第12話 討伐作戦、終了
「…………」
(……うん。誰このイケメン?)
最初に目に見えて、そして感じたことがそれだった。
周りに目を向けてみると、自分が今いる空間には、真っ黒な煙というか、霧というか、靄というか……三者はどう違うのかと聞かれれば葉介的には困ってしまうものの、とにかく、そんなものに囲まれて包まれた場所に座っている(座っているのかどうかも、ぶっちゃけ怪しい感覚だが)。
そんな真っ黒以外に何も見当たらない空間ながら、目の前に、同じように座っている(実際に座っているのかもぶっちゃけ怪しいが)イケメンだけは、イヤにハッキリと目に見えた。
どんなイケメンかと問われると……ぶっちゃけ、イケメン、としか言いようがない。
見た目若く見えるが、目鼻立ちは綺麗に整っているし、赤み掛かった髪の毛はサラリとしてやや長め。目はやや丸く、まつ毛が長く、肌は普通に白く、中性的な印象ながら、性別は男だと見れば分かる。
ただ、それだけ。その個人にしかないような、個性とか特徴とか、そう言ったものが、このイケメンからはまるで感じることができなかった。
見れば誰もがキレイだ、カッコいいなと認めるものの、それ以外に感じることはなく、印象にも残らない。女の子に注目はされるかもしれないが、モテる様は想像できない。
無理やり特徴を言うなら、優しくて誠実そうな印象を受けるが、そんな見えないものを探る以外に、このイケメンを推し量る方法が思いつかない。
何も分からないとしか言いようがない、そんなイケメンが、葉介の目の前に、葉介と同じ姿勢で、葉介と向かい合い、座っている(座っているのか以下略)。
「…………」
「…………」
お互い、体育座りして向かい合っている。ただそれだけ。
葉介自身、何となく親近感を感じるので話しかけようかとも思うが、同時に混乱もしているし、話題も無いのでただ見ている。
その男はと言えば、特徴と同じく、動きも何もない。体が動かないのはもちろん、姿勢や表情筋の動きさえ感じられない。今の葉介と同じく、ただ、見ている。
「…………」
「…………」
そんな無言の睨めっこが、四、五分は続いたろうか……
(……ん?)
突然、男が、下に移動した……のではなく、葉介の体が、上に向かって浮かび上がった
(よぉ分からんが、お別れってことかね……)
視線を下げてみると、イケメンは終始、葉介に顔を向けている。
葉介も手を振りつつ、顔が見えなくなるまで、イケメンのことをジッと見つめ――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「…………」
目が覚めた時。まず、四角い真っ黒なものが目に飛び込んだ。
なんだっけこれ……と、しばらく眺めていると、それは画面が真っ暗になっている、ノートパソコンの画面だと気づいた。
(……ん? ノーパソ?)
気づいた後で、そこから視界を離しつつ、周りにも目を向けてみる。
ノートパソコンと同じく、何日も見ていなかった感覚があったせいで、狭くて散らかったその部屋が、葉介が住む賃貸マンションの一室だと気づくのにしばらくかかった。
今座っているのは、芝生の上でも、川原の石の上でも、小屋の木の床に敷いた敷布団の上でもなく、座布団の上。
コタツの上には、スマホと財布の貴重品、安物の腕時計、お茶を飲み干した後のペットボトル、ハンカチにポケットティッシュやらが置いてある。
買ったはいいが、何だかんだ全く読んでいない漫画本、フィルムも開けていないブルーレイ、数世代前の携帯ゲーム機、テレビの下にはホコリ高きテレビゲーム機……
どれもこれも、あの世界にはまず無かったろう、葉介が働いて得た金で作り上げたプライベート空間。
「……これが、夢オチか」
何だかんだ、現実であると受け入れていたのだが……結局は、座布団の上で座っていて、コタツの温かみのせいでうっかり眠っている間に見た夢だったようだ。
別段、葉介にとっては珍しいことじゃない。他人がどうだか知らないが、葉介自身、子どものころから夢は毎日のように見てきた。
下らない夢や、短い夢はもちろんのこと、体感で何日も経ったように感じる長い夢、気になっている漫画の続きのオリジナル、時には、まるで映画のような壮大な物語を、自分まで登場人物にされて見せられたこともある。
せっかく目を覚ましたのに、夢の続きが気になるからと、わざわざ二度寝したこともあるくらいだ。
だから、今回もそうだったんだろう。現実の時間がどうあれ、体感半月くらいに感じる長い長い夢を、座って寝ている間に見ていたとしても、俺の夢ならあり得る話だ。
(……て、そういや、今何時? 何月何日?)
