第1話 弟子の修行風景
朝日が顔を出すのと同時に目が覚めて、顔を洗って、洗濯をして、芝生の上に洗濯物と布団を干す。
終わったら朝メシを食べるが、無ければ目の前の川から獲ってくる。
食べ終わったら、多めの回数うがいして、ミラからもらった房楊枝で歯磨き。歯茎に当たった時の痛みや出血はガマンして、終わればまた、たくさんうがい。
原子的な歯磨きの後は、そのくらいの時間にやってくる、小さな師匠と修行。
続けていくうちに体は慣れてはきたものの、大抵一時間ともたない。
終わった後は、義務も仕事も何も言われないので、森へ食料やら焚き木集めに行って、小屋で見つけた斧や鉈で薪割りをしたり、川で魚を捕まえて、それを干物に加工したり、小屋の中を掃除したり……
それが終わった後や、する必要のない時は、他にすることもないので、とにかく体を鍛える。
腕立て伏せ、腹筋、スクワット……
そう言ったお馴染みの筋力トレーニングはもちろん、城の周りや、森の中を走り回ったり、川の中に入って、上流に向かって歩いて足を鍛える。
小屋の目と鼻の先には大きな木が生えていたので、そこを登ったり、太い枝を使って懸垂もする。
小屋の中でそれなりの長さのロープを見つけてからは、それを木の枝に括りつけて、腕だけでロープを登る特訓。久しぶりでだいぶきつかったものの、何度か繰り返せば慣れていった。
その他にも、打撃の訓練はもちろん、漫画やらゲーム、テレビ番組でやっていた、本当に効果があるのか疑問なトレーニング――目隠しをして、地面に縦に並べた焚き木の上を渡る体幹トレーニング。文字を書いた紙を丸めて、糸で吊るしたものを回して文字を読む動体視力トレーニング等――も、毎日続けた。
そんな特訓を午前中一杯行って、昼メシ時。
ここに来た時から、食事は、味付けが塩のみの魚と野草が中心ではあるが、変化したこともある。
「ちょっと気になったのですが……」
「美味しくないですか? ヨースケさん?」
「美味しくないのはいつものことですけど……なぜお二人は、毎回私と一緒にお昼を?」
焚火の前に座っている、葉介の目の前に座るリムとメルダに向かって、尋ねてみた。
「なによ? わたくしのような美人と食事するのが、嬉しくないの?」
「嬉しくもなんともありませんけど?」
「あ……そう……」
葉介の正直で冷たい即答に、メルダは顔をしかめるしかなかった。
「えっと……ご迷惑、でしたか?」
「別に迷惑ではありません。ただ、わざわざ自分たちの食事を持参してまで、何ゆえこんな所まで、と思いまして」
この世界に来て三日目に参加させられた、野外訓練で関わった二人の少女。
あの日を境に、主にお昼以降の時間になると、こうして葉介のもとを訪ねるようになっていた。
わざわざ来てやることと言えば、葉介と食事をご一緒して、その後は葉介のやる訓練を眺めている。ただそれだけ。何が楽しいか知らないそんなことを、あの日以来ほぼ毎日するようになっていた。
葉介としては、汗を掻いたからと自由に着替えられないし、そもそもあまり話すのが好きでもないので、勘弁してほしいと思っていたが……
「『騎士寮』や食堂での居心地が悪いのよ。周囲からは嫌われたままだから……」
「自業自得でしょう?」
「まぁ……ええ……」
メルダの性格に問題があったことは、葉介もよく知っている。それが、あの日を境に変化して、それらもだいぶ改善されたようだが、周りが懐いた負の感情は簡単には払しょくされない。
今でも向けられる視線や感情が痛く、自分の仕事を済ませた後は、こうして葉介のもとへやってきているらしい。
「わたしも、メルダさんや、周りから押しつけられていた仕事、断るようになってからは居心地悪くなってしまって……それに、ヨースケさんと一緒にいるの、楽しいですし」
「楽しいですか?」
「はい!」
話を聞くと、リムはメルダを始め、大勢の第4関隊の仲間から、日常的に仕事を押しつけられてきたらしい。今まではそれを断り切れず、無理してでも全てこなしてきたものの、今はそれら全てを断っている。
