第4話 弟子の決闘
魔法騎士の中央演習場にて、第1関隊の副将、リリアが決闘を行う。
その話題は、瞬く間に城中に広がった。
決闘自体は、回数こそ多くはないが、珍しくないと言える頻度で行われている。
熱心な魔法騎士が先輩魔法騎士に進んで挑戦することもあれば、小物が弱そうな後輩を連れ出すこともある。新しく覚えた魔法を実戦で試そうと考える者もいるし、中には、夕飯のおかずとか、城下町で売っていた素敵な服を取り合って決闘、なんて例もある。
そんな、珍しくはない決闘だが、必然的に、ベテランやエリートになるほどその頻度は少なくなっていく。第4関隊に入って間もない新人が、第2関隊のベテランに挑んだところで、勝敗の結果は誰にでも明らかだからだ。
まして、魔法騎士らの頂点、最強の精鋭部隊とされる第1関隊の騎士ともなれば、挑戦しようと考える者はまずいない。挑戦を受ける受けない以前に、仕事柄、一人でも城にいることは滅多にない。仮に運良く城にいる時に挑戦を申し込んだところで、大抵は相手にされない。
そんな、滅多に戦う所を見せない第1関隊の、リリアが決闘を行う。
話題にならないはずもなかった。
知名度や実力では、トップのレイには及ばないにしても、精鋭部隊の副将を務めているというリリアの名も、魔法騎士たちに知れ渡り、一部では憧れの一つとなっている。
相手が誰かまでは知らない。彼女らにとっては、数ある武勇伝でしか聞いたことのないリリアの戦いを観ること。それだけが楽しみなのだから。
そんな、リリアの戦いを目当てに集まった魔法騎士ら、約120名。
仕事で手が離せない者や外へ出ている者、そもそも興味が無い者、非番でここにはいない者らは当然ここにはいない。だがそれ以外の、城にいた第2、第3、第4、城の外から急遽集められた第1ら、ほぼ全員が集まっていると言っていい。
そんな、新人からベテラン、関長も集まっている中、リリアは杖を握りしめた……
見た目も形も決して珍しくもない、軽くてしなりがあり、かつそれなりに頑丈で、多少乱暴に扱っても、折れにくく、曲がらない、杖としてはかなりポピュラーな部類。
この杖を握りしめて、魔法騎士になるために城の門を叩いた日から、ただひたすら努力の毎日だった。
資料作りや城内・城下の見回りと言った雑務をこなしつつ、空いた時間や休みの日には、自分の知らない魔法の鍛錬の日々。幸運にも、生まれつきの魔力量が人より高かったことから、魔法の回数をこなすことは苦ではなかった。
おかげで他より多くの魔法を覚え、使いこなすことができて、周りからも一目置かれるようになっていった。
初めてデスニマと戦った時は、そのあまりの狂暴さと恐ろしさに、今まで鍛えてきた魔法を満足に使うことができず、恥を掻くことになった。
もう二度と、あんな惨めな思いはしたくない。そんな思いから、今まで以上に訓練に打ち込んだ。
そうして、新たにデスニマの討伐任務についた時には、落ち着いて対処することができて、その次も、そのまた次も、苦労なく戦うことができて、魔法騎士の中でも頼れる存在とされていった。
そんな実力が認められて、第1関隊に入ることが許された。第2関隊の関長にという話もあったが、自分が人を束ねるのには向いていない器なことも自覚していた。
第1関隊に入った後も、これまで以上に増加、複雑化した仕事をこなしていった。たとえ、魔法騎士の需要が年々無くなってきているとしても。民衆から感謝でなく罵倒を受けても。魔法騎士であること、そして、第1関隊であることは、リリアにとっては誇りであり、生き甲斐だった。
そうして、今日まで全力で生きてきて、気がつけば、第1関隊の副将と呼ばれ、関長のレイをそばで支え、時にレイに変わってみんなを統率する、そんな立場になっていた。
そんなリリアだからこそ、魔法騎士になって半月という、誇りも意志も感じられない適当な男が、かの重大任務に就くこと。それを、簡単に看過することはできなかった。
偉そうだと侮辱されたこと。それもゆるせない理由の一つなことは否定しない。
ただそれ以上に、今日まで尊敬し、憧れてきた人が、あんな男の力を頼ること。それ自体がゆるせないと感じてしまった。だから、頼りになるかどうか、それを、自分自身の目で確かめるために、決闘を挑むことにした。