もしや、本当に二週間経っているんじゃ?
そう思ってスマホを開いて、時刻と日付を確認してみる。
日付は、連休の最終日ということで覚えていたから、それが、眠ってしまったらしい日から一日が経過しているのが分かった。
といっても、時刻は深夜。日付が変わったのは、目を覚ますほんの数分前だ。
(アホらし……ちゃんと布団で寝よっと)
結局、夕飯は食べていないうえ、風呂にも入ってないものの、寝起きで食欲も無いことだし、今から寝ておかないと、明日起きられなくなる。
明日から仕事なのに……
(仕事……イヤやなぁ)
トイレから出た後、布団の上に寝転がりながら、仕事への憂鬱を募らせた。
何年も働いて、失敗ばかりしてきた。それでもどうにか割り振られた仕事をこなしているうちに、年月だけは過ぎていく。
新人だった時代はとっくに終わり、新しい新人が入ってくれば、自分はイヤでもベテランになる。
教えてもらいたいことはこっちにこそあるっていうのに、ベテランを頼り、アテにする新人たちに囲まれて。自分以外のベテランは、自分が知らないこと、知りたいことを全部知った、頼りになるベテランになってるっていうのに。
(まあ、俺自身が学ばんかったせいやけど……学ぶ機会も、学び方も分かんなかったし)
自分が知らないことをどこからか知ってきて、自分にはできない仕事を楽勝でこなしていく同期や後輩たち。
教えることもできないのに、中身の無いキャリアばかりをイヤでも積むことになる毎日。
そんな窮屈な職場に戻って、誰でもできる、できて当たり前な仕事を、また繰り返す毎日が待っていると思うと……
(あんなアホみたいな世界でも、ここよりゃよっぽど生きやすかったな……)
前にも考えた気がするが、自分が生きているこの世界は、技術も生活レベルも、何もかもが快適な代わりに、要求されるものが多すぎて、複雑すぎる。
ただ普通に働いて生活していきたい。そんな単純な願いを叶えるために、社会が要求してくるものの、なんと複雑で膨大なことか。
もちろん、世界が変わろうが、そういう要求されるものの根本は変わらないのだろうが、それでも、あの世界が……あの女の子が、俺に求めたものは、とにかくシンプルで分かりやすくて、そして、俺でも差し出せるものだった。
(まあ……所詮は夢だし、俺死んじまったから、どっち道もう、終わりだろうけど……そう言えば俺、どうやって死んだっけ?)
今まで見てきた内容の夢は、時間が経てば忘れもするが、特徴的な物ほど忘れられずに覚えている。だから、ついさっきまで見ていた夢も、イヤと言うほど覚えている(むしろ、忘れる方が難しい、濃すぎる夢ではあったが……)。
だが、死ぬ直前のこと。そこだけがやけにリアルに、思い出しづらいこの状況。
(確か、ユニコーンの前に、軍団のボスがいたからかばって、そこに突っ込んできたユニコーンから逃げることができず、その角にぶっ刺されて……)
そこまで考えて、俺は刺されて死んだんだった……それを思い出した。
思い出したところで、その時に感じたかゆみ諸々まで思い出して……どうにも気になって、刺された部分を手に触れてみた。
「……ん?」
思わず、おかしな声が漏れる。胸に手を触れた瞬間、やたらあったかく、それでいて粘ついて不快な感触があって、それで手の平を見ると、黒っぽく濡れていて――
「――は?」
部屋着で寝間着な黒のスウェットの襟口を伸ばして、中を覗いてみる。
薄暗い部屋の、更に暗い布団の中の、余計に暗い服の中でさえ分かるほど、そこには大きくて、赤黒い大穴が開いていて……
「おいおいおいおいおい……!」
そこからは、ドクドクと、赤黒い血が風呂場みたいに溢れていて――
「布団が血に汚れるとかやめてえええええええええええええ――」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「――ぇぇぇえええええええええええあああ!?!?!?」
変な声を上げてしまった。それを恥に感じた瞬間には、手の平や足、尻の下から、布団の感触は消えていた。
代わりに感じるのは、湿った土と、そこに混ざった雑草や落ち葉の手触り。香ってくるのは、自然と、焦げ臭い煙の匂い。加えて、血の匂いも感じる……
「ヨースケさん!」
そこまで理解したタイミングで、隣から、覚えのある声が聞こえてきた。とっさに後転して立ち上がると、飛び込んできた青い騎士服が目の前で転んだ。同じように黄色も飛び込んできたので、それも避ける。
「……よかった。ヨースケさん」
「本当に元に戻った……」
「はい?」
中背の巨乳と小柄の爆乳の二人が、抱き着きあいつつ見上げながら歓喜している。そんなセルシィとリムの言葉を聞いた後で、周囲を見回してみた。
目を見開いているリリア。今にも泣きだしそうなメルダ。綺麗な笑みを浮かべているメア。心底ホッとした様子のレイ。その他驚いていたり、涙を流したりする増援部隊の皆さん。
(あー……俺、死んでたのな)
そこでようやく、目が覚める前にも思い出した、自身の死因を思い出した。
(……ん? どっちが夢? ココ? 実家?)
