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拝んでいたら推しが壁から出てきたので共に暮らします  作者: 花倉きいろ
第1章 推しとの暮らし
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フツーってつまらなくないですか?


 いつもはぼーっと朝のニュースを眺めているだけなのに、まさか高瀬くんを目の前にすることがあるなんて。


トーストをかじりながら、彼の顔をまじまじと見つめた。あまりの美しさに嘆息が漏れる。


 推しが目の前にいる、というのは夢みたいな話だ。今なら何かの壺を売りつけられても買ってしまうくらい嬉しいのだが、悲しいことに世界は現実のままである。


 小説のように容姿も変わらなければ、突然強くなる訳でもない。そして勿論、仕事もある。異世界に飛んできたのは私ではなくて、高瀬くんなのだから。


 遅刻ギリギリで会社に滑り込み、社員証をタッチする。いつもは正社員としての立ち振舞いを心がけているが、高瀬くんと暮らしていると予想外のことが多くて、この時間になってしまった。


 そう、いつもより入念に化粧をしてしまう、とか。


「あれェ、松崎さん遅いですね? 何かメイクもいつもと違うし」


 声をかけてきたのは井上さん。二十三歳で年下の派遣社員だが、夢乃より歴が長い。茶色の細い髪は、毎日丁寧に巻かれている。


「さては……いよいよ"フツー"、卒業したんですかッ!?」


 食いつき気味に聞かれて、彼女の肩までの髪がぐるんと揺れる。


「してない、してないから。静かに」

「えぇ~ッ」

 

 夢乃がリアリストだとしたら、彼女は夢に溢れた女性だ。

大学卒業と同時に結婚した彼女の夫は超大金持ちで、働かなくても豪遊できるほどだ。だが彼女は家には入らず、仕事に勤しんでいる。

 というのも、夢を叶えるために自分で資金を貯めたいらしい。井上さんは演劇が好きで、役者の衣装をよく担当しているらしく、会社でチラシを貰ったことがある。そのために専門学校も出ていて、会社の仕事と掛け持ちで衣装制作もしているとのことだ。

 井上さんが関わった舞台は『闘魂』のイベントと被ってしまい観にいけなかったが、同僚からは凄かったよ! と好評だった。

 いつか大劇場の舞台衣装を制作をすることが彼女の夢らしい。

 

「井上さんは今日ナチュラルだね」


「ああ、今日はエステなんで。明日はメンテデーなんですう」

「メンテデー?」

「美容院、まつ毛パーマ、眉ワックス、ネイル。あらゆるところをメンテナンスする日ですッ」


 語尾にハートをつけて、井上さんが両手を胸の前で握りしめた。普通ならぶりっ子に見えるポーズも、様になっているからすごいな、と夢乃はいつも感心する。


 旦那さんがいて、お金持ちで、働かなくても生活ができる。それでも彼女は、持って生まれた可愛さに傲らず、美容に仕事にと、常にアップデートを図っている。


 本人いわく、可愛くて愛されながらも、好きな仕事をしている自分が好きらしい。そのための努力は惜しまないので、仕事もできるという有能な子だ。


 仕事ができる、というだけでもう悪い存在ではないのだが、夢乃には少し頭が痛い存在だ。


「もう十分じゃない? 旦那さんもいるし、十分可愛いし、仕事もできるし。何をそんなに上を目指してるの?」


 すると彼女は笑って「何言ってるんですかあ!」と一蹴した。

 

「夢は持ってなんぼでしょ? 夢がないと生きられませんよォ」


 つまり、普通を愛する夢乃の対極にいるのが井上愛莉だった。

 

「なんだァ。フツーフツーって言ってた松崎さんにもようやく春が来たのかと思って喜んじゃいましたよォ」

 

 丸っこい語尾とともにガックリと肩を落として井上さんが言う。彼女のことは嫌いではないが、夢乃にとってコンプレックスを刺激する存在ではあった。


 夢乃は普通……平凡をこよなく愛している。

 仕事もそこそこ、見た目も不潔でなければよし。薄い二重まぶたと下がり眉がコンプレックスだけれど、それをどうこうしようとも思わない。

生きていけたらそれでよし。そんな性分だからか、会社ではクールに見られがちである。


お金は全て高瀬くん関係に注いでいる……といった点を除けば、夢も希望もない、平凡なOLだ。


 そして何度も言うが、井上さんはその対極の存在で。

 夢乃にも明るく話しかけてくれるいい子ではあるのだが、悪気なく夢乃を突き刺すことが多い。


「そもそも、フツーってつまらなくないですか? もっとこう、夢とか希望とか持って生きましょうよォ」


 つまらない。

 その言葉がグサリと喉に刺さる。


 井上さんの性格からして、夢乃がつまらなく見えるのは仕方がない。夢乃も、彼女のキラキラした生き方を内心では羨ましく思っている。

 けれど、できない理由があるのだ。


「普通もいいものだよ」


 喉に楔を打たれたものとは思えない、社会人特有の愛想笑いで場を終わらせて、夢乃はコンビニで買ったコーヒーを一気に飲み干した。

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