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或る刀匠の一夜

作者: 恥目 司

 黒々と杉が生い茂る山の中。

 遠く、やまびこが聞こえる。


 カンッ!!カンッ!!

 鳴り響くは鋼の音。

 炎が盛る鍛冶場にて、その音は屋根を超えていく。

 しかし、鋼を打つ男は音を聞かず無我に至って灼熱の鋼を撃ち叩く。


 鎚で叩く度に散りゆく紅い火花。

 彼は、仄めく鋼を見つめながらただ祈っていた。


 灼熱の中———

 世に双つとない刀を産まんとしている。

 孤独の中で唯一の刀を造る事を求めてきた男は鎚を振る。


 彼の名は正重。齢六十六の刀匠。

 彼の造った刀は全て、その時代の逸品となっていた。

 悠久の時を経て、名だたる武将が振るい続ける継承されし刀。

 その一太刀は歴史に刻まれる。

 だが、彼はまだそれを知らない。

 それを造った後でも、彼が死ぬ間際でさえも。

 彼は自分の理想の刀を追い求めていたから。


「まだだ、まだ足りねえ」

 彼は人生を懸けて刀を求めていた。

 木の中から仏像を彫り出すように、至極の一振りを鋼から打ち出している。

 

 未だ、玉鋼を鍛える。

 叩く、重なる、叩く、重なる。

 枯れ木のような腕が痺れる事はもう慣れた。

 気の遠くなる作業を延々と繰り返す。

 引き伸ばし、形を整え、焼き入れて、研ぐ。


 やがて一本の刀が出来上がる。

 

 試しに猪の革を巻いた藁を斬ってみる。

 スパンと斜めに振ると、軌跡と同じく斜めに藁が斬り落とされる。

 しかし、正重は納得のいかない顔でその刀を睨んでいた。

 「違う。俺の求めている刀はこれじゃねえ」


 そう言って、地面に突き刺す。

 気づけば白い月が空に昇っていた。

 「……」

 正重は浮かんだ月を眺める。

 (はたして……俺に絶世の刀は似合わねえのだろうか)


 彼は、僅かながら焦っていた。

 己は既に老い朽ちている身。

 隆々とした肉体の若人も今や皺を重ねた老爺となった。

 諸行無常とはあれど、己が風前の塵に同じというのは些か認めがたい。

 だが、時の中では既に終わった人間なのだ。


 それなのに、未だに全てを斬れる刀というものを造れていない。

 「南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……」

 ただ、月の上で念を唱える。

 

「乱世に理想の刀を追い求める事が仏に対して良い事なのか」

 背後で声がする。

「誰だ、テメェは」

 正重が振り返っても誰もいない。

 訝しむ正重は地面に突き刺した刀を引き抜いて眼前に構えた。

「別に戦う気はないんだ。それは謝ろう」

 黒い影がそこにいた。

「……妖の類ってか?悪りぃが、そんなモノに用件は……」

「妖ではない。はっきり言えば、貴様の命を取りに来た死神とでも言おう」

 正重の白い眉がピクリと動く。

「人も獣も定命なれば必ず尽きるもの。その時が今に至っただけの事」

 黒い影は正重に近寄ってくる。

 徐々に、足音もなく。

 だが、正重は怖気つく事なくただ諦めていた。

「ああ、そうかい。そんなら……一思いにやってくれや」

「……諦めたという事か?」

「結局、俺にも限界ってのがあったんだろうな。来世もまた造りてぇってのはあるがな」

 そう言って、静かに地面に座る。

「こんな老いぼれには過ぎた夢だったってだけだ。別に悔いはねぇさ」

「……」

 影は——その老爺の悟ったような顔を見下ろして深いため息を吐く。

「祇園精舎の鐘の音はいずれ消えども、まだ余韻を微かに残して響いている。貴様の帯びた熱もまだ、微かに残っている」

「何を言ってやがる…?」

「我が来た理由というのは……少し貴様に情が湧いただけだ。これは我の我儘であり、我の一方的な感謝だ」

 そう言って、影は正重の頭を触れる。

「なんでもない、我はただの獣。人になり得る事のない獣。星の禁忌に触れてでも貴様の微かな熱を最後まで見届けたいのだ」

 影の掌は温かかった。

 温かく、そして懐かしい。

(頭を撫でられるたぁ……何十年ぶりだろぉな……)


「それでは、達者でな」

 そう言って影は消えてしまった。


***


 チチチ……チュンチュン……

 鳥の囀りで目が覚める。

「んぁ……?」

 冷たい空気が肌を通る。

 朝ぼらけ、うっすらと霞がかった空にぼやけた陽。

 正重は外で眠っていたようだった。

(いつのまにか寝ちまってたようだな……)

 曲がった腰をボキベキと起こして立ち上がる。

 少し楽になった気がする。

 

 ふと、正重の視界に入る壁に刻まれた歌。

 

「……ふっ、くくく……かっはっはっは!!」

 正重は、吹き出して笑う。 

 誰が刻んだのかは一目で分かった。わざわざ自分の為に詠んでくれたとは。

「ああ、そうか、俺は愚かだ。でもそんな俺を神さんが求めてくれたんだ。その期待に答えなくちゃあ、鍛冶屋としての名折れってもんよ」

 白んだ空の下、皺だらけの顔で笑う。


「どれ、今日ぐらいは朝からきのこの天ぷらでも食ってやるか」


 そして、今日もまた彼は刀を造る。


***


「———こうして造られたのが正重最後の一振り、国宝“正重浮月佇影(ふげつちょえい)”でございます。この刀の銘は正重の前に現れた死神の事を表しており、死神までもが魅入った刀匠と呼ばれるようになった所以でもあります」

 ガイドさんの解説を聞きながら、その刀を眺める。

「そして、この翌年に正重は」


「……そんな変わらへんと思うけどなぁ」

「いやいや、刀ってのは一つのロマンなんだよ」

「剣も刀も武器やろ。そんなんにロマンなんてよう感じられるな」


 博物館で刀剣展があると聞いて、わざわざ来たケント。

 そこで展示されていた、一代限りの刀匠の最高傑作を眺めていた。


「死神が魅入ったって……んな事あるわけないやろ」

「まぁ、これは俺もあんまり信じてないけどな」

「そんなにコイツの凄さを世に知らしめたいって、ある意味狂っとるって言ってもおかしくないんやろうな」


 パーカーの中でモゾモゾ動く赤トカゲ(羽付き)の言葉を聞きながら、ケントはある短歌を見つめていた。


 “つむかりの 刀(こしら)う 夢見れば 微かに歩まん 三途のほとり


 名匠、正重の家であり鍛冶場の壁に刻まれた歌。


 彼がどれだけ刀に対して情熱を向けてきたのか、永遠に終わらないと分かっていてもその理想を追い求めていったのか。

 たった31字の中に深く刻み込まれているような気がした。



 

キリンさんの“刀匠令嬢の最強証明”本編の方もよろしくお願いします。

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