「ヨースケ」
直前に見ていた、夢だったか現実だったか、区別が難しい光景を考えている葉介の耳に、また声が聞こえてくる。爽やかで凛とした、若いイケメンボイス……レイだ。
「生きていてよかった……ありがとう。お前が突き飛ばしてくれなかったら、ワタシがああなっていた……」
心からの感謝と、確かな恐怖。それを感じさせる声を出して、頭を下げてくれた。
「いや、だって、仕事ですから。一番の下っ端が、誰より体を張るのなんて、当たり前でしょう」
「当たり前って……いや、そうかもしれないが、まさかワタシをかばってくれるとは――」
「そりゃあ、私とレイ様と、どちらの命を優先すべきか。選ぶまでもないですから」
「選ぶまでもって……」
平然と、淡々と、さも当然だと答えを返す。自分が傷ついて、命まで落としかけたというのに、それすら仕事と割り切って、当然のことだと謙遜もしなければおごりもない。
その場の誰もが、呆然と、その言葉と態度に聞き入っていた。いくら第3関隊が待機していたとは言え、その『当たり前なこと』をできる人間が、この中にどれだけいることか……
誰もが、レイにリリアさえ、この男の底の知れなさを、改めて思い知った。
「……んなことはどうでもいいですけど、ユニコーンはどうなりました? 倒せました?」
葉介自身、死ぬのは怖くなかったと言えばウソになる。実際は、一瞬すぎて怖がったり覚悟したりするヒマも無かったが、胸を貫かれた瞬間の衝撃と、そこから急にやってきた強烈なかゆみと熱さと、寒気と眠気、そういうのは、今さらながらハッキリと思い出せる。
そんなものに思いを馳せる時間も無駄だから、必要なことだけ尋ねた。
「……ええ。倒せたわ」
答えたのは、リリア。
「ヨースケが、馬の角にやられたすぐ後、また馬は角を光らせたみたい。けど、角はアナタが肩に掛けてた、魔法の革袋にスッポリ納まってて、光っても意味がなかった」
「……そうですか」
リリアの話に、妙に落ち込んだふうな……だがそれ以上に、ホッとしたような声を上げる。まるで、そうなると分かっていたようだと、リリアは感じた。
「……もしかして、それもアナタの狙い通り、だったの?」
「あんな小さいものに、上手いこと入れられるわけないでしょう? 本当は、黒のパーカー……上着を角に被せられたらって思ってましたけど、まさか革袋に入るとは……」
そのために、とっさに黒のパーカーを脱いだ。それを、自分が貫かれた瞬間、角に被せようと広げたところで力尽きたことは、何となく覚えている。
そう言えば、背中から貫かれたのに、ぼやけていく視界でどれだけ探しても、角の先が見つからなかった。そんな風に見えたが……
(そう言やぁ、不自然に革袋が浮いてたかな? あんま思い出せんけど……)
狙いとは違ったものの、どうやら、自分が思った通り、光る角を封じることはできたらしいと分かった。
「……それで、光る角を無事封じて、ユニコーンを倒すことができた、と?」
「ええ。ミラ様に、第4関隊の、リムと、メルダ、三人がね」
「……マジ?」
「マジ」
「……ヨースケ」
リリアと話している葉介の耳に、別の少女の声が聞こえた。
「これ……」
「ああ、わざわざありがとうございます。メルダ、様?」
葉介の脱いだ黒のパーカーを、メルダが手渡し、受け取ったすぐ後に、メルダはそのまま、葉介に抱き着いた。
「どうしました? メルダ様?」
いつもなら全力で避けていたものを、あまりに目の前まで迫られ、急に来られたことで、避けることができず、そのまま抱き着かれた。
それでも、特に何とも思わない葉介に、メルダは、涙声で語りかけた。
「なによ……こっちがどれだけ心配したかも知らないで……アンタが死んじゃったら、わたくしががんばってきた意味、ないじゃない……っ」
「……?」
その言葉に疑問を感じた直後、背中に、いつだかの柔らかな感触を感じた。
