はやる心臓
ロクの言った良さそうなお店にはすぐ着いた。
「私たちこんなところでまったりと朝食を食べているほど暇じゃないんじゃない?」
木を基調とした落ち着いた店内には、小さく音楽がかかっている。レーシーが聞いたことのない曲ではあるが、穏やかな曲調は店の雰囲気にぴったりだと思う。
赤と白のチェック柄のテーブルクロスの敷かれたテーブルの上、ことさらレーシーの身体の前にはいろいろな種類のパンが白い皿の上に積まれている。
ジャムやバターといった細々したものもレーシーの手が届く範囲に置かれており、今の苦言じみたことを言っているその手元は焼きたてのクロワッサンを二つに割っているところだ。
丸くきちんと整えられた爪は魔女にしては珍しく何の色も乗っていない。自然な桜色をしている。
外に出かける事が少ないため日焼けせずにレーシーの肌は白い。汗は今はすっかり引いている。
「説得力なさすぎだから」
にこにこと笑顔で言ったレーシーの言葉にロクは軽く返す。
呆れたロクの前にはほのかに湯気を上げる香り豊かなコーヒーがある。
砂糖とたっぷりのクリームを入れた胃にも優しい状態のそれはティーカップの中にたっぷりと入っている。
レーシーの前にも同じようにコーヒーがあるが、それは汗をかいたおしゃれな細長いガラスに入っている。
喉が渇いているレーシーの体は冷たい飲み物を求めていた。水を一気に飲み干した後で、ふぅ、と一息ついてコーヒーを飲み、クロワッサンを頬張る。
飲み物も一度まではおかわりできるという親切設計。パン食べ放題。最高の店だ。人気があるのか、店の外には少なくない人の列が出来ている。
白い皿に盛られたカリッとしたソーセージと目玉焼きもパンを引き立てる最高のメニューだ。
「仕方ないでしょ、朝食べてないから、お腹すいてるのよ」
レーシーは欲望のままに手当たり次第においしそうなパンをさらに入れてきている。
「あ、これおいしい〜、ほら、ロクが好きそうな味!」
ほら、これ食べてみなさいよ。とにこにこと幸せそうなレーシーにパンの半分を突き出すように渡される。
溶けたバターの上に砂糖のたっぷりかかったシュガーロール。コーヒーからも推察される通り、ロクは甘党である。
外見からすればブラックコーヒーを嗜みそうだが、ゴリゴリの甘党だ。
しかし朝はあまりたくさん食べる方ではない。
気になったたまごくりーむぱんとメロンパンがひとつづつ取ってきたのみである。
ロクが1つ食べる間にレーシーは二つ食べ終わっている。
「あんまり急いで行ってもな……おねーちゃんは朝は機嫌悪いだろ。機嫌悪い時にお願いしにいってもイイ結果にならねぇだろ」
「えー、緊急時なんだしお願いしたら協力してくれるに決まってるよ。いつも優しいもん。おねーちゃん」
「……まぁお前にはそうかもな」
砂でも噛んだような顔をしたロクは、それを紛らわすようにコーヒーを飲む。
ごく、と喉仏が上下してロクの体内にコーヒーが流れ込んでいく。
「この店の横にケーキ屋があっただろ。アレが最近人気のふわふわチーズケーキの店だから、あそこのケーキを土産にすりゃあいいだろ」
レーシーは先程見かけたこぢんまりしたお店の看板を思い出す。
確かリックおじさんのチーズケーキ……?
