引き、葉介はやや横へ移動。
直後、リムに向かって小さな黄色が飛び込んで、抱き着いた。
「騒がしいな……何か用? メア?」
「おっさんも相変わらずだねー……」
リムに抱き着いたまま、メアは嬉しそうに語りかけた。
「今日一日、おっさんには第4関隊の仕事手伝ってもらうから」
「第4?」
リムにメルダも、メアの言葉に反応した。
「うちだけじゃないよ。明日は第3、あさっては第2で仕事してもらうから」
「おいおい……第4に第3はともかく、第2って確か、魔法騎士で一番格式の高い部隊でしょう? 俺が行っていいの?」
「良いんじゃない?」
かなり適当な返しに、葉介も苦笑するしかない。
「……今さらだけど、わたしが動けない間、魔法騎士として、勉強してきて」
「本当に今さらやね……しかし、第4だけじゃないけど、魔法が使えない俺に、できる仕事ってあるの?」
「そこはキチンと考えてあるから、大丈夫! 任せといて!」
「……あの、メア様……?」
笑顔で葉介と会話している、メアに対して、リムが声を上げた。
「その……そろそろ、離れてもらっても……?」
「えぇ~? イイじゃん。減るもんじゃなし……」
「減るもんて……ひゃ! メ、メア様、ひゃん……!」
「あぁ~、クセになりそう、この感触……」
リムも、魔法騎士の中で背は低い方だが、それ以上の、魔法騎士一のチビであるメアが中腰で抱き着いた結果、頭がちょうど、リムの胸の高さにあった。
そんな、魔法騎士一の発育を誇る乳房に、大いに顔を押しつけ、味わい始めた。
「ちょ、ダメです、メア様……ひゃうっ!」
「う~む、柔らかく、かといって垂れているわけでもなく、程よい弾力もある。うらやましいね~……」
「や~ん……メルダ、助けて……」
顔を真っ赤にしながら、そばでジッと見ていたメルダに助けを求めた――
「…………」
「きゃっ! え、メルダ……?」
ジッと見ていたメルダも、横からリムの爆乳に顔を押し当てた。
「なんだろう……すごく安心する。確かに、クセになりそ……」
「だっしょー?」
「やぁん……ダメです、二人とも――ひゃあっ!」
「ミラ様よ……」
「なに? ヨースケ……」
「俺も謹慎したいんだけど……」
「ダメ……がんばって……」
「…………」
葉介の世界でなくとも、モロなセクハラ行為から目を背けつつ、きびすを返した。
「どこ行くの?」
「騎士服に着替える。さすがに、この格好じゃあまずかろう?」
黄色の二人を教えながら、ミラを待っている間は、着替えもせず普段着兼寝間着の黒の上下だった。だから、昨日のうちに余分に貰っておいた、新しい騎士服に着替えるために、小屋に――入る前にもう一度、黄色の三人を見た。
「戻ってきても続けとったら、蹴るわ」
「ん……わたしが許す」
残されたミラは、ただただ無言で、未だにイチャついている黄色三人を眺めていた。
(気に入らない……わたしにも、おっぱいがあれば――)
(俺にも揺れるほど胸筋があればな)
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普段着から騎士服――赤色の上に黒のパーカー姿に着替えた後で、ミラと別れ、自らのお尻を押さえている、千鳥足気味なメアの後ろをついていっているのだが……
「二人は、何ゆえついて来ているのです?」
「敬語出てるわよっ……うぅ」
真っ青な顔のメアの後ろを歩いている、黒いフードで顔を隠している葉介。
その左右を、大小の黄色――メルダとリムが真っ青な顔で自らのお尻を押さえつつ、おぼつかない足取りながら並んで歩いていた。
「ヨースケさんが、第4関隊を手伝うなら、わたしたちが教えようと思って……おぉ」
「二人とも、今日はお仕事お休み言うてましたやん」
「休みなのだから、その間何してたって、わたくしたちの自由で、しょ……あぁ」
さするお尻が痛そうに、だが嬉しそうにそう言っている。
いずれにせよ、したことも無いお仕事を、誰の教えも監督も無しにできるほどデキた人間ではない葉介からすれば、それを教えてくれるのが慣れ親しんだ人物であるなら、むしろありがたい。
「そうですか……ありがとうございます」
素直なお礼の言葉に、二人とも、お尻をさすりつつ、青くなった顔を破顔させた。
(ケ、ケツが……ケツが割れる……!)