どんな仕事かは知らないが、それを面白く思わない連中も中にはいて、腹いせに何かをされるということはないが、代わりに向けられる感情は、メルダと似たようなものに変わってしまったそうだ。
「で、お昼食べた後は夕方までここにおりますけど、仕事は済ませたのですか?」
「はい! 全部終わらせてきました!」
「リムでもこなせる、つまらない書類整理だもの。さっさと終わらせてきたわ」
「それが終わって、他にすることは?」
「ない」
「ありません。担当の時は城下町の見回りに行きますけど、今はわたしたちの担当ではないので」
(本当にヒマなんやね。魔法騎士て……)
そんなこともあって、昼メシ時から夕方までは、この三人で過ごすことが増えていった。
もっとも、少女二人がいても、葉介がすることは変わらず、ひたすらトレーニングに明け暮れる。前述したトレーニングをこなしていって、二人はそれをただ見物している。最初のころは、ただそれだけだったものの……
「では、今日もお願いできますか?」
「構わないけど……これ、本当に効果あるの?」
「さぁ……どの道、続けないことには効果があるかも分かりません。ご迷惑でなければ、お願いしたい」
「分かったわ。今日はわたくしの番ね」
そんなやり取りをした後で、メルダが杖を葉介に向け、呪文を呟く。
直後、葉介の身体から体重が失せて、プカプカと浮く感覚が生まれる。野外訓練でリムも使っていた【浮遊】の魔法だ。
「ありがたい。では……」
魔法が掛かったことを確認した後は、体重がある時にはとてもできない動きをしてみる。
バック転、バック宙、側宙といった、いわゆるアクロバット――近年では、トリッキングとも呼ばれる動作である。
「そんな動き、【身体強化】の魔法で簡単にできますよ?」
最初にこのトレーニングを思いついた時は、二人からそう言われ、魔法を解いてもらった後は実際に披露もされた。
自分と違って、大して鍛えてなさそうな女の子二人が、バック転やバック宙やらを華麗にこなす様はさすがにショックだったものの、魔法が使えない以上は仕様がない。そのことは、二人にも話してはいない。
なので、こうして魔法を掛けてもらって、宙返りや跳ぶ動きを体に記憶させること、それらを行うことへの恐怖心を除くことを目指して、体重の失せた体を動かし続けた。
他にも、一人でできないようなトレーニングの補助を頼んだりもした。
最初にそれらを頼んだ時は、大した魔力は使わないということで、特に見返りを求めなかった二人だが……
「やっぱり、タダで手伝うってのも面白くないわね……魔法を使ってあげる代わりに、リムに教えた蹴り、わたくしにも教えなさい」
「あ……わたしも、もっと色んな技教えてほしいです!」
「私より、ミラ様から教わった方が……」
「別隊の関長に頼めないわよ。そのミラ様だって、姿が見えないし……第一、わたくしはヨースケに教えろって言ってんのよ」
「わたしも、ヨースケさんがいいです!」
「……わかりましたよ」
そんなこともあって、この二人に葉介の知る、この二人にも使えそうな簡単な技を、色々と教えることになった。
(する気はないけど、セクハラだとか騒ぎだしたら……そん時ゃ殺す)
葉介はトレーニングのために二人に魔法を使ってもらい、代わりに葉介が知る技や技術を二人に教える。
その二人が帰って、夕飯を食べた後は、まず干してあった布団と洗濯物を畳んでしまって、室内や暗い中でもできるトレーニング。それらをこなした後は、思いつくかぎりのストレッチで体をほぐしていく。
陽が落ちて、すっかり暗くなるまで続けた後は、川の水で体や髪を洗って、着替えてさっさと眠ってしまう。
この世界に来てからの、葉介の一日の大まかなスケジュールがこれだ。
「ヨースケさん! なにやってるんですか!?」
下から聞こえてきた、セルシィの大声に振り返って、一言で答える。
「修行ですけど?」
「修行って……体鍛えてるのは分かりますけど、そのために壁を登らないで下さい!」
「え? ダメですか?」
「ダメです! そもそも何で壁なんか登ってるんですか?」
「そこに壁があるから?」
「理由になってません!!」
「壁は乗り越えるものでしょう?」