レイに言われた通り、こんなことをしている場合じゃない。実際、ここに来る前にも叱られたし、終わった後にも、叱責を受けるだろう。
それでも、今までと同じように、私は魔法騎士として……第1関隊のために、務めを果たしたい。
たとえ、彼の隣にいるのが、副将である私ではなく、第2関隊の関長だとしても……
せめて、女としてじゃなく、魔法騎士としては、アナタにとっての一番でいたいから……
向こう側から、足音が聞こえてきた。
それと同時に、集まった若手騎士たちからも声が上がる。
魔法騎士の、どの騎士服の色とも違う、真っ黒な服。
騎士服すら与えられていない中年の男は、しかし堂々と背筋を伸ばし、歩いているだけでもスキの無い所作で、こちらまで歩いてきた。
(なるほど……確かに、只者ではないわね)
ついさっき会った時は、自分よりも小さな、ただの冴えない中年男にしか見えなかったのに、勝負のために向き合った、今は違う。油断なくこちらを睨み据え、あらゆる動作も見逃すまいとする、戦う者の目を向けている。
ハタから見れば、ただ無表情にしか見えないかもしれない。それでも、実際に第5関隊関長と向かい合ったことがあったことで、その視線が、ミラのソレと同じ種類であることに気づくことができた。
(これは……侮っていては、痛い目を見るわね――)
「え、ヨースケさん!?」
「うそ……ヨースケが、リリア様の相手なの?」
周りを囲んでいる騎士らの中で、葉介を見る者は少なかった。
魔法騎士に入りたての時にこそ、ミラが唯一認めた部下ということで、城中から注目を集めていたが、この二週間、やっているのは時代遅れの訓練と自給自足だけ。
目を引く行動には違いないが、それ以上に目立つようなこともせず、せいぜい、鍛えているところを関長らに咎められていること以外で、取り立てて見るところのない中年男の話題など、とっくの昔に失せていた。
そんな葉介へ視線を向けている者は、リリアの相手として気の毒と思っている者や、一目見てコイツはダメだと嘲る者、こんな男かと呆れる者、笑う者……どの道、リリアに比べれば明らかに少ないし、その少ない中でも、良い感情で葉介を見ている者は更に少数派だ。
そんな少数中の少数派である、リムとメルダは、葉介が現れるなり声を上げていた。
「ちょっと待って、リリア様と決闘って……だって、ヨースケは魔法が――」
「げっほっ」
リムが咳払いをしながら、メルダの口に手を当てる。
これだけ周りでガヤガヤ声が上がっていれば、多少声を上げたところで聞こえる危険は少ないものの、それでも隣前後で誰が聞いているとも限らない。
正直なところ、二人からすれば、葉介に魔力があろうが無かろうが、大した問題とは思わないのだが、魔力が無い人間というのは、確かに聞いたことが無い。だから四人の関長らの間でも、一種のトップシークレットとして扱われていた。
そんな事実が知れ渡って、二人にとっては恩人である葉介への不信感が無駄に増し、最悪、魔法騎士でいられなくなって、この城から追い出される。
それだけは、絶対に避けないと……
「でも……確かに、大丈夫でしょうか……」
「ヨースケは強い……強いとは言っても、強さの種類が全然違うし、リリア様も相当なはずだし……」
「…………」
リリアが右手を上げる。杖を握るその手を合図に、周囲のガヤガヤが一気に静まった。
「改めて……魔法騎士団、第1関隊一般騎士、アレリアヴィータ・クゥーフューリィーン」
「あ、あれ、あれり、び、あれ、び……?」
「……皆には、リリアと呼ばれてるから、それでいいわ」
「ああ……第5関隊、一般騎士? 志間葉介。性が志間、名は葉介。呼び方はご自由に」
(ふーん……性が先とは珍しいわね)
互いに名乗り声を上げた、そのすぐ後で、杖の先を、葉介へと向けた。
「では、始めましょう!」
その声を合図に、再び歓声が上がった。それが、決闘開始の合図となった。
「……?」
決闘開始と同時に、葉介が動いた。
その場から移動した、というわけじゃない。リリアを正面に見据え、直立していた体を、やや斜めに構えつつ、足はつま先立ち、その足で、跳ねるように小刻みに動き始めた。
ほとんど自己流ながら、これは葉介の実家でいう所の、ボクサーが試合で見せるステップ――フットワークの動き。更に言えば、両腕はひじを最低限に曲げる以外、下にダラリと下げている、ノーガードの構えだ。
(なに……?)
