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第8話  野外訓練、終了

 訓練開始、5時間超。


 陽も西の方へ傾いてきて、空の青に、白と、オレンジ色が混ざり始めている。

 このくらいにはすでに、関長ら三人が待つ、白い崖の上に、ゴールする部下たちも現れ始めていた。


 すでに何度も説明したように、関長ほどでないにしろ、魔法を駆使することができる彼ら、彼女らなら、鬱蒼とした、野生動物溢れるそれなりに大きな森を通り抜けることは簡単なことだ。

 高く切り立った白い崖だけは、さすがにただ体を強くして登ればいい、とはいかないものの、【身体強化】、【浮遊】、その他様々な魔法を応用、駆使すれば、器用な人間は一度も足を踏み外すことなく頂上まで上ることができている。


 要注意なのは、万が一落下した際、無傷で着地するために、上る以上に多量な魔力を有し、そのために魔力切れを起こしかねないということだろう。

 もっとも、ここまで登ってきた者の中に、一度でも失敗して落ちてしまった、という人間も、一人もいないのだが……



「……何人がゴールした?」

「23人。あと、ちょうど半分くらいだね」

「あの人は、まだ、来ていませんね……」


 セルシィが気落ちした声を上げるが、メアはと言えば、いつもの調子で明るく言葉を返していた。


「ま、さすがのあのおっさんも、魔法が使えないんじゃあ簡単にはいかないだろうね」

「大丈夫でしょうか……」

「あのおっさんなら大丈夫だって。チビで冴えない見た目のわりに、タフなのはセルシィだって知ってるっしょ?」

「それは、そうですけど……」

「仮にケガしてるとしても、第3関隊の関長様がいるんだから、ケガなんてすぐ治せるでしょ?」

「それはもちろん、そうですけど……」


 根拠もなく、前向きに葉介に期待を寄せているメアの言葉には疑問を感じるが、少なくとも、ケガを治すという点に関しては、セルシィには絶対の自負がある。


 魔法騎士団一の精鋭部隊である第1関隊。格式高いエリートの集まる第2関隊。落ちこぼれが集められる第4関隊。今や名前と関長一人が残っているだけの第5関隊。


 そして、国民のケガや病気の治療、騎士たちの戦闘のサポート等を中心に活動する第3関隊。

 そこの長に選ばれた時は、人の上に立つだなんて想像すらしてこなかったセルシィにとっては、戸惑いやら動揺やら、混乱やらの嵐だった。それでも、他の騎士たちや、シャルら仲間たちの後押しもあって、戸惑いつつもその地位を務めることに決めた。


 実際、謙虚すぎるキライはあるものの、こと【治癒】の魔法において、魔法騎士の中でセルシィの右に出る者はない。そして本人も、長年の経験と技術の積み重ねから、治療に関しては絶対の自信を持っていた。

 そんなセルシィとしては、彼がどれだけ重症を負ったとしても、死んでいないのであれば必ず治してみせる。

 そんな決意を、この崖に登った時にはすでに固めていた。


「完治に時間がかかるくらいの大ケガだと良いね。そしたら、つきっきりで看病できるじゃん?」

「つきっきり……?」

「んで、治療のためーとか適当に言って、あのおっさんの裸とか、見れちゃうかもよ?」

「はッ! はだッ! はだ肌はだ……!」


 メアの囁きに、顔が急激に真っ赤になり、頭からは、メガネがくもるほどの湯気が出てしまう。そうなったところで、セルシィはようやくメアに向かって声を上げた。


「からかわないで下さい! そそ、そんなこと、これっぽっちも興味ありませーん!!」


 怒鳴り声をあげて、ニヤつくメアを追いかける。何事だと、ゴールしている若い騎士たちは目を向けた。


 そしてミラは、ただジッと、下を見下ろしていた。



(ヨースケに対して、そんな心配いらない……そもそも、正直、魔法が必須っていうほど、大した森でもない)



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



(大した森でもねーなー)


 白い崖がほぼ目と鼻の先に見えている、森の中の道を黙々と歩きながら、葉介はまさに、ミラが思っていた通りのことを感じていた。

 実際、人一人おんぶして歩いているにも関わらず、そう感じてしまう程度の森だった。


 木々が鬱蒼としてはいるが、通れないほど入り組んでもいない。地面には枝やら枯れ葉、たまに根っこが飛び出しているが、足元を注視しておけば転ぶ危険も少ない。

 たまにぬかるみを見かけるが、避けて通れば済む話だし、通るしかないような場所でも、靴は濡れるが、靴下もはいてないし今さら気にしない。木が倒れていても下をくぐれる。

 たまに、さっきあったような地面の陥没もあるが、それも、一人なら余裕で通り抜けられる程度しかない。さすがにおんぶしている状態でそれは無理なので、そういう時は、素直に背中のリムの魔法に頼っている。



 野生動物だけは要注意ではあるが……


「魔法騎士……というか、魔法の修行というのは、言ってしまえば、使いたい魔法を使ってみて覚える、ということに尽きます。今まで使ったことのない魔法を使ってみて、それが気に入って、使いこなしたいと思ったら、とにかくその魔法を練習する。もちろん、呪文さえ唱えれば魔法を使うこと自体は簡単です。重要なのは、魔法を発動する際に消費する魔力です。いくら便利な魔法でも、一日に100しかない魔力のうち、50も60も要求するようでは使い物になりません。だから、極めたい魔法があるなら、その魔法を何度も使って、必要な魔力が1で済むに至るまで繰り返し発動する。それが、言うなれば魔法の修行です」


(へぇ……)