「意味が違います!! 第一そこ、魔法騎士たちが寝泊まりする『騎士寮』ですよ! 不審者だと思われたら落とされちゃいます!」
「それは困りますね……分かりました。降ります」
時々、思いついたトレーニングを行った結果、セルシィに叱られ、メアには笑われ、シャルは呆れ、後ほどミラから厳重注意を受ける、ということもままあった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そういったこともあったものの、この世界に来て半月が経過し、何だかんだ、この国と新生活にも慣れた、夕方のこと――
「……試してみるか」
呟いて、前に向かって一気に走り出した。
走った先には、木が一本。避けるでもなく、止まるでもなく、そのまま走り――
木の幹を蹴って、上へ跳んで、体を後ろへ反らして宙返り。
「……よし、上手くいった」
着地でひざは着いてしまったものの、何度も繰り返していけばそれも無くなるだろう。
直後、また手近に生えている木の幹を蹴って、枝につかまってよじ登る。そのまま木の枝を走って、別の木の枝へジャンプ。その枝を掴んで、またよじ登る。
太い木が隣に立っていたので、その木に向かってジャンプ。この世界に来た直後なら、こんなことは怖くてとてもできなかったが、今では飛び移ることができると確信し、恐怖もない。次の木にも、また別の木にも、上手く飛び移ることができた。
地上に飛び降りた後は、【浮遊】の魔法無しで、バック転、バック宙、側宙……動きを身体に馴染ませたおかげで、今では過去ほどの恐怖もなくできるようになった。
それらの動きに、蹴り技を合わせていく。バック転しながら蹴り、バック宙しながら蹴り、側宙しながら蹴り、色んなジャンプをしながらの蹴り……
「……よし。ひとまずはこんなもんか」
元々、実家にいたころから体だけは鍛えていたことに加えて、今では仕事もなく、鍛える以外にすることもない。そうして鍛えたことに加えて、魚と野草、時々果実という食生活を続けてきたおかげで、実家にいたころよりも身軽になった、ような気がする。
女の子二人の協力もあったおかげで、実家にいたころには考えられなかった、憧れのアクション映画さながらの動きを、この短期間の内にこなせるようになった。
もっとも、これだけ鍛えているのに、腹や内ももの贅肉だけは、変わらずダルダルなことだけはムカつくものの……
実家にいた時からそうだったからと、諦めているのだが。
「これで最低限てところか……後は、武器が欲しいかな」
「おみごと……」
パチパチパチ、という乾いた音と一緒に、そんな、馴染みのありすぎる声が聞こえた。
振り向いた先には、短い白髪と低い身長、褐色の肌に浮かべた無表情。
「あらミラ……どうしたの? こんな時間に」
野外訓練の翌日から今日まで、ミラが、朝方の修行以外で葉介と顔を合わせることは無かった。どんな仕事をしているかは葉介も知らないし、興味もなかったので、ミラの方から用が無いならと、気にしないようにしていた。
それだけに、朝方じゃない、陽は沈んでいるが、まだ明るいこんな時間に会いにきたことが意外に感じた。
「弟子の仕上がりがどんな風か、確かめにきた……ていうか、時々見てた」
「見てたんかい……どっからどこまで?」
「仕事を終わらせて、帰った後……陽が落ちた後から、夜になるまで」
「夕飯は?」
「食べながら見てた」
「今日は?」
「まだ食べてない」
「そう……」
野外訓練の翌日から今日まで、毎日してきたことを思い出して……葉介は、顔をしかめた。
「あのさ……アンタ、俺の師匠なんよね? 年下とは言え」
「ん……」
「だったらさぁ……普通、リム様やセルシィ様……違う、メルダ様がしてくれたこと、アンタがするべきだったんじゃないの?」
「修行はつけてあげた」
「一日一時間と無かったけどな……修行だけじゃない。魔法騎士団やその仕事の内容だとか、具体的なことは全部あの二人だよ、教えてくれたの。アンタ、自分は師匠だ上司だ言いつつ、今まで俺に何を教えてくれた?」
「……わたしも、そうだったけど?」