(お尻通り越して、お腹痛いです……ッ)
(子宮がうずく……子宮に届いてる、うぷッ――)
小屋を離れ、門の中から城の内部へ。そこから城内の廊下を渡り、曲がり角をいくつも曲がっていって。
そのうちの、四つ目だか五つ目だかの扉を開いた先に――
「はーい! 注もーく――」
手を叩きながらのメアの呼びかけに、数十人の若い男女が反応し、顔を向ける。
各々の机に座る全員、黄色の騎士服を着ていて、中には昨日の仕事で見覚えがある顔もいくつか見える。
その全員、まず、メアに目を向けて、そのすぐ後に、後ろに続いて入ってきた、黒色が気になった様子だった。
「今日一日、第5関隊から、このおっさん……名前なんだっけ?」
「…………」
質問に答える代わりに、フードを取りつつ前に出て、声を上げた。
「第5関隊より参りました、志間葉介と申します。メア様のご厚意により、第4関隊にてお世話になることになりました。右も左も分からぬ身で、ご迷惑をお掛けすることと思いますが、今日一日、どうぞよろしくお願いいたします」
挨拶を済ませ、一礼する。曖昧に注目していただけの若者たちの表情に、心なしか厳粛さが宿るのを、葉介以外の三人は感じ取った。
「……はーい! そんじゃ、お仕事続けてー。おっさんと、二人はこっち来て」
三人とも、指示に従い歩いていく。
そんな三人――葉介に、彼女らは仕事を再開させつつ、意識せずにはいられなかった。
ただでさえ服装で目立っている葉介のことは、昨日召集されていた全員が覚えている。
特に、森への増援部隊に選抜された者たちは、彼の活躍と壮絶さをその目で見ている。
彼ほどの男が、自分たちと同じ空間にやってきた。
それは、普段から大してやる気のない落ちこぼれが集まっているこの部屋に、確かな刺激と、ちょっとした高揚感を広げることとなっていた。
「そんじゃあ、リムちゃんの席使わせてもらうけど、いいかな?」
「はい」
メアの質問に、リムは嬉しそうに頷き受け入れる。
促されるまま葉介が座るなり、リムとメルダも、どこからか椅子を持ってきて座ってきた。
「まあ、二人からある程度聞いてるみたいだけど、第4の仕事は、主に書類整理とか資料作りだね。資料作りはさすがに無理だろうから、今日は簡単な書類整理をお願いするよ」
「はいな」
魔法騎士とは言っても、やることは会社と同じだな……
そんなことを思っている葉介の前に、いくつかの書類がバサリと置かれた。
「……あれ? ちょっと待って?」
「どうかした?」
目の前に置かれた書類の、一枚を手に取る。羊皮紙というのか、葉介が実家で触れてきた紙に比べると、表面はザラつき、だが紙らしく、軽くてしなりもあり、少なくとも、文字の読み書きに不便はしなさそうだ。
そんな羊皮紙に書かれた文字を眺めながら――
「うん、うん……なんで俺、この世界の文字が読めるん?」
今さらながら、今朝がたのことを思い出した。
ミラと一緒に寝て、目を覚ました時。小屋の出入り口前には、大量の食糧やら飲み物やらが置いてあった。そんな食料の上には一枚の紙切れが置いてあって、『おっさんとミラっちの』と書かれていた。
寝起きだったこともあって、特に気にすることもしなかったものの……
「そう言やぁ、なんで言葉が通じてるのかも気にしてなかったわ」
「ああ……おっさん、そのことも知らないんだ?」
小声で尋ねてきた葉介の疑問に対して、メアも納得しながら、小声で答えてくれた。
「細かい理屈はボクも分かんないけど――この世界じゃあ、空気中のマナを通して文字を見てるから、みんな赤ちゃんのころから書かれてる文字は読めるし、理解もできる。同じように、言葉も国によって違うけど、マナを通して聞いてるから、普通に会話できるみたい」