 今まで通り、リムに、それなりの声量で話をしてもらうことで、野生動物に出くわすことを極力避けるようにしていた。おかげで今のところ、さっきのクマ以外に出くわすことなく歩くことができている。


「もちろん、どんな魔法でも最初は初めてですから、上手く発動できなかったり、発動しても無駄に魔力を多く使っちゃったり、ということにもなったります。だからこそ何度もその魔法を練習して、その魔法を使うために必要な魔力量と、効率的な発動の仕方を考えて、それを体に覚えさせていくわけです。それを繰り返して、毎日少しずつ必要な魔力を少なくしていって、最終的に必要な魔力を1に近づけていきます。こればっかりは、どうしても魔法の得意不得意や、その魔法との相性だったりもあるので、得意とする魔法にはバラつきが出てきますけど……」


(なるほどなぁ……ぶっちゃけた話、ジョギングとか筋トレと同じってことか)


 腕立てやジョギングも、慣れない人間がいきなりやれば、すぐにバテるし、筋肉痛にもなる。それでも、毎日やっていればその内体も慣れて、次第に数をこなせていく。


「そして、逆に言えば、本来、10の魔力が必要な魔法を1の魔力で使えるので、それだけその魔法を多く撃てます。更に言えば、1の魔力で撃てる段階に至った魔法には、更に魔力を込める余裕が出てくるので、その分、魔法の威力や大きさなんかを引き上げることもできるんです」


 毎日続けていく内、最初、腕立て伏せを一回するのに必要だった体力や時間で、十回の腕立て伏せができる。そうして身に着いた体力や筋力で、トレーニングメニューを増やすことができる。


「そうして特別な使い方ができるようになれば、その魔法を極めたということになりますね……そんなふうに、最終的に、よりたくさんの魔法を、より少ない魔力で、より効果的に使い続けられる人が、魔法騎士団はもちろん、社会でも重宝されるわけです」


(なるほど。よく分かった)


「あっ……もちろん、1とか100とかは物の例えで、魔力はそんな簡単に、数字で表すことはできないんですけど。個人個人が持つ魔力の量は、生まれつき違いますし……」


 と、魔法騎士の修行の内容に、図らずも魔法の仕組みについて理解できたところで、リムに別の質問をした。


「魔法騎士の仕事ですか? 主に城の護衛と、城下町や遠くの町の治安維持、あとは、それらの危険の排除ですね。グループは全部で五つ……第1関隊から第5関隊の五つなのはご存じだと思います。城下町の見回りは、基本的にわたしたち第4関隊のお仕事ですね。午前午後でそれぞれ見回りを行う人を決めて、決められた人が見回りに、残りは城に残って、書類整理などの仕事をしたり、あとは、魔法の練習をしたりします。第3関隊も、タマに見回りを行いますが、基本的にはお城でのお仕事が主で、本当にタマにです。第2関隊は、お城の警備や、要人の警護、デスニマ討伐のために派遣されたりもします。それで、第1関隊は、城下町の外の、村や町に一人ずつ散らばって、そこに与えられた家に住み込んで、その場所を護ってる人たちです。まあ、正直、わたしも第4関隊以外のことはよく知らないのですが」


「……第5関隊のお仕事は?」


 葉介自身、話を聞いて、現状やミラの様子から何となく察しはついているものの、それでも現役の魔法騎士の口から聞いておこうと思った。


「それは……すみません、わたしも知りません。多分、魔法騎士の中でも、知ってる人はほとんどいないんじゃないかと思います。ただ、騎士の先輩や、他の隊の人たちが話してた噂だと、昔は重要な隊だったのが、今では全く使われなくなってそのまま残ったとか、過去に大きな失敗をしたけど、どうにかクビだけは繋がって、お城の下働きに回された、そんな人たちが集まってできた隊であるとか……いずれにせよ、良い噂は聞きません」


「そうですか。分かりました」



 閑職。底辺部署。窓際族。追い出し部屋。掃き溜め。ショム二。


 形や呼び方はどうあれ、組織がそれなりの大きさになれば、どうしたってそういう場所は自然とできあがってくる。

 昔からあったのか。はたまた無理やり作ったのか。

 どちらにせよ、とりあえず、物置感覚で、捨てるのは面倒だが使えないものを詰めておく。物も。人も。

 存在価値や存在理由など誰も覚えていない。もしくは誰も知らない。

 やがてはその場所ごと、中にあるモノは存在を忘れ去られる。そんな場所。


(ある意味楽やけど、ダルイところに拾われたもんだ。てか、俺がいなかったらどうする気だったんだ?)



「……で、でもでも! 実際、ミラ様の強さは折り紙つきというか、わたしたち魔法騎士の中でも、その強さは認められてるというか、憧れてる人もたくさんいます。だから、デスニマ討伐の時は重宝されてるし、ミラ様みたいになりたい、第5関隊に入りたいという人も、たくさんいたんですよ?」


(矛盾やなぁ……)


 葉介としても、ミラの強さはよく分かっている。実際、目の前で見たら格好良かったし、単純に憧れた。

 そして、あんなに小さな女の子が、ほとんど形だけとはいえ統率者の一人に選ばれて、他に誰もいないその場所を、押しつけられたか志願したのか。

 もっとも、そんな場所にいながら認められているのは、単純に彼女の実力の高さからだろうが。


(他がどうだか知らんが、すごい娘の弟子になっちまったのかも、俺……)




「……ん? アレでしょうか?」


 リムにしゃべり続けてもらいつつ、黙々と歩いていった先で、ようやくゴール地点の足もとが見える場所まで来た。


(小さく見えてたけど、さすがに近くで見たら結構な岩山やな……)


 そんな、白い岩肌覗く崖を見上げてみると、二人か三人、崖をサクサクと、まるでジャングルジムみたいな感覚で登っていく魔法騎士の皆さんの姿が見える。


「はい、あそこですね」

「では、ここいらで降りてもらっても?」

「え? は、はい! そうですね……」


(このガキ、もしや背負ったまま登らせようとしたんじゃあるまいな?)