そんな覚えのある感触と、すぐに聞こえてきた声から、誰なのかはイヤでも理解する。
「本当に、ヨースケさんはすごいです……すごい人だから、死んでほしくないです――もっと、色んなこと、わたしたちに、教えて、ほしいです……!」
「リム様……?」
こちらも、メルダと同じく、涙声になっている。
そうやって、葉介に抱き着き、涙を流す二人の姿は、城を、国を護る、魔法騎士ではなく、普通の年齢相応の少女。
そして、そんな黄色二人が、直前に見せた怒り狂った姿を思い出して、リリアは身震いした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
葉介が角に貫かれ、誰もが呆然としていた。
そうしているスキに、ユニコーンはみたび、角を光らせる時に見せた動作を見せた。
リリアもレイも、誰もがその動きに警戒し、身構えたが、角が光ることは無かった。そこで初めて、角が、葉介の肩に掛かった、魔法の革袋に納まっているのが見えた。
それに誰もが気づいた後、誰よりも先に動いたのは、ミラだった。
ユニコーンの首にしがみついて、拳で角を叩き折って、角が刺さったままの葉介を救出し、セルシィに預けた。
そこへ全員が畳みかけようとしたが、そこにユニコーンの姿はすでに無かった。
代わりに、地面が大きく隆起したかと思えば、長い柱が、空に向かって伸びていて。
その土の柱の、鋭利な先端が、ユニコーンの腹を貫いていた。
それが、リムの魔法だと分かった次の瞬間には、ユニコーンは一瞬で凍りついた。見ると、リムと同じく、メルダが杖を構えていた。
そんな氷の塊に、ミラがジャンプして近づいて、拳の一撃で粉々に砕いた。
終わった後、ミラは普段と変わらなく見えた。だが、黄色の二人は二人ともが身を震わせ、血走らせた目をカッと見開くか、噛みしめた唇から血を流しながら、今にも爆発しそうなほど、激怒した顔を浮かべていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
魔法騎士の中でも落ちこぼれな集まりであるはずの、第4関隊。その中でもドベ中のドベとして扱われているという……
そんな二人が、ここまで強くなった理由。第5関隊の二人組の、力と献身もあったとはいえ、魔法の力まで得たデスニマの親を、ほとんど二人で倒してしまうほどに強くなった理由。
そんな理由となった男の姿に、リリアは改めて思う。
(本当に、只者じゃなかったわけね。ヨースケ……)
そして、そんな美少女二人に挟まれて、心からの心配を寄せられている。そんな葉介は、感じていた。
(普通に仕事しただけで、こんなに大げさに褒められて、周りからは簡単に一目置かれて、複数の女の子に抱き着かれて……そっか。これが『なろう系』ってやつか)
ただ、現代日本で普通に生きていれば得られる知識や技術を、それらが無いからとひけらかしただけで簡単に注目されて、もてはやされる。そういうストーリーの漫画、アニメ、ラノベが、近年流行していることは、葉介でも知っている。
それ自体は別にどうでもいいことだし、興味も無いが、それが流行している分、中身が薄いとか、ワンパターンだとかいう批判の声も、どこかで聞いたことはある。
そして、詳しくは知らないし、大して興味も持たなかったそれを、こうして実体験させられると、なるほどこれは、中々どうして……
(たまたま仕事したら上手くいったってだけのことで、どうしてこんなに持ち上げられにゃあならんのだ? たかが仕事をした程度のことで、魔法も使えんこの俺が……)
この場にいる全員が、生まれた時から当たり前に使える、魔法という基本的かつ絶対的な力を、葉介は全く使えない。
だから、使えなくても戦えるようにと体を鍛えて、武器を使って、頼まれたから無い頭を使って作戦まで考えたら、それが上手くいって、生き残った。