(マナ万能説……)
かなり大ざっぱで適当な説明ながら、とりあえず、空気中のマナが人体に何かしら作用して、言葉の壁、文字の壁を無くしてくれていることは理解した。
「まあ、代わりに文字を手書きできない人が多いけどね」
「書けないって……て、じゃあ、この書類どうやって書いてんの?」
字は読めるが、書くことはできない。それ自体は、漢字ひらがなカタカナ当て字が乱立する国に生まれ育った葉介にはよく分かる。
ただ、少なくともPCも無ければタイプライター的なものすら見当たらないこの世界で、手書きできないならどうやって、これだけの書類を作っているのやら……
そんな疑問からの問いかけに、メアは答える代わりに適当な紙切れを一枚取ると、それに杖を向け、呪文を呟いた。すると、白紙だった紙切れに、葉介の知らない文字で、『おっさんの名前なんだっけ?』という文字が、ちょうどいいサイズで浮き出てきた。
「【筆記】の魔法……これがあるから、みんな文字の手書きを覚えないんだよね。消すのも簡単だし。今時、字を手で書く人なんて、わざわざ字を手で書く練習する物好きか、魔法の黎明期より前に生まれた、じーさんばーさんくらいだね。ボク自身、自分の名前か、短くて簡単な文章しか手書きできないし」
「ふーん、魔法って便利ね……あと、志間葉介な。おっさんの名前」
呪文の一つで、自分の書きたいことの全てを瞬時に書き、消すこともできる。葉介の実家なら、作家さんだったり記者さんだったり、欲しい人は大勢いるだろう。
手書きだと辛いのはもちろんのこと、今ではパソコンにスマホもあるが、それも決して楽ちんだとは言い難い。どちらも人によっては使いこなすのがまず大変だし、文章が長ければ、一文字ずつ書いていく分時間がかかるのは、手書きよりははるかにマシというだけでどちらも変わらない。
それが、魔力の消費は当然にしても、それと引き換えに、手書きよりもパソコンよりも瞬時に文章作成ができるというのは、それらしか知らない葉介には羨ましい限りだ。
(もっとも、書くのが早くても、さすがに文章は普通に読まにゃならんのは同じだわな。電卓も無いから計算も自力みたいだし――)
そして、そんなことに戸惑いを見せる葉介の様子に、横から見ていた黄色の二人は思う。
(ヨースケさん……本当にわたしたちとは違うんだ)
(そりゃあ、魔法が使えないっていうなら、字だって書けないわよね)
【筆記】など、この国で生まれた者たちからすれば、子どものころから必須魔法以前に覚えさせられる、使えて当たり前の魔法だ。
誰もがそれを当たり前に覚えて使って、ここでやっているような資料作りや書類整理、手紙のやり取りも行う。
そんな、彼女らにとっての常識を、理解どころか認識すらできていないとは――
「――て、筆記の魔法ができないんじゃ、書類整理だってできないんじゃ……?」
「おっさん、計算はできるよね?」
「そりゃあ、できるけども……」
「書類整理の基本は、主に書かれた数字を計算してみて、それが合ってるようならそのまま。間違ってたら正しい答えに修正するってだけの話。まあ、他にも誤字脱字が見つかったら修正したりってのもあるけどさ」
「……それ、ちゃんと修正されてますの?」
かなり適当な仕事内容に聞こえたのでそう聞いてみたら、メアは案の定、表情を歪めた。
「ぶっちゃけ、ほぼほぼ適当にやってるのが現状だったりするよ。資料作りも書類整理も。まあ実際、細かい数字の違いとか誤字脱字なんて、提出する側にもされる側にもいちいち気にする人いないんだけどね」
(そこは中世的文明途上世界の、弱みと言うのか強みというのか……)