 さすがにそんな気はなかったと信じたい。もしあると言うなら、今度こそ寸止めせず当てたくなってしまう。歯に。


「では、お先に行って下さい」

「え? 一緒に行きましょうよ?」

「一休みしてから行きます。さすがに疲れたので」

「う……だ、だったら、お礼にわたしも、登るお手伝いしますから――」

「それだけの魔力、残ってるんですか?」

「え、それは……」


 聞かれて、言い淀んでしまっているあたり、リムも自信は無いらしい。

 魔法が使えない葉介には計り知れないことではあるが、実際、パッと見で十階建てのビルよりも高く、切り立った崖の上に、どんな魔法であれ登るための魔法を使う。間違って落ちた時には、そのリカバリーのための魔法も必要だろうし、他人のことを構っていられる余裕があるように思えない。



 それに、何より……


(それに多分……偉大なるお師匠様は、俺が魔法を使わず登ることを期待してらっしゃるだろうし)


 この野外訓練に連れてこられたのは偶然にしても、ミラが葉介に期待しているものが、単純な体力や肉体の強さなのは、昨夜会話した通りだろう。

 もっとも、葉介からすれば、ミラのためにこんな世界に来たわけでもなし、たまたま拾ってくれただけの、彼女の期待に応えてやる義理も無いのだが……


(ま、応える努力くらいは、するべきか。弟子として)


 義理も無ければ動機も無く、目を見張るような繋がりもない。見返りも期待できない。

 それでも、仕事とは言え命を助けられ、無理やりとは言え弟子になった以上は、師匠に恥を掻かせるのも悪い。この世界に来て、行くところもなく、やることも思いつかない葉介が感じる唯一の義務感がそれだ。



「私は私でどうにかしてみるので、お先に行って下さい…………………ラム様?」

「リムです!! まだ夕方には早いです!!」

「ああ……ごめんなさい、レム様」

「リ・ム、です!! たったの二文字なんだから覚えて下さい!!」


(ふーん、二文字なんだ)


 はからずも、さりげなく重要な情報を聞き出した後、しばらくの間会話をした後で、そのままリムは、名残り惜しみつつも去っていった。



(陽の傾き加減から見て、日暮れまで二時間……いや、一時間半くらいかな?)


 そんな残り時間を気にしつつ、再び白い崖とやらを見上げてみる……


「うん……あそこを登るのは、どれだけ時間があろうと無理やな」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 とても頼り甲斐があって、頼もしくて、格好いい男性(ひと)だったな……


 崖の下まで歩いていきながら、葉介を思いつつそう考えていた。

 魔法騎士は女がなるもの。

 少なくとも、リムが生まれる以前、魔法騎士団の創設のころからそんな様式はできあがっていて、国内にも広まっていた。実際、今でこそ数が増えているとはいえ、やはり女よりも少数派な男の魔法騎士も、リムが生まれたころには、片手で数えるほどしかいなかったらしい。


 そんな、大勢の女が活躍する姿がカッコよかったから、幼いリムも魔法騎士になる道を選んだのだが……仕事をし、魔法を鍛えていく中で、思いたくはなかったけれど、心のどこかでは少ない男たちのことを下に見る気持ちがあった。

 幼いころから見てきた、父と母の姿にも影響を受けていたのかもしれない。二人とも、心の底から愛し合っているのは見て分かったけど、家庭の事情もあって、立場は父より、母の方が明らかに上だった。


 男の数は増えてきているとはいえ、まだまだ世間的には、魔法騎士は女の職業だとする意見は多い。女の魔法騎士の中には、分かりやすく男を見下す人間もいる。

 だから、女はもちろん、そんな男にさえ仕事を押しつけられ、バカにされた時は、女たちからされた時以上に惨めに、情けなく感じて、落ち込んだ。


 いっそのこと、この世から男なんていなくなればいいのに……


 したくもない、そんな八つ当たりをしてしまうくらい、心が荒んでいた時期もあった。


 そんなふうに、一部を除いて、基本的に男が弱い魔法騎士団の中で、葉介という男はその例外……否、そんな例外たちの誰とも違う、強さと魅力に溢れた人だった。

 終始冷静で、何かある度に慌ててしまったわたしを落ち着かせてくれて、弱気になったら鼓舞させてくれて、戦って、守ってくれもした。

 31歳と言っていたから、リムの倍の熟練や経験はもちろん、あったとは思う。そして、同じくらいの歳の男が、女に何も言えない姿も見たことがあった。


 そんな、今日まで見てきた誰とも違うタイプの、『男らしい』男……


(やっぱり、戻ろうかな……て、ダメダメ! これ以上ヨースケさんに頼ってちゃ。わたしも、ヨースケさんみたいに、強くならなきゃ)