そして、ここにいる全員が、わざわざそんなことをしなくても良いだけの力を持っているくせに、終わってみたら、それを唯一持たない男に、まるで英雄でも見るような目で注目しくさって……
(魔法も使えないくせに、よくがんばったねとバカにされてる気分……気持ち悪いし、なんか無償にムカついてきた)
無論、リムやメルダはもちろん、この場にいる人間で、そんなことを考えている人間は一人もいない。皆が皆、純粋に葉介を賞賛し、命がけの行動に感銘を受けて、ここまでの活躍に感動してくれている。
あまりにご都合主義に感じてしまう展開の中にいるとはいえ、それが分からない葉介でもない。
悪意が無いと分かっているからこそ、余計に気持ちの悪さが込み上げてくる――
実家でも、似たようなことがあったのを思い出した。
メインで仕事を行う人たちのサポート業務。誰にでもできる、できて当たり前な仕事だけを毎日こなしてきた。ただそれだけで、気づけば上司や先輩から、助かっている、頼りにしている、そう、やたら褒められるようになった。
そう言われるまで、数えきれないだけの失敗をし、文句を言われ怒られてきたから、とにかくミスをしないようにして、結果、誰にでもできる仕事だけを無難にこなしている。
それだけのことで、貶されるよりマシとは言え、褒められる理由も分からず、感じたのは嬉しさ以上の、薄気味悪さと気色の悪さ……
「……そう言えば、ミラ様は?」
込み上げる不快感とムカつきをガマンして、メルダとリムに、気の済むまで抱き着かれてやったところで、気になったことを尋ねた。
こんな仕様の無い世界でも、とりあえず、自分が生きる理由になっている。そんな少女の姿が、今はどこにも見当たらない。
「グスッ……ミラ様なら、あっちです」
泣き顔のリムが背中から離れて、指さした方向。
ついさっきまで、青々とした森が広がっていたのが、今ではごく一部を残してすっかり更地になっている。そんな森だった場所を見上げて、拳を握りながら背中を向ける、赤い騎士服と白い髪。
「…………」
騎士服に空いた大穴や、そこに着いた血が気になりつつも、メルダから受け取ったパーカーを着て、ミラに近づいていった。
「ミラ?」
呼びかけると、すぐに葉介に振り返った。
葉介はすぐさまひざまずき、頭を下げた。
「ミラの命令通り、がんばったけど……仕事できてたかな?」
今さら、ここまで低頭するほどの仲でもないとは思うが、騎士団の大勢が見ていることだし、どちらが上の立場かハッキリさせる意味も兼ねて、頭を下げておく。
(着くひざは左側で合ってんのかしら……)
尋ねた後になって、そんなことを考えていると……ミラは、しばらくの沈黙の後で、
「立って」
そう、一言だけ、毅然とした声で言った。
特に疑問にも思わず立ち上がる。ミラは、葉介の前まで歩いてきて――
「……え!」
「ちょっと……!」
「……俺、何かしでかした?」
「しでかした」
目の前に立つなり、ミラの右拳が飛んできた。それを葉介は、修練場での時と同じ、両手で受け流していた。
「フッ――」
右を外された後は、左拳を当てに行った。それもまた、葉介は受け流す。右、受け、左、流し、右、避け、左、止め――
「うぁっ!」
飛んできた左腕を両手で受け止めつつ、足を払って体勢を崩し、腕をひねり背中に回る。ミラのひざを着かせつつ、綺麗に左肩を極めることができた。
「……修行の時、手、抜いてたの?」
「そんな余裕あるかい。殴る蹴るより、殴られて蹴られる方が得意ってだけ……んなこたぁどうでもいい」
しゃべりながら、余計に体重を掛ける。ミラの苦悶の声も無視して、より痛みを与えていく。
「失敗をしたのなら、具体的に何をどう失敗したのか、言葉で説明していただかなければ分かりません。少なくとも、私自身は任務に夢中で、どこでどう失敗したかなんか自覚はありません……ん?」
敢えて敬語で話しつつ、少しずつ、左腕に体重を乗せていく。