だが、そんな動きを知らないリリアは、疑問を浮かべた。
(見たことない動きね……)
少なくとも、これから魔法で闘うという人間が見せたことのない動きだ。
どんな魔法を使うのであれ、呪文を呟き発動する、という動作の都合上、基本的にはその場で静止しているのが基本とされている。あまりに激しく体を動かしていては、体や顔が揺れていたり、息切れしたりで、正確な発音がおぼつかないこともあるからだ。
だから、大して訓練をせず、日常生活で魔法を使う人々は普通に立ち状態で魔法を使う。魔法騎士にしても、デスニマとの戦闘中等、忙しく動き回る場面は多々あるが、それでも呪文を唱える数秒間、最低でも頭だけは静止することを心掛ける。
杖を持たず、基本的に肉弾戦を好むミラでさえ、自身に身体強化の魔法を使う際は、呪文は極力、静止した状態で唱えている。
魔法と呪文は、極力体を静止して……
それを、目の前の男は、静止どころか体を小刻みに揺らしている。あれでは、体力は使うわ、そのうち息切れするわ、頭も揺れているせいで発音も正確にはできないわで、魔法において一つも良いことはないのに……
(やはり、入りたての素人? それとも、何かの罠かしら……いずれにせよ、時間をかけるつもりもない。【マヒ】の魔法で、さっさと済ませる)
葉介の狙いも作戦も、リリアの知ったことじゃない。これは訓練ではなくて、決闘なのだから。相手を戦闘不能にしてしまえば、それで終わる。
ケガをさせず、だがそれ以上の戦闘も不能にする。そのために、主に暴漢や賊の鎮圧目的に使い、決闘でも重宝されている魔法、【マヒ】。
杖を真っすぐ、目の前で揺れ続ける男に向けて……
「――ッ」
声には出さず、口だけ動かして、杖の先から、電流がチリチリと光る、白い光球を飛ばした。
「……え?」
そして、目の前の光景に思わず声を上げ、目を丸めてしまった。
「消え、た……?」
確かに、男は杖の先にいた。だが、光球を飛ばした瞬間……否、飛ばす直前には、男は杖の先から真横の位置に移動していた。
(く……焦るな、たかが、一発目が外れただけよ!)
自分に言い聞かせ、男が移動した方向へ、杖の向きを変える。
相変わらず、つま先立ちの身体を前後に揺らしている。
そんな男に真っすぐ杖を向けて……
「――ッ、な!?」
また、同じ現象が起きた。
【マヒ】の魔法による光球が飛ぶ、僅かな、それこそ二秒も無いその瞬間に、男はその場から消えた。
そして気がつけば、今いた場所とは真逆の位置へ。しかも、移動と同時にこちらとの距離を詰めている。
「くっ……!」
再び呪文を唱え、【マヒ】を飛ばす。なのに、男は発射されるよりも速く移動してしまう。
もはや、偶然では片づかない。
(当たらない……違うッ、飛んでくるのが分かってて、全部避けてる。魔法で防ぐならまだしも、体だけで魔法を避けるなんてあり得ない! 魔法も使っていないのに――)
リリアも長く魔法騎士として――それ以前に、生まれた時から魔法を使って生きてきたことで、目の前の男が、魔法を使っているか否か、そのくらいの区別はつく。動きはキレがあってそれなりに素早いが、それも、魔法を使わずにできる動きの範疇でしかない。
杖を持っていないのは、ミラの例があるから理解できるが、こちらの魔法を全て避けながら、なのに魔法を使う素振りすら見せない。
(私を倒すのに、魔法は必要ないとでも言うの……!)