 魔法騎士になるという夢は叶えて、それから先の夢も目標も見失い、ただ何となく生きてきたリムが見つけた、ハッキリとした夢だった。



「なにチンタラしているの!! さっさとここまで走ってきなさい!!」



 と、今のリムの毎日を、惰性に変えた理由の一つが、正面から聞こえてきた。


 数人が集まった黄色の中心で、誰よりも目立っている女。

 リムよりも、葉介よりもはるかに背の高い、スラリとした身長と、それを十二分に活かした細身なスタイル。

 手足が長く、白い小さな頭からは、輝く金髪を背中まで伸ばしている。

 そんな理想的なモデル体型の、葉介の実家なら誰もが振り返る美少女なのだが、その美貌も、騎士服や、髪を汚している泥と、何より浮かべる形相のせいで、まるで台無しになってしまっている。


 そんな無様な様相の美少女は、青色の瞳が覗く目を鋭く細めつつ、せっかくの美しい顔を醜く歪めながら、リムへ怒声と唾を飛ばしていた。



「…………」


 葉介からもらった、癒しもトキメキも帳消しにしてくれたそんな声に、リムは足を速め、少女の前に立った。


「どこ行っていたのかしら? このメルダ・メルディーンを放って……」


 今にも殴りかかりそうなほど、眉や唇をひくつかせ、手は小刻みに震えている。

 もっとも、この女……メルダが話す時の姿は、大抵こんなだ。


 金持ちのお嬢様として甘やかされて、知性や魔法の才能にも恵まれたことを鼻にかけて、どういうわけだか魔法騎士になった後も、大きい態度を取ってきた。

 金をチラつかせて大勢の取り巻きに囲まれながら、自分への仕事は他人に丸投げして、その優れた知性を駆使して、いかに何もせずぐうたらな毎日を過ごすことができるかに全力を注いでいる。


 そして、気が弱いことで目を付けられたリムに対しては、他の取り巻きのように金で釣るでもなく、取り巻きにするでもなく、ただ体の良い召使い代わりに、利用するだけ利用してきた。

 そして今日も、同じことをする気だろう。


「まあ、アナタへの説教は後にするとして、まずこの騎士服の汚れを落としなさい。それで、さっさとわたくしを上まで上げなさい。転んだケガを治療したせいで、上まで登れるだけの魔力が残っていないのよ」


 いつもと同じ、理不尽で高圧的な命令。いつもと同じように、リムは何も言わずに従って、自分の都合の良いよう動いてくれる。そう思っていただろう。


「…………」


 だがリムは、返事もせず、動かなかった。


「……リム?」

「…………」


「なによ? 聞こえていなかったの? まさかアナタも魔力が残っていないわけ? だったら洗濯はガマンしてあげるから、わたくしを上まで運びなさい」

「…………」


「ちょっと聞いているの? わたくしの命令が聞こえないの!? さっさとこのわたくしを――」



「だり!!」



 話している最中の、メルダの腹部に、衝撃が走った。

 大して痛くはない。だがそれは、ふんぞり返った不安定な体勢でいた少女に尻餅を着かせるには、十分すぎる威力だった。


「自分のことは、自分でしてください!!」


 尻もちを着いて目を見開くばかりのお嬢様に向かって、今まで向けたことのない目を向けて、今まで言ったこともない反論を叫んで、自分より背の高い少女を蹴り飛ばしたその足で、白い崖まで歩いていき、上へ登っていった。



「…………」「…………」「…………」

「…………」「…………」


 一連の出来事に、その場にいた全員、言葉を失っていた。

 そんな中で、真っ先に声を出したのは……


「クソリムゥゥゥウウウウウウウウウウ!?」


 ただでさえ険しくしていた表情を、更に険しめた、メルダの怒りの声だった。


「何やってんのよ!! さっさとあのクソ女叩き落としなさい!! それでそのままぶち殺して!!」


 蹴られた部分を押さえながら立ち上がって、見上げながら暴言を吐いている。

 そんなメルダと、登っていくリムを交互に見た、取り巻き五人は……


「…………」「…………」「…………」

「…………」「…………」


 全員、冷ややかな表情をメルダに向けた。


「ダッサ……あのクソリムに蹴とばされるとか」

「仕返ししたいなら自分でやれよ、それも一人じゃできねーのか?」

「分かってたけど、本当、救いようないわね、アンタ」


 それぞれが、言いたいことを適当に言い捨てて、メルダに背を向け歩いていく。


「ちょっと! なによ! 何だってのよ一体! このわたくしを置いて、どこ行くのよ!」


「悪いけど、これ以上話しかけないでくれる? いい加減うんざりなのよね」

「小遣い稼ぎに付き合ってやってたけど、とっくに愛想尽かしてたの気づかなかったのか?」

「気づくわけないじゃない。バカのメルダよ? 仕事もできない、クソリムに蹴られた仕返しもできない大バカが、そんなこと気づくわけないわ」


 それもそうだと、全員で笑い合いながら去っていく。

 メルダが再び叫ぶのも無視して、そのまま崖を登っていった。

 後にはメルダが一人だけ、その場に取り残されていた。




「だいぶ集まってきましたね……」

「ん……」

第4(うち)は、あと五人かな?」


 崖の上に集まった黄色を、彼女らを束ねる黄色のメアは、指差し数えつつそう言った。


「それで、どう? あのおっさん来た?」

「……姿は見えない」

「そっか……」


 メアも、赤色の横に並んで、崖下を覗いてみた。


「この崖、魔法抜きで登ろうと思ったら、さすがにそろそろ辿り着いてなきゃキツイと思うけど」

「それ以前に、この崖自体、魔法抜きで登れるようなものじゃ……」

「…………」


 メアもミラも、最初こそできなければ困ると口では言っていた。だが同時に、なまじ普通の魔法騎士らに比べて体力がある分、この崖を魔法無しで登ることがいかに困難なことかは想像できる。