流行りに疎いレーシーは聞いた事がないが、確かに女の人が並んでいたのを先ほど目にしている。
「そっか、じゃぁなるべくはやく腹ごしらえして、行こう」
皿に盛られたパンを食べながらレーシーがいい、まだとうぶん食べ終わりそうにないことを悟る。
ロクはコーヒーのおかわりをたのむべく店員に声をかけた。
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王都の中心街から一般入った道は中央道よりは狭いが、それでもまだ広い。
観光客よりももうしこし街に精通した人々が日々の生活のために使っている普段使いに適した店が多い。
焼き立てチーズケーキの袋を携えて、立った店は端から四番目。時に目立った店構えではない。しかしその屋根のてっぺんにでかでかと黒い風見鶏が居を構えているため妙に目立っている。
ドアを開けて髪の長い店主に近づくと、向こうも客に気付いたのだろう、緑のエメラルドのような輝きを放つ瞳がこちらに向けられる。
「お久しぶりです。おねーちゃん」
「よぉ」
挨拶の声をかけると、元々大きな瞳が見開かれますます大きく丸くなる。ばさばさに化粧されたまつ毛がぴんぴん跳ね回るようにすら感じる。
「やだーーー! めちゃくちゃ久しぶりじゃなーい!!!」
はっきりとした赤色に彩られた唇から大きな声が出た。
テンションの高いおねーちゃんにロク共々抱きしめられる。
おねーちゃんは相変わらずの元気さだ。
足首を見せる長さのスカートがふわふわ揺れ、肩口のフリルもそれに合わせるように揺れる。
シャツのボタンがはちきれそうな胸にぎゅうと圧迫されてレーシーは、バシバシとおねーちゃんの背中を叩く。
レーシーよりも体格のいいおねーちゃんはロクよりも背が高い。
「相変わらずだな」
ロクがおねーちゃんの出立ちを見て、ふ、と息をつく。
「えー? 相変わらずかわいいでしょ?」
おねーちゃんはくい、と角度をつけて小首を傾げる。
長いまつ毛に意志の強そうな眉、ぽってりとした唇に、まらやかな頬。綺麗に施された化粧には一分の隙もない。
服を着ていてもわかる広い肩幅に、肩甲骨。
顎のラインもごつごつと骨張っている。
長い髪はグラデーションを描いており、毛先になるにつれて茶色が紫になっている。
骨張った身体を可愛らしい服で包んだおねーちゃんは魔女の中でも一等変わっている。
好きなように姿形を変える事が出来るのだから、女になりたいのならば変身すればいいだけなのだが、「ごつい男の身体で女服を着て女になってたいのよわたしは」と未来的なことを言い、それを実行している。
男にしては細身かもしれないが、体のラインはとても女性的とは言えない。鍛えているのか、発達した大胸筋も、脚の筋も女性的とは口が裂けても言えない。
おねーちゃんはロクの姉弟子なのだ(いや、兄弟子?)ロクは幼少期におねーちゃんの趣味に付き合わされてお人形として色々な服を着せられており、この元気なおねーちゃんに対して苦手意識を持っている。
「これおみやげ」
「あら、リックおじさんのチーズじゃない! それとホール丸ごとなんてロマンがわかってるわねーー」
にこにこ微笑んで、おねーちゃんは鼻先をふくろに寄せて、においを嗅いでいる。
「今日はどうしたの? 結婚報告?」
レーシーの苦しみの訴えによっておねーちゃんの巨体から解放された身体はそこはかとなくじんじんと痺れている。
「え?」
嬉しそうなおねーちゃんの言葉に疑問を浮かべ、隣で重たい息をついたロクを見た。
「違う。ほら、アンタぐらいになりゃ見ればわかるだろ。レーシーの心臓が無くなっちまったんだよ」
「あは、ごめんね。ちょっとしたジョーク。わかってるわよ。心臓ねぇ……どこにあるのかしら」
頼まずともどこにあるのか調べてくれるらしい。
やっぱりおねーちゃんは優しい。
レーシーの全体が見えるようにか一歩後ろに下がったおねーちゃんは、眉間に深々とシワを刻んだ。