ちょっと上手くいった程度で大げさに褒められるのは不快なだけだが、その真逆、殴りかかられるほど頭ごなしに否定されては、単純に腹が立つ。
あと少し、体重を掛ければ、左肩が外れる――
「……なら、説明する」
と、静かな声が聞こえた直後。押していたはずの左腕が、徐々に、押し戻されていく。
しばらくして腕が本来の位置に戻った、直後、左腕を、前方に振われる。
左腕を掴んでいたままの葉介は、そのまま前方へ投げ飛ばされた。
(【身体強化】で、強引に関節技跳ね返しおった)
何をされたかを分析しつつ、受け身を取り着地する。そこへ、ミラが走ってきた。
「がんばれって、命令した」
走ってきて、また殴りかかってくる。そして同じように、葉介は受け流す。
「けど、死んでもいい、なんて、命令してない」
「心配してくれたん?」
問いかけながら、右足を蹴りだした。ミラはそれを、後ろに下がって避けた。
「けどな、危険な仕事なのは誰の目にも明らかでしょうに。命かけるなんて普通のことだろうが。ミラは命もかけずに仕事してたのか?」
実家での仕事も、嫌いとは言え、失敗したら死ぬ、程度の覚悟は常に持ってやってきた。
今回も、間違いなく命がけの仕事だったからそうしたのに。他でもない、この娘のために……
「お前のは、命をかけたんじゃない」
今度は右手か、左手か……走り出してきたミラを見ながら、葉介は、構える。
だが、どちらでもなく、ミラは、跳んだ。
「お前は、命を粗末にした」
その言葉が聞こえた直後、ミラの右足が飛んできた。
葉介は組んだ両腕で受けたものの、その威力に腕は開いて、後ろへのけぞった。
「お前はわたしの弟子――」
のけぞって、バランスを崩した葉介の胸倉を、両手に掴んで、引き寄せる。
「仕事に命をかけるのは、良い。けど、わたしの弟子なら、師匠のわたしより先に死ぬこと、ゆるさない……!」
無表情で口下手で、不器用ながら、それでも言いたいことを、体を張って全力で、葉介に伝えた。
「……それは命令か?」
「ん……命令。さいゆーせんじこー」
ふと、胸倉を掴む両手を見てみた。指先と、指の間が、血で赤黒く汚れている。
葉介自身の血かとも思ったが、たった今、肩を極めていた時に見えた、手の平の傷を思い出した。
手の平の中心に一列に並ぶ、小さな四つの傷。あれは、握り込んだ拳の爪が、手の平に食いこんでできる傷だった……
「……なら、従うしかないね」
そう答えると、ミラは両手を離してくれた。
「命令に反してしまい、申し訳ありませんでした。以後、ミラ様の命令を遵守できるよう、尽力いたします」
「ん……ゆるす」
自分の言いたいことが伝わったらしいと分かって、ミラはそれ以上の攻撃をやめた。
葉介も、ミラが、形や有り方はどうあれ、自分のことを大切に思ってくれていることが分かって、メルダやリムの言葉より、はるかに嬉しさを感じた。
そして、そんな二人を、他の騎士たちは呆然と眺めていた。
(ミラ様の攻撃を全部かわした上に、一時的とは言え、動きまで封じるなんて――)
(あれが、本当のヨースケさんの実力なんだ……わたしが目指したい姿なんだ!)
(ヨースケさん、カッコいい!! カッコよすぎ!!)
おなじみの、黄色二人と青色一人はもちろん……
(ミラっちとマトモにケンカできる人間なんて、誰もいないって思ってたのに、あのおっさんてば――)
(底が測り知れないわね……負けたくない!)
(シマ・ヨースケ……とことん、良い男ね)
黄色のサルと、赤い髪と、最年長も、葉介に対する、驚異と驚愕、そして友好を感じていた。
他の、葉介の存在に懐疑的な気持ちを捨てきれなかった者たちでさえ、葉介の強さとその力を、否応なしに認めることとなった。
そして、そんな者たちの中心にいる、葉介は、思った。
(それにつけても……)
そして、葉介の姿に見入りつつ、レイもまた、思った。
(それにしても……)
(シャル様の方、大丈夫かね?)