偉そうと言われた時以上に憤りの気持ちが湧いてくるが、実際、男は一切の魔法を使わずリリアの魔法を避けて、なお且つ近づいてきている。
【マヒ】という名の飛んでいく魔法ながら、他と比べても特別速いわけじゃない。それでも普通、【感覚強化】でも使わなければ、目で追うには無理がある速度で飛んでいくのに……
(考えてる場合じゃない……!)
すぐに、目の前に集中する。魔法を避けられ、考えている間に、最初10メートル以上開いていたはずの男との距離は、すでに3メートルほどに詰められている。
男の移動の速度を考えれば、撃てるのはあと、二発か一発。
(目の前に来た瞬間、一発で当てる。それしかない……!)
下手に撃っても、避けられる。なら、避けようのない距離に来るまでガマンして、その瞬間に撃つ。それしかない。
それを決めた後は、ただ、男の動きを注視した。
体を小刻みに揺らしつつ、こちらへ近づいてくる。
3メートルだったのが、2メートルに……
2メートルだったのが、1メートルに……
1メートルだったのが――
(今――!!)
杖の鼻先、且つ、男の手が届かないギリギリの距離。決して避けられない絶対の間合い。そこに入った一瞬。見極めて――
「――ッ!」
「ウソ……!」
また、同じように、避けられた。しかも、今度こそ男の姿が消えた。
だが、またすぐに見つけた。男は魔法を撃つ直前、その場でひざを曲げ、地面へ伏せていた。しかも、伏せると同時に足の裏を地面に滑らせて、一気に間合いを詰めて。
リリアにとって、目と鼻の先の距離で立ち上がり、リリアと、面と向かい合い――
「ひッ……!?」
とっさのことに恐ろしくなって、夢中で杖を向けて、呪文を唱えていた。
「アァ――ッ、ガァアアア――ッ!!」
直後、リリアの体中に痛みが走って、一瞬で痺れて、動けなくなった。
それは、リリア自身、これまでの訓練や決闘で、何度となく受けてきたもの。
【マヒ】の魔法を受けた時に起こる、その現象。
(どう、して――)
何が起こったのか分からないまま、必死に視線を手元に向ける。
男に向けていたはずの、愛用の杖。その杖が、間切れもなく、自身に向いている。
(そん、な――)
そんな、杖を握っている右手を、右手が……男の右手が掴んでいた。
それを見て、理解した。
男は魔法を撃つ直前の、杖を握った私の右手を掴んで、私自身に向けたんだ……
私は、私が撃った【マヒ】の魔法を、私自身で受けたんだ……
(ありえない……私の、敗け――)
「…………」
右手を掴んだ状態の、女の身体からは力が抜けている。だが、その体は小刻みに震えていて、それ以上動ける状態にないことは分かる。
「…………」
それを理解した葉介は、そんな状態のリリアの身を引っ張り、左手で背中、右手でひざ下を抱える……いわゆる、お姫様抱っこの状態で、リリアの長身を担ぎ上げた。
「あー……セルシィ様ー?」
「は、はい!」
とりあえず、思いついた名前を呼ぶと、青色は観客席に座っていた。
両隣に座る少年少女にも声をかけ、すぐさま葉介の呼びかけに応じて駆け寄ってきた。
「えっと、この人を……」
「分かりました」
セルシィが指示を出し、少年が杖を向け、【浮遊】の魔法でリリアの身を浮かべる。