 葉介の実家から見ても、高さ約40メートル、ビルの13階ほどの切り立った崖を、命綱や専用の道具も無しに登っていくなど、プロのフリークライマーならいざしらず、登山家ですらない普通の人で、マトモにできる人間などまずいない。

 途中で落下するか、上手いこと登れたとして、半分も登れば恐怖に負けて動けなくなるのが関の山だろう。そんなことを好き好んでやる人間など、よほどの命知らずか自殺志願者か……


 そしてそんなことは、葉介の師匠であるミラ自身も分かってはいる。


(魔法無しでここを登るの、正直、わたしでも無理。けど、葉介だったら……)


 自分が無理でも、葉介だったらあるいは……


 特に根拠があるわけじゃない。むしろ、葉介はミラに比べれば、まだまだ弱い未熟者だ。

 それでもどういうわけか、自分の初めての弟子に対して、まだ出会って三日目だというのに、そんな期待を寄せてしまっていた。

 だが、それは厳密に言えば、期待でもなければ、師匠としての信頼だとかでもない。

 ただこうあってほしい、こうしてほしいという、17歳の少女なら誰もが抱いてしまう、葉介に対するワガママだ。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 そうして、時間が経過して、空がオレンジ色に変わり、日没まであと数分のころ。


「ヨースケさん……」


 崖下をジッと覗きながら、リムは、崖を登る直前のことを思い出していた――




「わたしに、技を何か、教えてください! 一つで良いんです!」


 彼と別れる直前、そうお願いした。すると、葉介の顔には、すぐに疑問が浮かんだ。


「技なんて覚えて、どうするのですか? 魔法があれば必要ないでしょう?」


 それは事実だ。魔法が見つかる以前には、格闘だったり武器だったり、そういうものを極めた達人はたくさんいたらしい。そして、そういう人たちから順に魔法に敗けて、今じゃそんな技術、単純な喧嘩の場面でさえ一つも見なくなっていった。

 リムも、それは重々理解していたが、それでも……


「その……ヨースケさんが、かっこよかった、から……」


 顔を真っ赤に、体は震わせながら、そう語りだした。


「デスベア相手にも逃げずに、戦ってるヨースケさんが、かっこよかった、から……わたしも、あんなふうに、技が使えたらって、憧れた、から……」

「…………」

「ダメ、ですか……?」

「いいえ。十分な理由だと思いますよ」


 葉介はそう優しく語りかけると、リムが望んだ通り、蹴り技を教えてくれた。

 もっともそれは、技、と呼べるほどのものではなく、蹴り技どころか殴り方すら知らないリムに対する、葉介流の正しいキックの打ち方講座と言った方がいい。体の構え、足の向き、足の出し方、振り方等。


 それで形はできたものの、葉介のように体重も上手く乗せられず、大した威力も伴わない。蹴るというより、足で押して突き飛ばすだけ。それでも、今まで散々調子に乗って、自分を良いように扱ってきた女一人に、尻餅を着かせるくらいのことはできた。



「あと……掛け声も、マネしていいですか?」

「掛け声?」

「その……だりだり?」

「やめときなさい。ダサいですから」

「ダサくないです! かっこいいです!」




 そうして、本人の静止も振り切って、マネして蹴り飛ばした、メルダはと言えば、30分ほど前には登ってきている。泥まみれの騎士服で、いつもとは違ってやけに小さく、大人しくなって、周りを落ち着きなく見回しているが、どうせまた、上手いこと誰かを言いくるめて、魔法を使ってもらったんだろう。

 いつだってそうだった。たまたま気弱で優しいリムが目を付けられただけで、他の人間に対しては、大きい態度こそ取るが、無駄に理不尽な要求をすることもなく、何かさせる時は金をチラつかせていた。