(シャルの方は、大丈夫かな?)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「これで片づいたようだな」
葉介とレイが、同時に思い浮かべた顔。五人の関長の中でただ一人、城に残してきた一般騎士ら68名と共に城に残ったシャルは、目の前に倒れた者たちを前に、毅然とした態度で仁王立ちしていた。
「うぅ……どうして……」
「話が違うじゃない……」
「ちくしょう……」
魔法で動きを封じられた連中は、そんな恨み言を吐き続けていた。
「シャル様。裏口とその周辺に隠れていた敵も、制圧を完了しました」
「正門を攻めてきたこの者たちを含め、全滅させたものと思われます」
「うむ……ご苦労だった、ファイ、フェイ」
振り返りながら、ファイ、フェイと呼ばれた二人組に、労いの言葉を掛ける。
同じ紫色の騎士服に加え、それを着ている身長と体格までほぼ同じ。
加えて、人形のように無表情ながら、透き通るような顔つきも、水面や青空を思わせる水色の髪の色も全く同じ。
違うのは、髪型くらい。ファイと呼ばれた男は、やや短く、フェイと呼ばれた女は、やや長い。ついでに言ってしまうと、生まれ持った魔力の量までほぼ同じ。
そんな、透き通るような美貌が、そっくり並んでいることでよく映える、水色髪の双子の兄妹。この双子こそ、レイにとってのリリアと同じ、シャルが束ねる第2関隊の副将にあたる二人組である。
「それにしても……得心。ワタシたち兄妹だけならいざ知らず、シャル様まで城へ待機したことには、疑問に感じておりましたが……」
「こうなることを予期してのことだったと……理解。改めて、関長殿の先見性、感服いたしました」
「…………」
ミラほどではないが、美しくも無に近い表情で、感情のうかがい辛い声を出して淡々と語っている。そんな双子の言葉を聞きながら、シャルが思い出したのは、増援部隊を選抜する直前の出来事――
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「よし……各隊、すぐに魔法騎士全員を集めろ。オレたち魔法騎士総出で、この森のデスニマを殲滅する」
「うむ……!」
「はい!」
「あいよ!」
「ん……」
「待て待て待て、待てや」
レイの号令に、関長四人が共通して気合いの声を上げている中で、ただ一人、葉介は静止の声を上げた。
「なんだ?」
「なんだて……いや、あのですね、魔法騎士全員、森まで連れてく気ですか?」
「当然だ。これだけのデスニマの大群と、それに対抗するための大規模作戦だぞ。数は多いに越したことはない。なにか問題があるか?」
「……この城の護りはよ?」
そんな葉介の疑問に対して、五人とも、何を言っているのか分からないという表情になった。
「魔法騎士全員出払ったら、この城無防備になりますやん。攻撃されたら、誰がこの城護りますの?」
「誰がって……」
五人が顔を見合わせると、五人ともが曖昧な表情になって、首をかしげた。
「えっと……お城、というか、この国が襲われる心配は、無いと思いますよ?」
セルシィが、いつも通りの控えめな態度でそう言った。
「そりゃあ、おっさんはこの国に来て短いから分かんないだろうけど、戦争が終わってからこっち、争いらしい争いなんて全然起きてないし。町中でのちょっとした小競り合いくらいは見かけるけど、本当にそれくらいだし」
「だからこそ、我々魔法騎士の存在意義が疑問視され、無くしてしまえという声が増えている。貴様が心配しているような事態が起こることなど――」
「なんで無いと言い切れるんです?」
メアの説明と、それを捕捉するシャルの言葉を遮りつつ、葉介は怪訝な顔のまま続きを語る。
「平和が続いて、魔法騎士が無くなる。それも理想だとは思いますよ? そうでなくとも、必要かも分からんものに税金なんて払いたくないのは、私とて同じですし。けどね、そんだけ長く続いた平和なら、逆に平和ボケしてるところを襲われたら、ひとたまりもないってことでしょうに」
そして、次の葉介の言葉で、全員が気づかされた。
「今回のこの騒動とて、誰かしらがワザと起こしたものじゃないって、誰にも言いきれないんですから」
「……なに?」
レイが声を上げ、全員がまた顔を見合わせた。
「ヨースケ……お前は、このデスニマの大量発生が、自然発生ではなく、何者かの策略によって、意図的に引き起こされたものだと、そう言いたいのか?」
レイが声を上げ、残りの四人も葉介を見る。変わらぬ無表情のミラは分からないが、他、紫、青、黄の関長が顔に浮かべているのは同じ……ありえない、という言葉だ。
「私にはむしろ、そんなことできない、ありえないって、そう言い切れる方が疑問です。魔法を使った後、マナに戻らなかった空魔法が動物の死骸に入り込んで、動き出したもの。それがデスニマ、でしたよね?」
「え、ええ……」
「と、いうことはですよ……あらかじめ動物を殺しておいて、その死体の前でワザと魔法を使ったら? そりゃあ、一回じゃデスニマにならなくとも、十回、百回と、魔力が無くなるまで、毎日のようにそれを続けたなら、どうです?」
五人ともが、同時に顔を見合わせた。今まで誰も、想像すらしたことのない、そんな愚行を犯そうとする、そんな人間がいることなど、信じられないという顔を浮かべていた。
そして同時に、そんな愚行と可能性を、話を聞いただけで想像し、言葉にした葉介の話に、愕然とさせられた。
(てか、何でド素人の俺が思いつくことを、仮にも魔法のプロであるアンタらが思いつかんかね?)
