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プロローグ①  三十路、弟子になる

気が向いたら読んでやってください。

「…………」


 目を閉じる。呼吸も浅くして、周囲に意識を向ける。

 聞こえてくる音を聞く。強くはない風が木々を揺らす音と、荒い吐息が聞こえる。

 薫ってくる匂いを嗅ぐ。湿り気を帯びた木と土の匂い。空気の匂い。結構な悪臭。

 肌に伝わる感触を知る。涼しく爽やかながら、それに混じった動物的な生々しさ。


 目で見なくて済むそんなことを確認した後は、目を開けて、辺りを見回す。

 下は、地面。枯れ葉と雑草、わずかに見える黒茶色の大地。

 周りは、背の高い木々が並んで、草むらが静かに風に揺れているのが見える。

 上は、夕方だろう。木々の隙間から暗み掛かったオレンジ色の空が見えて、木洩れ日の色も同じ。


 そして、下でもなく、上でもなく、周りでもない、正面を見る。



「グルルルルル……」


 見た目はオオカミに見える。と言うか、どこをどう見ても、オオカミにしか見えない。違うのなら何なのか、ぜひ教えていただきたい。まるでオオカミの見本のような、不自然なほどにオオカミな形をしたのが集まってできた、オオカミの群れがいる。

 だが、オオカミだとイヤでも確信するのに、おかしな部分があるせいで、オオカミだと認識することを、心か本能かが拒否している。


 まず、体毛がやたらと汚い。野生ならあり得る話だろうが、それにしても、全身がまるで体毛ごと腐っているんじゃないかと思えるくらい、とにかく汚すぎる。

 そんな臭そうな体毛もさることながら、薄暗い中でも分かるくらい、目付きが悪すぎる。まるで、意味も無く相手を威圧し、恐怖させたいというように。

 そして、そんな険しい両目の間には、三つ目の、目。

 もしかしたら、体毛の形がそう見えるだけかもしれない。と言うか、絶対そうだろうなと自分自身に言い聞かせつつ……


「なんじゃこれ……?」


 上下黒のスウェットと、その上に黒のパーカーを羽織った姿で、地べたの上にあぐらを掻いて、右手に米神を支えながら――


 志間(しま)葉介(ようすけ)は、呟いた。



 呟いた後で、こうなる直前のことを思い出してみる。


 年に数回ある大型連休の最終日。連休中、特に何もすることがなく、自宅である賃貸マンションの一室で、基本寝て過ごしているうちに日が経って、明日から、また仕事なんだと憂鬱になりながら、いつも通り、ただ座ってパソコンを弄りつつ動画を眺めていた。

 ただジッと座っているだけで時間も過ぎて、そろそろ晩メシでも作ろうかとぼんやり考えていたころ……気がつけば、こんな所に座っていた。


(これが、今流行りの異世界転生……転移? どっちでもエエけど)


 大して興味は無くとも、今時ちょっとネットを巡回していれば、イヤでも目耳に入ってくる流行り物を思い出しながら、すぐにそんな場合じゃないなと理解した。


(こいつら……もしかしなくても、腹、空かしてる?)


 目の前でオオカミなんか、せいぜいイエイヌの散歩を見かけたことくらいしかない葉介でも、息を荒くして、薄暗い中でも分かるくらい唾液を滴らせている様を見れば、こいつらが目の前の獲物に興奮していることはイヤでも理解させられる。


(うん……死んだな。こりゃ……)


 普通なら、もっと怖がって慌てふためくべき場面なのかもしれない。だが葉介は、自分でも驚くほど落ち着いていた。

 実際、冷静で物静かな性格は自覚しているし、31年も生きていれば、脳みそだって老けてくる。


 それ以前に、まずマンションの1Kの部屋からこんな見知らぬ森の奥地に飛んできて、座り込んでいる時点で普通に異常事態だし、加えて、犬としてはソコソコな大きさをしたヤツらが、ザッと見ても20匹ばかり。

 人間の足で逃げ切れるわけも無し。見逃してくれる気配も無い。


 もっと混乱して、脅え怖がり慌てふためいて、何なら、ここに来る直前に見ていたゲーム動画のキャラクターたちみたく、発狂したり、一時的狂気とやらに陥ったりするのが普通だろうと、葉介自身も思う。


 思うが……


「普通なんか知るか……」


 思った後でそう呟いて、立ち上がった。


「普通のヤツならできて当然のことを、一個もできんかったヤツが、今さら普通の行動なんかしてられるかよ……」



 できるだろう普通……

 できて当たり前だ……


 どうしてこんなことも普通にできないんだ?

 当たり前なこと当たり前にできただけで喜んでるぞ!