 気弱が相手なら大きくなって、それがいなくなったから、もう調子に乗れる相手がいなくなって、そのせいで居心地悪くなってるんだろう。

 あんなヤツが登っているのに、あんなヤツよりよっぽど価値ある人が、ココにはいない。


「ヨースケさん……」


 メルダへの怒りを感じながら、それ以上に、葉介のことを思っていた。



 黄色も全員がとっくにゴールして、早く帰ろうという声も上がる中。ミラは陽が沈む瞬間まで、ジッと崖下を眺め待っていた。

 いくら姿が見えなくとも、姿を現す気配がなくとも、ただ、黒色がここに来る、その瞬間を……



 そうして、わずかに顔を出していたオレンジ色の光が――

 完全に、地平線の向こうへ顔を隠した。


「おっさん、来なかったね」

「ん……」

「けど、仕方ありませんよ。まだ魔法騎士になって二日目ですし」

「ん……」


「誰か、待っていたのですか?」

「ん……」

「ゴールは無理でしたか?」

「ん……正直、期待外れ」

「そうですか。残念ですね。ミラ様」

「ん……ん?」


 そこでようやく、ミラも、メアにセルシィも、違和感に気づいた。

 自分たち関長三人に、礼儀正しくも馴れ馴れしく声を掛けた、男の声……


「…………」


 その声の方向へ、振り向いてみると……


「うわあっ!!」

「お、おっさん!?」


 セルシィもメアも、驚愕の声を上げていた。


「……いつ登ってきた?」

「20分ほど前かな」

「……今までなにしてた?」

「さすがに疲れたから、倒れてた」


 ミラは、変わらぬ無表情で尋ねて、葉介も、いつもと変わらぬ調子で質問に答えた。



「ヨースケさん!!」



 と、他の魔法騎士も、関長らの驚愕の声に注目した中で、声を上げたリムは、すぐさま葉介へと走って、抱き着いた。


「よかった……もう登ってこないんじゃないかって、心配してたんですよ……!」

「そう……」

「そう、じゃないです! 本当に、本当に心配してたんですから……心配……あ、あれ?」


 そこでようやく、リムは違和感に気づいた。

 ずっとおんぶされて歩いてきた、葉介の背中の感触は覚えている。あまり大きくはないけど、逞しい、立派で安心できる背中だった。

 背中とお腹の違いはもちろんあるだろうけど、それにしても……


「なんか、とても、小さい? あれ……?」


「…………」


 顔を、上げてみた。図らずも、押し当てている爆乳を潰しているのは、小さな男性の胸、じゃなくて、褐色の無表情が、目の前に見えて……


「ミ、ミミミミ、ミラさま!?」


 慌てて飛びのきつつ、すぐ様頭を下げた。


「ごめんなさい!! ……て、あれ、ヨースケさんは……?」

「あっち……」


 ミラの指さした方向……メアの隣に葉介は立っていた。


「ヨースケさん……どうして?」

「そりゃあ、いきなり動物に飛び掛かられたら逃げるでしょう? 普通」

「普通……?」

「普通」

「動物……?」

「動物」


 その言葉には疑問に感じたものの、葉介の技の数々や、師匠がミラであることを鑑みれば、そういうものなのかと納得することにした。



「てかおっさん、どっから登ってきたの? 森から出てこなかったよね?」

「ええ。向かってきた正面からは、とても登れそうにないと思いましたので、後ろに回り込んで、登ってきたんですよ」


 人目があることだからと、葉介も言葉遣いを選びながら、メアの質問に答えた。


「え……でも、裏も同じくらいには切り立った崖のはずでは?」

「……その様子だと、やはり知りませんか」


 セルシィの言葉を半ば予想していたらしい、そんな返答の後は、四人へ更に接近して、心なしか囁き声で、その解答を語りだした。


「この崖の裏にですね、かなり古い石段があったんですわ」

「石段?」

「はい。この崖を削って作られたものでしょうね。だいぶ古くなってましたし、崖と色が変わらないから、よく見ないと気づきませんでしたけど。上る分には問題が無かったので、そのまま上ってきちゃいました」


 メアは、知ってた? と、セルシィやミラに問い掛けた。セルシィもミラも、流れ上話を聞くことになったリムも、首を左右に振っていた。


「もっとも、だいぶ角度は急でしたから、転んだら危なかったですし、石段が続いてるのも崖の九割くらいの高さまでだったので、そこからは普通に手足で登るしかなかったのですが」


 そこまで話して、それに、と付け加える。


「途中からずっと、人一人おぶって登ってたので、その分時間が掛かってしまいました」

「おぶって? 誰を……」



「わたくしよ」



 リムの耳に、例の高慢な声が聞こえてきた。

 振り向けば案の定、メルダが腕を組んで立っている。


「わたくしは、その九割の高さから、魔法で登ってこられた。けど、そこまでの石段は、彼がおぶってくれたの」


 そう語っているが――そこにいつも見てきた傲慢さは、なぜだかナリを潜めていた。


「その……言い忘れてたけれど……ありがとう。わたくしのこと、途中まで運んでくれて」

「気になさらないで下さい。こちらこそ、転びそうになったところを助けていただきましたから。少しでもアナタが協力して下さって、感謝しております」

「…………」


 いつもの身勝手さなど欠片もなく、偉そうにもしていない。

 どころか、葉介の礼の言葉に恥じらい、顔を赤くし、さっきまで以上に落ち着きを無くしている始末。


「……リム」

「はい!?」


 突然名前を呼ばれて、思わず固まる。

 今さらこんな女を無駄に恐れる理由のないリムではあるが、それでも長年で染みついてしまった感覚に、さっき蹴とばしたことと言い、何かされるかと気を揉んでしまった。

 だが、聞こえてきたのは、全く予想外の言葉で――


「その……今までその、ごめんなさい」

「……は?」

「これからは、わたくしも、自分のこと、できるだけ他人に頼らずに、自分でこなす努力、してみるわ。だから、その……赦してなんて、言えないけど……ごめんなさい。それだけ」


 芝居臭さやわざとらしさ、うさん臭さの欠片もない。頭の悪いリムにも、その言葉が、心からの謝罪だと確信できる誠実さが、全身からにじみ出ているのを感じた。


(なにがあったんですか、ヨースケさん!?)


 今まで見てきたメルダとはあまりに違う変貌ぶりに、リムは声に出さないまでも、心の中でそう葉介に向かって叫んでいた。



「にしても……石段とか、あるの知ってて裏に回り込んだの? おっさん?」

「まさか……ただ、昔から魔法騎士の訓練に使われてたなら、何かしら非常用のアレはナニしてあるんじゃないかな、程度に思いはしましたけど……この、崖っつーか、岩山自体は自然物にしても、この頂上とか、明らかに人の手入ってますし」