「……いやー、さすがに考えすぎだし、無理あるっしょ。話聞いただけで効率悪すぎるし、そもそも、そうやってできたデスニマが、都合よく親になるかどうか分かんないし」
「そもそも、お前が今言った通りのことが行われたとして、一体、何のために、そんなことを……?」
メアの言葉の後で、シャルがそう質問すると、そんなことも分からないのか? と、呆れた表情になる。それにシャルがカチンときているのも無視して、葉介は話して聞かせた。
「私の実家では、大昔からある、ありふれた作戦なんですわ。どこかで派手な騒ぎが偶然起きる。もしくは、ワザと起こす。それに釣られて大勢の意識がそっちに向く。人手も自然とそっちに向かう。そうして護りがガラ空きになった、本丸を攻めて一気に叩く」
「……よーどー作戦」
ミラの発した言葉。そして、葉介の分かりやすい説明と言葉が、ミラ以外の四人の意識も変えることになった。
「そりゃあ私も、使えもしない魔法のことなんか全く分かりませんし、そんなことをワザとしようとする人間なんて、いるとは思いたくありませんよ? ただ……たとえ、この事件が偶然であれワザとであれ、制圧するために、国の魔法騎士団全員の力を使う。その結果、魔法騎士が一人もいなくなって、城は無防備になる。それを、あらかじめ知っている人がいたら? もしくは、偶然城とか国とかに恨みを持った人の耳に入ったら? 城へ強盗しようと考える輩の耳に入ったら? ……言い出したらキリが無いですけど、ただでさえ魔法騎士の存在が疑問視されてるっていうこのご時世、ただずっと平和が続いているというだけのことで、留守にしようが城は安全だと、誰が言いきれますか?」
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(そして、いざ増援組が城を発った後、夕暮れと共に、賊どもがなだれ込んでくるとはな――)
葉介の言葉に、完全に納得したとは言えなかったが、それでもあらゆる可能性を考えた結果、全員を連れていくのは危険だと、関長間での意見が一致した。
そして、城に待機させる部隊もまた、もちろん選抜部隊に比べれば少数で、実力も低い者たちが中心だが、城の護衛と、不測の事態に対応するには申し分ないメンバーを残すことになった。
そうして、待機組として城に残ったメンバーの指揮を、シャルが執ることになった。これで何事も無ければ、あの男に文句の一つも言ってやろうと決めていたのだが……
結果はものの見事に、あの男が言った通りの事態が起こり、城へ入り込もうとした賊の全員を捕らえることに成功した。
「それにしても……遺憾。誠に――」
普段、妹と同じく口数が少ない方な、兄のファイが、突然そんな声を上げた。
「遺憾? 何がだ?」
「できることなら……第5関隊の、シマ・ヨースケ殿の戦いぶり、この目で拝見してみたかった」
表情に乏しい双子ながら、それを言った時の表情には、確かに、シャルにも分かるくらいの、遺憾の気持ちが表れている。
「ファイ……あの男に、興味があったのか?」
「昭然……リリア殿との決闘を見てから、兄はどうやら、シマ・ヨースケ殿に憧憬の念を寄せているようです」
「加味……そういうフェイこそ、レイ様との決闘の結末を見てからというもの、シマ・ヨースケ殿の姿をずっと目で追っていたように思うが?」
お互いがお互いのことを、淡々と、涼しい声で説明をしていった。
(まったく、誰もかれもが、あの男に惹かれていく……まあ、確かに、ここまでされては認めざるを得んがな)
今、森の方がどうなっているかは分からない。シャル自身、できればレイと一緒に行きたかったが、自分に次ぐ指揮官が必要だからと、城に残るよう指示された。
それで、あの男の言っていた通りのことが起き、残った自分たちは、それを制圧することになった。
そして、同じように残った者たち、うち、最も信頼する副将二人組は、そんな男に知らぬ間に心酔させられていた。
お互いにどれだけ相容れず、シャル自身が気に入らないと思っていようとも、もはや認めるしかない。
精鋭部隊の副将を下し、最強の関長を追い詰め、そして、誰もが予想すらしなかった事態を予測し、結果、城さえも護ってしまった。そんな、たった一人の男が成した偉業の数々を……
「……まあいい。捕らえた者たちは地下牢に幽閉、同時に、撤収作業を開始する。ただし、残党の可能性を捨てず、警戒を怠るな」
「は――」
「は……」
双子に指示を出し、息ピッタリな返事を聞いた後で、三人同時に動き出す。
陽は沈み、空のあちらこちらに星がちらつき始めた時間。
そんな星々を見上げながら、シャルは、今も森にいるであろう者たちのことを考えていた。
(全員、生きているのか? レイ、無事でいるか? ……ついでに、シマ・ヨースケ、貴様もな)
なんか数字おかしくない?
と思った人は感想おねがいします。