ミラからの短い返事に、葉介は余計に顔をしかめた。
「わたしの師匠、わたしに仕事以外のこと、教えてくれなかった。ただ、仕事だけ教えて、後は、放置……わたしは、勝手に鍛えて、勝手に強くなるしか、なかった」
「仕事以外での、強くなるための指導や訓練は一切無かった……てわけ?」
「ん……だから、わたしもそうした。仕事は、どうせまださせないから、後回しで良いと思って……」
「……なら、仕方ないか」
ため息を吐きつつも、そう、無理やりにでも納得するしかない。
かなり適当に過ぎるが、そういう師弟の話は実家でも聞かないことはない。
まして、ミラは17歳。こんな年齢では、自分が体験してきたことだけが全てだ。師弟関係=そういうものだと理解して、納得して、思い込んでもおかしくない。
そして、そうなってしまったことを、葉介に責める権利はないし、改める気もない。
「わたしもそうした……お前はたったの半月で、すごく成長した。師匠として、誉れ」
(誰も弟子に取りたがらんわけだ。ロクに教えることもしないくせに、勝手に努力して強くなること期待してたんじゃあ……教わることを前提に強くなること目指してるヤツほど、コイツにとっちゃ価値が無い)
師匠からのありがたい称賛も耳に入らず、ただ呆れつつ、納得だけはしておいた。
「まあ、どうでもいいけど……今、時間はあるの?」
「修行?」
「修行」
今まで一日に一回。今朝も当然やった。日に二回以上を要求するのは、野外訓練から帰ってきたあの時以来。
そして、そんな葉介の要求を聞いたミラは……
「じゃあ……小屋に戻ろう」
そう、肯定を返しつつ、歩き始めた。
「そろそろ……テストも合格しとかんと」
いつも通り、小屋の前、芝生の上に、互いに向かい合う。
「お願いします」
「ん……よろしく」
いつもの通り、葉介のお辞儀と挨拶に対して、ミラの返事が、修行開始の合図――
「ダリッ!」
いつもの掛け声と一緒に、前蹴りを打つ。それを、ミラは避ける。
「ダリッ! ダリッ! ダリダリダリダリッ!」
前蹴りはもちろん、後ろ蹴りに回し蹴り、飛び蹴り、名前は知らんが間違いなく蹴り。
この十日間で鍛え上げ、威力は元より、身軽さに柔軟性も加わった蹴り技を放っていく。
そしてそれを、ミラは華麗にかわしていく。
(格段に強くなってる……けど、わたしに当てるには、まだまだ……)
いつものように、全ての蹴りを目で追って、それを最低限の動きで避け――
「ぐぅ……ッッ!?」
ミラのみぞおちに、鋭い痛みが走ったのはその直後だった。
蹴りは確かに全部かわした。かわして、葉介の後ろに回り込んだ。その時、みぞおちに突き刺さっていたのは葉介の、ひじ――
「やっと動きに慣れた」
そんな声が聞こえたと同時に、後ろ向きなまま右手首を左手に掴まれ、引っ張られる。次に二の腕を右肩に担がれて、ひざを曲げ――互いの胸と背中が密着した。
と思った時、曲げていたひざを伸ばしつつ、思いきり掴まれた右腕を引っ張られ――
「……ッ!」
なんの掛け声も無しに、背中と後頭部を、地面に叩きつけられた。
「ダリッ、ダリッ、ダリッ、ダリッ……」
一本背負いを喰らって、地面に仰向けになったミラの顔に、掛け声を上げながら、何度も、かかとをぶつけていった。
ただひたすら、何を考えるでもなく、何度も、何度も――
「ダリッ、ダリッ、ダリッ、ダリッ……」
「ヨースケさんダメー!!」
そんな葉介に向かって、制止する声が聞こえた。飛び込んできた影はサッと避けた。
「ヨースケさん、落ち着いて!」
「ヨースケ、アンタ、自分の関長殺す気!?」
「バカ言いなさるな。こんな程度でくたばるお人じゃあるまいに」
避けたら地面を転がったセルシィと、走ってきたリムとメルダに向かって平然と言う。
直後、セルシィの隣で倒れていたミラは、葉介の言う通り、平然と起き上がった。
「……ちょっと痛かった」
「ウソつけ。最初のひじ以外、投げ技も手応えなかったし、踏みつけた顔もやたら硬かったし。魔法で威力殺した上に、顔も固めとったんやろう?」
「せーかい……」
無表情ながらドヤ顔なミラに。ただただ呆れている葉介に。