 子どものころから、そんなことばかり言われ続けてきたおかげで、自分は普通じゃないんだと思い知り、普通にもなれない自分に諦めた。

 そんな呆れた人生の、終着が目の前に並んでこっちを見ている。普通のことをなにもできなかった自分には、こういう普通じゃない終わりこそ、よく似合うのかもしれない。


(けど、どうせ食われて死ぬくらいなら……最後くらい、大暴れしてもいっか)


 スポーツでも仕事でも、周りに迷惑を掛けるしかできなかった。それで注意され、叱られても、悪いのは自分なのを自覚しつつ、目の前のコイツをボコボコにしてやりたい。

 そんな衝動をどうにか抑えて今日まで生きてきたものの……そんな道徳心、ここでのこの状況で意味は無い。

 動物愛護団体辺りに叩かれそうではあるが、叩かれるころには死んでいる。


 もしもここが日本のどこかなら、せいぜい、このチビでブサイクなジジィを玩具に、ネットニュースなり掲示板なりで遊んでちょうだい。

 顔も知らない、パソコンの向こう側にいる連中にそう念じつつ、袖を通したパーカーのボタンを締めて、フードを被って……

 立ち上がって、オオカミの群れへ歩き出した。



「グルルル……ガゥ!」


 歩き始めたと同時に、先頭で威嚇していた一匹が、葉介に飛び掛かった。

 爪を立て、牙を光らせて、狙っているのは、多分首だろう。

 そんなオオカミが、葉介の目の前の、十分な距離まで飛んできた、そのタイミングで――


「ダリッ!」


 特に深い意味はない、何となく口から出た掛け声を上げながら、足を突き出した。

 狙っていたタイミング通り、オオカミの首に、良い具合に入る蹴りの感触。


「……あれ?」


 そして、その蹴りの勢いそのままに、蹴りぬいた方向へ飛んでいって、動かなくなったオオカミの様子に、葉介はまた、疑問を感じた。


「……あれ?」


 自分なりに、鍛えてきた自負はある。特に何かしらのスポーツ大会とか目指していたわけでも何でもないが、ただ他にすることも無く、今よりだらしない身体になるのだけはイヤだったから、色々と調べて体だけは鍛えてきた。

 サンドバックを蹴ってはきたが、動物と戦ったことはない。だから、動物の、まして、祖国では絶滅したオオカミの頑丈さなんか、葉介が知るはずもないのだが……


「えらくアッサリ飛んでったな? しかも一発でダウンて……」


 そんなことを呟いた直後には、正面にだけ並んでいたオオカミたちが、左右や後ろにも回り込んで、いよいよ逃げ場が無くなった。


「さっさと来て、殺しとくれよ……」


 特別死にたいわけでもないが、生きていくのにも疲れている。

 そんな冷めた気持ちを口に出した途端、それに答えるように、また飛び掛かってきた。


「一、二、三匹――」


 フードの隙間の、目に見える範囲で襲い掛かってくるオオカミを数えて……


「ダリッ! ダリッ! ダリッ!」


 さっきと同じ掛け声と、さっきと同じ行動を三回繰り返す。

 すると、さっきと同じように、蹴りを喰らった三匹が三匹とも、吹っ飛んでいった。


「……弱わっ! なんやコイツ!?」


 吹っ飛んで、また動かなくなったオオカミを見て、思わず叫んでしまっていた。


「ああ……なんだ。夢かよ、コレ」


 そんな光景を見て、そんな結論に至った。

 猫とか小犬ならともかく、少なくともタマに見かける野良犬よりは大き目なサイズの動物が、少し鍛えた素人の蹴り一発で、簡単に沈むほど貧弱なわけが無い。


 きっと、仕事でも私生活でもダメダメな自分が、ストレス解消のために都合よく見ている夢なんだろう。

 獣臭さや、蹴った瞬間の硬さ痛さとか、足裏や股関節に残る痛みなんかはヤケにリアルに感じるものの、そういう夢も、31年間で見たことが無いこともない。


(これが夢なら、死ぬ心配はない、か……) 


 安心したような、残念なような……

 そんなことを考えている間にも、まだやられていないオオカミたちは、こっちに飛び掛かってきた。


「ダリッ! ダリダリッ! ダリダリダリダリダリッッ!!」


 人が見てたら、あのマンガかこのアニメかのパクリだとか言われるんだろうなぁ……


 そう感じてやまない掛け声を連呼しながら、オオカミに蹴りを入れていく。

 前蹴り、回し蹴り、飛び蹴り、その他名前は知らないが間違いなく蹴り。

 蹴りが浅かったり、当たっても動いているようなら、首をへし折りトドメを刺す。

 蹴りが間に合わないと思ったら、倒したオオカミを武器の代わりに振り回して、それを投げ飛ばして、また蹴り倒して――


「ダリダリダリダリダリッ! ダリッ! ダリッ! ダァリィッ――」




 ダリダリ暴れ回っているうち、気がつけば、襲ってくるオオカミはもういない。

 フードも脱いで、足もとを見てみると、あれだけいたはずのオオカミたちは、全部いなくなっている。


「……夢の中で息切れするの、初めてかも……」


 終わったことを確認し、安堵しながら、木の一本にもたれかかる。

 夢の中で痛い思いをした経験は、数えるくらいならある。だが、こんなふうに、肩で息するほど疲れた経験はない。


 体中から汗が噴き出す。胸も喉も苦しくて、とにかく息をしていたい。

 加えて、裸足で走り回り、跳び回り、蹴り回った足の裏や甲は痛むし、そんな足や、体毛をつかんだ手、服にも、体毛のカス、獣臭さ、骨を折った感触が今でも残っている。


(汗も、息切れも、痛みも、感触も、夢にしてはリアルやね……)