 もっとも、本当にナニされた非常用のアレなら、頂上まで残り数メートルの地点で階段が途切れていた理由は分からない。

 葉介のようにズルをする人間が出ないように、頂上から見えないよう隠していたのか。

 それとも最初は石段を上って、残り数メートルの崖を登るのが本来の訓練だったのか。

 今となっては分からないが――


「――と、そうだった。聞いているかもしれませんが……ここに来るまでに、デスニマがおりましたよ?」

「デスニマ?」

「はい。デスベアと、デスバードです。メム様とリルダ様がやっつけてくれました」


「リムです!!」

「メルダよ!!」


「……あっ」

「……あっ」


「うっそ! あのうすノロのクソリムが?」

「バカのメルダが、デスニマを……ウソ、ウソでしょう絶対?」


 リムとメルダはすぐさま否定しようとした。だが、時すでに遅く。


「しかも、デスベアにデスバードって……いや、ダマされないわよ」

「……え、本当に?」


 そんな声はすぐさま広がり、メアを含む黄色たちの視線は、一気にリムとメルダの二人へ集まっていった。



「てかさ、突然だったし、夢中だったからスルーしてたんだけど……」


 黄色全員がリムとメルダに注目している、このスキにと、葉介はミラに近づき話しかけた。


「デスニマが出た時の緊急連絡手段みたいなものは、なかったのか? あの二人は知らないようだったけど」

「ない」


 ミラの即答に、葉介は危うく倒れそうになる。


「無いってお前……」

「昔はあった。デスニマが現れたら、空に向かってそれを報せる色の光を打ち上げる。魔法騎士の間じゃもちろん、城下町や、世間の人間たちも使ってた」

「使ってた、ね……」

「けど、今はもう、なくなった。いたずらで光を打ち上げたり、デスニマも出てないのに、その光で魔法騎士を呼んで、ケガとか、疲れたから家まで運んでくれっていうバカが大勢いたから」


(パトカーをタクシー代わりに呼ばないで下さい……)


「そういうこともあって、自然となくなっていったみたい。今じゃ、そんな光打ち上げられても、無視することになってる」

「じゃあ……本当にデスニマが現れた時はどうするの?」

「極力、自分で対処してもらう。そもそも、親でもなければデスニマの一体くらい、正直、普通の人たちでも戦える。それで倒した人たちもたくさんいる」

「それでもダメなら?」

「助けを待ってもらう。助けが来ないなら、諦めてもらう」

「なんじゃそれ……いる意味ねぇじゃん。魔法騎士」

「ん……ない」


 葉介の呆れた声に対しても、ミラは即答した。


「昨日も言った。とっくに魔法騎士の需要なんて、なくなってる。城下町で犯罪が起きた時は、魔法騎士は働くけど、よっぽどじゃなきゃ、住民たち自身でどうにかできる。デスニマが出ても、魔法騎士が大々的に動くのは、親が現れて、群れになったのを見つけた時。それ以外はハッキリ言って、魔法騎士なんて、いらない集団」

「ただ組織としての形だけ残った状態ってわけか……アホらしいな」

「ん……アホらしい。ただ、民衆から税金を取りたいだけのために残ってる。ただそれだけの組織。明日無くなっても、誰も悲しまないし、困らない。そんな集団」

「最悪……」


 もっとも、そんなものが残っていること自体は、特に珍しいことでもないだろう。

 誰もがいらない、必要ない、むしろ無くなってほしいと願っているのに、昔からある、歴史があるというだけの理由で、デカい顔をして国民から金をむしり取る。そういう連中は、葉介の実家にも実在していた。

 とは言え、この場合はそんな、本当に害悪でしかないような団体とは違う。騎士団という、実家でいう所の警察組織、治安維持組織だ。魔法なんて、誰もが使える万能凶器があるこんな世界だからこそ、国を護るために必要であろう組織が、そんな体たらくとなると……


(大丈夫か、この国……)


 三日前にやってきたばかりで、思い入れもクソもないこんな国に対しても、そんな心配を浮かべてしまう、葉介であった。



「それで、結局誰を待ってるん? 来ないようなら、迎えにいくのか?」

「……いや、待ってたの、お前」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「よーし! それじゃあ、全員が無事に戻ったところで、帰るよー!」


 黄色全員を落ち着かせ、黒を含め整列させたところで、メアがそう声を上げた。


「……て、またあの森通るんですか? この崖を下りて?」


 と、葉介が声を上げると、黄色らも何人かが押し黙った。

 ここにいる多くが、ここに来るまでの間に魔力を使い果たしているらしい。

 だが、そんな下っ端たちにメアは、満面の笑みを見せた。


「大丈夫。ちゃんと馬車までの帰り道作るから」


 そう言うなり、弟子たちに背中を向けると、腰に差してあった二本の杖を取った。


(やっぱ杖っていうより、太鼓のバチみたいな見た目やね……)