「まあ、それが分かってたから、どこまでガマンできるか試してやろうと踏みまくってみたけど……」
「わたしも、何回まで踏んでられるか、試そうとガマンしてあげた……」
そんな二人の、妙な形の信頼関係を目の当たりにした三人とも、言葉が出なかった。
「第一、本当にヤバいなら、あのお二人が黙って見ているとも思えませんし」
「あのお二人?」
葉介、ミラも、同時に同じ方向を見た。セルシィら三人も、釣られて見てみると。
「シャル、メアも……」
二人とも、自分たちの存在が気づかれたことを理解して、五人のもとへ歩いてきた。
「それで、黄色二人はともかく、ミラ以外の関長がガン首そろえて、なんのご用で?」
「えっと……私は、たまたま通りがかって、見てただけで……」
「……たまたま通りがかって、ヨースケのこと見てたの? 毎日……」
「わぁー!!?」
ミラの発言を、セルシィは大声で遮った。そんなやり取りに興味もない葉介は、続いてリムとメルダを見た。
「えっと……わたしたちは、せっかくだから、夕飯もご一緒しようかなって……」
「夕飯持って来てみたら、ミラ様と向き合ってるのが見えたから、黙って見てたんだけど……」
今度は、メアが語りだす。
「ボクは、ミラっちが、おっさん追いかけて森に入ったの見えて、おもしろそーな予感がしたから、シャルも誘って見物してたの」
「なぜそこで私を誘うのかは分からんがな……まあ、ちょうど良かったかもしれん」
シャルが前に出ながら、葉介と目を合わせ、そして語りだした。
「お前をどうするか……明日、正式に処分を決定する」
「なーんだ。まだ決まっていなかったのですか?」
あっけらかんと、タメ口と敬語の混ざった言葉を返す。
ミラは変わらぬ無表情、メアも変わらぬ笑顔で、セルシィは分かりやすく心配を向けている。
そして、最も驚愕しているのが、リムとメルダの二人。
「処分て……え、処分て?」
「ヨースケ、何かしたの?」
聞かれた葉介は、混乱している二人を見た後で、この二人の上司を見た。
「あー……まあ、いいんじゃない? その二人になら話しても」
「おい、メア……」
「だいじょーぶ。多分今、うちで一番信頼されてない二人だからさ」
許可が下りたことで、葉介はクククと吹き出しながら、顔をしかめるリムとメルダと向かい合って、事の子細を説明した……
「えっと……ヨースケさんは、魔力が全然なくて、魔法がちっとも使えない……」
「そうです」
「それで、その理由が、こことは違う場所……異世界から来たせい、って?」
「そうです」
聞いた話を聞き返されて、それを正直に肯定する葉介。
「だから、森でクマとかイノシシとかに出くわしたら逃げられないんです。魔法で逃げるということができないので」
二人は互いに、顔を見合わせた。ただでさえ混乱していたのが、わけの分からない話を聞かされて余計に混乱しているらしい。
そして、話すことを話し終えたと思った葉介は、再びシャルと向き合った。
「それにしても、まあ何事もなくここにいられるだなんて甘い考えは持ってはいませんでしたが、随分と時間が掛かりましたね。それも、なぜ今日でなく明日なのです?」
「それはだな、まだ他の騎士たちにも話してはいないが……今夜、レイが帰ってくる」
「誰やねん」
冷静ながら、どこか弾んだ声を発したシャルに、思わず敬語を忘れ唸ってしまう。
しかし、混乱していたリムとメルダの二人は、同時に目を見開いた。
「レイ様が?」
「本当に?」
「だから、誰です? まあ、何となく想像できますけど」
「……誰だと思う?」
「まだ見たことない、第1の人、ですか?」
「ん……正解。第1関隊……この国で一番の精鋭部隊の関長。そいつの名前が、レイ」
やっぱりな……そう言いたげな顔を浮かべた葉介に、シャルは更に続ける。
「お前の動向は、この二週間でおおよそ見せてもらった。正直、このまま放置しておいても危険は無さそうだが、目は一人でも多い方が確実だ。レイは私たち以上に、人を見る目があるからな」
ソイツがいないと、怪しいヤツ一人の処分も決めれんのかい……