「……あー、ぁー、なるほど……」
おねーちゃんは、集中して目を細めると、ぼそぼそと蚊の鳴くような声を出す。
「見えたのか?」
見通しが終わったらしいおねーちゃんに、ロクが聞いてくれる。
「見えた。けど、これから面倒なことになりそうな感じ」
「はぁ? ぼやぼやしたこと言ってないでどこにあるのか教えろ。このままじゃレーシーは……」
「はいはい、わかってますー。そうよね、心臓がないと大変よね。今日もそんなにべっとりロクの魔力染み込ませちゃって……」
「そうなんです。魔法が使えないとかなんてことないと思ったんですけど……まぁ、なんだかんだロクに助けてもらってたんです」
「まぁ。ロクから毎日魔力貰えるんだったら心臓なくても大丈夫だと思うけど、やっぱり自分の心臓大事よね?」
「大事に決まってます! 心臓ですよ心臓! 魔女の心臓!」
いらないわけがない! くわっとおねーちゃんに食ってかかる。
「どうどう、わかってるわよ〜。ちょっと、聞いてみただけよぉ」
この語尾の伸びた話し方は、昔からおねーちゃんが好んで使う話し方で、少し学びしていて相手のペースを自分のペースに戻すのに有効なんだそうだ。
レーシーは、もう一人ほどこの話し方をする魔女を知っているがそちらは何にも考えずに話した結果そうなるようだった。なんというか、舌の動きが悪いのかもしれない。
「……レーシーの心臓ね、クララが持ってるみたい」
おねーちゃんはなんだか言いにくそうにしている。
「クララ?」
まさに今まのびしたか話し方をするもう一人の魔女を思い浮かべていたレーシーは驚く。
「お前の姉だか妹だかだろ」
ロクは私がクララのことを忘れてしまっていると思ったんだろう。補足的なことを言ってくれる。
しかしいかに人のことを覚えていない私だってクララのことは憶えている。
なんせ血を分けた姉妹で、忌み嫌われた双子の片割れ。二人揃って魔女に引き渡されたあの日のことも覚えている。
まぁ何十年単位であってはいないが。
「いや、さすがにクララのことは覚えてる。けど、なんでクララが?」
「さぁそこまではわからないけど。クララのことだからまたろくでもない事してるんじゃない?」
「あー」
何にも否定できない。
昔からクララはちょーーーとアレなんだ。
「行くのか?」
「行くに決まってる」
「心臓がなくてもおれが毎日お前に魔力やりゃぁ支障はないんだが」
「毎日なんて大変じゃない! 家もちょっと遠いのに」
「ぇ? ぁぁ、一緒に住む必要はあるかもな」
「そんな迷惑かけられないもん」
「別に迷惑じゃないが」
「そうなの? ありがとう。でも心臓はやっぱ取り返さなくちゃ。クララがなんでこんなことしたのかわからないけど」
「あんた達相変わらずなのね」
おねーちゃんは私とロクの会話が懐かしいのか、にこにこ笑っている。
「で、おねーちゃん、クララっていまどこに住んでるの?」
「あれ、知らないの?」
「知らないよ。だって疎遠だし。なんなら絶縁したし」
双子ではあってももはや隣に住んでいる赤の他人よりも縁は薄れている。
「割と王都の近くよ。なんだか大きな屋敷に住んでるの」
死にたくなければあまり魔女だとバレないように、と言われているのになんにも守っていないらしい様子がうかがえる。まぁ死ぬのがクララだけならば勝手にしなさいね、というぐらいなんだけど。
「歩いて行ける距離?」
「歩いて? はちょっと無理。何日もかかるわ」
「あぁ、レーシー、もしかして魔力があとちょっとしかない?」
「たぶん、わかんないけど」
「……ロク、乗せていってあげなさい」
「言われなくても」
「役得よね」
ロクとおねーちゃんは、なにやらお別れの会話をしている。
クララがアレなのは仕方がないがそれにわたしがとばっちりを受けるのはおもしろくない。
しかし絶縁したにもかかわらず、レーシーの心臓を盗んでいくとはどういう了見だ?
おねーちゃんは、ムキムキ乙女