そのまま、少女が【移動】の魔法を掛けて、修練場の端まで連れていった。
「…………」「…………」「…………」「…………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
見ていた魔法騎士ら、全員が言葉を失っていた。彼女らにとってもこれは、予想外に過ぎる決着だったから。
国一番の精鋭部隊、その副将、リリア。
五人の関長らと同じか、もしかしたらそれ以上に、数々の逸話や武勇伝も知れ渡り、大勢が憧れ、尊敬を集めている。
そんな人を倒したのが、入って二週間の新入り。
それも、魔法を使うこともなく――
「ウソよ……」
あまりの出来事に、声を失った後――あまりの非現実に、声が出てきた。
「ウソよ、こんなのあり得ないわ! リリア様が、敗けるわけないじゃない!!」
リリアやレイと同じ、白い騎士服を着た女が、まず、否定の声を上げた。
「そ……そうよ! あり得ない! リリア様があんな、あんな冴えないジジィに負けるとか、あるわけないわ!」
続いて別の紫色が、葉介を指さし叫ぶ。
やがて、その二人から、同調の声が広がっていき、仕舞いには……
「あんた何したのよ! どんなインチキしたっていうのよ!」
「なんの魔法使ったわけ!? 試合前に細工でもしたんでしょう!?」
「本当のこと言いなさいよ! アンタなんかが、リリア様に決闘で勝てるわけないんだから!! 本当のこと言いなさいよ!?」
葉介の勝利はもちろん、勝負から、事実から、人格から、何もかもを否定する、そんな声をやたらに上げ始めた。
(本当、イヤになるな……別に良いけど)
別段、こんなふうに声を上げられたところで、葉介としても特に思う所はない。
葉介なりに、無理やり魔法騎士にさせられてから今日まで、努力をしてきた。
あげく、突然の決闘の申し込みに応えるために、必死に作戦とか戦略を考えて、おかげで勝つことができて、その結果が、非難轟々の嵐。
別段、誰かに褒められたり、認められたくて努力してきたわけじゃない。実家でもそうだった。
自分なりに努力して、必死にやって行動もして、最後には叱られ、怒られて、否定される。上手くいったためしなんか無い。
やる意味の無い努力以外に、することは無かった。だから無駄に努力だけしてきた。
今回もそうしたら、こうなっただけ。
実家にいた時と変わらない、いつものことだ。
「あの、やめた、方が……ヨースケさんは、そんな人じゃ……」
「ちょっと! ヨースケのことバカにしてんじゃないわよ!」
だから、観覧席に、葉介を擁護してくれる人間が一部いたところで気づくわけもなく、仮に気づいたところで、何とも思わない。
(これで俺は追い出されるわけ? 随分と回りくどい解雇通知だこと――)
「何とか言いなさいよ!! そもそもアンタみたいなジジィがここにいること自体間違ってんのよ!!」
「ミラ様が認めただか知らないけど、調子に乗ってんじゃないわよ!! あんなバカ力以外に能がない小娘の目なんてアテになるわけないんだから!!」
「ミラ様が認めたのがこんなインチキ男だなんて思わなかったわ!! この決闘もミラ様の差し金なんじゃないの!? どんなセコイ作戦立ててもらったのよ!!?」
――あ?
