プロローグ とある森にて
時刻は夕刻。
世界が赤く染まる中、地上を照らす太陽も、今はほとんど隠れている。
夜になっていく寸前の、ただでさえ薄暗い中なのに、そのわずかな光すら木々に遮られた森の中となれば、夕焼けだろうが暗闇と呼んでしまえる空間に変わる。
何も見えない。代わりに感じるのは、音と、匂い。
虫の音、風の音、風にこすれた葉っぱの音、踏みしめる土と雑草と枯れ葉の音、そして感触……
「はぁ……はぁ……はぁ……」
そんなものを堪能しているヒマもなく、森の中を走り回る若者四名。
歳のころは、十代後半から、二十代半ばといったところか。
お互いに、どこにいるかは、お互いの足音で大よそ察する以外にない。いちいち左右を気にしていられないほど、暗い中でも必死な形相を浮かべ、前だけを見て走っていた。
「はぁ……はぁ……はッ!」
明かりは出さず、代わりに夜目を強くしつつ、走る速度へ魔力を全振り。
目も足も常に魔力を使い続けるので、上手く調整しなければ魔力切れを起こす。
そんなことにさえ神経を使いながらも、とにかく必死に逃げ続けた。
でないと――
「うっ、うわああああ!!」
追いかけてくるものに、追いつかれるから――
「あ――や、いやああああああ!! きゃあああああああああ!!」
仲間たちの悲鳴が、暗い森にコダマする。
戻りたくとも、振り返りたくとも、今は逃げるしかない。
今はとにかく、この森から脱出して、森での出来事を報告すること。
それが任務だ……
「……ッ!」
自分以外の、おそらくは最後の一人の気配が消えた時――
「あれは――」
残った一人は、暗闇の奥の奥からここまで届く、白い光を見つめながら――
「……あ!」
森の外には、十名ほどの若者たちが待機していた。
全員、城にいる魔法騎士たちと同じデザインの騎士服を着ている。
青と、紫と、白――
「おい!」
彼女らの中心に立っていた白服が声を上げながら、森の中からフラつきながらも出てきた少女に駆け寄った。
騎士服の色は白。それが、真っ赤に染まっている。頭と言わず、体と言わず、両手両足、全身が血にまみれて。愛らしかった顔も、血と傷にまみれて。
そんな少女を、自身の白い騎士服が汚れることも構わず抱き止めた。
青い騎士服たちが急いで駆け寄り、【治癒】の魔法を施していった。
「レイ……さま……」
血まみれで、息も絶え絶えになりながら、少女は自身を抱き上げる者の名を呼んだ。
すぐに、耳を近づけた。
無理をするな。ゆっくり休め。そう言うのは簡単だが、ここまで走ってきた彼女の望むことじゃない。彼女の今の望みは、任務を果たすことだから。
「敵……デスニマの、群れ……この、森の、奥……数、は……正確な、数は、不明……見立てでは、60以上……」
「60……!?」
「おそらく……まだ、増えています……」
声を上げた誰かも、『一般騎士』らの誰もが驚愕に目を見開いた。
デスニマが一匹生まれて、その周囲に別の動物の死骸があれば、新たなデスニマが生まれる確率は高くなる。その中の一匹が強く、大きくなって、親になれば、自らの魔法から仲間――子供を作り出す。
それだけ聞けば、一匹でも親に成長してしまえば、際限なくデスニマが増え続けるように聞こえはする。
だが実際のところ、親が現れても、その親が作り出す子供のデスニマの数は、全部でせいぜい10匹から20匹前後、多くても30匹は超えない程度だ。
誰にも理由は分からない。それでも、親が一匹現れて子供が増えても、増えすぎるようなことは今日までなかった。
それが、最大値と思われていた数の倍を超す、60匹以上。今も増え続けているという。しかも、話の内容からして、親は一匹しかいないだろうに……
「しかも……あの、親は――」
まだ何かを伝えようとする前に――少女の目から、光が消えた。
「そんな……!?」
「ウソ……傷は完璧に……!」
第3の全員が集まって、体の傷は完璧に【治癒】してみせた。たとえ深く傷ついたとしても、休息を取れば回復するはずだった。なのに、そうはならず……
「手遅れ、だったのか……?」
彼女は、息を引き取った――
「……撤退だ」
少女を看取ったレイは、悲痛な声で一般騎士らに指示を出す。
「もうすぐ夜になる。どの道、これ以上の深追いはできない。そうでなくとも、敵の数は60以上。この人数で無理をして挑んだところで、無駄に犠牲者を増やすだけだ……」
聞いている全員が、沈痛な面持ちで唇を噛みしめ、拳を握る。
偵察に向かった四人の騎士たちの中には、彼らと親しい者もいただろう。
依頼者たちとのトラブルのせいで到着が夕方になってしまったこともあり、元より森に入った目的は偵察のみで、戦闘は行わないはずだった。
仮に戦闘になったとしても、デスニマ相手には十分な実力者を選抜した四人だった。
そんな四人のうち、帰ってきたのは一人だけ。生きて帰った者は、無し。
暗闇は【光源】や【感覚強化】の魔法でどうにかなるにしても、木々が鬱蒼としていて見通しが効かないうえ、身動きも取りづらい森の中。
そんな空間にあって、圧倒的な数で奇襲を受けたのなら、普段から相手している規模のデスニマたちと、十分に戦える程度の今の戦力では、とても足りない。
「第3を含めた、三人組、三交代制で、この森に見張りを立てる。戦闘、防御、補助、それぞれ得意とする魔法ごとに各組の振り分けを行え! 待機組は十分に体を休めておくように。ワタシは……」
方針を決めた後は、慣れた口調で順序良く部下たちに指示を与えていった。
「ワタシは、現場が整い次第、城へ向かう。すぐに城へ手紙を送れ! 各地に散らばった第1関隊は、動ける者は全員、一度城へ集結させる。そこで全ての関長、全ての騎士に増援を要請、作戦を立てて戻ってくる……前代未聞の事態だ。作戦が決まるまで時間が掛かるかもしれない。だが、必ず戻ってくる! それまでどうか、耐えてほしい――以上だ。各自、準備に取り掛かれ!」
指示を受けた騎士たちは、迷うことなくレイの言葉に従った。
本来なら、関長である自分がここに残るべきなのに……
全員、今すぐにでも帰りたいくらい、怖いはずなのに……
そんな不満の一切を漏らすことなく、真っすぐに自分を信じ、そして、その言葉に従い、行動してくれる。
そんな部下たちの姿に、レイは……。
(ごめん……ごめん、みんな。ごめん……シャル――)