 葉介がそんな感想を感じている間に、二本とも空に向ける。



「――ッ」



 また、葉介には聞き取れない言葉を発した時――

 まるでオーロラのような、平たくも大きな光が杖から伸びた。それはどんどん大きく、長く伸びていき、すぐに森の向こうまで伸びていく。


「なにアレ、すごい……」

「【結界】の魔法の応用です。本来、杖の先や、何も無い場所に透明な壁を作る魔法ですが、ああして形を変えることで、人が立てる足場にもなるんです」

「形も大きさも使い手次第だけど、あそこまでのものを作れるのは、魔法騎士の中でもメア様だけね」


 と、なぜだか集合の時点で、かたくなに葉介の左右に立つことを譲ろうとしなかった、リムとメルダの二人に、左右から解説された。


「なるほど。ありがとうございます」


 礼を聞いて、二人とも破顔する。だが同時に、二人ともが顔を見合わせて、赤面した。



「じゃあ、順番に乗っていって。乗ったら、自動的に馬車まで運んでくれるから」


 杖をしまったメアがそう言うと、黄色たちは次々に、メアに礼を言い、褒め称えながらその足場へ乗っていった。

 本人が言った通り、その上に乗っただけで、まるでプールの巨大滑り台のように移動していった。

 一人から二人、あるいは三人が一緒になって、次々に乗っていって。

 残るは関長三名と、リム、メルダ、葉介の六人。


「ヨースケさん!」

「一緒に行くわよ」


 と、左右に立っていたミラとメルダが、同時に葉介の手を握ってきた。


「…………」

「…………」


 そんなお互いを見て、あまり表情には出ていないが、戸惑っている。

 彼とは私が一緒に行きたい。けど、彼女が行きたがってるし……


「…………」


 そんな二人の間に立つ、葉介は、無言で二人から離れた。



「セルシィ様、どうかしました?」

「え……いえ! その……」


 さっきからジッと立っていて、だが手足は小刻みに震わせている。

 振り返った顔を見てみると、うっすら汗を掻いて、顔色は白くなっている。

 ここに登ってきてだいぶ経っているはずなのに、まるで怯えているような……


「セルシィは高所恐怖症……」

「ちょっ!」

「ああ……」


 ミラの静かな告白を受けて、セルシィが声を上げる中、葉介は納得していた。


「じゃあ、そうだ。せっかくだし、おっさん、セルシィと一緒に降りてあげなよ」

「ちょッ!!」

「私が?」


 再びセルシィが声を上げ、後ろに残された黄色二人も目を丸める中、メアとミラは二人掛かりで、セルシィと葉介をくっつけ始めて……


「これでいいの?」

「うん、完璧だ!」


 無表情でミラが、満面の笑みでメアが、二人の姿に声を上げた。


「いや、何ゆえお姫様抱っこですか? 一緒に行くにしても、無難に手を握るなりで十分でしょうに……」


 自分の今の姿に、葉介はそう文句を垂れる。

 後ろの黄色二人は、そんな二人に唖然としている。


「セルシィ様も、イヤなら普通に降りて下さっても……」

「あ……いえ、その……」


 と、無言でジッと抱かれていたセルシィだったが……

 ずっと握り込んでいた両手を持ちあげて――


「その……ぜひ、このままで、お願いします!」


 そう、ヤケに力強く言ったかと思えば、両手を葉介の首に絡め、



「ああ!!」

「あー!!」

「大胆……」

「おー……」



 自信の顔を、葉介の顔の高さまで持ち上げた。


(なんやねんコイツ……)


 そして葉介はと言えば、お姫様抱っこして顔を見合わせるという、世の男性の誰もが羨む状態になりながらも、内心ではかなり嫌がって、ため息を必死でガマンした。


(もう何も言うまい……)


 そう決めて、その体勢のままオーロラ的な足場――【結界】に乗り込む。すぐに座ると、二人はそのまま移動していった。

 そんな二人の後ろへ、複雑な表情のリムとメルダも続いて、ミラが、最後にメアが乗り込んだ。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 こうして、すっかり陽も暮れ、暗くなり始めたところへ、全員が無事に馬車に集まり、後は城へ戻るだけ。


 の、はずだったが……



「ヨースケさんは、走るって……」

「なんで? ちゃんと日没までに登り切ってたじゃん」


 葉介は一人、馬車から降りて、最初に説明された罰ゲーム――走って城まで戻ろうとしていた。


「よく考えたら、声を掛けなかった私にも非がありますけど、私が登ってきた所、誰も見てませんし。ズルしたと思われても仕方ないですから。このまま走ることにします」


 そう言うが、他はともかく関長三人とも、葉介のことは疑ってはいない。一緒に上ってきたメルダは元より、リムも、葉介がそんな卑怯なことをする人間でないことは分かる。

 それでも葉介は、彼女らが何か言う前に言った。


「幸い、道はほとんど一本道ですし、今日は満月だから視界も問題ありません。これも修行だと思いますよ」


 もちろん、いくら前が見える一本道でも、城までは結構な距離がある。それは葉介も分かっているはずなのに、敢えて、自分から罰ゲームを受け入れている。


「…………」


 それを聞いていたミラは、無言で馬車から降りて、葉介に並んだ。


「弟子の失敗は、師匠の責任……わたしも走る」

「はぁ……」


 すると、別の馬車からも、人が二人、飛び出した。


「わたしも、一緒に走ります!」

「わたくしも、せっかくだから、付き合ってあげるわ!」


 リムとメルダはそう言うなり、葉介の隣に立った。


「……また私におぶらせる気ですか?」

「そ、そんなことしません! 今度こそ、足は引っ張りません!」

「わたくしの体力、嘗めてもらっちゃ困るわ! 見てなさい!」


 そんなふうに、ジト目を向ける葉介に向かって、黄色二人が声を上げた直後、


「……わ、私も走ります!」

「アハハ! 面白そー! ボクも走るー!」


 そして、セルシィにメアまでもが、馬車から飛び出してしまった。


 そんなふうに、一般騎士二人に加えて、関長三名全員が走ると言い出したものだから、当然ながら、他の騎士らの間にも、走るべきかという空気が広がっていった。


「ああ、みんなはそのまま馬車で帰ってていいよー。一緒に走りたいってんなら、止めないけどねー」


 メアのそんな声を聞いて……

 それ以上馬車から降りてくる人間は、一人もいなかった。

 そのままメアが号令をかけると、全ての馬車は出発していった。



「さぁ、行っくよー!」

「が、がんばります!」


「よーし……」

「走るわよ……」


 各々が、それぞれ気合の声を上げている。そんな少女らに囲まれながら、葉介は思った。


(なんじゃこれ……)


 そんな五人と並びつつ、ミラは相変わらずの無表情で葉介を見つめながら、思った。


(ヨースケ、不思議なヤツ……レイとも、仲良くなれそう)





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