 だが、感触はリアルでも、このオオカミたちの異様さと、弱すぎる異常さは夢にしか思えない。

 汚れた手をぬぐいつつ、何だかんだ冷静を通してきた葉介も、さすがに混乱してきた。

 夢だと割り切るべきなのか、現実だと開き直るべきなのか……


(……て、夢ならいつか起きるだろうし、別に、無理に結論づけることもない、か……?)


 そう、とりあえずの結論を見つけた時に、また聞こえてきた。と同時に、感じた。



 ドシ……ドシ……ドシ……


 いかにもな音と、森を揺らす地響きが、一定のリズムで聞こえてきて、


(臭っせ……!)


 音の方から風が吹いてきたと思ったら、今まで以上に強烈な悪臭と一緒に近づいてくる。


(いよいよ夢にしか思えなくなってきた……)


 今さらながら手の平の、小指のつけ根のやや下の、盛り上がっている部分――葉介の知るかぎり、前歯でかじってみて最も痛みを感じる部位――をかじってみた。リアルに痛い。

 じゃあ、今はもう現実(リアル)でいいや。

 そう開き直って、木から背中を離して呼吸を整えて、近づいてくる何かの方へ、体を向ける……



「うわー……」


 もはや、そう声に出すしかない。

 そこにはまた、オオカミがいた。見た目は、さっきまでと同じ、オオカミそのまま。

 それが、見上げるくらい、トラックくらいに巨大になって、さっきはただの模様だと思うことにした額にある目は、ハッキリ葉介の姿を映し、艶めき、動いて、瞬きまでしている。

 加えて、全部倒したと思っていた小さいヤツらも、デカいのの左右から四匹ほど現れた。


「やってらんねー」


 再びフードを被りながら呟いて、また前を見た。

 バカでかいオオカミが、歩き出そうと前脚を上げたタイミングを見計らって、走り出す。

 飛び掛かってきた小さいのを交わしつつ、デカいのの前脚が、地面に着こうとしたその瞬間、その前脚へ、一気に間合いを詰めて――


「ダリッ!!」


 走った勢いと、全体重を乗せた、素人の葉介が出しうる最大の一撃を、その前脚へ突き刺した。


「ブッ……!」


 それと同時に、軽く振られた前脚をぶつけられる。

 デカいのからすれば、ほんの手招き程度のソレを喰らった葉介は、後ろへ吹っ飛び、地面を転がった。


(すっごい痛い……やっぱ、夢じゃない……)


 幸い、骨が折れたり、ひねったりはしていないらしい。それでも、転がった全身が痛む。

 そのまま倒れているのも何だから、立ち上がった。だが、反撃する気力は、もう無い。



(今度こそ、死んだか……)


 正直に言えば、まだこれが夢なんじゃないかという疑いは消えない。

 とは言え、さっき開き直っちゃったし、これだけ痛いんだ。やっぱり、現実だろコレ。

 そう感じて、同時に諦めもつく。


(食うか殺すか分からんが……あんまり苦しいのは勘弁しとくれ)


 目の前にいる四匹の小さいのと、数メートル先まで迫ってきたデカいのに対して、そう念じる。

 念じた時には、左右へどいた小さいのの間から歩いてくる、デカいののデッカイ口が、歯を立てながら近寄ってきて――



 ドカァァァァ――――――ッ

 という音が、目の前から響いた。と同時に、あんなにデカいオオカミの体は、後ろへ吹っ飛んだ。

 音と、デカいのを飛ばした原因。それを、葉介はハッキリと目にした。


「マジ……?」


 色々な意味で、その光景には驚かされた。

 バカデカいオオカミをぶっ飛ばした。直後、地面に着地した後は、周囲に残っていた小さいオオカミを全て、殴り飛ばしてしまった。その後で葉介の前に立った、人。


 女の子だ。赤い服を着て、白髪のショートカットを揺らす、褐色の肌をした、小さな――日本人成人男子の平均身長より低い、168センチの葉介よりはるかに小さな、女の子。


 それを認識した時、女の子は、振り返ると同時に人差し指を、葉介に向かって突き出して――



「お前……今から、わたしの弟子」



 低く強く、なのに若くて幼い声を、葉介は、指を刺されながら、ハッキリ聞き取った。





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