推しは努力家
四月になってもこの超常現象の解決策は浮かばなかった。というより、考えている時間が少なかった。
高瀬くんがあまりに自然だからか、それとも暮らすことで精一杯だったのか、なんとかしなきゃと思う反面、どこか必死じゃなかったのかもしれない。
(帰す方法なんて分からないしな……)
私がそのような中だるみをしていたある日、午前零時頃。高瀬くんが先に寝てて、とキッチンで水を汲みながら言った。
明日も早いので言葉に甘えてソファーで目を瞑っていると、布団が擦れる音がした。
(こんな時間まで起きてたの?)
夢乃はまどろみながら目を開ける。高瀬くんが起き上がっていた。
(トイレかな……)
それにしては様子がおかしい。高瀬くんは、夢乃が買ったウィンドブレーカーを羽織って、物音を立てずに部屋を出る。
(え?!)
一気に目が覚めた夢乃は、慌ててスプリングコートを羽織り飛び出した。
春の夜はまだ冷たい。スマホを見れば深夜二時を指している。こんな時間に高校生を一人にするわけにはいかない。
身震いしながら高瀬くんのあとを追えば、辿り着いたのは近所の公園だった。
高瀬くんは、両手でバットを構えて、綺麗なフォームで振る。ぶん、と音を立てながら、それを何度も繰り返す。
(きれい……)
その姿があまりに美しくて、夢乃は声も掛けずしばらく見つめていた。
「くしゅんっ」
しばらくして、自分が薄着だったことを思い出す。声に気づいた高瀬くんがこちらを見た。
「松崎さん!」
彼が駆け寄って、ウィンドブレーカーを夢乃に被せた。
「なにやってんの、そんな格好で。危ねーじゃん」
「高瀬くんこそ。高校生なんだから、補導されちゃうよ」
「補導……」
全く頭になかったらしい、高瀬くんが呟いた。
「そうだよな、向こうとは違うんだもんな」
青葉高校の野球部は寮があり、高瀬くんも例外なく暮らしていたはずだ。遠くを見やる彼の心境をおもんばかって、夢乃の胸が痛む。
「いつもは中西や瞬と、誰が最後まで残るか勝負してんだよ。あ、瞬分かる? セカンドの」
もちろん、と夢乃は頷く。少女とも少年とも取れる見た目に加え、甘え上手な性格は、レギュラー全員に愛されている。
高瀬くんとは二遊間……いわば相方のような存在のため、夢乃ももちろん応援している存在だ。
「まあ俺が勝って、大将に早く寝ろォ! って怒られるんだけど」
「大将くんなら有り得るね」
夢乃はくすりと笑ってから、話題を切り替える。
「いつもこんな時間まで、練習?」
キャラクターブックによれば、高瀬くんは五時には起きている。
「天才だから、って言えたらいいんだけどな。人の倍やんなきゃ勝てねえ」
その強い眼差しに、夢乃は自分が彼に惚れた時のことを思い出した。
(そうだ。高瀬くんの「何とかなる」は、自分の努力ゆえの「何とかする」なんだ)
だからこそ『俺が一番!』と歯を見せられるし、その上で『お前らは最強』とチームメイトをハグできるのだ。
「だせーとこ見られちまった」
「ださくないよ!」
夢乃は噛み付くかのごとく全力で否定する。
「私は、高瀬くんの裏ですごく努力をする所に救われたの。勇気づけられたの。それをひけらかさない所も、言い訳にしない所も、本当にカッコイイよ」
「松崎さん……」
帰り支度を始めた高瀬くんを夢乃は手で制止した。
「気が済むまで振っていきなよ」
「や、でも松崎さん、明日も仕事だし」
「推しのために働いてるんだから。付き合うに決まってるじゃん」
「……ありがと」
高瀬くんが、もの寂しそうにはにかんだ。
「俺がいない世界、どうなってんだろ。中西はすげえ泣いてんだろーな。瞬なんて練習メニュー限られるだろうし……。
大将にいたっては、サボりと思われてそう」
さっきの笑顔を振り払うように、弱冠十七歳の男の子がからっと笑う。無理をしていることは、さすがの夢乃も分かった。それでもその高瀬くんの精一杯の無理を支えてあげたくて、夢乃はあえて話題に乗る。
「帰ったら、多分大将にひたすら走らされるだろうから、今から覚悟しとかないとね」
「うわっ、それすげえヤダ!」
高瀬くんが今度は本当に眉をしかめてから、口を開けて笑った。夢乃は内心でほっとする。高瀬くんとあのキャラはああだ、このキャラはこうだと話していたら、不意に会話が途切れた。高瀬くんがバッドの先を地面につけて、呟く。
「俺さ、この世界で出会ったのが松崎さんでよかったと思ってるんだ。何から何まで世話になってっし、あと面白いしさ。悪くねえなって思ってんだけど、やっぱ……帰りてえ。帰って、アイツらと野球がしてえんだ」
高瀬くんの真摯なつぶやきに、先ほどまで『帰る方法なんて分からないし』と思っていた自分をぶん殴りたくなる。
自分の想像を遥かに越えてくる努力家な推しを、夢乃は胸がいっぱいになりながらも見守るのだった。
(この人を絶対に元の世界に帰さなきゃ!)
この日から、それが夢乃の目標になった。