誤字の一つで厳重注意を受け、一つの計算ミスで大変なことになる。そんな仕事をしてきた葉介からしたら、なんとも寛容な労働基準である。
「ま、よっぽど大事な資料は、城内のそういうちゃんとした政治家さんたちが仕上げるし、誤字も計算違いも滅多に起きないから、要は資料読んでいったら、大丈夫ってことでサインする。それだけだよ」
「サイン……」
「まあ、サインもできないだろうから、そこはボクが魔法使って――」
「大丈夫」
メアに語りかけつつ、パーカーの内側に掛けてある、魔法の革袋を取り出す。そこから、羽ペンと、インクの入った小瓶、鉛筆を取り出した。
「うわ、懐かし……それ、どうしたの?」
「あの小屋に普通に置いてあったけど? たくさん」
普段着から騎士服に着替えている最中、ミラが突然入ってきた。そのまま奥に入っていって、奥から持ってきたそれを葉介に手渡してきた。持っていった方がいい、と――
「文字は読めるし、これなら書くことも難しくはなさそうだわ」
メアやリリアから話を聞いて、何となく予感はしていた。加えて、この資料をザっと読んだ限り、この国の文章は、英語のような単語の様々な変形・組み合わせではなく、日本語のひらがなと同じ、決まった文字の組み合わせから成ってできている。
縦書きでなく横書き、ひらがなだけの絵本のように、単語ごとに空白を作るなど、目立つ違いは見られるものの、要するに、書く文字が変化しただけの、ひらがなオンリーで書かれた文章と同じということ。
(漢字やカタカナに該当する文字は見当たらんが……そういう意味と認識はマナに頼って誤魔化してる感じかね……)
それさえ分かれば、後は必要な文字を書類の文章から見つけだせば、言語は違えど同じ文章形式に慣れ親しんだ葉介でも、書くことは難しくない。
試しに鉛筆を手に取り、書類を見ながら、『シマ ヨースケ』と、『おっさんの名前なんだっけ?』の下に手書きしてみた。
「どう?」
「うん……読めるけど、汚いなー」
「メアには言われたくない」
メアが顔をしかめている横で、手近の羊皮紙の紙切れを手に取る。
そこに、あかさたな、あいうえお、と、お決まりの日本語文字列を書いていき、それに対応する文字を見つけて、手書きで記していった。
『やゆよ』、『わをんー』、といった、特殊な使い方や読み方の文字、記号、濁点、半濁点はどうするのか等、色々と疑問ではあったが、『やゆよ』に関しては、日本語と同じく、『きゃ』なら、大きな『き』と小さな『ゃ』を組み合わせて書く。
『を』は普通に使うが、『わ』は固有文字で、日本語なら『は』を使う所で『わ』を使うなど、細かい違いはあるがすぐに理解できた。濁点に関しても、そう読ませたい文字の横に、濁点や半濁点と同じ特殊な記号を付けることでそう読ませている。
更に、こういう異世界の場合、数字、と呼ばれるものが存在しないパターンも多々あるらしいが、ここでは数字も、アラビア数字とはだいぶ違うが、普通に記号として使われているらしい。
表記の仕方も、カンマ(,)やピリオド(.)は見当たらないが、桁が増えればゼロを増やす、という記し方は、実家とまるで変わらない。
(ここまで日本人に優しい文字表記とは……この世界を考えたヤツの知性のほどが伺えるよ)
余計なお世話である……
何はともあれ、文書の形式を理解しつつ、文字数字の対応表を完成させた。
「さて……それじゃあ、やっていきますか。分からないところは質問させて下さい」
さすがに、(あるのか知らんが)簡単に消える鉛筆で書類整理をするわけにはいかない。
触ったことも無い羽ペンを取り、インクを浸透させて、一枚目の書類に目を通した。




