なくなった心臓
最大限の身振り手振りをしながらレーシーは朝起きてからの出来事を話した。
身体を大きく動かすたびに、寝癖がぴょんぴょんと揺れている。
「ということなのよ」
幼馴染の魔女であるロクにレーシーの心臓がなくなったと言えば、ふぅーとかなり重々しくため息をつかれる。
俯いて、まだ整えてもいないだろう髪を手でぐしゃぐしゃと混ぜて、また溜まってしまったのか重々しいため息を吐いた。
おそらく呆れたのだろう。
魔女にとっての心臓の大切さは同じ魔女であるロクも嫌と言うとほどわかっている。
ロクの寝癖だらけの黒い髪を見ながら、レーシーもガラスの机の上に出されたカップに口をつけた。
相変わらずコーヒーを淹れるのがうまい。
苦味はあるが、それを補うように旨味が舌を楽しませてからミルクの優しい味がそれらを包み込んでまろやかな味わいになっている。
「……この店に魔女の心臓を売りにきたやつはいないし、そんな大それたモノを買い付けるようなやばい店はここ以外にないと思うぜ」
じとりと半眼になった黒い眼が睨むように真っ直ぐにレーシーを見る。
黒い眼はいかにも魔女らしくて、レーシーの憧れでもある。男にしては長いまつ毛も真っ黒で、今は考えるように伏せられて美しささえある。
「ということはどういうこと?」
空きっ腹に入れたコーヒーが、胃でちゃぷんと跳ねたような感覚。
「お前の心臓はどこにも出回ってない。今のところ、な」
「それはホッとしていいところよね?」
「さぁな、誰かが店に心臓を売りにきてたほうが、よっぽど手っ取り早かったかもな」
確かに。
ロクが魔女の心臓を売りにきた客を五体満足で返すはずもないし、心臓をどこかに売り飛ばしたりすることもない。この店にくればレーシーの心臓は確保されていただろう。その方が解決は早かったかもしれない。
レーシーは脱力してソファの背もたれにだらりと背を預けて天井を見上げた。
「どこにいったのよ……」
心臓がない状態が続くのは非常に良くない。魔力や血液が循環せず、やがて死に至ってしまう。
心臓から切り離された状態でレーシーの身体が何日もつのかはレーシーも知らない。出来るだけ身体の魔力を使わないようにしなければならない。
死なないための抜け道はいくつかあるが、それはレーシーには難しいものばかりだ。
まったく心当たりはないが、探さないわけにはいかない。
「どこいくんだよ」
ぐいっとカップの中身を飲み干し、立ち上がったレーシーにロクが話しかけてくる。
「王都よ、決まってるじゃない」
レーシーが心配なのか、ロクも立ち上がって今にも飛び出して行ってしまいそうなレーシーの手首を掴んだ。
レーシーの手首をぐるりと一周してもまだ余裕のありそうな大きな手は想像よりも数倍温かい。
もしかすると心臓がないことで体温が下がってきているのかもしれないと思うと、早く行動しなければと焦りが募る。
「王都? なんか心当たりがあるのか?」
「……こんなことで頼るのは不本意だけど、王都にはおねーちゃんがいるじゃない」
おねーちゃんは魔女の中でも少しばかり変わっていることで有名なひとだ。
「ぁあ……おねーちゃん……」
ロクはどこか遠い目をしている。
どうもロクはおねーちゃんに対して苦手意識を待っているらしかった。
「千里眼で見てもらうのよ」
レーシーは渋い顔を隠さない。
王都にはおねーちゃんがいる。千里眼の使い手であるおねーちゃんに頼めば心臓がどこにあるのか見つけてもらえるだろう。
人に頼るのはどうかと思うが、それぐらいしかレーシーにはいい案が思い浮かばない。
レーシーはおねーちゃんの栗色の長いウェーブの髪を思い浮かべる。
「ロクも一緒に来てよ」
「ぇえ? 俺も?」
「……幼馴染が死んじゃってもいいっての?」
「いや、よくはないけど」
「そうだよね! じゃぁ早速行くわよ!」
善は急げとロクの手を引くと、強い力で引き返される。
「なによ」
「おねーちゃんにはお土産がないと、だろ」
おねーちゃんのことが苦手なロクは早くも苦々しい顔をしている。
それでも一緒に行ってくれる気になったらしい。
「そうだった。うーん、私今何にも持ってない」
家からめちゃくちゃ急いできたのだなんなら財布も忘れた。
ロクは寝巻きのワンピース姿のままのレーシーをしげしげと見つめると、かったるそうに目を伏せた。
途端レーシーは、かわいらしいいいところのお嬢さんが着ていそうなよそいきのワンピースに着替えていた。
薄い水色を基調としたもので、ふんわりとしたスカートはちょうどレーシーの膝まである。
白い襟は女性らしく丸くカットされている。
「さすがに寝巻きのまま街に行くのは……ないから」
自身も白い開襟シャツに黒いスラックスに着替えたロクが、ついでにレーシーを着替えさせてくれたようだ。
魔力を温存しようとしているレーシーは寝巻きのままで行くつもりだった。
別にスケスケなわけでもないし、そこまで気にならないだろうと思っていたが、やはり寝巻き感が拭えなかったようだ。
助かったありがとうとレーシーは素直に礼を言う。
「別に。なんてことない。お前は極力魔力を使うなよ」
ロクはなんだかんだ心配してくれている。
「お土産は……王都でなんか買うか」
ちら、とロクの目が壁にかけられた時計を見ている。
まだ時刻はかなり早い。
ロクの家の近くにある街はまだ寝静まっているはずだ。街でお土産を用意するのは難しいだろう。
「そうね。じゃぁおねーちゃんのところに行く前にケーキ屋さんにでも寄ろう」
さっと箒を出したレーシーにロクが呆れたとばかりにそれをひったくった。
「王都までどんだけあると思ってんだよ。転移陣があるからそれで行くぞ」
「へぇ、転移陣なんてあったんだ」
ロクとかなり古い付き合いのレーシーだが、転移陣のことは初めて知った。
まだ知らないことがあるんだな、と思う。
「行き先は王都だけだけどな」
付いてこいと、行ったロクの背中を追ってレーシーは階段を登る。
ロクが一緒に来てくれることになって心底安心した。
実のところ不安で仕方がなかったのだ。
王都になんか行くのは何十年ぶりだし、今のレーシーはなにかあっても軽々しく魔力を使うわけにはいかない。
先行きの見えない旅だが、ロクがいてくれれば頼もしいことこの上ない。
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