そう思った葉介だったが、泥沼になりそうなので、言わずにおいた。
「害が無いと分かっていただけたのなら、それでよかったです」
「私の首を潰されかけたことは、忘れんがな」
「私も、アナタに燃やされかけたこと、決して忘れませんよ?」
微笑み合いながらそんなやり取りをして、互いに向き合い、にらみ合う。
この男とは、相容れない。葉介よりやや高い視線から微笑みながら、シャルはそれを感じていた。葉介も、同じことを微笑み返しながら思った。
「二人とも、そこまで……」
そんな張り詰めた空気を発する二人の間に、ミラが立った。
「ヨースケ……お前は確かに強くなってる。けど、それだけじゃ、魔法には勝てない」
「でしょうね。イヤになるわ、本当に……」
「ただ……シャルも、無事じゃ済まない」
葉介に言った後は、シャルを見上げながら語った。
「十日前なら、シャルのボロ勝ち……けど、今のヨースケ相手じゃ、負けないにしても、良くて大ケガ、最悪、道連れに殺される」
「なに……?」
「無駄にケンカは、売らない方が身のため。レイも心配する」
「……ちっ」
気に入らない様子だが、それでもミラの言葉を信じることにした。
個々人の戦力の分析力に関して、ミラの目はかなりの信ぴょう性がある。そのミラがこう言う以上、この二週間でこの男は、より強く成長してしまったということだ。
「良い弟子を取ったな」
「ん……師匠として、鼻高々。女の子にもモテモテだし」
「本当。モテる男は辛いですな」
「モテる?」
怪訝な表情を浮かべたシャルに対して、葉介はため息を吐いた。
「皮肉に決まっているでしょう。こんなチビでデブでブッサイクなジジィ、好きになる女性がいるとお思いで?」
(チビでデブで、ブッサイク……?)
(チビはともかく、デブってほどお腹出てないし、ブサイクってほどじゃ……)
「わ……私は、ヨースケさんのことが好きです!!」
「気のせいだ」
セルシィの大胆な告白に、リムやメルダはもちろん、シャルにメアも目を見開いた。
そして、葉介のアッサリしすぎた返事に対して、セルシィはポカンと口と目を見開いた。
「それで、ミラ? テストは一応、合格ってことでいいのかしら?」
「ん……次からは、わたしも攻撃する」
「おー、怖い……」
直前のシャルの発言。一触即発の気配。セルシィの大胆な告白……
何事も無かったかのように会話を始めた第5関隊の二人に対して、誰もが言葉を失っていた。
「話しておきたいこともある……今日は、一緒に夕飯、食べる」
「はいな……お二人とも、今日はもうお帰りなさい。もうすぐ日が暮れます」
何も言えず無言で立っていた黄色二人に、そう優しく語りかけた。
二人とも、葉介との夕飯を楽しみにしていただけに、その顔には未練やら後悔やらがうかがえたが……
「……分かったわよ」
「では、また……」
一言ずつ答えて、そのまま城の中へと戻っていった。
ミラ様との大切なお話の邪魔はできない……だがそれ以上に、二人とも、約一名の人物から漂うオーラに気圧されて、早々の退散を余儀なくされたのだった。
「……三人は、まだ何か用事ある?」
「ボクは無いよー」
「私も無い」
「…………」
「セルシィ様も、無いようですね」
それが分かって、赤と黒の歳の差師弟は、三人に背を向け歩いていってしまった。
「……シャル」
二人が去った後で、黙っていたセルシィは、その重苦しい声とオーラをシャルに向けた。
「なんだ?」
「……私の、ヨースケさんに対する気持ちは、気のせいだったんですか?」
重苦しいオーラ全開の、怨念が駄々洩れな声色に、普段から態度も雰囲気も勇ましいシャルは、珍しく怯んでしまう。
「そんなこと……なぜ私に聞く?」
「シャルだから聞いているんです! 私の懐いた気持ちは、気のせいの一言で片づく程度の感情だと言うんですか? 『気のせいだ』の一言で!?」
「そんなこと言われてもな……」
怒りだすセルシィ。困惑するシャル。楽しげに眺めているメア……
そんな光景を、『気のせいだ』の一言で作り出してしまった、葉介はと言えば、ミラと一緒に川辺に降りて、火を起こしていた。




