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拝んでいたら推しが壁から出てきたので共に暮らします  作者: 花倉きいろ
夢と恋の狭間
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お別れ

 高瀬くんの声が鳴り響く。アラームだと気がついて、夢乃は抱き締められたまま手だけをスマートフォンに伸ばした。

 きっとお互い一睡もできなかった。それでも二人に眠気は見られなかった。

 高瀬くんが最後の朝食を夢乃に振る舞う。いつものオムレツも、これで最後だ。


 夢乃が仕事から帰ってきたらすぐに試そう、と決まった。あまり遅くなると名残惜しくなるから、と夢乃からの提案だった。


「俺がこの先どう生きていくか、夢乃は全部わかるんだよな」

「うん、連載が続けば」

「そこは続いてほしいな」

 

と高瀬くんが笑う。


「それじゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 

 高瀬くんが切なそうに眉を下げる。なんだかもう、既に泣きそうだ。



「おはようございます!」


 社員証をタッチしたあと、大声で夢乃は挨拶する。職員全員が振り返った。カツカツと課長の元まで足を運ぶ。例の怒り出すと止まらない上司だ。


 いくら落ち込むことが条件とはいえ、社会人としてわざとミスすることは許されない。となると。


「課長、おはようございます! 仕事ください!」

「ど、どうしたんだ松崎くん。やる気だね」

「そして叱ってください! ほら、どっと! 三時間くらい!」

「松崎くん……本当にどうしたんだ、頭でも打ったかい」

「無事です」


 夢乃はガバッと頭を下げる。そして井上さんを含む先輩方にも仕事をください! と言い回った。


 夢乃は物事をマイナスに考えるくせがあるが、その割に力技でゴリ押ししようとするところがある。だからこそ、ゲーム研究部を創部したり、前職から離れられたのだろうが。


「松崎さァん。例のカレに失恋でもしました?」

「ふふっ、今日する予定です。なので、仕事ください」


 井上さんが訳の分からないといった顔をして首を傾げる。彼女でもこんな顔をするのだなと思うとなんだかおかしかった。


 そして夢乃はいつもの十倍くらいかき集めた仕事に手を付け始めた。


(さすがに、疲れたな……)


 定時はもちろん無理だ。むしろ夢乃が仕事を引き受けたおかげで他の社員が全員定時で引き上げていく。

 万一にも日付が回らないよう夜の十時辺りで区切りをつけて、会社を出ると高瀬くんが待っていた。


「おつかれ」と微笑む姿が疲れた体に沁みる。

 こうやって仕事終わりに迎えに来てくれるのも最後だと思うと、鼻の奥がつんとした。



「それで? 落ち込むことはあった?」

「それが、みんなドン引きしちゃって、課長には避けられた……でも、初めて会った日の五倍は疲れてる」

「そっか」


 家に帰って、上下別のパジャマに着替えた夢乃の言葉に制服姿で頷く高瀬くん。


 これですべて、条件は揃った。


 複製原画の前で正座する夢乃の腕を高瀬くんが掴んだ。


「高瀬くん? どうしたの?」

「朝さ、俺がこの先何するか夢乃は分かるって聞いたじゃん」

「うん」

「でも、俺は夢乃がこの先何をして、何に苦しんで、何に笑うのかわからない。だから最後に、言わせてほしい」


 高瀬くんが姿勢を正して言った。夢乃と同様、彼も正座の体勢をとる。


「夢乃さ。この前、流されて生きているだけで何もない、っていっていたけど、そんなことないと思う。

バッセンに初めて行った時に思った。夢乃は、好きなこともいっぱいあるよ。今まで触れてこなかっただけ」


 高瀬くんが野球に向けるような真面目な視線で告げる。

 

「だから色んなことをして、生きろよ。普通でも、普通じゃなくても、何でもいいからさ。笑っていてほしい」


 最後の言葉を、彼は願うように呟いた。高瀬くんは眉尻を下げて、うっすらと笑みを浮かべる。


「俺、夢乃の笑った顔がすげえ好きなんだ」

「私も、高瀬くんの笑顔が大好き」

「知ってる」

「この先、何が起きても、応援してるから。ずっと見てるから」


 (だから、高瀬くんが元の世界で野球を楽しめますように)

 

 高瀬くんが掴んでいた腕を離した。その瞬間、高瀬くんの姿が溶けて、足が壁に吸い込まれていく。あまりにも急なことに、夢乃は必死で声をかけた。思わず手が伸びる。

 

 高瀬くんも手を伸ばす。二人の指が絡まった。


 高瀬くんの顔が近づく。近づいて近づいて、高瀬くんの唇と自分の唇が重なるのを夢乃はスローモーションのように見ていた。

 

 時が、止まる。

 数秒に満たないはずなのに。一秒でも長く見ていたいのに、高瀬くん以外を全てシャットアウトしたくて、夢乃は目を閉じた。



 高瀬くん。高瀬くん。


 

 どうか


 

 幸せに、なってね。



 目を開けた時には彼が微笑んでいた。原作でもアニメでも見たことのない、いとおしいものを見るような顔を残して、彼は、消えた。


 

次回エピローグにて完結です。

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