たった一言。たった一声。葉介が発したのは、ただのそれだけ。
ただのそれだけが……喧々囂々の罵倒の嵐を、即座に静めた。
「おい、誰な? 今抜かしたん、ゴラァッ……!」
その口調と、その目付き。それを知っているのは、この中では二人だけ。
だが、そんな二人を変えてくれた日に聞いた、叱るための声とはまるで違う。
本気で怒っていることを、リムも、メルダも、感じ取る。
「ミラを侮辱したもん――今すぐ出てこい!!」
その怒りを隠すことなく、客席に向かって怒声と一緒に飛ばす。
「…………」「…………」「…………」「…………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
あれだけの怒りも、あれだけの威勢も、全員から消えていた。
ただ、怒りに睨みつける葉介の姿に、さっきと同じように、言葉を失うばかり。
「もう良い。分かった」
口調をやや戻しつつ……それでも、止むことのない怒りを込めて――
「今すぐ全員で来いや!! 一人残らずぶっ殺す!!」
「何ですって!?」
「言ったわね!? 上等よ!!」
「やってやろうじゃない!!!」
葉介の挑発を受けて、叫んだ女たちは一斉に立ちあがった。
葉介をゆるせない者。挑発に頭に来た者。リリアの敗北を否定したい者。
単純に面白がって立ち上がった者。周りに流されて何となく立ち上がった者。
前後左右に座っていたそんな若者らが、中心に立つ、葉介に向かって杖を抜き、走っていく。
「ダリ、ダリ……ッ」
こうなるともはや、作戦も戦略もあったもんじゃない。
もっとも、今の葉介に、そんなものを考える余裕はない。
自分でも、なぜ年甲斐もなくこんなに怒っているのやら理解できないが、とにかくこの怒りに任せて、手当たり次第に暴れたい。
指をバキボキ鳴らしながらの、そんな衝動に従って、まず目に付いた、白い服着た少女を狙って――
「落ち着いて」
落ち着いた、顔と一緒で感情のよく分からない声が聞こえた。
と同時に、葉介の目の前に少女は着地する。その瞬間、彼らの立つ地面が揺れ、魔法騎士たちは上に飛び上がり、転がり、葉介だけは転ばず耐えることができた。
「どけミラ!! 邪魔すんなゃ!!!」
耐えてなお、目の前のミラを押しのけて、暴れだそうとする。そんな葉介に……
ドッ、と、音が鳴るほどの勢いで、ミラは拳を飛ばした。
「落ち着いて……こんな大勢を相手に、お前が勝てるわけない」
「なんだと……?」
そんな、打ち込まれた拳を、葉介は両手で受け流しつつ、掴んで止めている。
お互いに、引く気はない。このままでは、師弟でケンカが起こりかねない――
「やめなさい!!」
そんな二人と周りの騎士らの耳に、また別の声が響いた。
それは、他でもない、葉介の決闘相手。青色たちのおかげで回復したらしいリリアの声。
「この決闘は、私の敗けよ……全員、手を出さないで!」
「リリアの言う通りだ」
リリアの言葉を聞いてもなお納得しかねている、若者らに向かって、今度はレイが声を上げた。
「お前ら……これ以上、リリアと第1関隊に、恥を掻かせる気か?」
目を細め、ドスを効かせた低い声。それにまた、全員が押し黙った。
「……とは言え、お前たちの気持ちも、分からないでもない。ワタシとしても、ここに来て半月の新入りに、これが我々の実力だと思われるのも心外だ」
そんなことを一般騎士たちに……そして、葉介に向かって発した。
「そこでだ……シマ・ヨースケ。今度は、オレがお前に、決闘を申し込む」
その申し出に、また周囲はざわついた。
葉介としては、リリアとの決闘を終えた時点で、そんな決闘を受ける意味は特にない。
作戦が少々上手く行きすぎて、少しばかり拍子抜けしたのは事実だが、だから魔法騎士が弱いだなんて、いちいち思わない。
いつもなら、適当な言葉で謙遜しつつ、ミラにうかがったりもして、どうしてもやるというのならと、嫌々受けるところだが……
「じゃあ……私が勝てば、おたくがコイツら代表して、ミラに頭を下げますか?」
「良いだろう。約束しよう」
葉介の提案に、また怒りの声が上がる前に、レイは承諾した。
そして互いに、目の前の相手をにらみつける。
レイは見下ろして。葉介は見上げて。
それだけの身長差がある二人ながら……
身長差ごときで霞むことのない、確かな闘志と確かな熱がぶつかり合うのを、見ている全員が感じ取って……一切の声を、出せずにいた。
ベタな展開……
と思った人は感想おねがいします。




